62頁 契約と特訓と少年と。 後編
男の子に手を引っ張られながら、七色座の事務所へと駆け込んだ俺達。
親しげに俺の名前を呼んだ男の子が一体誰なのかすぐには分からなかったけれど、この子に手を握られたときにマスコミ女の一人が「蓮人君!」と叫んだ瞬間、このどこかで見覚えの男の子の正体が、あの天才小役の《月浦蓮人》本人であるとすぐに悟った。
しかし、ゾンビの群れのようにマスコミ達が後ろからどっと押しかけてくると、俺は蓮人君に手を引っ張られながら、逃げるように事務所内へと転がり込む。
逃げながら一度だけ後ろを振り返ってみると、マスコミ達が近くにいたガードマン達に妨害されているのが一瞬見えたけど、同時にカメラの容赦のないフラッシュが一斉に焚かれたせいで、まだ目がチカチカする。
そして今も「蓮人くーん!」「今の子は誰ですかー?」などといったマスコミお約束のテンプレ取材セリフが事務所の扉越しに何度も何度も聞こえて来る。
「あはははっ! びっくりしたねー!」
月浦蓮人。
目の前にいるこの男の子は、幼い頃からテレビに何度も出演している天才子役タレントだ。
大抵、天才と持て囃された子供は「大人になるとただの人」などとよく皮肉交じりに言われたりするけど、この子の演技力はこの歳にして既に完成されていて、天才と呼ぶに相応しい。
バラエティ番組などで見せる無邪気さと、ドラマの演技とのギャップは凄まじく、定期的にテレビでドラマ撮影の密着取材番組が組まれるほどだ。
数年前に上映された映画「迷宮探偵アーサー」シリーズの実写版映画では、凶悪犯の歪んでいく子供時代を怪演して話題となり、『日本映画記者会賞』の新人賞を獲得したほどだ。
要するに、目の前で無邪気な笑顔を振りまくこの少年は、俺にとっては遥か雲の上の存在っていうワケだ。
しかし当の蓮人くんは、事務所の外から聞こえてくるマスコミの声などまるで日常茶飯事であるかのように全く気にする様子もなく、天井から吊り下げられた液晶テレビに映る七色座の生中継を見ながらニコニコと無邪気に笑っている。
「ここは安全地帯だからもう大丈夫だよ、瑠璃ちゃん!」
「う、うん」
るりちゃん……て。
年下の男の子に女の子扱いされている事に戸惑っていると、蓮人くんは俺の手を握ったまま自分の顔の高さまで持ち上げて、じっーと俺の手の甲を見つめた。
なんだかそのまま手の甲にキスしそうな勢いだ。
「すごいなぁ……。瑠璃ちゃんの手って、すっごく白くて柔らかくてキレイだねー!」
「そ、そうかなぁ?」
適当に生返事を返しながら、天井から吊り下げられた液晶テレビを見ていると、テレビには俺が蓮人くんに連れられて事務所に駆け込む様子が何度もリピートされていた。
俺達が事務所へ逃げ込む場面がここまでしつこくリピートされている理由は、これまで女性に対しては極度に臆病で恥ずかしがり屋な事で有名だった蓮人くんが、信じられないほど女性に対して積極的な行動をとったためだと思われる。
正直俺自身も、この子が女であるこの俺に対して全く物怖じしない様子にかなり戸惑っている。これまでのテレビのイメージから、あまりにもかけ離れているから。
もしかして、俺の正体が見透かされているのだろうか……。
テレビには、さっき通ったエントランスホールが映っていて、レポーターがヘラヘラ笑いながら何か世迷言を言っている。そして中継画面の下には、ネット上のコメントが次々と流されていて、「一緒にいた子は誰なんでしょうか?」「知らない子だけどすごい可愛いかったです!」「お似合いのカップルだと思います」などといった、やたら肯定的な内容だけがひたすら垂れ流しされていた。
まぁ、テレビに流されるネットのコメントなんてものは、「死ね」とか「なにあの女」といった罵詈雑言の類は全てシャットアウトされるものだから、おそらく実際のネット上には、今頃阿鼻叫喚の黒いコメントで埋め尽くされているに違いない。
それにしても困った。
まさかこんなスキャンダラスな形で注目されるとは予想外にも程がある。
「ね、ね、瑠璃ちゃん、好きな人はいるの?」
「え?」
いきなり直球だなおい!
