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道案内の少女  作者: 小睦 博
第6章 追いつけない背中

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132 試験から始まる新学期

 サンダース先輩たちが卒業し、初々しい新入生たちと共に新学期がやってきた。ドクロワルさんと一緒の教室は心なし明るく感じる。というか、壁も机もぴっかぴかに磨かれていて実際に明るい。小汚いCクラスの教室とは大違いだ。


「授業料は変わらないのに成績で教室に差をつけるなんて不公平じゃない?」


 学習環境が整えられているクラスの方が勉強だって捗るに決まっている。魔導院はCクラスの落ちこぼれなんてどうでもいいと考えているのだろうか。


「教室はAクラスもCクラスも変わりませんわよ」

「ええっ、全然違うよっ」


 主席が教室に差なんてないと言ってきた。Cクラスの環境がどんなものか知らないのか?


「それはCクラスの方々が汚しっぱなしにしているだけです。勉学に対する態度の違いを学校側のせいにするなんて許しません」


 Aクラスになったからには、もうCクラスみたいなズボラは許さない。まずは机に感謝を込めてピカピカに磨き上げろと雑巾がけを命じられる。


「うへぇぇぇ……」

「何を大変そうな顔をしているんですか。当たり前のことですよ」


 隣ではドクロワルさんがやっぱり机を拭いている。教室を見回してみれば、クセーラさんにムジヒダネさんまで教室の掃除に余念がない。次席と発芽の精霊は隅に置いてある花瓶に花を活けていた。より良い学習環境を望むなら自分で整えるしかない。誰かに用意してもらおうなんて考えているうちは万年Cクラスだと主席に言われてしまう。

 机をフキフキしているうちに先生がやって来た。


「わたくしが先生なのですっ」


 教卓の上に乗っかってポーズを決める3歳児。お行儀の悪い事この上ないけど、きれいにしたばっかりの教卓に土足で乗るとは何事だと文句を言うような生徒はひとりもいない。


 なぜなら、タルトは本当に先生になってしまったからである。


 競技会で再び不正が用いられないよう、リアリィ先生はどうにか審判役としてタルトを雇いたかった。だけど、気ままな3歳児がいつも引き受けてくれるとは限らない。いっそのこと教員にしてしまえば断られることもなかろうと、他領や外国籍の専門家に特別講義を依頼するための客員教員という肩書きをつけて先生にしてしまったのだ。

 報酬は講義内容と時間による歩合制だという。


 本日の授業は基礎魔術理論。術式と魔法陣の記述法やルールなんかを学ぶ科目で、もはやタルトの独壇場となることは間違いない。


「先生であれば、アーレイにだけ秘匿術式を授けるのは不公平というもの。私たちにも教えていただけると考えてよろしいのですね」


 先生になったのだから自分たちにも秘匿術式を教えてくれるのだろうと、男子生徒のひとりが調子のいいことを言い始めた。バグジードが留年していなくなった途端、東部派の筆頭面をするようになったスネイル伯爵の甥で、名をケンネル・スネイルという。クセーラさんが毛嫌いしていた奴である。


「やめときなよ。ロクなことにならないからさ」

「お前は秘匿術式が自分だけのものでなくなるのが嫌なだけだろう」


 タルトからいろんな術式をもらっている僕が止めても効果はないだろうと思っていたけど、案の定、秘匿術式を独り占めするつもりだと言われてしまった。こいつはタルトのことを知らない。自分が今、ハードルをガンガン引き上げていることに気付いてもいないだろう。

 でも、一応は制止してあげたのだ。これでなにがあっても僕の責任じゃない。


「クックック……そんなに術式が欲しいのですか?」


 あ~あ……3歳児が意地の悪い笑みを浮かべている。きっと、こういった生徒が出てくるであろうことなど想定済み。術式と引き換えに何を要求するかはもう決まっているに違いない。どうかバナナ程度で済んでくださいとおっぱいの女神様に祈りを捧げておく。


「お待ちになってください。秘匿術式とは自ら開発するもので、教えていただくものではございませんわよ」


 察しのいい主席はタルトの表情を見てピンときたようだ。クラス丸ごとタルトのいたずらに巻き込まれないよう、安易に秘匿術式を求めるのは学徒たる者の姿勢ではないとスネイルの奴を批判する。


「その精霊……いえ、先生は甘くない……何かを要求した分だけ……及第点を引き上げられると考えて然るべき……」


 僕以外でタルトから術式をもらっているのはシュセンドゥ先輩のみ。乳母車に使った同じ性能のバネ8本と引き換えだった。秘匿術式に見合うだけのものを要求される覚悟があってのことかと次席も制止する側に回った。


