17
「赤城。警察の人がお前に聞きたいことがあるらしいぞ」
昼休みに入ったとたん、諒は担任教師に呼ばれた。
事件に何か進展があったのだろうか――そう考えながら、諒は教室を出た。
応接室に入る。ソファに座っていた津島刑事が諒を見る。そのかたい表情から、朗報ではないことを彼は察した。
テーブルを挟んだ向かいのソファに座ると、津島刑事は前置きもなく、すぐに用件を切り出した。
「笹原あずささんが、昨日から行方不明になっている」
言われたことを諒が理解するのに、わずかに時間がかかった。
「ど……どういうことですか?」
平静を保とうと発した声は、諒の意志を無視してうわずっていた。
「昨日の昼過ぎに出かけたきり、家に帰ってこないと彼女のご両親から捜索願が出されたんだ」
「えっ……な、なん……何で……?」
昨日、諒はあずさに呼び出されて会っている。
まさか、あの後――別れた後に、あずさの身に何かが遭ったということなのか?
「君たちが二人でいるところを、聞き込みをした喫茶店の店員が覚えていたんだよ」
「僕を……僕を、疑ってるんですか?」
「別にそういうわけじゃない。ただ笹原さんの行方に関する手がかりが欲しくてね。何か気になった点はなかったかい?」
「知りません……僕は、何も……」
諒には、本当に分からない。そもそもあずさは人格交換現象とはまったく無関係のはずだ。犯人に狙われる道理がない。逆に彼自身が教えてもらいたいほどだ。
それともまだ、自分の知らない事実が、この事件の裏には隠されてるというのか?
「……赤城くん? どうした?」
「あ、いえ……」
怪訝な顔をする津島刑事に首を横に振ったものの、その後の彼の話は諒の耳には入らなかった。
津島刑事との話が終わるなり、諒は学校を途中で抜け出した。
のんびり授業など受けている場合ではない。早くあずさを見つけなければ――。
とは言っても、あずさの居場所に見当がついているわけではない。商店街や昨日の高台に行ってみても、彼女を見つけることはできなかった。
「くそっ……どこだっ? どこにいるんだよ笹原さんはっ!」
焦燥感に苛立ちはつのるばかりだ。
汗まみれになり、両脚の筋肉が悲鳴をあげても、あずさを発見できない。
「っ!」
住宅街に入ったとき、諒は一人の男を見つけた。
それは見間違えるはずもない、緒方諒の姿だ。
コンビニ帰りらしく、右手にビニール袋をさげて、諒の体を持つ男は歩いていく。
今すぐあずさの居場所を問い質したくなる衝動をおさえて、諒は男を尾行した。
住宅街を抜けた先にある山の中を、男は進んでいく。
やがて中腹あたりにある、朽ちかけた木造の一軒家の中に、男は入っていった。
木々が頭上に覆いかぶさり、日中だというのに周囲は薄暗く、不気味だった。
だが、殺人鬼の棲家としてはふさわしい場所かも知れない。
ぎゃんぎゃん、と犬の鳴き声が響いているが、姿が見えない。家の裏手で飼ってるのだろう。
「………………」
諒は息を殺して家に接近する。危機感は完全に麻痺していた。とにかくあずさの安否確認で頭がいっぱいだった。
まず手始めに、家の周囲から調べていくことにする。
家を迂回しながら、注意深く観察する。
――それにしても、先ほどから犬がうるさい。諒の存在を察知してのことか、見知らぬ人間の体臭を、彼らの鼻がとらえたのだろう。
裏庭の生垣の前に、小さな物置があった。人一人を隠すには適している気がする。
物置に足を向けると、家に接した広い檻があった。中には五頭ものドーベルマンが腹を空かせているためか、ぎゃんぎゃんと耳障りに吠えている。
その場を離れようと、諒は踵を返す。右足が地面に置かれたバケツにぶつかり、中身をぶちまけてしまった。
「…………………え?」
呆けたような声が漏れた。
視界に映ったのは、赤い色――鮮やかな深紅の液体だ。
塗装用のペンキ――などでは、決してない。鼻腔を刺激する生臭い匂いは疑いなく血液によりもの。
そして更に、血とともに飛び散った細かな肉片と骨片――とたんに襲う嘔吐感。
だがそんなことさえ忘れ去ってしまうくらいのものを、諒は見てしまった。
長さや大きさが異なる、いくつもの物体――何かの幼虫のような――だが、違う。
それは指、だった。
人間の、指だった。
切断された人間の指が、血溜まりの中に転がっていた。
そして諒の目は、はっきりと捉えていた。
その指の爪に塗られてるのは、淡いブルーの――
「っ…………あぁ………………」
淡いブルーの、ジェルネイル――それは紛れもなく、彼女が――。
笹原あずさがしてたものと、まったく同じだった。
視界の明度が一気に下がっていく。思考は停止する。視力が落ちたように風景が歪み、ぼやけ、狭まり、暗くなる。
両脚から力が抜けて膝をつく。ズボンが血で汚れるのも気にならない。頭に両手の爪を突き立てる。
「―――――――――っ!!」
声にならない声が、喉から絞り出される。
