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ブータ帝国記  作者: なんやかんや
飛翔編
9/9

飛翔編2話上

短くまとめたかったのにどうしてこうなった。

しかも、帝都遠足編終わってすらいません。

できてもいません……頑張ります

 ブータ帝国は多くの人種族を抱える多人種族国家であり、ブータ大帝の描いた国是に基づき、全ての人種族にほぼ均等に権利と機会とを与えた国家であった。しかしながら、帝国全体を見渡した時、少数種族でありながら、極めて強い影響力を持った人種族がいた。

 エルフである。

 エルフらは、ブータ帝国設立以前から、帝国後期のサルト・ラージエルによって行われた大改革までの間、およそ400年に渡ってブータ帝国の政治に強い影響力を持ち続けた。

 歴代の宰相を見ても、第3代皇帝が外征に明け暮れる中、国内を見事に治めてみせたワイト・ペッパーや、ブータ帝国中興の祖と目される第21代皇帝ライスポク3世の懐刀として知られたセンギ・ミョウガを始めとして、3分の1程をエルフ種族が占めている。

 エルフ種族がブータ帝国の歴史を通して全種族人口の数パーセントしかいなかったことを思えば、文官の頂点たる宰相にこれほど多くのエルフが任ぜられた事は並々ならぬ意味を持つことが分かる。

 因みにハーピー種族などの極少数人種族を除いた上で、宰相になった人種族の割合を比較すると、最も割合が少ないのはオーク種族である。この事からも、ブータ帝国がオーク種族主体の国家ではないということが分かる。


 また、歴代皇帝の正室の7割はエルフであり、外戚としての影響力も有していた。

 ブータ帝国はオーク種族による帝国として知られているが、歴代皇帝はオーク種族よりもエルフ種族の血が濃い者が大半であり、人間などの血が流れている皇帝も存在していた。

 そのため、歴代皇帝の肖像は初代のブータ大帝など一部の例外を除いて人間やエルフに近い顔をしている。

 例えば、第12代皇帝ブータ5世の血には32分の1しかオークのそれが含まれておらず、その顔立ちはエルフそのものであった。彼の顔から、彼がオーク種族による帝国の皇帝であることを知ることは不可能である。


 それでも、ブータ帝国がオーク種族の国家であると今日我々が見なすのは、オーク種族のみで構成された強力無比の近衛軍とそれに連なる軍閥の存在が故である。

 歴代皇帝にとってこの精強なる近衛軍団こそが身を守る盾であり、敵を打ち滅ぼすための武器であった。

 帝国初期は鋼鉄の鎧に身を包み、長弓と長槍、短剣で武装していたこの軍団は、一週間分の兵糧と砦構築材を携えながらも一日に50キロコメもの距離を踏破する能力を持ち、戦いになれば長槍を以って強固な柵を作り、当時最長クラスの射程距離を持っていた長弓で敵をなぎ払った。

 騎馬軍団などごく一部の例外を除けば当時最速の進軍速度と強力無比な戦闘能力は過酷そのものである訓練によって鍛えぬかれたものであり、ブータ帝国が領土拡張政策を止めたことで殆どの場合、辺境軍が相対するようになって以降も、周辺国はブータ帝国近衛軍を恐れ、その動向を注視し続けた。


 帝国中期、火薬を使用した兵器、銃器や大砲が広まり始めた際に、素早くこれらの導入を決めたのも近衛軍団だった。

 当時、最強の名を欲しいままにしていたにも関わらず、果断にも長弓と長槍を廃し、火器を軍の中心に据えた近衛軍団の行動に周辺国は驚きを顕にし、冷笑にした。周辺国は近衛軍団が自ら弱体化したと思ったのだ。

 この頃、長弓以上の飛距離を持つ火器は大砲くらいであり、連射性能や持ち運びで大いに劣っていたからである。

 周辺国は槍や長弓が過去の戦いで示した力ばかりを重要視して、火器の持つ発展の余地――弓と比べて遥かに広大なそれ――を理解することができなかったのである。

 新兵器で武装した近衛軍団が不利と思われた戦闘、フライド平原の戦いで大勝すると、周辺国の冷笑はたちまち凍りついた。

 この時期はまだ連射性能で劣っていた銃火器であるが、大量の火薬備蓄に物を言わせた事で、射撃の途絶えることのなかった帝国近衛軍に対して、突撃を重ねたチンゲン帝国騎馬軍は文字通り潰走した。

 ブータ帝国近衛軍団がこれほどまでに早いうちから火器を主力に取り入れることを決定したのは、ブータ大帝が、火薬の軍事利用に対して絶大な期待を寄せていたためであった。

 残念ながら、ブータ大帝の時代の火薬は不安定で到底使い物にならなかったため、火器が戦場の主役となることはなかった。

 それどころか、コストや信頼性、連射性能や殺傷能力などあらゆる面において短弓にすら劣るこの系統の武器を研究することに対する疑問の声すら聞こえてくる状況であった。

 しかし、それでもブータ大帝は火器に対する研究に多額の予算をつぎ込み続けた。

 宰相シュー・クリーから、火薬の研究に関する異議を問われた大帝は、この研究こそが100年後の帝国を支えることになるのだ、と言い放ったという。

 そして、確かに大帝の時代から脈々と受け継がれた火薬とそれを用いた兵器の研究はブータ帝国中期における周辺国への軍事的優位へと結びついたのだ。

 この事例は、ブータ大帝の神がかった先見性を示す格好の例としてよくよく語られている。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ブータ帝国第3代皇帝である征服帝ブータ2世はエルフと親しい皇帝の代表例であり、彼の4分の3はエルフの血が流れていた。

 そのため、ブータ2世の肖像はその特徴的な耳を除けばエルフの顔であり、ブータ大帝とは似ても似つかないものとなっている。

 ブータ2世はオーク種族の造形を忌避していたと見受けられる所があり、自らの肖像にその特徴的な耳を描かせていない。

 加えて、彼は祖父であるブータ大帝に強烈な対抗心を燃やしていたようである。

 何一つ不自由なく育ったブータ2世にとって、自らでは得ることのできない名声を一身に受ける大帝の姿は激しい嫉妬心を覚えるものだったのであろう。

 ブータ2世が強行した帝国拡大路線も、その根本にあったのは大帝を越える偉業を成し遂げたい、という酷く子どもじみたものだったのではないだろうか。

 自尊心の高いブータ2世は大帝を越えることなど不可能であるという事を認められなかった。そして、父親のように大帝の築き上げた帝国をただ受け継いでいくだけの生涯に満足できなかったのである。

 そして、ブータ2世の時代、外征を繰り返し、周辺を支配下に治めたブータ帝国は、当時最大版図を持つ超巨大国家へと成長した。

 宰相ワイト・ペッパーの堅実な統治により、新たに帝国に組み込まれた地域間における交通の安全性が確保されたことで、帝国内の交易が活性化し、ブータ帝国は絶頂期を迎えた。

 歴史家達も、この時代こそがこの時代がブータ帝国の黄金時代であると言う。

 この成果に満足したブータ2世は自らのことを征服帝と呼称させるようになった。


 「大帝が支配することのできなかった西方の蛮族どもを、余は従わせた」


 砂漠地帯の勢力圏を持っていた遊牧民族を打ち倒したブータ2世は上記の様に述べたという。


 ただし、ブータ2世が信じたように、彼の力のみでブータ帝国がこの黄金時代を迎えることができた訳ではない。

 例えば、ブータ帝国拡大の原動力となった皇帝直属の軍団を作り、鍛え上げたのはブータ大帝と、大帝の方針を忠実に受け継いだ第2代皇帝インペリア帝であった。

 皇帝直属軍団の重装騎兵と弓兵部隊はこの時代の戦場において無敵の強さを誇った。

 実際、真正面から戦う限りにおいて、ブータ帝国軍は2倍の敵にも容易く勝利している。

 また、10万を越える遠征軍を支えるためには兵站、食料や武器、医療関係の物資や戦いに傷ついた兵士たちを励ます娯楽を提供する人員などの調達とそれらを戦場まで安全に送るための補給線の確保が必要であった。

 これが、可能であったのも、前任者の堅実な統治により国内生産量に余裕があったからである。


 更に、視点を後の時代に移すと、ブータ2世が獲得した西方の砂漠地帯はブータ帝国にとって不採算の地域となった。

 この地域の現地住民は、気運がブータ帝国のそれと合っていなかったためか度々反乱を起こした。

 問題解決のために、ブータ帝国はこの地に恒常的な軍団を配置する様になったが、この地の税収からその軍団を維持することは不可能であった。

 反乱が頻発や、雑草のように湧く野盗のためにこの地域は交通の安全確保が困難であった。

 この地域を経済圏に組み込めなかったブータ帝国は、十分な税収を得ることができなかったのである。

 そのため、ブータ帝国は東方で得られていた税収を西方の常備軍維持のために当てなければならなかった。


 そして、ブータ2世の遠征からおよそ200年後、物資の過剰供給過多により経済状況が悪化し、東方で得られていた税収が減少すると、帝国は最早この広大な砂漠地帯を維持することができなかった。

 失地帝と蔑称されるサシブタ帝の時代、ブータ帝国はブータ2世が獲得した領土のほとんどを手放すことになったのである。

 このブータ帝国の凋落はサシブタ帝の外交の失敗に依るものが大きい。

 だが、その背景には、この土地が帝国の財政にとって常に不採算であったという事があったのである。

 そして、崩壊までブータ帝国はブータ大帝とインペリア帝の築き上げた領土をほぼそのまま保つ事になった。


 ブータ大帝は決してブータ2世が言ったように西方の砂漠地帯に暮らしていた遊牧民族を支配できなかったのではない。

 支配しなかったのである。

 彼ら遊牧民はブータ帝国とは全く異なった文化を持っており、価値観も異なっていた。

 それをブータ帝国のやり方で納める事は不可能であると大帝は知っていたのだ。

 更に、これら地域は砂漠地帯と山岳地帯が隣接しており、オアシスや地表に現れた河川の近辺にのみ人種族は住んでいた。

 これは、野盗が発生した場合、これを討伐するためには広大な土地を探索せねばならないということを意味していた。


 だが、西方の砂漠とそれに連なる険しい山岳地帯は固く生物の大々的な侵入を拒んだ。

 水不足、そしてそれに伴い作物も、食するに値する獲物も少ないこの地で人種族は生を完結することなどできなかった。

 点在するオアシスや地表に現れた河川の近辺でしか、人種族は安定的に暮らすことができなかったのである。

 そのため、生命を維持するために必要な水や食料といった物資を運ぼうにも、厳しい日中の暑さと夜の極寒は砂漠を旅する者達の生命力を消耗させた。

 こうした事を勘案すると、この土地はブータ帝国の統治方法には適しておらず、この地を治めたところで得られる見返りは存在し得なかったのである。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ブータ帝国における国内統治の基本は野盗が発生しないように、未開の地を切り開き、道を整備して、村と村、町と町、都市と都市を密接に結ぶネットワークを形成する事であった。

 未開の森や、人の入らない山こそが野盗が本拠を構える場所となるからである。

 かつて、人々が地図の空白に怪物の存在を想像したのは、それ相応の危険があったためであった。

 こうした地図の空白を強力な軍組織とそれを支える財政により強引に切り開き、人の住む環境を作ることにより、ブータ帝国は国内において盗賊や野盗の誕生を未然に排除していたのである。


 帝国が誕生する以前、正統コーンビフ帝国や東方諸国において、町から町、都市から都市へ少数で移動する事は大きな危険を伴った。

 人の入らない森の奥や山の合間に野盗達は潜み、仕方なく集落を離れて進む旅人を襲った。

 斥候を放ち、相手の戦力を見定めた上で徒党を組んで襲い掛かる野盗達に旅人が生きて帰ることのできる確率は低かった。

 そのため、旅をする際は同じ目的地を持つ者同士で隊列を組むことが常識であった。数が多ければ、野盗は損害を恐れて襲撃を諦める事が多かったためである。

 有力な交易商などは多数の武装した護衛を引き連れて旅をした。

 それでもなど、飢えて見境を失った野盗に襲われる者は少なくなかった。

 自らの損害を恐れた野盗から交通税を取られるだけならば、まだ運がよい方であった。

 だが、運悪く血迷った野盗に出会ったり、護衛の裏切りがあったりすると、無事に帰ることができる事は殆ど無かった。

 そして、これから逃げ延びたり、撃退できたりした場合でも、襲撃により損害を被らずに済むことは少なかった。

 野盗の数が多くなると、彼らは村や町、都市すらも襲うようになった。


 それに加えて、人通りが少なく整備するもののいない道はたちまち草木に覆われて、周囲の自然に埋没していった。

 多くの領主や豪族といった当時の支配者は道という当たり前のインフラの重要性を理解することができなかった。

 商業に理解のある支配者が採算の取れる大規模な村や町、都市をつなぐネットワーク整備を行うことはあった。これらの道を結び、安全の確保を試みることは商業の活発化につながり、関税などの増収が期待できたためである。

 だが、辺境などの寒村へと続く道など、何の収益とも結びつきそうにない道を整備する必要を覚える支配者は極少数であった。

 商業というものを知る支配者にとって何の収益も産まないこれらのインフラへの投資は無駄としか映らなかったのである。

 自らの民を慈しむ少数の支配者は、利益を無視してこうした寒村への援助を試みたが、そのほとんどは財源不足のために中途半端なものに終始した。

 こうして、この時代、数だけは多く存在していた寒村――日々の食事にも事欠いていたそれ――は、野盗に対する最大の人材供給源となっていたのである。場合によっては食い詰めた集落そのものが野盗や盗賊となることもあった。

 それが故に、商人達や旅人達は寂れた寒村に極力近づこうとせず、集落の物資を枯渇させて略奪行為へと追い立てていたのである。

 大多数の支配者は、この様な理由で仕方なく生じた野盗を打ち払うことに終始し、決して根絶することのできない無法者の存在を呪いながらも、抜本的な解決策を打ち出すことはなかった。


 しかし、ブータ帝国による統治が始まると、帝国の勢力圏内においてそうした危険は過去のものとなった。

 この時代、人々は驚くほど安全にブータ帝国内を移動できるようになった。

 ブータ帝国以前、これほどまでに広い領域における交通安全の確保に力を注いだ他の国は古のロースビフ帝国のみであるだろう。

 ブータ帝国は成立する過程でヴィタミンなどの商人と結びつき、税収の多くを交易税など商業関係から得ていた。

 交易路がより安全になれば、護衛に割く賃金が減る分、商人たちはより多くの荷物を運び、より多くを売ることが期待できる。その売上の一部は税収として帝国の収入となるのだ。

 帝国にとって安全な交易路の確保は収益に直接つながる重要課題であったのである。


 だが、それ以上に、ブータ大帝が道というインフラの重要性を熟知していたということが大きいだろう。

 もし、商業の発展のみを考えるのであれば、寂れた寒村へと続く道を切り開く必要はなかったはずである。

 それでも、ブータ大帝があらゆる村と村、町と町、都市と都市をつなぐネットワーク――寂れた集落も例外なく組み込まれたそれ――を不断の意志で構築したのは、大帝が貧困と飢餓の存在が帝国を脅かすことをその天才性で知っていたからである。

 直接は利益とならなくとも、ブータ大帝が創設し、後の皇帝たちが引き継いだ全てを繋ぐこのネットワークは帝国の繁栄の源であったのだ。


 ブータ帝国は帝国国内の各所を結ぶ道を大々的に整備し、時に、陸路、海路を問わず、支配下に置いた地域において山賊や海賊などの討伐を徹底的に繰り返し、これを排除した。

 野盗に対するブータ帝国の姿勢は一切の妥協なく、山賊組織に関わったというだけで刑罰の最低限度が処刑という重罪として扱われていた。一般的な殺人の最低限度の刑罰が棒叩きであったことを鑑みると、帝国の交易路を萎縮させ物流を脅かす野盗に対する凄まじい敵意が見て取れる。

 ブータ帝国の時代に整備された街道には、一定間隔ごとに宿泊施設や軍令連絡所が設けられており、野盗と思わしき不審な動きがあればすぐに軍に情報が伝えられるようになっていた。

 軍はブータ帝国国内各所に設けられた軍事基地に常備軍として配置されており、連絡所からの様々な情報に応じて行動した。

 この時、軍が利用したのもブータ帝国によって整備された無数のネットワークであった。


 同時に、ブータ帝国は辺境であっても一定の開発を行い、極貧に喘ぐ寒村への支援を行った。

 寒村に住まう村民たちが貧困と餓えにより仕方なく野盗となり得ることを帝国は熟知していたためである。

 また、食物の安定供給は国家安定の為に必要であると考えていた帝国は、作物価格の最低限度を決定し、不作時には減税や種籾などの支給を行うことで農村の収入を一定レベルで保証した。


 また、その支配者の所有物という扱いであった農民などに対して、ブータ帝国は行動の自由を認めるよう諸侯たちに要請した。

 この政策は諸侯の強い反発により、あくまでも要請にとどまったが、ブータ2世の時代には帝国内に住む民草のほぼ全てに移動の自由と、それに伴う職業の自由が認められていた。

 大歴史家であるムカシ・コウサは、これが真の意味での平等を目指した最も古い政策であると述べている。


 これに対して、ダコン・フォン・レッグホワイトはブータ帝国が皇帝という存在を頂点に据えた国家であり、この政策は皇帝以外の豪族や諸侯などといった勢力の力を削ぐことが目的であって、平等を目指したものなどではない、と述べている。

 更に、レッグホワイトは、この政策によってほとんどの若者が都市に向かうようになり、小さな村や町の若年層が枯渇したことにより辺境社会を崩壊させ、結果的に失敗に終わったと主張する。

 確かに、寒村から大都市への若者の過剰流入と辺境の空洞化に悩んだブータ帝国は、第16代皇帝ライスポク1世の時代に辺境に住む帝国民の行動を制限するようになった。

 結果だけ見れば、この政策は失敗したことになる。


 だが、この失敗に関して大帝に責任があるかという主張に筆者は決して賛同することはない。

 そもそも、この問題は都市部と辺境の賃金格差が原因となっていた。

 ブータ帝国は辺境に対して一定の援助金を準備していたが、これはマクロ的には都市部の富を辺境に還元することにつながっていた。

 しかし、緩やかでありながら断続的に続いた嗜好品や贅沢品のインフレーションにより、実質的な援助額は年々低下していったのである。

 援助金の目的を考えれば、経済状況に合わせて金額を上げるべきであった。

 だが、帝国の歳入がインフレーションに見合うだけ増加しなかったことと、西方の野盗や匪賊に対する軍事費の増大により、帝国は辺境に十分な資金還元を行うことができなかったのである。

 この財政圧迫の要因となったのが、征服帝ブータ2世によって拡張された帝国西方の領土であった。帝国に対して敵意をむき出しに暴れまわる野盗や匪賊への対処のために帝国は多くの軍事費と人材を割かねばならなかったのである。

 歴史に仮にという言葉はないが、もし、ブータ2世による領土拡大がなければ、ブータ帝国は歳入に余裕を持って辺境空洞化問題に資金と処理能力を振り分けることができたであろう。

 それ故に、筆者は辺境空洞化問題に責任を追うべきはブータ大帝ではなくブータ2世であると考える。


 いずれにせよ、ブータ大帝の時代、生活、結婚、移動等といった全てを制限されていた農奴の多くが自由を得たと言うことは、否定のしようのない事実であり、ブータ大帝がその背景に何を考えていたとしても、その功績は否定されるべきものではない。

 レッグホワイト自身が述べたように、歴史的評価とは本人の主義思想ではなく行動とその結果によって為されるものなのであり、ブータ帝国により自由を得た農奴達の数は決して少なくはなかったのである。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 街道の各所に設けられた連絡所は、野盗等の情報を素早く軍団に伝える役割の他に、帝国各地の情報を皇帝の耳に届ける役割も担っていた。

 この仕組によって歴代の皇帝は帝都カエサリアに居ながらに辺境の情報を得ることができた。

 帝国の東端で起きた出来事であっても僅か5日後には帝都に伝えられた。ブータ帝国以前は数ヶ月から長い時には年単位の時間を必要としたことを思えば、驚異的な情報伝達速度であった。


