12 僕のでっかいニワトリ
魔導院の朝は早い。電気というエネルギーが発達していないアーカン王国では日が暮れたらお休みの時間。日の出がおはようの時間だ。夜更かしと日が昇りきるまで寝ているのは、夜遅くまで仕事にうつつを抜かしている上流階級の人たちにだけ許された特権である。
だけど、今日の僕はその特権を行使していた。春とはいえ、標高の高い魔導院の朝はまだ肌寒いし、湯たんぽ精霊があまりにもあったかくて心地いいため布団から出たくなくなってしまったのだ。
これは僕が悪いんじゃない。僕を怠惰の道へ誘惑するタルトが悪いんだ。夜明けとともにシルヒメさんが窓を開け放ってしまったため、冷たい空気が部屋の中に入ってきたせいでもある。
大事なことなので繰り返すけど、僕が悪いんじゃない。
「――――!」
シルヒメさんがさっさと起きろと言いたいのか、おっぱいを揺らしながら苛立った様な衣擦れの音を立てた。
そうはいってもタルトが起きてくれなくては僕も起きられない。タルトは何度かうつらうつらしながら目を覚ましたけど、今は三度寝に入ってしまった。朝食の前に軽くジョギングするのが日課だったのだけど、今日は諦めるしかないな。
「タルト、そろそろ朝ご飯の時間だよ」
朝食の始まりを告げる鐘の音が響いてきたところでタルトを揺すって起こす。朝ご飯と言われたとたんタルトはぱっちりと目を開いて、「早く朝ご飯を食べるのです」と元気いっぱいにせっついてきた。昨晩のことは尾を引いていないようでなによりだ。
涎掛けにされた僕のパンツは人に見られたら間違いなく誤解される個所を中心にベトベトにされていたので、できるだけ人目につかないように洗って欲しいとシルヒメさんにお願いする。シルヒメさんはわかってくれたのか、ひとつ頷くと汚れたパンツを洗濯物の山の中に押し込んだ。
タルトがシルヒメさんに抱っこされるのを嫌がって、僕と手を繋いで歩きたがったので手を引いてあげながら食堂まで降りる。食堂はまだガラガラだった。皆、朝食前の軽い運動に出ているのだろう。
この国の上流階級が武力階級である以上、軍と行動を共にできない豚に上流階級たる資格はない。騎士や兵士にならずとも、治療士や魔導器の整備士だって行軍から脱落しない程度の体力は必須だ。武道家とかアスリートと言えるほど鍛えている子こそ少ないものの、皆5キロマラソンを完走する程度の体力は付けていた。
ただひとりを除いて……
タルトが朝食のヨーグルトをご所望だったのでヨーグルトはタルトに、シルヒメさんはお茶だけでいいようだ。僕にはふたり分の食い扶持を負担してあげられるだけの甲斐性などないのでホッとした。タルトは相変わらず「蜜の精霊がいれば……」と零していたけど、ヨーグルトはしっかりと平らげる。
今日はこれといった予定はなかったので、朝食を終えたら僕の自慢の騎獣をタルトに紹介してあげよう。ロゥリング族が使うものなので人族の国では珍しいし、タルトを遊ばせてあげるのにちょうどいい。
「シルヒメはそのキノコの山を片付けて部屋を整えておくのです」
「――――♪」
出がけにタルトは僕が溜めてしまった洗濯物を指差して、シルヒメさんに洗濯と部屋の片づけを命じた。なんだか申し訳ない気がしたのだけど、シルヒメさんは嬉しそうだ。メイド精霊は皆ワーカーホリックなのではないかと心配になる。
僕がタルトを連れて向かったのは飼育サークルが管理している獣舎だ。飼育サークルとはひと言でいえば『使い魔として契約することなく動物や魔獣を使役するサークル』である。
単に飼育するのではなく、上流階級として必要な技術を身に付けることが目的だ。今向かっている獣舎では騎獣と呼ばれる騎乗用の動物たちが暮らしている。馬とは限らないんだけど、上流階級たるもの騎乗技術くらいなくては格好が付かない。
僕は入学の際にお金もないのに自分の騎獣を連れてきてしまった。飼育サークルに所属すると、なんと獣舎の使用料が無料かつエサ代半額負担という特典がもれなく付いてくる。特典と引き換えに、騎獣たちのお世話と騎獣を持たない子の練習に騎獣を使用させることが条件だ。貧乏な僕はもちろん二つ返事でOKした。
サークルの更衣室で汚れてもいい作業服に着替えて、「早くするのです」とタルトに尻を叩かれながら獣舎へと向かう。タルトの格好はそのままだ。高級なローブの裾を引き摺って獣舎に入るなど非常識極まりない。すれ違った飼育サークルの先輩がギョッとした顔をしていた。
「お馬さんに、ヒッポグリフに、亜竜までいるではありませんか。下僕のくせに生意気なのです」
「全部僕のってわけじゃない。僕の騎獣はこっちだよ」
