勇者復活
レミリスの浮遊魔術は間一髪、地面への激突前には発動したが、本来それほどの浮揚力を持つ魔術ではないため、その体へのダメージは甚大だった。
打ち付けられた衝撃で全身の骨が砕け、ひび割れ、内臓ももちろん無事ではない。呼吸すらも危うい状態で、援護攻撃のための神官団が辿り着いていなければ、程なくして死んでいたはずだ。
が、仮にも一国のパリエス教会を預かる支部からの神官団。ギリギリのところでレミリスの命を救うことには成功していた。
「司教!」
「エリアノーラ。大丈夫だ、彼女は助かる。だが、ここには他の負傷者も多い。お前も施術に加わりなさい」
「は、はいっ」
ガイラムの案では対空射撃部隊として回された神官団だったが、“神速将”ロドニーを結局レミリスとエリアノーラだけで倒してしまったため、その場の被害の立て直しをする運びになっていた。
「レミリスさんは……早く治してあげないと、ワイバーンは色々な使い道があるのに」
「無茶を言うな。彼女の負傷は並の治癒術者なら手が施せず死んでいるところだ。高位神官の施術でも完全回復には三日はかかる」
「うぅ……」
パリエス様ならきっと半刻もかからないんだろうな、とエリアノーラは思う。
ベルマーダは閉鎖的な気風が教会にも少なからずあり、魔術の才能があってもなかなか教会には入れてもらえない。
種族や身元の調査に始まり、傍から見ればダイスを転がすのと変わらないような意味不明の審判、意地悪ななぞなぞを交えた面接試験などを経て、最終的に大司教が「全体のバランスを見て」決めるという、才能者選抜という意味では甚だ非効率なシステムによって登用が決められている。
そのため、レヴァリアのリュノのようなとびきりの天才がいたとしても教会に入れるとは限らず、むしろ青髪に表れるほど高い才能があるなら留学に出せ、というのが市井での常識となっている。大してレベルの高くない宮廷魔術師職を含め、国内では好待遇を望みにくいのだ。
しかし、パリエスは未だ戦闘中。他に頼りになる魔術師もいない。
エリアノーラの腕も、他の神官よりいいのか、と言われると胸は張れない程度だ。
レミリスの早期復帰は諦めるしかない。
「ごめんなさい、チョロさん」
エリアノーラを地面まで送り届け、今はレミリスをじっと眺め下ろしたまま動かないチョロに小さく謝る。
そして、エリアノーラは手近の負傷者にウーンズリペアを施すために駆けていく。
◇◇◇
「ネタは切れたか、器用な姉ちゃんよ。じゃあそろそろ俺のお楽しみの時間にさせてもらうぜ?」
「……くっ」
ロータスは手持ちの魔剣を駆使し、しまいには「交差」も乱用してガルケリウスに挑んだが、その攻撃はほぼ全てが無意味に終わっていた。
頑健で敏捷、狡猾で大胆。
牙と翼を持つ黒山羊の魔人は、あらゆる魔剣の攻撃をいなし、ねじ伏せ、受け止めてみせる。
倒すことなど不可能なのではないか、とさえ思い始めていた。
「諦めてはいけません、ロータスさん!」
「テメェは黙ってろパリエス。こっちの話だ。いや……テメェをなぶり殺してからの方がこの姉ちゃんもいいツラしそうだな?」
「あなたの思い通りになど……!」
「できるさ。気付いてねえのか? 俺ァ言った通り『待って』やってるだけだぜ。その姉ちゃんの手品が全部尽きるのをよ。ハナからテメェのヘナチョコ技なんざ相手にしてねぇ」
やはり、パリエスは同じ魔族でもガルケリウスには敵わないらしい。
レヴァリアの言った通り、魔族はそれぞれ全くの別種。能力の方向性もそれぞれということか。
「ククク。昔っからテメェにはイラついてたんだ。他の魔族から妙に庇われちゃいるが、人間どもを可愛がってなにやらありがたい女神様気取り……イレーネほどの女ならともかく、テメェみてえな頭でっかちのヘタレがよ」
「……!」
