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道案内の少女  作者: 小睦 博
第6章 追いつけない背中

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136 愛しくも戻れない日々

 まったく酷い目にあった。ムジヒダネさんがお尻に齧りついて離れなくなってしまったため、僕たちは戸板に乗せられて治療室まで運ばれたのである。プロセルピーネ先生が薬を嗅がせて寝かしつけ、ようやく僕は妖怪尻齧りから解放された。


 軟膏を塗ってくれたドクロワルさんによれば、お尻に歯形がついてしまっているらしい。穿いていたのがパンツだったら尻肉を齧り取られていただろう。オムツ様様である。


「我が姪は次から次へと非常識なことばかりやらかしてくれるわね」

「好きでやってるんじゃありませんよ」


 お尻に噛みつかれた状態で運ばれてくるなんて前代未聞。これではリアリィ先生も頭が痛いだろうと、イボ汁なんてものを使い始めた張本人が呆れていた。


「そろそろ、いい塩梅なのです」


 バシまっしぐらを納めた物入れをタルトがペシペシと叩く。どうやら完成したようだ。自分の分を瓶に詰めろと3歳児にガラス瓶とお玉を手渡される。魔導竹べらと同様くっつかないお玉のようで、魔力を流すとこびりついていた毒がさらさらの水のように流れ落ちた。


 さっそくバシリスクに食べさせようと、ムジヒダネさんが目を覚ましたところでサクラヒメを連れてこさせる。研究室から黒ゴマも連れてきて、バシまっしぐらは飲む毒ではないからと毒針を使って2匹に打ち込んだ。

 しばらくすると体内に毒が増えてきたのかヒメバシリスクたちが苦しみだす。


「おい、これ大丈夫なのか?」


 サクラヒメと一緒についてきたヘルネストが尋ねてきた。仰向けにひっくり返ってビクンビクンと激しく身体を痙攣させる使い魔が心配になったようだ。これまでに毒で死んだバシリスクはいないとタルトが安心させる。


「よしよし、角をくれたら今の毒を食べさせてあげるのですよ」


 耐性を得たところでタルトが声をかけると、なんと2匹は8本ある角を全部抜け落ちさせてしまった。よっぽどバシまっしぐらが食べたかったのだろう。スープ皿に毒を盛って与えると、2匹は目を細めて舌を突き出しながらキュウキュウと可愛らしい鳴き声を上げる。「うまいぞ~」と叫んでいるかのようだ。


「これで、今度公爵様がいらした時に解毒薬を売りつけられるわ」


 プロセルピーネ先生はぼったくる気マンマンなところを隠そうともしない。ラトルジラントは完全に駆逐されたわけではなく、今年も騎士団と領軍による山狩りが行われている。毒の成分が変わっている可能性が高いので、たいていの毒に効く薬なら言い値で買うしかなかろうと悪徳商人の如き笑みを浮かべていた。






 プロセル(エース)と名付けられた解毒薬が出来上がったころ、ホンマニ公爵様が魔導院を訪れたと呼び出しを受けた。学長先生やリアリィ先生が暮らしているホンマニ家の館に、コケトリスを連れてくるようにとのお達しだ。絵のモデルをしろということだろう。


 黒スケとイリーガルピッチを連れて館を訪れると、ラベンダー色のドレスに身を包んだ公爵様がいらっしゃった。今日のためにわざわざ新調したそうな。


「なんだ、わざわざ小娘の恰好をしてきたのか?」

「制服でという話でしたので……」

「公爵様、彼は男子用の制服を全部取り上げられたそうです」


 リアリィ先生が女子制服しかないのだと説明してくれる。リアリィ先生の他、学長先生にプロセルピーネ先生も同席しており、3人とも卒業式などの時に教員が着用する黒いケープを羽織っていた。


 湖畔へと移動し、精霊殿のある半島が背景に入る場所を選んで黒スケを座らせる。公爵様が腰かけると、その後ろにプロセルピーネ先生を乗せたイリーガルピッチが陣取った。学長先生とリアリィ先生がその隣に並ぶ。僕も姿を隠す必要はないそうだ。


 公爵様お抱えの画家はふたりいて、ひとりは写実的な精緻さに、もうひとりは雰囲気を描き出すのに定評があるという。ふたりの違いは三脚の置き方にも表れていて、写実的な人はモデルと絵を見比べられるように、雰囲気を描くのが上手いという人は同時に目に入らないよう横向きに設置している。


