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8-3

 カオルがお腹が空いたと言うので、二人でホテルのカフェに入った。上品な客たちで溢れかえった店は、値段もさすがにお高くとまっている。

 メニューの価格を見て顔色が変わったアーデルハイトに


「大丈夫だ、うちの両親が、お昼はここで食べていいと言ったのだから」


 とささやく。

 今夜はこのホテルのグリルで、豪華な食事をすることになっている。なんだかここまで至れり尽くせりだと、彼らに申し訳ないような気になった。

 カオルはハム入りマカロニとじゃがいものグラタン、アーデルハイトはメニューの中でも比較的安価な、生ハムと海老のサンドイッチを頼んだ。

 注文を聞いて立ち去った給仕の磨かれた靴を見ながら、これだけで、昨日のじゃがいもパンケーキがどれくらい買えるのだろうと考える。


「そういえば、伯父さまがベルリンにいるんだね」

「うむ。母の兄に当たる人だ。私がここベルリンに来てから、なにかと面倒を見てくれるとてもいい人なのだ」

「じゃあお母さまも、ベルリン出身なの?」

「そうだ。カールも、もともとベルリンの人間だからな。伯父とカールは、職場が同じだった。彼が母と知り合ったのは、伯父の家に母がたまたま遊びに行った時だったらしい」

「ふうん」


 アーデルハイトは相槌をうった。


「伯父さんの職場って、なに」

「伯父は外務省に勤務している」


 声を少し低くして、カオルは答えた。


「伯父が仕事で、日本にしばらく滞在したことがあった。その時、母が伯父を頼って、日本まで押し掛けるように遊びに行ったのだ」

「それが縁で、カオルのお父さまと?」

「そうだ。神戸で、伯父と父上は仕事でもプライベートでも、とても仲が良かったということだ」

「ということは、カール……じゃなくてカオルのお義父さまも、外務省に勤めてるんだ」

「うむ……、以前はな」


 カオルは言いにくそうに、そこで言葉を切った。

 ちょうど良いタイミングで、給仕がカオルのマカロニグラタンを運んできた。次にアーデルハイトのサンドイッチと紅茶カップが並べられ、銀のポットからゆっくりとお茶が注がれた。全ての動作が音楽的で美しく、洗練されている。

 カオルは両手のひらを胸の前で合わせてから、グラタンを食べ始めた。それを見て、アーデルハイトもサンドイッチを黙ってかじる。


「カールは、今は外務省の出先機関に居る」


 口元をナプキンで拭って、カオルが口を開いた。


「ドレスデンに異動が決まって、カールが慌てて母にプロポーズしたのだ。それで母も私も、一緒に行くことになった」

「ほほう。それはなんとも、情熱的なお話ですな」


 アーデルハイトは茶化すように言った。だが、カオルはそれには答えず、どこか寂しそうな表情で、グラタンを食べ続けていた。

 そういえば、さっきロビーで別れた時、カオルは一度もカールと目を合わせなかった。今までもそうだが、彼のことになると、カオルは途端に口数が少なくなる。単に気が合わないだけかと思っていたが、実際に彼を見てしまうと、それだけとは考えにくい。


(やっぱり血が繋がっていないと、あんなに優しそうな人でも、上手くいかないものなのかなあ)


 アーデルハイトは生ハムと海老のサンドイッチを食べながら、カールの金色の髪とどこまでも優しい瞳、温かく大きな手を思い出していた。



* * * *



 クリスタルのシャンデリアが灯る天井、花綵模様を浮き上がらせた壁紙。窓際には、えんじ色のつややかな綴れ織りのカーテンが下がっている。白い糊のきいたクロスがかかるテーブル席は満席で、美しく着飾った男女が思い思いに食事を楽しんでいた。


 その華やかなグリルの中でも、ばら柄の振袖をまとったカオルの姿は際立ち、周囲の客たちの賞賛を集めていた。

母親のリリーは葡萄酒色のドレスに、長い真珠のネックレスを下げている。その姿はまるで、露を含んだ大輪の蘭の花を思わせた。年下のカールが周囲の反対を押し切り、結婚したのも分かるような気がする。


 隣に座るマックスは、小紳士よろしくツイードのジャケットを着こなしている。カールは黒のスーツに蝶ネクタイの正装だった。

 招待されたアーデルハイトの方は、いつもと変わらない《白薔薇十字団》の制服だ。少しでも華やかにと、カオルが選んでくれたピンクのばらを胸に一輪差した。


 グリルでの食事は、満足のいくものだった。素材の良さを生かしたフランス料理で、行き届いた給仕のサービスも気持が良かった。

 新じゃがいものポタージュ、焼き目をつけたきのこと玉葱のロースト、カボチャとトリュフのペーストを練り込んだパイ包みを味わい、これから本格的な秋になるのだと実感させられる。


