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宣伝相がプロデュースしたアイドルを総統閣下はお気に召されたようです  作者: 長谷川蒼銀
第一章 一九三八年五月三日火曜日の、ながい長い一日
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1-5

 宣伝相パウル・ヨーゼフ・ゲッベルスの妻、マクダ・ゲッベルス。彼女は《ドイツ少女団》の団員たちが崇め、目標とし、憧れる存在である。

 女優にも勝るほどの輝く美貌、数か国語を巧みに操る才智、夫ヨーゼフ・ゲッベルスを支える賢妻ぶり、そして四人の可愛い子どもの母親。才色兼備、良妻賢母とは、まさにマクダのためにあるような言葉だ。


《ドイツ少女団》の活動の一環で観た映画では、度々ゲッベルス夫妻の理想的な家庭が紹介され、仲睦まじい夫婦の姿と、可愛らしい子どもたちがスクリーンに映し出されていた。


「よろしいですか皆さん。マクダさまのように、夫を支え、正当なアーリア人の子どもを産むことこそが、ドイツに生まれた女子としての使命なのです」


 ミュンヘンの女学校で度々聞かされたお説教だが、これはあまり効果がないと言えた。なぜならこれを力説していたフロイライン・マリアが、五十近い独身女性だったからだ。

 若くして結婚し、夫を支え、何人も子どもを産むような女性は、そもそも女学校で教師などしていない。だが彼女は生徒たちの失笑を買っていることには、全く気がついていないようだったが。


 独身の総統閣下を助けるマクダは、事実上この国のファーストレディと言ってもよく、各国一流の貴賓との晩餐会や舞踏会、外交を担っている。この屋敷もそういった催しに使われたことがあるそうだ。ユダヤ人の所有時には古めかしくいささか野暮ったかった内装も、マクダの優れた審美眼で、今のように洗練されたものになった。


 それにしても話のあまりの大きさに、にわかに現実とは信じがたい心地がする。

 総統も宣伝相夫妻も、新聞や映画、或いはうねる人波の遥か向こうでしか見たことのない、手の届かない存在だった。

 それがどうだろう。一夜にして、彼らが急に身近な所に天から降ってきた。今日から住むところがマクダ所有の屋敷と知ったなら、女学校の友人や少女団のお姉さま方は、どんなに羨むことだろう。気分はまるで『会議は踊る』のヒロイン、リリアン・ハーヴェイ演じる手袋屋の娘だ。


 しかも組織の活動内容が、総統の理想のためのお手伝いとは!

 父が聞いたら飛び上って喜ぶだろう。警察が共産党や反社会的ユダヤ人を逮捕し、収容所へ送っているのは知っていたが、どんなことをするのか想像もつかない。警官が持っているようなゴム棒や、拳銃を持たされるのだろうか。


 正義や国のために悪しきユダヤ人と闘う。第三帝国に生まれた少女として、これ以上の名誉なことはない。ただ心配なこともある。噂では、共産党やユダヤ人には武器や爆弾を隠し持っている者が少なくないと聞く。あまりに危険すぎると、父は反対するかもしれない。


 談話室は広間からすぐ隣、屋敷の南西側にあった。

 落ち着いた濃紺色の壁紙に、椅子とテーブルと暖炉。そして小さな書き物机。月桂樹のレリーフが彫られたマントルピースの上に、中国風の壺が並べられている。壁に掛けられた油彩はイギリス・ラファエル前派の巨匠、バーン・ジョーンズの本物だ。


「もおう! 遅かったなあ!」


 部屋に入るなり、椅子に腰かけたグレーテルが足をバタバタさせて二人を非難した。


「もうもうもう! いったいなに? まさかお二人で、フランクフルトまで行っちゃってたわけ?」

「まさか」


 クララは笑った。


「それにグレーテルは大げさよ。そんなに時間、たっていないわよ」

「たってるよ、正確には三十七分と二十二秒。カオルなんて待ちくたびれて、寝ちゃっててさ」

「こら、いい加減なことを言うな」と当の少女が異を唱える。「私は眠っていたのではない。瞑想していたのだ」

「なにさ、そのメイソウって?」

「眼を閉じ、心を静めて、己と向き合う東洋の精神修練だ。ただの居眠りとは訳が違う」

「ふうん。じゃああたしも、今度のフロイライン・クレマーの歴史学の時、瞑想してみるか」


 二人のやりとりを聞いていたクララが手を叩く。


「はいはい、静粛に。今日はハイジが私たちの仲間になった、記念すべき日よ、静聴、静聴」


 中央のテーブルを囲んで座る。全員で四人、これがこの《白薔薇十字団》の団員全部なのだろうか?


「じゃあ、ハイジ。まずは私からみんなを紹介するわ。彼女がカオル・サンジョウ・ローゼンタール。ドレスデン出身で、貴方と同い年の十四歳。ここには四月に来たの。一ケ月だけ先輩ね」


 クララの右隣に座ったカオルが


「よろしく頼む」


 と頭を下げた。なんと言うか、昔のプロイセンの軍人さんみたいな話し方だ。先ほどまで背に負っていた棒きれを、大切そうに抱えている。棒には端からこぶし二つほど下の方に、小さなお皿みたいなものが付いていた。


「カオルはお父様が日本人なの。お母様がドイツ人。日本で生まれて、五年前にドイツに来たばかりなのよ」


 どうやらカオルというのは、日本の名前らしい。とても整った顔立ちの東洋的な雰囲気が、どことなく神秘的なものを感じさせる。凛とした強い眼差しがやや近寄りがたい堅苦しさを帯びているが、先ほど恥ずかしそうに笑ったところをみると、優しい女の子らしさもあるのだろう。