「俺が眷属にでも手を出したならともかく、この場で直に喧嘩ぁ吹っ掛けてきたのはテメェだ。今なら他の連中もとやかくは言わねえ。ちょうどいいチャンスってもんだよなァ?」
「……そう簡単には……っ!?」
「簡単だってぇの」
ガルケリウスは下手投げでボールでも投げるような動作で、氷結領域を爪跡のように一直線に前方に伸ばす。
パリエスはそれを光の防御壁で押しとどめようとするが、氷は壁で減衰しつつも透過し、彼女の半身を凍結させる。
そこにガルケリウスは翼を打って踏み込み、無造作に広げた爪でパリエスの腹を抉る。
「……が、はっ!」
「ほぉれ、取った……いや、一瞬で死なせちゃつまらねえか……?」
パリエスのいずれかの臓物を掴み取りながらガルケリウスは呟く。
その背中に、ロータスは意を決し、先だってのゲリラ戦のさなかに手に入れた危険な魔剣を叩き付ける。
「食らえ……!!」
「おっ……なんだ、まだ魔剣が残ってやがったか……ん、消えねえ?」
背中に引火した炎に吹雪を吹き付けるも、なかなか消えない炎にガルケリウスは怪訝そうな顔をする。
「そう簡単には消えん。苦しめ」
「へえ。また面倒臭ぇ魔剣もあったもんだな。……が、俺はガルケリウスだぜ」
ガルケリウスはパリエスの臓物を投げ捨てつつ、黒翼に燃え移った炎を翼ごと強引に巨氷に封じてみせた。
「その程度の呪炎でこの俺を上回れるんだったら世話ぁねえよなぁ?」
「……!!」
「今度こそ終わりか、姉ちゃん。……いや、ディオメルのひよっ子よう」
「なっ……」
「気付かないと思ったか? あの野郎とは昔つるんでたこともある。……まさかこんな時代まで野郎の作品が残るたぁな。昔のよしみだ、俺がその化けの皮を剥いで野郎のところに送ってやるのが弔いってもんだろ。……ダチの忘れ形見をヤリ潰すのは痛快そうだなァ」
「……黙れ、黙れ……ディオメルの元に逝くのは貴様だ!!」
「おおぉ。いいツラになったなァ。こりゃもう少し楽しめそう……」
ガルケリウスは言葉を切り、そしてくるりと背を向ける。
「チッ。野暮用を済ます方が先だ。ちょいと待ってろ。終わってからゆっくり遊んでやる」
「待て!」
ガルケリウスは待たず、南に向けて飛び立ってしまう。
「く……」
「ロータス……さん」
「パリエス殿……今、ウーンズリペアを!」
「ふ、不要です……私は、自分で再生できます。それより、レミリスさんを……」
「……間に合わぬ」
「諦めては、いけません……ホークさんが、動揺……します。勝てなく……なって、しまう」
「ですが」
ロータスはパリエスを抱き起こし、考える。
まだ付け焼き刃のウーンズリペアだが、それでも使って少しでもパリエスが戦線復帰するのを早める方がいい。
レミリスの危機には、間に合わない。間に合ったとしても、自分では何もできない。
見捨ててしまうことになるが、何もできずに徒労で終わるより、全体の被害を抑える方がマシだ。
「……やれやれ。年寄りが二人揃って情けないね」
ここで聞こえるとは思っていなかった、聞き知った声。
ロータスは弾かれるように、パリエスは震えながらゆっくりと、声の方を見る。
そこには、いるはずのないレヴァリアが立っていた。
「れ……レヴァ、リア……?」
「人違いさ」
「……は?」
「僕は謎の美少女マスクド・エスメラルダ。レヴァリアなら、まだハイアレス城にいるよ。……こういう時のためにリルフェーノに僕っぽい喋り方を練習させておいたんだ」
「つまり……レヴァリアでしょう?」
「謎の美少女マスクド・エスメラルダだって言ってるだろう」
「マスクをしていないマスクドなんて認めません」
「あとで作るんだよ。っていうか君も同じようなことしてたんだろ。ずるいぞ」
「私は遊びじゃありません!」
「い、いや、お二方。そんなことはどうでもいい。ガルケリウスは……」
どうでもいいことで言い合うパリエスとレヴァリアをロータスは仲裁する。
