?頁 ラストソング
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体・地名等とは一切関係ありません。
12月24日 クリスマス・イヴ。
例年よりも冷え込む冬の晴れた夜空の下、都内の繁華街にはクリスマスカラーのイルミネーションが無数に輝いている。
その幻想的な光景を見つめながら互いの手をギュッと握り合うカップルや、クリスマスプレゼントを買ってもらって嬉しそうに歩く小さな女の子とその両親、そして「こっちはクリスマスなんて関係ねぇんだ!」とでも顔に書いていそうな不機嫌なサラリーマンが足早に通り過ぎていく。
しかし、人々で賑わう繁華街の中心から少し外れたところにある地下1階のライブハウス『Not Found』、通称『404』の会場内では、そんなクリスマスの浮かれた空気など微塵もない。それどころか、今にも暴動が起きそうな、殺気だった空気が充満している……。
およそ300人規模の会場の客席は、朝の通勤ラッシュを思わせるほどの人々であふれかえっており、その客席にはいつもの『404』には似つかわしくない男共の野太い声と、百戦錬磨の女達の黄色い声が響き渡り、不気味な不協和音を撒き散らしている。
前座の無名で場違いなロックバンドの曲が終わって照明が落ちると、ショーが終わった後のような不自然な間がしばらく続く。
機械トラブルやその他の理由による「しばらくお待ちください」といったアナウンスも一切なく、観客席からひそひそと小声が聞こえ始めた場内は、ずっと停電したかのように真っ暗なままで、出口に設置された緑の誘導灯だけが鈍く不気味に輝いていた。
「何かトラブルでも起きたのだろうか?」と、観客の誰もが疑念に思ったその時、突然、大音量の音楽と共に眩いライトが舞台を照らすと、割れんばかりの歓喜が沸き起こった。
無数の色の照明がステージ中を飛び交う中、ひと際眩しい白のスポットライトが、ステージの中央で凛と立つあたしと、その背後で前奏を奏でているロックバンド『アルティメット・グロウ』、通称『アルグロ』の面々を照らすと、会場内の歓声は一気に最高潮に達した。
『アルグロ』のメンバー達がライブオリジナルの前奏から1曲目の前奏に曲を繋げると、色鮮やかな照明が音楽に合わせて会場中を乱舞する。
いよいよライブが始まる。
あたしの胸の鼓動は、緊張で今にも破裂しそうだ。
背後から流れてくるのはアルグロの楽曲の中でも人気の新曲『refraction...』。
コンビニ入ると、結構な確率で流れてくる今話題の曲だ。
後ろから響くドラム音があたしの身体を貫いて、会場全体に響き渡る。
前方の観客席からは熱狂的な視線と割れんばかりの声援が続いている。
まるで音の洪水だ。
白い素肌がビリビリする。
身体中を舐めまわすようないやらしい視線や、羨望や嫉妬の混じった視線という視線が、足の先から腰まで伸びた髪の毛の先の先まで絡みつくのを感じる。
ヤバい。
今までの舞台公演の空気感とはまるで違う。
これがライブのステージ……。
演者として舞台に立つのとは天と地との差だ。
演じている役ではなく、あたし自身が見られてる。
舞台じゃ「これはそういう役だから」と自分に言い聞かせたりもしたけど、ここじゃそんな誤魔化しは通らない。
逃げ場なんてどこにも無い。
何より自分だけは騙せない。
前奏に合わせて、あたしは振付を舞い始める。
よし、入りのタイミングは完璧だ。
このタイミングが少しでもズレてしまうと、後のリズム感が大きく狂ってしまう。そうなってしまったら修正にかなり神経を使うから心配だったんだ。
見ている側には全く分からない誤差のレベルかも知れないけど、少なくともあたし自身が納得できないと、最後まで気持ちよくダンスができない。
歓声がノイズのように会場内に響き渡る中、あたしは背後から聞こえる曲にひたすら意識を集中してリズムに乗り、とびっきりの笑顔を作って舞い踊る。
一見簡単そうに見えるこの振付は、真似しようとしてもそう簡単に真似できない高難度の振付だ。
それがおよそ4分間、一度踊り始めたら曲が終わるまで休む間もなく続く。
大衆を前にしっかり曲を聞きながら踊って歌う。
言葉にすれば簡単かもしれない。けれど、全てを完璧にこなすのは至難の業だ。
この曲には、ボーカルとしてのリズム感、声量、技術、感情表現、プラスそこにダンサーとしてのリズム感と表現力、キレ、そして持久力が高レベルで求められる。
