66頁 人には言えない初稽古。
翌日。昨日と同じくマスクをつけて俯きながら登校する。
道路の脇に引かれている白線が視界に入ると、その白線を踏み外さないようにバランスを取りながら歩く。
「何トボトボ歩いてんのよ?」
後ろから聞こえたその声は1日振りのビッチの声。
振り向かずとも声質だけで小生意気な性格が手に取るように分かる。
塩野聖子は俺に声を掛けると、俺の横へと並んで歩く。
「おっはよ、瑠璃子」
「……」
「ちょっと何よ! 一人で寂しそうにしてたから声かけたげたのに、挨拶もナシ?」
「あ、ごめん。歩くのに集中してた」
「はぁ?」
白線の上を歩く謎のゲームを放棄して、隣に並んだ塩野の顔を見上げる。
塩野の身長も決して高い方じゃないけど、それでも俺より一回り身長が高いので自然と上から目線で見降ろされる構図になってしまうのがもの悲しい。
俺の身長は中学になって以降はずっと伸び悩み、ほとんどのヤツから3年間こんな風に見降ろされてきたから、慣れていると言えばいるんだけど、それでも隣にいる塩野から見下ろされると、なんか対抗したくなってくる。
うーむ。身長がダメなら胸の大きさで……って一瞬思ったけど、丁度俺の目の高さの位置に塩野の「きょぬー」がででん! とこれ見よがしと盛り上がってるのを見ると、それだけで俺は謎の敗北感に包まれてしまった……。
顔文字で表すならまさに「(´・ω・`)ショボーン」って感じだ。
「歩くのに集中って、何なのよ?」
「えっと、こうして白線を踏み外さないようにって……」
「小学生かっ!」
反応速度、リアクション共にいいツッコミだ。このビッチ、なかなかいいモノもってやがる。
まぁ確かに小学生みたいなことしてたな俺。けれど、そうしてしまうのも仕方がないんだ。
ほら、こうやって横顔が見えないように髪を垂らして隠そうとするとさ、どうしても俯いちゃうだろ? しかもそこに白線が引かれてたら、ついつい踏み外さないように歩きたくなるのが人間の習性ってもんでしょ。
世界中の99.99%の男が、可愛い女の子をスカートの中をついつい覗いてしまうのと同じく、ヒトという生き物は道路脇に白線があったら、ついついその上を歩いてしまうんだ。
ああ、そう言えば小学生の頃、どこかで拾った小石を蹴り飛ばして、ゴルフみたいに白線の上から落ちないようにする遊びとかしてたっけ。
そんでもって小石を蹴ろうとしたときに、つま先を地面にガッと引っかけてたら友達にゲラゲラと笑われたりもしたよな。あの時は「ふん、地球という小石を蹴っただけだ」とクールに強がって見せたんだんだけど、言動といい行動といい、やってる事があの頃と殆ど同じでまったく成長していない。
だからこそ思う。
やっぱり性格ってのは、女になった程度じゃ早々変わったりなんかしないんだな、って……。
「小学生じゃないし。中学生だもん!」
塩野の「小学生かっ!」というツッコミに、「うるせぇビッチ!」と素で答えるとのもどうかと思って、もう少し女の子らしく答えてみたものの、実際口に出してみれば「やっぱり小学生じゃねーか!」と、脳内でセルフツッコミが炸裂した。
自分で言った一言で自爆した俺は、脳内でガックリと項垂れる。文字で表すならまさに「orz」って感じだ。
「知ってるわよ、一応、同い年でしょ?」
一応とか言うな。
「同い年? 塩野さんの誕生日っていつなの?」
「1月14日よ。って、あっ……」
自慢げに言った直後、塩野はすぐに自らの失態に気付いたらしい。
しかし俺が塩野の脆弱なパーソナル・セキュリティー・ホールを見逃すわけがない。
「ふっ……」
「な、なによ?」
俺は勝ち誇ったドヤ顔で塩野を見上げると、塩野は不安そうに動揺した。
「ふーん、塩野さんって私より年下なんだぁー」
ニヤリと笑いながら、わざとらしい煽り口調で、必死に優位に立ってるぞアピールをする俺。たぶん今の俺、すっごいウザいと思う。
だが、俺の煽り口調に塩野は「うっ……」とさらに狼狽する。
「あ、あんたの誕生日はいつよ?」
「聞きたい?」
「い、いいから教えなさいよっ! 鬱陶しいわねっ!」
「しょうがないなぁー。特別に教えてあげるわ、年下さん、私の誕生日は12月24日だよ」
勝った……完勝だ。
これで俺の方が1歳年上だと確定した。
はっ! 所詮、胸の大きさぐらいしか自慢するものがない女なんてこの程度というものだ。大体、年下のクセにこの俺を上から見下ろすだけで不敬罪もいいとこなんだぞ?
