29頁 ~人形~
とても長い夢を見ていた気がした。
だけど全然思い出せなくて。
とても大切な何かがあったはずなのに……
頭がまだ少し痛い。ぼーっとする感じがする。
全身の力が抜けて倒れこんだまま、どうにか自力で立ち上がろうと思いこそするのだけど、精神的なショックのせいか、実際に立ち上がろうとしてもその気力すら出ない……。
倒れたまま見える景色は、洋子ちゃんが去ってからそれなりに時間が経ったようで、遠くに立ち並ぶ鮮やかな朱色の鳥居は赤黒い夕闇へとすっかり溶け込み、まるで真っ黒な塗料で塗りつぶされたような鳥居のシルエットだけがわずかに認識できた。
赤黒い絵の具で塗りつぶされたかのような景色を見つめながら、俺の頭の中では告白されたときの事が断片的にフラッシュバックし続けた。
全部、バレたんだ……。
焦燥、否認、憤怒、不安、抑鬱、贖罪、徒労、恐怖、弁解、諦観。
あらゆる絶望の因子が、俺から立ち上がる気力を奪った。
指先は無意識にブルブルと痙攣し、11月の夕刻の空気は早くも冷え込んで寒いくらいなのに、身体中から出る嫌な汗が止まらない。
こんな目に遭ったのは俺のせいだ。
自業自得という言葉が相応しい。
洋子ちゃんは何も悪くない。
そう思ってしまったのも、俺がドジで臆病で、間抜けで、油断しきっていたから。
もしかしたら洋子ちゃんは告白してくるんじゃないかって可能性は、これまでの行動から十分に予測できていたのに、俺が不用意に告白させるようなシチュエーションを作りあげてしまったせいで、洋子ちゃんに告白を強要してしまったような気さえするんだ。
しかも最悪なことに、俺が秘密にしていた身体の事まで……。
もしもあの時、『ただの背の低い男子に告白したけどダメだった』って感じで終わらせる事ができたのなら、俺も洋子ちゃんもここまで胸が引き裂かれるような想いにはならなかったと思う。
それに、午前中の北条のときのような、洋子ちゃんと不自然に2人きりになってしまったのはなんなんだろう? やはりあれも今井の差し金なんだろうか?
正直、俺には何も分からない。
そもそも北条とペアになった事だって、それが仕組まれたかどうかなんて証拠は何もないわけで。だからこれも今井が洋子ちゃんに気を利かせてやった事だなんて断言はできない。
むしろ、自意識過剰な俺のただの思い込みの方が確率ははるかに高いかも知れない。
だけど、もう終わった事をいくら考えても、過去は決して変わらない……。
洋子ちゃんに告白されたことも、俺の身体の秘密がバレた事も、もう変えられない。
たとえ地球がひっくり返るような、ものすごい奇跡が起きたとしても……。
いずれにせよ、洋子ちゃんとの関係は最悪の形で終わってしまったんだ。
早ければ俺の秘密が今日明日中にも、クラスの内外に知れ渡る。
そうなればきっと、俺は男として、いや人間としてすら見られなくなる。
これまでずっと悩んでいた身長が低さが、笑えるほど些細なコンプレックスだって思えてくる。
怖い……。
でも、本当は信じたい。
洋子ちゃんの事を信じたい。
だけど俺は、洋子ちゃんが誰彼構わず秘密をペラペラと話す前提で考えていた。
彼女が誰にも話さないでいる事を前提とするよりも、最初から最悪のケースを考えていた方が、きっと後で精神的に楽だと思ったから。根拠のない希望を持って、あとでもう一度地獄に叩き落されるほうがきっと辛いはずだから……。
そんな考えだから、俺は動けなくなった。
………
……
…
慌ただしい足音が複数近づいてくる。
「宮川君! 何があったの!?」
洋子ちゃんの声。だけど冷静さを完全に失っている。
まるで死体のように無気力に転がっている俺を洋子ちゃんは抱き支えてくれた。
「大丈夫? 宮川?」
「おい、誰にやられた!? 言えっ! そいつをぶん殴ってきてやる!」
平沢と原田が後に続いてやってきた。
「早とちりしないで原田君! 洋子ちゃん、宮川君の様子はどうですか?」
「ど、どうしよう怜奈ちゃん、ここじゃまだ携帯の電波届かないよ!?」
「落ち着いてくたさいめぐみちゃん、今は宮川君の状況確認が先です」
更に後から今井と北条がやってくると、北条は倒れた俺を見てパニックを起こしたようだった。
「宮川君!? 大丈夫!? しっかりして!!」
「う……あ……」
洋子ちゃんの必死問いかけに、俺は「大丈夫」と声を出そうとしたけど、なんだか声すら上手く出せなくて。
そんな俺の様子を察した洋子ちゃんは、手際よく俺の顔に耳を寄せて呼吸できているか確認すると、額と首に指を当てて脈拍を確認する。
「大丈夫よ。宮川君の意識はあるみたい。外傷も無いと思うわ」
はは……。
俺、考えすぎてたのかな?
