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4-5


「あーあ、いいなあアイス」


 グレーテルが言った。気持は分かるが、団のハイキングは基本的に買い食い禁止である。


「たしかに、ちょっと暑くなってきたわねえ」


 クララが麦わら帽を取って、額の汗を拭いながら顔を仰いだ。腕時計を見るとまだ九時過ぎなのだが、じっとりとした汗が頬を伝う。この感じだと、八月並みの暑さではないだろうか。

 隙間なく植えられた街路樹が日除けの役割を果たしているが、刻一刻と強さを増す太陽の光は、アスファルトに眩しく照り返している。温められた空気が風となって、頬を生ぬるくなでた。



「どうですか、動物園のガイドブックですよ。これを読んで今のうちに予習をしておけば、効率よく回れますよ」


 前と後ろからガイドブック売りまで来ていた。グレーテルがクララのスカートの裾を引いた。クララは黙って首を横に振る。その理由は、アーデルハイトも良く分かる。

 ガイドブックといっても、たいていは薄くてペラペラの、あまり内容のない冊子だ。並んでいて暇だからつい買ってしまうような代物で、買ってから後悔すること間違いなしだ。もちろん、アーデルハイトもその後悔した一人である。


「動物園の絵葉書、一枚二十ペニヒ、いかがですかあ」


 前方に動物園の絵葉書売りが、一葉を手に声を高く張り上げている。そばかすだらけの顔をした、赤毛のまだ若い女の人だ。彼女を見ていたカオルがクララに訊ねた。


「クララ、あれを買ってもかまわないだろうか?」

「ええ、別にあれくらいなら構わないわよ」

「すまない、そこの人」


 声を掛けて、売り子から絵葉書を一枚買い求めた。それから、


「見てくれ」


 と買ったものをアーデルハイトに差し出す。

 受け取って見ると、右下に


 ――動物園正門前、ブダペスター通り、ベルリン


 と場所が書かれてあった。左側は濃い街路樹、正面の奥にカイザー・ヴィルヘルム教会がそびえ立ち、教会を目指すように路面電車が走っている。

 動物園正門は右側に茂る並木の中に半ば隠れる格好で写っていた。


 ちょうどアーデルハイトたちが今並んでいる、この通りを写したものだ。もう少し列が進めば、これと全く同じ光景が見えてくる。絵葉書には正門の隣に、堂々とした日本風の寺院建築が写っている。ゆるやかな傾斜をつけた屋根、鱗のような瓦、漆喰で塗られた白い壁。


 ベルリン動物園には遠いアジアやアフリカの国をイメージした、異国情緒あふれる建物がたくさんある。

 代表的なのは正門にある有名な「象の門」で、中国風の屋根から伸びた二本の柱の根元に、巨大な象が二頭鎮座しているところからそう呼ばれる。その他に、園内にはインドのお寺やアラブのモスク、エジプトの古代神殿などもあった。


「このような絵葉書に、自分の生まれた国の建物が写っていると、妙に嬉しいものだな」


 カオルは照れくさそうに笑う。


「うん。その気持ち、分かるよ」


 アーデルハイトも微笑む。

 カオルは母親とドイツに来た当初、日本恋しさに強烈なノイローゼにかかってしまった。それを心配した母親がここに連れて来てくれたのだ。

 それ以来、この正門はカオルにとって大切な場所になっている。母親が再婚相手とドレスデンに行くことが決まった時は、この門にわざわざ別れを告げにいったのだそうだ。


「カオルったらね、ベルリンに来た日、迎えに来たアッシェンバッハ少尉に『どこか見たい所はないか』って聞かれて、わざわざ動物園の正門に寄ってもらったそうよ」


 クララが可笑しそうに言うと、カオルが恥ずかしそうな表情をした。


「なにしろ、一刻も早く会いたく……いや見たくて、ついお願いしてしまったのだ」

「そういえばさ、日本人って、変な板を足に紐でくくりつけて、靴の代わりに履いてるんでしょ?」


 グレーテルの言葉にカオルがぷっと吹き出した。


「そ、それは半分正しいが、かなり誤解しているな」


 カオルは日本の《ゲタ》について細かく説明し、今度本物を見せると約束した。


「ドレスデンの家に置いてきたから、こちらに送ってもらおう」


 そんなことを話しているうちに、やっと正門が近づいてきた。絵葉書の通り、「象の門」の横に日本寺院が厳めしく鎮座している。今まで見せたことのないような感慨深い面持ちで、カオルはそれをしばらく見上げていた。