 連絡所同士で情報のやり取りを行って、連絡所に設けられた掲示板に各地の情報を掲示するという事も試みられた。

 大帝はこの帝国内情報ネットワークを、『インターネット』と名付けた。

 これは、それぞれの連絡所では必要な金銭を支払うことで、他の連絡所から必要とする情報を得ることができるという制度であった。

 それぞれの連絡所には各地から届けられた大量の情報が保存されており、要望に応じて有償でこれを公開していた。

 また、その連絡所にない情報でも、追加の金銭を支払うことで、他の連絡所から取り寄せることが可能であった。

 商人たちは他の地域で何が売れるかを知るためにこの制度を利用し、旅人達は旅先の情報を得るためにこの仕組を活用した。帝国の貴族にとってみれば、金さえ払えば簡単に帝国の動向を知ることができる手段であり、学者にとっては研究資料の宝庫であった。

 残念ながら、この試みは連絡所の業務が煩雑になりすぎる為に、ブータ大帝の時代のみで終わった。

 連絡所に設けられた掲示板には予め決められた重要と思われる種類の情報と一部の重大ニュースのみが掲示されるようになり、他の連絡所から自在に情報を取り集めるといったことは行われなくなったのである。

 だが、この試みが何の価値もないかというと、決してその様なことはない。

 今日の情報社会における重要な要素たる双方向ネットワーク通信がブータ大帝の試みたシステムである『インターネット』の考えをそのまま情報通信ネットワークに当てはめたものであるという事を上げるだけでも、この試みが如何に大帝の優れた着想と天才性に由来しているかを知ることができるだろう。

 他の幾つかの失敗に終わった試みと同じように、ブータ大帝のこの試みはあまりにも先進的であり、そのためにこの時代では実用的にならなかったのである。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 行商人であり小説家でもあったニガリ・ボールシチによる帝国全土見聞録に記されているように、ブータ帝国が栄えた時代には一人もしくは少数で旅をすることも珍しくなくなった。

 街道に設けられた軍施設では有償かつ割高ではあったが移動途中に食料や飲料水を確保することすら可能であった。

 資金を持たない巡礼者などにはこれらの物資が無償で提供されることもあったようである。


 そのため、ブータ帝国誕生からしばらく経ち、国内が安定すると、帝国内の旅行が広く流行した。

 その需要に応じて、いわゆる名所への旅を斡旋する商売が広まった。

 ある者は結婚記念として、ある者は見聞を広めるために、ある者は過去の偉大な芸術家から学ぶために、ある者は生涯の見納めとして、最盛期には年間500万もの帝国民が国内を旅したという。

 当時の帝国の人口が高々8000万であったことを考えると、これは凄まじい数である。

 観光地として人気を博していたのは皇帝とその一族が住まう帝都カエサリア、古の都ロースビーフル、東西の文化が入り乱れたコーンビーフル、水の都ヴィタミン、極西からの珍しい物資が水揚げされる『国際貿易港』トロフィーナなどである。


 また、ブータ帝国の時代、帝国の東方ではケビア教信者による巡礼がかつてないほど盛んに行われた。

 帝国以前、ケビア教神聖派を信望していた東方諸国の住人が正統派の支配する聖地を巡礼することは容易ではなかった。

 異端ということで、巡礼者達は正統派から様々な嫌がらせを受けたのである。

 さらに、東方諸国とケビア教とが武力を持ってぶつかり合う時代になると、巡礼者達は莫大な交通税を要求されたり、時には命を狙われたりするようになった。

 そのため、ケビア歴11世紀頃から、巡礼者の数は激変した。

 巡礼は広大な領土を有する貴族などの特権階級か、大成した大商人など、一部の特権者のみに許された行為となったのである。

 しかし、魂の存在を強く信じていた純朴なケビア教信者にとって、死ぬまでに一度聖地を巡礼することは何よりの夢であった。

 情勢が許さなかったというだけで、巡礼を望む者達の数は決して少なくはなかったのである。

 そのため、ムーン教国教皇が聖戦の開始を宣言すると、多くのケビア教信者たちが、聖地奪還の名目のもとに集まった。

 聖戦に参加することは、その血肉をもって巡礼することであると聖職者達が彼らに説いていたからである。

 これにより、聖戦軍は容易く兵力を得ることができたのである。

 聖戦軍を指揮する者たちにとって見れば、こうした兵力はまとまりを欠き、決して使いやすいものではなかった。だが、多数の兵を得ることのできる点は大きなメリットであった。


 ブータ帝国の成立により、驚くほど安全かつ安く巡礼を行えることが明らかになると、ケビア教信者たちは挙って巡礼の旅に出るようになった。

 巡礼者の旅先としては、ケビア教の聖地であるハッカや、聖人である聖ミトの眠るビーフサシ大聖堂などが人気であった。

 乏しい農民や職人は団体を組み資金を出しあって聖地を目指した。

 富める商人や貴族は多くの物品を供物として携えて聖地へと旅をしたのである。

 また、絶対数は少なかったがエルフ種族は一生に一度は彼らにとっての聖地であるベニジャッケを訪れていたようである。


 ケビア教の聖職者達は、ケビア教と距離を置くブータ帝国を激しく批判し、嫌悪した。

 だが、皮肉にも、ケビア教信者を利用する聖戦軍や、巡礼者を異端として嫌悪した正統コーンビフ帝国より、ケビア教にさほど関心のなかったブータ帝国が巡礼者にとって最も良い支配者だったのである。

 宗教と距離を置くという政教分離は当たり前のものとして今日、多くの民主的国家で採用されている。

 宗教的判断はそれが理想に忠実であるがゆえに、現実の前に無力なのである。

 そして、それを白日の下に示したブータ大帝のことを聖職者達は嫌悪せざるを得なかったのである。

 ブータ帝国とケビア教の複雑関係は真面目に扱うと本の1冊や2冊ではおさまらないだけの説明が必要になる。

 本書ではこの問題に深入りせずに済ませるが、この話題に興味のある者に向けてレキシ・コウサ著の『ケビア教の黄昏』や、ヒス・トリュフ著の『ブータ帝国とケビア教』、拙著『聖戦の話』あたりを参考書として紹介しておく。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 世界を変えたと言うに相応しいだけの事を行ったブータ大帝であるが、大帝が主導するオークの集団がピン・サモーンを治めはじめた時期は、正統コーンビフ帝国に取って代わることになるほど大きな勢力になると予測できた者は殆どいなかったに違いない。

 例えば、当時正統コーンビフ帝国以上に帝国の事を知っていたと言われる海洋都市国家ヴィタミンの十人委員会ですら、聖戦の大敗によって致命的に権威を失墜させた帝国に対して何れかの挑戦的な大諸侯が帝国の主導権を奪うことになると判断していたのである。

 オーク達が聖戦で示した武力はヴィタミンなど一部の国家や勢力では大いに評価されていたが、それはあくまでも傭兵としてのもので、彼らと同じ土俵に立って強力な存在となると考えていた者はブータ大帝その人を除けば存在しなかったであろう。


 何れにせよ、当時の正統コーンビフ帝国にとって警戒するべきはビーフテキ・メディアム大公を始めとした野心も顕な大諸侯たちであり、多少強引な行動をしたとしてもオーク達に構っている余裕はなかった。

 そして、オーク達は正統コーンビフ帝国首脳部の予測を遥かに下回る褒賞のみで満足し、従順である姿勢を示した。

 オーク達はピン・サモーンの支配のみで満足した様子を見せ、僅かではあるが正統コーンビフ帝国に上納金を納めたのである。

 この事実は大諸侯たちへの対応に頭を悩ませていた正統コーンビフ帝国を狂喜させた。

 聖戦でほぼ一人勝ちといって良い戦果を示し、ヤムチャ・シヤガツ伯達の反乱を瞬く間に鎮圧したオーク達の武力は諸侯たちの軽挙を思いとどまらせるのに十分な効果を持っていた。

 また、正統コーンビフ帝国の文官達は最大の敵対勢力である武官達の力を削げることを驚くほど単純に喜んだ。

 帝国宰相カッツォ・タタキなどは、帝国東部の抑えとして、オーク達の権限強化まで考えていたようである。


 これに対して、タルタル・チキーラ将軍を始めとする武官達は心穏やかではいられなかった。

 一部の文官達が野蛮なオーク達に武官の役割の幾つかを任せようとしているという噂が宮廷内で囁かれていた。彼らの魂胆は明らかに武官の権力基盤を傷つけ、破壊することであった。

 ある文官などは酒の席で、戦えば負ける武官達を追放して、忠実なオーク達を代わりに据えよう、とまで言い放ったという。

 もちろん、これはあくまで冗談であり、文官たちも異種族であるオーク達をそこまで信用していたわけではない。

 だが、オーク軍により反乱が討伐されて、東部が落ち着きを取り戻したことによって余裕のできた文官達にとって、最大の敵は武官達であったのである。


 これに対して、正統コーンビフ帝国の武官達はオーク達に苦々しい感情を抱いていた。

 他に選択肢がないために雇われているに過ぎないはずの異種族であるオーク達が、彼らの地位と権力を脅かしかねない様子を示したためである。


 そのため、オーク達に反乱討伐を任せることを最初に提案したチキーラ将軍に対する武官達の風当たりは強かった。

 チキーラ将軍の提案は他に選択肢がなかったために受け入れられたものであるが、結果的に彼の権力を弱体化させたのである。

 宮廷における権力基盤崩壊を食い止めようとチキーラ将軍はオーク達の権限を可能な限り制限しようと試みた。

 彼はオーク達にピン・サモーンを帝国に明け渡すよう求めるなど、それまでの親オーク政策を真逆に転換したのである。

 この強硬姿勢によって、チキーラ将軍は若干支持を回復したが、正統コーンビフ帝国の武官達とオーク種族の関係はこの時期から急速に悪化した。


 正統コーンビフ帝国との交流チャンネルを喪失したことで、ブータ大帝率いるオーク達は微妙な立場に立たされていた。

 オーク達がピン・サモーンを支配している大義名分は正統コーンビフ帝国に代わって治安回復を行うというものであり、帝国の意向次第では、この大義を失いかねなかったのである。


 この問題をよくよく認識していたブータ大帝は素早く動き出して、正統コーンビフ帝国の帝都コーンビーフルの地を再び踏んだ。

 帝都にて大帝は以前にコーンビーフルを訪れた際に作り上げた人脈を十全に活用して、正統コーンビフ帝国の文官達との接触に成功した。

 そして、正統コーンビフ帝国宰相タタキの名前において、ブータ大帝はピン・サモーンの領主代行を任されることになったのである。

 チキーラ将軍などはこの事態に歯軋りして怒り狂ったという。


 レーキシン著 『ブータ帝国記』より


 □■□■□■□■□■□



 コーンビーフルよ、私は帰ってきた!!


 皆様、こんにちは、毎度おなじみブータです。


 本日、自分は正統コーンビフ帝国の帝都コーンビーフルの地を再び踏みました。

 以前来た時は異端軍と相対していたためか、人の出入りもなく、どこかピリピリとした空気が漂っていましたが、戦争が終わってもうすぐ一年が経ちますが、帝都の入り口はごった返す人で賑わっています。

 これが本当のコーンビーフルということなのでしょうか。

 そんな事を思いながら、自分は門の前で兵士たちに検問を受ける馬車の数々を眺めていました。


 ――っ!


 ふと、視線を感じた自分は慌ててマントに取り付けられたフードで顔を隠しました。帝都を眺めることに夢中で、フードが顔にかかっていなかったことに気が付かなかったのです。

 ここまで来る途中で出会った人間たちは自分の顔を見た途端、怯えと憎しみが綯い交ぜになった表情を向けてきました。

 帝都においてこの状況が変わるとは思えない以上、できるだけ種族は隠しておいたほうが良いでしょう。

 今、自分が引き連れているのはピン・サモーンから連れてきた人間種族の部下の一人、ヨグルドだけです。

 他のオーク達がいない以上、万が一、人間たちに暴力を振るわれた場合に対処できるわけがありません。

 以前、異端軍と戦争していた際におけるオーク達の帝都での行動は恨まれてもしかたのないものですし、よくよく考えれば、もう少し護衛となりそうな連中を連れてくるべきだったかもしれません。


 「これがコーンビーフル……」


 隣でヨグルドが感嘆の溜息を吐きました。ピン・サモーンなどとは比べ物にならない巨大な城壁を見てのものなのか、入り口を行き交う雑踏を見てのものなのか、あるいはそれ以外が理由なのかは分かりませんが、ピン・サモーンしか知らない彼にとってこの光景は驚きの連続なのでしょう。


 「そうだ。これがコーンビーフルだ。凄いものだろう」

 「なんで、あなたがそんな偉そうなんだ?」


 田舎から上京してきた親戚に都会の自慢をするようなノリでヨグルドに言ったところ、帰ってきたのは冷たい声でした。

 この田舎臭い糞ガキが。

 そんな品の無い事はこれっぽっちも頭には浮かばなかったのですが、ヨグルドの言葉は自分の精神に多少のささくれを起こしました。

 ヨグルド、今年で18歳になるという孤児として修道院で育てられたこのくそが……少年です。

 ブラウンのくせっ毛、中肉中背という体つきに平均よりはやや上の整った顔つきで、人間種族なのにヒゲのない顔立ちは彼の年齢をより幼く見せています。

 青みがかったアーモンドのような瞳は黙って大人しくしていれば鑑賞に耐えるというのに、常に苛立ったような表情を浮かべていることで台無しです。

 自分と同じようにフード付きの全身を覆うマントを身にまとっていますが、自分と違ってフードを後ろにやり、何の気兼ねもなく帝都コーンビーフルを見ています。


 ヨグルドは若い頃から頭の良さを示しており、将来を期待した孤児院の院長が知り合いの修道院の司祭を頼って彼に教育を施すよう依頼したという話を聞いています。

 孤児院の院長からの依頼を快諾した司祭は、ヨグルドに読み書き算盤、神学、歴史、地理等を教えたそうです。

 利発なヨグルドはその才能を示し、瞬く間に司祭から教えられた知識を自分の血肉とし、ピン・サモーンにおいて神童として名前を知られるようになったというのが彼を雇う前に聞いていた話です。

 これだけ聞けば、将来有望でありながら貧困のために教育を受けられない若者に親切な大人が支援をしたという感動談話になるでしょう。

 ところが、この少年はどうも田舎者としては勉学が得意なせいか、周囲に彼と競うことが出来る程度の存在もいなかった弊害か、増長した鼻持ちならない性格なのです。

 先ほどの発言のようにこの生意気な少年の中には社会を円滑に回すために有用な上司を敬うという発想が存在していないようで、場合によっては雇い主を馬鹿にするような態度すら見せるのです。


 人間を部下として採用すると決めた時、実はあまり若い相手を雇うことはしたくありませんでした。

 経験不足な人間は何をするかわからないという不安定感があるためです。

 無駄にエネルギッシュな若者はあまりにも楽天的に困難に立ち向かうという長所を持っています。しかし、自分は人間の部下にはただ円滑な組織運営を求めており、多くの場合は長所となるこの特性はむしろ無用の長物なのです。ただでさえ、突発的なツヨイ――今の名はシーザですが――の無茶苦茶な行動に振り回されているというのに、他に余計な面倒事を引き起こす要因が加われば自分の身体が持ちません。

 それと比べれば、多少能力が劣っていても、言われたことに素直に従う人間のほうが自分には好ましいのです。

 ですが、ピン・サモーンという土地では命令書や兵糧の確認や帝国への報告書作成のために最低限必要な能力、読み書き算盤を持っている人間自体が希少で、とにかく能力のある志願者は無条件で採用せざるを得なかったのです。


 正直後悔がないわけではありません。

 仕事をほとんどしない程度ならまだ良いのですが、中には無駄に正義感にあふれて空気を読まないシュー・クリーや酒ばかり飲んで職場で同僚に絡むドラグ・アルコルの様に面倒事を頻発し、他の仕事を妨害する連中まで雇う事は避けるべきでした。


 まあ、自分がピン・サモーンを発つときに、治安維持を任せたシュー・クリーに今後悩まされる心配を殆どしなくて良いというのは素晴らしいことです。

 まあ、シュー・クリーの抜けた穴を埋めるための人材確保には奔走しなければなりませんが。

 治安維持機構が消滅してから、自分が帰るまでの間が不安だったのでしたが、幸いにもこれは何とかなりそうです。

 知り合いの好でテリヤ司祭が自分と入れ違いで訪れるという話なので、そう酷いことにはならないと期待できます。

 何故か、従軍司祭としてオーク軍に同行したテリヤ司祭はオーク達と自分以上に馴染んでいました。

 酒の飲み比べをしたり、食べ比べをしたり、取っ組み合って殴りあったり、とその行動はゴロツキとそう変わらない気もしますが、宗教に関しては以外なほど真面目です。

 オーク達の狼藉が酷ければ、決して黙ってはいないでしょう。

 そして、短い期間でオーク達からそれなりの信用を獲得したテリヤ司祭の言葉ならオーク達も無碍にはできないはずです。

 帰ったら、テリヤ司祭には是非ともピン・サモーンに留まるよう説得しなければなりません。

 丁度、一人分の空きができることですし。

 いや、本当にシュー・クリーの件は美味し、ではなく惜しいことになりそうです。

 遺憾の意を示さざるを得ません。

 全て、治安悪化が悪いのです。

 帰ったら、他の部族の連中の勝手な行為を徹底的に制限する必要がありますね。


 一方、残念ながら、修道院出身で平民のシュー・クリーと違い、有力者とつながりがあるアルコルの方は首に出来ません。

 あの飲兵衛は、どうしようもない酒癖の悪さのために長らくまとも職にありつけていなかったそうなのです。

 そうすると、あろうことかあのアルコルは大商家の長男でうっかりすると、店を継ぐことになりかねません。

 流石に彼の父親は昼間から呑んだくれる飲兵衛に店を継がせるつもりはないらしく、真面目で仕事熱心な次男に店を継がせようとしているらしいです。

 その場合、長男を無職のまま放り出すのは世間体が悪いらしく、彼の父親は資金繰りに苦労していた自分に対して、資金援助の代わりにアルコルを雇うよう要求してきたのです。

 1人位大した事ないと思ってこの申し出を喜んで快諾した自分は、しかし、人が書類を書いている隣で陽気に歌いながら呑んだくれるアルコール中毒野郎に、条件を飲んだことを後悔して、同時に、商人相手にただ上手い話などあるわけがないということを思い知りました。

 アブラなどの連中は面倒くさい統治に興味がないため、仕事場に近寄って来ません。だから、兵糧や物資からつまみ食いさえ容認できれば、オーク達はまだ存在を我慢できます。

 まあ、そのつまみ食いは決して認められないのですが。

 ともかく、アブラ達はどこで問題を起こすかが分かりやすいため、こちらとしてもまだ対応しやすいのです。

 しかし、アルコルの場合、何故か自分たちが書類処理をしているすぐ横で呑んだくれて、騒ぐのです。

 そして、生真面目なシュー・クリーがアルコルに突っかかり、どうしようもないことになるのです。

 とにかく、アルコルには帰ったら適当な仕事をやって、他と隔離しておいたほうが良いでしょう。

 あからさまに不真面目な同僚が側にいるとついついサボりたくなるものですから。


 この2人は極端な例ですが、自分の部下となった人間たちは問題児が多いです。

 問題児ばかり、とも言えるでしょう。腹の立つことに、問題児ばかりが集まってしまった理由も分かるのですが。

 そもそも、読み書き算盤ができる人間自体が希少であり、この能力を持てば職に困らないという事を考えれば、他の人種族であるオークの下での仕事をわざわざ志願する連中は何かしら問題を抱えているに決まっています。

 自分自身、人間たちを雇うと決めた時に問題のある部下ができることは多少覚悟していました。

 しかし、実際に集まった連中は例の2人を筆頭に自分の想像を超える厄介事を引き起こしてくれます。


 それでも、連中の首を切らないのは、今後を考えてのことです。

 今後、ツヨイ、ではなくシーザを中心とした自分たちオークはピン・サモーンから勢力圏を拡大していくことになるでしょう。

 そうならなければなりません。

 現在、若年のオーク達の中で優秀そうな連中を集めて、官吏としての教育を施していますが、勢力圏を円滑に運営するためには絶対数が大きく不足することは明らかです。現状ですら、全く足りていないのですから。


