死者の戦場
「あの創造体との戦いの後から、私は仲間を募り、ガイラムの力になろうと動いてきた。犬人たちは仲間意識が強い。ベルマーダ正規軍には居場所はないが、全部で3万近い犬人が動いてくれている」
ラトネトラは狭い坑道をアヒル歩きで進みながら、ホークたちに現状を説明した。
「3万って……ベルマーダ軍よりずっと多いじゃねえか」
「もちろん、全員が戦闘要員ではない。それに体格にも腕力にも劣る。素直に兵力に換算できるものじゃないが」
「軍の連中は平和過ぎて腐っちまって平凡以下だ。確実に犬人3万の方が強いぞ」
「ガイラムも同じことを言っていたな。しかし、犬人の強みは軍隊と同じことをやっていては発揮できん。勇敢さと義理固さ、疲れ知らずの機動力、そしてこの獣面と小ささこそが犬人の強みだ」
ラトネトラは狭い部分から全員が抜け出るのを確認すると、魔法詠唱して小さな爆発を起こし、坑道を崩してしまう。
ゾンビやスケルトンに追われないための措置だ。ゾンビたちの労働力なら改めて掘り直すこともできるだろうが、さすがにもう追いつくことはできないだろう。
「犬人たちは服を脱いでしまえば、常人には獣と見分けがつかない。体も小さいから、例え見咎められても脅威とも感じられない。だから魔王軍の支配地域でもほとんど自由に山野を行き来できるんだ。無論、そこから破壊工作もできる」
「……さらっと言うが、裸で走り回らせるとか……よくみんな承服したな」
「ベルマーダ全国の犬人たちはそうして団結したんだ。無事な地域だけの犬人ではその数にはならない。他種族の惨状を見ているから皆、必死になったのだ」
ホークたちが魔王軍を襲撃していた十数日の間に、ラトネトラたちも随分と大胆に地下活動をしていたようだ。
「元々俺らはそんなに服にはこだわらねえんです。毛がありますからね。そりゃあ服着てた方がシャレてはいますけど、人間ほどには裸に抵抗はねえんですよ」
「そうは言うが……」
「とにかく、そうしてれば魔王軍から易々と逃げられるってラトが教えてくれたおかげで、他の種族に比べりゃ無被害みたいなもんです。レイドラやクラトスには犬人なんてほとんどいねえらしいですからね。見かけても人とは思わんのでしょう。村ごと奴らの勢力圏外に逃げきれたって奴らも多い。生きてりゃ万々歳です」
ツルハシを持った犬人が言う。
「お前がラトネトラの新しい旦那?」
「いや、俺は違います。ちゃんと同族妻子持ち。ロッキーって呼んでください」
「俺が今の婿ですよ。前回はロクに話してませんけど会ってます。トムといいます」
ホークは犬人たちと握手する。
「しかし、爺さんも援軍用意してんなら教えてくれりゃよかったのに」
「見ての通り、退路の確保も兼ねていたからな。察知されてはかなわん。あと、貴様たちも私たちも、全軍には公にされない隠し玉だろう。当て込むような動きを見せたくないのが将の感情だ」
それに、とラトネトラは続ける。
「案の定、ゾンビが周辺の地下入り口を完全に固めていた。下手に貴様たちに知らせれば破れかぶれで飛び出そうとするに決まっている。だが、こんな小勢で飛び出せばそれこそ嬲り者だ。私たちの合流が間に合うと踏んで、ガイラムは我慢させたんだ」
「……ありがてえこって」
「それに、逆に言えば今がチャンスでもある」
「?」
坑道を抜ける。ゼルディアの盆地に流れ込む川の小さな滝の裏だった。
「アンデッド使役術……ネクロマンシーは、効果範囲も使用人数も限りがある。あれだけのアンデッドを穴倉探索に使わせたんだ。今ならラーガスの使えるアンデッドは相当に数が減っているはず。この付近、おそらく2マイル圏以内に本体もいるだろう」
「とはいっても、安易に丸腰で近づいてきてるとも思えねえが」
「おそらくな。だが、一枚二枚の切り札なら貴様が壊せる。それが作戦なんだろう?」
「……まぁな」
確かにそうだ。
ホークとメイ、こちらもカードは二枚ある。
うちホークは、相手の急所さえわかれば一方的に二回は倒せるカード。
メイは相手が殴って倒せる相手なら真正面から倒せる正統派のカードだ。
問題はそんな一点豪華の戦力ではなかった場合で……それがこの戦争であり、あのアンデッドである。打たれた手としては最悪に近い。
