118 祭祀を学ぶ婚約者
ヨウクーシャと名乗った学習院の女子生徒はアーレイに用があるらしい。魔導院に在籍するアーレイは僕、アンドレーア、メルエラの3人。僕とは初対面のはずだから、アンドレーアの知り合いだろうか?
「アーレイ子爵家の姉妹に御用ですの?」
「あたしが耳にしたのは男の子って話だったの」
主席が尋ねてみたところ、あの姉妹ではないという。
なんで僕なんだ?
「知らないわけではありませんけど、どうして彼に?」
「婚約が決まった贈り物をしたいの」
「「ぶふぅ――――っ!」」
ちょっと待て、なんだそれは? 僕は知らないぞっ!
いったい誰が決めた? 【鉄のホモ】が僕を売ったのかっ?
「あの……お話からすると顔もご存じないみたいですけど、どなたから彼との婚約という話を?」
「あ、ごめんなさい。婚約したのはそのアーレイって人とじゃなくって、領主様のご長男なの」
ひと足先に立ち直った主席がどこからそんな話が湧いてきたのだと問い質したところ、相手は僕ではないという。なんでも、僕に使用人と使い魔を奪われたことに腹を立てた領主が、自らの長子をヒラナルド家へ婿養子に出すと決めたらしい。あたしったらうっかりさんなのとヨウクーシャさんは自分の頭をコツンとやりながら、てへっ……と可愛らしく舌を出した。
それってもしかして……
「ウチは2代続けて魔力に恵まれなかったから、分家の地位を剥奪されてしまうんじゃないかってビクビクしてたの。まさか、バグジード坊ちゃまをいただけるなんて思ってもいなかったの」
本家の長子ともなれば他にいくらでも利用価値があるだろうに、魔力が衰退してしまった分家のテコ入れに譲ってくれるなんてシャチョナルド侯爵は太っ腹だと、ヨウクーシャさんは全身のお肉を震わせて喜びを表している。どうやら、バグジードは本当に廃嫡されてしまったようだ。
まぁ、彼女のお婿さんというのも悪くはないんじゃないかな……
極端にふくよかなことを除けば上流階級の出だけあって目鼻立ちは整っているし、モチモチしてそうな白い肌は手入れがゆき届いているのかシミひとつ見当たらない。ブラウンともブロンドともつかない髪は真新しい十円玉みたいな光沢を帯びて美しく、ポッチャリ指数がドクロワルさん並みであれば充分美少女と言えたのではなかろうか。
外れると見せかけてストライクゾーンに入ってくる変化球という可能性は大いにある。
「だから、お礼に贈り物をしようと考えていたの。魔導院の生徒なら装飾品なんかより珍しい素材の方が喜ばれるかしら?」
「そういうことでしたら……彼は夜尿しょ――ひうっ!」
ロクでもない提案をしようとした主席のお尻に貫手を突き込んで発言を止める。オムツなんて送り付けられた日には、僕は完全に夜尿症ということにされてしまうじゃないか。
「米や豆ならいくら贈られても困ることはないと思います。騎獣や魔獣を連れていますから、一俵丸ごと頂いてもひと月もあれば使い切ってしまうでしょう」
なんてところを攻撃するのだと目を三角にしている主席は無視して、魔導院では生徒が入手した素材しか課題には使えないから希少素材を贈られても使い道がなく、ど田舎なので高価な装飾品の出番もほとんどない。穀物であれば絶対に困らないし、変に誤解される心配もないと勧めておく。
「この子、ちっちゃいわりに気が回るのね」
言われてみれば、男女が贈り合うようなものでは受け取ってもらえないかもしれないし、婚約者のいる娘が他の男に贈り物をするのも外聞が悪い。求婚するのに豆を贈るなんて上流階級ではあり得ないから、穀物なら誤解される余地もないとヨウクーシャさんは納得してくれた。
僕の父親が豆でロリオカンに求婚したことは伏せておこう……
「ビッチが外聞なんて気にするのではないのです」
「どひゃぁぁぁ――――っ!」
しまった。スカートの女性とみればオムツを穿いているか確かめようとする3歳児の存在を忘れていた。躊躇いなくガバリとスカートをめくり上げられたヨウクーシャさんが悲鳴を上げてその場にしゃがみ込む。
「この反応はよく訓練されたビッチのものなのです」
「なにっ? いきなり何するのっ?」
