「猊下、隠し子でもお持ちでしたか」
「アヤリ。そなた、ラクイラに行って見合いをしておいで」
玉座の上から投げかけられた言葉に、私は目を瞬きました。
けだるげに肘をついてこちらを見下ろすのは、絶世の美女と名高い当代の〈神后〉、ツクヨ猊下です。
皇国クレオンブロトスの統治者であり、私の母でもある方なのですが、その美貌は年を経るごとに威を増すばかり。西の美女と名高いボトリー王妃のような年齢不詳の妖しさとは趣が異なるものの、負けずとも劣らずといったところです。主に、得体のしれなさという点で。
ともあれ、今は私の話です。
私は目を丸くしたまま、猊下におたずねしました。
「猊下、隠し子でもお持ちでしたか?」
「……参考までに聞くが、どんな発想でその発言になった」
「いえ、てっきり私が位を継ぐものだと思っていましたので。状勢を考えれば皇配は諸国の王侯より神殿内の人間から選ぶのが望ましいかと思いますし、これは私を嫁にやっていい状況になったのだろうかと」
つらつらと正直に答えたところ、猊下は面倒そうに黒曜石の目を伏せられました。
長い睫が美しい貌に影を落とします。
上質の絹のような光沢をもつ黒髪、滑らかな白い肌。色合いだけなら私も同じものを授かっているわけですが、纏う人間が異なるだけでこうも違うものです。どこから出てくるんでしょう、この色気。私が子供扱いされてしまうのもむべなることだと思うのです。
猊下の少女時代はどうだったのかなどと考えてはいけません。比べるだけ無駄なので。
「いらぬ気を回しすぎだ。父が聞けば泣くぞ」
「あ、そうですね。父上にはどうぞご内密に」
ぷっくりした頬を滂沱の涙で濡らす父の顔が想像できたので、私は素直に非を認めました。
わが父ながら、海千山千の狐と狸の巣窟である神殿で生き抜くにはあまりにも朴訥とした方です。もっとも猊下はそこをお気に召されたそうなので、つくづく人生というものは何がどう転ぶかわからないものですが。
しかし本音を言ってしまうと、ちょっとわくわくしてしまったのは秘密です。これまで政敵こそあれど、私の地位を脅かすものは存在しなかったわけですから。継承争いになるなら面白そうだなと思ってしまいました。さすがに、こちらは口にいたしませんが。
「それで、猊下。どのようなご貴慮でしょう?」
ラクイラは周辺国こそきなくさい感じですが、ほどよく豊かでほどよく平穏な国です。
つまり、取るに足らない相手だということでもあります。姻戚とするメリットらしきものは特に見当たりません。
私が首をひねっていると、猊下の侍従が銀の盆をスッと差し出しました。猊下は優雅な手つきでそこから書状を摘み上げます。
「ラクイラの王妃が泣きついてきた。ちょうどそなたを南方にやるところだからな。ついでになら片付けてやらぬでもない」
「……ああ、なるほど……」
思わず納得してしまいます。父と似たような、人の良さがにじみ出た王妃の顔を脳裏に描きました。要はくだんの王妃、猊下のお気に入りなのです。
受け取った書状からは、かすかに花の香が感じられました。
穏やかに時候の挨拶から始まったその書状を掻い摘んで説明すると、要は、愛息子であるギルバート王子が、隣国から意に添わない縁談を組まされそうになっているとのことでした。
……どうなんでしょう、これ。
意に添わないも何もないと思うのですが。国にとって益があるなら受ければいいでしょうし、そうでないなら断ればいいだけのことです。こういうのを平和ボケというんでしょうか。
まあ、ボケていられるほど平和だというのは、ある意味いいことなのかもしれません。
「何も正式な席を設けるでもないからな。気に入らねば何も答えず戻ればよい。そなたが行くだけで、牽制にはなろうよ」
「はあ……。ともかく私はラクイラに寄って、王子とお会いして来ればいいわけですね」
「そうなるな。まあ、面倒ごとのついでだ。あそこは水も食事も旨いし、いい国だよ。しばらく羽を伸ばしておいで」
穏やかに細められた目は、母としてのそれでした。あまり猊下にはお似合いでない表情で、少しばかり面映く思います。
私は苦笑して一礼し、出立の準備をすべく踵を返しました。
そこへ、思い出したような猊下の声が追ってきて、思わず白い絨毯に蹴躓きそうになったのですが。
「ああ、そうだ。ラクイラの王子だがな。気に入ったら持ち帰ってきてもいいぞ」
「いやいやいや。それはないですよ……」
「そうか? 私としては、そうなれば面白いと思っているのだが」
「いやです。もったいぶります。私に得なことが全然ありませんよ、猊下」
なにせ私のモットーは深謀遠慮。自分が持つ中で一番大きなカードが〈皇配〉、つまりは私の夫となる地位なのです。よくよく見極めて切らなければもったいないカードです。
父似の私には、猊下のような美貌も神威もありません。その分だけ努力は必要ですし、努力しているつもりです。――ですがまあ、陰謀とか計略とか情報操作とかそういったものは大好きなので、割とうきうき日々を過ごしているのですが。
くつくつと笑い、猊下は仰いました。
「土産話を楽しみにしているぞ。せいぜい派手にやってこい」