まったく、最近の若いヤツには分からないかも知れないが、そもそも日本って国は年功序列社会だから、年長者に歯向かうと無条件で処刑される国なんだよ。最近の若いもんはそのあたりの意識が全然足りないから扱いづらくて困る。
「なんだ、アタシよりBBAじゃん!」
「なんか言った? 塩野さん」
平気な顔をして日本の女性の9割以上を敵に回す発言をする塩野。無論、その9割の中にはほんの数日だけ年上の俺も含まれている。
非常に残念だが、明日の塩野は、すれ違う女性達から長ネギで理不尽に打たれて、顔をパンパンに腫らしたまま登校することになるだろう。
「べ、別に何も言ってないわよっ!」
あーはいはい、と面倒くさそな顔をして言うビッチ。
「そっか」
しかし、先の塩野の問題発言をここで問い詰めたって、十中八九ロクな結果にならないだろうから、あえてここは追及せずに話題を変えてみる。
「でも、私より年下なんだったら『塩野さん』って呼び方はなんか堅っ苦しいよね。……そだ! 『聖子ちゃん』って呼んでいいかな? 聖子ちゃん!」
「もう呼んでるじゃない!」
「ダメかな?」
「ダメって言ったら?」
「しょうがないから『塩』って呼ぶことにする。それかアメリカ弁で『Salt』って呼ぶ」
ちなみに誰かに「なんで塩って呼ぶの?」と聞かれたら、聖子ちゃんに塩対応されたからと笑顔で言い振らす予定だ。
「それはやめて。ていうかアメリカ弁って何よそれ……。あと、もしそんなヘンな呼び方しだら、昨日の事、見たまま全部みんなに言いふらすわよ?」
「昨日の事?」
自慢げなドヤ顔で俺を見下す塩野。コロコロと表情が変わるな。
ていうか、昨日の事ってなんだ……? な、何の事だ?
お、おいビッチの野郎、てめーはいったいどんな反撃材料をもってやがるんだ!?
「そうよ。あんた昨日の帰り、あたしをほったらかしにして村神さんとどっか行ったでしょ? その事よ」
なんだ、そんな事か。……って、えっ!?
「げっ……。村神さんの事知ってるんだ」
「知ってるわよ、それぐらい! この前だってあたし、《七色座》のオーディションで村神さんを見たばっかりなんだからっ! つーか、それ以前に村神さん知らないとかありえないでしょ?」
「そ、そんなに有名なんだ」
「うん、超有名よ。知らない方がおかしいし」
余計なもの見やがって、ちくしょう。
てかあの人、結構な有名人だったのか……。
「ま、あんたがどれだけ否定しようが隠そうが、あんたは絶対《七色座》の一員で間違いないんだって! そこんトコさ、もう素直に認めちゃったらどうよ?」
「あーいやいやいやいや! じ、実は私、七色座の大株主なんだー」
「苦しいわねぇー」
ちっ……。ダメか。
大株主は自分じゃなくて、知り合いのおじいちゃんにでもしとけばよかった。
「あ……いやいやいやいや、い、今のは冗談で、本当はさ、昨日偶然にも都会で大流行してる幼女の誘拐事件に遭ってさ……。で、えーと、ムラカメさんってダレ? なんの話かなー?」
あかん。もうボロボロだ……。
しかし諦めなけば試合は終了しない。
サッカーだってアディショナルタイムに入っても、審判が試合終了の笛を吹かずに続行する気満々だったら、試合はずっと続くだろ? それとおんなじ理屈で試合は続行だ。不正は無かった。
「今さらとぼけてもう遅いわよ瑠璃子。てか幼女の誘拐事件なんて流行してないし、さらに言えば、村神さんが昨日の『練習』の事を全部ブログに洗いざらい書いてたから、実はあんたの事だって丸わかりなのよねー」
「えっ!? マジで?」
「うん、あんたの事も書いてたし、結構なコメント数ついてたわよ?」
「マ、マジかよ……」
七色座のことは一切言うなというのは、いったい何だったんだ……。
内情ダダ漏れじゃねーか!