涙目になってでっかいパンツを隠すヨウクーシャさんに、オムツは最高によくできた下着なのだとオムツ教の教えを説く3歳児。タルトは精霊なので乙女心など理解できないのだと説明したところ、やっぱり精霊が喋ったとビックリされてしまった。
「精霊が3体? 全員精霊の使役者って、あなたたち何者なの?」
「失礼いたしました。私はペドロリアン家のゾルディエッタと申します」
主席が続けて僕とモチカさんを紹介するものの、ヨウクーシャさんはポカンと呆けたような顔をしている。頭に入っていない様子だ。
「えっ? えっ? じゃあ、パクリスギは北部派の侯爵家と喧嘩してたわけ?」
「そういうことになりますわね。あのような痴れ者に名乗るつもりはありませんけれど……」
「それはそれで意地悪だと思うの……」
負けても文句は言えず、勝ったら報復されるとあっては最初から終わっている。それはあんまりではないかと口にするヨウクーシャさんに、自分を打ち負かせるだけの積み重ねがある相手に報復などしないと主席は微笑みかけた。
ヨウクーシャさんの在籍する祭司課程というのは、祭祀のやり方や手順といった神様にお仕えするための作法を学ぶ課程らしい。ヴィヴィアナ様の人気が高いものの、この国の人々が神々をお祀りしていないわけではなく、あちこちに神殿が建てられている。中にはマイナーな神様もいるのだけど、学習院では創世の十二神にお仕えする神官を育成しているそうな。
「あたしの展示も見ていって欲しいの」
祭司課程の5年生。シュセンドゥ先輩と同い年にあたる彼女は、学習院があんなのばっかりだと思わないでくれと祭祀課程の研究内容が展示されている建物へと案内してくれる。
うほっ……ここはパラダイスか……
祭司課程の建物では、可愛らしいレオタードに身を包んだ女子生徒たちが新体操に精を出していた。これも展示の一部らしく、ボールやフープといった手具を手に5人一組で演台に上がっては演技を披露している。前世ではこっそりのぞくしかなかった男子憧れの新体操部を堂々と見られるとはモロリーヌ様様だ。
なぜかウエイトリフティングも混じっているのだけど、可愛いから良しとしよう。
「どうして魔導院には新体操サークルがないんだろ……」
「シンタイソウ? これは神々に捧げる奉納の舞なのです」
おっと、つい漏れてしまった独り言をタルトイヤーに拾われてしまった。どうやらこれは巫女さんが舞うお神楽のようなものらしい。ボールは魂を表していて【神々の女王】へ、フープは循環を象徴する【暁の女神】様へと、神様ごとに決まっているのだとか。ちなみに、ウエイトリフティングは【力の女神】様への奉納だそうな。
魔導院にもぜひ女子限定の巫女課程を設立していただきたい。
「これがあたしの研究発表なのね」
「これは……」
ヨウクーシャさんの研究内容。そこには「ユグドラシルと世界樹の関連性」とあった。
ユグドラシルとは神様に関する伝承なんかにたびたび登場する言葉で、どうやらすべての生き物に宿る魂に深くかかわっているもの。世界樹というのは錬金術に関連する古文書で使われていて、石に変えられてしまった人を元に戻すとか、自我を持ったゴーレムを生みだすとか、少々眉唾物の秘術を行うのに必要とされている。
このうち、ユグドラシルという言葉はまだ紙が発明されていない時代のもので、石板とか壁画に古代文字と呼ばれる今とは文字も文法もまったく異なる言語で残されていた。一方、世界樹はもっと時代が下がって、古語ではあるものの今の言語形態に近い言葉で書き記された文献に登場する。
ふたつの言葉が同時期に使われていないことに目を付けたヨウクーシャさんは、錬金術では世界樹と呼ばれる樹木が世界のどこかに生えていると考えられているけどそれは間違い。死者の魂が再び新たな魂となって生き物に宿るという思想は古くからあり、昔の人はその理をユグドラシルと呼んだ。それを、死んだ生き物が土にかえり、そこに樹木が成長して果実を実らせ、また別の生き物の糧となる様子になぞらえたものが世界樹。だから、世界のどこを探してもそんな樹は生えていないと結論づけていた。
……ユグドラシルって、タルトの言っていたイグドラシルのことか?