僕の騎獣にあてがわれた房の前にタルトを呼び寄せる。僕に気付いた騎獣が身を起こして甘えようと首を伸ばしてきた。
「コカトリス……ではありませんね。ロゥリング族が生み出したというコケトリスですか?」
「よく知ってるね。驚かせようと思ってたのに……」
「わたくしも目にするのは初めてなのです」
僕の騎獣はロゥリング族が、「鶏からコカトリスが生まれたのなら、でっかい鶏も生まれるのでは……」という短絡的な発想によって生み出すことに成功した、コケトリスというでっかい鶏だ。毒を吐くコカトリスは魔術を使える人間が複数人で囲んで、離れたところから袋叩きにしないと危ない魔獣だけど、コケトリスはでっかいだけの鶏だし、特にこいつは雌鶏なので気性もおとなしく人懐っこい。
「イリーガルピッチ。僕と契約した精霊のタルトだよ。ご挨拶してごらん」
「女の子にビッチとは酷い名前なのです」
「いや、ビッチじゃなくてピッチだから。投球って意味だから」
イリーガルピッチはタルトが気に入ったらしく、ふさふさとした尾羽をしきりに振っている。尻尾が蛇の胴体になってるコカトリスに対して、コケトリスは長くて美しい尾羽が特徴だ。真っ白な身体に半ばから黒くなる尾羽が自慢のコイツはタルトに褒めてもらいたくて仕方ないのだろう。
「よしよし、とっても素敵な尾羽なのですよ」
タルトは相手の心を読むのが上手いのか、シルヒメさんみたいな僕に理解できない言葉がわかるのか、自慢の尾羽を褒めてあげている。イリーガルピッチはご機嫌で、元々人懐っこいせいかあっという間にタルトに懐いてしまった。飼い葉桶を見たところエサもよく食べているみたいなので砂浴びに連れ出す。
砂場っていうか、空いている馬場に連れて行って放してやると、大喜びで砂浴びを始める。馬場を盛大に掘り返してしまうので、後で均すのが大変なのだけど鶏だから仕方がない。でんぐり返って体を砂に擦り付けているところにタルトが巻き込まれるのが見えた。まあ頑丈なタルトのことだ心配は要るまい。
「見てないで助けようという発想が下僕にはないのですか?」
「楽しそうに見えたから……」
体を回転させるようにして、全身で砂浴びを続けているイリーガルピッチの下からようやく這い出してきたタルトが、頬を膨らませながら恨みがましい声で僕を非難してくる。子供のお楽しみに水を差すほど僕は非情ではないよ……
「それより、そんなところに立ってると……」
「――!」
案の定、だらりと垂れ下がっていたローブの裾がイリーガルピッチの足に引っ掛けられて、タルトは大量の砂とともに羽の内側へと押し込まれていった。そんなビラビラした格好で砂浴びをしているコケトリスの近くに立つなんて、巻き込んでくださいと言っているようなものだ。エスカレーターやベルトコンベアじゃないだけマシだと思いなさい。
砂浴びに満足したのか、立ち上がって砂を払い落したイリーガルピッチを空いている場所に座らせて、砂浴びで大穴をあけられてしまった馬場をトンボを使って均していく。僕が馬場を均している間に、ブラシを使ってイリーガルピッチの爪や指の間に詰まってしまった砂を落としてくれるようタルトにお願いしたら「任せるのです」と喜んで手伝ってくれる。
タルトに「右脚を出すのです」と言われたイリーガルピッチは左脚を出していたけど、少なくとも「片脚を出す」という命令がちゃんと伝わっていることには驚いた。僕がブラシで擦ってやればその意図を察してくれるけど、会ったばかりだというのに言葉だけで従えるなんて、まるで本当に会話が成り立っているみたいだ。
綺麗になったイリーガルピッチは背にタルトを乗っけてトコトコと馬場の中を歩き始めた。尾羽を高々と上げてこれみよがしに左右に振りながら歩くのは「見て、見て」というサインで、彼女が上機嫌な時にする仕種だ。砂浴びができてご満悦といったところだろう。
乗っかっているタルトの方は手綱も鞍も着けてない裸鶏だというのに、大はしゃぎで僕に向かって両手を振っている。落っこちたところで怪我なんてしないのだろうけど、初めてとは思えないくらい上手なものでバランスを崩す素振りさえ見せない。
「アーレイ君、よろしいかしら?」
後ろから声を掛けられたので誰かと思ったら僕と同じ作業服を着た首席だった。
首席も僕と同じ飼育サークルの所属で、彼女が曳いてきている愛馬のヒッポグリフはまだ人を乗せて空を飛べるほど育ってはいないけど、ポニーよりかは大きいし首席が乗用馬とするには充分な馬体をしている。上半身が鳥で翼を持っているためか、ヒッポグリフも砂浴びが大好きだ。
