1 彼女が出禁になったワケ
明るく柔らかい日差しが咲き誇る薄桃色の花びらを真っ白に輝かせ、いたずらな風がオーブンから漂う甘い香りを運んでくる素敵な午前。ここ天上にある【竃の女神】の神殿の中庭で、わたくしは零れそうになる涎を必死にこらえながら来るべきその時を待っているのです。
極めて重大ないたずらを成功させたご褒美に、【竃の女神】が手ずから焼いたエッグタルトをご馳走してくれるというのです。穀物を産みだした食物神であり、家を守護する神であり、そして料理の神様でもある彼女の作るお菓子は、口にすればほっぺたが爆発するくらい美味しいのですよ。
ピカピカになるまで岩を磨いて作られたテーブルの上に天上の美酒も準備して、あとはもう焼き上がるのを待つだけなのですが、ご機嫌なわたくしのところに【竃の女神】に仕える家事精霊のシルキーがヒゲのおっさんを案内してきました。おおよそこの神殿には似つかわしくない、うららかな春の中庭に喧嘩を売っているような真っ黒いトーガを身に付けた、空気の読めなさそうなヒゲなのです。
ものすご~く嫌な予感がするのですよ。
「【忍び寄るいたずら】様、【絶頂神】様がお呼びですので大至急大広間までお越しくだ……って、何ですかそのむっちゃ嫌そうな顔は?」
嫌に決まっているのです。まさにこれから【竃の女神】の特製焼き立てエッグタルトをご馳走になろうというところでの呼び出しですから、もうこれ以上ないくらい顔をクシャクシャにしてわたくしが不機嫌であることを示してやるのです。
「伝令の者にそのようなお顔を向けるものではありませんわ。エッグタルトは残しておきますから、用事を済ませてからゆっくりいただきましょう」
おっとりさんな【竃の女神】は用事を済ませてからと言いますけれど、あの体はジジィ、頭は14歳のツルッパゲがわたくしを呼び出す理由など、9割9分9厘がお仕置きと決まっているのですからすぐに済むはずがないのです。『いたずらをする子供の女神』であるわたくしがいたずらをするのは当たり前の事なのですから、お仕置きなんてするだけ無駄なのだといい加減気が付いて欲しいのです。
【忍び寄るいたずら】というのはわたくしを示す二つ名なのです。本当の名前はちゃんとあるというのに、【絶頂神】が二つ名などというものにハマッたせいで、神々は恥ずかしい名前で呼び合うという悪習を押し付けられたのですよ。
最近は神の力である神徳にヘンな読み仮名をあてるのを流行らせようとしてやがります。【醒めない夢】とか、【狂化】とか……。どこでそんなパープーな考えを拾ってくるのか三日三晩問い詰めてやりたいのです。
とはいえ、【絶頂神】は一応、13柱いる創世の神々の中で一番偉いことになっているのです。わたくしもその1柱ではあるのですが、世界神や諸々の神といった下級神たちの手前、面と向かって逆らったり、呼び出しをすっぽかしては上級神としての面目が立ちません。従う他はないのですが、このままではエッグタルトがおあずけになってしまうこと間違いなしなのです。
「ここから絶頂神殿までは結構離れていますから、わたくしの足では2刻くらいかかるのです。お前、先に行って【絶頂神】にそのことを伝えておくのですよ」
「またまたご冗談を。【忍び寄るいたずら】様には距離など関係ないではありませんか」
ちっ……。時間を稼いで先にエッグタルトをいただいてしまおうと思ったのですが、あのツルッパゲはわたくしの神徳を知っている者を伝令に遣わしたようです。もやは、エッグタルトは諦めるしかありません。今回はすぐに済まないことがわかりきっているのです。
呼び出しの理由にも心当たりがありますし、【絶頂神】は激怒していること間違いなしなのです。でも、わたくしだけが悪いのではないのですよ。他の神々が「はやくなんとかしろ」と無言の圧力をかけてくるので仕方がなかったのです。
【竃の女神】にエッグタルトを取っておいてくれるようにお願いして、ため息をつきながらわたくしは神徳を使って絶頂神殿へと参上仕ってやりました。空気の読めないヒゲはもちろん置き去りなのです。
ここの大広間は石造りの広間に分厚い絨毯が敷かれ、地上の生き物たちから奉納された宝物なんかでゴテゴテと装飾された無駄に豪華な広間なのです。普段はここで待たされるのですけれど、今日は珍しく先に来てわたくしが来るのを待ち構えていましたか。
黒地に豪華な刺繍入りの衣をまとった【絶頂神】が、5段ほどの階段の上に設えられた金ピカの玉座に偉そうにふんぞり返ってわたくしを睨みつけています。トレードマークの真っ白な長い髭と、文字通り不毛の荒野と化した頭頂部は今日もツヤツヤに輝いているのですよ。
怒りに満ちた眼差しから察するに、きっと待ちきれなかったのですね。
「【忍び寄るいたずら】、お呼びにより参上いたしたのです」
「貴様に聞きたいことはひとつだけだ。ワシのシャルロッテをどうした?」
