魔術師の空戦
ベルマーダ軍は王都ゼルディアの西側に縦に長く展開し、防衛線を張っている。
北、中央、南と三分割される部隊のうち、南方面部隊は現在、魔王の創造体である“神速将”ロドニーの強襲により大混乱に陥っていた。
「速い」
レミリスは呟く。
チョロの視覚は高空から獲物を探すため、人間とは比べ物にならないほど精度が高い。
その目に映る景色を直接受け取ることができるレミリスには、数マイル先で陣を荒らしている鳥人もどきの速度がしっかりと見えている。
通常の鳥人は、充分に高度を稼いだうえでの降下攻撃が得意技で、その速度と威力は侮れない反面、上昇中は隙と言える。あまり速くは飛び上がることはできない。そこそこに訓練を積んだ弓使いならば、当てることは難しくないくらいだ。
だが、ロドニーの上昇は異常に速い。上昇に翼を使っていない。
脚力だけで100フィート近くも跳び、その勢いに乗ったまま翼で軌道を制御し、次の得物に飛び掛かっている。
そして翼の力もまた、並みの鳥人とは比較にもならない。本来鳥人が苦手とする急制動や急旋回も難なく連発し、歩兵の陣形を空からの攻撃でボロボロにしていく。
奇怪な身体構造をした“妖獣将”マルザスなどと違い、シンプルに鳥人という枠組みを生かしながら、その能力の一つ一つが完成されている。
レミリスとしては厄介極まりない相手だ。マルザスのように搦め手で戦えそうな相手ではない。
「用意、できてる?」
後ろに乗せたエリアノーラに問いかける。エリアノーラはレミリスにしっかり掴まりながら首をコクコクと縦に動かし、見えていないと気が付いて声に出した。
「一応、できてます! でもっ……本当に私たちで、あんなバケモノと……!?」
「みんな、バケモノと、戦ってる」
「そうですけどっ! 勝算、あるんですか!?」
「やってみる」
「あるんですよね!?」
「知らない」
「……ちょっ!?」
レミリスとしては詳細な戦力のわからない相手に勝算も何もないという意見なのだが、案の定エリアノーラはただの無謀だと思ったようだった。
別に構わない。どちらにしろ、引っ込んでいることはできない。
空中戦ができるのはレミリスとパリエスだけなのだ。パリエスが出られないならレミリスが行くしかない。
「……気が付いた」
「何に!?」
「敵が、こっちに」
レミリスが呟くとほぼ同時、鳥人が羽ばたいて高度を稼ぐ。さすがにチョロと同等の300フィートを脚だけで跳ぶことはできないか。
だが、その隙を突ける者などいるわけもない。
「えい」
レミリスはとりあえず、という感じで杖を振り、ファイヤーボルトを放つ。
当然避けられる。
「それでやれるわけないでしょう!?」
「ん。わかってる」
しかし、チョロに飛び道具はない。だからこれしかない。
空中戦と言っても、当然ながら優速の相手に格闘戦は仕掛けられない。
近づく、離れるといった距離の主導権は速い方が持つ。多少の速度差なら位置取り次第で埋められなくもないが、この“神速将”はチョロより最高速度も機敏さも大きく上回っている。
この速度差はつまり、牙を剥こうが爪を伸ばそうが、決してその届く範囲には敵は留まらない……ということを意味している。チョロの体格、パワーという「武器」は無意味に等しかった。
さてどうしたものか、と考えながら、レミリスは気の抜ける杖捌きでファイヤーボルトをばらまく。
まるで踊るようにかわしながらチョロの背後に回ってくるロドニー。
「エリアノーラ」
「は、はい!?」
「来る。防いで」
「えええ!?」
速度に劣っているということは、背後を取られれば逃げられないということでもある。
レミリスはせめてもの抵抗に降下で速度を稼ぎつつ、エリアノーラに任せる。
果たして、ロドニーはその逃走になんなく追いつき、レミリスとエリアノーラに剣を振り下ろしてきた。
「うわぁああああ!!」
エリアノーラは体をひねりつつ、持参したミスリル製の盾でそれを受け止める。
ガイン、と激しい音がして、レミリスの体も幾分押されつつ、エリアノーラの怪力によってロドニーは後ろに跳ね飛ばされた。
「ぐっど」
ロドニーは魔剣を持っている。規格化されたロムガルド産のものではないので詳細はわからないが、直接破壊力強化型の魔剣だ。
それが直撃する前に刃筋を弾き逸らして威力を殺したエリアノーラの勘も、直撃でないとはいえ魔剣を弾いたミスリルの盾も、頼もしい。
「こ、こんなやり方で戦うつもりですか!? 勝つつもりですか!?」
「無理」
「ですよね!」
「もう一回」
「待てコラぁー!!」
体勢を立て直してきたロドニーを再び盾で殴るエリアノーラ。半泣きだ。
そう何度もこんなチマチマした攻めはするまい。次はエリアノーラがかばえないであろう正面方向からの攻撃に切り替えようとしてくるはず。
そこにラピッドボルトを置くか。
否。ただ攻撃を諦めさせるだけだ。意味が薄い。攻撃角度を限定してきたなら「引っ掛け」たいものだ。
レミリスはチョロの視覚聴覚でロドニーの回り込みを意識しつつ、僅かな時間で方策を吟味する。
「エリアノーラ」
「はい今度は何ですか!」
「死んでなきゃ治せる?」
「誰をですか!」