* * * *



 クララがみんなのチケットをまとめて買った。それぞれの半券をなくさないよう、きちんと制服のポケットにしまう。

 チケットをしまい終わったグレーテルが


「ところで、クララさん。あれを見てどう思いますか?」


 と澄まして訊ねた。「象の門」の前で、男の子二人連れの一家が、にこやかに写真を撮ってもらっている。隣には


 記念撮影します。一枚二マルク。ドイツ国内でしたら郵送もします 


 ユリウス・シュタウト写真館


 と書かれた看板が立っていた。

 二マルクといえば、五十ペニヒのちょっと高いチョコレートが四個買える値段だ。決して安くはない。三人の団員たちは一斉にクララを見る。皆の視線を受け、クララはちょっと困ったように笑った。


「どうです、記念撮影していきませんか?」


 三脚に据えた黒い箱型カメラの隣で、鳥打ち帽を被った青年がにこにこ笑って声を掛けてきた。


「うちで始めたサービスなんですよ。現像した写真を郵便で届けるんです。郵便料金込みでこのお値段は、お得だと思いますがね」

「たしかに、みんなで写真なんて滅多にないわよねえ」


 クララは笑った。

 団の活動費の財布はクララが握っている。もちろん、アッシェンバッハ少尉に使い道を逐一報告しなければならない。


「みんなで写真を撮るのはきっと必要経費だと思うわ。アッシェンバッハ少尉も分かってくれるわよ」


 クララの言葉にグレーテルとアーデルハイトは飛び上って喜んだ。


「さあさあ、じゃあそこの象の前に並んで下さいね。なにしろうちは、ベルリンじゃ老舗の写真館だ。そんじょそこらの写真屋とは違いますよ。なにしろ、ウンター・デン・リンデンに馬車が走っていた頃から、《ビクトリアホテル》の真向かいでやってたんですからね」


 青年はそう話しながら、ファインダーを覗きこむ。四人が象の前に揃って、アーデルハイトはイルマがいないことに気がついた。写真屋の後ろで次を待っている家族連れの陰から、じっとこちらを見ている。


「ちょ、ちょっと待って!」


 と叫んでアーデルハイトはイルマの方へ駆けだした。

 すみませんと声を掛けて、家族連れの後ろに回り込む。怪訝な表情のイルマに、アーデルハイトが言った。


「イルマも入ろう。みんなで撮らなきゃ意味ないでしょ」

「私は、別に……」

「いいから、いいから。記念なんだから、ね?」


 ためらいなくイルマ・グレーゼの手を取った。少し強引かなと思ったが、何も言わないイルマを象の前に連れて行き、一緒に列に並んだ。


「えへへ」


 と笑うアーデルハイトに、他のみんなが少し驚いた表情になる。


「じゃあ、みなさんお揃いになりましたね。ではこちらを向いて、あ、端っこのちっちゃいお嬢ちゃん、もう少し中に寄って」


 グレーテルの顔が引きつるのが、見ずとも分かるようだ。ふふふと、アーデルハイトの顔が意図せずほころぶ。


「あ、いい笑顔ですね。はーい、撮りますよっ!」


 掛け声と同時にシャッターが切られた。撮影は二回あり、写りの良い方を送ると青年は言った。

 クララがノートに住所を書く。それを見て


「ああ、ここの近所ですね。今週中にはお届けできますよ」


 とにこやかに請け合った。クララが今もウンター・デン・リンデンでやっているのかと訊ねると、今はフリードリヒ通りとオラーニエンブルガー通りの交差点付近に店を移したのだと言う。

 前の場所は家賃が急騰したのだと、青年はとても残念そうな顔をした。



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