軍議は踊る
ホークたちを伴って、ガイラムは城内をズンズンと歩く。
人知れず山奥の鍛冶場で鉄を打っていた彼の姿からは想像もできないほどに、彼はこの城を堂々と歩くのが似合っていた。
「知っての通り、儂らにはさしたる戦力はない。数少ない魔剣の使い手は軒並み殺られちまっとる。湿気た戦況でも人馬族のエルスマン隊がよう頑張ってくれとるが、劣勢を覆せるほどではない」
「教会筋の情報じゃ、それでも2万くらいはいるんじゃねえかって聞いたが」
「2万は2万でも弱兵よ。儂が退役する前の2万ならともかく、今のベルマーダ兵の2万は半値で読んでもまだ甘いほどじゃ。士気も低いわ規律も甘いわ、決死の戦いなんぞできたもんではないわ。相手は魔王軍、食いついてきたら引くことを知らん猛獣どもじゃというに、腰の引けた兵ではとても互角とはいかん」
「鍛え直してる時間はねえってわけか」
「幸い、他の連中に比べてドワーフ兵は寿命の分だけ息が長い。まだ儂の時代の兵もそこそこおる。奴らがエルスマン隊と一緒に強引に戦線を乱して総攻撃を阻んどる隙に、飛び道具と堡塁で固めた他の連中に弓や魔法でも使わせるのが今のところ最善策じゃ。そうでもせんと兵として機能せん」
「そこにこの前のマルザスみたいな、魔王軍の強めの奴が転げこんできたら」
「あっちゅう間じゃな。正直、あのマルザスとかいうのが直接ゼルディアに来とったら、もうベルマーダはなくなっとる。先に儂を始末しようとした慎重さがこっちとしては不幸中の幸いじゃった」
「実はアレ以外にもベルマーダに入り込んでる創造体が二匹いたんだけどな……」
「なんじゃと」
「片方はうちの仲間がぶち殺したのは確認してる。もう片方はどうなったかわからねえ。その仲間もろとも行方不明だ」
「……いよいよもって底が知れんな。レイドラが一瞬で潰されたのがわかるわい」
バン、と大扉を跳ね飛ばすように開き、ガイラムは第三会議室と書かれた部屋に入室する。
「ガイラム将軍! 上の様子は……」
「儂の知り合いが手を貸してくれるっちゅう話じゃ。朗報と言える。こいつらじゃ」
ガイラムが親指で背後のホークたちを指し示す。
不安そうな顔をした貴族のような連中は、ホークたちを見て訝しげな顔をした。
「……子供と、怪しげなエルフ? かような者たちで一体何ができると」
「戯れはよしていただきたい。我が国の存亡の危機に、まさかロムガルドのように若者を勇者と囃し立てて逆転を狙うとでもいうおつもりか」
「敵は十万ですぞ。もはや策などない、早くロムガルドかセネスにでも泣きついて貴族だけでも逃れ、亡命政府を……」
「じゃかあしい!!」
ガイラムは一喝した。
山から麓まで大声だけでホークたちを呼んだ馬鹿声は健在で、それが室内で炸裂したのだから、ホークも耳が壊れるかと思うほどだった。
「何日も会議室に籠もってやいのやいのと勝てない理由探しばかり……貴様らが軍をいじくっとったんではあの体たらくも当然じゃ! こいつらは儂の目の前で魔王軍の面妖な化け物を屠った腕利きじゃ! 貴様ら全員よりこの小僧一人の方がよほど役立つわい!」
「い、いくら英雄ガイラム将軍と言えど、軍を三十年も離れて数日前に戻ったばかりの方にそこまで言われるのは心外だ」
「現代には現代の戦いがある。確かに実戦はそれほど経験していないが、我々には我々の事情もあった。将軍の考えるような戦いは今のベルマーダ情勢には不似合いで」
「だいたい、本当にその下民が魔王軍の化け物を倒したのか? 魔王軍の将はあの智将ラーガス。ガイラム殿に信用させるのまで見越してひと芝居打ったのではあるまいな」
「……若造。儂の苛立ちが分かるか」
