159 その試験の目的は……
春学期の試験が始まり、基礎魔術理論の試験が明日へと迫った夜。僕は未だとりあえずの正解にもたどり着けていなかった。
「タルト~、お願いだよぅ。灯りをつけてよぅ……」
「もうおやすみの時間なのです。下僕もさっさとベッドに入るのです」
ベリノーチ先生から8割方最適化は進んだのでタルトの問題を解いてみろと言われたのが昨日。ようやく正解に手が届きそうというところで、おやすみの時間だとタルトが部屋を暗くしてしまった。早く添い寝しろとベッドを叩いて催促してくる。
「もうちょっと、もうちょっと時間があれば解けるんだよぅ……」
「時間ならたっぷりあげたはずなのです」
答えが知りたければ教えてやるから布団に入れと急かす3歳児。だけど、ここで正解を教えてもらったらすべてが終わってしまう気がする。ひとたび楽することを覚えてしまった人間は、次からも楽をせずにいられなくなってしまうものだ。このままズルズルとタルト頼みのダメゴブリンになるわけにはいかない。
「正しい答えは――」
「どぉうわあぁぁぁ――――っ!」
無理やり正解を聞かせようとするタルトの声を、あらん限りの大声を張り上げてかき消す。なんて怖ろしいことを考えやがる。そんなに僕をダメゴブリンにしたいのか?
「ぎょへぴぃぃぃ――――っ。ほぎょへぶわぁぁぁ――――っ!」
息の続く限り雄叫びをあげて悪魔の囁きを遮る。やらせはせんっ。やらせはせんぞっ。
「いったい何事ですのっ?」
僕の叫び声は隣のコテージまで届いていたらしい。血相を変えた主席が何があったと飛び込んできた。
「夜尿症に続いて、夜泣きの癖でもつきましたの?」
「いえ、決してそういうわけでは……」
シルヒメさんが淹れてくれたお茶に口をつけながら、こんな夜更けに切羽詰まったような叫び声をあげるなんて非常識にもほどがあると首席が柳眉を逆立てていた。タルトが無理やり答えを聞かせようとしたせいだと説明する。
「まったく、コナカケイルに夜這いでもされたのかと心配してしまったではありませんか……」
「モウホンマーニに帰還させられたそうだからそれはないよ」
「兄のワイバーンなら半日とかからない距離です。いつまた姿を現すとも限りませんから油断はできません」
変態は気がつかないうちに床下から生えてくるものだと口にするモチカさん。実のお兄さんをキノコ扱いとは相変わらず手厳しい。
「その様子ですと、まだ正解を見つけられていないようですわね」
ニヤリと口元に笑いを浮かべた主席が尋ねてきた。余裕に満ちた笑みだ。おそらく、彼女はすでに正解にたどり着いているのだろう。
「まだ時間はあるよ。タルトが意地悪しなければ……」
「意地悪ではないのです。おやすみの時間を計算に入れていない下僕が悪いのです」
蜜の精霊にクネクネ動く巻きつく精霊を絡めて遊んでいたタルトが、おやすみの時間を忘れるなんてあるまじきことだとイーッを連発して不満を表す。徹夜で試験勉強をするなどもってのほか。許し難い暴挙であると無茶苦茶なことを言い始めた。
「それであれば、今晩はこちらのコテージで休まれてはいかがです」
「モチカッ!」
精霊たちも喜ぶとモチカさんがヒョイと3歳児を抱き上げた。もう時間があるまいとほくそ笑んでいた主席が勝手に決めるなと抗議の声を上げる。
「お嬢様、まさかこの期に及んで……」
「期待なんてしていませんわよっ。私が見つけた答えを教えてさしあげてもいいくらいですわっ」
まだ僕が0点を取ることに一縷の望みをかけていたのかとモチカさんに睨まれ、主席はとっさに腕をクロスさせて頭をガードする。どうやら、相当チョップの嵐をお見舞いされたようだ。
「ヌトリエッタも寝入ってしまったことですし、目を覚ました時にタルト先生がいないと寂しがるかもしれません」
「むむぅ……それはかわいそうなのです」
蜜の精霊がタルトのお腹の上で丸くなっていた。湯たんぽの温もりが心地よいのか、気持ちよさそうに寝息を立てている。目が覚めた時に独りぼっちなのは大嫌いだという3歳児はモチカさんの説得を受け入れ、今晩は主席のコテージにお泊りすることに決めた。
「下僕に時間をあげるわけではないのですよ。答えが見つかっても、合っているかは教えてあげないのです」
