103 見たくなかった涙
これは、どういうことだ?
あのメイドさんはどうした?
ヒハキワイバーンは感情のまま怒り狂っているように見える。とても、使役者に制御されているとは思えない。そんな中、屋敷の使用人らしき人たちが窓から逃げ出してきた。
「何があったんですっ? あのメイドさんは何をしてるんですかっ?」
「何を思ったのか、坊ちゃまがワイバーンを殺して素材にすると言いだして……」
「誰が余計なことを喋っていいと言ったっ!」
バグジードの奴も逃げてきていた。部外者に余計なことを教えるなと、僕が話しかけたおじさんを怒鳴りつける。
ワイバーンを素材にするだと……
あのメイドさんがタルトの従僕になれば、契約しているワイバーンももれなくついてくる。コイツ、それが嫌で素材にして自分の手元に置いておこうとしやがったのか。
なんてこと考えやがる。
「お前っ、あのメイドさんはどうしたっ?」
「はっ、使用人が主に逆らうからだ……」
「下僕、竜の巫女はまだ屋敷の中にいるのです。気を失っているのですよ」
このバカ、メイドさんが意識を失えばワイバーンが暴走するってわかっていただろうに……
しかも、火の中に置き去りにして自分だけ逃げてきやがったのか……
「亜竜はわたくしがおとなしくさせておくのです。下僕は竜の巫女を引っ張り出してくるのです」
いつだったか、ドラゴンを神様の遣いとあがめている人たちがいるってタルトが教えてくれたけど、あのメイドさんがそうみたいだ。自分がワイバーンをおとなしくさせている間に救出してこいと僕に命じる。
屋敷の中から感じる魔力はひとつだけ、間違いなく動けないメイドさんだろう。
倒れている場所さえわかればなんとかなりそうだ。『ヴィヴィアナロック』の水の壁を頭の上に作り出してすぐに解除。ザバリと水を被る。タルトが「ちっちっち……」とワイバーンの気を引いているのを確認し、バグジードたちが逃げ出してきた窓から屋敷に突入した。
『ヴィヴィアナロック』のおかげで炎はたいした問題にならない。高級そうなカーペットが勢いよく炎を上げていたけど、その上に水の壁を作り出して渡ってしまえばいい。煙を吸い込まないように注意しながらメイドさんの魔力の方へ向かう。
ロゥリングレーダーで位置はわかっても間取りまではわからない。ところどころ迂回させられながら魔力の元へたどり着くと、カーテンや壁が燃え盛る部屋の中にメイドさんが倒れていた。両手を体の後ろで縛られている。
あんの野郎、正気なのか?
ナイフを持ってきていればよかったのだけど、あいにくと手元にはない。ずいぶんと固く結ばれているので、ここで解いている暇はなさそうだ。『ヴィヴィアナロック』の水をぶっかけた後、ペチペチとメイドさんの頬を叩いて意識を取り戻させる。
「これはっ?」
「説明は後です。逃げますよ」
屋敷が焼け落ち始めていた。火の回りが早いところでは天井や梁が崩れ落ちている。鎮火することはできても僕の力ではどかせないし、メイドさんも両手を縛られているから乗り越えるのも難しい。
あのバカ、ロクでもないことばっかりしやがって……
ここまで来たルートは塞がれて使えなくなっていた。メイドさんの知識を頼りに出口を目指すものの、あっちこっち燃えているので思うように進めない。そうこうしているうちに、行き止まりに追い詰められてしまった。
「この壁の向こうは一番外側にあたる部屋なのですけど……」
外に出られる窓があるという。迂回路は焼け落ちてきた瓦礫で塞がれてしまった。どうにかして壁をぶち破れれば……
「この屋敷、木造ですよね?」
「ええ、土台は石造りですけど上屋は木造です」
それならばと、凝った装飾が施された鍔のついた短刀を鞘から抜き出す。装飾品なので切れ味なんてないに等しいけど、この短刀は『タルトドリル』の魔法陣が刻まれた魔導器。木と漆喰の壁くらいならぶち抜けるはずだ。
「少し離れていてください」
メイドさんを下がらせて、壁に向かって魔導器を構える。魔力を流し込むと、もの凄い勢いで風が収束して霞が集まったような円錐が形作られてゆく。超高密度に圧縮された竜巻が『タルトドリル』の正体で、霞のように見えるのは凝結した水分を凍らせたもの。研磨剤のような役割を果たしているらしい。
……野犬に使った時より、強力になってないかコレ?