「すげぇわかる。ぶん殴りてえ」
身なりだけはいい壮年の男たちが、なんとかして今の窮状の責任を他人に押し付けようとネチネチ言葉を弄し、自分の見栄を維持しようとし、挙句の果てには逃げる理由探しをしている。
そんな連中が動かしているのが今のベルマーダ軍なのだった。
「爺さんが全部動かしてるならまだ望みもあったが」
「儂が陣に入ること自体が国民向けのパフォーマンスじゃ。実際はこんな連中の相手から先には進んどらん。今や外様のエルスマンだけがまともな武人じゃ」
「そいつは会議にはいねえのか」
「人馬の誇りがどうのと理由を付けてすっぽかしよる。外での軍議でなければ応じん」
「……そっちもそっちで面倒臭そうだな」
「この馬鹿どもよりはよほどマシじゃがな。結果も出しておる」
いっそのことパリエスを連れてきてしまえば、とも思ったが、パリエスはあまり攻撃的な人間の多いところに連れ込んでしまっては泣き出してしまいそうなのでバルコニーでチョロと一緒に留守番だ。敵なら倒してしまえばいいが、味方に嘲弄されてはどうしようもない。
「コホン。ガイラム殿。聞こえていますぞ」
「自分の体面を守る暇があったら、国民と領地を守る覚悟のひとつも表明せい。ロムガルドとやり合っとった頃の貴様の親父は、将としては今一つじゃったが覚悟だけは本物じゃったぞ。ゆえに兵も厳しい任務に耐えられた」
「私とて覚悟はありますとも。しかし私一人に覚悟があっても万の戦場は御しがたく、五倍もの戦力差はなお如何ともしがたい。個人の誇りを守る以上に、まずはお家を守るのが貴族の役目ですからして」
誰も彼もこの調子だ。
どこの国でもいる好戦的で野心家の武官はここにはいない。あるいは早い段階で敵に打ち合いに行き、さっさと殺されてしまったか。
兵の質以上に、将の質が悪すぎる。
「敵は意気軒高、貪欲残虐な魔王軍。この国は食い得犯し得の狩場じゃ。貴族の地位なんぞあっちゅう間に吹き飛ぶのはクラトスやレイドラの惨状を見ればわかろうに、小金を持って隣国に逃げればなんとでもなる、なんて発想が何故できる」
「そこまでは申しませんが、現実は見なければ。兵たちは何も残らぬ玉砕のためにおるわけではない。自分や家族が蹂躙されたとしても、領主たる私が残れば多少なりとも次へつながる。そういう事実こそが彼らの奮戦に報いることとなるでしょう」
「馬鹿もんが」
「そもそもですが、ガイラム将軍は貴族に対して少々不敬が過ぎるのではありませんかな? 例え数十年前の戦争で武功を上げたとて、生まれの貴賤は消えてなくなるものではない。貴族の地位は王より賜った尊きもの。多少であれば目も瞑りますが、あまりに賤しき身分をわきまえぬとなれば武功がどうのといった話ではない」
「そう、その通りだ。時代遅れの裸の大将に、それでも礼儀で下手に出ていれば……付け上がるのもほどほどになされよ」
「ドワーフなど穴を掘るしか能のない連中。奴らが現代的な機動戦術をできんのがこの劣勢を招いたともいえる」
「身分も知れぬ女子供を堂々と連れてきて我々よりマシだと? この会議は祭りの劇の演者でも決める会議であったか」
将軍たちが勢いづく。
ガイラムはギリリと歯を鳴らしつつ、将軍たちを睨みつける。
しかしもう何日も相手をしたせいか、彼らは多少怯みつつも口を閉じることはない。
◇◇◇
「……ざっとこんな状態じゃ。2万の兵は実質、8000を防ぐアテにもならん。せめて儂のいた時期の将軍が何人かでも残っておれば話が違うのじゃが……平穏な時代というのはこうも軍を腐らせる」
「30年じゃあな。人間は世代交代するには充分過ぎる」
