開戦前夜
夕刻の平原で、兵士たちにひとしきりの訓練をつけたガイラムは焚き火の前にどっかりと腰を下ろした。
「剣の振り方もなっとらんが、投石紐の使い方なぞ今更教えることになるとはのう」
「弓兵や魔法使いが多ければいいが、そういうわけにもいかない。大多数を占める歩兵を、あの空堀のこちらに手すきで置いておくわけにもいくまい」
同じく兵士たちに訓練をつけていたロータスが言うと、ガイラムはふんと鼻を鳴らした。
「付け焼き刃じゃがな。それに敵は魔剣も使うんじゃろ。飛び道具の戦いじゃからとて安心はできん」
「それでも、無策よりはマシだろう」
「それはそうじゃが」
ガイラムは炊事をしていた兵から差し出された串焼きを受け取り、豪快に噛み付く。
そして、咀嚼しつつ澄んだ空を見上げる。
「こんな時でなければ月を眺めて酒盛りをしたい空じゃ」
「全てが終わったら付き合おう」
「エルフとは酒の好みが合わんのじゃがな」
「なに、私は野趣の強い酒もいける口だ」
「……なら、楽しみにしとれ。生き残った暁には、王にとっておきを出させてみせるわい」
ドワーフとエルフは言葉少なに、それでも未来を願って語り合う。
しばらくして人馬将軍エルスマン、それから衣装を新調したエリアノーラとパリエス、そしてチョロの餌の確保を終えたレミリスとホーク、メイが合流し、改めてゼルディア防衛の作戦会議を始める。
「ええか。まず地割れを周辺に半円状に作る。それぞれの地割れを完全には繋げん。ところどころで、こういう風にするんじゃ」
ガイラムは串焼きの串を机に投げ出す。半分ほどずれた平行線となった串が地割れの予定図だ。
「敵はこの地割れ同士の間の道を迂回することになる。そうしてこちらからの飛び道具への暴露時間を長く取る。無論、それで倒せれば万歳じゃが」
「全滅は無理だろうな。敵も馬鹿ではない。盾をかざしたり反撃したり、あるいは煙幕を張るかもしれん。こちらの弾幕もそれほど厚くはできない。普通に駆け抜けてくるものもいるだろう」
エルスマンは悲観する。悲観とは言っても事実だ。そんなもので勝てる程度の実力差、兵力差ではない。
「じゃが、敵を受け止める部分を限定できるのは大いに有利じゃ。そこには特にマシな兵を手厚く配置しよう」
「基本戦略はそれでいい。だが……」
「そうじゃ。『だが』が多いのが魔王軍の厄介な所じゃ。敵に立ってみれば考えられる手はいくつもある。地割れの単純迂回、モンスター先行による前線破壊、浮遊魔術による断崖突破、創造体の投入、そして地割れ自体の破壊も有り得る」
「地割れの破壊?」
「渡れねえのなら埋めちまえ、というわけじゃ。落ちたらただじゃ済まん程度には深いが、埋めて埋まらん深さでもない。崩して埋めるのもアリっちゃアリじゃ。こっちは一度地割れを埋められたら作り直しってわけにはいかん。パリエスは虎の子、前線にはそうそう出せんからの」
「それらに対する対応策はあるのか」
「残念ながら、こっちも即席じゃ。地形をいじって兵を集中配備ができるだけで御の字、食い破られたらあとは手で塞ぐしかあるまい」
「……つまり、遊撃の我らで、ということか」
「そうなるじゃろうな。負担をかけることになるが、頼む」
「我々の得意とするところだ。しかし、これで耐えるだけか? 打って出る方策は」
「そこは、頃合いを見てワイバーンを使う」
「ワイバーンだと? 確かに魔法も効かず強力とは聞くが、それで戦況を覆せるのか」
「やってみんことにはな。敵の手札を詳らかにできんでは確実なことは言えん」
ガイラムはホークをちらりと見る。これでいいんじゃな、と。
ホークとメイは、この会議には戦力として数えられていない。