ドワーフ兵もあまり大勢では坑道で身動きができないので随伴はせいぜい100人足らず、無尽蔵のアンデッド相手に囲まれれば敗北は必至。
しかし。
「アンデッドならちょうどいい。俺らは巨人や人馬は苦手だけど、ああいうのなら倒せる」
犬人たちがそれぞれの武器を手に息巻く。
大きな相手には力もリーチも足りないが、単純に手数で勝負するなら、体の小さな犬人族でも数は数。
そして彼らは長年に渡ってドワーフ族の穴倉生活と共生し、その見返りに上等な武器を受け取って代々大切にしている。
数が頼みで動きが鈍く、思考力皆無で武装もろくにしていないアンデッド相手なら、まさに犬人族はうってつけの狩人だった。
「……犬人族に戦争で助けられるたぁな」
「世の中何がどうなるかわからねえもんだ。が、今は味方の多さを喜ぼうじゃねえか。俺たちがやれば、みんな助かる。ベルマーダが助かる」
ドワーフたちも改めて戦意をみなぎらせる。
「急ごう。奴が地下に潜らせたアンデッドの制御を切り離して、地上戦力を改めて確保したらコトだ」
「制御の切り離しって……ネクロマンシーってそんなのもアリなのかよ」
「手を離せば、アンデッドは動く物を闇の本能に従って適当に襲うだけだ。ぼんやり留まるか、あるいは共食いをするか……とにかくネクロマンサーの用が済めば『捨てる』のも簡単なはず。問題はその後、ラーガス自身の守りとして同じだけの死体が確保されてしまうことだ」
「……その気になれば、後方の街からいくらでも人柱は呼べるよな」
「そう。だから、今しかない。逆襲だ」
◇◇◇
ラトネトラの呼びかけに応じて集まったという犬人兵は、手近にいるだけで1000人を超えた。
犬人にだけ届く笛を使い、ロッキーやトムが呼び集めた犬人兵はほとんどが裸で、パッと見た感じは確かに獣かモンスターと言って差し支えない。
その外見ゆえに魔王軍の領域でも自在に動けたのだと思えば皮肉なものだが、今は手があればあるだけ頼もしい。
「ほとんど裸の兵団だな。姉ちゃんも脱いだらどうだい」
ドルカスが軽口を叩くと、ラトネトラは大真面目に考え込んで、やおら服に手をかける。
「おい待て! 冗談だ冗談!」
「いや、私はこの犬人たちと運命を共にする身だ。一人だけ気取っていては、恥も外聞も捨てて呼びかけに応じてくれた仲間たちに示しが」
脱ぎながら真顔で言い出すラトネトラを、ホークとメイも手伝って取り押さえる。
「お前が脱いだって何のカムフラージュにもならねえよ!」
「真っ黒女と同レベルになっちゃうよ!?」
「……!!」
メイの一言が流石に効いたらしく、ラトネトラは目を見開いて動きを止める。
「流石にあれと一緒は嫌だな……」
「そうそう。落ち着け。今はセクシーしてる場合じゃねえ」
「っていうか相当いい防具つけてるじゃねえか。脱いでどうする」
「あとホークさんが興奮して手元狂わすからホントやめてよね」
ようやくホッと手を離す三人。
「リトル。ガイラムに報告できるか。まだパリエスは無事だろうな」
ホークが腕の子蛇に呼びかけると、リトルはにょろりと首をもたげて瞬き二つ。
「どうぞ。おつたえします」
「ガイラム。ラトネトラたちと一緒にラーガス本陣に攻撃をかける。奴はアンデッド使いだ、その手駒を地下に誘い込んだ今しかねえ。もう少しだけ踏ん張ってくれ」
その言葉からしばらくして、ガイラムの声でリトルが喋る。
「やれると思うなら何も言わん。貴様に任せる。じゃが、引き際は見誤るなよ。貴様がくたばっていい戦場はここじゃねえ」
「ああ」
「それと……」
ガイラムは何かを言いかけて、言葉を飲み込む。
「いや。こっちはこっちでなんとかするわい。やってこい、ホーク。この嵐を叩き潰せ」
「……おう」
老ドワーフの激励に頷き、ホークは顔を上げる。
「よし……頼むぞ、みんな。爪弾きの俺らで国ひとつ救ってやろうじゃねえか」
未だ人と魔物の境界上に認知される犬人族、貴族たちに所詮穴掘りと冷遇されるドワーフ族、そして盗賊と、魔王戦役のためだけの少女。
そんな彼らが、国ひとつを救う。義理なんてないからこそ、やってみせれば痛快だ。
ホークのそんなひねくれた気勢に、その場の者たちは苦笑いしながら拳を振り上げる。