 そうである以上、人間たちにある程度統治を任せなければなりませんが、その際、重要になるのが信用です。

 自分たちオークは統治の権限を移譲した人間たちが自分たちに反意を示さないことを信じなければいけませんし、人間たちにはオーク達がまともな支配者であることを納得させなければいけません。

 しかし、社会的、宗教的な理由から人間たちはオーク達の事を恐れ、嫌悪しています。

 通常、同じ共同体に属する者たちが共有する一種の信頼関係という集団におけるコミュニケーションの前提――例えば、無闇に相手が嘘をつくことはないという信用や、いきなり相手が刃を持って襲い掛かってくるわけがないという信用など――が人間とオークの間には存在していないのです。

 むしろ、人間達の間でオーク達は血を求めて幼馴染同士が互いに殺しあうとか、人間を食べるとか、犯した相手を食い殺すとか、事実無根かつ荒唐無稽な話が信じられているようなのです。


 そのため、自分たちオーク達と人間達は早急にこの当たり前の『信用』を確立しなければいけません。

 人間達と円滑な関係を築くための『信用』としては、彼らの宗教であるケビア教に改宗したり、人間達と同じく農作業などに精を出して共同体としての意識を芽生えさせることを目指したりといった選択肢が考えられます。

 しかし、戦闘中はオオオサが全ての決定権を持っていますが、ツヨイ、ではなくシーザの勢力はオーク達の他の部族に対しては優位に立っているだけあり、先に述べた選択肢を選べるほどの権勢を誇っている訳ではありません。

 ケビア教に改宗するということになれば、面倒くさい一神教であるこの宗教の教義上、それ以外の信仰全てを捨てなければいけません。ですが、部族の祖霊を敬うという原始的なオーク達の信仰は素朴であるがゆえに排除するようなことは困難極まりありません。

 また、戦闘員を尊ぶ文化のオーク達が素直に喜んで農作業といった『戦いの役にたたない愚鈍な連中のすること』をするわけがありません。

 そして、そんな事を強行すれば、戦うものとしての誇りを侮辱している、とでも主張してシーザの地位を脅かそうとする連中が湧いてでることでしょう。

 例えば、インペリアとか。


 それに、オーク達の今までの行動が行動ですから、人間達から好意を得ようというのは無謀としか言えません。

 強盗の常習犯がいきなり仲良くしようと言ってもそれを素直に信じるのは余程脳の足りていない者か、聖人くらいです。

 人間達の方が数か多いことは明白ですし、流血を恐れなければ武装蜂起するという選択肢が彼らにはあります。

 そうである以上、消極的に自分たちオークに従ったとしても、それは彼らが戦いによって失いかねないものがあるからであって、決して自分たちを認めた訳ではないのです。

 そして、我慢が限界達したり、煽動者の一人でもいたりすれば、今すぐにでもピン・サモーンの人間達は武器をとって立ち上がるでしょう。


 そこで、自分が着目したのが、契約を順守するという『信用』です。

 この、相手が必ず約束を守ると分かれば、利害をチラつかせることによって、最低限の交渉や取引は可能となるはずです。

 正統コーンビフ帝国自身、異教徒の存在を認めないというスタンスを取りながらも、莫大な利益の出る西方の異教徒と野蛮人の国々との貿易は続けていますし。

 金を天秤に掛けることが出来れば、信仰だろうとなんだろうと大抵のことはどうとでもなるのです。

 当然、能力に応じて、賃金や物品で報いることで、人間達を従えることも可能なのです。

 もちろん、中には融通の聞かない石頭もいるのですが。

 その際、重要となるのが、互いに商取引のルールを守る、契約を必ず守るという『信用』なのです。

 そして、この『信用』は契約条件の明示と行動の実践によって容易に実績を積み上げることができます。

 逆に、一度でも契約を反故にすれば全ての信用を失いかねないのですが。

 だからこそ、自分達は約束を守る存在であるという信用を獲得することを目指すのです。


 それゆえ、自分達オークは人間達に嘘をついたり、約束を違えたりというような事は断固として避けなければならないのです。

 どうしようもなく仕方なく約束を違えるとしても、人間達に自分達が嘘つきであると思われてはいけません。。

 オークの統治に協力する者を集うという話は、多くの人間たちにとっては胡散臭いものとしか聞こえないはずです。

 彼らにしてみれば、人間とは異なる形相の自分達オークから何をされるか分からないとでも考えているでしょう。

 そうである筈にも関わらず、自分達へ協力している人間達は現状非常に貴重であると同時に、他の人間達にとっての試金石でもあるのです。

 最初に名乗りでた協力者がどの様に扱うかは、今後の人間達からの協力の度合いが大きく影響を及ぼすはずです。

 そんな状況で、わざわざやってきた人間達を切り捨てるような事をすれば、折角、自分が築きあげようとしている『信用』も台無しになります。

 内実を知れば、首にしたくなってしょうがないような連中でも、外から見て明らかな問題があるということがなければ、こちらから問題のある行為をしてはいけません。


 また、向こうから辞めるという前例も作りたくありません。

 何らかの事情で能力に見合った職にありつけなかった連中が辞めたということになれば、全面的に相手に非があったとしても、自分たちがオークであるというだけの理由でいらぬ邪推をされかねません。

 それは間違いなく、『信用』を傷つけるのですから。


 だから、どんな問題児だとしても、余程の事態がなければこの前雇った連中とは当分付き合わなければなりません。

 むしろ、連中を排除するというのは今までの戦略に致命的な破綻が生じたということを意味します。

 その点では、自分はシュー・クリーやアルコルといった連中と共に仕事ができている現状に感謝するべきなのかもしれません。

 共に仕事ができているということは、自分の計画が上手くいっているということの裏返しなのですから。

 そう、決して迷惑を受けていようが怒ってはいけないのです。

 徹夜明けに生真面目一辺倒で融通の聞かないシュー・クリーの議論を延々と聞くはめになろうが、二徹の修羅場に突入した自分たちの横で悠々と酒を飲んで歌うアルコルの存在は歓迎するべき事態なのですから。

 まあ、少なくとも前者はそろそろ解決した頃かもしれません。

 事故というものはよくあることです。ピン・サモーンを発ってまだ一週間ですし彼は健在かもしれませんが。

 とは言え、自分が帰るまでに事故がないというのは考えにくいものですから、かなり期待でき、ではなく、不安でしょうがありません。


 そんな事を考えながら、無言でコーンビーフルを眺めていると、視界の端でヨグルドが不満そうに身動ぎしました。


 「それで、何時、俺たちは中に入るんだ?」

 「……もう少し待つ。今は馬車の往来が激しいようだし、面倒事を避けるためにも少し空いてからにしよう」


 目の前のご馳走をお預けされた猫のように、ヨグルドはイライラとした様子を隠そうともしません。余程、コーンビーフルの中に入りたくてしょうがないのでしょう。

 その口の聞き方や態度は気に喰わないことこの上ありません。

 しかしながら、理性的な文化人たる自分は寛大な心でこれをスルーして、暫く待つと告げました。

 自分の言葉に反感を滲ませるヨグルドの表情に多少の溜飲を下げながら、自分は再び帝都に目をやりました。


 チキーラ将軍からの使いには自分が帝都を訪問する旨を記して返答を出しています。

 早馬を駆って帝都へ帰還していった使者の言葉が正しければ、5日ほど前に使者はチキーラ将軍に手紙を届けているはずです。

 徒歩で帝都に向かっているという事を知っているチキーラ将軍は、自分を迎えるために人を遣っている可能性があります。

 だからこそ、コーンビーフルの入り口付近にそれらしき集団がいないか見ていたのですが、生憎、入り口は行き交う数え切れないほどの馬車や荷物を背負った馬、人間達でごった返しており、まるでそれらしき影を見つけることができません。

 本当に存在していないのか、人ごみに隠れているせいで見つからないだけかは分かりませんが、これだけ人が行き交い土埃が立つ中で、チキーラ将軍の部下と思われる人間を探し出すことは不可能でしょう。

 そもそも、迎えがどんな格好をするかもさっぱりわからないのですし。


 こちらに迎えが来ることを内心期待していた自分としては、到底それが期待できなくなったことで、多少の残念感を覚えずにはいられません。

 というか、かなり痛手です。


 先にも述べた通り、オークという種族に対する人間種族の憎悪と恐怖の感情はもの凄いものがあります。

 以前、帝都コーンビーフルまで来た時は、自分は軍団の一人であり、正面から軍団に喧嘩を売る無謀としか言い用のない人間がいない以上、それなりに安全かつ、穏便にサモーン領からの道のりを進むことができました。

 ところが、今回、自分とヨグルド2人だけで旅をしたところ、人間達は自分がオーク種族であると知った途端出入りを拒否したり、売買を拒否したり、武器を持って襲い掛かってきたりしました。

 自分が正統コーンビフ帝国の家臣となったオークであると主張しても、人間達はまるで聞く耳を持ちませんでした。

 高度な文明人としてのエチケットを弁える自分には、土民どもが、などと差別的な感想は生まれませんでしたが。ただ、法治国家でない正統コーンビフ帝国は旅をすることに向いていない事は明らかです。


 そのため、自分はコーンビーフルまでの道中、フード付きのマントで頭を隠し、ヨグルドに宿の手配や旅に必要な水などの物資を購入させながら、何とかこの地までやって来ました。

 自分がオークだということが明らかになると、石を投げられるならまだいいほうなので、すぐにでも人間達から離れなければいけません。

 とは言え、水を始めとした物資は必須ですし、先の戦争で大量に発生した傭兵崩れが野盗となり至るところを跋扈している中、安全に眠る場所が確保できるか否かは直接命に関わってきます。

 そのため、本来だったら2、3日は早く着けたはずの距離でありながら、ここまで時間を取られることになったのです。


 そして、見たところ、帝都コーンビーフルの入り口は現状たった一つで、衛兵達が入出のチェックをしています。

 これは帝都に来る道すがらヨグルドが集めた情報と一致します。

 他にも帝都に入るための門はあったのですが、前の戦争の時に異端軍の侵入を防ぐために石や土で完全に塞いでいました。

 戦争が終わっても治安維持のために、帝都への入り口を一つにして入出管理を行なっているらしいです。

 何でも、近衛兵の削減の為に他の門に回すだけの人員がいないのだとか。

 流石に冗談だと思うのですが、財政赤字が深刻らしい正統コーンビフ帝国にしてみれば、入り口を一つにして物流を低下させるデメリットと比べても、多数の入り口を管理するためのコストが無視できないという事なのかもしれません。

 なんともはや、どうしようもない状況です。


 ともかく、帝都に入るためには自分のフードの下を晒さないわけにはいかないでしょう。

 衛兵たちならまだ理性的に行動してくれると信じたいのですが、余計な人間たちにまで自分の正体を明らかにすることは避けたいのです。

 以前、オーク達が帝都を訪れた際に行った蛮行の数々――決して自分はそれらの行為とは関係ないのですが――はまだ帝都に住む人々の記憶に新しいでしょう。

 下手をすれば私刑の対象になりかねません。

 自分が帝都に入るのを少し待つことを決めたのにはそういった理由もあるのです。


 「なあ、とっとと――」

 「くどいぞ、ヨグルド」


 未練がましく文句を垂れようとしたヨグルドに自分は断固とした態度で彼の戯言を封じました。

 全く、この生意気な糞ガキは、じゃなかった、少年は何でも自分の思い通りになるとでも勘違いしているのでしょうか。

 帝都に来る旅の途中もこの生意気な少年は自分のしたいことをゴリ押ししようとしてきました。

 特に、自分が人間の村や町での取引や交渉ができないという問題が明らかになってからの彼の態度は目に余るものだったのです。

 旅に必要な物資、水や食料を買ってくるように命じたにもかかわらず、勝手に短刀や本を買ってきたり、宿に泊まる際にヨグルド一人だけの部屋を確保しようとしたり、とにかく好き勝手に振る舞っていました。

 まあ、財布は自分が握りしめていましたので、宿の方はヨグルドがあきらめざるを得なかったのですが。

 短刀と本は返品しようにもヨグルドが拒否した事と、店がそもそも返品を受け付けそうになかったことから、両方共没収するに留めることになりました。


 ヨグルドの買ってきた本は修道院で学んだというだけあって、ケビア教の教義に関するものでした。

 抽象的で形而上的な文章は自分の気力を大きく削りました。

 気合を入れて読み進めたところ、神の全能性について書かれた文章だということまでは理解しましたが、ケビア教に関しては一神教であるという程度の知識しかない自分にはちんぷんかんぷんでした。

 一読してまるで興味を喪失した自分は、ヨグルドにこの本を渡すのも癪だったので、途中泊まった宿のゴミ箱に投げ捨てておいたのですが、隣の少年は屍肉を漁るハイエナのようにこの言葉遊びでしかない本を見つけ出して携帯しています。

 自分がゴミ箱に捨てたものを注意して捨てさせるのも負けた気分になるので、自分はもうこの本には触れないことにしています。


 短刀の方は全くどうしようもないものでした。

 安物も良い所のそれを高値で掴まされたようです。

 腕の確かな刀匠の作で、名刀に勝るとも劣らないが作者の名は知られていないために安く買える、という武器商の言葉をそのまま信じているのか、このあほたれは言い値で買い取ったというのです。

 正直呆れて声も出ませんでした。

 刀身の何処を叩いても歪な音がしました。目視では判別できませんが、間違いなく刀身のあちこちにヒビが入っています。

 この短刀は何時折れるとも分からない状態なのです。戦いには当然使えませんし、刃先が潰れているため、鹿などの獲物を捌く事にも使えません。

 というか、見た目ではヒビが入っていないのに、ここまで歪な音がするというのは余程作者の腕が拙かったか、壊れかけた剣を表面だけ取り繕ったかのいずれかです。

 あんな何処にでもあるような地味な剣をわざわざ修繕するくらいなら普通は新たに買い直すのではないでしょうか。というか、表面だけ取り繕うというのは変な話です。そう考えると後者の可能性は極めて低くなります。

 恐らくは前者、素人の作ったそれなのでしょう。

 こんな物を戦場の戦利品として持ち帰れば、オーク達に見る目がないと笑われること間違いないに違いありません。

 そもそも常識的な精神を持っていれば、こんな田舎に腕の良い鍛冶屋がいるわけがない、と言うことくらいすぐに分かると思うのですが。

 ヨグルドはアレですね。騙されやすいのでしょう。

 そのことをヨグルドに告げましたが、この捻くれたガキは最初信じようとしませんでした。

 刃物の事は自分の方が良く知っていると言っても、このガキは何処か小馬鹿にしたような態度を隠そうともしませんでした。

 その根底には、野蛮な生活をしていたオーク種族に対する軽蔑があったのでしょう。

 この少年は学のない連中を軽蔑するという非常に卑しい性根の持ち主なのです。

 自らがたまたまそれなりの教育を受けることができたからといって、その機会を与えられない存在をあざ笑うその姿は見ていて滑稽なのです。

 それに、学や知識がない相手であったとしてもその考えや発想を全て否定する事はできません。むしろ常識に囚われない新たな発想というのは往々にして無知の気まぐれが生み出すのです。

 それを何の考えもなしに否定するというヨグルドの姿勢は固定観念に凝り固まっていると言えるでしょう。

 そして、それは多くの優れているとされる存在たちが無自覚の内に陥りやすい罠なのです。彼らは無意識的に他者を馬鹿にし、その能力を侮った結果、その予測を覆す他者の刃に倒れてきたのです。

 ヨグルドもこのまま増長し続ければいずれ致命的な敗北を思い知ることになるかもしれません。

 まあ、その時の被害が自分のところに来なければ、どうなろうと関係ないのですが。

 自分は自身とツヨイ――シーザの野望を叶えるために手一杯で一々他者の成長を手助けする余裕などありませんから。


 それにしても、高々中世、良くても近代未満の知識しか持っていないこの愚かな少年に見下され、馬鹿にされるというのは非常に腹の立つものでした。

 この少年には、と言うより自分以外の誰にも到底知りようもないことですが、自分の持つ知識はこの時代の如何なる賢人のそれを上回っているはずです。

 もちろん、ケビア教の教義などの分野における自分の知識はたかが知れていますが、科学や歴史、経済、政治においては如何なる相手だと負ける理由がありません。

 これは決して、自分が他の人間よりも発想能力や思考能力で優れていると言う訳ではありません。


 しかし、前世というものなのか、異なる世界で生きた記憶を持っている自分には、この時代に普通に生を受けた者とは全く異なった景色を見ているのです。

 大地にただ立つ者にはただ目の前の木々が見えるだけでしょう。仮に彼とすると、彼は木々が存在していること以外の情報を得ることができません。

 当然想像することはできますが、多くの場合、想像というものは荒唐無稽なのです。暗闇に怪物を想像するように。

 ですが、木に登って周囲を見渡せば、木々が連なり森を作っていることを知ることができます。

 彼は想像ではなく、現実として森の存在を理解するでしょう。

 もし、彼が明かりを持って夜通し森を見張れば、怪物が何処にも存在しないことに気がつくかも知れません。

 彼に体力があり、森の中で最も高い気に登れば、森の向こうに崖が存在する事を知り、更にその先に存在する山々に気がつくかも知れません。

 ですが、彼が知ることができるのはそこまでです。

 山よりも高い木がない以上、いくら木に登っても、彼は山々の向こう側を見ることはできません。

 そして、山へと続く道が崖によって遮られている以上、彼が如何に優れていても山の向こうの景色を見ることはできないのです。

 しかし、自分は違います。

 無数の偉人や天才の築き上げた天上へと続く櫓の上から遥か地上を見下ろすことができるのです。

 頂きから見れば目の前に立ちふさがっていた木々も山々もちっぽけなものとなります。

 そして、山々の遥か向こうの景色までを実際にこの目にすることができるのです。

 この櫓こそが自分の持つ異常な知識、最大の武器なのです。


 この知識を前に、この生意気な少年が学んで得たそれや小賢しい考えなど塵にも等しいのです。

 自分はそう思うのですが、しかし、この孤児院出身で礼儀のなっていないガキは自分がずるとも言える知識の一端を披露しても、馬鹿にしたような態度を崩しませんでした。

 せっかく、人が何故折れやすい刀とそうでない刀があるのか――金属結晶の格子欠陥転位線の存在が金属の展性を制限し金属を固くすることと、硬いということは折れやすいということ、熱処理で格子欠損を減らせることと、打金により格子欠損が生じること、そして鍛冶師は刃物の格子結晶における欠損の割合を実用的な所に持ってくる必用があること――を筋道立てて丁寧に説明したというのに、辺境で才子と持て囃さていたわりには大したことのないガキは自分の説明をロクに理解できていないようでした。

 ……まあ、金属結晶の説明もなしに結晶欠損の説明をするというのは理論の飛躍がありましたし、少々難しすぎたかもしれません。

 説明不足という多少の非が自分にあることは否めません。

 それでも、自分のことを天才とでも思い上がっているこの少年が本当にそうであるなら当然理解可能であったとは今でも思いますが。

 これはかつて自分が住んでいた世界では常識であったごくごく簡単な知識なのですから。

 それに、理解できないことを出鱈目だと決めつけるこのガキの態度については擁護のしようもなく狭量であると言えるでしょう。


 ここまでは今思い返しても腹がたってしょうがありませんが、小刀を叩き折った時のヨグルドの唖然とした顔は今思い出しても笑みが零れてきます。

 いくら言っても自分の言葉を信じようとしないこのガキに、自分は業を煮やして小刀を叩き折って見せることにしました。

 ヨグルドに対して小刀の腹を石垣に5回ぶつけて小刀が折れるかどうかを賭けようじゃないかと提案したのです。

 自分の言葉に反発を重ねてきたこの向こう見ずな少年は自信満々に折れなかったら二度と文句をつけるな、と偉そうに言い放ちました。

 その時点で、自分としては5回で小刀が折れるか若干不安な所もありましたが、逡巡の末、ヨグルドの言葉を認めることにしました。

 自分がこの小刀に下した寿命判断に身を委ねることにしたのです。

 だから、決して、自分が迷っている様をヨグルドが小馬鹿にした態度で見ていたからなどという理由ではありません。

 ともかく、自分が若干の不安を抱きつつ小刀の腹を道の横にあった石垣に向けて思い切り振り下ろしたところ呆気無いほど簡単に小刀は刀身の中央から真っ二つに折れました。

 折れた小刀の刃先が自分の顔を掠めたことに心臓の鼓動を多少早めながらも、自分はヨグルドの方に急いで振り向きました。


 そして、目に入ってきた光景、ヨグルドが口と目を真ん丸にして呆然と自分の手に握られた小刀を見ている様は、それまでのヨグルドの態度によって少なからず蓄積していたストレスを一瞬で帳消しにするほどのものでした。

