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「せーかは、ばかだなあ」




 第六神官長リョウイツ卿と面談を果たしたのは、翌日の昼を過ぎた時間帯でした。


「申し訳ない。私の見通しが甘かったがために、星下のご予定も狂わせてしまった」

「私が貴卿を政争に巻き込んだことがそもそもの発端でしょう。……一応確認しますが、事実関係に誤りは?」

「ありませんな。実に正確だ。正直に言えば、遅すぎたくらいです」


 初老の神官長はあっさりと肯きました。

 未練も後悔も見当たりません。事件の問題性はともかく、三十年も昔の話を蒸し返されているというのに、これはいささか捌けすぎです。

 いぶかしがる私に、彼は穏やかな笑みを返しました。


「あの場は他に手段がないと判断したものの、罪は罪だ。当時の私は、傲慢にも私の存在が神殿に必要だと考えておりましたが……もはや、老兵の出る場はないということでしょう」

「ご冗談を。少なくとも向こう三年は働いていただくつもりですよ」


 ここで諦められては困ります。

 引き際の良すぎる人徳者に、私は強い口調で断言しました。


「率直に言います。私はあなたに楽隠居していただくつもりはありません。現在私の部下が情報収集と打開案の検討を進めています」

「……だが、事実は変えようがない。査問は避けられぬだろう」

「横車を押しているのはあちらです。ここで退けば、我々は神殿の貴重なバランサーを失うことになる。あなたはまだ、神殿の中枢を担うべき人物です」


 薄い色の瞳が私の真意を探ります。

 困惑にか、眉がわずかにひそめられていました。


「抗戦を、リョウイツ卿」


 糸を張り詰めたような沈黙が部屋を支配しました。

 やがて、老神官長のため息がそれを破ります。その目からは諦念の穏やかさが消え、代わりに炎のような意思が点っていました。


「やれやれ、孫とのんびり過ごそうと思っておれば……老いぼれをこき使われる」

「お孫さんのためにも、いらぬ汚名を負うものではありませんよ」


 私はようやく笑みを見せました。

 戦時中に軍の指揮官が下した判断です。三分の一が犠牲になったとはいえ、逆を言えば三分の二は生き残りました。危険を冒さねばさらに犠牲者が増えていた可能性もあります。

 ただ物事の側面だけを切り取って処罰するには慮られる面がある以上、完全に打つ手がないわけではないでしょう。それには本人の闘志が不可欠です。


「では、星下。僭越ながら、一つ対価をいただけませんかな」

「なんでしょう?」

「三年後、ナガレ卿を式部府に貰い受けたい」


 私は眉根を寄せました。ナガレ卿は、リシェールの監督官に推薦した高位神官です。

 真意を公にしてはいませんでしたが、私は自治期限を終える前にリシェールを直轄地にしたいと考えていました。自治が成功する可能性は低いと見ていたためです。

 ならば時期は早いほうがいい。だからこそ監督官の権限をかなり限定し、仮に自治が失敗しても最悪の事態は避けられるだけの能力を持つ「捨て駒」として、彼を選んだのですが。

 神官長の椅子を守る人間が、その任期後にナガレ卿を引き受ける――これは、リョウイツが彼の後ろ盾になることを意味していました。

 つまり、私に方針の転換を求めているわけです。


「……わかりました。そのように認識しておきます」

「それは何よりだ。なに、あれはなかなか骨のある男です。うまくやってのけるでしょう」


 かなり困難な仕事になるでしょうに、リョウイツ卿は嬉しそうに相好を崩しました。

 そうまで言わせる思い入れが、彼にあるのでしょうか。


「ナガレ卿とはどのようなご関係で? 経歴上は接点がないように思いますが……」

「若い頃から目をつけていたのですが、争奪戦に負けましてな。奴には期待しておるのですよ。血の気の多い若造ではありますが、ずいぶんと面白い男です。私が何もせずとも、いずれは神官長まで上り詰めるでしょう。一人くらい毛色の変わった者がいた方がいい」


 含んだ笑みを見せ、第六神官長は何でもない口調で続けました。


「人生は、大きな挫折を迎えてからが本番です。彼も、ラクイラの王子も、まだまだこれから面白くなる。これを見ない手はありませんぞ、星下」


 やっぱりそこにくるんですか。

 なんだか良いことを言われたような気もしますが、本当、もうそろそろ勘弁して欲しいです。


 引きつった笑顔になった私に、リョウイツ卿は愉快そうな笑い声を立てました。


 


 


 


