99 一人目の脱落者
「重要なのはダメ草の下拵えです。後は難しくありません」
ドクロ塾長が塾生たちの前で手本を見せてくれる。僕に教えた時はゆっくりやっていたという言葉に嘘はなく、今日は4倍速の早送りモード。これがいつものスピードらしい。その隣では、園芸サークルから大量のマジダメ草と販売員を連れてきた次席が、材料はいくらでもあると出張店舗を開いていた。
「話になりません。お手本とよく見比べてください」
Bクラスの連中はドクロワルさんの手つきばかりをマネしようとして、ダメ草をグチャグチャにすり潰していた。急ぎ過ぎてすり鉢をひっくり返してしまう生徒までいる始末だ。魔法薬に関しては妥協しない塾長に、片っ端から不合格を突き付けられる。
もっとも、ドクロワルさんも今日一日でできるようになるとは最初から期待していない。今日見せたお手本をちゃんと憶えていて、来年の課題提出の時期までに再現できた生徒にはまだ見込みがあるというのがプロセルピーネ先生の考えだ。工師課程に進む生徒の選別は、彼らの知らないところですでに始まっていた。
「ドクロワルを連れてきたのは貴様だな? アーレイ……」
ヤレヤレ仕方のない奴らだと後ろから眺めていた僕をバグジードが睨み付けていた。彼女は中央管理棟治療室の副責任者でもあるので、先生方に居場所を知らせておかなければならない。約束もなしに【魔薬王】から了解を取り付けるなんて、そんなことをするのは命知らずなゴブリンだけだと決めつける。
「ゴブリン如きが……いつもいつも僕の邪魔ばかりして……」
ぶっちゃけ、僕はバグジードに恨みもなければ興味もなかった。降りかかる火の粉を払っていただけで、いつも邪魔ばかりなんて逆恨みもいいところなのだけど、コイツは僕が意地悪をしているのだと決めてかかっているようだ。怒りに顔を歪ませて憎悪を叩きつけてくる。
「いつもいつも、ちょっかいをかけてくるのはお前の方じゃないか」
「身の程もわきまえずに……誰が口答えしていいと言った……」
コイツは侯爵家の嫡子とやらが、どれだけ偉いと思っているのだろう。
「僕はシャチョナルド侯爵家に仕える使用人じゃない。お前に敬意を払う必要がどこにある」
「なんだと?」
他の生徒たちだってバグジード自身に敬意を払っているわけではなく、侯爵家に遠慮しているだけだ。だから、湖畔の時のように状況が悪くなれば逃げるし、今日のようにより大きな利益を吊るされれば放り出してしまう。最後までお前と一蓮托生だという友人がひとりでもいるのかと、この際だからきっぱりと言ってやった。
「人間関係なんて、しょせん相互利益を期待した繋がりに過ぎない。つまりは取引相手だ」
そんな奴らに一蓮托生だなんて期待しない。お前たちはいずれ侯爵になる自分のおこぼれに預かって、尻尾を振っていればいいのだとバグジードは強弁する。
コイツ……14歳の病気をこじらせてやがったのか……
人間関係というものをひとくくりにできるほど単純化するなんて、世の中のすべてを白と黒に2分できると考える14歳の思考だ。取引相手と割り切って社交辞令でつき合う関係もあれば、苦楽を共にする刎頸の友という関係だってあるだろう。それらをひっくるめて白か黒のどちらかにあてはめる必要なんてどこにもない。
グレーのままにしておけばいいものを、悟ったように語っちゃってまぁ……
きっと、自分は真理にたどり着いたとか、本質を見極めたとか思ってるんだろうな……
魔性レディや姫ガールみたいな怪しい電波に毒されちゃってるタイプはわき腹が痛くなるだけ済むけど、この手のお釈迦様みたいなタイプはやっかいだ。自分の認識が絶対的に正しいと思っていて、反論はすべて間違っている。若しくは、本質を理解できない愚か者と考えるから、他人の言うことなんて聞きゃあしない。
シャチョナルド侯爵家の長子は、超面倒臭い中学二年生だった。
「あぁ~、はいはい。そう思いたいんなら、そう思っておけばいいよ……」
我ながら投げやりな態度だと思うけど、僕はコイツの家庭教師でもなんでもない。腫れ物と祟り神には触れないのが一番だ。
「ゴブリンをAクラスになどさせるものか。ゾルディエッタに相応しいのは僕だと教えてやる」
忌々し気にそう言い放ち、バグジードは調合室から出て行った。
ゾルディエッタって……アイツ、もしかして主席に気があるのか?