『ありがとうございますっ! 私も気に入ってるんですっ!』
諒の言葉で、本当に嬉しそうに笑っていたあずさの顔――もうあの笑顔を見ることは、二度とない。
唇を強く噛みしめすぎたせいで出血して、顎先から滴った血が、地面にこぼれた血溜まり落ちる。
殺す――――。
殺す――――。
殺す――――。
殺す――――。
殺す――――。
殺す――――。
ただ一つの単語がリフレインする。憎悪を唯一の原動力に、諒はよろよろと立ち上がる。
緩慢に物置まで歩く。足音を殺すのは忘れない。
錠の外れてる物置を、そっと開く。埃臭さを無視して中を漁る。
――あった。これでいい――草刈り鎌だ。刃は錆びてるものの、充分に使える。
凶器としては、申し分ない。
片手に草刈り鎌をぶら下げて、諒は家に向かう。
玄関の引き戸には鍵がかかってない。そのまま土足であがりこむ。
奥の和室であぐらをかいてテレビを点けている男の後ろ姿が見えた。外見は諒そのものだが、今の彼にとってはどうでもいいことだ。
諒は男に近寄り、草刈り鎌を振り上げる。気配を察した男が振り返り、目を見開く。
凶器を振り下ろす――身を庇おうとした男の手のひらを切り裂く。
「ぎっ――――!?」
男が苦痛の声をあげてうずくまる。諒はまた草刈り鎌を振るうも、今度は左肩に刺さっただけで致命傷にはいたらない。
何しろ諒は、暴力とはずっと無縁な生活を送ってきた。誰かを害をなす行為に及ぶなど、今まで考えもしなかった。
だが今は……今はこの男が生きて息をしていることが我慢ならない。
三度目に狙いを定めるも、男は畳の上を転がって避ける。刃が畳に深く食い込む。抜くのに隙ができてしまう。
「うわあぁっ――助けてっ! 殺される!!」
叫びながら、男は玄関から飛び出していった。
五人も殺した凶悪犯の分際で、自分が死ぬのは嫌など――そんな都合のいいことが許されるはずがない。
「待てぇっ!!」
諒も急いで後を追う。
木々の間を逃げ惑う男の背中が見える。いきなり襲われて混乱してるのか、今にも足がもつれて転倒しそうだ。心に体がついていきないのだろう、上半身ばかりが前に出ている。
運動不足の緒方諒と比べて、赤城祐二はそれなりに鍛えてあるようだ。互いの距離が確実に縮まっていく。
恐怖に顔を引きつらせた男が走りながら振り向く。自身の姿だろうと関係ない。元より人殺しの体に戻ったところで先は真っ暗だ。
間近に迫った男の背中を、草刈り鎌で切り付ける。
「ぎゃあっ!」
悲鳴とともに転倒する。
「ひいぃっ」
なおも這いずって逃げようとする襟首をつかむ。
「や、やめっ――」
男の首に凶器の刃を突きつける。その顔は蒼白だ。
このまま喉をかき切ってやるつもりだった。手にぐっと力を入れようとして――
「やめろっ!!」
大声がきこえ、思わず手をとめた。すぐに誰かに制止されたと知った。
目をやるとスーツを着た刑事や制服警官が何人も集まっていた。しかもみんな、諒に銃を向けている。
諒は男を強引に自分の前に立たせて盾代わりにする。
「こっ、殺される……たす、助けっ――」
「っ!」
涙と鼻水を垂れ流しながら命乞いをする男――頭に血が昇り、凶器を握る手に力を込めた。喉の皮膚がわずかに切れる。
「駄目だっ!! やめるんだ赤城くん!!」
うるさい――聞く耳なんてもたない。
「冷静になって考えるんだっ! 頼む!」
『冷静になれ』など、他人事だから言えることだ。
復讐が自己満足に過ぎない――なんてことは、諒にも分かっている。
だが、分かっているからなんだというのだ? 『やる』でも『やるべき』でもなく、どうしてもやらずにはいられれないときというのが、人間にはある。
自分はこいつを殺す――殺さないといけないのだ。
「撃つなっ――絶対に撃つんじゃないぞっ! 彼は犯人じゃない!」
甘い判断だと思う。凶悪犯だろうと救いたければ、手段を選んでなどいられないはずだ。
ここでこの男を殺そうと殺すまいと、あずさは生き返らない――それなら、自分の手で幕を引いたっていいではないか。罰を受ける覚悟だってある。
いや正確に言えば、絶望感と喪失感とで、もう何もかもがどうでもよくなっていた。
ざざっ――。
下生えを踏みしだく音がした。諒が反応する間もなく、直後に衝撃を受ける。
近くに潜んでいた刑事が忍び寄っていたと気づいたものの、遅かった。
体当たりされた諒は、そのまま数人の警官に組み伏せられる。
「はっ……離せよっ!」
無駄だと知りながらも抵抗せずにはいられなかった。草刈り鎌を右手からもぎとられる。
顔をあげると、男もまた取り押さえられていた。
「くそっ……畜生ぅ……」
行き場を失った怒りをどうすることもできずに、地面に額を何度も打ち付けた。
できることなら、このまま死んでしまいたかった。だがそれは叶わない。
結局、諒は顔を土まみれにして嗚咽を漏らしていることしかできなかった。