「採点は試験が終わってからするものだよ」
それで充分だ。僕に向かってイーッとしかめっ面を見せながら、タルトはモチカさんに連れられていった。僕たちの寝室はティコアとバナナンテがおやすみしているので居間の灯りをつけ、シルヒメさんが作ってくれたサンドウィッチをパクつきながら問題を解いていく。あらためて見ると、実にいやらしい問題だ。ある場所にそれっぽい魔術語を配置して他のところをルールに違反しないよう埋めていくと、8割方はわりと簡単に答えが見つかる。そして、あとちょっとという辺りで実は行き詰っていたことに気付かされるのである。
「ベリノーチ先生が教えてくれなかったら、間違いなく0点だったなこりゃ……」
最初に術式全体の構成を練っておくことで、かなりのハズレ選択肢を間引くことができた。あてずっぽうにいくつものパターンを試していたのでは、確実にタイムオーバーになっていただろう。前後の文脈からそこに当てはまる魔術語を探すのではなく、全体を俯瞰してそこに適切な魔術語を配置する。そのように頭を切り替えなければこの問題は解けない。
いったんこのやり方に慣れてくると、自分でもびっくりするくらい術式構築のスピードが上がっていることが実感できる。瞬時に魔法陣にまで変換してみせる3歳児には到底及ばないものの、クゲナンデス先輩なら3日というのも驚くほどのことではないと思えてきた。
「それでも、半刻とか半日はさすがに常軌を逸していると思いますけどね……」
ブツブツ独り言を呟きながら時間を忘れて問題を解いていく。どうにかとりあえずの正解にたどり着いた時には、もうシルヒメさんが朝ごはんの支度を始めていた。間違いがないか何度も見直す。実際に発動させてみるという方法もないわけではないのだけど、これは高等治療術。確認するためにはお腹を包丁でブスリとやらなければならない。もちろん間違っていたらそのままサヨウナラである。いくら大ヴァカの僕でも、治療術を試すため自らを実験台にした伝説の男なんかになりたくはなかった。
「朝ごはんの時間なのですっ」
主席に連れられてタルトの奴が戻ってきやがった。狩猟で鍛えられた僕の目は3歳児の口元に付着したパン屑を見逃したりしない。主席のコテージでご馳走になってきたくせにまだ食べるつもりのようだ。呆れるほど食い意地の張った3歳児と、ちゃっかり自分まで食卓についた主席から大事なオムレツを防衛しながら朝食を済ませる。
「ロゥリング族は肉だけ食べていればよろしいのではなくて?」
「卵は肉の仲間らしくてね。ちゃんと栄養になるんだ」
「オムレツを独り占めするとは卑しい下僕なのです」
自分の分をあっという間に平らげてしまったふたりに卑しいなどと言われる覚えはない。残っていたのは僕の分だけなのだから独り占めだと言い張る3歳児を無視してコテージを後にした。
教室に行ってみるとクラスメートたちが移動を始めていた。結局、Aクラスの約半数が解けなかったようだ。アンドレーアの他、ロミーオさんやムジヒダネさんもBクラスで試験を受けるという。代わりに、ダエコさんを筆頭にBクラスから10人ほどAクラスにやってきていた。
「ぐっ……ダエコに後れを取るとは……」
「ロミーオ様。正解なら僕が教えてさしあげますから……」
「スネイルの軍門に下った男がなれなれしく話しかけないでちょうだい」
Aクラスで試験を受けるらしきクダシーナ君が、答えを教えてあげると言ってロミーオさんに冷たく断られている。鉄仮面がこんなに送り込んできたのかと思ったら、ダエコさん以外はスネイルの一党だった。ひとりで正解にたどり着けたのは、主席、次席、【禁書王】、ドクロワルさんにダエコさんと僕。そして、お姉さんに手伝ってもらった疑惑が残るクセーラさんの7人だけらしい。
「あんた。まさか、精霊から答えを教えてもらったんじゃないでしょうね?」
「それこそまさかだよ。今朝までかかってようやく解いたんだ。もっとも、合ってるかどうかはわからないけどね」
教室から去り際にアンドレーアがインチキしてないだろうなと尋ねてきた。無理やり答えを聞かされるところだったことは言わず、添い寝してあげなかったから機嫌を損ねてしまい、正解かどうかは採点が終わるまでおあずけにされていると答えておく。
