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「どんなもんよ、ギー! さあ賞賛なさい!」




 引っ張ってこられたのは、どうやら仕立て屋のようでした。

 軽やかなベルの音を立てて開いた扉の向こうには色とりどりのドレスが。その中央で左手にマチ山をはめた女性が振り返り、ギーを見て顔を輝かせました。


「遅かったじゃない、ギー!」


 癖の強い見事な銀髪は肩で切りそろえられており、飾り気のなさがかえって彼女を生き生きとみせます。

 張った胸と細い腰。艶めかしいそのスタイルとは対象的に、快活な笑顔の女性でした。

 衛兵は影の薄いウォルを除いて店外に控えているとはいえ、ずいぶんと親しげです。彼女はつかつかと私たちの前に歩み寄り、華奢な腕を組んでギーを見上げました。


「待ちくたびれちゃったわ。早く見せたくてうずうずしてたのに。どうせあちこちで捕まってたんでしょ」

「いろいろ面白かったぞ。皆良くやってくれてる」

「あんたが頑張った結果よ。誇りなさい。……で、そちらが例のお姫様?」

「お姫様?」


 わざわざ振り返って私に訊かないでください。

 ギーのきょとんとした顔からして、素性を話しているわけではないでしょう。おまけに姫という呼称には微妙な抵抗感があるもので、私は眉根を寄せて彼女に返しました。


「……いえ、ただの神官ですが」

「あはは! やだなー、そういう意味じゃないってば。もしかして何にも聞いてない?」

「何をですか。ひたすら嫌な予感がするんですが」

「あーそっか、了解了解。うんわかった。じゃあギー、ちょっとお借りするわね」

「わっ」


 彼女はギーに手を振って、私の背中をぐいぐいと押しました。

 そのままフィッティングルームに押し込まれ、私は声を上げます。


「ちょ、ちょっと待ってください。一体何ですか!」

「またまた、わかってるでしょーここまで来たら」


 わかりますよ、仕立て屋ですからね! でもわかりたくない!

 何を考えているのかと頭痛にこめかみを押さえた私は、彼女がにこにこと手にした物に、顔を引きつらせました。


「はーい後ろ向いて手ぇ上げてー」

「……何ですかそれ」

「何ってコルセット」

「なぜそんな前時代の遺物が!」

「あらやだ今の最先端よ。流行は巡るものだもの。さー締めるよー」


 ああそうか、生活水準が上がって美的感覚の変化が起きたわけですね。豊かさの象徴ですか。もっと違うところで発揮してもらえませんか。

 とっさに頭がそんなことを考えましたが、ぐいぐいと上半身を締め上げられて思考が途切れました。思わず苦悶の声が漏れます。まさに鳥を絞めるような声でした。


「無理! 内臓出ますよ!」

「出ない出ない。ほら息止めてー」

「そのまま息の根が止まりそうなんですが……!」


 こちらの言い分をあっさり聞き流すマイペースさは、どこかギーに通じるものがあります。まさか血縁ですか。獅子王の落とし胤ですか。そんな訳はないと知りつつも悪態をつきたくなります。