不安そうにする俺を見て、聖子ちゃんの顔が徐々に綻んでいく。
「プッ! 嘘よ、そんなの書いてないわよ! 書くわけないじゃん! ていうか瑠璃子って意外と騙されやすい方?」
「なっ……」
「分かりやすいわねー。図星って顔してるわよ」
「ううっ……」
「なるほどね。こんなんじゃ確かに緘口令も敷かれるわね。こーんなお間抜けなうっかりさんじゃ、アタシでも緘口令発動しちゃうわ、うふふふふっ!」
「な、な、ななな」
ちくしょう、やられたっ!
動揺を抑え、即座に「なんだって?」と誤魔化そうとしたけど、そもそもその言葉のチョイス自体が誤魔化すのに不適格な言葉だと気付くと、その後に続く言葉が何一つ出なかった。
「いやぁー、でもでもそっかぁー。瑠璃子、あんたって意外とオモシロいわねー! その捻くれた顔もなかなか可愛いし」
か、可愛くなんかねーよ!
ていうか瑠璃子って呼ぶな塩。玄関に撒いてやろうか?
「でさ瑠璃子、昨日、村神さんが言ってた『舞台の特訓』って、どんなだったのよ?」
「はぁ……。そう聞かれてもねぇ……」
死んだ魚の目で遠くを見つめる俺。
「いいから教えなさいよねっ! でないとアンタの事、言いふらすわよ?」
昨日の練習風景が頭の中に駆け巡る……。
◇ ◇ ◇
「駄目ね。やり直し」
紫色のピチピチのタンクトップにスポーツタイツを身に纏った鎌田さんが『パンッ!』と手を叩いて俺達の演技を中断した。
まただ。これで何回目の『やり直し』だろう。
もう何がダメなのか分からなくなってきた……ゲシュタルト崩壊ってヤツ?
「んー、なんか瑠璃ちゃん、どんどんロボットみたいになってるよー?」
舞台下から俺達の練習風景を眺めていた天才小役の蓮人くんが呆れ気味に言った。
いつもニコニコしている蓮人君のその素気無い反応に、俺の自信はもうボロボロだ。経験値0のバックボーン無き『自信』がこれほどまで脆いとは……と実感させられる。
………
……
…
昨日、拉致同然に村神さんに連れて行かれたのは、事務所の隣にある七色座の練習スタジオだ。数日前に例の『舞台発表会』があった因縁の場所だ。
ちなみにあの日の記者会見の後、このスタジオでマスコミ相手に公開練習が行われたらしいけど、たぶんその頃の俺は村神さんの車の中でジャージに着替えさせられていたか、あるいは多摩川で村神さんにコキ使われていたはず……。まぁそれはどうでもいいか。
ともあれ、あの日以降連日続く過酷な練習で、俺の身体は全身筋肉痛状態で悲鳴をあげていた。だから今日の練習は「身体を休めつつ舞台の見学」って話だった。
……はずなのに。
俺と村神さんと水無瀬さんの3人が練習スタジオに到着すると、丁度、舞台『エターナル・スフィア・オンライン』の立ち稽古がひと段落ついて、休憩時間に入ったところだった。
しかしその休憩時間中に、この前の例の発表会の話が妙に盛り上がると、どういう訳か俺はみんなの前で『練習』をさせられる羽目になってしまった……。
昔の格闘漫画で「見ることも戦いだ……」なんていうカッコいいセリフがあったけど、ありゃあ大嘘だ。
戦場に誰もいなくなると、次にターゲットにされるのは、ぼーっとしている鈍感な傍観者なのだ。
そう、つまりは時すでに時間切れ、一瞬の油断が命取りってやつだ。
そうして俺は、未だ役者のイロハも知らないまま、村神さんに「とりあえずやってみろ」と面白半分に舞台の上に叩き出されると、「またまた御冗談をー」とヘラヘラと笑いながら否定する暇もなく、俺はおずおずと素人丸出しで舞台に立つ。
練習スタジオの舞台の上に立つと、とある異変に気付いた。
床が観客席側に向かってすこし斜めに傾いている……。
足場が水平じゃないから、なんだか全然落ち着かない。
ちなみに後でその傾いた床について聞いてみたら、床が傾斜しているのは観客席から見やすいようにワザと傾けているとかで。なるほどな……そういう仕掛けになっていたのか。
とはいえ、こんなところにずっと立ってると、ビー玉でも転がして報道番組で稀に取り上げられる欠陥住宅検査ごっこでもしたくなってくる。
そして、この妙に傾いた舞台の上でやらされる『練習』ってのが、休憩中にどこからともなく沸き上がった《即興劇》による練習だ。