 すぐに退屈する3歳児のお相手をしてくれているのはシルビアさん。クッキーを焼いてくれたらしい。もちろんタルトは遠慮などせずモッシャモッシャと頬張っていた。


「完成が楽しみだ。最近話題らしいから、1枚はコートヴィヴィアーナに飾ってもよいな」


 スケッチを終えてお茶をいただいていたところ、披露会で描かれた絵が完成して王都で話題になっていると公爵様が教えてくれた。宮廷画家のアキマヘン嬢とイナホリプルを描いたものが評判で、夏にはコケトリスと貴婦人をモチーフにした絵画の展覧会まで開かれるという。

 ロミーオさんが聞いたら大喜びしそうだな……


「僕まで入ってしまってよかったんですか?」

「むしろ、君たちの姿を残しておきたいのさ。そこに描かれている悪ガキを知っているだろう」


 応接室に飾られている1枚の絵にはリアリィ先生のような亜麻色の髪の貴婦人を中心に、幾人かの少年少女の姿が描かれていた。その中のひとり。脚を開いて万歳するかのように両手を突き上げている少年を僕が知っていると公爵様は言う。まったく身に覚えがない。


「モロリーヌさん。昨年、歴史の授業で習ったはずですよ」


 ってことは、歴史上の人物? この悪ガキが?


「ジャーチル・ペドロリアン。まさか、知らないとは言うまいな」

「うええっ、この人がっ?」


 それは、この国きっての名宰相とうたわれた人物の名だ。かつては領主たちが領内を通過する積み荷に思いおもいの関税をかけていて、領境をまたぐ機会が多いほど支払う税も膨れ上がる仕組みになっていた。それが流通を阻害していると領主たちを説得して、主要穀物や塩といった生活必需品に関税を割り当てることを禁止したのである。


 この政策によって、国内の食糧価格は低下し外国への穀物輸出量が増えた。それまで国内の限られた富を奪い合っていた領主たちは貿易収支によって潤うようになり、アーカン王国は食糧供給国としての地位を確立。国際社会における発言力はそれまでとは比べものにならないくらい高まったという。


「こいつも君に似て、何をしでかすかわからない悪童でな。ずいぶんと手を焼かされたよ」


 その教え子もとっくの昔に亡くなってしまった。彼の偉業は教本にあるし、伝記だって出版されて図書室に収められている。だけど、そこに自分の知る好奇心旺盛でいたずら好きだった少年の姿はない。だから、その人のありのままの姿を絵画に残しておきたいのだとホンマニ公爵様は目を細めた。


「若い君には理解できないことかもしれないが……」

「寂しいですね。新しい出会いがある度に、誰かのことが抜け落ちていくのは……」


 二度と会うことの叶わない大切な人たち。懐かしい思い出は、新たな記憶に少しずつ塗り潰されていく。僕はもう、田西宿実が一番かわいがっていた妹の声も仕草も思い出すことが難しくなっていた。写真の1枚すらないのだ。いつまでも忘れないでいたいと願っても、日常に追われるうちにいつしか薄れていってしまう。

 まるで、田西宿実がモロニダス・アーレイに書き換えられていくかのように……


「下僕の魔力から哀しみばかり伝わってくるのです。どんな辛いことがあったのか知りませんが、下僕にはもうわたくしがいるのですよ」


 ペチペチと3歳児に頬を叩かれて我に返る。気が付けば、僕は涙を流していた。慰めてくれようとしているのか、いつだって傍にいる約束だとタルトが膝の上に乗っかってくる。


「君は本当に子供らしくないな。外見は誰よりも幼く見えるのに……」

「公爵様に共感したというより、まるで実感しているように見受けられますな」


 過去を懐かしむのは年老いてからで充分。若者は未来に思いを馳せるべきだと公爵様に言われてしまった。意外と鋭い学長先生は、幼い時分に何か心的外傷を抱え込んだのではないかと考えたようだ。前世の記憶なんて話はできないので、とっさにずいぶん長いこと家族と会っていないせいだと言い訳しておく。


「下僕を哀しませたお詫びを要求するのです。あのふたりにわたくしたちを描かせるのですよ」

「ちょっ、タルトッ?」


 こともあろうに、タルトはお詫びと称して公爵様お抱えの画家に自分たちを描かせろと言い出した。なんて言い掛かりをつけるのだとやめさせようとしたものの、逆に公爵様があっさり同意してしまう。2枚のうち気に入った方を進呈するから、もう片方は自分の手元に残させてもらいたいと条件を出してくる。