 ありがたいことにカールもリリーも話し好きで、初対面のアーデルハイトが気まずい思いをしないよう配慮してくれる。この二人の子どもが人見知りのマックスだということが、不思議に思えて仕方がなかった。

 カールとリリーは旅行が好きで、ドイツのあちこちを巡っている。この夏もマックスを連れて、北のリューネブルクへと旅したらしい。


「いつもと違って、カオルが居なかったのが本当に寂しかったけど」


 そう娘を気遣うリリーに、カオルは微笑んで


「気になさらないで下さい、母上」


 手を添えた。

 カールは隣に座るアーデルハイトに、リューネブルクの話をしてくれた。彼は街の様子を説明するのがとても上手い。

 リューネブルクはハンブルクから南東五十キロ程の場所にある、エルベ川とハイデ(原野)に挟まれた小さな街だ。


 そのかみ十二世紀に、バイエルン公兼ザクセン公ハインリヒ獅子王が建設したという古い歴史は、中世の面影をそのまま残す煉瓦色の瓦と、石造りの街並みから伺うことが出来る。

 かつて「白い黄金」と呼ばれた塩が、かの街に大いなる富をもたらした。千年にわたり製塩産業で賑わった都市は、美しい栄光の時代から時を止めたかに見えるそうだ。


「行くならやはり夏がいいだろうね。冬は寒くてかなわんよ」


 そう言って肩をすくめたカールの仕草に、アーデルハイトはつられて笑った。

 不思議なことに、初対面なのにずっと以前からの知り合いだったような気がする。アーデルハイトに対し、細かな部分まで気を遣ってくれているせいだろう。優秀な踊り手と踊ると、リードのうまさに、自分までダンスの腕が上がったように思えることがある。それに似ているのかもしれない。


「カオルに聞いたのだけど、おじいさまがドレスデンにいらっしゃるのですってね」


 リリーが訊ねた。


「ええ、母もドレスデンの出身です」

「住んでみて分かったけれど、本当にいい街だわ。あそこに住みなれると、ベルリンは少し賑やかすぎるわね」


 それからドレスデンに住んでいる祖父の話になり、祖父が住んでいる場所へと話題は移った。ロシュヴィッツのシラー通りだと言うと、


「あそこはいい場所だわ」


 リリーが相槌を打った。


「でも坂が多いんですよ。夏はいいのですが、冬に道が凍ると大変です」


 母が生きていた頃、クリスマスの季節に祖父の家に遊びに行った時のことだ。記録的な寒波で道が凍り、歩くのもままならないほどだった。坂道で転んだアーデルハイトはそのまま氷の上を滑り下り、下を走っていた郵便馬車にあやうく突っ込みそうになったことがある。今だから笑って話せるが、事故になっていたら大変だった。

 リリーたちは今、ドレスデンにある大学の近くに住んでいる。カールの現在の勤め先が、大学の研究所だからだ。


「なにを研究されているのですか?」


 アーデルハイトは訊ねた。


「そうだな」


 カールは少し考えた。


「早い話が、工業や化学研究で国を発展させるには、どのようなことをやっていけばいいのか、そんなことだ」


 それにしても、ベルリンの外務省から出向先がドレスデンの大学とは、どういう繋がりなのだろうか。アーデルハイトから見ても、とてもエリートコースとは言い難いように思えるのだが。


「これからドイツは、どんどんヨーロッパに領土を拡大するだろう。工業や化学研究は国にとって、アメリカやイギリスに対抗する重要なプロジェクトになるからね」

「それは分かります。総統閣下も、『今こそ一家に一台、国民のための車を』と仰っています」

「たしかに、総統閣下のおっしゃるとおりなのだ。国民のための生産技術は、軍事技術の向上にもつながるからね。だが、しかし……」


 カールはそこで言い淀んだ。その時、彼の表情がそれまでとは一変した、少し厳しいものになった。不自然な沈黙が流れ、気が付くと、カオルとリリーが心配そうな顔でカールを見ている。


「あら、もうデザートが来る頃ね。デザートは好きなものを、ワゴンから二つ選べるのよ。お嬢さん方は何を頼むのかしら」


 空気を変えるように朗らかな声でリリーが促し、手を上げ給仕を呼ぶ。カオルは咳止めシロップを飲まされたような苦い顔で、ふいとそっぽを向いた。



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