俺の事を好きだと言ってくれた女の子が、こんな近くで必死に介抱してくれている。
少しぐらいは希望持ってもよかったのかな?
「そ、そうなんだ、よかったぁ」
「触らないで北条さん! とにかく今は下手に動かさないで」
北条が駆け寄ってきて俺に触れようとしたが、すぐさま洋子ちゃんが止めた。
2人ともありがとう……。
何となくだけど、不思議と俺は2人にそう言いたくて、心でそっと呟いた。
「とにかく急いで下山しましょう。電波が届く場所まで行って、それから救急車の……」
「待って! 救急車は……呼ばないで」
「なっ!? 何を馬鹿なこと言ってるの洋子ちゃん!? 瑠伊君が死んじゃったらどうすのよ!?」
「いや、高村の言う通りだ。救急車は呼ぶな」
「原田? 君まで何言い出すんだ!? 素人目に見ても宮川の状態やばいよ?」
「いいからちょっと黙れ。とにかく宮川は俺が旅館まで運ぶから、お前ら静かにしてろ!」
「いいえ……私が運ぶわ」
「いい加減にしろ高村、てめぇの貧弱な体で宮川おぶって下山なんて無理だろうが!」
何か……思い出した。
──ま、待って!
「……そう、ね」
「俺が運ぶ。いいな?」
「ええ、ごめんなさい」
──俺は山頂に……一の峰に行きたいんだ!
──どうしても行かないと……。
「ごめんなさい宮川君。原田君の言う通り、私じゃ貴方を運べないわ……」
気まずそうな顔をしながら、洋子ちゃんは小さな声で俺にそっと呟いた。
そうだった。
原田に背負われるって事は、きっと身体の事がバレる。
なのに俺の身体は、まるで死体みたいでどうしても力が入らない。
「だけど原田君、一つだけ約束して欲しいのだけど」
「んだよっ!?」
「宮川君をおぶったら、何があっても声を出さないで」
「……ああ。だがお前らも静かにしてろ。暗くなってきたし、ただでさえ降り階段は危ねぇんだ。自分の事でも心配してろ!」
原田は人形みたいに力の抜けた俺を背負うと、俺の身体に負担がかからないよう、慎重に慎重に歩き出した。他のみんなは俺を護衛するかのように、原田の前後を囲みながら元来た道を辿って下山する。
「お前……。こんなに華奢なヤツだったなんてよ……」
下山途中に原田は一言だけそう漏らすと、後はずっと無言だった。
………
……
…
長く続いた急な階段も終わり、もう少し歩けば千本鳥居も終わりに差し掛かった頃。
ピルルルルルルル……
誰かの携帯が鳴った。
「はい今井です」
飾り気のない着信音は今井のスマホだった。
「はい、……はい。 えっ!? ……そうですか、わかりました。こちらはスタートが遅れたので下山するのに少し時間がかかりました。はい。もう少しでそちらに到着すると思います。 えっ? あ、はい、大丈夫です。……はい。それでは旅館に戻ったらまた後ほど折り返し連絡いたします」
今井は深刻そうな顔をしながら、スマホをしまった。
「何かあったの? 怜奈ちゃん?」
「ええ、みなさん歩きながら聞いてください。少し前に黒田先生が倒れられたそうです。先に集合していた皆さんは混乱状態だったそうですが、つい先ほど解散となったみたいです」
「ええっ!?」
「ですので私達はこのまま直接旅館まで戻りましょう、引き続き先生との連絡は私がしておきます」
俺に続いて担任の黒田までが倒れるという不慮の事態だというのに、今井は冷静に対処する。
「ねぇ今井、黒田先生はどんな状況なの?」
「詳しくは分かりませんが、救急車に運ばれたそうです」
「それってヤバいよね、明日どうなるのかな?」
やっぱり無理してたのかよ、あのじじい……。
「ね、ねぇ、やっぱり宮川君も救急車で」
「ほ、北条……、俺は大丈夫だからさ、心配しないで。少し疲れが出ただけだと思う」
「ほ、本当に?」
「ああ、平気、とはちょっと言えないけどね。体に力が入らなくてさ、まだちょっと立てそうにない感じがするだけだから」
「そう……」
北条の表情は、途中ではぐれてしまったことを後悔しているようだった。
「あの、み、宮川君、私が……」
「た、高村様は悪くないから気にしないでよ」
「そ、そう……」
「何かあったの? 宮川と高村」
「……あったとしても、言えないわ」
平沢の踏み込んだ質問にそっけなく答えると、洋子ちゃんはうつむいていた状態から背筋をピンと伸ばす。
洋子ちゃんはいつもの他人を寄せ付けないような少し強がりな歩き方に戻った。
その様子を見ていた北条は「あっ……」と、何かに気づいたかのように、とても小さな声で呟くと、入れ替わるようにうつむいてしまった。
たぶん北条は、洋子ちゃんが俺に何をしたのか一瞬で悟ったんだろう。