「それでよいのです。さっそくわたくしの家に行くのです」


 タルトはどうやらコテージで描かせたいようだ。公爵様とプロセルピーネ先生は解毒薬の値段交渉があるからと館に残り、ふたりの画家とお目付け役のリアリィ先生がついてきた。コテージの庭にベンチを出してタルトと並んで座ると、足元にクマネストがゴロリと寝そべる。ティコアとヒヨコが寄り添うように隣に座り、後ろには黒スケを連れたシルヒメさんと、イリーガルピッチを曳いたブンザイモンさんが立つ。


 途中で蜜の精霊とカワウソが遊びに来たので、カワウソはタルトの、蜜の精霊は僕の膝の上に乗っけて一緒に描いてもらう。例によって主席が怒鳴り込んできたものの、対応に出たのがリアリィ先生だったので文句を言うわけにもいかずおとなしく眺めていた。


「なかなかよく描けているではありませんか。出来上がるのが楽しみなのです」


 ふたりのスケッチを見たタルトが満足そうに頷く。片方は写真と見紛うほどに精緻で、もう片方は柔らかいタッチで表情なんかはぼやけているものの、不思議とそこに流れるゆったりとした時間を感じさせてくれた。どちらが優れていると尋ねられても甲乙つけがたいところだ。


「ヌトリエッタとカソリエッタだけ入れてもらうなんて、ズルいんじゃございませんこと」


 リアリィ先生たちが引き揚げていったところで、仲間外れにされてしまった主席がブーブー文句を垂れ始めた。いかにも不機嫌ですと言わんばかりに唇を尖がらせる。こんな拗ねたような仕草、教室では見せたことがない。人目を気にする必要がなく、怖いモチカさんもいないここでしか見ることのできない表情だろう。


 パーフェクツなお嬢様である主席が、他人には見せない一面を見せてくれるのが嬉しく、そして、この記憶も田西宿実の思い出を塗り潰していくのだと思うと少し寂しかった。


「今日の下僕は妙に寂しがってばかりなのです。ヒヨコを抱っこさせてあげるのですよ」

「モロリーヌさんも人恋しく想う時がございますの?」


 寂しいなら一緒にいてあげようと、主席がヒョイと僕を持ち上げて膝の上に抱っこしてくれた。そこに、タルトがヒヨコを乗っけてくる。わかってはいるのだ。いくら思い出が大切でも、僕を慰めようとしてくれる彼女たちの心配りを拒絶していいものではないことくらい。過去を失いたくないと思い出の中に引きこもるのは、あまりにも後ろ向きすぎる。


「ちょっと、家族を懐かしく思っていただけだよ」

「家族ならここにもいっぱいいるのです。下僕は独りぼっちではないのですよ」


 同じ家に住んでいるのだから自分たちは家族なのだと言い張る3歳児。毒蛇が食べられてしまったと泣いていたことを思い出す。精霊であるタルトは、公爵様より多くの生き物たちを見送ってきたに違いない。それでも、今傍らにいる存在を大切にしているのだ。

 僕がいつまでも寂しいなどとふさぎ込んでいていいはずがないだろう。


 ――ごめんなさい。ありがとう。そして、さようなら……


 いつか、名前すら思い出せなくなってしまう前に届くことのない別れを告げておく。いつまでも忘れないなんて無責任な約束はしない。ただ、最後に言葉すら伝えられなかったことへの詫びと、田西宿実の夢を支えてくれたことへの感謝を捧げる。

 何も言わないまま涙を流し続ける僕を、主席は優しく抱きしめていてくれた。






「下僕~、下僕~。おやすみの時間なのです」


 夜になって、早く添い寝しろと3歳児がせがんでくる。僕が寂しくないようにと考えたのか、いつにも増して甘えん坊さんだ。ベッドに入ってヨシヨシとあやしてやると、どこにも行くなと言わんばかりに僕の右腕を胸に抱く。


「目が覚めた時に独りぼっちなのは大っ嫌いなのです」

――いなくなっちゃうのはヤダ。起きるまで一緒にいるの――


 もう思い出すことは叶わないと思っていた姿が脳裏に浮かぶ。田西宿実の一番下の妹も、寝ている間にどこにも行くなと腕にしがみ付いてきたものだった。失ってしまったはずの思い出が、まだ僕の中に残っていてくれたことに嬉しくなる。


「ちゃんと朝までここにいるから……」


 早々にバナナの国へ旅立ってしまったタルトではなく、思い出の中の妹にそう言い聞かせ、どうか懐かしい夢が見れますようにとおっぱいの女神様にお祈りしながら瞼を閉じた。


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