無論、体力的にもかなりキツいし、踊りながら声を絞り出すのは、もはや苦しいなんてものじゃない。
例えるなら、1キロメートルを全力疾走しながら歌うようなものだ。
少なくともあたしは、ネットに投稿された動画でこの楽曲の歌とダンスの両方を最後までまともにこなせた動画を見たことがない。
だからこそ、あたしは今日ここで、完璧な歌とダンスを見せつけてやろうと思ってる。
少なくともアルグロ人気に便乗した量産型アイドルだと言わせないぐらいの、『本物』と呼べるような歌とダンスを。
ライブハウス『404』では、歌い手が外した音程や声量を、リアルタイムで自動修正できるボーカルエフェクターなんていうチートな機材は設置されていない。
安価で高性能なボーカルエフェクターは、今やスピーカーと同じぐらい当たり前のものになってきているけど、『404』には1度も設置された事がない。
けれど、そんな古い設備環境が逆に再評価されて、ここ最近は実力派志向のインディーズバンドが全国から『404』に集まって来てるらしいけど、その辺りの事情はよく知らない。
とにかく、ここ『404』では、誤魔化しナシの本物の実力が試される。
だけど、今目の前にいる観客達がいつもの『404』の常連客とは全く異なるタイプだというのは、さすがにあたしでも分かる。
なぜなら、可愛らしい赤と黒のステージ衣装に身を包んだあたしの姿を、観客の男共がいやらしい目で凝視しているのがまる分かりだし、同じように女共はアルグロのメンバーばかり見て黄色い声ばかり上げているのが手に取るように分かるから。
この会場には、いつもの本格派を期待するお客さんなんて殆ど居ない。
だけど、今はそんな余計なことを考えるよりも、体力を消耗する激しい振付をこなしながら、ひたすら歌う事に集中するだけだ。
たとえどんなお客様だろうが、手抜きなんか絶対にしないし、許されないから。
不思議……。
練習で一番苦しいこの山場の高音域も、今日はものすごく声が通る。
なにこれ? ヤバい。楽しい!
それになんか身体も軽くって、いつも以上に鋭く動いてるのが自分でもはっきり分かる!
無我夢中で山場の高音域を踊りながら完璧に歌いきると、観客席の一部からどよめきの声が上がった。
そのどよめきは「こいつやりやがった!」という称賛の意味が含まれていた。
なんだ。観客席には玄人勢もいるじゃない。
本家のアルグロがMVで朝から夕方まで何度も取り直したっていう箇所を、あたしが1発で決めてやったんだから、その反応は当然だ。
気が付けば、ライブが始まる前に嫉妬と殺意でいきり立っているかのように見えたバンギャル達も、いつの間にかあたしの歌とダンスに没頭しきっていた。
あたしの勝ちだ。
突き刺すような女達の敵対的な視線は、いつの間にか綺麗さっぱり消えていた。
──人気ロックバント、『アルティメットグロウx澪川瑠璃』のコラボレーションライブ。
共に今年大ブレイクした……ってのはあたし的には言い過ぎだと思うけど、それなりに注目を浴びた者同士が、突然クリスマスにコラボレーション・ライブをするなんて発表したものだから、世間的にはそれなりに騒ぎになった。
でもまぁ、『コラボレーション・ライブ』なんて喧伝してるけど、ライブのメインはアルグロだ。
あたしはいわゆるオマケみたいなもの。
食玩のお菓子とか、カレーライスの福神漬けとか、なんかそういうの。
でも人によっては食玩の方が本命だったり、福神漬けこそメインデッシュだって言う人がいるかも知れないけど、あたしには今日まで自分の持ち歌なんて1曲も持ってなかったから、やっぱり今日のあたしはあくまでオマケでしかないと思うんだ。
これまであたしがプロとして歌ってきた歌は、アニメのキャラクターソングだけだし。
キャラクターソングは、あくまでアニメのキャラクターの歌であって、あたしの歌じゃない。
あの子の歌をあたしの歌だと言い張るのは烏滸がましいし、なんていうか、あたしが歌うのは泥棒なんじゃないかってさえ思えるから。
色々思うところはあるけど、あたしにとってはこれが本当の意味での初めてのライブだから、当然失敗なんかしたくはないし、何よりも今はここに来てもらったお客さんを楽しませたいって思いでいっぱいだ。
だから次の曲も、その次の曲も、あたしは全力で歌う。
世界がひっくり返って壊れても、ライブが終わるまで歌う。
喉が潰れたっていい!
