4
ようやく放課後を迎える頃には、諒はくたくたになっていた。
早くも一人が恋しくなっていた。不審に思われないよう常に気を張ってる必要があり、クラスメイトとのやりとりにも神経をすり減らしていた。心休まる暇もない。
こんな毎日がまだ続くと思うと、疲労が更に倍になってのしかかってくる。
いつまでも赤城のふりで通せない。トラブルが起きる前に元の体に戻らないといけない。
帰り支度をしてる諒の席に、横屋が近寄ってきた。なぜかにやにやとしている。
「お前の彼女、待ってるぞ。早く行ってやれって」
「?」
言われるまま教室の外に目をやると、確かに一人の女子生徒がいた。小顔で色白で、なかなか――いや、相当に可愛らしい顔立ちをしている。
「羨ましいやつだな。んじゃ俺は邪魔しないよう帰るとすっか」
言って、横屋はそそくさと教室を出て行った。
「赤城先輩っ」
諒が教室から出るなり、女子は声をかけてきた。
「事故に遭ったんですよね!? 怪我はもう大丈夫なんですか!?」
女の子は心底から、諒の身を案じているようだった。
――いや、違う。彼女が心配しているのは緒方諒ではなく、赤城祐二の方だろう。
「ああ。見ての通りだ」
諒は答える。だがもう何年も異性と面と向かって話をした経験のない諒は、目の前の女子と目を合わせられない。顔の位置からわずかに視線をずらして対処する。
「でも後遺症で記憶をなくしたって……」
この女子もまた諒が記憶喪失だと聞いているらしい。彼には都合がいいといえば都合がいいことだが。
「私のことも、その……忘れちゃったんですか?」
女の子は不安そうに見つめてくる。そんな顔をされると彼女にそんなつもりはなくても自身を責められているようで、ちくちくと諒の胸は痛み出す。
たとえ嘘でも覚えていると答えてあげたいのは山々だ。だが諒は女子の名前すら知らない。そんなすぐバレる嘘を吐いても余計に彼女を傷つけるだけだろう。そんなことになるくらいなら、正直に伝えて、誠意を見せるしかない。どちらにしても傷つけてしまうことに変わりはないにしても、だ。
「ごめん……君のことも全然、分からないんだ」
「…………」
途端、女子の表情が翳った。こんな顔をされるのは辛い。
だが女子は気を取り直したように、すぐ口元に笑みを浮かべた。
「そうなんですか……仕方ない、ですよね」
強がりでそう言ってるのは交際経験のない諒でさえ分かった。彼も好きな相手に忘れられたら、理由はどうであれショックを受けるだろう。
「本当に、ごめん……」
「先輩が謝ることなんてないですよ。早く思い出してくれると、嬉しいですけど……」
「ああ。絶対に思い出すよ」
諒はことさら声に力を込めた。
「それで、言いにくいんだけど……君の名前は?」
「私は一年の笹原あずさです。今は先輩――赤城先輩とお付き合いさせてもらってます」
「そ、そうなんだ……今後とも、どうもよろしく」
「はいっ。こちらこそよろしくお願いしますね? 先輩」
にこっ、と女子――笹原あずさは笑顔を見せた。諒は不覚にもどきどきしてしまった。
「ああ、でも……こうなっちゃったら日曜日は無理そうですね」
あずさは一転して残念そうにぽつりと言った。
「日曜日?」
「はい。先輩と約束してたんですけど事故もあったし……今回は止めにしましょう」
「い、いやっ……記憶といっても日常生活に支障はないからっ」
約束というのが何であるのかはよく分からないが、あずさがとても楽しみにしてることらしい。それを自分のせいで取り止めにするのは気が咎める。
「……いいんですか?」
「ああ、もちろん」
「ありがとうございます先輩っ――あ、私これから部活なので行きますね?」
「え? ちょっと!?」
約束の内容を聞く前に、あずさは背を向けて廊下を走っていってしまう。
「それじゃあ十時に駅前広場で待ってますねっ? 先輩っ!」
途中で振り返るとそう叫び、あずさは階下に姿を消した。
「……十時? 駅前広場?」
日曜日にそこで待ち合わせ? ということは――。
「デートってやつじゃないのか……これ?」
気がついたときにはすでに遅かった。もうあずさはいない。
「どうすりゃいいんだよ……」
諒はデートを過去に一度としてしたことがない。どこに行って何をすればいいのか、皆目見当もつかない。
だが、いまさら断ることなどできるはずがない。諒はとしては自分に出来る範囲で知恵を振り絞り、次のデートを乗り切るしかなかった。