しかし、素人同然の俺にとって、それはもう無茶振り過ぎるのもいいとこだ。
どれぐらい無茶ぶりなのかを例えるとするなら、機関銃が備え付けられたソ連のナントカ高地の要塞に、竹やりで1本で突撃しろと命令されるぐらいの無茶振り。つまりは死刑宣告、それも公開処刑だ。ついでに逃げたら後ろから味方に撃たれて死ぬ。
練習スタジオと言っても、七色座の練習スタジオは本物の舞台と同じように舞台と客席側とで段差があって、観客席側には折り畳み可能な簡易テーブルとイスが、カフェテラスやディナーショーの観客席のように点々と置いてある。
だから、この舞台の上で練習するとなると、その点々とした座席から十字砲火に晒されるが如く、一斉に視線を浴びることとなり、こんなところで羞恥プレイなんかやらされたら、もう死ぬ以外に道はなくなる。
なお、今回ここで演じさせられる即興劇の内容は、オカマの鎌田さんがその場のノリで考案した現代劇。
ついでに監督役も鎌田さんで、彼(?)はノリノリで引き受けていた。
休憩時間中だから役割もフリーダム。
しかし、そういう監督的役割は、たとえおふざけ半分の余興みたいな練習であっても、絶対に奈良屋さんがやるべきだと思ってたけど、今日も奈良屋さんの姿はどこにも見当たらない……。
「それじゃ水無瀬くーん、瑠璃ちゃんの相手したげて。そう! 彼氏役よ。……えっ? ……そうそう! ……ええ! 遅刻した罰だから真面目にやんなさい! あとセクハラは厳禁よ」
鎌田さんと水無瀬さんとのやり取りが終わると、鎌田さんは水無瀬さんにディープな投げキッスを飛ばす。
水無瀬さんはその投げキッスを完全にスルーして舞台に上がると、俺と向き合うように立った。
「やれやれ……」
めんどくさそうな態度で愚痴っぽく吐き出す水無瀬さん。だが、そんな気だるげな態度も、イケメン補正がかかると絵になるのが腹立たしい。
ごく普通の女子中高生だったら、たぶんこのシチュエーションでギャーギャーと雌猿のように、喚きながら喜びのダンスでも踊るんだろうか。
けれど、この前まで男だった俺には、当然そのような歓喜の情が沸き上がることもなく、また、舞台の上だというのに、これから練習が始まると思うと不思議と緊張しなかった。
と言うか、これからやらされる現代劇にウンザリしているというか、呆れているというか、諦めているというか……。どうにも冷めた気分が緊張を上回ってしまう。
それにしても、見学だけでいいと気楽に言われたのに、実際こうして練習させられるなんて……。これじゃまるでブラック企業じゃないか。
役者が持つべきサービス精神やらショーマンシップなんてものは、疲れた身体の前には一瞬で干からびる。あぁマジ面倒くせぇ。
何ていうか、休日に「会社に出てこいよ、社畜野郎」と上から理不尽に呼び出されるサラリーマンの悲哀みたいなものをひしひしと感じる。
しかし、まさかこの歳でそんな思いを味わうとは夢にも思わなかったぜ。
だから大人になんかなりたくねーんだよ、ちくしょう。
「はぁ……せっかくのお休みが」
「まぁまぁ瑠璃ちゃん、お稽古でもちゃんとお給料でるから頑張んなさいよね!」
ふと大きなため息と小言が漏れると、それを聞いた鎌田さんがとても現金な励ましの言葉を俺に投げつけた。
「えっ? 本当?」
「ええ、本当よ。喜びなさい」
なんだなんだ、それをなら話は別だ!
休みの日に練習だと? 返事は「いいですとも!」に決まってんだろうが!
俺、この仕事が終わってお給料が入ったら、あこがれのスマホを買うんだ……。
………
……
…
今回の即興現代劇の内容を一言で言うと『浮気した彼氏を追及する彼女』。
要は修羅場シーンを即興で演じるだけだ。
目の前にいるロンゲのぼっちアイドルこと水無瀬拓耶が俺の彼氏役で、水無瀬があの手この手で浮気バレを誤魔化しまくるのを、彼女役である俺がとにかくとことん問い詰めるシリアスなシーン。
……ってのが、鎌田監督からのオーダー。
ちなみに決まっているのはこの簡単な設定のみで、中身のセリフは何一つ決まってはいない。
つまり、内容は全てアドリブで演じなくてはいけない。
てかこれ、難易度高くないか?