特にメイは、その実力を正直に数えれば一方面を任せるに余りあるほどの戦闘力だ。
が、二人はガイラムの古い部下たちであるドワーフ兵の手引きで、地下通路を使ってラーガス軍本陣に迫ることになっている。
ラーガスがいかに有能と言えど、大規模戦闘を遠距離から指揮することはできまい。
知略を尽くす戦いは細やかな指示なくしては成立しないが、いくら知恵があっても事前の指示だけで戦うのは難しい。伝令を使って命令と戦況をやり取りするしかないが、遠方にいては伝達の遅延は無視しがたい。大軍であればあるほどに、近くに来るしかないのだ。
そこをホークたちは地下から突く。うまくいけばラーガス軍は、軍隊からただの暴徒へと格下げになる。そうなればあとは、狩るだけだ。
この作戦を伝えるにあたり、レミリスとロータスは「自分もホークの方に付く」とごねた。それぞれ「チョロで空から襲う方が確実」とか「隠密暗殺は自分こそが得意」という理由だったが、しかしワイバーン乗りと魔剣使いの二人は目立つ。
彼女らには悪いが、ホークたちが完全にベルマーダ軍に合流したと思わせるためには、派手な二人には同じく派手なパリエスともども、派手なままでいてもらわなくてはいけない。
不意打ちは相手の意識外から行わなければいけないのだ。警戒されてしまえば、ホークの力はどうとでもかわしようがある。
そのために、ホークはメイと二人だけで行くことに決めたのだった。
◇◇◇
「この蛇をお連れ下さい。腕輪代わりにでも」
「蛇を腕輪に、ってなんか嫌だなぁ」
「私の蛇がいれば、緊急時には連絡することができます。他の人へのメッセージも、私を経由して伝えられますよ」
パリエスは小さなニジマキヘビをホークに手渡す。
人差し指くらいの太さで、まだ子供のようだ。ほかのニジマキヘビの胴回りは剣の握りくらいはある。
「よろしくおねがいします」
子蛇に挨拶され、ホークは疑問をパリエスにぶつけてみる。
「……これ、蛇が自分で喋ってるのか」
「一応は。私と交感すると、こちらの影響で多少知能が上がるところはありますが」
「……な、なるほど」
やはり、ちょっとかわいいな、と思ってしまう。メイもそう思ったらしく、ホークの手の上の蛇をつついて「あたしの方についてこない?」と勧誘するが。
「メイさんのうごきだと、ぼくはしんでしまいます」
「えー」
「あんなにびゅんびゅんうごいてるひとに、へびはしがみついていられません」
「……うう」
「俺は動きがしょぼいから大丈夫ってか」
「ホークさんのわざは、いきおいでふりまわすかんじじゃないですから」
「……何か色々知ってるな」
「かいじんマスクドディアマンテさまのちしきは、ひつようなだけぼくにももらいました」
「いや、パリエスでいいだろそこは」
「かいじんマスクドディアマンテさまは、そうよばれたがっています」
「……往生際悪いな」
ホークはパリエスをジト目で見る。パリエスは居心地悪そうにもじもじと蛇身をうねらせた。
「い、今でも私は怪人マスクド・ディアマンテのつもりです。いえ、むしろ怪人マスクド・ディアマンテが必要に駆られてパリエスというへたれ魔族の真似をしているという設定で」
「そういう設定は自分の中だけで完結してくれねえかな」
「他の方みんなそういう反応なのですが、命名者であるホークさんくらいはきちんと認識してくれても……」
「俺は怪人マスクドなんて命名してないからな!」
相変わらず本人は面倒臭いが、パリエスを通じて誰とでも連絡が取れるというのはありがたい。
「ホーク。いつでも、呼んで」
レミリスがホークの手を握り、そう言って見つめてくる。
