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「任せられるつもりはまったくないので安心してください」




 そして、当日。

 小規模ながら伝統のある競技場は、さながら祭りのごとく人の波に溢れていました。

 そうですか、皆してそんなに暇なんですか。もれなく仕事を回してやりますから覚悟してください。

 内心でそんな呪詛をこぼしつつ、厭味なほど晴れた空の彼方へ、遠い視線を投げかけました。


「なんでしょうね、これ……」

「おまつりじゃないの?」


 まさに、ヒナの言葉通りです。

 屋台は並んでいるわ賭の呼び声は飛んでいるわ記念品まで売り出されているわ、もはや何がなにやら。たった二日で準備されたとは思えないほどのお祭り騒ぎが、そこかしこで満遍なく繰り広げられています。

 あ、これ神殿だけじゃなく城下町巻き込んでますね。どこに始末を求めましょうかね。どうにもならないですかね。誰かに心底やつあたりをしたい気分なのですが。


 痛むこめかみをぐりぐり押さえていると、いつの間に買ってきたのか、焼き栗を頬張っているヒナと目が合いました。


「なに? せーかもたべる?」

「……遠慮しておきます」


 そんな私達のやり取りに、サキは呆れた様子です。

 忙しいさなかだというのに随伴を譲らなかったのは、何かあれば妨害すべしと心得てくれているからでしょう。なんとも心強い片腕です。レキにはとても期待できない能動性ですから、ぜひとも頑張っていただきたいものです。


 まもなく始まろうかという時間になり、貴賓席に足を運びました。

 姿を見せた私に、場内の方々から好奇に満ち満ちた視線が飛んできます。


「……サキ。余すところなく記録をお願いしますね」

「お任せ下さいませ。すべて手配しておりますわ」


 それほど暇だというのなら、もれなく仕事を回してさしあげましょう。

 心得たもので、サキはきっぱりと答えました。


 決闘のルールは古式ゆかしいもので、どちらかが傷を負えばその時点で終了。どちらかが降参しても終了といったものでした。


 さして大きくないすり鉢状の競技場には、笑えないほどの大観衆が詰めています。

 この暇人の多さたるや。頭が痛くなります。

 晴れた空を仰ぎたい気分になっていると、マヒト卿が延々と前口上を始めました。愛しい姫がどうのあなたのために何たら名誉のために云々。非常にどうでもいい気分で聞き流していると、ヒナが首を傾げて私を見ました。


「ねぇせーか、なんかよんでるよ?」

「……そうですね、呼んでますね」


 知りません、といいたいところでしたが、周囲から期待の目が一身に集まっています。

 ここで無視すると、ギルバート王子についているかのように見えてしまいます。

 なげやりに手を振ると、わっと歓声が弾けました。

 満面の笑みを浮かべ、マヒト卿が優雅に一礼してみせます。

 どんな格好をしているのかと思いきや、案外二人とも軽装です。マヒト卿はへたをすると物語に出てくる騎士のような鎧姿でもおかしくないと思っていただけに、これは少々意外でした。