素材の魔術耐性が高いからか、タルトは威力を上げておいてくれたようだ。触れた先から壁を削り飛ばし、あっという間に穴をあける。二度、三度と突き込めば、メイドさんが充分くぐり抜けられる大きさの穴ぼこが壁に穿たれた。
「天井が崩れそうです。急いでっ」
壁を抜けた向こうでは、火のついた木片がパラパラと頭の上から降ってきていた。もう、いつ崩れてきてもおかしくない。手の使えないメイドさんのために、窓の下に椅子を引きずってきて踏み台にする。
メイドさんを屋敷の外へ押し出したところで、ベキリという音が頭の上で鳴った。
丸コゲになったぶっとい梁が………いや、支えを失った上階が丸ごと落っこちてくる?
窓から逃げるのは……間に合わないっ。潰されるっ!
僕の周りに轟音を立てて屋敷が崩れ落ちた。
「……あれ?」
潰されたと思ったのに、僕の周りにだけ瓦礫が降ってきていない。
「傘にすることを思いつかないなんて、下僕は発想が貧困なのです」
いつの間にか、僕の隣にタルトの姿があった。手にしているのは『ヴィヴィアナロック』の魔導器。頭の上を見てみれば、動かない水の壁が燃え上がる瓦礫を受け止めていた。
逃げ出すことしか頭になかったけど、この手があったか……
崩れた屋敷から外に出ると、騒ぎを聞きつけた先生たちが集まってきていた。リアリィ先生が消火と、危ないから野次馬を近づけさせないように指示を出している。屋敷から出てきた僕を見つけると、またお前かとまなじりを吊り上げた。
「どうしてこんなところにいるのか……いえ、説明はいりません」
リアリィ先生が事情も聞かずに許してくれるなんて珍しい。まあ、後始末で手一杯だろうから、僕なんかにかかわっている余裕はないのだろう。
「もう言い訳は聞きません。覚悟しておきなさいっ」
「事情を説明させてくださいっ!」
許してくれたのではなく、許す気がないから言い訳は聞かないということだった。頼むから話を聞いてくれと泣きついたものの、言ってわからないなら身体に覚え込ませてやるとお仕置きする気マンマンである。
「はなせっ。僕は何もしていないっ」
そこに、モチカさんの巻き付く精霊に捕らえられたバグジードが主席に引っ立てられてきた。使用人の人たちが後ろにゾロゾロと続いている。
「そいつだっ。そいつがワイバーンを暴れさせてっ」
僕の隣に立っているメイドさんを目にしたバグジードは、これ幸いと罪を擦り付け始める。
なんて往生際の悪い奴だ……
「先生。この人は両手を縛られた状態で気を失って、屋敷の中に倒れていました」
「そんなところでしょう。自分のいる屋敷に火を放たせるとは思えません」
縛られたままのメイドさんを一瞥したリアリィ先生は、ワイバーンが炎を吐いたのは制御されていなかった証拠だと結論付けた。自分の話を聞けというバグジードに、お前の証言はまったく筋が通っておらず信憑性がない。事情はすべて使用人から聞かせてもらうと言い渡し、モチカさんに命じてさるぐつわを嵌めさせる。
拘束を解かれたメイドさんも、これから事情聴取だと連れていかれてしまった。
「あれほど言ったのに、また危ないマネをしましたのね……」
「ゴブリング族の勇者に……言い聞かせただけで理解できるほどの知能はない……だから体罰が必要だと言った……」
「切り落として女子寮に繋いでしまえば、いつでも見張っていられますね」
ぬおぉぉぉ……、主席に次席にドクロワルさんが怒り心頭に発して僕を睨みつけている。
かつてないピンチだ。捕まったら不可逆的な過程を経てモロリーヌにされてしまう。
逃げなければっ……
「ああっ! ザリガニに乗ったヴィヴィアナ様がイボナマコを降らせてるっ!」
3人がヴィヴィアナ様はどこだと気を取られた隙に逃げ出し、屋敷を囲む林の中に潜り込む。フハハハ……発芽の精霊のテリトリーから抜け出てしまえばこっちのもんよ。
そう思っていた時期が僕にもありました……
僕はバカだった。夜の林の中では全力疾走なんてできるはずもなく、お面を外して追いかけてきたドクロワルさんにあっさりと追いつかれてしまう。いくらどん臭いとはいえ、この闇が普通の明るさなドワーフより素早く動ける道理などなかった。
「もう逃がしませんよっ」
こっ、これはヤヴァィ……
正面から僕を抱え込んだドクロワルさんは、ドワープパワーにものを言わせたサバ折りで背骨をへし折りにきた。頭がおっぱいの圧力で外に押され、てこの原理でダメージが加速する。
「ダッ、ダメッ……逝っちゃう……許して……」
許しを請うものの、ドクロワルさんの両腕は獲物を絞め殺す蛇のようにギュウギュウと締め上げてくる。このままでは本当に死んでしまう。大声を上げて助けを呼ぼうと思った時、僕の頬にポタリと雫が零れ落ちてきた。
「どうして、心配ばっかりかけるんですか……ワイバーンが尻尾を叩きつけた時も、屋敷が崩れ落ちた時も……心臓が止まるかと思ったじゃないですか……」
ドクロワルさん……泣いてるのか?