だが、この手の質問には正直に答えないのが大人の対応ってやつだ。
「あ、あのね蓮人くん、どうして私の事知ってるの?」
「え? んとね、奈良のおっさんに教えてもらったんだよ!」
「な、なら……?」
奈良屋さんの事か?
てか『おっさん』って……ああそうか、確かに変装中の奈良屋さんは立派なおっさんだったな。
……ん? 待てよ?
ってことは、この子は奈良屋さんの正体は知らないってことか?
まぁ蓮人くんは七色座の団員じゃなくて別のプロダクション所属の子役タレントだから、知らなくて当然か。
となると逆に、七色座の他の人達は奈良屋さんの正体を知ってたりするのだろうか?
もしも、庶務のひかりさんと熊谷さん以外に誰一人として奈良屋さんの正体を知らないのだったら、ひかりさんが以前言ってた通り奈良屋さんは《剣雪斗》の名声を利用することなく1からこの劇団を作り上げたって事になるんだけど……。
そうなると今度は、奈良屋さんがここまで大きな劇団に育てあげた過程が気になってくるんだけど、その辺も謎だ。何かしら巨大な組織がバックについてるのは間違い無いと思うんだけど。
「あのね、奈良のおっさんがね、今度の舞台に参加してくれるなら本物の瑠璃ちゃんに会わせてあげるよって言ったんだ!」
「そ、そうなんだー」
ちくしょう、奈良屋さんめ……。
どういう経緯でそんな話になったのかちっとも分かんないけど、俺を餌にまさかこんな大物を釣り上げるとはやり方が汚いな。
「だからね、僕、今日はいつもより歯もいっぱい磨いてきたんだよー」
「そっかー、えらいねー」
「うん!」
ニッカリと笑いながらピカピカの白い歯を見せる蓮人くん。
なんかあざといな……。
この子本当に9歳なのか? 精神年齢は4歳ぐらいじゃないのか?
少なくとも俺が9歳の頃は女子のパンツを自然に覗く方法とか必死に考えてたぜ?
ちなみに佑馬は放課後に女子の縦笛を舐……。
「瑠璃ちゃん瑠璃ちゃん! ほらほら見て見てー!」
考え事をしていると、蓮人くん片手で俺の手を握りながらウェストポーチからスマホを取り出して待ち受け画面を自慢げに俺に見せつけた。
「ん? どれどれ?」
蓮人くんのスマホの画面には、どこか見覚えのある夜の公園で一人、一人夜空を眺めている俺の姿が映っていた……。
「あっ……」
これはクリスマス・イヴの例の公園で、帰る前に撮られた写真だ。
けれど、蓮人君のスマホ待ち受け画面に映っている写真は、俺の知ってる写真とは違って、CGで加工が施されていた。
あの公園には無かったはずの眩いスポットライトが浴びせられていて、当日には降っていなかった雪がキラキラと幻想的に降ってる。
なんていうか、まるで映画か何かのポスターみたいで、とても印象的な1枚に仕上がっている。
「ね、可愛いでしょ!」
「うんうん、可愛いねー」
「でしょー!」
否定はしない。実際、俺可愛いし。
「えへへー!」
無垢なニコニコ笑顔で俺を見るめる蓮人くん。
「でも、本物の瑠璃ちゃんはもっともーっと可愛いくて、僕、すっごくドキドキしちゃった……」
「そ、そうなんだ……」
「あ、あのね、僕、瑠璃ちゃんの事が好きなんだ……」
は?
「ダメ?」
「ダメに決まってんだろうが! クソガキが!」
突然、事務所内に置いてある大きなソファーの方からダミ声のおっさんの声が聞こえた。
ここからだとソファーの背もたれしか見えなかったけど、髪も髭もボサボサの、ジャージ姿の男がソファーからムクリと起き上がって、荒々しくこっちにやってきた。
「あっ、村神のおっさん! なんでそんなとこに居るの?」
「おいコラ! 俺様はまだ34だ。おっさんじゃねぇ! お兄さんと呼べ!」
「あれれっ? 村神さんって38歳じゃなかったっけ……」
「おい蓮人、ガキのくせにおめぇ俺様に喧嘩売ってんのか? つかサラッと俺の実年齢言ってんじゃねぇぞコラ!」
村神という男が蓮人君の頭に手を乗せると、ぐしゃぐしゃと髪を乱した。
「えへへー! 村神さんはもうトシなんだから、サバ読むの止めたら?」
「うるせぇ、クソカギがっ! ……にしてもお嬢ちゃんよぉ、女嫌いの蓮人に気に入られるたぁおかしなヤツだなぁ、おい!」
「だって僕、女って嫌いだもん」
だったらいい加減この手を放せ、このキッズめが!
