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10-5

 夕食は濃厚な栗のスープに始まった。

 続いてトリュフとフォアグラのテリーヌ、きのこと豚肉のゼリー寄せ、スモークサーモンと玉ねぎを使ったキッシュ、口直しのりんごのシャーベットまで、素晴らしい料理の数々をヨハンさんの給仕でいただく。

 メインは小羊のカツレツとレモンバターソースに、かぼちゃとジャガイモのペーストを添えたもので、今まで食べたどんなカツレツよりも美味しかった。


 訪問当初は口数の少なかったゲッベルスだが、夕食の席では絶えず話し続け、会話の流れを常に自分の勢力下に置いた。

 彼は朗らかでユーモアがあり、夕食を一緒にする相手としては申し分なかった。常に人を引き付ける話し方を心得、絶妙のタイミングで笑いを取った。

 話題は尽きず、総統閣下の勤務のちょっとした裏話のようなものから、彼が絶大な影響を有している映画界のスターの話題まで、聴く人間を飽きさせないのだ。傍から見れば和気あいあいとした、とても楽しげな雰囲気だろう。


 だがゲッベルスの話を聞きながら、アーデルハイトはカールとの晩餐を思い出した。話題が豊富で退屈しないのは彼も同じだったが、カールは自分が話すのと同じくらい、アーデルハイトにたくさんの質問をして語らせた。何が好きなのか、あるいは嫌いなのか。欲しいもの、将来の夢、家族のこと。


 だが、ゲッベルスは他人のことにはあまり関心がないらしく、常に自分の話したいことだけを喋り続けている。彼にとっては、このテーブル席も、演説の壇上も同じなのだろうかとアーデルハイトは考えた。まるで喋っていないと死んでしまうとでもいうように、彼は休むことなく口を動かしている。


 隣席ではマクダが夫の話に相槌を打ちながら、的確なタイミングで団員に質問し皆を会話に参加させていた。

 マクダは独身の総統閣下をサポートする、いわゆるファーストレディ役を担っている。国賓たちとのパーティでホステスを務めることは日常茶飯事であり、会話の端々に洗練された気遣いを伺わせた。


 クララやグレーテルはマクダとは顔見知りのこともあり、それほど堅くはなっていなかったが、カオルやアーデルハイトにとって、マクダはスクリーンでしか見られなかった憧れの上流婦人だ。

 カオルなどはマクダに話しかけられるたび、いつも真っ直ぐな背筋をより一層ぴんと伸ばして、一度一度ナプキンで丁寧に口元を吹き、訊ねられたことに答えた。


 イルマ・グレーゼは忠実な番犬のようにゲッベルスの右隣に座り、会話には加わらず黙ってナイフとフォークを使っている。マクダも彼女のことをここに居ない者のように扱い、話しかけることもなかった。

 ゲッベルス夫妻にとって、彼女はラインハルト・ハイドリヒから送られた公然のスパイだ。当然、良い感情は持っていないのだろう。

 イルマは時々アーデルハイトの方をちらと見たが、なんの感情も読みとれない、拵えもののような目だった。


 食事が一通り終わり、あとは食後のデザートとコーヒーという時、部屋の電気がいっせいに消えた。一瞬なにごとかと腰を浮かせたアーデルハイトの目に、暗闇に煌々とした蝋燭の明かりが飛び込んできた。

 たくさんの蝋燭を灯した大きなケーキがアンナさんに抱えられて、食堂に運ばれてくる。クララが


「ハッピーバースデイ、トゥーユー」


 と歌い始めると、すかさず皆による合唱が始まった。

 ケーキが食卓の真ん中に置かれ、数えてみると蝋燭の本数はきっちり十五本あり、温かなオレンジ色の光がテーブルを囲んだ面々を照らす。

 真っ白な生クリームの飾り、中央に円を成す刻んだチョコレート、誰もが理想に思い描く誕生日ケーキそのものだ。


「さあ、ハイジ。蝋燭を消して」


 クララの声と同時に、肺一杯に吸った息を一気に噴き出した。鋭い空気の流れが焔を大きく揺らし、あっという間にかき消した。一瞬の闇が再び訪れた後、部屋の明かりがついて拍手が沸き起こった。


「ハイジ、お誕生日おめでとう」

「おめでとう」

「おめでとう」


 火が消えた後に立ち上る煙の臭いにむせながら、アーデルハイトは紅潮させた頬で、皆から祝福を受けていた。マクダが


「可愛らしいハイジのために」


 と杯を掲げる。皆がそれに合わせ、一斉に


「ハイジのために」


 と唱和した。感激のあまり、アーデルハイトの目が潤んでくる。


「泣くのはまだ早くてよ、ハイジ」


 からかうようにクララが笑いかけた。


「ゲッベルスさまたちがね、ハイジと私たちに素敵なプレゼントを下さったの」


 慌ててナプキンで涙を拭い、宣伝相夫妻を見た。


「君たちの頑張りは、アッシェンバッハ少尉から報告を受けている。計画の実行まであとひと月だ。厳しい軍事教練に耐えた君たちに敬意を表して、私と妻から《ハウス・ファーターラント》での楽しい一夜をプレゼントしたい」


《ハウス・ファーターラント》だって?


