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道案内の少女  作者: 小睦 博
第6章 追いつけない背中

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146 斜面を駆け下りてみよう

 今日は授業のない日、朝食を済ませた僕はプロセルピーネ先生の研究室を訪れていた。もちろん、コナカケの裏切りを告発するためである。


「先生、奴はクロですよ。間違いありません」

「藪から棒に何の話よ?」

「コナカケは自分の従者にモロリーヌ抱き枕カバー付き邪教の聖典を手に入れるよう密かに命じていました。裏は取れてます」

「モロリーヌちゃんの抱き枕なんてあるんですかっ?」


 部屋の一角でシュセンドゥ領から納入されたタンクやバルブなんかを確認していたドクロワルさんが違うところに喰いついてきた。初版購入特典ですでに完売しているからもう手に入らないことを伝えると、意気消沈したように肩を落とす。


「だいたい、邪教の聖典ってなんなのよ?」

「先生が以前、僕の部屋で見つけたアレです」


 ヴィヴィアナ様からいただいた魔術書と間違えて見つかったBL本のことだと説明したところ、先生は「ふ~ん」と興味なさげに鼻を鳴らした。アラフォーだから結婚を焦っているかと思っていたけど、案外そうでもなさそうだ。


「弟子よ。毒の増殖速度を確かめる実験台が決まったわ。拘束具を用意しておいてちょうだい」

「はい先生」


 前言撤回。バシまっしぐらの実験台にしようなんてる気マンマンである。命令を受けたドクロワルさんが部屋の物入れから首輪や手枷を取り出し始めた。淡々と拘束具を並べていく姿は手慣れた拷問吏のようだ。お面のせいで表情が読み取れないところがまた恐ろしい。


「ここでっちまう気ですか?」

「解毒薬の効き目に後遺症なんかも調べておきたいし、そんな簡単に死なれちゃ困るわ」


 どこまでも実験体として利用し尽くすつもりのようだ。これなら【絶叫王】や【ヴァイオレンス公爵】に殺られる方がまだマシなのではないかと思う。


「それよりも、これお願いね」


 そう言って、プロセルピーネ先生が新しい濾し布20枚と染料をさし出してきた。追加で入用になったようだ。臨時収入としてはデカいので僕に嫌はない。


「ところで先生、この辺りで手に入る魔法染料の保持剤にいいのありませんか?」

「ジラント袋から採れるジラント汁はなかなかいいわよ。あんたに渡した染料にも使わせてもらったわ」


 何かヒントがもらえるのではないかと尋ねてみたけど、まったく参考にならない答えを返してくれるプッピー。僅かに黄味を帯びた透明に近い汁なので染料の色にほとんど影響しないのだと、どうでもいい知識を披露してくれる。また新鮮なジラントの肝が手に入らないものかとすり寄ってくる先生にそれは騎士団にお願いするよう言って、ドクロワルさんを伴って研究室を後にした。

 本日はこれから、コケトリスの訓練で街の外に出かける予定だ。






 飼育サークルに行くとシュセンドゥ先輩とアキマヘン嬢に主席が待っていた。街の外で訓練するのは、翼を使った動きを覚えさせるのに斜面があったほうが都合がいいから。主席まで一緒なのは、ヒポリエッタの飛行訓練にやっぱり斜面が最適だからである。


「頼まれてたもの完成してるわよ。ドクロワル、これを被っておきなさい」


 例のブツだとシュセンドゥ先輩が差し出してきたのは、ベリノーチ先生によく似た鉄仮面。ピンク色の髪にドクロのお面をつけた少女なんて、モウヴィヴィアーナ中を探してもドクロワルさんしかいない。素人スパイでも見逃しようのない容姿では目立って仕方がないので、変装させることにしたのである。オリジナルとの違いは目のところに色の濃いガラスがはめられていること。制作した先輩によれば、軽くしたため本物の兜には強度で劣るものの、騎乗用のヘルメットよりは頑丈に作ってあるという。


「どうかしら?」

「ぴったりです。光も漏れてきません」


 変装が済んだところで練習場所に向けて出発。黒スケにはシュセンドゥ先輩が、イリーガルピッチにはドクローチ先生が跨っているので、僕とタルトはクマネストに牽かせた乳母車だ。モチカさんとアキマヘン嬢の侍女さんがお喋りしながら徒歩でついてくる。僕の膝の上では先輩のダカーポが機嫌よさそうに鉄琴を奏でてくれていた。喋れないダカーポに代わってタルトに通訳させたところ、愛と勇気しか友達がいない孤独な英雄に捧げる行進曲というらしい。


 目的地は街の南側。ラトルジラントの捜索を続けている領軍が駐屯している先に、100メートルほどのゆる~い斜面がある。街中をコケトリスでノシノシと進んでいるので好奇の視線はいくつか感じられるものの、ドクロのお面で外出した時みたいにこちらを監視しているような気配は感じられない。変装が功を奏したようだ。