わたくしが玉座に近づいて挨拶しますと、今更誰の仕業かなど聞かなくてもわかっていると言わんばかりに、【絶頂神】が喰いしばった歯の間から絞り出すような声で尋ねてきました。まあ、わざわざ『わたくし参上!』と書いた書置きを残してあげたのですから、わかってくれなければ困るのです。
いたずらにも美学というものがあるのですよ。相手がいたずらされたことに気付かなかったり、誰の仕業かわからないなどというのは三流のいたずらなのです。
それにしても案の定、シャルロッテのことでしたか……
「すでに天上のものでも、地上のものでもなくなっているのです。もはやシャルロッテのために御心を煩わせる必要はございませぬ」
「なっ……。貴様っ! 貴様という奴はっ!」
わたくしが用意しておいた答えを告げると、【絶頂神】は拳を玉座のひじ掛けに叩きつけながら怒鳴り声をあげました。そのまま、わたくしを指差した手をブルブルと震わせながら、頭のてっぺんまで真っ赤にして、「貴様は……。貴様は……」とオウムのように繰り返しています。どうやら続ける言葉が出てこないくらいお怒りのご様子。これは相当なお仕置きが待っている予感がするのですよ。
でも、わたくしだけに怒りをぶつけるのは筋違いだと思うのです。確かにシャルロッテを手にかけたのはわたくしなのですが、そもそもの原因はシャルロッテに執心し、他を顧みなかった【絶頂神】にあるのですから。【絶頂神】がシャルロッテばかり大事にしたせいで、妃である【神々の女王】のご機嫌がすこぶる悪くなっていたのですよ。
お茶や食事にお招きされるたびにさんざん愚痴を聞かされた挙句、八つ当たりの餌食となった神々からは「なんとかしてつかぁさい」みたいな視線を向けられて、わたくしはもう針の筵で簀巻きにされた気持ちだったのです。
嫉妬に狂った【神々の女王】が激発する前に穏便に解決してあげたのですから、わたくしはむしろ感謝されてもいいと思うのですが、わたくしを睨みつける【絶頂神】の目はもはや怒りと言うより憎悪に燃えているのです。ああなってしまっては、もう何を言ったところで火に爆弾を投げ込むようなものでしかありません。
特大の爆弾を投げ込んで大爆発させてみるのも魅力的ですけれど、そんなことをすれば地上の生き物たちにまで類を及ぼしかねませんから、ここはおとなしくお仕置きされておくのです。わたくしは慈愛に溢れた女神なのですよ。
「貴様の面などもう見たくないわっ! この天上より出ていけっ! 二度と戻ってくるなっ!」
なんてことを言いだすのですか? 天上より追放されたら【竃の女神】のご馳走にありつけ……ではなく、わたくしたちがいると地上の生き物は神々に頼って自分では何もしなくなってしまうではありませんか。
かつてあった『銀の時代』、地上の生き物たちは手の届かないところに生っている果実を穫るのにもいちいち神々に頼って、梯子や踏み台を使うことすら思いつかなかったのです。わたくしたちが一緒にいては子供たちが成長しないと思って、神々は天上へと移り住むことにしたのですよ。
とうとうボケて忘れてしまったのですか?
「それでは、わたくしたちが地上を去った意味が……」
「何を今更っ! 貴様、自分の神徳をいいことに勝手に地上をうろつきおって。ワシが知らぬと思うてかっ!」
げげげっ! バレていたのですか?
確かにわたしくは神徳によって天上と地上を自由に行き来できて、門の神や運ぶ神に送ってもらう必要もないので、いちいち面倒な手続きなどまっぴら御免だったのです。第一、創世の神であるわたくしが地上に降りる許可なんてそうそう下りませんし、お目付け役を付けられて行先も制限されてしまうではありませんか。
「えっと……。それは……。わたくしのために他の神々の手を煩わせるのも何でしたし……」
「黙れっ! これ以上の問答は無用だっ。許しあるまで、貴様の天上への出入りを禁止するっ。【絶対命令】!」
「ちょっ! あああぁぁぁ……」
【絶頂神】が神徳を発動させた途端、わたくしの足元に開いた大穴に落っことされて、そのまま空に吐き出されました。【絶対命令】は自らの支配する世界にルールを設定するというインチキ臭い神徳で、『出入り禁止』というルールを遵守するために、天上という世界がわたくしを地上世界の空へと放り出したのです。
ルールがある限り、わたくしの神徳で天上に戻っても同じように放り出されてしまうでしょう。
まあ、怒りも収まったころに【神々の女王】や【竃の女神】あたりが取り成してくれるはずなのです。何も言わずに残してきてしまったわたくしのお世話係たちには申し訳ないのですけれど、許しがあるまでは精々遊び回ってやるのですよ。
後になってわたくしを地上で好き放題させたことを悔やむが良いのです。
どこに落っこちるのかと視線を下に向けると、もの凄い勢いで大地が近づいてきていますね。【絶頂神】は相変わらず短慮で困るのです。わたくしの神体は高い所から落ちたくらいで傷付くようなものではありませんけれど、落っこちた先に何かいたらどうする気なのですか?