 リョウイツ卿が去った応接室で、私はため息を吐きながら眉間を揉みほぐしました。

 なんだか、久しぶりに一人になった気がします。


 思っていたより、今回の件がこたえたのかもしれません。

 いかに相手の暴挙があったとはいえ、読み負けてしまったのは事実です。つくづく、己の未熟さを思い知りました。動きを察知することさえできなかったのですから。


 私はもう一度、深々とため息を吐きました。

 ……落ち込む時間が欲しかったのかもしれません。


 とはいえ時間は限られています。山になっている書類を片づけなければ、滞って溜まっていく一方です。

 仕事に戻ろうと立ち上がったとき、無人であるはずの部屋で声がしました。


「せーか」


 舌足らずな声は、ヒナのものでした。

 いつもはわざと騒々しく音を立てるヒナですが、気配も物音も完璧に断ってみせると、こんな感じなんですね。

 なるほど心臓に悪いです。


「どうしたんですか、ヒナ。めずらしいですね」


 驚きながら振り返った私へ、ヒナは足音をたてずに歩み寄りました。


「つかれてる?」

「うーん……まあ、そうですね。まだまだこれから忙しいので、そんなことは言っていられないんですが」

「あーあ。せーかは、ばかだなあ」


 唐突に罵倒されました。

 ……私にこんなことを言うのはヒナくらいですよ、まったく。地味に傷つきます。

 ヒナは好戦的な色で目をきらきらさせて、笑いながら言いました。


「ぐっちゃぐちゃすぎてよくわかんないけど、ごちゃごちゃやるより、殺したほうが早いよ」

「結局それですか……」


 ワクワクしながらこんなことを言ってしまう辺り、実に手の施しようがない子です。

 私は頭痛をこらえて眉間を抑えました。


 サキに言われるまでもなく、私も色々と手は打ってみたのです。殺しに慣れきったヒナの意識を変えることができれば、この先、とても心強い隠密であり護衛になるのは間違いないのですから。

 ええ、わかっていましたよ。ダメ元だって。そして案の定の結果です。

 ヒナは「好きな人間」をつくることができるのに、他者の命の価値を理解することができないのです。人を殺すために育てられたヒナにとっては、命のやり取りも、一方的な蹂躙も、等しく娯楽であり生きる目的でしかない。彼女を抑制できるのは、命令という形の強い要求に、気まぐれで付き合っている限りのことです。

 たかが半年、されど半年。

 ヒナには微塵の変化もありません。こんなにも幼いのに、人格が危うい位置で安定してしまっているのです。


「そいつが生きてたって死んでたって、うらまれるのは変わんない。……せーかが『うん』って言ったら、せーかの敵、みんな殺してきてあげるよ?」

「ヒナ……」


 私はため息を吐き、膝を折ってヒナと目線を合わせました。

 まったく。悪気がないどころか好意だというのだから、本当に、困ったものです。


 本当は、理解しているのです。


 ヒナを手元に置くことは、私にとって不利にしかなりません。サキが言うことが正しくて、諦めきれずに現状維持を貫いていることは、ただの私の我侭なのだと。


「うん、とは言えませんが……ありがとう、ヒナ。気持ちはとても嬉しいです。私が危なっかしいから、心配させてしまいましたね」

「……そーだよ。あいつらだってやってる。だめだってこだわってんの、せーかくらいだもん」

「そんなことはないですよ。ヒナが見るのは、極端な人ばかりですからね。あんまり参考になりません」


 むう、と唸って、ヒナがようやく膨れっ面を見せました。

 そのことに、胸を撫で下ろします。

 方法は間違っていても、好意は好意です。頭ごなしに否定したくはありません。もっとも、その実現を許すわけにも行きませんが。


「首謀者が死んでも陰謀は止まりません。そうあるべきですし、向こうもその程度は想定しています。ですから、もし私の敵がこの世からいなくなったとしても、私の望みはかなわないんです。まあ、そういう細かいことは置いておくとしても……ヒナ。人間が一人いなくなるってことは、あなたが思っているより、大きなことなんです」