──Take 1──
鎌田さんがカチンコ(映画撮影等でカット! と鳴らす拍子木)代わりに「パンッ!」と手を叩く。
とにかく俺にとって初の舞台練習だ。
右も左もわからないけど、給料出ている以上は自分なりに全力で演じてみようと思う。
なに大丈夫大丈夫、平気だって! これでも俺は度胸には結構自信があるんだぜ提督。
初めてだからと言って、遅れをとったりするもんですかい!
彼氏の浮気が発覚した状態でスタートなんだから、やはり彼女である俺はとにかく怒りに任せてヒステリックに責め立てるのが王道かな?
さてさて、俺の地獄の質問攻撃に、ぼっちでコミュ障こじらせてるの水無瀬さんは、いったいどう誤魔化すんだろうか……。
ぐへへへ、ちょっと楽しみになってきだぞ。
「すまん瑠璃……。お前の他に好きな子が出来た。別れてくれ」
「……えっ?」
ちょっ! そっちが先に浮気の自白して来んのかよっ!
てか話が違うだろ!?
俺の鋭い詰問に、のらりくらり、あーだこーだと必死に誤魔化すんじゃねーのかよっ!?
ち、ちくしょうっ! しょっぱなから想定外すぎんぞ!
いや待て待て待て、落ち着け、落ち着け俺。
この程度で慌てんな!
「だ、誰なのよ……その好きな子って」
それっぽい台詞を必死に絞り出す。
おそらく、水無瀬さんの頭の中にある浮気相手の女は年上設定だろう。
俺の見た目が子供みたいに幼いので、なんとなく付き合ったのはいいものの、大人扱いできなくてだんだん関係が拗れ、そしてついには浮気してしまったー、みたいな感じだろうか?
まぁいい、肝心の浮気相手は誰だ?
美人OLか? 看護師か? それとも保育園の先生か?
「七色小学校の4年2組のりんちゃん」
「……は?」
「いや、だから勤務先の4年2組のほしだりんちゃん」
ちょっ!? おまっ!
勤務先って……つまりはロリコン教師設定かよっ!?
マジ、どういう頭の構造してんだよっ!?
「に、2回も言わなくていいからっ!」
「ほしだりんちゃ……」
「しつこいわよっ!」
水無瀬の外見からはとても想像もできない小学生みたいな言い回しに、口に含んでいた牛乳をブーッと吹き出したくなるような感情をひたすら堪え、どうにかリズムよく会話を回すことだけは出来た。
てかなんだこりゃ?
しょっぱなから話の展開が滅茶苦茶だ……。
俺の素のツッコミに、周囲から笑い声が漏れた。
けれど、俺達の即興劇を見ているみんなの反応は悪くないので、これはこれでいい感じな気もする。
しかし、だからと言って、ここで油断しちゃダメだ。
どんな事態が起きようとも、一度舞台の上に立った以上は幕が下りるまではたとえ死んでもその役を演じ続けなくてはいけないと、村神さんに教えられた。
「ていうか、ほ、本気なの? その、ほしだりんちゃんって子に……」
「うむ」
「『うむ』じゃないよっ! あなた……それでも教師なのっ!? 相手は小学生よ!?」
よし、自分でもいい演技ができた気がする。
それに曖昧だった彼氏の職業をきちんと公言してやったぜ。これで水無瀬は不動の変態ロリコン教師役で決まりだ。
さぁ次どう出る?
どういう風に話を繋げるのかな? 変態さん♪
「いや、教師じゃなくて、ずっと銀行に勤務しているんだが……って言ってなかったか?」
「き、聞いてないわよ……。本当は銀行員だったの!?」
「うむ」
ち、ちくしょう、せっかく決めた設定を潰してんじゃねーよっ!
くそっ! くそっ! また想定外だ!
次は一体どんな返しをすりゃいいんだ? どう問い詰めたらいいんだ!? 先が全く読めねぇよ! これじゃただの初見殺しじゃねーか!
「フッ……。こう見えてもボクは《こどもジュニア銀行》の総裁でね、学校の帰りに女子生徒に営業かけるのが日課で……」
な、なんじゃそりゃーーーーー!