「あなたの隣に座っているのが、グレーテル。本当の名前はマルガレーテ・フォン・エッセンベックね。生まれも育ちもベルリンの、生粋のベルリン子よ。貴方よりひとつ下の十三歳。彼女だけは《少女団》ではなく、《幼女団》からの特別参加なの」

「じゅ、十三歳?」


 アーデルハイトは驚き、改めて隣席の少女を見た。どう見ても九つか十くらいにしか見えない。アーデルハイトの反応に、グレーテルはふんと鼻を鳴らす。


「言っとくけど、チビだと思って馬鹿にしないでよね。あたしはこの《白薔薇十字団》の叡智にして頭脳、知将ともいうべき存在なんだから」

「そ、そうなんだ。よろしくね、グレーテル」


 ふふんと言ってグレーテルが差し出した手を、アーデルハイトは握った。ずいぶん小さい手だなと思う。ふと、握った手の違和感に気付いた。

 何かが、もぞもぞと動いているような……。

 グレーテルが手を離すと、アーデルハイトの手のひらに、大きなムカデが黒光りする体をいやらしくくねらせていた。

「ぎゃあああああああ!」

 談話室にアーデルハイトの絶叫が響きわたった。グレーテルが身体をのけぞらせて笑いこけ、天井高く、ムカデは軽やかに舞い上がる。

 その途端カオルが床を蹴った。ひらりと跳んで中央のテーブルの上に片膝をつく。目にもとまらぬ早さで、白光りする刃が一閃し、カオルはゆっくりと鞘に納める。パチリという音と共に、アーデルハイトの膝上に真っぷたつとなったムカデがぱたりと落ちた。


「また、つまらないものを斬ってしまった」


 カオルがぼそりと呟く。ムカデはよく見れば、精巧に作られたゴム製のおもちゃだった。


「あーあ、カオルのばーか」


 グレーテルがむくれる。


「カオルなんて驚きもしないんだから、つまんないの。こちらさんが、せっかくビックリしてくれたのにさあ」


(こ、こいつ!)


 アーデルハイトは一瞬グレーテルに殺意を覚える。足がたくさんある生き物が、なにより苦手なのだ。


「ごめんなさい、驚かせて」


 クララは申し訳なさそうに笑った。


「これがグレーテルの、初対面の人への挨拶なの。みんな、ハイジみたいにひっくり返るのよ。騙せなかったのは、カオルくらいかしらねえ」

「当たり前だ。このような子供だましにはひっかからん」


 カオルがグレーテルをじろりと睨む。


「カオルは居合の達人なの。今のすごかったでしょ?」

「い、イアイって?」

「日本に伝わる刀を使った技術のことだ。技術だけではなく、精神的な鍛錬も兼ねているが」


 カオルが手にした剣に目を落とす。棒きれに見えていたのは、日本の刀剣だったのだ。たしか今、《カタナ》とか言った。プロイセンの軍人が持っているサーベルと違って、柄も鞘も素朴な形をしていた。

 見せてもらうと、柄の部分はたくさんの糸を絡めた細工に覆われ、並んだひし形の隙間から柄の地が覗く。簡素だが、無駄な装飾を排した実直な美しさがあった。


「この刀は、カオルのお父様の形見の品なのですって。だからいつも肌身離さず持ち歩いているの」


 アーデルハイトはクララの言葉に、改めてカオルを見た。きっと大好きな父親だったのだろう。この刀は彼女にとって、父の分身なのだ。日本人との混血という事実を隠すのではなく、それを誇りにしているカオルに、アーデルハイトは素直に好感を持った。


「なんだか、とってもカッコいいね、カオル」


 アーデルハイトはカオルに笑いかけた。その言葉にカオルがさっと頬を染め、照れたようにうつむく。


「では、最後は私ね」


 そう言って、クララが自分の胸に手を当てた。


「私はクララ・ミュラー・ラウバル。十七歳だから、貴方より三つ上になるわ。四年前からベルリンの女学校に通っているけど、出身はハンブルクよ。グレーテルとは二年くらい前に、ベルリンの合同キャンプで知り合ったの」


「クララがあたしに、一目ぼれしたんだよね」


 グレーテルが茶化す。


「確かにそうね」


 クララは肩をすくめた。


「でも、あなたのムカデラブレターは強烈だったわ。今でも夢に見るもの」


 ぷっとアーデルハイトは吹き出した。クララもやっぱり同じ目に遭ったのだ。


「たぶん少尉は私のこと、総統閣下の姪って紹介したと思うけど、正確には義理の姪なの。閣下の妹さん、アンゲラさまの養女だから、血はつながっていないわ。父が前の戦争で総統とご縁があったことで、両親を亡くした私をアンゲラさまの養女にして下さったの」

「そうだったのね」

「ハイジもたしか、お母さまを亡くされているでしょう? カオルはお父さまだし、グレーテルと私は両親がいない。だから、この《白薔薇十字団》が私たちの家、みんなが家族のようになれればいいと、私は思っているの」

「クララ……」


 クララはアーデルハイトの右手を、そっと優しく両手で包み込んだ。


「だから、困ったことや悩み事があったら、なんでも相談してね。一人で背負いこまないで、みんなで解決していきたいの」

「ありがとう、クララ」


《ドイツ少女団》のお姉さま方は皆優しく、頼りがいがあり、本当の姉のように思えたこともある。《幼女団》の後輩たちだって可愛い。それでも、やはり両親が揃って健在で、それが当然だと思っている彼女たちと自分との間には、どうしても埋めることのできない溝があるような気がしていた。


 今の話を聞けば、ここにいるみんなはアーデルハイトと同じ欠落を抱えているという。それだけで、言葉にすることのできない深い部分で分かりあえるように思える。クララの少し潤んだ目を真っ直ぐ見つめて、アーデルハイトは彼女の柔らかな手を握り返した。



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