「ロムガルドが魔王に備えて覇権の手を緩めたのが、皮肉にもベルマーダを弱らせていたのだな」
「全部、眠らせて、操ったらいい。あんなの、案山子でも、同じ」
「意外と過激なこと言うよなレミリスって……」
「正直あたしたちがおっぱい魔族をそのまま連れて戦った方が、ここの軍よりずっとマシだったかもね」
「イレーネはいねえんだからしょうがねえだろ。とにかくこのままじゃ話にならねえ。それこそラーガス軍が本気で前がかりになってきたらいっぺんで壊滅だ」
ガイラムと再びバルコニーに戻る。
兎にも角にも戦う算段を付けなくてはいけない。
頼りは軍2万のうち、ドワーフ約1500名、人馬500名。
これで8万とも10万とも言われるラーガス軍をどうしたものか。
……と。
「あっ、ホークさん……あの、どうしましょう、なんかおかしなことに」
バルコニーに着くなり、パリエスと一緒に残っていたエリアノーラが困惑した顔で飛びついてきた。
「なんだよ」
「あの、あそこ」
彼女が指差す先では、先ほどの将軍たちと比べても図抜けて立派な身なりの男が、パリエスの前に跪いて首を垂れていた。
「王」
少し驚いたようにガイラムが呻く。
「王様!? あれが!?」
「うむ。なんであの頭おかしいのに跪いとるんじゃ」
「あ、あー」
そういえばガイラムはパリエスがパリエスだと知らない。そのあたりを細かく説明しないまま納得してしまったし、軍議の方でよほど風を通すネタが欲しかったのか、すぐにホークたちを連れて行ってしまったのだった。
「王!」
「ガイラム。ご苦労。軍議は相変わらずか」
「は。アレを御すのは老骨には難しい。いっそドワーフどもとエルスマンたちだけで身軽に戦おうかと思うておる次第ですじゃ」
「……そう悲観したものではないかもしれんぞ。ここに、この方がおられる」
王はゆっくりと立ち上がってパリエスを掌で指す。
「この変な蛇女がどうなされた」
「ガイラム……いや、知らぬのでは無理もないか。今は教会が意図的に隠しているからな。……彼女こそ、パリエス様。兵権など彼女の権威の前では簡単なことよ」
「ですから私は違うと!」
覆面をしたパリエスは慌てて否定する。
「そのお姿、そのお力、その慈悲深さ。民は忘れてもベルマーダ王家は決して忘れませぬ。よくぞ、よくぞ民を救いに参られた。あなた様ならば、迷える民に光を与えられましょう。不肖この私も全身全霊をもってあなたの救世にお力添えいたします」
「……なん……と……」
ガイラムは絶句した。まさか諸国に知られるパリエス神そのものだとはさすがに思っていなかったのだ。
思うわけねえよなあ、とホークは覆面の魔族を見て思う。パリエス教会の宗教画では、彼女は翼の生えた美しい女性の姿であって、蛇でもないし角もないしもちろん覆面もしていない。
「私は通りすがりの怪人マスクド・ディアマンテと言っているでしょう!」
「野蛮な行いで民の心を乱さぬよう、敢えて正体を隠し、戦いに身を投じておられるのですな。その御心、まことご立派」
とてもいい感じに勝手に誤解されている。
「ち、違っ……だから私は怪人マスクドで……」
「そっちが残るのかよ!」
思わず突っ込んでしまうホーク。
窮したパリエスはオロオロした挙句、そのまましゅるしゅる蛇身をくねらせ、ホークの背後に逃げ込んでしまう。
必然的に王とガイラムの視線を正面から受けることになるホーク。居心地が悪い。
「俺を盾にするな」
「他の誰を盾にしたらいいんですか」
「エリアノーラでいいだろ!」
「よくありませんよ!」
「まあまあ。とにかく、パ……ディアマンテ殿の知名度で状況を覆すのは妙案かもしれんぞ」
ロータスがニヤリと笑った。