わかんないけど、そんな気がした。
「解散でいいんだよな? 俺、先に旅館に戻ってるからな!」
「ちょっと原田君!? いきなり何を? ま、待ってください!」
今井の静止も聞かず、何を思ったのか原田は俺を背負ったまま走り出した。
原田のやつ、早朝から朝練して、みんなと一緒に観光地巡って、階段だらけの稲荷山に登って、下りて、その途中から俺をずっと背負い続けて、きっと本当は疲れているはずなのにそんな様子など全然見せずに、原田は来た道を速足で走り抜ける。
いったいどれだけ体力が余ってるんだ……。
お土産屋が立ち並ぶ通りを通り抜け、踏切を渡り、やがて人気の無い閑静な細い道の住宅街に入ると、ようやく原田はスピードを落として歩き出す。
「歩けそうか?」
「まだ……無理……。か、身体に力が全然入んなくて」
「そ、そうか」
会話が途切れる。
「びっくりした。いきなり走りだすんだもの」
「お前ってさ、女だったんだな」
「は、はぁぁ?」
俺は『お前は頭がおかしくなったか』という感情をこめて「はぁ?」と言いたかったのに、声が震えておもいっきりドモってしまった。
「お前さ、この柔らかい身体で男だって言い張んのか?」
「言い張るもなにも、お、男だし」
「じゃあ今からみんないる旅館に戻って集団入浴にでも行くか? もちろん男湯だぞ。」
「や、やや、やだよ。せ、せっかくの高級旅館のお風呂なんだし」
「部屋の風呂を男女交互で使うのって気まずくね?」
「そ、そうかな?」
「そっか。じゃあ、部屋の風呂に男子3人で入ろうぜ」
「そ、それは……」
もうバレバレだった。
「……ご、ごめん。一緒は無理」
これで2人目だ……。
しかも相手はまさかの原田。完全に想定外。
もし男子で万が一バレるとすれば、佑馬が最初だと思っていたのに……。
だけどもしかしたら、前から原田は気づいていたのかも知れない。
昨日、宿泊部屋でガチホモ疑惑の西村に襲われかけたときに、俺を守ってくれたのは原田だった。
あのとき俺を助けたのは、ただ単に病気で倒れただけじゃない気がしてさ……。
か、考えすぎ……なのかな。
「あの、いつ分かったの?」
「行きの新幹線の中か、いやもっと前か。体育祭のとき?」
「ええっ!?」
「その頃はまだ確信なんて全然なかったんだけどな、昨日の奈良の大仏の柱くぐりでお前に手を掴まれたときに確信した」
「て、て、手で!?」
「余裕で分かるって。掴まれた瞬間これは女の手だ! って思ったし」
盲点だ……。完全に盲点だった。ああっ。
「で、でも、それじゃあ新幹線の中って? ていうか、体育祭って??」
「んなもん匂いに決まってんだろ」
あ……。ですよねー。
って体育祭!? えっ!? えっ!?
昔の事すぎて全然思い出せない。あの時点で匂いしてたの?
それとも原田の嗅覚がハイエナみたいに敏感なのか?
「じゃ、じゃあ平沢とか他の人は気づいた……のかな?」
「他人の事なんかわかんねーよ。ほらっ、ついたぞ」
原田がそういうと、薄暗い住宅街に囲まれた一角が上品にライトアップされていたのが見えた。ツアー会社のおっさんが土下座してまで手配してくれた高級旅館、葵桂荘だ。
「お帰りなさいませ」
旅館の玄関に入ると、女将の桜さんが出迎えてくれた。
「あら、お連れ様は大丈夫ですか?」
「あ、こいつちょっと足捻ったみたいで、先に寝かせてやりたいんですが」
「あらあら、せやったら先にお布団を敷きましょうか」
「あ、お願いします」
「分かりました。他のお連れ様はいつ頃戻られます?」
「たぶんもうすぐ。一足先に走って戻ってきたんで」
「まぁまぁ、それは大変だったでしょう? すぐお布団の準備しますね」
………
……
…
桜さんが急いで部屋の隅に布団を敷くと、俺はそこにそっと寝かしつけられた。
「大丈夫ですか? 湿布か救急箱でもお持ちしましょうか?」
「あ、自前であるので大丈夫です。俺野球部なんで」
「分かりました。では何かお困りな点が御座いましたら声をお掛けくださいね」
「ありがとうございます」
女将の桜さんが出ていくと、部屋の中が静かになった。
原田のやつ……。俺、足なんか捻ってなんいだけどな。
「あの……」
「どうした? 昨日みたいに辛くなったか?」
「ううん、平気。あの……あ、ありがとう。ここまで運んでくれて」
「お、おう……」
原田のやつ様子が変だよな。なんか調子が狂う。
「お、俺はよ、お前の事は誰にも言わねーからな。昨日約束したしよ」
「約束?」
「言わないって、言っただろ? 昨日」
「えーと……」
──だ、だから誰にも……
──言わないって!