 思わず吹き出してしまったのは不可抗力でした。

 あれを笑わないでいられるのは、そもそも笑うという機能を持っていない存在だけでしょう。

 自分はしばらく腹を抱えて笑い転げてしましました。

 笑いの波が引いた後、ヨグルドの顔を見上げると、彼は目尻にうっすらと涙を浮かべていました。

 その様子に自分は思わず、今どんな気持ち、と問うていました。

 すると、ヨグルドは肩を震わせ、何も言わずに俯いてしまいました。

 自分としては、どんな気持ちがするのかもう一度聞き返したかったのです。

 ですが、ヨグルドは右手で笑い転げた時に自分が落としていた折れた小刀を握りしめており、やけっぱちになって暴れられたら危険であったため、止む無く自分はヨグルドに追い打ちをかけることを諦めました。


 ともかくヨグルドが勝手に小刀を買ってきたという出来事は少なからぬ出費と引換に、自分に笑いを運んできたのです。

 それと、この一件以来、己の卑小さを思い知ったのかヨグルドが比較的大人しくなりました。

 更に、ヨグルドが自分に対して強気な姿勢をとった場合に素晴らしい対抗手段を自分にこの一件はもたらしました。

 咳き込むふりをしながら、小刀、小刀、と呟くとたちまちヨグルドは黙り込むのです。

 帝都までの旅において、遺憾ながらヨグルドの全面的な協力は必須でしたが、この武器によって暴走しがちなこの少年を上手いこと動かすことができました。

 塞翁が馬という言葉の通り、この生意気なガキが無駄金を叩いた時には怒りが浮かびましたが、その結果、スムーズに帝都まで辿りつけたことを思うと、何が得になるか分からないものです。


 とは言え、帝都にたどり着くまでの数々の苦労、特に立ち寄った街で自分の正体が衆目の目に晒され、駄馬を置いて街から急いで離れてからの水や食料の補給や寝床の確保といったそれはもう体験したくないものです。


 特に飲み水を失ってからの一日間は地獄そのものでした。

 水たまりや小さな池の水は安全性の観点から到底飲む気になれませんでした。

 万一腐っていたら命に関わりませんでしたから。

 そのため、自分たちは安全な水源を求めて無人の荒野地帯をさまよう羽目になりました。


 加えて、自分の存在のために村を追われることになったと思っているヨグルドは自分に対して冷淡な態度を取るようになったことも大変でした。

 これに関しては確かに自分にも責任があります。

 ヨグルドが本や小刀を勝手に買ってきたのも、この時彼が自分に感じた強い不信感があればこそなのかも知れません。

 もっとも、辺境で才子才子と持て囃され続けた結果として、残念な肥大しきった自我を持つヨグルドならば、この件がなかったとしても同じような行動をしたかもしれませんが。


 いずれにせよ、水がないという生命に関わる重要な問題が発生しているにもかかわらず、自分に反発した態度を取るヨグルドの存在が大きな重荷であったことは疑いようもありません。

 しかし、この文句ばかりを垂れて建設的な発想を持たないガキであっても、今後を考えた時に見捨てるわけにはいきませんでした。

 サバイバル技術を持たないこの小才子を一人にすればたちまち野垂れ死ぬことは火を見るよりも明らかです。

 そして、ピン・サモーンではそれなりに有名なこのガキが自分とともに帝都コーンビーフルへと旅立って一人帰って来なかった場合、ピン・サモーンの人間達の自分に対する『信用』は大きく傷ついてしまうでしょう。

 刹那的に生きるというのであればそれでも構いませんが、ツヨイの、シーザの夢を叶えるためにはそれではいけないのです。

 そのため、自分は時に恫喝し、時に懐柔しながら、能無しが水たまりの水を飲もうとする事を阻止し、先へと進ませたのです。


 結局、比較的安全と思われる小さな河川を発見した時は、安全性などろくに考慮することなく、自分もヨグルドも水をがぶ飲みしました。

 あの時の生き返った感は凄まじいものでした。

 背中から一瞬の内に汗が噴き出るという今までにない経験もしましたし。


 しかし、本当にヨグルドは重荷以外の何物でもありませんでした。

 彼の為に余計に食料、野うさぎのような獣を狩る必要がありました。

 そこらに生えていた樹の枝と蔦を手持ちのナイフで加工して作成した簡易弓で獲物を狩ったのですが、当然ながら威力や命中精度などは残念なもので、しかも、隣の無能が余計な音を出すものですから、獲物がすぐに逃げてしまうのです。

 空腹を十分に体験した後は、自分の邪魔をするべきでないということに気がついたのか、騒ぐ元気もなくなったのか、ヨグルドは大人しくなりましたが。

 やる気のある無能こそが最も迷惑であるというのはシュー・クリーを見ていれば簡単に分かることだと思うのですが、ヨグルドは自分の部下として働いていた期間に何も学んでいなかったようです。

 サバイバル技術がないのなら大人しく自分に従っておけば良いのですのに。


 帝都コーンビーフルに来るまでの苦労をひと通り回想した自分が、再び現実の帝都に目を向けると、相変わらず出入り門は行き交う人垣と無数の馬車とでごった返していました。

 一向に門の出入りが減少する傾向は見えません。それどころか、むしろ人ごみが増えている様な気がします。

 もしかして選択を間違えたのでしょうか。そんな不安が胸中をよぎります。

 まあ、まだ昼前ですし、夕方まで待てば人混みも減るでしょう。日の暮れた後に人里を離れるのは危険極まりないですし。


 そう思い直して、隣で凄まじい顔でこちらを睨みつけるヨグルドを無視します。

 余程帝都の中に入りたいのでしょう。

 全く、帝都が逃げる訳などありませんし、もう少し余裕を持つべきだと思うのです。


 「アンタ達、そんなところで何やってんだ?」

 「っ!!」


 唐突に後ろから見知らぬ声をかけられた自分は慌ててマントのフードを深く被りました。更に首に巻いていた布で鼻から下を覆います。

 これで初対面の相手に自分がオーク種族だと判明する可能性は大幅に低下します。暑苦しいのであまりフードとマスクはしたくないというのが本音なのですが。

 鼻の頭を触り、しっかりと鼻が隠れていることを確認すると、隣で不機嫌な顔をしたヨグルドが後ろを振り返ります。


 「あんたは何者だ?」

 「おいおい、質問に質問で返すのかよ……まあ、いいや。俺の名前はコイーン・チヨコ。流離いの天才商人たあ、この俺のことよ!」

 「……」


 隣のヨグルドからブリザードのような冷気を感じます。

 帝都を目の前に中々入ることができずイライラしている所に、頭の悪い人間に絡まれたことで我慢の限界に達したのでしょうか。

 若干腰が引けていることを自覚しながら、ヨグルドが面倒事を引き起こす前に、自分は俯いて顔が見えないようにしながら後ろを振り返しました。

 自分の顔を見られた場合の危険を考慮すれば、できる限り見知らぬ人間と顔をあわせて話したくはありませんが、ヨグルドを放置して置くとそれはそれで厄介事を引き起こします。

 全く、ヨグルドがもう少しまともで協調性があり、上司に対する敬意を持った人間だったらどんなに良かったことでしょう。

 心のなかでため息をつきながら、フードの隙間からコイーンとやらの顔を目にしました。


 「お、おいおい、なんで黙っちまうんだよ……いやいや、もう少し、お前が天才商人か、とかそういう反応をしてくれよ」

 「……」

 「お、おい、コイーン・チヨコなんて名前は聞いたことがないとか、聞きたいことはいくらでもあるだろ。ほら、この手に持っているこの変な棒が何かとか」


 若干顔がゴツイ気はしますがそれなりに整った顔つきの人間種族の男でした。

 声からはどことなく軽薄な雰囲気がしたので、もう少しなよなよしい顔を想像していましたが、それよりもずっと濃い顔つきです。

 髪は金髪、瞳は碧眼でそれだけ聞けば優男のイメージがします。ですが、実際には方々に伸びて解れた髪は大分竦んでおり、口周りを完全に隠している伸びきったヒゲと日焼けた肌とが相まって落ち武者のような雰囲気を醸し出していました。

 着ているマントは所々穴が開いており、そこから見える服も年季が入った物のように見えました。

 ボロっちい浮浪者みたいな奴だ、というのがコイーン・チヨコを見て最初に浮かんだ印象です。


 「ほらほら、この棒、ただの棒に見えるだろう。だが、これこそがこの天才商人コイーン・チヨコが未開の森を開拓し道無き道を越えて、遙か西へと赴いた際に発見した奇跡の植物なのだ! これさえあれば明日から俺は大金持ちだ。だから、今の見た目で判断しないでくれよ。ほらほら今のうちに俺の歓心を買っておいたほうがいいぞ」

 「……」


 そのコイーン・チヨコは先程からヨグルドから反応を得ようと必死に話しかけ続けています。

 その軽薄な口調が気に入らないのか、ヨグルドは頑として口を利こうとしませんが。

 とは言え、肩が若干震え始めているヨグルドの様子を見るに、爆発するまでそう時間があるわけでもないでしょう。

 ちらりと周囲を見渡し、近くに自分たちとコイーン・チヨコ、そして彼が引き連れてきたのであろう謎の棒を大量に背負った駄馬以外存在が近くにいないことを確認すると、自分はコイーン・チヨコに向かって口を開きました。


 「あー、その棒は一体何なんだ?」

 「おいおい、いい加減何か話してくれって。な? な? 今ならこの棒が何なのか教えちゃってもいいんだぜ」

 「……」


 折角自分が話しかけたというのに、コイーン・チヨコはそれを完全に無視してヨグルドに向かって話しかけ続けています。

 一体何なのでしょうか。

 もしかして、言葉が通じていないのでしょうか。

 しかし、それならば彼が正統コーンビフ帝国の公用語であるビーフ語――オーク達も何故かこの言語で会話するのですが――で喋っている事に説明が付きません。

 喋ることができている以上、聞き取りができないという事は考えにくいです。


 もしかして、コイーン・チヨコは何らかの事情で耳が聞こえないのでしょうか。

 彼がそれに気が付いていないというのならば必死にヨグルドに話しかけ続けている事も理解できます。

 おそらく彼は旅路で会うどの人間達とも全く会話ができなかった――彼が相手の声を聞き取れない為に――ことで、人との触れ合いに飢えているのでしょう。

 そうなると、仮にヨグルドが返事を返したとしても残念ながらコイーン・チヨコはそれを聞き取ることができません。

 そうであればヨグルドが一言もしゃべる様子を見せないということも結果的に最善の選択だったのかも知れません。

 耳が聴こえないという事実をコイーン・チヨコは何れは知らなければいけませんが、それでも、何時知るかは選ぶべきです。

 彼の耳がどのような状況かはわかりませんが、難聴が不治であるとすれば、コイーン・チヨコは二度と会話ができないということもありうるのです。


 もちろん、想像が外れているという可能性もあります。

 むしろ、そうであって欲しいと思いますが、仮にこの考えが真実だとすると、自分たちはもう少しコイーン・チヨコに配慮する必要があるでしょう。

 ヨグルドと異なり、文化的で洗練された文明人たる自分は弱者への配慮を欠かさないのです。


 「ヨグルド、返事くらいしてやったらどうだ」

 「ん? そうかそうか、ヨグルドっていうのか。いい響きの名前じゃないか。なあ、俺と少し話そうぜ。隣のマントをかぶった兄さんの言う通りだ。黙ってばかりじゃ花がなくていけねえ。西の果てにある異国の王様クシャミトリャの冒険譚とかはたまた東方の聖なる永遠の都、今じゃ怪物僧の跋扈する魑魅魍魎に満ちあふれた伏魔殿ロースビーフル、どうだい、面白そうだろう?」

 「ほう、確かに面白そう……ん?」


 あまりにもサラリとコイーン・チヨコが自分の言葉を引き継いだため、一瞬気がつくのが遅れましたが、どうも彼は普通に耳が聞こえているようです。

 そして、何故かヨグルドと話そうと必死になっています。

 一体何が彼をそこまでかき立てているのでしょうか。

 自分の脳裏に浮かんだ疑問に対する答えは、沈黙を破ったヨグルドによって明らかになりました。


 「いいかげんにしろ!! 俺は男だ!!」

 「え?」

 「なんだって!? なんてこったい!?」


 ヨグロドの口から出た言葉はあまりにも予想外なものだったので最初、彼が何を言ったのか分かりませんでした。

 しかし、コイーン・チヨコの反応からするとどうもこの伊達男気取りの浮浪者はヨグルドの性別を女性だと思い込んでいたようです。

 今までコイーン・チヨコがヨグルドに対して絡んでいたのは口説こうとしていたということなのでしょう。


 ……いやいや。

 幾ら何でも、ヨグルドの性別を間違えるというのはないでしょう。

 確かにヨグルドは筋肉質が殆ど付いておらず中肉中背の体格をしています。もちろん、体つきは男性のそれですが、今はマントで全身を覆っているため、実際の体格を外から正確に想像することは不可能です。

 正統コーンビフ帝国では人間種族の成人男性はヒゲを伸ばす風習がありますが、ヨグルドにはそれがありません。

 その点だけ着目すれば性別を間違えるという事も無理は無いかも知れません。

 ……あれ?


 ……なるほど。

 自分は既にヨグルドの性別や性格を知っているためコイーン・チヨコの様な考えを持つことはありませんでしたが、客観的に見れば、ヨグルドは女性と見られかねないだけの要素を備えていることになります。

 そう言えば、帝都に来るまでの道中で他の人間達との交渉にあたったヨグルドが突然顔を赤くして叫んでいたことがありました。その時に、自分の姿を見られることを恐れてなるべくヨグルドから離れる様にしていたため、彼が何を言っていたのかは分かりませんでしたが、もしかしたら、あの時も彼の性別を勘違いされていたのかも知れません。


 「いやいや、てっきり綺麗な女性だと思ったんだがなあ。うーん」

 「……それは、僕を侮辱しているのか?」

 「ヨグルド、その辺にしておけ」


 非常に残念そうな表情のコイーン・チヨコに対して怒りのせいか若干震える声でヨグルドは問いかけます。

 ここで騒ぎを起こされると面倒事では済まないのですぐに自分は仲裁に入りました。


 「いや、本当に残念だ。こんなに肌が綺麗なのにな……いや、あんたらもしかして、――」

 「変な想像をするな!!」

 「というか、そこまでヨグルドの肌は綺麗なのか」


 残念そうな顔で惜しいと呟き続けるコイーン・チヨコに自分は問いかけました。

 肌が綺麗とコイーン・チヨコは言いましたが、自分の目から見てヨグルドのそれは色白ではありますが、絶賛するほどのものではありません。

 普段から野外で過ごすことが少なく、今回の旅路でもマントで全身を覆っていたヨグルドの肌は色白ではありますが、そこまできめ細やかという訳ではありません。

 自分が以前帝都で会ったエルフの少女と比べると月とスッポンです。

 それに、帝都の上流階級と思しき女性たちもより色白だったように記憶しています。


 「いやいや、こんなに肌が白いんだ。それなのに女じゃないなんて勿体無いじゃないか」

 「……帝都にはもっと肌の白い女性がいるはずだけどな」

 「!? お前は全然理解ってないな! 帝都の中で腐ってる連中なんか口説いても面白くもなんとも無いだろうが!」


 極々普通にコイーン・チヨコの言葉に反論したつもりだったのに、彼は何故か凄まじい憤りの表情を見せました。

 というか、帝都在住の人間たちに対してかなり失礼なことを口走っている気がするのですが。


 「こんな腐りかけの帝国のしかもど真ん中に住んでいる連中なんて俺は正気を疑うね。ネズミだって腐った船から逃げるというのに、ここの連中は帝国がどうしようもないことを理解しやがらねえ!」

 「……一応、自分は帝国の家臣、ではないが、帝国に雇われている身なのだが。不敬罪で捕縛したほうがいいのか?」

 「え? ウソウソ、今のは全部冗談だって。だから、仲良くしようぜ! ほら、人間皆兄弟って言うだろう? そもそも、もう千年以上続いた帝国が不味いことになるなんて、そんな訳はないじゃないか。冗談に決まっているからな! はははは!」


 あっぱれと言いたくなるような変節ぶりです。

 そもそも自分は人間種族ではないから『兄弟』に含まれていないのではないか、そもそも人間皆兄弟とは誰が言い出したものなのか、長く続いているからといってそれは永遠を意味しないのではないか等、色々と疑問が湧き出てくるのですが、聞き返したところで、大した答えが返ってくるとは思えません。

 しかし、帝都コーンビーフルの住人を口説いても面白く無いというのはなかなかにすごい考えだと思います。

 というか、娼館の質を考えれば明らかに帝都の方がピン・サモーンなどの辺境よりも優れています。

 人と物資が集中する大都市のほうがどうしようもない辺境よりも人探しに優れていると思っていたのですが。


 「……覆水盆に返らずと言う。正統コーンビフ帝国に対する無礼な発言は確かにこの耳にした。軽薄なその口を悔やむがいい!」

 「ちょ、ちょっ!」


 自分はコイーン・チヨコの発言を特段問題にするつもりはありませんでした。先ほどの発言はこれからコイーン・チヨコに対する要望を認めさせやすくするための牽制でしかなかったのです。

 ところが、突然ヨグルドが刀身の先端を失った短刀を抜き放つと、コイーン・チヨコに躍りかかりました。

 正統コーンビフ帝国に対する失言を理由にヨグルドはコイーン・チヨコに対する私怨を晴らすつもりなのでしょう。

 とりあえず、万が一にでもコイーン・チヨコに怪我をさせるわけにはいかなかったので、自分は咄嗟に片足をヨグルドの足元に伸ばしました。


 「っ!!?」


 自分の伸ばした足に思い切り引っかかったヨグルドは声を上げる間もなく短刀を持ったまま激しく転びました。

 コイーン・チヨコの方を見ると、どうやら幸いにも怪我はないようです。

 ひと安心しながら、ヨグルドの方に視線を戻すと、この短気な少年は呆然と自分の耳のすぐ横の地面に突き刺さった短刀を見ていました。

 あと少し、短刀の落下箇所がずれていたら大変なことになっていたかも知れません。

 こちらも幸運にも怪我は無さそうに見えます。結果的に無事だったのならまあいいか、と自分は考えてコイーン・チヨコに視線を戻しました。


 「……あー、災難だったな」

 「死ぬかと思ったわ!」

 「何をするんだ!」


 とりあえず、穏便に済ませようと適当な言葉をコイーン・チヨコにかけたところ、何故かヨグルドと一緒になって不満を示してきました。

 面倒事になったな、と思いながら自分は沈黙します。

 コイーン・チヨコは危うく命を落とすところを自分に救われたわけですし、ヨグルドも殺人犯になるところを自分によって防がれたわけです。

 2人共、もう少し感謝の念を示すべきではないのでしょうか。

 ヨグルドの方に視線を移すと、この粗暴な少年は例の短刀を片手にゆっくりと立ち上がるところでした。その膝は若干屈められ、すぐにでも飛び掛からんといった様子です。

 自分と同じような感想を抱いたのか、コイーン・チヨコがジリジリと後退してヨグルドから離れています。


 「……短刀」

 「!」

 「帝都についたら知り合いにみやげ話をしようと思っているんだが、そういえば、旅の途中で面白い出来事があったな」


 自分がそう言うと、ヨグルドは肩を震わせ、自分を睨んできました。それを無視して短刀を仕舞うように合図します。

 しばらく葛藤した後、決して納得したようではありませんでしたが、ヨグルドは短刀をマントの下に仕舞いました。

 当座の問題を先送りしたヨグルドはひとまず無視して、コイーン・チヨコを何とかする、心の中でそう決めると、自分は天才商人とやらに向き直りました。


 「危ういところを助かった命だ。諍いがあるとしても水に流そうじゃないか」

 「ふざけんな! いきなり襲われたんだぞ! 水に流せるわけがあるか!」

 「まあまあ。幸いに無事だったわけだし……」


 内心ではコイーン・チヨコの言うことは本当に最もだと思いながらも、自分は適当に彼を宥めようと言葉を重ねました。

 というか、何故、ヨグルドはいきなりコイーン・チヨコに短刀を持って躍りかかったのでしょうか。

 正直、自分にも何故ヨグルドがいきなりその様な行動に出たのかがさっぱりです。

 私怨がある相手に問答無用で襲い掛かるタイプの人間ではないはずなのですが。


 「俺には何の落ち度もないんだぞ!」

 「ふざけるな! 帝国へ唾を吐いておきながら、開き直るのか!」

 「ぐっ……」


 コイーン・チヨコの言葉に反駁したヨグルドの言葉でようやく自分は何が問題なのかを理解しました。

 コイーン・チヨコの反応を見るに、時の為政者や国家に対する侮辱行為というものは死を持って報われても強く反駁できないものであるようです。

 自由な言動に慣れ親しんだ文明人たる自分にとって、侮辱行為には厳罰が科せられるという刑法の存在は盲点でした。

 為政者や国を民草が酒場や街路で批判するのは当然と思っていましたから。

 一応、今現在自分たちは帝国に雇われたという形をとっているため、自分はそうした行為を控えてきていたのですが、そうでなくても言動には気を付けなくてはいけないでしょう。