「主席や次席はアーレイから教えてもらえるのでしょう。いろいろと、贈り物を受け取っているようですからね」


 それでも、スネイルの奴は引き下がらない。このままでは僕と仲のいい人だけ秘匿術式を手に入れて、自分たちは取り残されてしまうぞとクラスメートを煽り立てる。


「あんた、主席や次席に秘匿術式を教える約束なんてしたの?」


 アンドレーアがこっそり尋ねてきた。教室の席は特に指定されているわけではないのだけど、初めてのAクラスで心細いのか僕の隣にいる。実にビビリの従姉殿らしい。


「してないよ。それより、スネイルを止めた方がいいんじゃない。見てみなよ……」

「リアリィ先生がどうかしかの?」


 教室の隅で黙って眺めているだけのリアリィ先生をチョイチョイと指し示したものの、察しの悪いアンドレーアはそれがどうかしたのかと首を傾げる。お目付け役の先生が何も言わないということは、秘匿術式を求める生徒が出てくることは想定の範囲内。既定の対応方針で充分と判断している証拠だった。


「こうなることは予想済み。次席の言ったとおり、とんでもない課題を出されそうだね」


 術式が欲しいならそれに見合った実力を示せと、教卓の上でタルトが挑発を繰り返す。ここにいるのは学年上位の優等生たち。そんなことを言われて黙っていられるはずがなく、ムジヒダネさんに【禁書王フォビドゥン】まで受けて立つ構えだ。


「ここにいるのは優秀な生徒だけよ。私たちでは不足だと?」

「少なくとも、術式構築ならアーレイに勝ると自負している」

「ならば試してあげるのです。リアルビッチ、例のものを……」


 余裕しゃくしゃくといった態度でタルトがパチンと指を鳴らす。あらかじめ用意しておいたらしいプリントをリアリィ先生が生徒たちに配布する。


「これは……高等治療術みたいですね」


 プリントには所々虫食いになった術式が記載されていた。いわゆる、穴埋め問題である。治療士であるドクロワルさんは、ひと目でこれがなんの術式であるか理解できたらしい。


 普通の治療術というのは自然治癒を促進させる術式なので、傷跡が残ったり内臓の機能が完全には戻らなかったりする。クセーラさんの左腕のように、そのままでは治癒することのない欠損なんかはそのままだ。


 高等治療術はそれとは違い、筋肉や神経、臓器といったものを魔術で再生させるもの。ドクロワルさんの使う心臓を無理やり動かす術式もこれに含まれる。欠点は患部の損傷具合によって逐一術式を組み替えなくてはいけないところ。健康な肝臓を魔術で強制的に再生させたら、肝臓が肥大化して病気になってしまう。


 そのため、高等治療術は効果ごとに細分化されていて、必要な術式だけを選んで使うのだけど、どうもこのプリントにあるのはそのうちのいくつかをワンセットにした術式であるらしい。


「これを春学期の試験問題とするのです」

「ええっ、サービス問題なんてタルちゃん先生はやさしいねっ」


 教養課程で使う術式の教本と魔法陣の教本に、魔術で使用される言葉の辞典。この3冊を正しく理解しているならば解けるはずだとタルトは言う。これが試験にそのまま出題されると聞いてクセーラさんが歓声を上げた。


 甘い……甘すぎるよクセーラさん……


 あらかじめ出題を教えてくれるような3歳児ではなく、それを黙って見過ごすリアリィ先生でもない。これはつまり、春学期が終わるまでに解いてみせろという意味。それほどの難問であり、すでに試験は始まっているということだ。


「この術式は6殻の円形魔法陣にぴったりと治まるのです。春学期の間に魔法陣まで完成させた者にはご褒美をあげるのですよ」


 すわっ、秘匿術式かとクラスメートたちが色めき立つ。だけど、僕は騙されない。術師課程の特待生だったリアリィ先生でさえ、術式の最適化にはひと月かかったのだ。それを春学期の間に終わらせるなんて、教養課程の生徒には荷が勝ちすぎる。今は期待に目を輝かせている彼らも、いずれ目の前にある壁の高さを思い知らされ絶望に涙するだろう。


「複合魔法陣ではなくて、円形魔法陣ですか……」


 ドクロワルさんがむむぅ……と唸っている。6殻の円形魔法陣というのは、6重の同心円状に術式を描いた魔法陣のこと。複数の術式をまとめるのであれば、魔法陣の中に小さな魔法陣をいくつか配置する複合魔法陣とするのが普通。構造が複雑になるので魔力効率は落ちるものの、その方が頭を整理しやすいそうな。