「あっ……」
あ、あんなのが約束のつもりだったんだ……。
その場しのぎの暴言みたいなものだと思ってたのにさ。
「だから安心しろ、誰にも言わねぇからよ。事情も何も聞かねぇけど、お前が言いたくなったら遠慮なく言え」
「うん……ありがとう」
「まぁ女は辛いって言うしな」
「えっ!?」
「ああー! わ、忘れてくれ。何でもねーから」
「う、うん」
な、なんか勘違いしてるような?
……また静かになった。
こうして静かに寝ていると、やっぱり地面よりも布団が心地いい。あたりまえだけど。
「わ、悪りぃ、俺嘘ついてたわ」
「な、何? いきなり」
さっきから間の悪い会話。
俺に気でも使ってんのかな?
「ど、童貞捨てたの小学生の時だって昼間言ったけど、あ、あれ大嘘だからな」
「はぁ?」
「本当は、誰ともしたことなんてねーから」
「う、うん」
な、なぜそれを今言うんだよ。
「お前の隠し事知ったのによ、俺が嘘ついたままだと不公平だと思ったんだよ!」
「あ、そう……なんだ」
「と、とにかく男のプライドってやつなんだよ! い、言わせんな!」
原田はスマホを取り出すと、照れ隠しをするようかのように、いきなのピコピコとゲームを始めた。原田がゲームするなんて珍しい。
「原田、それなんてゲーム?」
「村長になって村を発展させるゲーム」
「へぇー」
「畑耕したり、友達を村に呼んで一緒に暮らしたりするゲーム」
「変なゲーム。見ていい?」
「お、おう……」
原田は布団で寝ている俺に、スマホの画面を見せてくれた。
画面には、ボロボロの藁葺き屋根と、茶色い枯れた草ていっぱいの荒れた畑が映し出されていた。
「なにこれ、廃村じゃん」
「金払わないと1人じゃどうにもなんねーんだよ」
ど、どうしてそんなゲームしてるんだろう……。
「これ、どうやったら人増えるの? 増税? 圧政?」
「なんだそりゃ。えーと、カメラ撮影モードにして、こうして村人にしたいヤツを撮るだけだな」
カシャッ!
「あっ」
原田のやつ、俺に許可もなく撮りやがった……。
ピロロリン♪
≪新たな村人がやってきました!≫
「ほら、こんな感じだ」
変な効果音が鳴ると、スマホの画面にはデフォルメされた黒髪ロングヘアーの可愛らしい女の子が現れた。
「顔の画像認識とかしないんだ。全然似てないキャラが出てきたんだけど」
「へーそんなのもあるのか? 初めてカメラ機能使ったからよくわかんねーけど」
「ふぅん。でもこれ、すごいクソゲーぽいよね」
「ああ、なんか村人酷使してたら全員夜逃げした」
「ブラック村かよ!」
≪あなたの名前を教えてください≫
「なんか画面に出てるけど、名前付けていいの?」
「いいけど、使い潰してすぐ夜逃げするぞ」
「原田最悪だな。でもいいよ、ちょっと貸して?」
「お、おう」
俺は原田からスマホを受け取ると、布団で寝たままどうにか名前を入力した。
「終わった。返す」
原田にスマホを返すと、原田はスマホを見て固まってしまった。
「……おいコラ宮川!」
「な、なにかな? 原田クン」
「テメェ喧嘩売ってんのか!?」
「う、売ってないよ! 原田の昔の彼女の名前を入れてあげただけだって!」
舞川瑠璃。
小学校の頃の原田の彼女。そして当時、平沢も好きだった女の子の名前。
俺は小学校が別だったので詳しい事情は分かんないけど、彼女の名前を取って≪るり≫と入力してやったのだ。
「よ、余計なことすんじゃねぇよ!」
「いいじゃん。ちゃんと≪るり≫ちゃんのお世話してあげればさ」
「ちくしょう、めんどくせぇな!」
めんどうくせぇって……。
一応お世話する気はあるのな。さっき使い潰すとか言ってたのに。
でも確かに、俺も昔好きだった城崎の名前、≪つばさ≫なんて名前を勝手につけられたら、コキ使えなくなる気がする。
ていうか、まだあいつに未練があるのかよ、俺は……。