「あなたまでスネイル君に手を貸すとは……」
「しかし主席、背に腹は代えられません」
アンドレーアが古巣であるBクラスへ向かったところで、70点をキープすると思われていたAクラス下位の北部派女子が主席に問い詰められていた。どうやら、彼女もスネイルに組したようだ。順位を維持するにはこうするしかなかったのだと必死に言い訳している。
「これは秋学期の試験を受ける準備に過ぎないと、あなたも先生の言葉を耳にされたでしょう。訓練で手を抜いて本番で実力を発揮できると、本気で考えていらっしゃいますの?」
半数ものクラスメートがスネイルの勧誘を断ったのは秋学期の試験を見据えてのこと。今はまだ背に腹は代えられないなんて言葉を使う時期ではない。その言葉は秋学期の終わりまで取っておくべきだったと主席に睨まれ、北部派の女の子は顔を青ざめさせた。
「そう目くじらを立てなくてもよろしいではありませんか。彼女だって秋学期に向けた勉強をしないと言っているわけではないのです。物事を要領よくこなすのも実力のうちでしょう」
ただ効率を優先しただけのことではないかと、スネイルの奴が女の子の弁護に回った。仲間と互いに協力しあって効率よく学習するのもひとつのやり方。人知れずひとりで努力することが尊いなんて古臭い考え方だと気取ったような笑みを浮かべる。
主席が言っているのはそういうことではないのだけど……
僕たちに必要なのは正解ではなく積み重ね。タルトの言葉の意味が、今になってようやく僕にも呑み込めてきた。この問題を解かせた目的は、試験問題を解くための思考をゼロから術式を構築していくための思考に切り替えさせることにある。つまりは発想法の訓練なので、他人からアイデアを得てしまっては何も身につかない。
「フッ……お前は天才だなスネイル……」
「……なにが言いたい?」
天才だと【禁書王】から褒められたにもかかわらず顔を曇らせるスネイル。最初に鼻で笑われたことから、言葉どおりの意味でないことを察したのだろう。
「正解のわかっている問題から何かをすくい取れるなんて……。そんなことができるのは天才か、若しくは妄想癖のある奴のどちらかだ。少なくとも、俺にはマネできんな……」
答えがわかっている問題を解くことはできない。答えをいくら再確認したところで得られるものなんてありはしないのだ。解くべき問題もないのにどうやって勉強するつもりなのだと、【禁書王】がタルトからもらったプリントをこれ見よがしに振ってみせる。
「これは俺がいただいた問題だからな。お前たちには見せてやらんぞ」
勉強したければタルトから新しい問題を出してもらうしかない。まだ解けていない者たちは今ある問題を解いていればいいだろう。この問題は自分が独占させてもらうと【禁書王】がプリントを懐にしまい込む。勉強するつもりはあっても手段までは考えていなかったようで、北部派の女の子が顔をひきつらせた。とっさに反論が思いつかないのか、スネイルの奴は苦々し気に唇を噛みしめるだけだ。
「あなたたちが秋学期にどれほどの成績を残せるのか楽しみだわ。せいぜい仲間とお勉強に励むことね。東部派のクダシーナ君」
もう南部派ではないと言いたいのか、「仲間」と「東部派」をことさら強調するロミーオさん。クダシーナ君が止めるのを無視してAクラスの教室から出て行った。
「のうわぁぁぁ――――っ。ダエコにっ、ダエコにぃぃぃ…………」
半刻の後、ロミーオさんが荒れていた。ダエコさんに後れを取ったことが許せないらしい。全員が回答を持ち込んでいたので、試験自体は10分もたたないうちに終了。Bクラスで試験を受けていたクラスメートたちも戻ってきた。
「どうしてモロリーヌとダエコだけなのよ、こんちくしょうっ」
コケトリス部門の顧問なのだから、自分も一緒に指導してくれてもいいではないかと机をバシバシ叩いて不満をぶちまけるロミーオさん。自分もオリジナルの術式を組んでいくというドクロ方式を採用すれば良かったとしきりに嘆いている。前後の文脈から答えを探すというやり方で途中まで進めていたため、方針変更はよろしくないとそれまでのやり方を貫き通したらしい。
まさに、後悔先に立たずというやつだった。