 「帝国に対する侮辱は斬首を持って報われる。貴様に良心があるのなら黙ってその首を差し出せ!」

 「うっ……ま、まあ待ってくれって。さっきのは冗談だって。ほ、ほら、このキビをやるから」


 双方ともに無茶苦茶な言い分だなと思いながら、自分は厳罰の重さに驚いていました。

 酒の入った人間が政府を批判する事はよくあるのではないかと思うのです。それらを全て処刑するというのは幾ら何でも不可能ではないでしょうか。

 というか、コイーン・チヨコの反応を見るに、彼は帝国批判に対する刑罰の存在を知っていた様子です。

 それにも関わらず、調子に乗って重大な失言をするあたりに、コイーン・チヨコの様相が浮浪者と見間違わんばかりのそれである理由があるような気がします。

 一言で言えば、口が軽い、という事なのでしょう。初見で感じた軽薄な性格は間違っていなかったようです。

 とても商人として大成するとは思えません。

 自分たちと会わなくても、その口の軽さによってそう遠くない内に破滅していたのではないでしょうか。


 そんな事を思いながら、自分は武器を手に取るべきか否かを考え、とりあえずヨグルドに任せようと結論付けました。

 ヨグルドの発言とコイーン・チヨコの反応から鑑みるに、正統コーンビフ帝国に雇われているという立場の自分は帝国への侮辱発言を行ったこの伊達男気取りを切り捨てるべきなのでしょう。

 しかし、自分にはコイーン・チヨコが何か罪を犯したという意識が持てない以上、わざわざ手ずから刑を科すというのも問題があるように思います。

 正直、為政者の悪口など好きなように言わせておけば良いのではと思ってしまうのです。


 かといって、下手にコイーン・チヨコを庇った結果、ヨグルドに変な隔意を持たれる事は回避しなければなりません。

 例えば、ヨグルドがオーク種族は正統コーンビフ帝国を軽んじている、などと主張すると、それが半ば事実であるだけに困ったことになります。

 特別にコイーン・チヨコを助ける必然性も感じられない以上、とりあえず放置して、ヨグルドの叛意がこちらに向かないようにしておきたいのです。


 「ほ、ほら、あんたからもなんか言ってくれよ。こんな軽口誰だって口にしているって」

 「はあ……ヨグルド、ここで流血沙汰は避けろ。そもそも、コイーンを罰するかどうかは向こうの衛兵に任せるべきだろう」

 「連中はすぐに鼻薬にやられるともっぱらの噂だ。俺がやらなきゃなあなあで済ませられてしまうだろうが」


 なあなあで済ませれば良いのではないかと自分は思いました。

 そもそも、多少口が軽ければ批判の言葉などいくらでも出てくるものです。

 演算器を利用した自動検出等といった文明の利器がないこの国家でそんなものに一々目くじらを立てていてもどうしようもありません。

 帝国への批判を禁ずるという法も実際の運用では精々迂闊にも大っぴらに問題発言をするような阿呆を捉えるくらいに終始しているのではないでしょうか。

 そして、処刑という罰則についてもそう厳格に運用できるものではないのでしょう。ヨグルドは衛兵が鼻薬に弱いと言いましたが、それは腐敗と言うよりは帝国批判の失言に対する慣例上の罰則が罰金となっているという事ではないのかと思います。

 もちろん、ただ単に衛兵の小遣い稼ぎとして利用されているだけかも知れませんが。

 何れにせよ、司法に携わる者がそれで良いと見なしている以上、自分たちにはコイーン・チヨコを断罪する必要も義務もありません。


 「俺たちにはコイーン・チヨコを裁く権限はない。勝手な独自判断はシュー・クリーの様にあのアルコルよりもずっと大きな面倒を引き起こす。お前もこの前の短刀の件で思い知ったのではないか?」

 「! ……それは……」

 「ほ、ほら、この兄さんもそう言っているだろう。俺もさっきの言葉はものすごく反省している。もっのすごく反省しているから、多めに見てくれよ。な? な?」


 自分の発言にコイーン・チヨコはかなり必死な様子でひたすらに同意の言葉を並べています。

 もっとも、ヨグルドが短刀を構えて襲いかかったとしてもさしたる脅威になるとは思えません。一人で旅をしている様子のコイーン・チヨコがまさか荒事に対応することが全くできないとは到底考えられないからです。戦闘術に関しては素人に毛が生えた所か素人そのもののヨグルド程度容易に対処できるはずです。

 しかしながら、何故かコイーン・チヨコは相当な低姿勢をとっています。

 まあ、コイーン・チヨコがヨグルドに危害を加えそうになれば、自分はヨグルドを守らなければなりません。その面倒をしなくて済むのですから、むしろコイーン・チヨコの態度は好ましいのですが。


 とにかく、面倒事はとっとと衛兵にでも押し付けることにして、自分たちがどうやって帝都内に入るかを考えなければいけません。

 どうも、出入り口の賑わいを見るに、これ以上待っても人通りが少なくなることはなさそうです。

 残念ですが、先程の自分の判断は間違っていたと言わざるを得ないでしょう。

 帝都の出入り口が一つになり、更に夜半は閉門されるということもあって、極端に人が集中しているようです。

 というか、まさか建築物に溢れた帝都に食料などの生活必需物資の自給などできるとは思えない以上、あそこには日々多くの物資を搬入しなければなりません。

 前回の戦いの際に自分たちが城壁に守られた帝都の外へ出なければならなかったのも食料や水が枯渇しかけたためです。

 平時は軍団が滞在することはないでしょうから、あの都市が必要とする物資の量はこの前の戦いの際よりも少ないでしょう。

 しかし、それでも出入り門が一つになれば、一日あたりに搬入しなければならない物資の量と比べて時間あたりに出入りできる人々や物資の数が減少してしまうことは容易に想像できます。

 出入りが減るまでここで待つという選択はそうした想像が欠如していた自分の失着です。


 「……分かりました。先程の発言のことは衛兵に伝えておくことにします」

 「おいおい、俺もものすっごく反省しているんだって。な、お願いだから見逃してくれよ。な、そっちの兄さんからも言ってやってくれよ」

 「あー……まあ、そのあたりはヨグルドのやりたいようにするがいいさ」


 自分似た面倒事と降り掛かってくることがない範囲であれば好きなようにやらせても構いません。

 自分には全く興味がもない話ですし、当事者の二人で勝手にやっていれば良いのです。


 「ちょっ、それは無いって、兄さん」

 「ふん、そんな戯言ばっかり言っていないで、衛兵にどう言い訳するのか考えておくんだな」

 「お、お願いだって。ほ、ほら、このキビ、ただのキビに見えるかもしれねえが、あそこで売れば金貨に変わるんだ。これをやるからな。なあ、兄さん頼むよ」


 自分が一歩引いた姿勢を示したのですが、コイーン・チヨコは全く諦める様子を見せずに自分を引きこもうとします。

 勝手にやれと言いたいのですが、言ったところで諦めるとは思えないしつこさです。

 むしろ、この手の輩はこちらが反応を示すとそれがどんなものであっても勢いづきそうです。

 自分は、どうやって問題を起こすことなく帝都の中に入るかを考えている所なのです。どうでもいいことで煩わされたくありません。


 「いや、ほんと、頼むよ。お願いだからさっきの言葉は無かったことにしてくれって」

 「ふん、天に唾を吐くという言葉の通りだな。侮蔑の言葉は自分に返ってくるんだ。観念しろ」

 「いやいや、本当に困るんだって。お願いだから、この通り、この通りだから!」


 無視したというのにコイーン・チヨコは一向に気にした様子もありません。

 それどころか、鬱陶しく自分に纏わり付いて頭を下げています。

 このまま、無視を続けるか否かを思案した自分は、色々と諦めてコイーン・チヨコに向き直りました。


 シュー・クリー程には狂信じみていませんが、生真面目にケビア教と正統コーンビフ帝国を大切にしている才子ヨグルド。

 口が軽く、出会って間もない自分から見ても、ケビア教や正統コーンビフ帝国を始めとした国家などには爪の垢程度の価値しか見出していない様に見受けられるコイーン・チヨコ。

 根本的に相性が悪い2人が出会ってしまった以上、面倒事が起こることは避けられなかったでしょう。

 むしろ、自分の隣にいるのが原理主義者のシュー・クリーではなく、まだ融通の聞くヨグルドであることに感謝するべきかも知れません。

 そうでも思わなければやっていられません。

 どうして、ここまで馬の悪い2人が自分の前で出くわすことになるのでしょうか。何か自分が悪いことでもしたというのでしょうか。

 いっそのこと、アルコルでも連れてくればこんな問題は生じなかったでしょう。

 その場合は、呑んだくれるアルコルを引きずって帝都まで来ることになったでしょうが。


 ここ最近生じた問題を振り返ってみると、結局のところ、まともな人材――当然上司を敬い、命令に忠実で、臨機応変にあらゆる問題に対処することができる人材――が存在していない事に原因があると言う事になります。

 ガチの狂信者としか思えないシュー・クリーを筆頭に、経験不足で融通の聞かないヨグルド、上司への敬意が欠片もない上に異様な雰囲気を常時放って周囲をビビらせるクローコ・ショウ、上司に対して最低限の敬意を払う一方でやる気がなく、とにかく処理速度の遅いツァーカンやマヨーツナ、飲酒業務に精を出すアルコルを始めとして碌な人材がいません。

 もう少し何とかならなかったのではないか、と感じることは日に一度や二度ではありません。

 読み書き算盤が辛うじてできる程度というツァーカンやマヨーツナなどの低い処理能力には目をつぶるから、問題ごとばかり引き起こすシュー・クリーを誰か何とかしてくれと悲鳴を上げた回数は両手でも足りません。

 辛うじて我慢できるのが不気味なクローコ・ショウであるというのは組織として根本的に問題がある気がします。


 もちろん、人間種族達にしてみれば新興勢力であり、野蛮で何をするか分からない異種族の下に就くということは相当に勇気のいる事だとは理解しています。

 常識的に考えれば、優秀な人材はもっとまともな条件の仕事に就くでしょう。

 現状、支配者側であるとはいえ、自分の下で働くというのは決して魅力的な選択肢とは言えないはずなのです。

 だからこそ、自分はオーク達に与することに十分なメリットがあることを知らしめなければなりません。そのためには、現在自分の下で働いている者たちが良い待遇を得たということを明確に示さなければなりません。

 将来を考えれば有能な人材はいくらいても十分ということはないのですから。

 それ故の今日の苦労です。だからこそ、アルコルにも目をつぶっているのです。シュー・クリーは無理でしたが。

 それでも、頻繁に挫けそうになりますが。


 「それで?」

 「いや、衛兵にさっきのを言うのだけは勘弁してもらえないかなあと。ははは」


 自分の言葉にコイーン・チヨコは愛想笑いらしきものと共に答えました。

 隣ではヨグルドが凄まじく不機嫌な顔をしています。

 真面目な帝国民であるヨグルドにとって帝国に対する批判を看過するという選択肢はあり得ないのでしょう。

 しかし、ヨグルドは何も言わずに沈黙を保ちました。先程のコイーン・チヨコとの会話でお互いに話が通じていないことを感じたためでしょう。この若者らしい柔軟な対応があるからこそ、ヨグルドはまだ許容出来るのです。


 「別に告げられたところで本当に処刑されるわけでもないだろう」

 「ちょっ!? いやいや、それは然るべき罰金をきちんと払えた場合だけだって。銅貨一枚でも足りなかったりしたら縛り首にされちまう!」

 「……」


 コイーン・チヨコの言葉にようやく自分は何故あれほど彼が衛兵を恐れていたのかが納得いきました。

 商人なら金を持っていて当たり前という思い込み故に、勘違いしていました。

 確かに、この浮浪者のような自称商人が確か中金貨5枚の罰金を簡単に支払えるとは思えません。

 商人を名乗るこの男、恐らくは交易商でしょうが、今までの話しぶりから推察するに、楽天的な思考で現金を全て叩いて商品を買い込んだのでしょう。そして、その結果、宿に泊まる金もなく、ボロボロになりながらこの帝都にたどり着いたとかそんな感じなのではないでしょうか。

 流石に上記の想像位まで無茶苦茶なことはしていないでしょうが、そう事実からは離れていないのではないでしょうか。


 「それで、どのくらい足りないんだ? 銅貨数枚くらいなら恵んでやってもいいぞ」


 とりあえず、衛兵に突き出さないという選択肢は隣のヨグルドが面倒になりそうなので選びたくありません。

 少なくともヨグルドの後任――ずっと経験豊かであり、優秀でなおかつ上司である自分に対して従順な人物がそうなることを望んでやみません――が決まるまではずっと自分の部下であってもらわねば困るのです。

 高い退職率というのは関係者がなんと言おうと職場の悪評につながりますから。


 ですが、自らの命が懸かっているコイーン・チヨコがわざわざ素直に衛兵に突き出されるとは思えません。

 状況によっては互いに血を見ることにもなりかねませんが、その場合帝都の付近でオーク種族が人間種族を傷つけたという結果が生じます。

 その場合、膨れ上がった人間種族のオーク種族に対する憎悪を暴走させる可能性が高いです。

 ただでさえ、オーク種族は人間種族から憎まれており、それにより大きな不利益を受けているというのに、更に火に油を注ぐような真似は絶対に避けなければなりません。


 ならば、ヨグルドの顔を立てながらも、自分が自腹を切ってコイーン・チヨコを助けるというのが現実的な解法でしょう。

 ヨグルドはいい顔をしないでしょうが、そこまで強く反発することもないはずです。


 「え、ええっと、恵んでくれるっていうのは勘弁してもらいたいんだけど。で、中金貨6枚ほど貸してくれりゃあありがたいなと」

 「はあ!?」


 予想をはるかに越える返答に、思わず自分の口から素っ頓狂な叫び声が漏れました。

 中金貨6枚!?

 帝国への不敬罪に対する罰金というのは中金貨10枚もするのでしょうか。コイーン・チヨコの持ち合わせが中金貨4枚程度であると考えれば辻褄が合います。

 ピン・サモーンでは罰金の最高額が中金貨5枚だったために、不敬罪は当然それ以下か多くともそれに準じるとばかり自分は思っていました。帝都ではピン・サモーンの2倍の罰金が科せられるというのでしょうか。

 そうだとすると凄まじい額です。少なくとも一般人が簡単に払える金額とは思えません。

 もちろん、ピン・サモーンと帝都コーンビーフルでは物価が違うために金額から受ける印象というのも変わるのでしょうが、帝都での支払いとピン・サモーンのそれとを比較すると2、3割程度しか賃金や物価は変わらないのです。


 当然ながら倍額の罰金というのは到底庶民に払えるものではありません、

 というか、中金貨5枚でも殆どの罪人の支払い能力を越えています。そもそも、それだけを支払うことの出来る人間は犯罪を犯しませんし。

 だからこそ、ピン・サモーンでは罰金を科す場合は多くとも中金貨1枚や小金貨3枚、喧嘩など通常の事案では小銀貨3枚程度で済ませる事が殆どです。ここでは程度と言いましたが、小銀貨3枚というのも決して安い額ではありません。

 都市部で職業を持っている人間達ならば何とか支払える金額ですし、持ち合わせがなくてもそれなりに人徳があれば方々から借金をすることで対処できます。

 そして、罰金が支払えない場合や、金銭では贖い切れない重罪に対しては、ムチ打ちや、磔、処刑といった罰が下ることになるのです。

 取れない所に罰金を科しても仕方ありませんし、重大な事件では見せしめとしての処刑が治安維持上有効だからです。

 下手に、どんな行為でも金銭で解決すると示す訳にはいきませんから。


 何れにせよ、中金貨6枚とは現状の手持ちでは支払えません。帝都に来るまでに予想外の出費が立て続いた結果、現時点での手持ちは中金貨2枚半相当しかありません。中金貨半枚ほどを消費した計算になります。とは言え、これは決して少ない額ではありません。この前のエンヤ河での戦いの褒賞はオーク1人に対して中金貨の4分の1の価値である小金貨が2枚支給されましたが、この半分の資金で十冊近い本を買い揃えることができました。印刷技術の存在しないこの世界では本という素晴らしい知識媒介は高級品です。

 というか、帝都を往来している人間達の内、中金貨数枚という大金を実際に所持している者の割合はどの程度なのでしょうか。

 衛兵達自身、まさかそんな高額の罰金が徴収できるなどと思ってはいないでしょう。

 いや、帝都に出入りしているのは裕福そうな商人が多いようですし、彼らであればそのくらい支払えるものなのかもしれません。

 しかし、そうだとすると、ボロマントを身にまとった天才商人が商売をするには辛すぎる環境だと思うのですが。


 「……だ、だめか……ははは、そうだよな」

 「というか、どうして中金貨6枚も必要なんだ? そこまで衛兵から取り立てられるのか?」

 「あ、いや、衛兵から取り立てられる可能性があるのは中金貨5枚までで、それと帝都に入るための交通税分を化してくれりゃあ、数日後には倍額にして返してやるから」


 想像以上にコイーン・チヨコは金銭を持ち合わせていなかったようです。

 というか、今の口ぶりから帝都へ入るための交通税である小銀貨2枚分すらもコイーン・チヨコは持ち合わせていないという事が予想されます。

 コイーン・チヨコは先程からチラホラと荷駄が背負っている棒きれの束――彼の言葉に拠ればキビというものらしいそれ――が大金になると自慢していましたが、彼は何処でこの棒きれを売り払うつもりなのでしょうか。

 市場に入るために必要となる経費を準備していないというのは商人として致命的な不手際だと思うのですが。

 逆に言えば、だからこそコイーン・チヨコは交通税を支払ってもらえないかという下心を持って帝都の出入り門から離れた場所に佇んでいる怪しさ満点の自分たちにわざわざ話しかけてきた、というところでしょう。