しかし、俺の想いとは反対に、蓮人くんは俺の手をギュッと強く握り絞めるのであった。
「女が嫌ぇなら、さっさとその手を放してやったらどうだ?」
「やだ。瑠璃ちゃんは別だもん! それに瑠璃ちゃんってすっごく優しいんだから! ねー!」
キラキラ笑顔の蓮人くん。
これが世のご婦人方を殲滅する必殺兵器、マダムキラー・スマイル。
「あの……私、蓮人くんとは初対面なんだけど」
「うん! そうだねー!」
「いや、だから初対面だったら優しいとか分かんないでしょ?」
「ううん。瑠璃ちゃんはすっごい優しくて可愛いんだから! それに料理だってすっごい上手なんだよー!」
か、会話がかみ合ってない……。
どうやら蓮人くんの頭の中には、すでに『理想の瑠璃』が完成してるっぽい。中二病もびっくりの脳内設定力だ。そのうち俺みたいに異界の魔力とかに目覚めなければいいけど……。
あ、ちなみに俺は料理なんて大したもの作れないぞ。女子力ってなんだよ? ってレベルだ。
それにしても現実をも捻じ曲げるこの妄想力の逞しさ。
その妄想の対象が俺じゃなければ、あるいは子供らしくて微笑ましくも思えてくるかも知れないけど、妄想のターゲットにされた側からすれば堪ったもんじゃない。
けれど、蓮人くんのこの無邪気さや純粋さが、どこかとても危うく感じてしまうのは、ただの気のせいなんだろうか……?
「あ~ら、蓮人ったらこんなとこにいたのね~♪」
事務所の奥から線の細い紫色の短髪の男が、ファッションショーのモデルみたいに身体をクネクネさせながらこっちにやってきた。
紫の濃い化粧をしたスタイル抜群の男は、蓮人くんに近づくといきなり後ろから抱き上げた。
「あ! 何するんだよ、お鎌田ぁ! 離せっ! はーなーせー!」
「オカマですって!? 可愛いくない事言うわねぇ~蓮人、よほどアタシの熱い口づけが欲しいらしいわねぇ~♪」
「い、嫌だっ! やめっ、やめろぉ~! 僕は一生瑠璃ちゃんとしかキスしないって決めたんだからっ!」
おい、それもやめろ!
「あらそう? だったら早くお着替えして会見の準備をなさい♪」
「やーだー!」
「おい鎌、そのクソガキさっさと連れてってくれ」
「ええ、言われなくても♪ 兄さんもそっちの子守り頑張ってね♪ 期待してるわよ♪」
「おうよ!」
「ごめんね瑠璃ちゃん! また今度いっぱいお話ししようね! それから二人っきりでいっぱいデートしようねっ!」
「……」
蓮人君はお鎌田さんに担がれて事務所の奥へと消えていった。
ついでにそのままゴミ捨て場に捨ててきてくれれば有難いと思ったけど、さすがにそれはかわいそうか。
「色々災難だったなお嬢ちゃんよぉ、とりあえずそんなとトコで突っ立ってねーでこっちへ来い」
「は、はい」
俺は海賊みたいなボサボサ男の村神さんと一緒にソファーへ移動した。
「ま、そこに座ってくれや。ああ、自己紹介がまだだったな。俺様は七色座の俳優、村神豪だ」
「宮川瑠璃です」
「おう、奈良屋から話は聞いてるぜ、一目惚れされたんだってな、ガハハハハ! にしてもあの中年なかなかやるなぁ? あの歳で一体どこからこんなかわいい子を捕まえて来たんだか」