ヒッポグリフは上半身はグリフォンと同じ猛禽類の姿をしているけど、下半身が馬なためか馬と同じ食性を持っている。人や馬を見れば食べ物と思うグリフォンと違って他の動物を襲ったりしないので、馬と同じように使い魔として契約しなくても使役することが可能だ。
飼育サークルは『魔術に頼らず技術で生き物を使役する』ことを目的にしたサークルなので、ここにいる魔獣は皆、契約がなくても使役することができるおとなしい子ばかりである。
入口をふさいでいた丸太を外して首席とヒッポグリフを馬場に迎え入れると、コケコケ鳴きながらイリーガルピッチが寄ってきた。首席のヒッポグリフは牝馬なのだけど、イリーガルピッチとはとても仲が良い。この2羽が一体どんな女子トークをしているのか聞いてみたいところだ。
「先ほど先輩方と話していたのですけど、今日はこの子たちを放牧地に連れて行ってあげたいんですの」
「そういえば、雪が溶けてから一度も連れて行ってなかったね……」
放牧地と言うけれど、実のところはモウヴィヴィアーナの街の外に拡がっているただの原っぱだ。冬の間も狭い馬場で運動させてはいたけど、やっぱり広いところで遊ばせてあげないと魔獣たちにもストレスが溜まって体調を崩してしまう。
「新入生の勧誘の時期になると忙しくなってしまうでしょう?」
それもそうだ。新入生たちに騎獣のお世話をさせたり、騎乗の練習をさせるのも、最初の内は慣れた人がついていないと危なっかしい。馬というのは思いのほか背が高く、10歳の子供にしてみれば自分の身長よりも高い位置に座ることになるのだ。揺れると結構怖いし、下手に落馬すれば大怪我を負う危険性もある。
コケトリスは着座位置が馬よりも低く、騎乗しやすいように座ってくれるから、騎乗に慣れていない初心者向けに忙しくなるだろう。新入生が入ってきてからしばらくは練習に付き合わされて、思い切り遊ばせてやる時間は取れそうにない。
「そうだね。すぐに出てしまうの?」
「まだ時間はありますわ。放牧地に着いたところでお昼になるくらいで如何でしょう」
「じゃあ、鎧下と昼食を用意してくるよ」
鎧下を取りにいったん寮へ戻らなければいけない。イリーガルピッチを房へ戻そうとするも、もっと遊んでいたいらしくイヤイヤと首を振って言うことを聞いてくれなかった。
「ほら、後で放牧地へ連れて行ってあげるから……」
「いい子にしていればもっと広いところで遊ばせてくれるそうなのです」
「――!」
僕の言葉には耳を傾けなかったイリーガルピッチが、タルトの言葉を聞いたとたん自分から房に戻っていきやがった。この差はいったい……僕よりもタルトをご主人様と思うようになってしまったのか?
寮に戻って鎧下と背負い鞄をもって再び寮を出る。シルヒメさんは部屋にいなかったけど、洗濯物の山が消えていたので洗い場に行ったのだろう。途中、厚生棟に寄り道して、僕はサンドウィッチ、タルトにはスコーンを購入し水筒にお茶を入れてもらう。
獣舎の前に戻ると、結構人が集まって来ていた。魔獣だけでなく馬たちも全部連れていくみたいなので大所帯だ。
更衣室に飛び込んで手早く鎧下を身に付ける。この鎧下はまあ上下セパレートになった厚手の全身タイツみたいなもので、正しくは簡易型鎧下という魔法陣が編み込まれた防具だ。
本来の鎧下は魔導甲冑と呼ばれる外装の下に身に着けるもので、外装を取り付ける留め金や支持材、補強板などがゴテゴテと付いてそれだけでも『ザ・防具』という感じなのだけど、簡易型は外装を取り付けずに使用することを前提にコストカットされた安物である。
魔導院の周辺は魔物や魔獣こそあまり出ないものの、野犬や毒蛇、運が悪ければ猪や熊に出くわすこともあるので、街の外に出るときは着用が推奨されていた。鎧下には生地を強靭にする魔法陣が編み込まれているので、魔力さえ通しておけば猪の牙をくらったって破れはしない。もっとも、破れないだけで吹き飛ばされるのはどうしようもないけどね。
鎧下は基本的に下着なので、そのまま人前に出るのはエチケット違反だ。上に作業服を着こんで更衣室を後にすると、鎧竜に牽かせた大型の荷車にテーブルなんかが積み込まれていた。完全にピクニックと洒落込むつもりだな……
イリーガルピッチにはタルトを乗っけて、僕はもう1羽のコケトリスを連れ出すことにした。持ち主が研究三昧の生活をしていてなかなか外で遊ばせてもらえないのだ。置いてきぼりにするのはちょっとかわいそうだった。
「準備良いか? 先行するのは魔獣、真ん中は竜、馬たちは最後だ。一列縦隊出るぞっ!」
ヒッポグリフに跨った先輩に先導されて、20頭の騎獣たちがピクニックへと出発した。