 というか、罰金と交通税を合計しても中金貨6枚にはならないのですが、恵んでもらう側でありながら随分と図々しい男です。


 「ば、倍額じゃあだめか? なら、3倍にして返してやるって。なに、帝都に入ってこいつを売れば簡単に元は取れるさ」

 「……そういう問題じゃあないんだけどな」


 そもそも、今の自分にはそこまでの手持ちがありません。

 というか、コイーン・チヨコはまさか自分たちが中金貨6枚という大金を所持しているとでも思っているのでしょうか。だとすれば、彼の金銭感覚を疑わざるを得ません。

 どうしたものか、そう思いながらヨグルドを見やると生意気な少年もまた呆れた顔でコイーン・チヨコを見ていました。

 これはもしかしたらヨグルドの説得が上手くいくかも知れません。

 失敗した場合はへそを曲げかねませんから慎重に言葉を選びながら自分はヨグルドに話しかけました。


 「随分な天才商人だな」

 「……本当ですね」

 「何というか幸せそうだよな」


 自分の言葉にヨグルドは苦虫を噛み潰したような顔をしました。

 コイーン・チヨコは何も解っていなさそうな様子です。本当に幸せそうですね。自分はそうなりたいとも思いませんが。


 「無知は幸福……確かケビア教の教えにそういう話がなかったか」

 「神の楽園の話か……それとはまた違うだろう。あれは無垢なる無知だが、こいつはただの馬鹿だ」

 「ちょっ、この天才商人を捕まえて馬鹿とはなんだ、馬鹿とは!」


 ヨグルドの露骨な言葉にようやく自分が馬鹿にされていることを理解したのか、コイーン・チヨコは声を上げて抗議しました。

 反応の遅さにホロリと来るものがありましたが、努めてその感情無視すると、自分はヨグルドに向けて言葉を続けました。


 「まあ、ともかく、無知であることに罪はあるのか」

 「それは……随分と勝手な事を言うんだな。その為にわざわざ回りくどい言い方をしたのか」

 「ちょ、俺の話を聞いてくれって!」


 腐っても神童と呼ばれるだけあって自分の意図をヨグルドは察したようです。

 しかし、実年齢ではもっとも年長であるはずのコイーン・チヨコだけが何もわかっていない様子なことには涙を誘われずに入られません。

 まあ、この世界ではまともな教育を受けることができる者は稀ですし、若いながらもピン・サモーンにおいてそれなりの教養を得たヨグルドと一介の貧乏行商人を比較することは少々酷かもしれませんが。

 そして、自分至ってはこの世界の如何なる賢人でもたどり着けないであろう知識を生まれながらに保有しているのですから、比較という行為自体が間違っているでしょう。


 「さあな。それで、どうするんだ。お前がわざわざ余計なことをしなければ俺たちも面倒を見ずに済む。それに、この様子なら反省していなければまた繰り返すさ。わざわざ俺たちが指摘するまでもない」

 「誰か他のやつがやるだろう、そういう考えが問題を何時まで経っても問題のままにしておくんだ。お前たちは違うかもしれないが、問題が存在していることを知った人間にはそれを解決する義務がある」

 「お、おーい……」


 ヨグルドの言葉には確かに一理がありました。まあ、盗人にも5分の理と言うようにどんな物事にも理屈をつけようと思えば付けられるのですが。

 というか、変なものに近づきたくないという思考は人間種族にもオーク種族にも共通のものだと思います。

 もちろん、重大な問題であれば誰かが解決しなければなりませんが、全くもって重要でもなんでもない問題に全力をつくすのは労力の無駄でしかありません。

 全ての存在に限界がある以上、優先順位の高いものから処理していくという要領の良さは必須の才能ではないのでしょうか。


 「重要な問題ならな」

 「これは重要な問題だ」

 「本当に? 本当にこれが重要だとお前は思うのか? これがあそこに見える強大な都市を揺るがしうると?」


 ヨグルドの頑なな様子に自分は説得の失敗を覚悟しました。

 状況によってはコイーン・チヨコを取り押さえる必要が出てきます。

 というか、貧乏そうな行商人の1人や2人死に絶えたところで大して問題にならないかもしれません。

 自分たち2人から返答がまるでないことに意外にも落ち込んだのか、黙り込んだコイーン・チヨコを横目で見ながら自分はマントの下で短剣の位置を確認しました。

 重心位置を確認しいつでもコイーン・チヨコに飛び掛れるよう身構えたところで、ヨグルドが口を開きました。


 「……分かった……確かに面倒事を起こすことは得策じゃあない。こいつが反省しているとは思わないが、そうならば勝手にとっ捕まるだろう」

 「そうか、それは何よりだ」

 「納得したわけじゃあない。ただ、こんなヤツに対して怒り続けることがバカバカしくなっただけだ」


 ヨグルドが何やらごちゃごちゃ言っていますが自分はもう言い訳がましい彼の言葉など聞いていませんでした。

 これで面倒事が一つ解決したわけです。

 後はコイーン・チヨコを追っ払い、問題を起こさずに帝都に入る方法を考え出せば良いということになります。


 「さてと。あんたを衛兵に突き出すという話は無くなった。俺たちはもう用はないから好きなところに行っていいぞ。悪かったな。長く引き止めてしまって」

 「え? あ、いや……衛兵に引き出されないのはありがたいんだが……頼む! 小金貨1枚でいいから貸してくれ! 10倍にして返すから」


 どうやら本当に帝都に入る際の交通税すら持っていない様子のコイーン・チヨコに向けて自分は笑みを浮かべました。


 「断る」

 「えっ、ちょっ! 頼む。帝都にさえ入れればなんとでもなるんだ。金貨数十枚の儲けだっていけるはずさ」

 「ふう、俺が思うに商人には何よりも大切なものがあるんだが、あんたにはそれがない。あんたは天才かも知れないが、俺は信用がない商人と取引をするつもりはない。だから、断る。向こうの連中の中には1人くらいお前にも金を恵んでくれる人間がいるんじゃないのか。そっちに頼めよ」


 聞き分けの悪い子共に話しかけるように、自分はきつい口調にならないよう気を付けながら、しかし、決して金が借りられるとは思われないように注意してコイーン・チヨコの申し出を拒絶しました。

 同時に代替案を示すことでとっとと自分たちから離れるように促します。

 まあ、帝都の入り口でごった返している商人たちがコイーン・チヨコに金を貸すとは思えませんが、1人くらいならば気前のいい善人がいるかも知れません。


 「さっきあそこら辺の連中にはもう金を貸してくれって頼んだよ。だけど、守銭奴でガッツのない連中ときたらまるで俺の話も聞いてくれないんだぜ。なあ、頼むよ。あんたたちだけが頼りだんだ」

 「……失敗した。そもそも相手にするべきではなかったのか」

 「……」


 ヨグルドの冷たい視線を無視しながら自分は呟きました。

 面倒くさい相手に絡まれたものです。そして、それに相手をしてしまったことが致命的でした。


 とりあえずこのままでは何時まで経ってもコイーン・チヨコが付きまとうでしょう。

 とは言え、こちらが根負けして金銭を恵むというのは癪ですし、あまりにも早く妥協するとヨグルドの自分に対する評価を大きく落とす恐れがあります。

 それに押せば妥協する、人間の部下たちに自分のことをそう認識されてしまえばピン・サモーンの行政運営に大きく支障をきたしかねません。

 具体的にはただでさえ独善的で靴底の汚れのようにしつこいシュー・クリーが、木綿の生地についた油染みのようにしつこくなるといった事態になれば、自分も全てに妥協する訳にはいかない以上、行政が滞る事になりかねません。

 落とし所が存在しているにもかかわらず、無駄に粘ってみせる姿勢を示すということは馬鹿馬鹿しいこと極まりないですが、それをしなければ余計に面倒な事を呼び寄せかねないというのが社会というもののどうしようもなさなのでしょう。


 「……誰が信用の無い商人に金を貸すものか」

 「ああ、まあ確かに貸すという選択肢はないな。恵むというのが正しいだろうが。貸してくれと頼む限り、それに応じる人間がいるとは思えないが」


 ヨグルドの呟きとも愚痴とも取れる言葉に自分は同意を示しました。

 それに対してコイーン・チヨコはどこかおどけた雰囲気を引っ込めると真面目な顔を自分たちに向けました。


 「……俺は商人だ。乞食じゃあない。だから俺は、金は借りても絶対に恵みは受け取らねえ。絶対に、だ」

 「……」


 コイーン・チヨコの言葉は立場を全く弁えていないという点で滑稽です。金を恵むという自分のようなお人好しが居るのですから、何も考えずに貰っておくべきです。妙なプライドに括った所で得るものなどありません。

 ですが、コイーン・チヨコの言葉には確かな意志が宿っているように自分には感じられました。

 コイーン・チヨコという人間は軽薄な態度を見せていますが、妙なところでこだわりを持っているようです。


 「だから、小金貨1枚でいいから貸してくれないか。絶対に返してみせるからな」

 「俺は金をくれてやってもいいとは思っているが、貸すつもりはない。返ってくることを期待していないからだ」

 「それじゃあ、駄目なんだって。俺は商人なんだから。なあ、頼むから貸してくれよ」


 面倒くさいプライドです

 そういう存在は嫌いではありません。

 普通、こだわりを持たなければ、ただ日々を生き抜くことならば簡単にできるのです。

 一方で挑戦を続けるということは並々ならぬ労苦を必要としますし、それが報われるという可能性はごく僅かです。

 だからこそ、自分はそうした存在に敬意を覚えるのです。

 自分自身、ツヨイの、シーザの荒唐無稽な世迷いごとをわざわざ叶えようと思っているために、こだわりを持っている者や、無茶なことに挑戦しようとしている存在にはシンパシーを感じるのでしょう。

 もちろん、そのこだわりや夢がシュー・クリーの様に自分に迷惑をかけることになれば話は別ですが。

 まあ、自分がピン・サモーンに帰るまでには何とかなりそうだと予測されるのは幸いです。


 「馬鹿馬鹿しい。くれてやると言っているんだから素直に貰っておけばいいんだ。強がりを言って機会を失うなら好きにすればいいだろう」

 「っ! ああ、好きにさせてもらうさ!」


 ほっこりとした気持ちでコイーン・チヨコを見ていると、ヨグルドの売り言葉を買い叩いたこの浮浪者の様な人間は背を向けて今にも去っていきそうな様子を見せていました。

 せっかく面白い人間にあったのだから、もう少し話していたいと思い、コイーン・チヨコを止めようと手を僅かに動かした自分は、しかし、思い直して手を下ろしました。

 もし、コイーン・チヨコがこの状況を何とかして商人としてそれなりの成功を納めれば、そして、自分と、シーザが夢に向かって前進を続けていくことができたなら、また会う日が来るでしょう。そうならない可能性の方が高い事は確かですが。

 いえ、少なくとも自分と、シーザは必ず夢に向かって走り続けて見せます。

 だからこそ、コイーン・チヨコとは再開した時にまた話をすれば良いのです。

 そもそも、自分にはコイーン・チヨコの面倒を見るほどの余裕が有るわけではないのです。

 今はどうやって帝都に入るかを考えなければいけません。

 コイーン・チヨコにしてみても、金を貸すつもりのない自分たちと話を続けていたところで時間の無駄です。少なくとも自分はコイーン・チヨコに金を恵むつもりはあっても、貸すつもりはありません。

 貸すということは返却を期待するということですが、自分には到底コイーン・チヨコを信用することができないのですから。


 そんなことを思いながら佇んでいると、不意に強い風が砂塵とともに自分たちの間を駆け抜けました。

 マントが大きくはためきます。

 帝都に来るまでの道中でも何度か体験しましたが、この辺りでは時たま強い風が吹き抜けます。

 この季節限定のものなのかは分かりませんが、東方から吹き抜けるこの風は乾燥しており、しばしば砂塵を伴います。

 これが目や鼻、口に入っては堪らないので、このあたりを旅する者はほとんど全員がマントで体を覆うのです。

 だからこそ、自分がフード付きのマントを着込んだところで奇異の目で見られることがなく、助かっていたのですが。


 「あっ」

 「あれ、その耳……」


 コイーン・チヨコの相手をしている内にフードの被り具合が緩んでいたのでしょう。

 自分が被っていたフードが風に煽られて、自分の後ろではためいていました。


 「あー、気がついていなかったか。俺はオークだ」


 気が動転していたのか自分の口から出た言葉はひどく間抜けたものでした。

 不味いです。

 上手く誤魔化す方法が思い浮かびません。

 この場所では人数比もありますし、今までのコイーン・チヨコの話から想像すると、この自称天才商人が突発的な行動に出る可能性は低いでしょうが、彼が帝都に入ろうと試みた時に自分の情報を出さない事はとても期待できません。

 もちろん、自分は犯罪者などとして追われる身ではありませんから、正体が判明したところで慌てる必要はないはずなのですが、道中で自分の正体を知った人間たちの行動を鑑みるに碌な事にならない可能性が高いのです。


 これだから法治国家でない国家は嫌なのです。

 白い目で見られる程度ならばいくらでも我慢しますが、物理的な被害を受ける可能性があるのです。

 そうである以上、自分の行動は慎重にならざるを得ません。

 5人以上の人間を同時に相手にすれば、どこかのアンポンタンの様な無茶苦茶な武力を持ち合わせていない自分は逃げるしか方法がありません。

 ところが、自分は逃げるどころか帝都に入って、チキーラ将軍と面談しなければなりません。そして、可能ならばチキーラ将軍以外の有力者とも顔をつなげておきたいところです。

 質が良い情報源はいくら多くても困ることはありませんし、交渉をするための手段を複数確保しておくことはそれ自体が交渉の材料になるはずですから。

 帝都に入るためには、どうやら自分の正体を表わさずにはいられないようですが、そのタイミングは自分の方で完全に握っておきたいのです。

 下手なタイミングで自分の正体が明らかになればどうなるか正直想像もつきませんし。

 上手く事が運ぶ可能性もゼロではありませんが、状況が悪化する可能性を考えれば、ここは安全策を講じるべきです。


 とりあえずは、自分の正体を黙っている事の替りに金銭を渡す事を提案して様子を見ることにしましょう。

 そう思って、自分は口を開こうとしました。


 「オーク!? 確かこの前の戦いで獅子奮迅の働きをしたっていうあの!?」

 「あー、そう言う風に伝わっているのか」

 「そう言えば、異端軍との戦いで大きな成果を上げたというのが、オークが勢いを増した原因だったな」


 コイーン・チヨコがどこ出身の人間かはわかりませんが、驚いた様子から見るにオーク達の住んでいるピン・サモーンや、かつて住んでいたドンベリマウンテン近郊でないことは確かでしょう。

 その地域の出身者であればオークの存在自体に驚くことはないでしょうから。


 そして、ヨグルドの言葉は明らかに支配者である自分たちオークを敬ったというようなものではありません。分かってはいましたが、人間種族のオーク種族に対する根深い敵意には挫けそうになります。

 まあ、表向きは従いながら腹の中に一物持たれる方が厄介です。はっきりとものを言う態度はむしろ好ましいとすら言えるかも知れません。


 「しかし、そんなに強そうに見えないな。もっと強そうだと思っていたんだが」

 「……悪かったな」

 「それで、オークが一体どうしてこんな所に?」


 コイーン・チヨコの問に、自分は一瞬悩んだ末、本当の事を言うことにしました。

 別に秘密にするような情報はありませんし、帝都に入る時間を先延ばししたという失敗に関してはヨグルドの他にも目がある状況で言っておいたほうが良いように思います。

 1対1の状況ではヨグルドが調子に乗ってどんな事を言い出すか分かったものではありませんが、コイーン・チヨコの目があるならばみっともない事はしないでしょう。


 「俺たちオークはこの前正統コーンビフ帝国に従ってピン・サモーンの反乱を鎮圧して、今現在、賊が跋扈しているあの辺りの治安を守っているんだ。残念ながら広く散らばっている賊は勢いもあって対応が難しくてな、エンヤ河の戦いで大勝利を収めた俺たちでさえも、未だ賊の全てを打ち破ることができていない。そんな中、帝都の方で何か誤解があったのか、ピン・サモーンを明け渡すようにという命令が俺たちの所に来たんだ。今、俺たちが居なくなればピン・サモーンはまた帝国に反旗を翻す賊共で満ち溢れてしまう。連中は俺たちオークと違って正統コーンビフ帝国を敬っていないからな。だから、俺がちゃんと正しい情報を伝えて、帝国に正しい判断をしてもらおうと思って帝都まで来たんだ」

 「ふーむ。大変なんだな」

 「……どの口が言うんだか」


 コイーン・チヨコはさっぱり解っていない様子で、ヨグルドは半眼で自分を見ながら相槌を打ちました。


 「ん? それなら、何でこんな所でずっと佇んでいたんだ?」

 「ああ、実は残念なことに俺たちオーク種族は人間達から偏見を受けていてな。下手に俺の正体がバレると石を投げられたりするんだ。だからこそ、帝都には人通りが少なくなってから入ろうと思っていたんだがな」

 「何を言っているんだ。帝都コーンビーフルの出入り口を通る人間が少なくなるわけないじゃないか。あそこの人垣がなくなるのは夜になって城門が閉まった時くらいなもんだ」


 正直は得をするという言葉を信じて自分が真実を打ち明けるとコイーン・チヨコは呆れた様子を見せました。そんな簡単な事も知らないのかとでも言いたげな様子です。

 頭が足りていないお前には言われたくないという言葉をぐっと飲み込みます。

 単独では成立するわけのない帝都では外部から物資を搬入するために人の出入りが多いことは簡単に予測できますし、その出入り口が一つになればそこに人が集中するのは自明に過ぎます。

 それを予測できなかった自分は確かにコイーン・チヨコ並に考えが足りていなかったと言わざるを得ません。

 帝都に来るまでの道のりでは自分の正体を隠すことに全力を尽くしていた為に、帝都に着いてからも可能な限り同様に正体を隠す方向で思考を進めていました。

 ですが、自分は帝都でチキーラ将軍を始めとした帝国の首脳陣と会談を行うつもりであり、当然ながら正体を隠すことなどできるわけがありません。

 そのため、むしろ自分がオーク種族であるということが知れ渡っても問題のない様にするための方法を考えなければいけなかったのです。


 「俺の見当違いだった。だから、これから俺は帝都に入ろうと思うんだが、お前も一緒に来ないか」

 「え? それじゃあ、金を貸してくれるのか?」

 「……まあ、いいや。貸してやるよ」


――返済は全く期待していないけど。

 口にはすることなく胸中で呟くと、自分はマントの下、腰に紐で結びつけてある財布から中銀貨を一枚取り出し、コイーン・チヨコに投げて渡しました。


 「ありがとう、恩に着る……ってこれ銀貨じゃねえか!」

 「コーンビーフルに入るためには十分だろう」


 金を恵んでもらう側でありながら、金額に文句をつけるコイーン・チヨコの言葉を自分は切り捨てるとヨグルドに付いて来るよう合図して帝都に向かって歩き出しました。


 「商売には元手が必要なんだよ。いや、絶対に返すから、せめて小金貨一枚くらい、あ、いや中銀貨2枚でもいいからさ」

 「こんなヤツに金を恵むのか」

 「おい! 俺は必ず返すって言っているだろう!」


 しつこいコイーン・チヨコと物分りの悪いヨグルドに辟易しながら、自分は2人を無視して歩き続けました。相手にしても無駄に時間を食うだけですし、今は早く帝都に入っておきたいからです。

 時間が巻き戻ることは決してないですが、先程までの失態で時間を無駄にしていた分を取り戻すよう努力しなければなりません。

 チキーラ将軍などと話し合うことと、正統コーンビフ帝国の動向調査はなるべく早期に完了しなければならないのです。

 名目はどうであれこのままピン・サモーンの統治権を帝国が追認するというのが自分たちにとっての最善ですが、仮にそうならない場合でも、それをなるべく早い時期に知っておくことは重要になります。

 反逆するにせよ、譲歩するにせよ、時間が経てばそれだけ選択肢が減っていくのですから。

 それと、正統コーンビフ帝国が今何をしようとしているか、内部の権力関係がどうなっているかということを知っておくことは今後を考えれば必須です。


 何れにせよ、自分はすぐにでも帝都コーンビーフル内に入りたいのですが、そのためには出入り門で衛兵の検問を受けなければなりません。その際に、自分の見方をし得る人間は多ければ多いほど良いわけで、ヨグルドの他に少ない出費で味方に付きそうなコイーン・チヨコを確保しておきたいのです。