 アーデルハイトは思わず自分の耳を疑い、クララの方を向いた。クララが目を細めて笑う。

 左隣りに座っていたカオルが


「それも、ずっとハイジが行きたがっていた《ラインテラッセ》でのディナーと、《椰子の園》のレビュー鑑賞付きだ」


 と付け加えたのを聞いて、ようやく嬉しさがこみ上げてきた。

 なんということだろう!

《ハウス・ファーターラント》の、それも《ラインテラッセ》でのディナーとは! 本物の川が流れているというこの店に、一度でいいから行きたかったのだ。

 さらにあの《椰子の園》に入れるなんて、本当に夢のようだった。リリアン・ハーヴェイの映画で見てから、ずっと憧れていたのが、まさか実現するとは!


「あ、ありがとうございます。なんとお礼を言ったらよいか」


 再び涙ぐむアーデルハイトに、マクダは頬に唇をつけた。


「お礼なら、クララたちに言ってね。あなたはとてもいい友達を持ったわ」

「はい。本当にそう思います」


 そう答えてクララとグレーテル、カオルに感謝の意を目で告げる。その時視界の隅に入ったイルマ・グレーゼはナプキンで口を拭い、じっとテーブルの上を凝視していた。

 彼女は場に馴染んでもいないし、自分から馴染もうともしていなかった。いつも通りの、取りつくしまのないイルマである。それでも、そこに居てくれるだけで、アーデルハイトは満足だった。



* * * *



 ケーキが切り分けられ、香ばしいコーヒーと共に頂いてその晩のディナーは終わった。最後にゲッベルスと団員一人一人が話す時間が与えられ、最初にクララ次いでグレーテル、カオルにアーデルハイトという順番に決まった。

 談話室に一人ずつ呼ばれ、十分ほどで戻ってくる。何を話したかは秘密にされた。待っている間に御手洗いに行くふりをして、イルマ・グレーゼを探す。見つからないのでイルマの部屋に行き、ノックをしたが返事はなかった。

 慌てて自室へと駆けこみ、書き物机の上にあるメモ用紙にペンを走らせた。


 図書室で待ってて ハイジ


 紙を小さく畳む。部屋を出て階段を降りようとした時、ちょうど上ってくるイルマとはち合わせた。すれ違った時ほんの僅か手が触れ合い、その隙にイルマに折りたたんだ紙を手渡す。そのまま二人は上と下に分かれた。

 階段を下りると、クララとグレーテルが広間でアーデルハイトを待っていた。


「もうすぐハイジの番よ。今カオルが話しているのだけど、少し時間を過ぎてるわ」

「なに話してんのかな」


 グレーテルがそういぶかしんだ時、カオルが談話室から戻ってきた。カオルの表情はどこかぎこちなく、当惑しているように見えた。


「次はハイジだ。ゲッベルスさまが待っていらっしゃる」


 制服のしわを伸ばし、談話室の扉をノックした。


「入りたまえ」


 の返事で扉をくぐると、クララお気に入りのソファに宣伝相が腰かけていた。


「どうぞ、座りたまえ」


 向かいの席を薦められ、アーデルハイトは「失礼します」とゆっくり腰を降ろす。ゲッベルスは若干前かがみになり、折り曲げた肘を太ももの上に置いている。そうすると身体つきの割に大きな頭部が、ますます目立って見えた。

 姿勢を伸ばし両手を膝の上で揃える。そうして真っ直ぐゲッベルスを見つめると、彼の眼の下に隈が浮いているのに気が付いた。アルコールのせいか、あるいは疲労のせいか、先ほどまでの威厳の箔が剥がれ落ち、どこか全てに倦んでいるように見える。


 映画のなかでの理想的な家庭人、国家の忠臣の姿はそこにはなく、ただの疲れ果てた中年男がいた。


「どうだね、ここでの生活は」

「とても快適に過ごしています」

「アッシェンバッハ少尉はどうかね? 軍事教練が厳しすぎることはないかい」

「厳しいですが、無理なことはやらせない方です。叱られたことはありますが、叩かれたりしたことはありません」

「そうかね。クララやグレーテルにも聞いたが、彼は良くやってくれているよ。安心して任せられる」

「私もそう思います」


 アーデルハイトは居心地の悪さを感じた。一体なぜ自分は今ここに居るのだろう。こうして差し向かいに座っているにも関わらず、ゲッベルスは自分ではなく、どこか遠くを見ていた。

 質問も、まるで台本を読みあげているようだ。そこには他人に対する興味関心はない。あるのは噛みあわない会話がもたらす空疎さだけだ。


 突然ゲッベルスは大きなため息をつき、両手で顔を覆った。



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