「ありがたいけど呼ばねえよ。みんなを助けてやってくれ」
レミリスの頭を撫でる。サラサラの群青の髪は、子供の頃と同じような感触だった。
そしてロータスにも視線を合わせる。
「頼むぜ。魔剣使いはお前だけなんだ」
「大任だが、お受けしよう。ホーク殿、そちらも油断はするでないぞ」
「いつもしてねえよ」
エリアノーラにも視線を向け、挨拶。
「巻き込んで悪かったが、しっかり頼むぜ。少しでも軍の連中をお前の癒しの魔術で癒してやってくれ」
「恨みますよ。……本当に、後に引けないですからね」
笑ってごまかし、ホークは背を向ける。
その先にはガイラムとその部下のドワーフ兵たちが待っていた。
「こいつらが儂の三十年来の部下じゃ。右からドルカス、ゼット、ギュンター……あとは道々、自己紹介してもらえ」
「ガイラムの親爺のお気に入りってんだからどんな豪傑かと思えば、随分細っこいガキどもだな」
「ちゃんと食ってるか? いくら人間がヒョロいっつっても、もっと肉はつくだろうに」
「ヘバんじゃねえぞ、背高。こいつは戦争だ。疲れたからって誰も待っちゃくれねえぜ」
ホークと順番に握手しながら、ドワーフたちは濁声でホークの細さを揶揄する。
彼らに比べたら人間では相当な力自慢でもまだ細く見えそうなほど、太い手足。それがドワーフ兵の特徴だ。
ホークは元々貧民街の住人で、最近まで食うや食わずの時期だって珍しくもなかった。彼らにとっては相当な痩せっぽちだろう。
が、それを聞いて気を悪くしたのはホークではなくメイ。
「おう、嬢ちゃ……うおっ!?」
ドワーフ兵がホークの時と同じ調子で差し出した手を、メイは掴んで無言で縦に振る。
ドワーフの体が4フィートも宙に浮いた。
「うわ、た、た、たっ……な、何しやがるっ」
「腕が太いだけでホークさんに偉そうにしないでよね。これでもレヴァリアの……勇者様の命だって救った、正義の大盗賊なんだから」
「正義の大盗賊ぅ?」
「なんじゃそりゃ」
「がはははは」
笑い出すドワーフ兵たち。余計いきり立ちそうなメイを抑えるホーク。もうこれ以上それはナシにさせて、と訴えようとしたとき、ガイラムが一喝する。
「笑うなバカモンども! 貴様らは誰と戦う! 何を為す気じゃ! 盗賊が正義を為して何が悪い! ただただ善くあろうと、それだけで盗賊が魔王軍に命を懸けて立ち向かうのを、何故笑えるか! 儂はその正義に命を救われた! そして貴様らも、このベルマーダも、その男に賭けることでしか明日はないんじゃぞ!」
「……お、おう。悪かった親爺よ」
「つい……な」
ドワーフ兵たちはバツが悪そうに顔を見合わせる。
ホークは余計恥ずかしい。
「そんなに大した話じゃねえってのに……」
「ふん。収めとけ若造。ナメられっぱなしじゃやりづらかろう」
ガイラムはホークの尻を叩く。
「やって来い。その称号を誰も笑わないような大仕事をするために行くのじゃろう。目に物見せてやれ。ラーガスにも、そこの連中にもな」
「っ……ったく、加減して叩けよな」
よろめきながら、ホークはガイラムを振り返り、指を振る。
「ま、しっかりやってきてやるよ。楽しみにしてろ」
「おう。預けるぞ、儂らの命運を」
口をついて「期待するなよ」とか「やれるだけはやる」といった弱気が出そうになるが、ホークは「自分に協力しろ」とガイラムに言ったのだ。そんな調子では申し訳も立たない。
ただ、やる。やってみせる。それだけしか、彼らの協力に報いる術はないのだ。
「行くぞ、メイ」
「うん。……またね、みんな」
深夜。
ホークとメイ、そしてドワーフ兵たちは、決戦に先立ってゼルディアの陣を発った。