「一目惚れ……したのですか? 奈良屋さんが?」
「あーっ、そいつは言葉のアヤってやつだ。アイツが一目惚れなんかするタマかよってんだ。まっ、気にすんな。んじゃま早速だが契約書に名前を書いてくれ」
「は、はい」
村神さんがソファーの前にある背の低いガラステーブルに、難しい事がいっぱい書いてある書類を広げた。
……七色座の入団契約書だ。
名前以外の記入欄はすべて父さんの筆跡で記入してあった。
内容は労働条件や給料、それから他のプロダクションに無断で移籍した際の違約金等、業界ならではの禁止事項の数々が記されていた。
俺は書類に一通り目を通すと、横に置いてあったボールペンを手にして自分の名前を丁寧に書き込む。
「ほー、綺麗な字書きやがるなぁ、さすが女の子だな」
ふん、まぁな。
本気を出せば俺だって綺麗な字ぐらい書けるんだぜ。
にしても、小学生の頃に偽ラブレターのイタズラの仕掛ける下準備に女子っぽい字を研究してたのがこんなところで役に立つとはな。
あのときの研究がなかったら、今頃俺の字は草が笑いながらダンスしているような汚い字だったに違いない。
今井みたいなペン字のお手本みたいな綺麗な字には程遠いけど、これなら俺の字も女の子が書いたような字に十分見える。
だけどこうして自分の字を見ると、前よりも女っぽい字になったよなぁ。筆圧とか、力の強さ加減とか、手の大きさとか変わったのが影響してたりするのかな?
何はともあれ、こうやって常に綺麗に書くことを心掛けていれば、筆跡から俺の正体がバレるなんて事はまず起きないだろう。
「うし、これで入団手続きは完了だ。おめでとう、歓迎するぜ!」
「あ、ありがとうございます……」
「本当は全員で歓迎会でも開いてやりたかいところなんだが、ここの所みんな忙しなくてな、近頃は飲み会すら出来やしねぇんだよ」
「そうなんですか……。あの、という事は奈良屋さんは?」
「ああ、アイツなら捕まえるのは当分無理だぞ。聞いてるだろうが、今日からナントカっつーゲームの舞台化と、恒例の学校演劇の指導で新年早々フルスロットルだ。なに心配すんな、お嬢ちゃんの事は俺様に任されてるからな、海賊船にでも乗った気分でいればいい、ガハハハハ!」
大船に乗ったって言いたかったんだろうけど、海賊船ってなんだよ? オヤジギャグ?
「しかしこんな騒動にならなきゃ、この後七色座のご自慢のステージに案内してやれたんだかなぁ」
村神さんはそう言いながら、天井に吊り下げられたテレビを見上げる。
しかしテレビには、すでに七色座とは関係のない昼前のニュースが流れていた。
「って中継終わってんな。まいっか。さて、どうすっかな……っと!」
村神さんはソファーから立ち上がると、今度は事務所のパソコンで何かを調べだした。
「お!? おいおいおい! こりゃすげぇな、お嬢ちゃんとあのガキ、もう芸能ニュースでトップ記事になってやがるじゃねぇか! それも写真付きだぞ?」
「えっ……」
「おまっ、デビュー早々やるなぁ! ちょっとこっち来てみろっ!」
俺は村神さんの隣に行くと、パソコンに映ってる芸能ニュース記事を読んだ。
──月浦蓮人君の『彼女』現る?