ここにいる観客全員を、一人残らずあたしのファンに引きずり込んでやるって気概で挑むから。
………
……
…
薄暗い観客席からは男と女の声が混然一体となって「アンコール! アンコール!」という声が何度も何度も鳴り響いている。
最後の曲が終わって、もう5分は過ぎているはずなのに、声援が治まる気配が全くない。
その様子をステージの袖から覗くアルグロの面々。
「行くか、瑠璃!」
力のすべてを絞り出して疲れ切ったあたしに、アルグロのボーカルの迅があたしの肩を軽く叩いてそう言った。
疲労で重く感じる身体に力を込めて、あたしはパイプ椅子から勢いよく立ち上がる。
そう……。
まだあと一つ。あの曲が残ってる。
それは、あたし自身の初となるオリジナル楽曲。
初めて人前で披露する新曲。
初公開の歌。
アルグロに便乗するだけじゃない事を証明する、渾身の一曲。
そして今日の演奏は勿論アルグロだ。あたしの中で最強最高の組み合わせ。
あたしとアルグロのメンバー全員が、一斉に舞台に飛び出すと迅が安定したMCでトークを進める。
「じゃあみんな、聴いてくれ、瑠璃の歌を」
迅の一言に、会場がさらに盛り上がる。
流れ落ちた汗がまた、ポタリと床に落ちた。
混然一体となった最高の舞台。
ずっとずっと、ぼんやりと思い描いていた、夢の光景がここにある……。
アルグロに遅れて、再び舞台へ飛び出すあたし。
「それではみなさん、聴いてください。『月桂樹の唄』っ!!」
◇ ◇ ◇
ライブは大盛況に終わった。
運営に携わったスタッフの人達との打ち上げを早々に切り上げ、あたしはマネージャーのひかりさんご自慢のワインレッドカラーのミニクーパーの後部座席に乗り込むと、窓に映る流れる景色をぼーっと見つめる。
ひかりさんが運転する車内には静かなオルゴールの曲が流れている。
子守唄のような眠気を誘う優しい曲が、今はとても心地がいい。
キラキラと輝くクリスマスのイルミネーションの光も、あの繁華街も、みるみると遠く小さく離れていく。
疲れた身体でスマホの画面を眺めると、早速SNSにライブの感想が書き込まれていた。
──瑠璃ちゃんの新曲すっげぇよかった!!
──今日のコラボライブ、マジで凄かった!
──澪川のrefractionヤバい。
──悲報。俺の瑠璃ちゃん、アルグロのガチ勢だった!
──今頃お持ち帰りされてるな!
──おいやめろ!
『本日最後にお届けしたのは、伊佐木映画館さんの楽曲『愛月』のオルゴールバージョンでした。ミュージック・ナイト、今夜のお相手は夜葉寧流でした。まもなく0時です』
聞きなれた0時を知らせるジングルが鳴った。
「疲れたでしょう、瑠璃さん。寝てていいですよ」
「うん……。ありがとうひかりさん」
「いえ」
『夜は寝る』って名前なのに、この人なんで深夜まで起きてるんだろうね、ひかりさん。
いつものあたしならそんなツッコミを呟いていたのだけど、今はそんな事を言う気力もなく、迫りくる睡魔に勝てそうになくて……。
とにかくあたしは、強烈な緊張感と熱狂と狂気に満ちたライブからようやく解放されて、津波のように押し寄せる睡魔に身を任せて眠りについた。
そして、その後に起きた『事故』について、あたしは何も覚えていない……。
だけど、なぜかあのとき、1年半前の懐かしい想い出が走馬灯のように駆け巡ったのを、あたしははっきりと覚えている。
──人気声優 澪川瑠璃(16)、交通事故で意識不明か?