………
……
…
「はい、はい、ストップ、ストーップ!!」
鎌田さんがパンッ! と手を叩いてストップをかけた。
観客席側で見ていたみんなは、水無瀬の役者潰しっぷりに大爆笑していて、笑いを必死に堪えていた俺も、ついに堤防が決壊してゲラゲラと笑ってしまった。
「何故だ……どうして止めた? 今のは中々良かったのではないか?」
「ダメダメ! 全然ダメ! 最初っからやり直し!」
真顔で疑問をぶつけてくる水無瀬さんに、鎌田さんは理由も言わずにダメ出しだけをする。
たぶんまともに説明しても全く意味がないという判断をしたんだろう。
まぁそりゃやり直しにもなるわ。こんなの開始時点から無茶苦茶な話でよくもまぁここまで長々と続けられたものだ。
こんな設定からズレまくりの子芝居なんて、ダメダメに決まってる。
それに、今回の暴走は水無瀬さんが事前の話をきちんと聞いていなかったせいだろうから、当然叱られるのは水無瀬さんだよな。
とにかく俺は真面目に取り組んだし、たぶん特に問題もないだろうから堂々としてりゃいい。
「瑠璃ちゃん、あなた自分の目線は意識してた?」
「え……?」
なぜなぜWHY?
予想外にも、最初の指導は水無瀬さんじゃなく俺の方に飛んできた。
てか、目線って……何?
「あらあら、その様子だと意識してなかったみたいねぇー」
「あっ、はい……」
確かに、クスクス笑う周りの人達の様子が気になって、何回かきょろきょろしちゃった気がするけど……。
「さっきのあなたからは、ろくでなしの彼氏を絞め殺そうとするぐらいの、鬼のような気迫が全く伝わってこなかったわ」
んな無茶苦茶な……。
いくらなんでもあんな状況じゃ無理でしょ!?
「す、すみません」
「うん、コメディとしてなら1つの流れとしては十分アリだけど、今回そういうじゃないわよね? 憶えてるかしら? アタシは最初に『シリアスで』って注文したはずよ? だから水無瀬が暴走したら、瑠璃ちゃんはすぐに話を戻してあげなきゃ」
無理。
「あと、話が戻るまで必死に問い詰め続けないとダメ。でないと、元々予定されて展開が変わっちゃって、次に繋げられなくなるわ」
「は、はい」
いや、次って言われてもさ、子芝居だから話の続きなんて元も子も無いだろ……。
……って、そいつはただの言い訳だな。
そもそも俺は鎌田さんが言うように、暴走した水無瀬さんをドゥドゥと宥めて、話の流れを元に戻さなきゃいけなかったんだ。
でも結果は、シリアス路線という大前提に話を運べなかったから、やっぱり俺の実力不足ってやつなんだろうか。
ちくしょう、こんなの難易度高すぎルナティック++だろ!
──Take 2──
1回目の反省も踏まえ、2度目は水無瀬にセリフを言わせないよう先手必勝でヒステリックに叫びながら水無瀬を問い詰めようとしたら、鎌田さんからすぐにストップがかかってしまった……。
そして、鎌田さんから「全く聞き取れないわよ」という、まったく有り難くない一言を頂戴してTake2は一瞬で終ってしまった……。
ちくしょう、先手とって話の主導権を握りたかったのに……。
舞台上でしてはいけない最悪な行為のうちの1つに『聞き取れないセリフを言う事』があるそうだ。
棒演技でも活舌が悪くても、とにかく言ってる事が分かりさえすれば、とりあえずは話を進められる。
けれど、聞き取れない台詞を言ってしまうと、観客全員に今何を言ったのか翻訳させる『作業』を強いることになる。
これは大変失礼なことであり、脳内で台詞の翻訳作業をしている間も、舞台は問答無用で進行するので、翻訳中はストーリーが没頭できなくなり、その結果舞台の評価が落ちるというスパイラルが起きる。
だから七色座では、たとえどんなにヒステリックな演技だろうが、まずは言葉がしっかりと聞こえるようにしないとダメという事らしい。
はっきりした言葉が言えなくても、その時のシーン中の空気や、照明や音響といった言葉に頼らない演出でゴリ押しできなくもないけど、その手を使っうとやはり舞台の質は目に見えて落ちてしまうので、これも苦肉の策だ。
無論、わざと聞き取れない濁したセリフを言うシーンは除くけど、今回はそんな特殊な指定は無いので、やはり演技として単純にダメだって事だ。
ちなみにもう一つ言われたのは『アドリブだからなんでもOK』という事でもなくて、状況に応じた適切なアドリブでないとダメらしい。村神さんからは「怒り方は1つじゃないだろ? もっともっと考えてみろ」と指摘された。
でも頭でアレコレ考えると、また水無瀬さんに先手取られて飛び道具放ってきそうだし、こうしてみんなから色々言われる度に、なんだか正解ってのがどんどん分かんなくなってくる。
……いったい、どうすりゃいいんだ?