「これは……悔しいですけど興味深いと言わざるを得ませんわね」
魔導院の図書室に収められている神話や伝承に関する文献は、今現在において定説とされている内容がまとめられたもの。研究用というより一般教養としての読み物に近く、ユグドラシルといった古い言葉は使われていない。世界樹に関しては自分も眉唾物だと思ってはいたけれど、あるとすればそれはどこかに生えている樹木であることを疑っていなかったと主席は認めた。
「錬金術に詳しい先生からはさんざんぶっ叩かれたの」
「それはまぁ……そうでしょうね……」
本当かどうかはともかく、自分の専攻している学問の秘術が全部嘘っぱちだと言われれば、どんな反応をするかなんておおよそ見当がつく。この考えが一般化してしまった日には、研究費どころか職を失いかねないのだから。
「タルト、これってどうなの?」
「もちろん間違っているのです」
「ぶぎゅ――っ!」
タルトにあっさり全否定されたヨウクーシャさんがひっくり返った。
「ですが、地上の生き物が知っておく分にはこれで充分なのです」
すべてを知れば欲深な者が再び過ちを犯すに決まっていると3歳児が苦々し気に呟く。どうやら、大昔に何かやらかした者がいたようだ。
「それってどういうことなの?」
「当たらずとも遠からずということではないでしょうか」
正解か不正解かと問われれば不正解だけど、ユグドラシルと世界樹の間になにがしかの関連があることは間違いないのだろうとモチカさんが3歳児の言葉を通訳する。タルトはそれ以上答えてくれる気はなさそうで、また別の展示を眺めてはニタニタと笑っていた。
せっかくだから他の課程も案内してくれるというので、ヨウクーシャさんにお願いして魔法課程に連れて行ってもらうことにした。学習院には領主課程、官吏課程、祭司課程、魔法課程の4つがあるのだけど、やはり魔導院のライバルとなるのは魔法課程。主席は興味が尽きないのだろう。
魔法課程の建物に行ってみると、何やら人だかりができていて騒がしい。何事だろうとのぞいてみると、クゲナンデス先輩にドクロワルさん、ロミーオさん、アキマヘン嬢の姿があった。どうやら南部派女子グループでやってきていたようだ。
「学習院も語るに落ちたようね。まさか、買ってきた再生薬を展示しているなんて」
「何の証拠があって?」
「たった今、ドクロワルが証明したじゃない。シュセンドゥ領が軍に納入したものだって」
ロミーオさんが学習院の先生と思しき男性と言い争いをしている。いったい何事なのかとクゲナンデス先輩に声をかけてみたところ、生徒の作品だと展示してある上級再生薬が購入されたものであることをドクロワルさんが見抜いたらしい。
品質や効果は5段階に分けられているものの、これはその範囲内に収まっているという意味で、同じ品質3でも若干の違いは出てくる。それは色味や透明感に微妙な違いとして現れるのだけど、展示されていた再生薬は同じ人がいっぺんに作ったと思えるほどそっくりなものばかり。試しにドクロワルさんの持っている試験紙を使わせてもらったところ、魔法薬大手の領が納入したことを示すマーカーに反応があったそうな。
「マーカーって?」
「ここの青い線がそうなんです」
ドクロワルさんが試験紙を見せてくれた。過去に王国軍が納入された魔法薬にいちゃもんをつけて支払いを渋った事例があり、魔法薬を大量に納入している領は製品に識別剤という薬品を微量に添加している。これをやっている領で使われている試験紙には識別剤に反応するマーカーが仕込まれていて、赤い線ならホンマニ公爵領、青い線ならシュセンドゥ伯爵領、黄色ならどこどこといったように出所がわかる仕組みになっているらしい。
「いい加減なことを言うなっ。我が家は代々アキマヘン公爵家に薬師として仕える家柄。ドワーフの混血が口答えするなど許されると思っているのかっ!」
うおっ……教師のくせに差別意識丸出しときた。
シュセンドゥ先輩の言っていた王都の南部派ってこんな奴らばっかりなのか?
自分の実家の薬師だと名乗られたアキマヘン嬢はなんだかもの凄く嫌そうな顔をしている。クゲナンデス先輩も「あっちゃ~」とでも言いたげに天を仰いだ。そこに、失礼すると言ってひとりの紳士が割り込んできた。展示されていた上級再生薬の瓶を取り上げしげしげと眺めた後、おもむろに口を開く。
「我が領の製品だと言うのはこれかね?」
我が領ってことは……この紳士がシュセンドゥ先輩のお父さんなのか?