女性が苦手なことで有名な子役タレント月浦蓮人くん(9)が、本日発表予定の舞台の時間前に突然マスコミの前に現れると、会場にいた女の子に声をかけて、そのまま手をつないで劇団の事務所へ走り去っていった。(続きを読むには会員登録が必要です)
記事の隣に掲載されている画像には、俺が一瞬後ろを振り返った瞬間がばっちり映っていた。
しかも偶然というべきか、蓮人くんも俺と同じタイミングで後ろを振り返っていたので、二人の顔がお揃いで映っている……。
「へへっ、なかなか綺麗に撮れてんじゃねーか」
「な、な、なんですか! これ、肖像権とかプライバシーの侵害ですよね?」
「ガハハハハ! 役者がそんな小せぇ事いちいち気にすんな、んなもんは鹿にでも食わしとけ」
「ちょっ! 鹿せんべいみたいに言わないでくださいよ! 変に思われたら嫌じゃないですか!」
「おいこら、せんべい女! そういうナヨナヨした台詞はな、舞台に1万回立ってから吐きやがれ」
「い、いちまんかいって……」
「よし! 決めたっ!!」
「な、なにを……ですか?」
「特訓だ!」
「へ?」
「今日は特訓の日だ! そして明日も特訓の日だ。そして明後日も、その次の日も特訓だ!」
「は、はぁー!?」
「はぁー!? じゃねぇ! まずはテメェの、その小っこいもやしっ子精神から叩き直すところからだ!」
「ご遠慮いたし……」
「ガハハハ、遠慮はいらねぇからな! てめぇも七色座の一員になったんだ。つまり、これからは俺たちは家族だ。家族なら娘の恋もしっかり応援してやらねぇとな」
「いや、あの、意味が全然……」
「まっ、あの月浦蓮人の彼女なるってなら、とにかく恥かかないよう特訓してしてしまくって、大舞台で主役張れるような大・大・大女優にならなきゃ、とてもじゃねぇが釣り合わねぇぞ? そうでなくても世の女どもは容赦ねぇからな?」
「い、いやだから、私はべ、別に蓮人君の事は……。ていうか」
彼女になるつもりなんて無いから!
そう言いかけたその瞬間、王子様の衣装を着た蓮人君が事務所の奥からニコニコ笑顔でこっちに走ってくるのが見えたので、思わず言葉が途切れてしまった。
「ガハハハハ、照れるこたぁねぇ!」
「~~~~」
ち、違うんだって!
もしここで「蓮人くんの彼女になるつもりは無い」なんて堂々と言い放ってしまったら、蓮人君がショックで泣いてしまって、この後の舞台発表会が台無しになったりしたら超大変だろ?
てかヤバいな俺。超気遣い出来てるじゃん! 良妻賢母ってヤツか? いや、さすがに母にはなってないか。なる気もしないけど。……って何考えてんだ俺は! 意味わかんねぇぞ!
「ま、とにかく俺様に任せとけ! こうなりゃ、とことんお前らの事応援してやらなきゃな!」
そう言いながら村神さんは俺の背中をバンバンと叩いた。
ち、ちくしょう! 余計な応援しやがってこのヒゲガジラめ!
てか俺は別に、あんなガキには興味ねぇからな!
た、確かに売れっ子人気子役なだけあって可愛らしいとこもあるけど、でも、だからと言って決して俺はショタなんかじゃねーからな!
もう一度事務所の奥を見ると、蓮人くんがまた鎌田さんに捕まって担がれていくのが見えた。
「はぁ……」
「へっ、寂しがってる暇なんてねーぞ? 特訓と決まったからには、まずは基本の発声練習からだ!」
「は、はいっ!」
おお、ついにきたか! 本格的な発声練習!
これでも男の頃から声にはちょっとばかし自信があるんだ。何せ俺は未来のロックスターだからな。
「待てよ……」
やる気満々だった村神さんが、そう一言つぶやくと、黙ったまま銅像みたいに動かなくなった。
「あーダメだわ」
「えっ?」
ど、どういう事だ?
もしかして俺の姿勢とか発声が悪かったのかな? 声を出すのに姿勢って超重要だからな。それを見抜かれてしまったとか……。
うーん、女になっていろいろと感覚とか運動神経がズレてる気はするけど。
「今日は日が悪いな。こんなとこで練習したら外にいる奴らにてめぇのヘッタクソな声が丸聞こえだ」
「ああ、なるほど。……って、私そんなにヘタクソじゃないですからっ! これでも声には自信ありますから!」
「いやもうその喋りで十分だわ、嬢ちゃんド素人だ。練習といえど、とても人様に聞かせられたもんじゃねぇ」
な、なんだとぉぉぉぉおお!?