──Take 3──
3回目。今度の水無瀬さんは完全に受けに回って、苦虫を嚙み潰したような表情でひたすら浮気を否定しつづけてきた。それに対し俺は、前回と違って静かに、そんでもって激しい怒りを水無瀬にぶつける。
「……それで、27日から29日の間、あなたはどうしてたの?」
「仕事さ」
「嘘言わないで。会社に電話入れて確認したんだから。あなた私に内緒で有給とってたんですってね!」
「ちっ、余計な事を……」
「それにね……。私、……見たんだからっ! あなたが若い女の子と二人で駅前歩いてたとこっ!」
「いや、だからそれも仕事なんだって。仕事の日以外でも男には色々と付き合いってのがあんだよ……」
「それはもう聞き飽きたわよっ!」
「いや、それにさ……」
「それに何よ……」
な、なんだ?
「……あいつは、男だから」
「えっ……?」
来たなトンデモ設定。
意表を突いてまた笑わせに来るつもりか? だがそうは行かねぇぞ!?
「どうやら俺は、男しか愛せなくなったらしい……」
「ふ、ふざけないでよっ! どう見ても女の子だったじゃないっ!」
今の俺にとって、なんか妙に意味深な台詞だな。
しかもそれを自分自身でアドリブで言ってるとか皮肉すぎる。
あ、ダメだ! 今はもっと演技に集中油断し……。
「ふざけてなんかいないっ!!」
「きゃっ!!」
ほんの一瞬油断したスキを突いて、水無瀬が俺の肩を強く押し倒すと、俺の身体は勢いよく突き飛ばされて舞台の上の傾斜のある床の上に押し倒された。
「痛った……」
筋肉痛で全身の筋肉がギシギシと悲鳴をあげると、俺の顔はその痛みで歪んだ。
しかしそれでも水無瀬は演技を止めることなく、その男がどれだけ好きかを必死に語り続ける。
その様子はもはや一人芝居の神域にまで達していて、台本が無いにも関わらず、浮気相手の男への愛の台詞が、次々と紡ぎ出されていく。……でも正直きもちわるい。
「……だから、これは浮気なんかじゃないんだ! 本物の、愛なんだ……」
悲しみで涙声になっている水無瀬が長台詞を言い終える。しかし、さっきまでのイケメンフェイスは涙で濡れに濡れて、情けないほどに崩壊していた。
「……」
………
水無瀬は俺に台詞を求めていたことに気づく。
しかし俺は、身体の痛みのせいで水無瀬の意図を読むことができず、数秒の間ができてしまった。
しまったと思った瞬間、すでに芝居の流れが、ここで完全に止まってしまった事を悟った……。
「はいカット、そこまでね」
鎌田さんが手をパン! と叩いて水無瀬さんの演技を中断した。
「す、すまない。少し強く押しすぎたようだ。……た、立てるか?」
大のイケメン男子が俺を見るや否や、急に照れくさそうにしながら俺に手を差し伸べる。
俺は差し伸べられた水無瀬の手を掴むと、ヨロヨロと立ち上がる。
ちくしょう、身体中が痛い。てか今の演技はマジで凄かった……。
「ごめんなさい水無瀬さん、筋肉痛が酷くて、頭が真っ白になっちゃいました……」
「そ、そうか……悪い事をした。だ、大丈夫か?」
俺を立たせると、水無瀬は照れくさそうに俺の手を離した。
まるでコミュ障が初めて女の子と話したみたいな反応をする水無瀬。
俳優という人種は、スイッチがオフになるだけでここまで雰囲気が変わってしまうものなのかと思うぐらいに、水無瀬の性格の差に驚く。
「あーあ、途中まではよかったんだけどねー」
舞台の下から見ていた蓮人くんが呟いた。
「でもさっすが水無瀬さんよねー、私があんな風にされたら絶対に恋の泥沼に落とされちゃうわよ? ねー蓮人くん、大丈夫なの? このままだと瑠璃ちゃん、水無瀬さんに落とされちゃうわよ?」
癒し系ボイスが武器の若手俳優の風間愛花さんが、からかうように隣にいる蓮人君に言った。