そして、アンデッドたちの集団に、山を駆け下りて突撃する。
「ヒャヒャヒャヒャヒャ!! 無様に逃げたと思えばぁ、破れかぶれの突撃かぁ……舐めてくれるねぇぇ……ガァァァイラァァァム!!」
ゾンビたちが数体同時にラーガスの言葉を発する。
そこにドワーフや犬人が飛び掛かり、ラトネトラの逆手持ちのダブルサーベルが休みなく首を刈り、なぎ倒す。
味方も多勢とはいえ敵も多勢。ゾンビは動きは鈍いが力はあり、恐れも知らず、味方を犠牲にすることを厭わない。
勢いに乗って一気に崩したかったが、士気に乱れの生じないアンデッド相手ではそうはいかない。
「……ホークさん……やっぱり、代わるね!」
地道にゾンビたちを殴り、蹴り、なぎ倒していたメイだったが、埒が明かないと判断したのか、一歩下がって宣言する。
「メイ」
「大物きたら、ごめん。でも、ここは……魔剣の方がいい……!」
両拳を腰横に構え、大きく呼吸を整え……そして、髪が金色に変わる。
目を見開いた彼女は、ファルになっている。
「任されました。……撫で斬ります!!」
ファルは鞘から「エクステンド・改」を引き抜き、めったやたらに振り回す。
伸びる刀身は、さながら鞭のようにゾンビの群れに連続で切り込み、そしてその斬撃と「同時に」発生する二の太刀、三の太刀が、あっという間にゾンビを数十体……百体にも届くかという数で斬首し、解体する。
彼女の前に動かぬ死体の「道」が生まれ、ファルは剣を鞘に納め、替える。
「こういう時こそ、これですね……『イグナイト』!!」
シャッ、と閃いた剣から、白熱の光弾が射出される。
そして、ゾンビの群れの中央で大爆発を起こし、死体を一気に焼き、吹き飛ばす。
「これだけ固まっているなら……いくらでも、焼き尽くして、やれますっ!!」
ヒュン、ヒュン、ヒュン、と振り抜かれた「イグナイト」から、いずれもゾンビを数十単位で爆殺する光弾がバラ撒かれる。
ホークも眼前のゾンビに短剣を振るいながら、その圧倒的な攻撃力に呆気にとられる。
「……あれ、本当にジェイナスに譲っといた方が良かったかも」
しかし。
「……アンデッドは……全て倒したのに」
「いない……アンデッドに守らせているんじゃない……のか?」
ファルの魔剣と犬人やドワーフの奮戦により、その場にいた1000体近いアンデッドは片付いたものの、ラーガスらしい者はいなかった。
「まさか……これも、誘い込み策か」
「せぇぇいかぁぁぁい……ヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!」
ラトネトラの呟きに、手足を失ったゾンビの一体が答える。
「吾輩ぃぃ、お前らみたいな低能にぃぃ……追い詰められるよぉぉうなヘマはぁぁ、いたしませぇぇぇん……そしてぇ」
ズシン、ズシン……と。
重そうな足音が近づいてくる。
「お前らぁぁぁ……必死になってくれてぇぇ、ありがとぉぉぉ……ご紹介しよぉう……混龍将、バルダー……!!」
木々の向こうに、巨影。
あのドバルに勝るとも劣らない大きさの怪物が、四足で近づいてくる。
「魔王様のぉぉ……創造体の中でもぉぉ……とびきりの傑作だぁぁ……ドラゴンの生体魔法機関とぉぉ……ヒトの知力を持った……」
「うるせえよ間延び野郎」
ホークは下を向いたまま呟いた。
……ズズズズズ、と、その“混龍将”の龍頭がずれて落ちていく。
「ひゃ?」
ラーガスの代弁をしていたゾンビが間抜けな声を上げた。
「なっ……」
「ホーク様……?」
ホークは驚愕するラトネトラやファルの視線を受けながら顔を上げる。
「かくれんぼか。いいだろう。付き合ってやるよ。……景品はテメェの命だ」
ホークは、移動することなく……“混龍将”の首を「斬って」いた。
しばらく前、エリアノーラを「移動」させた、不可思議な現象。
もしかしたら。
ホークの“盗賊の祝福”は……「そういうもの」かもしれない、という漠然とした実感を、ここで試した。
できた。できてしまった。
つまり。
(俺の移動は、必ずしも必要じゃない。そういうことか)
今までの「超高速移動」という理解は、間違っている。そういう証明でもあった。