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2

 《明晰夢》――。

 夢の中にいるとき、自分が夢を見ていると自覚していることを、そう呼ぶ。

 現在の緒方諒は、まさにその状況に置かれていた。


 諒は、宙に浮いていた。


 人間が何もなしに空を飛ぶことはありえない。それで諒は、これが夢だと判断を下した。

 だが諒が見下ろす先にあったのは現実の――トラックが追突し、半壊したコンビニだった。

 現実の体験が夢に反映されることは珍しくもない。夢の中であるためか、諒は自分でも意外に思うほど、冷静にその惨状を見つめていた。

 コンビニの前には多くの人だかりができていた。口々に何かを言ってるが、諒の耳には何も聞こえてこない。

 そんなことよりも、救急車はまだ来ないのだろうか? 店内の様子が分からないため、諒は中にいる人間の安否が気になって仕方がない。

 そんな諒の思いに応じるように、視線が下降しはじめた。

 速度を増しながら、諒は空から落ちていく。

 やがてコンビニの屋根が目の前に迫り――諒の視界は暗転した。




 「っ――――」


 諒は目を開いた。いつの間にかベッドに仰向けなっている。視線だけを動かして周りを確認する。

 白を基調とした、清潔感のある部屋だ。急な場面転換に諒の頭はついていかない。それでも彼の五感が、この場こそが現実だと教えてくれる。つまり、先ほどまでの体験はやはり夢だったというわけだ。


 ――それより、ここはどこなのだろうか?


 首を動かしてみる。すると諒は自分の腕から何本かのチューブが伸びて、ベッド脇の点滴につながっているのが見えた。


 「病院……か」


 あれだけの事故に巻き込まれたのだから、当然といえば当然だ。むしろいつもの自分の部屋で目覚める方がよっぽどおかしい。


 「あぐっ――!?」


 急に頭が痛み出した。それもかなりひどい――割れそうだ。脈拍にリズムを合わせるようにずきずきする。

 ここが病院なら、枕元にはあれがあるはずだ。

 案の定、そこにあったナースコールの子機をつかむと、諒は呼出しボタンを強く押し込んだ。

 病室にやってきた看護師は、諒の様子を見るなり慌てて男性の医師を連れてきた。


 「怪我はかすり傷程度で大事はないですが……念のため詳しく脳の検査をしましょうか?」

 

 「あ、はい……お願いします」


 即効性のある鎮痛剤を与えてもらって、諒の頭痛は先ほどと比べて随分と楽になっていた。

 医師の隣にいた看護師が、口を開く。


 「眩暈がしたり、強い吐き気を感じたりしたらすぐに呼んでくださいね……赤城さん」


 「……え?」

 

 赤城――この看護師は今、自分のことをそう呼んだのだろうか?


 「あの……」


 「はい、どうしました?」


 「赤城って、僕のことですか?」


 医師と看護師はそろって目を瞬かせた後、眉根を寄せた。

 二人の反応を見て、自分はそんなに妙なことを口走ってしまったのかと、諒は少し不安になった。


 「ああ……そういうことですか」

 

 医師は得心がいったように頷いた。


 「赤城祐二というのがあなたの名前ですよ。どうやら事故で記憶を失われているようですが、おそらく心因性によるものでしょう。そのうち思い出しますから、心配はいりませんよ」


 諒を安心させようと医師はそう言ったのだろうが、彼には彼の言うことがまったく理解できなかった。


 ――記憶喪失? そんなことはない。


 自分の名前は緒方諒だ。誕生日も血液型も年齢もちゃんと覚えている。事故に遭う前後の記憶もある。何も忘れてなどいない。

 なら、だとしたら彼らはなぜ自分のことを『赤城』と呼んだのだろう?

 訳が分からず、混乱する。その間に医師と看護師は病室を去り、訊ねるタイミングを逃してしまった。

『赤城』というのは、赤城祐二のことだろうか? なぜ彼と自分を間違えるのだろう?

 外見はまったく似てもいないはずなのに。

 尿意を覚え、いったん病室を出る。用を足し終わり、洗面所に向かう。

 蛇口をひねり、手を洗う。

 ふと顔をあげて鏡を見――諒は愕然とした。


 「――――は?」


 そこには別人が映っていた。


 「え……何? 何だよこれ?」


 鏡の中の男は驚いた顔で諒を見ている。


 「あ、赤城……くん?」


 その顔は紛れもなく赤城祐二その人だった。

 諒が自分の顔に手をやると、鏡の中の赤城祐二もまた自身の顔に触れる。

 次に両手で顔を撫で回してみる。目や鼻や口の大きさ、髪の太さや長さもすべて、緒方諒のものとは何もかもが違っていた。

 途端に現実味が乏しくなった。自分はまだ夢でも見ているのかと、諒は本気で疑った。

 こんなことは、とてもではないが信じられない。夢だと思わないとやっていられない。

 医師も看護師も、諒のことを『赤城』と呼んだ。彼らの言葉に偽りはなかった。諒の――少なくとも外見は赤城祐二のものなのだから、誰でもそう認識する。

 だが諒自身は、自分が紛れもなく緒方諒であると知っている。おかしいのは自分の体か、それとも心の方か――もしくはこんなありえない事態が起こる世界なのか?

 金縛りでもあったように、諒はしばらくそこから動けなかった。

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