「は、話しかけないでよーっ! 風間さん慣れ慣れしいからキライッ!」
「ありゃー。やっぱり瑠璃ちゃん以外の女の子はダメかー」
蓮人君に袖にされ、だめだこりゃと呆れる愛花さん。そこに村神さんがやってきて、蓮人くんの小さな首に肘を絡ませる。
「おい蓮人ぉ!」
「な、何? 村神のおっさん、臭いって!」
「ガハハハッ! 瑠璃子の演技、どうだった?」
「んー……なんか、思ったのと違う。素人丸出し」
「ガハハハッ! そうか。まぁそんなトコだろうな。でもな、俺様の感想は逆だ」
「えっ?」
「瑠璃子の演技力は俺様が思った以上だった。ちっせぇ身なりだが、毛はボウボウに生えてやがる」
「ちょっ! 何言い出すかと思えば、まーた下ネタですか村上さん! 瑠璃ちゃんや蓮人くん相手に止めてくださいよ!」
「なんだ愛花、おめぇならいいのか?」
「ダーメーでーす!」
「ねーねー村神のおっさん、毛がボウボウってなーに?」
蓮人くんが無邪気に質問した。
「あー……。蓮人君にはまだ早いから……。ほら、村神さんってしゅっちゅう下品な事言うから……」
「ああん? 何言ってやがる愛花、毛ってのはな、心臓の毛の事だよ! 俺様の見立てじゃ、ありゃとんでもねぇ剛毛だぞ? ひょっとしたら瑠璃子のヤツ、大化けに化けるかもしれねぞ?」
「ま、人気と実力は比例しないんですけどねー」
愛花さんがため息交じりにつぶやいたのが印象的だった。
………
……
…
それから何度も「駄目ね。やり直し」を連発させられて、蓮人君には「んー、なんか瑠璃ちゃん、どんどんロボットみたいになってるよー?」とまで言われる始末。
もう駄目だ。
何がダメなのか分からなくなってきた……。ゲシュタルト崩壊ってヤツ?
「瑠璃子、オメェは人のいう事を聞きすぎんだよ。外野の意見を何でもかんでも鵜呑みにしてんじゃねーぞ? つーかだな、他人の雑音なんかいちいち気にしてんじゃねーぞ!」
「は、はいっ!」
「ちょっと待って兄さん、アタシの指導にケチ付ける気?」
「おぅよ! オメェの指導はいちいち細けぇんだよ。瑠璃子は人形じゃねーんだぞ? それに瑠璃子はな、実はあんまり賢くない」
おい。
最後の一言は余計だちくしょう……。
「あら、アタシはそれが瑠璃ちゃんの為になると思って言ったのよ? 言わないと伝わらないでしょ?」
「あーそうじゃなくてだな、瑠璃子にゃアレコレ言わずに、こう、ズバッ! っと一言言やぁそれでいいんだって。あー、分っかんねーかなぁー?」
「なによそれ、さっぱり分かんないわよ……」
そんなこんなで村神さんと鎌田さんとの間で、いつの間にか熱い指導論戦(?)みたいなのが始まると、休憩していた他のキャストの人たちは、二人を放ってそれぞれの役の練習を再開し始める。
水無瀬さんは独り観客席側に戻って、遠くから他の人達の練習風景をじっと見つめるぼっちキャラに戻り、蓮人君は練習の合間に「今の見た見たー? すごいでしょー」と、事ある毎に自信満々に俺のところにやってくるのだった。
なるほど、まったくわからん。
なんだこのカオスな状況は……。これで勉強になるのか?
◇ ◇ ◇
「いいから教えなさいよねっ! でないとアンタの事、言いふらすわよ?」
昨日の『特訓』の事を教えろと塩野が迫る。
しかしそんな事言われたって、あの無茶苦茶すぎる練習風景をとても説明できる気がしない。
けれど、訳もなく俺は昨日の事が脳裏に過っては、一人プッと笑う。
「何よ、何なの!? そのキモい笑い方、まるで水無瀬拓耶みたいですっごい気持ち悪いんだけどー」
かもね。
なんと言っても俺は、あの人気アイドル(?)の水無瀬拓耶に直接練習の相手になってもらったんだから、自然と『きもちわるさ』特性も継承されたの知れない。だから……。
「企業秘密だよ!」
と、俺は聖子ちゃんに笑いながら答えた。