 まあ、コイーン・チヨコは帝都で嫌悪の対象となっているはずのオークと親しいということで、碌でもない噂をされる等の風評被害を受ける可能性がなきにしもあらずですが、どのみち彼の商売が成功するとは思えない以上、変な噂を立てられたところで結果が変わるということはないでしょう。


 「コイーン・チヨコ。恐らく、俺たちオークは人間達から在らぬ偏見や差別を受けている。できれば、お前からも衛兵に俺が理性的で粗暴ではないということを伝えてくれないか」


 コイーン・チヨコに一応口頭で釘を差しておくことにします。

 そうしておかないと、この浮浪者のような伊達男がちゃんと行動してくれるか怪しいですから。


 「え? ああ、それでいくら貰えるんだ」

 「……金を取るのか」

 「当たり前だろう。情報もまた商品だ」


 借金をしている身でありながら図々しくも金を要求してくるコイーン・チヨコに自分は呆れた声を出しました。

 ところが、この男は常識のない者を相手にしているかのような様子を見せました。

 物事を円滑にすすめるために、多少良いことを言ってもらうことにすら金を要求するのが当たり前とは、この天才商人は一体どんな環境で育ってきたのでしょうか。

 物事を円滑に気持ちよく進めようという意志が微塵も感じられません。

 場の雰囲気を読まずに図太く権利を主張する辺りはあの迷惑極まりないシュー・クリーと似ています。


 「金を恵まれる立場で随分図々しいな」


 自分が心のなかでコイーン・チヨコの評価を急降下させている間に、ヨグルドが自分の考えを代弁してくれました。

 コイーン・チヨコの行動に人間種族というものはこんなにも図々しいのが普通なのかと一瞬不安になっていましたが、ヨグルドの発言を聞く限りでは、この行商人の要求には無茶があるのでしょう。


 「商売をするにも元手がいるんだよ。帝都で物を売るには許可証を貰わなくちゃいけないし、それに小銀貨が3も必要になる。その他にもコーンビーフル教会に寄進もしなくちゃいけないし」

 「そんなもの自分で何とかすればいいだろう」

 「いや、どのみち俺は金を借りなきゃいけねえし、ここで会った縁でもうちょっと貸して欲しいんだよ。大丈夫だって。絶対3倍にして返してやるからさ」


 コイーン・チヨコはしつこく借金を求めてきます。

 彼には是非とも信用という言葉の意味を学んでもらいたいものです。

 そして、世の中にはギャンブルが好きなタイプと嫌いなタイプがいることを。


 「生憎だけどこちらもそんなに手持ちに余裕があるわけじゃない。無い袖は振れないんだ」

 「わざわざ俺に金を貸すってことはもっと持っているんだろう。それに、情報をわざわざ流すならそれだけの対価を貰わないと」


 手持ちが少ないという言い訳は簡単に論破されてしまいました。

 確かに自分の手持ちに多少なりとも余裕がなければわざわざ金を貸そうなどとは思わなかったでしょう。

 しかし、この手持ちはコーンビーフルでの活動資金と帰路の諸経費でもあります。

 ピン・サモーンを出発してからの予想外のトラブルによって既に半分近くを失った以上、支出は最低限に抑えておきたいのです。だから、無駄金は可能な限り使いたくありません。


 一方で、情報を流す事が有償であるということも、異なる世界においける広告業の存在を知っている自分には非常に納得のいく話です。

 正直この程度で金がもらえると思っていることは腹立たしいのですが、コイーン・チヨコがしつこく対価を要求している以上、多少の金銭は渡す必要があるでしょう。

 一期一会の相手に好意を期待する為には、スポット効果によって必要な経費が高くなることは仕方がありません。


 「……分かった。無事に帝都の中に入れたら小銀貨を3枚渡そう」

 「いや、小金貨1枚の前払いだ。もちろん、後でちゃんと返すぞ」

 「そんな大金、よくも抜け抜けと」


 自分が渋々コイーン・チヨコの言い分を認めると、この浮浪者のような男は大きく吹っかけてきました。

 ヨグルドはコイーン・チヨコの姿勢に憤りを感じているようですが、こうして吹っかける様はまるで商人です。そして、チャンスに果敢に挑戦する姿勢は嫌いではありません。

 相変わらず、金を貰うのではなく借りると言っている所にコイーン・チヨコの融通の利かなさを感じますが。


 「前払いは認めない。中銀貨1枚」

 「さっきの言い分だと何か不満があったら金を出さないとでも言いたげじゃないか。前払いされないことには信用出来ないな。中銀貨3枚。必ず返すから別にこのくらい問題無いだろう」

 「言い方が悪かったな。帝都に入って金を支払えるなら払ってやる。前払いだとお前が俺を信用出来ない様に、俺がお前を信用しきれないからな。後払い、これは譲れない。中銀貨1枚と小銀貨2枚。俺も本当に余裕があるわけじゃあないんだ。さっきも言ったが無い袖は振れないからな」


 自分の言葉にコイーン・チヨコは暫く思案し、やがて頷きました。


 「分かった。しょうが無いからその条件でいいや」

 「……」


 こいつは何でこんなに偉そうなんだろう。

 そう思いながら自分は帝都に向かって歩き続けました。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 「やっとだな」


 若干疲れを見せながら呟いたコイーン・チヨコの呟きに自分は心のなかで同意しました。帝都へのたった一つの出入り口周辺にできた人垣に加わったのが正午前でした。

 そして、自分達の番がもうすぐとなった現在、空を見上げると太陽がかなり傾いていることが分かります。

 およそ四半日程は待たされたのではないでしょうか。

 民主的な国家でこんな事をしたら苦情が殺到するのでしょうが、君主制の正統コーンビフ帝国では皇帝の名の下に行われる物事に文句を言う先がありません。

 何処かの天才商人のように周囲の雰囲気を弁えずに迂闊なことを言うととんでもないことになったりしますから。

 結果として、不満や怨嗟の声は個人個人の胸中の中に蓄積され、物事は何時まで経っても解決しないのです。

 現場の意見や不満を集約する仕組みというのはあらゆる物事を円滑に動かすためには必須なのではないかと思うのですが。


 その点、ピン・サモーンで自分が行なっている行政では民草が行政に対して要求をするための仕組み、意見箱もしっかりと作っています。

 意見箱の前には書記を配置しており、文盲の人間でも不平、不満を自由に行政側である自分たちに送ることができます。識字率の低いピン・サモーンではこうした事をしないと殆どの人間達とオーク達が行政に携われなくなりますし。

 おまけに、意見書に意見を投函する際には投函者の名前及び住所を収集することにしています。これにより反社会的な思考に基づいていると考えられる意見書を提出した人物の特定が簡単にできるのです。

 残念ながら、人手の足りないピン・サモーンでは書記を一日中意見箱の前に拘束することができません。

 書記がいなければ文盲の人間やオークは意見箱を利用できませんし、投書する際の名前確認もできません。

 そのため、書記がいない時間帯は意見箱そのものを回収しており、利用時間が限られているためか、今のところ殆ど意見書は利用されていません。

 加えて、意見箱という行政サービスに馴染みがないのかピン・サモーンでこの制度が活用されたのはたったの一度のみなのです。

 今後はこの意見箱が利用されない原因について調査し、問題を改善していくことが必要となります。

 組織というものは、定期的に機械に油を差さなければ錆び付いて動かなくなるように、常に問題を提起し運用を改善していかなければ硬直化し腐敗してしまうものなのです。

 そのための問題提起手法である意見書は是非とも活用していかなければなりません。


 ともかく、自分は他の人間がいる中で下手に喋る気にはならなかったため、結果として殆ど何も話すことなく、ひたすら待ち続けていました。

 何もせずにただ待つということはかなり精神的に消耗するという事を思い知りながら、自分は目の前で帝都への入都手続きをチンタラと行なっている衛兵たちに心のなかで罵詈雑言を浴びせました。

 罵倒の言葉というものは品の無いものであり、理知的な文明人とは本来無縁なもののはずですが、この場合はしかたがないと思います。

 コイーン・チヨコの話によれば、帝都の出入り門は複数あった昔ですら混雑するものだったそうなのです。それが1つになればこうなることくらい簡単に分かるというにも関わらず彼らはなんの改善もしなかったのです。

 帝都コーンビーフルは外から物資を運び込まなければ存在することもできないというのに、必需品を運び込む存在にここまで酷い行政サービスしか提供しないというのは問題でしょう。

 仮に、商人たちが帝都での商売が苦労の割に旨みがないと判断して手を引けば、困窮するのは帝都に住まう人間たちなのです。

 それを考えるならば、もう少し訪問者にとって便利となるように帝都の統治者は気を使うべきだと思うのですが。


 心のなかで数少ない自分の知る罵倒の言葉でひと通り衛兵を罵っていると、ようやく、自分の前で検問を受けていた商人の隊列が帝都に入って行きました。

 運びこむ商品の数が多いことに加えて、衛兵たちの不真面目な仕事態度のせいでやたらと手続きに時間がかかっていました。

 もうすぐ帝都に入れると思っていた自分たちは大きく肩透かしをくらって、イライラと待ち続けることになったのです。

 「やっとかあ」


 コイーン・チヨコが全身を伸ばしながらそう言いました。

 長い時間じっとしていたためか、体が硬くなっています。


 「次の者!」


 衛兵の中で出入り門管理の責任者と思われる男が大きな声で叫びました。

 肩、胴、腰のみを覆う軽装鎧に身を包んだ男で両腕を組んでいます。

 見た所では、男の装っている鎧は元々赤く塗装されていたのでしょうが、現状では塗装の大半が剥げており、斑点のように塗料が残っているのみです。加えて、剣傷や槍傷と思われる傷や微かな凹みが鎧の数カ所に走っていました。

 恐らくはかなり長い間、実戦の中で使われてきたのでしょう。

 ですが、所々に見える金属の留め具は鈍く輝きを放っており、鎧がよく整備されていることを伺わせます。

 鎧の本体部分は分厚い金属でできているようで、分類上は軽装鎧になるのでしょうが、実際はかなりの質量になる様に見えました。素材が鉄だと仮定すると鎧の質量は男の体重の半分に達しているかも知れません。

 これだけ分厚い金属を使えば生半可な武器ではダメージを与えることはできないでしょう。

 もっとも、全身を覆うわけではない軽装鎧に使う金属板として親指2本程の分厚さがあるものを選択したことには疑問を感じますが。

 全身を覆わない以上は防御力には限界があります。そして、徒に鎧を厚くしていることで軽装鎧の長所であるはずの素早い身のこなしが失われてしまうはずです。

 それにもかかわらず、検問の際に平然と立ち続けている辺りにこの男の兵士としての優秀さと身体の頑強さを感じます。あれほどの鎧を装備しながら休憩することもなく平然と立っているのです。

 簡易椅子に腰掛けている衛兵も数名いますが、互いに見せる態度から推察するに恐らくこの男がこの中で一番偉いのでしょう。

 赤みがかった茶色の髪は短く刈り上げられ、砂塵に鍛え上げられたような彫りの深い顔でこちらを見据えていました。むき出しの両腕と両足は日に焼けて丸太のように太く、筋肉で膨れ上がった上半身の様子は鎧の上からでも簡単に見て取れました。

 外見だけでも凄まじい戦闘力を感じさせる男です。日に焼けた肌と赤みがかった茶色の髪にゴツゴツした身体が相まって一個の巌の様な印象を与えていました。

 この歴史ある文化的な都市には似合いそうもない人間です。少なくとも、あの文化的なチキーラ将軍の部下というのには激しい違和感があります。

 歴戦の傭兵団の隊長と言われたほうがしっくり来るでしょう。


 岩石男のまわりには彼と同様に屈強な体を持つ兵士たちが控えていました。何れも軽装鎧に身を包み、腰に剣を下げています。

 彼らの軽装鎧は細やかな細工が施された立派なものです。

 鎧は一度支給されたらそれを使い続けるのが普通なのか、年配と思われる衛兵たちのそれは塗装が大分剥がれており、大小の傷がついていました。逆に若年と思われる衛兵の鎧はまだ塗装が禿げていないのか太陽の光を受けて赤く輝いています。

 ただし、彼らの鎧に使われている金属板は仁王立ちをしている岩男のそれと比べて随分薄いものでした。

 もちろん、通常の剣や槍を受け止めるのには十分な分厚さは確保できているように見えますし、軽量化する分素早い行動が可能になるはずです。

 戦闘を生業とするだけあって、衛兵たちは何れもよく鍛えあげられている様に見えました。


 「何をとろとろしているか!」


 自分たちが歩いて衛兵たちの方へ向かっていると、岩石男が大声で怒鳴りました。

 コイーン・チヨコとヨグルドは一瞬ビクリと震えた後、慌てて駆け足で急ぎます。

 岩男の大声に驚いた自分は、仕事がトロいくせになんでそんなに偉そうなんだ、と思わないでもありませんでした。

 とはいえ、こんな所で問題を起こしても何のメリットもありません。

 マントとフードがしっかりと被れていることを確認すると、自分はヨグルドとコイーン・チヨコの後ろをなるべく目立たないように着いて行きました。


 「3名だな。代表となるものは誰だ」

 「ええっと」

 「とっと名乗り上げろ! 貴様らの次にも大勢が待っているんだぞ!」


 衛兵の問に対してコイーン・チヨコが迷ったような声を出すと自分の方をちらりと見ました。

 その程度の様子に苛立ったのか衛兵が声を荒げます。簡単に怒っては程度が知れるというのに沸点の低い連中です。

 そんなことを考えなら自分は仕方なくコイーン・チヨコとヨグルドの前になるべくゆっくりと進み出ました。

 自分ののんびりとした行動に対して相手がどのような反応をするのか確かめるためです。

 だから、ゆっくりと行動したのは威張り散らす衛兵たちに意趣返しをしようと思ったからなどでは決してありません。


 「なにをとろとろ行動しているか! この際だから言っておくが俺は貴様らのような根無し草の商人共が大嫌いだ! 特に上っ面では俺たちにヘコヘコしながら、腹の底では罵りの言葉を呟いているような奴は特にだ! いいか、俺のさじ加減で貴様らはここを通れなくなる事を忘れるな! 分かったら、とっとと行動しやがれ!」


 貴様が出入り門の管理をしていなかったら誰もヘコヘコする訳がねえだろうが、ボケが!

 汚い言葉を使うのは本意ではありませんし、文明人として恥ずべきことですが、我慢できずに自分は心のなかでそう叫びました。

 面倒な相手だ、と思わずにはいられません。わざわざ帝都へと物資を運んできてくれる商人たちが最初に帝都で出会う人間、つまり帝都コーンビーフルの顔がこんなゴロツキで良いのでしょうか。

 確実に帝都のイメージを損なうことにつながると思うのですが。

 王侯諸侯の様な待遇を要求するつもりはありませんが、滞在を楽しんでください、といった言葉や雰囲気というのは大切だと思うのですが。


 「なにを木偶のように突っ立っているか! とっととそのフードを脱いで顔を出せ!」

 「ちょっと待ってくれ――」

 「俺がやれと言ったらとっとと行動しやがれ! 追い返されたいのか貴様らは!」


 ここで顔を晒すのは避けたいと言おうとした自分の言葉を遮って、沸点の低い岩石男は怒鳴りました。

 粗暴な態度にうんざりしながら、自分は半ば投げやりな気持ちでフードとマスクを脱ぎ取りました。


 周囲が息を呑みました。

 人間のそれとは全く異なる造形の顔が白日の下に晒されたからです。

 自分は衛兵たちが暴挙に出ないことを心の中で祈り、岩男に顔を向けました。理知的に行動するならば帝国の下で活躍しているオーク種族に対して同じ軍の者が攻撃をしかけるということはありえません。

 ですが、歴史を振り返れば非常に多くが理性よりもむしろ感情に任せて行動を行い、その結果最善とはいえない状況を得てきたのです。

 頭まで筋肉が入っていそうな考えなしの連中の行動には特段気をつける必要があります。

 何処かのアンポンタンで散々経験した結果、自分が学んだ知恵です。

 衛兵たちもまた指示を仰ぐためか、岩臭い大男の顔を伺っています.


 「人間じゃねえのか」

 「人間だと言ってはいなかったが」

 「黙っとらんか! 俺が話せと言うまで静かにしてやがれ!」


 何かにつけて怒鳴らずにいられないのか、この偉そうな人間は自分を怒鳴りつけました。

 自分に言葉の不備を指摘されて怒鳴り返すとは随分と小さい人間です。

 こんな野蛮な人間を相手にしていては自分の品位まで下がってしまいかねません。

 文明人である自分と粗暴な野蛮人が相容れないことは明白です。そして、上手くいかないと分かっていることに労力をつぎ込むのは愚者の行為なのです。


 だから、決してこの蛮人のような岩男の握りこぶしに恐怖を感じたわけではありません。

 もちろん、出入り門を管理している衛兵が善良なる旅人に暴力を振るうということは許されざることですから、ゴロツキのような連中が見せつけるように拳や武器を構えていることはただの脅しに過ぎないと、理知的な自分は瞬時に判断できます。

 しかし、合理的精神に基づいて行動する自分は、非合理的に行動する存在の事を忘れてはいけないのです。

 何処かのアンポンタンに自分が立てていた完璧な計画を台無しにされたことは一度や二度ではありません。まあ、それで上手くいったこともあるのですが、当然失敗に終わったことも無いわけではありません。

 そして、自分は失敗から学ぶことができるのです。計画や予測というものは非合理的に行動する者がいるという前提のもとに作成する必要があるということを。

 だから、決して恐れているわけではないのです。このゴロツキどもが暴走する可能性がある以上、余計なリスクを背負うべきではないという極めて合理的な思考によって自分は沈黙することを選択したのです。


 自分が心のなかでこの無礼極まりない連中の行為を許してやっている間、岩男は自分を頭から爪先までジロジロと睨めつけました。

 もしかして、軍事生活に付きものという例のアレな嗜好をこの男は持っているのでしょうか。

 自分にはそういった嗜好は存在していませんし、むしろ、それを考えるだけで吐き気すらします。

 仮に、この変態の様な目つきの男が権力にものを言わせてそれを要求するのならば、ヨグルドあたりを差し出して逃げなければなりません。

 ……流石にケビア教において教義上禁じられている行為をこんな衆人環視の中でするとは思えないのですが。


 「ふん! 異端軍共に一杯食わせたというからどれ程かと思っていたんだが、こんな弱そうな奴があのオークだとはな」

 「……」

 「しかも、堂々と馬鹿にされておいて黙りとは随分肝の小さい奴だな! オークは色に強いと聞いていたが、貴様には○○が付いているのか?」


 肩を怒らせた岩男のあまりに汚い言葉に自分の脳はこの品の無い男が最初何を言っているのか理解できませんでした。

 罵倒の語彙に関して言えば、この男がこれまで出会った人間達の内トップクラスであることは間違いありません。

 挑発されると刹那的に怒って面倒事を引き起こすテメエらのようなどうしようもないクズどもと自分は違うんだよ、などと口汚い言葉が一瞬自分の脳裏を掠めました。

 もちろん、身体はオークとはいえ理性と合理によって生きる紳士たる自分が、そのようなゴロツキと見間違わんばかりの言葉遣いなどするわけがありません。

 野良犬のような連中の言葉などに一々怒ることは労力の無駄ですし、論理を持たずに行動する相手に言葉を投げかけてもなんの意味もありません。だからこそ自分は黙って聞き流すという大人の対応をしているのです。

 その様子に、流石に蛮人とはいえ、感じるものがあったのか岩男は拍子抜けした表情とともに肩を下ろしました。


 「ふん、これだけ俺が言っているにも関わらず黙りとはいい度胸だ。それで、貴様は何故此処に来たんだ?」

 「……俺たちオークは帝国に従ってピン・サモーンを復興させようと努力している。俺は帝国のお偉方とピン・サモーンの今後について話をするために此処に来た」

 「随分と大層なご理由じゃねえか。そう言えば貴様らが前に此処に来た時は好き勝手にやってくれたよな」


 以前オーク達が好き勝手にできたのは、本来それを取り締まるはずの衛兵たち、つまるところお前たちが殆ど動かなかったからではないか、という言葉を自分は腹の中で呟きました。