 長剣の切っ先を向かい合わせ、両者が対峙します。

 人々がしんと静まり返り、競技場を緊迫した空気が支配しました。


「始め」


 力強く響いた声。

 先に動いたのは、マヒト卿の方でした。軽やかな踏み込みで突き出された剣を、ギルバート王子が半身引いてかわします。


 ――速い。


 口の中で呟きました。あまり鍛えている印象のなかったマヒト卿ですが、思ったよりも体幹がしっかりした動きです。

 これはちょっと、わからなくなってきました。

 マヒト卿のことですから、何か罠を仕掛けていることでしょう。本気で勝ちにきているのです。


 二合、三合と打ち合いが続きます。


 勢いがあるのはマヒト卿の方でしょうか。危なげなく受けているとはいえ、ギルバート王子はどうも様子見というか、受身になっている感じがします。


 マヒト卿が斜めから剣を打ち下ろします。

 ギルバート王子はそれを刀身で逸らせたかと思うと――次の瞬間、彼の右足が、見事な軌道を残してマヒト卿を蹴倒しました。


「……は?」


 思わず漏れた声は、おそらくこの場の全員の思いと同じものでしょう。

 側頭部への蹴撃になすすべもなく、マヒト卿が吹き飛びます。

 混乱しながらも身を起こそうとした彼の喉元に、光る切っ先が突きつけられました。


 硬直は数秒。

 ダイカ卿の凛とした声が、その場に響きました。


「――それまで!」


 わあっと歓声と拍手が生まれます。

 ……罠を使う暇もなかったみたいですね。

 席を暖める間もなかった。生菓子を舐めながら、ヒナが不満げに足をぶらつかせました。


「つっまんないのー。もうおわっちゃった」

「まあ、早いに越したことはないんですが……あっけなかったですね」

「どちらでも良いことですわ。ではアヤリ様、馬車を回して参ります」


 サキがそう言って席を立ったところで、場内がざわめいていることにきづきました。

 円盤に目を戻せば、敗者となったマヒト卿が血相を変えて審判に食ってかかっています。


「馬鹿な……! ありえない、卑怯だぞ!」


 ええ、その気持はわかります。私も一瞬どうかと思いましたから。

 ですがここは神殿です。正々堂々などという言葉を持ち出すほうがおかしい。陥れられたとしたら、陥れられた方こそが失敗を犯しているのです。


「ねばるねー」


 ヒナが面白そうに笑いながら、菓子をほおばりました。

 放って帰っても問題はないものの、ダイカ卿にこの場を収めるのを期待するのは難しそうです。

 しばらくうだうだと席についたまま、マヒト卿の懸命の抗議を眺めました。

 悪あがきであることは自覚しています。

 放っておいて妙な方向に話が進んでしまえば、そちらのほうが厄介でしょう。

 ……諦めますか。

 私はため息を吐きたい気分で、重い腰を上げました。


「あれぇ、いくの? せーか」

「面倒ごとになりそうですからね」


 ふーん、と返したヒナは、山積みのお菓子を取り崩しながら手を振りました。


 貴賓席から競技場の中心部へと、のったりした足取りで降りていきます。とても颯爽と歩ける気分ではありません。


 観衆の期待の視線が、ものすごく痛いです。


 剣を収めたギーは、困惑したような顔で首裏を掻いていました。

 もしかして、奇策を使ったつもりがなかったんでしょうか。……そういえば獅子王って海賊討伐で有名になったんでしたっけ。それは型破りの剣にも納得です。正々堂々戦って負けたなら、残るのは見事なほどの無意味ですから。

 階段を降りきっても、まだマヒト卿は頑張っていました。


 競技場の石畳に足を踏み入れたところで、ギーがこちらに気づき、意外そうな顔を見せました。

 すれ違いざまに腕を取られて、私は嫌な顔で彼を振り仰ぎます。

 ですが、落とされたささやきは真剣なものでした。


「あまり近づくな」


 少しばかり驚いて、私は彼を見上げました。

 衆人環視のもととはいえ、確かに間違った忠告ではありません。

 私は細く息を吐き、改めてマヒト卿に顔を向けました。


「お二人とも、お疲れさまでした。終わったことですしそろそろ帰りませんか」

「何を言うんだ! 君も見ていただろう!? こんな手を使わなければ勝てないような男に、君を任せられるものか!」


 任せられるつもりはまったくないので安心してください。

 そう口を挟もうとした私に、彼は続けて言いました。


「ふさわしくないにもほどがある! だいたいこの男は、目の前で君をおめおめと傷つけられたというじゃないか!」

「……マヒト卿」

「君を守ることもできないような男に、なんの価値がある!?」


 だから、墓穴を掘ったらせめて気づいて欲しいんですよ。

 私はこめかみを押さえ、肺の中の空気を全て搾り出すような、長いため息を吐きました。


「何のお話ですか?」

「だから、君を守ることもできないような男に――」

「……何のお話かと、聞いているんですよ」


 低い声に、彼はようやく異変を察したようでした。

 それでも理由には思い当たらない様子です。私は彼の傍らに寄り、彼にだけ聞こえる低い声でささやきました。


「あなたが今、口にしたことを、ここにいるどれだけの人間が正確に理解できたと思いますか?」

「……なんだって?」

「それを知っている人間は限られますよ。私が把握していない中では、それこそ……首謀者くらいでしょう」


 空の青を写す瞳が、これ以上なく見開かれました。

 ようやく事態を理解したのでしょう。この上なく見事な墓穴の彫り方です。


「まあ、こちらにも色々と思惑はあります。一応悪いようにはしませんから、大人しく――」


 ため息混じりに言ったところで腕を捕まれ、顔をしかめてマヒト卿を見ました。

 この状況で何ができるというんでしょう。

 手負いの双眸に宿る、剣呑な光。それを認めて、私はとっさに身を引こうとしました。

 周囲の人間が声を上げます。


「離れろ!」

「星下!」


 焦るような制止の声は遅く、一瞬の光の後、私たちの姿はその場から消えていました。





      *





 場内は騒然となった。


 なにしろ《星》が目の前で攫われたのだ。審判を任されていた衛士が顔色を変えて部下に周辺の捜索を指示した。自らも駆け出そうとする衛士を引き止め、ギルバートは切りつけるような声で会場の一角に声を飛ばした。


「技師長! 転移だ、痕跡を追えるか!」


 妙齢の女がはっとしたように息を呑み、小脇に鞄を抱えて観客席から飛び出してきた。中身は習慣のように持ち歩いている魔法の触媒と基軸だ。頭に入っている式と、開いて見せたそれらを照合し、魔法技術室の技師長は首を振った。


「……手持ちのものでは無理ですね。神殿まで戻れば――」

「間に合わない。借りるぞ」


 舌打ちし、ギルバートは彼女の荷物から製図用紙とペンを抜き取った。

 いつの間に、と感じられるほどの早業だった。


「見えた限りで書き出す。座標情報を読んでくれ」

「見えた、って……まさか! 記憶したというんですか!?」


 魔法制作の現場が見たいと訪れたギルバートに、基礎知識はなかったはずだ。だが、乱雑に端から描き上げられていく術式は確かに正しい構成を持っている。

 本当に記憶したのかと驚きながらも、彼女は再現されていく式を読んだ。

 術式は発動時に独特の光を放つ。勘のいい人間はそれを感覚で把握することもできるというから、目だけではなくそちらで画像記憶したのかもしれない。

 ならば重畳だ。闇雲に探すより多少でも可能性は高い。焦る気持ちを抑えながら、技師長は必死に座標を探した。

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