主席の気を引くのに家柄なんて自慢したってなんにもならないだろう。そもそも同格の侯爵家なんだから、そこにありがたみを感じるとは思えない。自慢するなら相手の持っていないものにするべきだ。
まぁ、わざわざ教えてやることもあるまいとドクロ塾に目を戻せば、端っこの方でこっそりとダメ草をすり潰すアンドレーアの姿が目に入った。ヘルネストたちと一緒に邪魔者を糾弾していた側なので、ドクロ塾に参加するのも気が引けるけど、初級再生薬には興味があるといった様子。ビビリのアンドレーアらしいと言えばらしい。
「アンドレーア。ドクロワルさんの手つきをマネしちゃダメだよ」
「なによ、嘘を教えるつもり? 騙されないわよ」
互いにAクラス入りを狙って蹴落としあう仲なので、僕が嘘を教えるのではないかと眉をひそめるアンドレーア。バグジードの言うことはコロリと信じたくせに、どうして僕のことは疑ってかかるのだろう。
アレコレ教えても信じないだろうから、あんなスピードで下拵えを終えられるのはドクロワルさんだからこそ。僕や主席たちはもっとゆっくり時間をかけて、出てきてしまった水分を紙に吸い取らせながらすり潰している。手つきをマネるのではなく、出来上がったダメ草の状態をよく憶えておくようにとだけ伝えておいた。
「この手本を忘れないでください。同じようにすり潰せれば、品質4、効果5の初級再生薬が作れるはずです。自生しているモウダメ草を採ってくれば、品質も5にできますよ」
結局、誰ひとりとして合格をもらえないまま校舎を閉める時間を迎えた。もう腕に力が入らず、財布も空っぽになってしまったBクラスの連中は調合台に突っ伏してうめき声を上げている。
「来年はこれが課題として出されると、わかっておりますわよね?」
あなたたちは運がいい。これから一年という時間を練習に充てることができるのだからと主席はクスクス笑っていた。マジダメ草を売り捌いた次席もホクホク顔だ。
主席は溜飲を下げて、ヘルネストたちは課題を進めることができ、工師も決して楽ではないと思い知らせることもできた。ちゃっかり儲けた人までいる。Bクラスの連中だって、来年の課題に心構えができただろう。皆ニコニコ、さすが僕と満足していたところ、へそを曲げてしまった者がいた。もちろん、バグジードのことではない。
「わたくしをのけ者にして自分だけ楽しんでいたなんて許せないのです」
自分が寝ている間にそんな楽しいいたずらをしていたのかと、タルトはすっかりご機嫌斜めだ。悪い下僕にはお仕置きしてくれると僕を押し倒して馬乗りになり、髪の毛をグイグイ引っ張ってくる。
「いたたっ……もう、喜んでくれると思ったのに……」
「のけ者にされて喜ぶ者がどこにいるというのですか?」
3歳児の語るいたずらの美学によると、してやられたとわかっているのに自分を責めるしかなく、ただ悔しさに歯噛みするのみというのは最高のいたずらだそうだ。そんな楽しいことからどうして仲間外れにしたのだと、ペチペチ僕の顔をひっぱたく。
「ピンドンを食べなければ腹の虫が治まらないのです」
よりによって、タルトはピンドンを要求してきやがった。アレには10種類くらいの新鮮な果物が使われているから、もう目玉が飛び出すくらい高額なのだ。
まだ、フルーツパーラーの返済も終わってないというのに……
「材料は私が用意いたしましょう。シルキーに作っていただきたいのですが……」
「ゾルビッチは良いビッチなのです。それであれば、ヌトヌトの蜜も材料に加えるのです」
なんと、バグジードの妨害工作を終わらせたご褒美に主席がピンドンを振る舞ってくれるという。ただ、主席の連れているコックさんは煮込み料理が専門。デザートは得意でないので、シルヒメさんを借りたいらしい。タルトはもちろんOKし、今度は精霊の蜜をかけて食べられるとさっきまでの不機嫌もどこへやら、小躍りして喜びを表していた。
秋学期の授業が終了し、明後日から試験が始まるという日。約束のピンドンをいただくため、シルヒメさんを連れて主席のコテージを訪れた。協力してくれたお礼にと、ドクロワルさんも一緒だ。かしこまった招待状でお招きを受けたので、制服ではなくドレスに身を包んでいる。