 編み紐を締め終え、寄せて上げた胸をなんの遠慮もなく整えて、彼女は無駄にいい笑顔で額の汗を拭いました。

「うん、いい感じ! じゃあ次ドレスね。見てよこの力作を!」


 言って彼女が示したドレスの、鮮やかな色彩に、私は思わず言葉を失いました。

 赤です。それも真紅と言えるほどの深い赤。

 ざっくばらんな口調とは裏腹に仕立ては見事なものです。ほんの僅かな黒いレースが雰囲気とラインを引き締めてみせますが――派手です。なんだかもう力の限り。

 ……これ、確実に似合いませんよ……! サキや猊下のような華やか美人なら素晴らしく着こなせるでしょうが、どう考えても私には無理です。


「その分だと普段は白とか青くらいしかないでしょ? いっそこーゆーのもイケると思うのよねー」

「いや、着る人間を見て考えましょうよ。悲惨ですよこれ……」

「だぁーいじょうぶ! どうにでもなるなる」


 自信たっぷりに言い切って、彼女はてきぱきとドレスを着付けにかかります。

 コルセットで消耗しきった私に、もはや抵抗の気力は残っていません。ぐったりとなすがままです。もうどうにでもしてください。


「いやー、しっかし驚いたわ。あのギーがねぇ」

「……楽しそうですが何か誤解があるような気がひしひしとします」

「だぁって! 気に入った女を着飾らせたいなんて、普通の男みたいなこと言ったのよ?」


 それ、正確に再現したらもうちょっとニュアンスの違う台詞なんじゃないでしょうか。

 にやにやと性質のあまりよろしくない笑顔を浮かべる彼女は、美人ですがあまりそれを感じさせない個性の持ち主のようです。


「……そういえば、採寸はどうしたんですか?」

「寸法だけ横流ししてもらった。城で一回やったでしょ?」

「ああ」


 そういえば、猊下のご命令で一着は仕立ててこなければならなかったのです。

 しかし同業者に情報を渡すとは……ちょっと考えにくいのですが、まあギーが間にいると考えれば何となく納得がいく気もします。


「よしばっちり。あと手袋ねー」


 ぽんと無造作に渡された手袋も、当然ながら同色の赤。繊細なレースを重ねた美しい意匠でした。

 素晴らしい腕ですね。猊下に献上してもおかしくない程の出来です。これで、着るのが私でなければ素直に褒めるのですが。

 全体を眺めた彼女が満足顔で肯いていたのが、救いと言えば救いでしょうか。とりあえず微妙な顔をされなかったので。

 すでに立っているだけで疲れていたのですが、まだ化粧が終わっていないからと笑顔で釘を刺されました。……帰りたいです。心から。


「女なんてねー、化粧次第でどうとでもなるもんなんだから。あとは気持ち! まあ任せてみなさいって!」


 景気よく請け負った彼女は、楽しそうに鼻歌まで歌いながら化粧道具を駆使して顔を撫でていきます。

 式典の際には徹底した化粧を施されますから、まあ苦手ではありますが慣れもあります。

 しかしずいぶん時間がかかったもので、途中で眠くなってきました。


「ハイ完成。うん、我ながらいい出来!」


 言われて目を開けると、彼女がうきうきと壁の大鏡を示しました。

 ……あれ、案外浮いてない。

 ドレスはやはり派手ですが、思ったよりもみっともない感じはありません。絞った腰からすらりと広がるドレープの少ないラインが綺麗で、華やかでありながらどこか硬質さのある雰囲気です。

 化粧もそれなりに色を載せていますが、顔立ちが劇的に変わったというよりは、衣装の華やかさと色合いになじむような細工をしたといった印象でした。眦の赤が目を引きます。

 うん、悪くないです。ちょっと嬉しい。


「さ、見せに行こ!」


 まじまじと自分の姿を眺めた私に、彼女は得意げに笑みを深めて腕を引きました。

 さすがに見せないわけにはいかないでしょうが……正直、気が進みません。何を言われるか想像がつかないというか、多分ろくなことを言わない気がします。

 そんな私の気鬱など構いつけもせず、彼女は意気揚々と扉を開きました。


「どんなもんよ、ギー! さあ賞賛なさい!」


 日のあたる店内で暇そうにデザイン画をめくっていたギーは、着飾った私の姿を見て、軽く目を瞠りました。


「いいな。面白い」


 放たれた言葉に、空気が凍りついたのは言うまでもありません。

 ややあって、仕立て屋の彼女が髪を掻き毟りました。


「……それ褒めてない! あんたは一体どこまであんたなの!?」

「褒めてるつもりだ」

「くそう見せびらかしがいがない。自慢できない。このまま街を連れ歩こうかしら……!」


 それは勘弁していただきたいところです。

 爪を噛まんばかりに悔しがる彼女から距離を取り、私はため息を吐いてギーを見ました。

 案の定です。まったく、フィフィナ姫はこの王子のどのあたりに惚れたんでしょう。


「もう少し語彙を増やした方がいいと思いますよ。お世辞の一つも言えなくてどうするんです」

「世辞じゃないぞ。色っぽい」


 唐突にこぼれでた言葉に、絶句してしまいました。

 固まった私はさぞかし隙だらけだったのでしょう。軽く結い上げただけの髪を、ギーは楽しそうな顔で一房つまみ上げました。

 ――不意打ちです。というか、そんな褒め言葉は生まれてこのかた聞いたことがないんですが。下手すると不敬なんじゃないでしょうか。


「んもー、ギー! 最初からそっちを言いなさいよ! びっくりしたわよ!」

「そうか?」

「でもいい、合格。ぎりぎり及第点。一応許す」


 腕組みで尊大に言い放ち、彼女はふと、いたずらめいた笑みを浮かべました。

 ギーの服をつまんでちょいちょいと引っ張り、私から少し引き離してから、ギーになにやら耳打ちをします。

 ひどく面白そうな顔になったギーが、彼女に耳打ちを返しました。

 彼女は大きな目をまん丸にすると、笑い声を弾けさせてギーの腕を叩きます。

 ……仲がいいですね。

 コルセットのせいか、妙に息苦しいです。思ったより似合っていたのは少しばかり嬉しかったのですが、早いところ脱いでしまいたい。

 ため息を付いて、私はふとした気付きに顔をしかめました。

 よくよく考えたら、ギーが政略結婚をしないとなると、市井の女性を選ぶ可能性もあるのです。

 普通であれば出会わないような相手であっても、あちこち出歩いているこの王子様からすれば十分に考えられるわけで。

 なんでしょう。なんだかちょっと、面白くないかもしれません。

 ……いや、別に誰でもいいといえばいいんですけどね。平和な国ですし。

 ですが次の王となるのは、他でもないギーなのです。奔放さやてらいのなさは彼の美点とも言えるのでしょうが、うまく国を治めるには、王妃はしっかりした人を選んで欲しいような気がします。

 ギーの無茶を包み込めるような、度量と手腕のある女性。

 強さとしなやかさ、優しさと矜持。そんなものを兼ね備えた王妃を迎え入れたなら、多分この国は当分安泰でしょう。

 今脳裏に浮かぶのは、一人だけです。


(……もう、いいか)


 内心でそう呟くと、気が楽になった気がしました。

 そう、本当ならどちらでもいいのです。どうしてもすっきりできないのなら、いっそ自分の好きにすればいい。言い訳は立ちます。


 とりあえず嫌そうな顔をされるだろうと想像しながら、私は一人笑いました。

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