月明りに照らし出された彼女の素顔は、夏の終わりに見た時のまま幼さと美しさと可愛らしさが同居した絶世の美少女であったものの、その表情は悲しみに染められていた。
「……ごめん」
それしか言葉が出なかった。Aクラスになるためとはいえ、ワイバーンに正面から立ち向かうなんて脳禁ズですら躊躇するくらい無謀な行為だ。見ているしかなかったドクロワルさんは、ずっとハラハラしっぱなしだったろう。
僕が手に入れたかったのはこの子の笑顔だ……
こんな泣き顔じゃなかったはずなのに……
ドクロワルさんだけではない。主席や次席やリアリィ先生が怒るのも、僕の身を案じてくれたからこそだ。責められるのは当然。悪いのは僕の方だった。
「もう……もう危ないことはしないでください……」
背骨をへし折らんとしていた両腕は、いつしかもう離さないというように僕を抱きしめていた。こうして、ずっと一緒にいられたらどんなにいいことか。だけど、今はまだそれを伝えるわけにはいかない。
僕を置いていかないで……
そんな台詞を口にするくらいなら舌を噛む方がマシだ。教養課程の生徒でありながら治療士協会の正会員となったドクロワルさんは、今や魔導院中が注目する成長株。中央管理棟治療室の副責任者とされたのは、卒業したらそのまま教員として採用するためではないかと噂されている。
どこまでも君と一緒に行くから……
どんどん登り詰めて行ってしまう彼女に、そう伝えるために僕はAクラスを目指した。後ろで足を引っ張るのではなく、ずっと隣にいるからと胸を張って言えるように。
「心配をかけたことは謝るから、もう泣かないで……」
「もうしないとは……言ってくれないんですね……」
ごめんよ。その約束だけはできないんだ……
ドクロワルさんに目をつけているのは、あのおっぱい王太子だけではない。治療室の副責任者に任じたホンマニ公爵様もまた、自分の士族に加えたいと考えているのだろう。僕自身が公爵家の士族として申し分ないと認められるくらいでなければ、いずれ彼女は手の届かないところにいってしまう。
「蓬莱の玉の枝」だろうと「龍の首の珠」だろうと、手に入れてこいと言われれば無茶は承知でやるしかないのだ。
「できるだけしないように……前向きに善処する方向で検討いたしたいと……」
「それでは仕方ありません」
「ふぐおっ!」
イボ汁吸入器っ? どこに隠し持ってっ?
ドワーフに拘束されてしまったら、ロゥリング族の力では身動きひとつとれやしない。脳みそが痺れるような凄まじい苦味に、僕はあっさりと意識を手放した。
……ここは?
すぐ真上に照明があるのか、まぶしくて辺りの様子が掴めない。
「これより、モロニダスをモロリーヌに改造する手術を始める」
すぐ近くでプロセルピーネ先生の声が聞こえた。
ちょっ! マジで僕を女の子にするつもりかっ?
「……女の子細胞の準備はできています」
「よろしい」
ドクロワルさんの声もする。
「せっかくなので、バシリスク器官とイボ汁分泌器官も併せて用意しておきました」
「ますます、よろしい」
おいぃぃぃ……、僕を怪人にするつもりかっ?
くっ、身体が動かない。いや、感覚がない。麻酔でも打たれたかっ?
「先生、実験体が意識を取り戻したようです」
「暴れられると面倒だわ。イボ汁を追加しておきなさい」
これはドクロワルさんなのか……
逆光のせいでぼんやりとした黒い人型としか判別できない誰かが、イボ汁吸入器を手に迫ってくる。ここで再び意識を失ったら、どんな改造を施されるか知れたものではない。逃げようにも、身体が動いているのかどうかもわからない状態だ。
やめろっ! ドクロワルさんっ。やめてくれぇぇぇ――――っ!