「うそだぁ」

「本当ですよ。理解はできなくてもいいから、覚えておいてください」


 ヒナは肩を竦め、するりと手をすり抜けていきました。

 やれやれ、と思った瞬間には姿が消えています。

 一体どこから出て行ったのか、想像もつきません。窓も閉まったままです。つまりは警備の穴があるということなので、今度ヒナに確かめておいた方がいいでしょう。


 お茶でも飲んで気分を変えたいところですが、あいにくとサキは遣いに出ています。

 午後の予定はかなり詰まっていますし、いっそ早めに昼食を取ってもいいかもしれません。


 そんなことを考えながら執務室に戻ったところに、再び来訪者がありました。


「ご公務中失礼いたします、星下! 急ぎ奏上したいことが……!」


 見るからに焦って執務室を訪れたのは、第二神官長の甥御殿でした。

 いかにも厄介ごとの雰囲気です。

 警戒する私の前で膝を折り、ダイカ卿は、焦りを隠せない声で言いました。


「マヒト卿が、ギルバート王子に決闘を申し込まれました」

「……は?」


 ――待ってください。

 ちょっと今、なにかかなり聞き慣れない単語があったような気がするんですが。むしろ生まれて初めて聞いた単語のような気さえするんですが。

 「決闘です」と律儀に繰り返すダイカ卿の声に、私は目眩を覚えて額を押さえました。


「報告じゃなくて止めてくださいよ……! 何がどうなってそんなことに!」

「も、申し訳ありません。実は……」


 決闘の介添人を引き受けたらしいダイカ卿を締め上げると、彼は追い詰められた大型草食動物のような顔で口を開きました。


「そ、それが……以前お話した通り、王子が衛士の訓練に混ざっていまして……」

「ええ」

「そこに現れたマヒト卿が、喧嘩を売ってきたのですが。うっかりというか、王子が彼を言い負かしてしまいまして……逆上したマヒト卿が、決闘を申し込まれた次第です」

「……」

「いや、あれは不可抗力ですよ! かなり人目がありましたから、断れば王族の尊厳に関わる状況で!」

「…………そうですか」


 いろいろなものを飲みこんだ低い相槌に、ダイカ卿は怯えたように半歩退がりました。もう壁に背が付いているのですが。それ以上は退がれませんよ。


 決闘という風習は、知略を用いて相手を陥れることをよしとする神殿において、とうの昔に廃れています。普通であれば、武力で何を決められるかと一笑に付されるはずなのですが――なにしろ、あの常識はずれな王子が渦中にいるのです。確実に面白がった観衆が決闘の場に詰めかけるのは、ほぼ間違いないでしょう。

 まったくもって度しがたい。こんなことなら、さっさと私闘の禁止法を作っておくのでした。

 深々とため息を吐いた私に、彼は意外そうな顔を見せました。


「なんです?」

「いえ……てっきり、お止めになるかと思っていたのですが……」

「今さら止められないでしょう。馬鹿馬鹿しいとは心底思っていますが、なんだかもうどうでもいいです」


 苦々しく切り捨てると、何を勘違いしたのか、力強い声が返ってきました。


「大丈夫ですよ、彼は獅子王の息子です。マヒト卿に負けることなどないでしょう」

「どちらが勝とうが興味ありません。ただ、どちらかでも死ねば厄介なことになりますよ。責任はあなたが取ってくださいね。多分、文字通り首が飛ぶことになりますけど」


 ダイカ卿は顔から血の気を引かせましたが、うなだれるようにうなずいて「肝に銘じます」と答えました。

 さすがに両者無事という結果は期待しようがありません。そもそもあのマヒト卿のこと、どうせろくでもない罠を用意していることでしょう。

 衆人環視の下とはいえ、成功しようが失敗しようが面倒くさそうです。ただでさえ第二神官長の関係で微妙な立場にいると言うのに、どうしてやることなすことああなんでしょう、あの人は。

 憮然としていると、ダイカ卿が苦い顔で口を開きました。


「……あの、星下(せいか)

「なんです」

「いえ、まがりなりにも、お二方はあなたのために戦うわけで……その、もう少し、思いやってはいただけないものかと……」

「知りません。勝手に人を賞品扱いしないでほしいです」

「なんだ、つれぬな」


 割って入った玲瓏そのものの声は、もちろんダイカ卿のものではありませんでした。

 私はあからさまに嫌な顔をして振り返ります。

 侍従を連れた〈神后〉猊下が、それはそれは愉快げに微笑んでおられました。


「……猊下……」

「興を削ぐようなことを言うな。たまには娯楽も必要だろう」


 娯楽、大いに結構。ただし自分をネタにされるとなれば話は別です。

 頭を抱えたい気分になりながら、低い声で返しました。


「……わかりました。どうぞお好きになさってください、私は一切関与しませんから」

「何だ、つれぬことを。私が我慢しようというのに、よもやそなたまで見に行かぬとは言うまいな?」


 猊下がご臨席となれば、決闘にお墨付きを与えるようなものです。

 前半のご判断はありがたいのですが、後者はまったくもって理解出来ません。


「……行きませんよ。勝手にやってるんですから知ったことではありません」

「仕様のない奴だ。ならば勝者には私から褒美を取らせよう。どれ、娘でもくれてやるか」

「猊下!」


 思わず声を荒げました。ダイカ卿が驚いたように目を丸くしますが、それどころではありません。

 この方はやります。やるといったら本気でやります。

 私は猊下を睨めつけ、唸るように言いました。


「……わかりました。行けばいいんですね……!」


 鈴を転がすような笑い声が、今はともかく憎々しい。

 ――艶やかなその笑みに私が勝てたことなど、ただの一度もないのです。

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