「崖じゃないですかっ!」

「いや、これは斜面だって……」


 練習場所に到着した途端、ドクロワルさんがこれは崖だと言い出した。アキマヘン嬢と主席も同感のようで、顔をこわばらせて頷いている。ここの斜面は上のほうがやや傾斜がきつく、下に行くにしたがってなだらかになっているのだけど、一番急なところでも勾配はせいぜい20°といったところ。これを崖と呼ぶのはさすがにフカシ過ぎだろう。


「騎獣に跨っていると視点が高くなるから、傾斜がきつく感じられるだけだよ」

「ドクロビッチは怖がりなのです」


 空を飛ぶことはできなくても、コケトリスは20メートルの高さから飛び降りることだってできるのだ。こんな斜面は馬だって駆け下りられるぞと、乳母車を外したクマネストに跨ったタルトが一番に斜面へと身を躍らせる。蜜の精霊を頭にしがみつかせ、キャッホウと歓声を上げながら駆け下っていった。


「ほら、翼のない熊だって平気なんだから」

「まぁ、危なくなったらこの子たちがなんとかしてくれるわよ」


 騎獣に任せておけばいいと黒スケに跨ったシュセンドゥ先輩が斜面を駆け下りていき、覚悟を決めたらしい主席とアキマヘン嬢がそれに続く。だけど、競技用に訓練された黒スケと違って、ヒポリエッタとイナホリプルは身体と翼の間にわずかな隙間を作り風を孕ませていた。速度が上がり過ぎないよう、本能的にブレーキをかけたようだ。


「ほら、ドクロワルさんも……」

「ほっ、本当に大丈夫なんですかっ?」


 こんなところを駆け下りたりしたら無事では済まないとイヤイヤする偽鉄仮面。イリーガルピッチは崖下りができるように僕が訓練したコケトリスだから心配はいらないと言い聞かせ、手振りで斜面へと誘導する。


「えっ、えっ……この子、勝手にっ? ひゃあぁぁぁ…………」


 名目上はドクロワルさんに譲られたとはいえ、素人丸出しの騎手よりも訓練した僕の指示を優先するのは当然のこと。僕が行けと右手を振り下ろすと、ドクロワルさんの悲鳴を残してイリーガルピッチは斜面に駆け出していった。この手の恐怖心を取り除くには、千の言葉を尽くすよりとりあえず一回体験させてしまう方が手っ取り早い。運動不足でストレスが溜まっていたのかイリーガルピッチがずいぶんハッスルしていたようだったけど、まぁいいだろう。


「無理やりなんてひどいですっ。こんなっ……ごんな゛っ……」


 再び斜面の上まで戻ってきたところで、ドクロワルさんが鼻水をズビビ……とすすり上げながら涙声で抗議してきた。とはいえ、彼女は今年の夏も師匠に連れられて遠征に出かける予定。崖下りは無理でも、プッピーの駆る黒スケについていける程度には上達してもらわなければ困るのは本人……じゃなくて僕だ。どうせ、仕込みが足りないと僕が叱られるに決まっている。

 どうにかして、やる気になってもらわなければ……


「騎乗は案外体力を使うから、ダイエットの効果もあるんだよ」

「アーレイ君は疲れた素振りを見せたことなんてないですよね」


 いつもコケトリスの上で楽チンそうにしているではないかと、猜疑心丸出しの口調でドクロワルさんが咎めてきた。そう見えるのは、僕がコケトリスに乗り慣れていてさほど疲れないから。だけど、騎乗に不慣れな人は鞍の上でバランスを保つのに思った以上の体力を消耗する。ドクロワルさんが半日も訓練を続けようものなら、脚はパンパンに張って背骨がギシギシ痛むようになるだろう。もちろん、僕がやさしくマッサージしてあげるつもりだ。


 クックック……ちょっと手が滑っちゃったってそれは事故。事故ならば許される……

 満員電車の中で腕が当たってしまうのと同じ。不可抗力ならセクハラにならない……

 比喩的な意味では手の届かないおっぱいだって、物理的に届かせてやんよ……


「本当だって。腕や脚に筋肉がつかないから、ドワーフには向いているかもしれない」


 極限まで肉体を酷使するドクロ塾はダイエットとしての効果が薄い。軽い脂肪に代わって重い筋肉がついてしまうので、体脂肪率は落ちるかもしれないけど体重は減らないのだ。筋力に優れるドワーフではなおさらである。騎乗で鍛えられるのは体幹だから腕や脚が太くならないなどとうろ覚えの前世知識までフル活用して、どうにか説得することに成功した。