「仕方ねぇ、ちょっくら外出すっか。ついてこい! 向こうの階段から降りるぞ」
「え? え?」
「モタモタしてんじゃねぇ! こっちだ!」
「は、はいっ!」
海賊みたいに荒々しく歩く村神さんの後を必死に追って、俺と村神さんはビル10階から裏階段を駆け下りる。
そして地下駐車場まで降りると、村神さんは黒のメルセデスベンツGLAに乗り込んだ。
「おう、乗れ乗れ! シートベルト忘れんなよ!」
俺は後部座席に乗り込むと、村神さんはすぐに車を走らせて街へと繰り出した。
◇ ◇ ◇
「こいつぁ、確か500万ぐらいだったかなぁ? ついつい買っちまってよ」
車の中で俺が「この車っていくらぐらいするんですか?」と聞くと、村神さんはじゃがいもでも買うみたいにサラリと車の値段を言ってのけた。
奈良屋さんはともかく、この人もお金持ちなのか……。
役者といえばローンも組めないほど生活が困窮してる人ばかりって聞くのにさ。
「よし、ここらでいいか。ちょっと仕入れてくるからお嬢ちゃんはここで待ってろ」
「は、はい」
服の安売りチェーン店の駐車場に車を止めると、村神さんは俺をほったらかしにして店内にズカズカと入っていった。そして10分もしないうちに紙袋を抱えて店から出てくると、後部座席にその紙袋をドサリと投げ込み、そしてすぐに運転席へと戻った。
「かーっ! 雪降ってきそうな寒さだな!」
「あの……村神さん、特訓ってどこ行くんですか?」
「どこでもいいが、なるべく人のいないところがいいな。んじゃそういう分けだからお嬢ちゃん、早速その服に着替えな」
「は、はぁ? 車の中でですか!?」
「当然だ。わがまま言ってんじゃねぇよ、有名人」
あ……。
「人様がわざわざ自腹で、しかも女物のジャージを買って来てやったんだ。感謝ぐれぇして欲しいもんだぜ!」
「何も言わず勝手に買っただけなのに、恩着せがましいですよっ!」
「おいおい、仮にも大先輩に向かって、ひでぇ事言いやがるな。ま、そうだな……特訓が嫌ならそれでもいいんだぜ? ここで練習を投げ出すのもおめぇの自由だ。ついでに特別サービスで家まで送ってやってもいいぜ!」
それでお願いします。
俺もこの後、家でゲームをするという大事なスケジュールがあ……
「ただな……」
村神さんは運転席から降りると後部座席のドアを乱暴に開けて、荒々しい顔を俺に近づけた。
「着替えすら出来ねぇようなヤツは、七色座には要らねぇぞ……」
さっきまでガハハと陽気で煩わしい口調が、一転してドスの効いた静かな低音へと変わった。
こ、怖い……。
この人は本気だ。冗談で言ってる訳じゃない。強烈な目力がそう語ってる。
ほんのりと匂う酒臭ささが、俺の顔を覆っていくのを感じる。
「アンサンブル(※役名のない多数の登場人物。いわゆるモブ)の連中なんてな、一度の舞台で何回衣装替えするか知ってるか? 女だろうが舞台裏で下着丸出しで着替える事なんてザラにある」
「……ごめんなさい、すぐに着替えます」
考えるよりも先に答えていた。
この人は、おちゃらけているようで本気だとすぐに悟ったからだ。
「おう、そうしてくれ。すぐそこに試着室があるってのに、今は色々と面倒な時期なんでな。ちいっとばかし我慢してくれや」
「ひかりさんから聞きました。それって業界の事ですよね……」
「ああ。話が早くて助かるぜ」
村神さんはそういうと後部座席のドアを閉めて、再び運転席へと戻った。
業界……。芸能界、か……。
樽原蜜男が急死して以来、芸能界ではスキャンダル・ハントが熱を帯びているという。
もしかしたら今回の蓮人君の行動も、実は他の何かを隠すために仕組まれた話題作りの『演技』なのかも知れない。
素人の俺がそう勘ぐってしまうぐらいに、今の芸能界の裏側はピリピリしている。
いずれ何かあれば、奈良屋さんの正体も公にされてしまうんだろう。
スキャンダルのネタは鮮度の他に、使うタイミングも重要だから……。
………
……
…
「お、なかなかいい身体してんなお嬢ちゃん!」
「な、なに見てるんですか!? スケベッ!」
「いや、後部座席で女の子が下着姿になってたら見るだろ普通」
「見ないですよっ! その目、すり潰しますよ!?」
「ガハハハッ! 可愛い顔して面白れぇ事いうなお嬢ちゃん!」
ちくしょう、ちっとも面白くねぇよ!
その鬱陶しいヒゲをブチ抜いて血だるまにしてやりてぇ。
そしてこの後、多摩川で悪魔のようなトレーニングが始まるのだった……。