「ずいぶん余裕そうじゃない。まさか、こっそり正解を教えてもらうんじゃないでしょうね?」


 クラスメートたちがプリントとにらめっこを始める中、僕がゆったり構えていたせいかアンドレーアには誤解されてしまったようだ。


「まさか。まぁ、試験までに術式だけでも解答できれば御の字ってとこじゃないかな。この授業時間中に解けるような問題じゃないさ」


 これはサービス問題なんかじゃない。タルトは春学期をまるまる試験期間に充ててしまうつもりだから、あてずっぽうに虫食い部分を埋めていっても解けはしないと説明しておく。


「ああっ、これもダメです」


 さっそく問題を解きにかかったドクロワルさんが悲鳴を上げた。治療術で他の生徒に後れを取っては師匠の名に傷がつくと、早くもパニックを起こしかけている。おそらくは、記述ルールの制限に引っかかってしまったのだろう。


 大きな石を指定のポイントまで動かすには、持ち上げて運んでも、ゴロゴロ転がしても、放り投げてもいいように、同じ結果を得るにしても術式の記述方法は無数にある。ただし、一緒には使えない組み合わせがあったり、特定の条件下でその制限がなくなったりと細かいルールがたくさんあるのだ。


「なるほど。3冊の教本を正しく理解していれば解ける。逆に言えば、教本の内容を完全に理解して応用できなければ解けないということか……」

「どういうことなの陛下っ?」


 どうやら【禁書王】の奴もタルトの企みに気が付いたらしい。学年3位の術式マニアでも解けないのかとクセーラさんに尋ねられ、研究するにしても春学期という期間は長いようで短い。学期末の試験までに間に合うかどうかは微妙なところだと答えている。


「できました。これでどうです先生」


 なんだこの問題は、どうやっても記述ルールに引っかかるぞとクラスメートたちがざわめき始めたところで、スネイルの奴がもう解けたとタルトにプリントを提出する。回答を一瞥した3歳児は、プリントをクシャクシャに丸めて奴の顔面に叩きつけた。


「誰がお前の知っている術式に書き直せと言ったのです。何が試されているのかもわからないおバカさんなのですか?」


 解いたのではなく、自分の知っている術式に丸ごと書き換えたらしい。これは記憶力ではなく術式の構築力を問うための問題。同じ結果が得られれば良いというものではないとリアリィ先生からも叱られている。

 そんなやり方で丸め込もうなんて、3歳児だと思って侮るからだ……


「試験に出題されるのはこの1問だけなのです。解けなければ0点なのです」

「そんなっ。タルちゃん先生っ」


 0か100かふたつにひとつだと言われたクラスメートたちが、それはあんまりではないかと抗議するものの、秘匿術式に見合うだけの実力はあると大口を叩いたのはお前たちだと3歳児は取り合わない。幾人かの生徒がリアリィ先生に助けを求めてみたものの、学習範囲からの出題であることは確認済み。教養課程の最後に相応しい良問題だと言われてしまう。


「あの男、余計なことを……」

「だから言った……甘くはないと……サクラノーメ……これはあなたの自業自得……」


 元凶となったスネイルを締め上げてやろうと【ヴァイオレンス公爵】が席を立ったものの、ムジヒダネさんだってタルトの挑発に乗せられたひとり。奴を責める資格はないと次席に止められ苦い顔をしている。


「秘匿術式を安易に教えてもらおうなんて考えるから、こういうことになるのです。勉学に近道はございませんのよ」


 それ見たことか。楽な道を選ぼうとしたから報いを受けたのだと主席が鼻を鳴らす。


「そうでもないさ。おかげで、久しぶりにやり応えのある問題が手に入った。俺はスネイルに感謝しているよ」


 クラスメートたちが真っ青になっている中で、【禁書王】だけはポジティブだった。ブタさんキャンセラーやヴィヴィアナロックと違って、正解は手の届くところにあるとわかっているのだ。むしろ、学究の徒としては喜ぶべきことだろうと笑みを浮かべる。


「陛下っ。まさか、こうなると知っていてっ?」

「それは買いかぶり過ぎというものだ。まぁ、期待していなかったと言えば嘘になるが……」

「裏切ったんだねっ。自分の趣味のために私たちを売ったんだねっ」


 クセーラさんに責められても、術式研究が大好きな学年3位はどこ吹く風。学習範囲内からの出題なのだから、解けなければ0点というのも面白いと言い放つ。


 出題した側のタルトとリアリィ先生は、そんな生徒たちの様子を楽しそうに眺めていた。


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