 シュセンドゥ先輩とドクロワルさんには急斜面を下りる時の基本的な練習をしてもらう。斜面を中ほどまで下りたところに目印の旗を2本立て、騎手は旗を通り過ぎたらコケトリスにジャンプの合図を出す。跳ね上がってから手綱を引けば、コケトリスは空中で羽ばたきながら減速して着地するという寸法だ。


「ある程度スピードがないと不安定になるから、旗を通り過ぎるまで絶対に手綱を引いちゃダメだよ」


 走行中のコケトリスを支えているのは両脚と尾羽。中途半端に速度を抑えるより、尾羽が舵として効いてくるスピードまで加速した方が安定するのだ。競技用に訓練されたイリーガルピッチはもちろんこのことを理解しているので、無理に抑えてしまわないようにとドクロワルさんに言い含める。


「そんなこと言われても、すぐには信じられませんよっ」

「イリーガルピッチ、Go……」

「あぁぁぁれいくぅぅぅん……」


 誰よりも信じてもらいたい女性ひとに、僕の言葉なんて信じられないと言われるのは結構ショックだ。思い直してもらうためにはご体験していただくしかない。心を鬼にして指示を出すと、怒りの声を上げる騎手を無視してイリーガルピッチは斜面を駆け下っていった。そのまま見守っていたところ、旗を通り過ぎた辺りでジャンプしないまま減速してしまう。


「きちんと跳ね上がったことを確認してから手綱を引かないとああなります」


 コンピューターゲームではないのだ。ジャンプの合図を出しても、コケトリスがそれを実行に移すまでには若干の間がある。合図はあくまでも「次の一歩で跳び上がれ」という意味でしかないから、ジャンプする前に手綱を引いてしまったのだろうと解説しておく。


「コケトリスの訓練になると、人が変わったみたいに冷酷ね」

「静かなところがベリノーチ先生より怖いです」


 僕は懇切丁寧に説明したつもりだったのに、人の心がないのかとシュセンドゥ先輩からお叱りを受けてしまった。もう相手を言葉の通じない生き物と見做しているかのようで、生徒をゴミだの汚物だのと罵倒する鉄仮面の方がまだ人間的だとアキマヘン嬢まで震え上がっている。

 おかしいな。僕は谷底に着くまで止まりようがない崖に突き落したりしてないのに……


 先輩とアキマヘン嬢が青ざめているのを横目に、主席を乗せたヒポリエッタが勢いよく駆け出して行く。この場所は斜面に沿って風が吹きあがってきているから離陸するのにちょうどいい。スピードに乗ったヒポリエッタは大きくはばたいて宙に舞い上がると、翼を横に拡げグライダーのような滑空に入った。少しふらつきながらも30メートルほど飛んで着地する。まだ主席というウエイトが重いようなので、調子にのって何度も繰り返させないように忠告しておこう。


「主席が重いみたいだから、ちゃんと翼を休ませてから……ぐえぇぇぇ……」

「毎日、毎日っ。美味しそうな香りを垂れ流してる人が言いますかっ」


 駆け下りていった3人がトコトコと斜面を登ってきたので話をしようとしたところ、最後まで聞くことなく血相を変えた主席が僕を担ぎ上げた。最近体重が増えてしまったのはお前のせいだと、カナディアンバックブリーカーで背骨をゲシゲシと傷めつけてくる。


「ぞうじゃなぐっで……」


 あくまでヒポリエッタにはまだ重いという意味で、決して肥満を指摘したわけではない。もう3つ年上の最上級生に混じっても違和感がないので、体重が増えたのは太ったのではなく背が伸びたせいだろうと説明する。どうにか解放してもらったものの、今度はいろいろ厚みがあるせいで縦に長い主席と体重では変わらないドクロワルさんがエキサイトしてしまった。


「つまりっ、身長のないわたしは太っていると遠回しに言ってるんですねっ!」

「いや゛あ゛ぁぁぁ……デブじゃなくてポチャ……」

「どこが違うって言うんですかっ!」


 ベアハッグに捕えた僕を、ドワーフパワーに任せてギリギリと締め上げてくるドクロワルさん。ポチャなんてデブを言い換えただけだと僕の言い分には耳も貸してくれない。


「いつも、いつもっ。甘いお菓子ばっかり食べてっ!」


 どうやら、普段から甘いものを節制していたストレスが噴出してしまったようだ。シルキーのお菓子を飽きるほど食べられるなんてと僕を責める彼女の魔力は、肉を食べない限り太らないロゥリング体質への怨念に満ち溢れている。


「先生といいアーレイ君といいっ。ロゥリング族は肉だけ摂取していればいいんですよっ!」

「ぐえぇぇぇ……だずげで……」

「なっ、何をやってるんだ君たちっ?」


 あばら骨が崩壊する直前、ドクロワルさんに同調して助けてくれようともしない女性陣に代わって彼女を止めてくれたのは、駐屯地からやってきたコナカケイル氏だった。


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