プロローグ
頭上から照らされる太陽と真下からのアスファルトの熱気で、脳味噌が茹であがりそうだった。
だというのに、まだ六月も半ばを過ぎたばかりでしかない。この暑さがまだ序の口だと思うと、緒方諒は憂鬱になった。
忌々しい太陽を一睨みして、諒は校門の前から離れた。下校する他の生徒たちが二、三人で連れ添って帰るのに比べ、彼はいつも一人だ。
気が付くと、クラスに親しい友人が誰もいなかった。原因は諒の方にある。彼が友人を作ろうとする努力を、これまで怠ってきたからだ。機会はいくらでもあったが、諒自身がそれをことごとく潰していた。
つまり現在における諒の境遇は、彼の自業自得といえた。
だが諒に自省の念はない。後悔もしていない。自分には友達など必要ないと固く信じていた。一人でいる方が気も楽だ。それに自分の好きなように時間を過ごすことができる。仲間うちで談笑するのはどうも性に合わないし、気疲れしそうだ。
友達を作るメリットが見当たらない。だから積極的に誰かと親しくなろうという気にもならない。仮に特定の人間と仲が良くなったとしても、今度は機嫌を損ねないように注意して接しないといけない――面倒を通り越して、苦痛ですらある。
つまるところ緒方諒という十七歳の高校生は、こと人間関係においてはかなり臆病な少年なのだった。
小さい頃からそうだった。友達になる前から嫌われることを考えてしまい、自分からクラスの輪に入ることができなかった。
体育の授業で誰かとペアを組まなければならないときはいつも相手がおらず、教師と一緒にするはめになっていた。だから諒は授業の中でも体育が一番嫌いだった。
すべては自分に問題があるというのに現状に満足してると思い込むことで目をそむけ、改善するため気もない――緒方諒は、そんなどうしようもない少年だった。
商店街をぶらぶらと歩いてると、ゲームセンター前に同年代らしい少女がいた。
派手な金髪を後ろで縛り、両耳に大きなピアスをあけている。目つきもすこぶる悪い。諒でなくても関わり合いにはなりたくないタイプだろう。
だが諒が抱いた印象はそれだけではなかった。
この少女に諒は見覚えがあった。どこかで会った記憶がある。
少女はくちゃくちゃと音をたててガムを噛みながら、クレーンゲームに挑戦していた。失敗したのか舌打ちをして、小銭を投入する。眉間に皺を刻み、慎重にクレーンを操作していた。
またしても目当ての商品がとれず、少女は苛立たしげに金髪をかき回す。
諦めた少女が踵を返たところで、二人の目が合った。
「……何だよ?」
「え?」
「何見てんだよ、あんた?」
あからさまに不機嫌な様子で、少女が睨む。
「聞いてんだけど? あたしの顔をじろじろ見て、いったい何?」
「あ、いや……何でもないです。ごめんなさい」
諒が謝ると、少女はふん、と鼻を鳴らして背を向けた。
「……あっ」
そこで無意識に声を漏らしてしまった。
「は? 何?」
少女が足を止めて振り向く。
「ち、違います。全然、別のことで……」
それで納得したのかどうかは分からないものの、少女は今度こそ歩き去った。
「アキ……ちゃん」
その名前を、諒は口の中で呟いた。彼が声を出してしまったのは、少女のことを思い出したからだ。
堀川明菜――それが諒の記憶にある、少女の名前だった。
家に帰るとすぐ、諒は部屋の押し入れを漁った。奥の方から昔の思い出の詰まったダンボールを引きずり出し、ガムテープをはがして開ける。
一つ一つ外に出して、目的のものを探す。
「……あった」
ようやく見つけたのは、小学校の卒業アルバムだった。埃を払い、ページをめくる。
諒の記憶が正しければ、堀川明菜もこの中に写っているはずだ。
「…………」
明菜は確かにいた。当然ながら風貌はだいぶ変わってはいるものの、今でも面影は充分に見て取れる。
先ほどあったのは諒の知っている堀川明菜本人と見て、まず間違いないだろう。
当時、諒と明菜は一緒に遊ぶことが多かった。
互いの家が近いということもあったが、主だった理由としては二人とも学校に友達と呼べる人間が他にいなかったというのがあった。
インドア派で読書やゲームをしてる方が楽しかった諒は、クラスメイトの誘いを断り続けていた。そしてそのうち誰も彼に声をかける者がいなくなっていた。
対する明菜の家は父親がリストラにあい、日々の生活に困るありさまだった。そのため襟元が伸びて色褪せた、似たような服を毎日着ていた。
学校の生徒はみんな、そんな明菜を避けていた。
母親同士が顔見知りだったことがきっかけで、二人は仲が良くなった。諒が自分の持っている本やゲームを明菜に貸したり、昼食も一緒に食べたりもした。
そして小学校を卒業した直後、明菜は引っ越していった。どこに行ったのか、少なくとも諒は聞かされなかった。已むに已まれぬ事情がきっとあるのだろうと、幼ながらに察した程度だ。
それから今日にいたるまで、諒は明菜とは会っていなかった。
あの何者も拒絶するような目つきからすると、現在でもあまり周囲の環境に恵まれていないらしいことは容易にうかがえる。
だからといって、いまさら自分に何かができるとも思えない。できると思い込むのは驕りでしかないし、明菜も有難迷惑だろう。
それに明菜はあの反応からすると、諒のことを忘れてしまっているのだろう。当時のことがどれくらい記憶に残っているのかは分からないが、まったく覚えていなければ彼女にとって諒はもう赤の他人だ。
互いの関係が絶たれた今、諒にできることといえば明菜のこれからの人生がよりよいものになるようひそかに願うくらいだった。