そして僕は、モロリーヌの夜会服を着せられていた。
女の子の作法を伝授するいい機会だと、主席は招待状でドレスコードを指定してきたのだ。断ってしまいたかったけど、ピンドンを目の前にしたタルトがそれを許してくれるはずもない。僕はシルヒメさんとドクロワルさんに夜会服を着せられ、きっちりとメイクまで施された。
「ご機嫌うるわしゅう、主席様。ご丁寧なお招き、痛み入り遊ばせますのことで候……」
「どんな挨拶ですのそれは?」
女性のする挨拶なんて知らないのでヴェルサイユ風にしようとしたところ、なんだか時代劇とごっちゃになってしまった。呆れ顔の主席にきっちり叩き直してやると宣言されてしまう。
「腰が入っていませんわよ。もっと、こう脇をしっかりと締めて……」
ボクシングのトレーニングではない。シルヒメさんがピンドンをこしらえている間、女性の作法とやらを練習させられる。女の子は肘を体から離してはいけないらしく、お茶を飲むときも肘から先だけを動かしてカップを持ち上げるらしい。腰に手を当ててグビリとやったら、脳天にチョップを落とされた。
わき腹から腕が生えているロボットのような動きを練習させられる傍ら、主席がダエコさんの近況を教えてくれた。クセーラさんはシリンダー法で魔導器を完成させたけど、ダエコさんはダメだったようだ。型枠に収めず、2枚の木片をニカワで張り付けたのだけど、先生が捻ったら簡単に剥がれてしまったらしい。課題未達成により『工作』の成績は0点。Aクラス入りの可能性はなくなった。
「聞くところによると、魔法陣も剽窃したものだそうですね?」
クセーラさんには口止めしておいたのだけど、結果が出たから話してもいいと判断したのだろう。なにも学ぶことなく順位だけ良くしようだなんて、まったくもってけしからんと主席はプリプリ怒っている。
「まあそうなんだけど、そのことでダエコさんを責めないで欲しいんだ」
「アーレイ君は、女の子なら誰にでも優しくしますの?」
節操がないのかと主席が睨み付けてくる。別にダエコさんに優しくしたいわけでも、よく思われたいわけでもない。ただ、僕の仕掛けた罠にはまって自滅した彼女を重ねて吊し上げるのは、死体に鞭を打つような行為に思えた。Aクラス入りをかけたレースから脱落してくれれば、僕はそれで充分だ。
「そうなることを狙って、あえて何も言わなかったのは僕だから……」
「術式の盗用は密偵と疑われても仕方のない重罪。見過ごすわけにはまいりませんわよ」
秘匿術式を狙った産業スパイ事件は決して珍しいものではなく、毎年貴族院に報告例があるくらいありふれている。そして、下手人として捕らえられているのはスパイ本人ではなく、ほとんどが唆された協力者であるという。
いつ誰に利用されるとも限らないから、主席はきっちりお灸をすえておきたいらしい。
「下僕のいたずらは成功したのです。付け足さないといけないものなんてないのです」
あまり乗り気はしなかったけど、そういう理由であれば仕方がないと思い直したところ、タルトがそれを許さないと言い出した。それでは失敗した腹いせに主席に泣きついたみたいで、せっかく上手くいったいたずらが台無しだと頬を膨らませている。
「ですが、彼女が犯罪に利用されるようなことになっては……」
「そんな人族の事情など知ったことではないのです。ゾルビッチのお仕置きのために、下僕を使おうとするのはよすのです」
お仕置きがしたければ勝手にやれ。僕を利用するなと言われ主席は息をのんだ。根も葉もない噂を根拠にダエコさんを疑うことはできない。僕にこの話を振ったのは、魔法陣をパクられたと訴えられれば事実を確認する口実ができるからだと、タルトは主席の思惑を正確に見抜いていた。
「わかりました。この話は聞かなかったことにいたしましょう」
「クセーラさんには僕から改めて口止めしておくよ」
シルヒメさんに頼んでピンドンをひとつ余分に作ってもらう。次席と発芽の精霊に差し入れするためだ。
そう、次席と発芽の精霊だけに……
ダエコさんはどうでもいいけど、口を滑らしたクセーラさんにはお仕置きが必要だろう。