レヴァリアは肩をすくめた。
「僕がガルケリウスの担当で、あいつはワイバーン借りてさっさと盗賊君に合流の予定だったんだけどねぇ」
◇◇◇
空から、山羊頭の魔人が乱暴に着陸してくる。
着地点にいた負傷兵と神官がまとめて踏み潰され、声もなく絶命した。
「ふぅ……い。ったく、感知できちまったらお仕事するしかねぇよなぁ。おい雑魚。ワイバーン使いのレミリスはどこだ」
「ひ、ひぃぃぃ」
「答えろ。……めんどくせえ、皆殺しでいいか」
捕まえた手近の兵士の胴体をねじ切り、両側にポイと捨てて、ガルケリウスは周囲を見渡す。
ほとんどの兵士や神官は、その異形の怪物の醸し出す圧力に這い逃げるしかない。
その中でエリアノーラは司教とレミリスを守って立ちはだかる。
「……や、やらせない!」
「あんだテメェは……そうか、その後ろのがレミリスか。よさそうな女じゃねェか。死にかけてるみてェだが、まぁどうせ死ぬんだ。逸物で腹が裂けても苦しまずに済んでちょうどいいだろう」
「やらせないって……言ってる、でしょっ!!」
エリアノーラはやぶれかぶれでタックルを仕掛ける。
レミリスが死ねば自分のせいだ。ガイラムが失望する。尊敬する先祖に失望されたくはなかった。
そして、エリアノーラの卓越した身体能力で放つタックルは、思いがけずガルケリウスを吹き飛ばす。
「うおっ……とぉ。なんだ、まだ遊べそうな女いるじゃねえか……へへ。まあ慌てるこたねぇ。逃げようも隠れようもねぇ、国家滅亡の戦場なんだ。順番にヤリ散らかしてやる」
「こ、この、下品山羊! 絶対行かせないんだから!」
「足止めのつもりか。できるかねぇ? パリエスやあの魔剣使いのエルフがお前らの切り札だったんだろう? どっちも俺には歯ごたえがなさ過ぎてアクビが出ちまうぜ」
「っ……」
「さて……二度と腰が立たなくなるが生かしてもらうのと、死体になってから五体バラバラにされつつ犯されるのは……どっちがいい?」
「どっちもお断りだっ!」
エリアノーラはその辺に転がっていた剣を握って叫ぶ。
怖い。
害意を剥き出しにした魔族はこんなにも恐ろしく、絶望的なものなのか、と改めて思い知る。
だが、それでも……故郷と、ガイラムのために、引くわけにはいかなくて。
「そこまでだ、魔族ガルケリウス」
「あん?」
ガルケリウスは振り向く。
慌てて這い逃げる兵士たちの間から、一人の青年が剣を担いで歩んできていた。
「なんだ……テメェは」
「男の名前なんて知りたくもないだろう?」
「はッ。その通りだが、先回りたぁムカつく野郎だ。敢えて聞いてやる」
「正直、こちらもお前に時間をかける気はないんだがな」
青年は剣を下ろし、魔族を不敵な目で見つめた。
「俺はジェイナス。レヴァリアのジェイナスだ」
「はっ……くたばった勇者かよ」
「ああ。ちょいと寝過ぎてな。仲間に追いつかなきゃいけなくて急いでるんだ。邪魔者の脇役はとっとと退場してもらう」
「ククククク……グハハハハハ、なんだァ、魔王の眷属如きに殺られたゴミが堂々と吹かすもんだな!」
「口上の述べ合いは嫌いじゃないが、言った通り急いでる。早速で悪いがやられてくれ」
ジェイナスは手にした魔剣を両手で構え、そして。
「は、ッッッ!!」
気合一閃、爆発的な踏み込みと共にガルケリウスの脇を突き抜けるように剣を振り抜く。
「……テメェ」
「ああ、久々だ。『デイブレイカー』よりこっちの方がしっくりくるな、俺」
清々しい顔でそう言って、剣を鞘にパチンと納める。
ガルケリウスは動こうとして……次の瞬間、胴体中央に真横からフォークを刺されてねじられるような形で、肉体が強引に破壊されて血を振り撒き、空に頭と手足をバラまいた。
「『ボルテクス』。家に伝わる練習用の魔剣なんだがな。……前回もこれを持って旅立てばよかったよ」
この日。
勇者ジェイナスは、魔王軍の前に帰ってきた。