「私」
「何する気なんですか!」
「若干死にそうな手を」
「やめて下さいよ本気で怒りますよ!?」
「あれ、まともじゃ落とせない」
「そうかもしれませんけど!」
言っているうちにロドニーは正面に回り込んでくる。真正面から突っ込み、チョロの眼前で波打つ軌道に移行し、背のレミリスを狙う算段だ。
後ろからの攻撃は追いつきながらなので相対速度は遅く、器用な弾き方ができたが、相対速度最大でそんな真似はできまい、という計算なのだろう。
レミリスは決意する。
「あなたは落ちないで」
「へ?」
いきなりチョロが、転覆するように腹を上に向けた。
突撃してきていたロドニーは面食らって動きを迷い、チョロの腹側の皮膚にぶつかって弾かれる。
そしてレミリスは……チョロの背中から素直に落下していた。
そして、弾かれたロドニーに対して、落下しながらサンダーボルトを放つ。
直撃。だが、致命傷ではない。
しかし、その隙が必要だった。
「チョロ」
天地反転からの縦旋回で、チョロはロドニーに直行する。レミリスを回収せずに。
回収させていてはロドニーが立て直してしまう。サンダーボルトのショックで数瞬だけ発生したチャンスに、チョロに決めさせなくてはいけない。
チョロがロドニーに食らいつき、地面に向けて首を振るって投げつける瞬間まで使役術を行使して、レミリスはようやく自分の身の安全を確保する方に意識を向けられる。
地面まであと数十フィート。100フィートはない。
(死ぬかな)
ほんの少し思いながら、レミリスは僅かな時間で浮遊の呪文を詠唱する。
発動はギリギリだろう。どれだけ衝突の衝撃を殺せるか。ほとんど意味はないかもしれない。
ホークなら、もっとうまくやっただろうか。ホークは自分の死体を見て、俺さえいれば、と悔しがるだろうか。
そう思いながら、レミリスは地面に墜落する。
◇◇◇
「ガイラム将軍! 北方面部隊より報告! 迂回部隊と接触、その数5000!」
「適当につついておけ! そちらに道があると思わせればええ!」
「南方面の高速鳥人、レミリス殿が撃墜した模様! ただしレミリス殿は重傷!」
「エリアノーラは無事か!? 無事ならレミリスを死なすな!」
「ガイラム。私だ。無事にホークたちは回収したが、戻るのは時間がかかる」
「全部任す」
「正面、敵の魔術師が崖崩しを始めた模様!」
「応戦せい! 少しでも持たせるんじゃ!」
ガイラムは次々声色の変わる蛇に指示を送り続ける。
エルスマンは既に人馬部隊とともに戦場を駆け回っている。わかっていたことだが、劣勢は明らかだった。
「せめて使える指揮官があと一人二人いれば……いや、元々負け戦か。ここまで体裁が整えられただけでも僥倖じゃな」
ガイラムはひとりごちる。
ほんの少しでも、ベルマーダが滅亡する時間を遅らせる。それができれば充分と考えてゼルディアに来たのだ。
ホークとパリエスたちの助力でそれはずっとマシな形になっている。完全敗北が約束されていたところから、勝つことができるかもしれない、と思えるほどまでに。
だが、敵もそこまで甘くはなかった。それだけだ。
「せめて……ホークたちは生きて残してやりたいが」
ラトネトラは、汲んでくれるだろうか。
彼女はベルマーダ軍人ではない。単なる義勇軍として犬人たちとともに助力を申し出てくれたに過ぎない。
ベルマーダ軍全滅を見て、ホークたちを逃がすくらいはしてくれると思いたい。そこまで含めて「任す」という言葉に込めた。
あとは……パリエス。
「パリエスが生き残れば、先はある。この国にも、ホークたちにも……」
ガイラムは斧を取り、立ち上がる。
自分が魔族にかなうとは思わないが、それでもパリエスを逃がす切っ掛けくらいにはなれるかもしれない。残りの指揮はエルスマンに任せよう、と決意する。
が。
「やあ、ここがベルマーダ軍の本陣かい? お邪魔するね」
「……なんじゃ貴様は」
妙な少女と見慣れない騎士が、陣の中に入ってきていた。
「誰だと思う?」
「子供の遊びに付き合っとる暇はない。とっとと失せろ。ここは戦場じゃ。……ゼルディアに逃げ込んだところで長くは持たんかもしれんが」
「全く、若い子は駄目だねえ短気で」
少女はニヤニヤしながら言った。
そして、不思議に大きな瞳でガイラムを見つめる。
「待望の援軍だよ、将軍。今のところ、たったふたりだけどね」
「……はァ?」
「さて、それじゃあ反撃を始めようか。……なあ、勇者君?」
笑いかけられて、騎士はガイラムに頷いてみせた。
「不躾で申し訳ない。俺の仲間がここで戦っていると聞き及び、馳せ参じました」
「……仲間?」
「メイとホーク。俺の大切な仲間で、恩人です」
その瞳には。
その姿には。
その背中には、絶望の淵にある人々ですらも、また夜明けを信じたくなる何かが感じられた。
「レヴァリア王国より参りました。ジェイナスと申します」
「僕は謎の美少女マスクド・エスメラルダとでも名乗ろうか」
「どこにマスクがあるんじゃ」
「あとで作るからそれまでお披露目は待ってくれよ」
ジェイナスの方に注目していたいのに、ガイラムはつい少女に構ってしまった。
ジェイナスもやりにくそうな顔をした。