 異端軍という脅威を前に仲間割れをする余裕が無かったということと、エンヤ河の戦い以降、重要性が増したオークたちの機嫌を損ねたくないという帝国上層部の意向がその背景にあったことは間違いありませんが、理由はどうであれ帝都を守るべき衛兵たちがその役割を果たせなかったということは否定のしようがない事実のはずです。

 もちろん、彼らが喜んで動かなかったという訳ではないのでしょうが、自らの過失まで自分たちオークに押し付ける姿勢には反感を覚えずに入られませんでした。

 乱暴狼藉を働いたオークが存在したことは確かですが、外部から来た人間の傭兵たちもそれと同等の問題を引き起こしていました。

 何より、自分はそうした行為に一切……極々一部を除いて関わっていないのです。

 一方的に、オーク種族という括りで判断されるのは不愉快でした。

 自分よりも見るからにゴロツキのようなこの連中のほうがずっと多くの問題を引き起こす気がしてなりません。

 理知的で合理的かつ文化的な自分に対して蛮人が問題を起こすなと言うなど噴飯物なのです。


 「オークだ……」

 「あのオークっ!」


 後ろにいる外野達がざわざわと騒ぎ始めていました。

 言葉を聞く限りでは、自分の正体に気が付き始めたためのようです。

 こうなる前にとっとと帝都内に入ってしまいたかったのですが、余計なことを言い出して時間を無駄にしている衛兵のせいでその目論見が崩れてしまいました。

 加えて周囲の外野たちは剣呑な雰囲気を発し始めていました。背中に刃を突き立てられたような嫌な視線を感じます。

 どうやら、この地でもオーク種族は人間種族から相当に恨まれているようです。

 まあ、前の戦争時の事を考えれば、人間達の憎しみも理解できます。理解したくはないですし、人間種族の傭兵たちは下手をしたらオーク種族よりもよっぽど酷いことをしていたにも関わらず、自分たちだけが槍玉に上がることには釈然としないものを感じずにはいられませんが。

 まあ、種族が違う自分たちオーク種族が全ての不満を受けるスケープゴートとなっているのでしょうが。

 外野からは殺してやる、誰々の敵だ、等など、かなり剣呑な言葉が聞こえてきます。

 どうしようもない現実に自分はため息を抑えきれませんでした。

 というかこれ、下手をしたら暴動になるのではないでしょうか。

 流石にこの人数差ではどうしようもありませんが、――ツヨイもといシーザならあっさり倒してのけるのでしょうが――自分はマントの下で武器の位置を確認しました。

 隣ではヨグルドとコイーン・チヨコはさり気なく自分から距離を取っています。

 この薄情者共が、と思わずにいられません。

 特に部下であるヨグルドには万が一の際には身を呈して上司である自分のことを守る責任があるのではないでしょうか。

 まあ、流石にそれはいき過ぎであるにしても、部下として上司に対し最低限のフォローをするくらいの機転は見せてほしいものです。秀才、天才と呼ばれているのですから。


 「貴様ら静かにしやがれ!」


 次第にざわめきが大きくなっていく外野たちを黙らせたのは岩石男の鶴の一声でした。

 岩男が叫んだ途端、後ろにいる人間達はピタリと黙り込みました。相変わらず差すような視線を背後から感じますが、今にも爆発しそうな危うい雰囲気はありません。

 内心でホッとしながら、自分はマントの下で武器に触れていた手を離しました。

 衛兵達の偉そうなだけの見掛け倒しの態度もこういう時には役立つものです。

 この前の有事にではまるで働かなかったのですが。


 「ふん、腰抜けどもが! いいか、俺の目の黒いうちは貴様ら金の亡者共の好き勝手は絶対に許さん」


 岩石男はそう言うと木でできた柱が立ち並ぶ方向を指さしました。

 帝都の出入り門前で並んでいた際はできるだけ目立ちたくなかった事と、一度帝都を訪れたことがあった事から、周囲の観察は殆どしていませんでした。

 そのため、岩男が指さしたことによって初めて柱の存在を認知した自分は、それが何なのかと見やって、若干の後悔とともにそれを理解しました。

 人間達の死体が2、30体程に柱に吊るされていました。処刑されてから時間が経ったものもあるのか、幾つかは骨が剥き出しになっていました。柱の下には髑髏のようなものや腐った死肉が転がっていました。

 首の肉が腐り落ちて支えるものが無くなった死体が柱の下に落ちているのでしょう。

 その肉をこの地域に生息する猛禽類が悠々と啄んでいました。

 うっかり風向きが変わって柱が立ち並ぶ方が風上になったら、漂ってくるであろう腐臭に吐き気を催さずにはいられないことでしょう。そういう意味では幸いでした。恐らくこちらが早々風下になることはないような配置なのでしょうが。

 柱の隣には石を積み上げて構築された竈のようなものがありました。そこから転がって見える灰白の塊を見る限り、腐乱死体から疫病が流行ることがないように定期的に死体を焼いているのでしょう。

 ぶら下げられた死体は恐らくは罪人なのでしょうが、それでも腐乱してその体が崩れ落ちるまで晒されていることには憐憫を覚えずにはいられません。

 確かにピン・サモーンでも罪人を晒すことはありますがそれでも精々数日程度です。それ以上は肉が腐敗して悪臭がするという問題がありますし、なにより、ケビア教というか人間体達の文化ではそこまでしないというのが普通だからです。腐敗するまで死体を弄ぶというのは一種のタブーであり、彼らはそれが悪魔に魅入られたものの所業であると考えているのです。

 オーク達はオーク達で死体を晒すという文化自体が存在していませんし。


 それは、明らかに罪を犯そうとする者への警告でした。

 帝都の出入り門前でひたすら自分の考えに没頭して時間を潰していた自分は、ようやく、他の商隊や旅人たちが文句も言わずに諾々と従っていた理由を心の底から理解させられたのでした。風向き的に柱の方の腐臭が漂ってこないのがせめてもの救いです。

 罪人とはいえ、その死体を平気で弄び無残に晒すような人物を相手にする以上、できるだけ刺激せず穏便に済ませたいと思うのは無理からぬことです。

 自分としても、決してビビっているわけではありませんが、人間達の間に存在するタブーを平然と踏みにじる狂犬相手に無用なリスクは避けたい所です。決してビビってはいませんが。


 「……あれは一体」


 ヨグルドが呆然と呟きました。

 空気が読めていないことこの上ありません。

 下手に刺激をしたら不味い人物とそうでない人物の違いが分からないのでしょうか。

 岩男はニヤリという音すら聞こえそうな表情を浮かべました。


 「ほとんどがこの辺で好き勝手に暴れていた野盗共だ。ただし連中に情報を流していた商人やこの俺の前で盗みを働いた旅人のものもあったはずだな?」

 「はっ! 右から3番目と4番目が裏切り者の商人、左から2番目が盗人です」


 岩石男の問いかけにそれまで静かに控えていた衛兵たちの一人が進み出て答えました。

 それを聞いた岩男は口を歪めるとヨグルドヘ視線を向けます。


 「だそうだ。満足したか?」

 「……」


 黙りこむヨグルドに、余計なことを言うなよ、と心のなかで自分は呟きました。

 この感化されやすい年頃の少年は最近シュー・クリーに心酔しているのか、やたらと正論に括るのです。

 今回、彼を同行させたのは、ピン・サモーンでは将来有望と評判のこの少年がシュー・クリーと同様に実現性を考えずに理想論ばかりを言うようになる前に真っ当に更生させることができないかと考えたからでもあります。

 まあ、最早ほとんど期待などしていませんが。


 「何もここまで……」


 やはりというべきか、ヨグルドは肺から絞り出すようにして余計なことを言いました。

 岩石男の口が横に裂け、三日月のような形に歪みました。


 「お前も、ここまでする必要があるのか、と言うのか? 違うな、これは温情だ」

 「なっ!? これが、お前はこれが温情だと、慈悲だとでも言うのか?」

 「ふん。何も分かっていないようだな。いいか、こいつらはこの帝国を脅かしたクズどもだ。生かしておく価値など微塵もない。こいつらは帝国に頼って生きているというのに、その帝国に仇為すばかりで、クソほども役立たない。この俺がこいつらを帝国のために有用に使ってやっている。見ろ! この光景を! ついこの間、この俺様の庭で暴れようとしたクズどもはこの光景を見て震え上がって蜘蛛の子を散らすように逃げていった。これで、あのクズどもも少しは役に立った訳だ。クズどもに人並みに役立つ機会を与えることが温情でなくでなんなんだ?」


 岩石男の口からほとばしる苛烈な言葉にヨグルドや周囲の野次馬たちは何も言えずに沈黙しました。

 この衛兵の言い分は人間たちから見て受け入れがたい種類のものであるはずです。

 少なくともテリヤ司祭の言葉によれば、死者に鞭を打つことは非道徳的であるとすらされています。その割に、公開処刑や、短い間ではあるにせよさらし首がピン・サモーンでも普通に行われているあたり、実際に道徳的に振る舞うという事の難しさを感じずにはいられません。

 まあ、この際それは置いておいて、罪人とはいえどもその身が朽ちるまで晒し者にするというのは初めて見ます。

 ということはつまり人間たちの視点から見ても、これは弁解しようのない不道徳的な行為なのでしょう。

 野盗や一体どこから流れてきたのか不明ですが先の戦いの敗残兵と凶悪な人間犯罪者には事欠かないピン・サモーンですら、こうした行為はしないのです。


 恥ずかしながら、少し前までのピン・サモーンは凶悪犯罪者に対抗する為に処刑方法の展示会場といった様を呈しており、磔、首吊り、火あぶりなどは一時期日常茶飯事でした。

 幸いにもツヨイ――シーザを始めとした野盗の討伐隊が成果を挙げているため、最近はこうした存在は大幅に数を減らしています。

 この様にオーク達はピン・サモーンの治安回復のために莫大な貢献をしているというのに、人間達の自分たちに対する態度は冷たいものです。

 まあ、人種が違うだけでも大騒ぎしたことがある人間達が種族が異なるというギャップを乗り越えることは並大抵のことではないのでしょう、と最近は自分を慰めていますが。


 ともかく、ピン・サモーンでは人間達が認める範囲内であらゆる処刑方法が実行されていたといって過言ではありません。

 例えば、一部地域によっては伝統ある処刑方法として生き埋めや石投げなどが実行されていたようです。

 一見野蛮な行為の様に感じられ、その実野蛮ではありますが、その背景にはそれぞれの地域の文化や歴史が存在しており、なかなか興味深い話でもあります。

 例えば、ピン・サモーンの北西部、歴史ある街ツナヨマでは大罪人を縛り上げ北東のエルフ達の居住地域に続く大森林に放置し、野生の獣の餌食にするという処刑方法が行われています。

 それだけを聞くと、非常に残酷なものとしか思えません。

 ですが、大森林の恵みによって生きるこの地域の人間たちにとって、最大の罪とは大森林を無闇に破壊する事という考え方があり、その罰は大森林に任せるという考え方が根底にあるようなのです。

 その罰が長い歴史の間で制度化され、伝統化されていった結果が罪人を野生の獣の餌とするという方法なのです。


 因みに、何故自分がこうした話を知っているかというと、自分達オーク種族がピン・サモーンを統治するにあたって中央から派遣されてきたお目付け役達のごく一部が無駄にやる気を持っているのか現地視察を行い、こうした行為を問題として自分に報告してきたからです。

 まあ、自分個人としては彼らを評価しますが。


 このお目付け役達のほとんどは自分への協力を全くしないくせに、オーク種族のちょっとした行動やピン・サモーンの制度などに一々文句や要望をつけてくるという非常に面倒くさい連中でした。

 しかも、その文句は全くもって非建設的で、実現不可能なものばかりです。

 例えば、目障りなオーク種族達は全部ピン・サモーンから追い出せ、大森林のエルフ討伐に向かわせろ、お前たちの無能のためにピン・サモーンの復興が遅れている等など、温厚な自分としても内心で連中を棍棒で滅多打ちにする光景を想像しなければ耐えられないレベルの戯言ばかりなのです。

 あの役立たず共は自分が正統コーンビフ帝国の皇帝であるかの様に振舞い、何の臆面もなく最高の待遇を要求するという救いがたい存在であり、連中が自分たちの力の拠り所としているその帝国を滅ぼす存在がいるとしたら間違いなく彼らのような人間達ではないかと思わずにはいられません。

 共同体の力によって生を保っているにもかかわらず、その共同体へ全くの還元をしない存在こそが無能と呼ばれるべきです。

 普段は酒ばかり飲んで問題ばかり起こすオークたちですら有事においては武器を取り勇敢に戦うことで共同体へ貢献するのですから、論理的帰結によりあの連中は連中の言う野蛮なオーク達以上に無能であるといって間違いありません。


 あの連中と一緒にいてはこちらの精神が持たない事は容易に予想できたために、自分はあの無能どもをピン・サモーンの南西の比較的大きな街ジャケライスへ移しました。

 ベニジャケにおいてオーク達のお目付け役という帝国への貢献になるはずの重要な任務があるにもかかわらず、あの連中は嬉々としてより快適なジャケライスに移って行きました。

 ピン・サモーン全体を統治するためにもっとも都合が良かったために自分はベニジャケに本拠を置きました。

 王侯貴族といった扱いで饗されることが当然と考えている連中にしてみればあの地には不満しか感じなかったのでしょう。だからといって、職務放棄する理由にはなりません。

 ただ、あのクズっぷりは自分にとって好都合であるため、あまり文句を言ってもしょうがないのです。


 むしろ、統治上問題となるのは職務に熱心なごく一部のお目付け役で、マトン・ソテーを中心とした連中ときたら真面目に現地視察をしては、ただでさえ処理能力を超える仕事に忙殺されている自分たちに余計な難題を持ってくるのです。

 いや、個人としては非常に好ましい存在だと思いますし、共に働きたいと思うのは間違いなくどこぞのクズどもではなくマトン達であることは疑いようもありません。

 しかしながら、自分たちオークと微妙な関係にある正統コーンビフ帝国側の人間にまじめに動かれるのは残念ながら歓迎できないのです。


 野盗によって焼き払われた教会の復興、田畑の復興、復興復興……

 自分たちのリソースには限界があるのですからその全部をできるわけがありません。

 いくら帝国以外の勢力であるオークたちに事実上統治を委託しているからといって、こちらの不可能なことを押し付けられては否としか答えられないことを分かってもらいたいものです。

 まあ、彼らは積極的に自分たちを手伝ってくれるため強く文句をいう事はできないのですが、彼らが持ち込んでくる厄介事と彼らの貢献比べると、かれらの存在は厄介としか言えない気がします。

 辺境とか重要でない上に危険度の高い地域の復興などコストだけがかかってどうしようもありません。

 口先で遺憾の意を述べるだけなら手間もかかりませんし経費も必要としませんから構わないのですが、将来性のない土地の復興などやりたくないのです。


 更に、宗教上の自分にとってはどうでもいい問題を持ち込んできたりして自分としては対応の難しさに四苦八苦するハメになるのです。

 自分はまだケビア教信徒ではないのですし、異端や異教徒と戦う必要など欠片も感じないのですが、どうも真面目すぎる連中は帝国の一部を統治する以上ケビア教に忠実であるべきだと思い込んでいるようなのです。

 その真面目さを同僚のクズどもに向けてやれよと思わずにはいられません。

 最近は正義を信じて職務に邁進する彼らの視界は極端に狭いのか、不都合な事実を無視するようにできてるのか不思議でしょうがないです。

 マトン達とは日常会話に不自由しませんし、彼らの頭が足りないというわけでは無いと思うのですが。


 「ふん、文句はないようだな」

 「……」


 岩石のような衛兵の隊長は誰一人として彼に反論するものがいなかったことに満足したのか機嫌良さそうに頷いて見せました。

 対するヨグルドは、例え正しくても引くべきを十分に弁えていない若者の性のためか不満そうな顔をしていますが、結局何も言わずに黙りこみました。

 間違いなくヨグルドは文句があるのでしょうが、衛兵たちのあまりの苛烈さには流石に面と向かって反論することを躊躇せずにはいられないのでしょう。

 出すぎる杭は打たれないということなのでしょうか。


 というか、もしかしてピン・サモーンでもこの様な断固とした態度を取れば、面倒くさく反対する輩も黙らせることができるのでは無いでしょうか。

 もちろん、強引な行動は批判の対象になるでしょうが、この衛兵のように相手が咄嗟に反論できない大義名分と突き抜けた行動があれば反対者を黙らせることは十分に期待できます。

 ピン・サモーンに無事帰ることができたら是非とも試してみたいものです。

 シュー・クリーが永遠に眠りついているだろうこととこれが組み合わされば夢にまで見た円滑な行政組織が実現するかもしれません。


 もう、徹夜3日目とか訳の分からない苦行は懲り懲りなのです。

 あれでは文明人として享受すべき最低限の文化的生活も送れません。

 そして、そのためには、オーク達が残忍であるという多少の風評被害も甘受するだけの覚悟が自分にはあります。

 そんな感じで、自分はピン・サモーンに帰ってからの円滑な行政に夢を馳せていました。


 「無駄な時間だったな。それで、こいつらは何なんだ?」

 「ああ、こいつらは……こっちが俺の部下で、こっちは行きずりの商人だ」

 「……ほう、ならどうしてわざわざのこのこ連れ添って俺の前に出てきた? 何を企んでいる?」


 岩男の懐疑の言葉を聞いて自分は選択を間違えたことを悟らざるを得ませんでした。

 全く関係のない赤の他人を引き連れていることで、衛兵たちからあらぬ疑いを持たれてしまったのです。

 コイーン・チヨコは無視するべきだったのでしょう。

 自分の正体がオークであるということもここで明らかになってしまいましたし、わざわざ口止めをする必要はなかったのです。

 とは言え、検問所の様子がはっきりと分からない状況ではあの選択が間違っていたとは言い切れません。

 確かに、結果としては全くもって裏目に出ましたが、そもそも自分は全知全能でない最善と思われる選択を繰り返すほか無いのです。


 何れにしても、現状を乗り切らなければなりません。

 この場合、下手に言い訳したとしても、相手が疑いを持っている以上、それが意味を成すとは思えません。

 とりあえず、事実のみを述べて様子を見ることにします。


 「何も企んでいない。ただ、この男に俺の顔を見られてな。面倒事になることを避けたかったから、金を持っていないらしいこの男の交通税を肩代わりするという口約束をしたんだ」

 「ふん……オークは頭が足りないと聞いていたが、どうやら本当のようだな。金を持っていない商人がいると貴様は考えているのか」

 「……まあ、金を持っていないというのはこの男の自己申告だ。本当は持っているのかもしれないが、それは本人に聞いてくれ」


 如何にも教養の無さそうな粗野な衛兵如きに馬鹿にされた自分は文明人として憤りを覚えずにはいられませんでしたが、寛容な心でもって相手の無知を許した自分は、岩石男の疑問をコイーン・チヨコに丸投げしました。

 正直、冷静に考えれば行商人であるコイーン・チヨコが一文無しなわけが無いことに岩男の言葉で気がついた腹いせにコイーン・チヨコに当たったなどということはありません。

 自分とコイーン・チヨコが交わした口約束は、自分に迷惑がかからなければ彼の交通税を肩代わりするというものでしたし、ここで彼を切り捨てたところで約束を破ったことにはなりませんし。

 ヨグルドの目があるため理由なく約束を破る訳にはいかないというのが面倒でなりません。


 「ほう、ならば貴様が話してくれるのか。一文無しとの話だが、行商人、まさかそれが本当だという訳ではないのだろう?」

 「あ、い、いや……あははは……いやー、本当に持ってないんですよ。お、可笑しいですよね。そう思いませんか」

 「ふん、子供でももう少しマシな嘘を嘘を付くぞ。おい、こいつを捕らえろ。怪しいやつだ。何を企んでいるのか吐かせてやる」


 岩石男は左右の部下にコイーン・チヨコを捕らえるように命令しました。

 恐らく先ほどのコイーン・チヨコの返答で、いわ男の中ではコイーン・チヨコの評価が怪しい行商人から容疑者に降格したのでしょう。

 無言で近づいてくる衛兵たちにコイーン・チヨコは怯えたような表情で後退りました。

 青い顔で左右に首を振るコイーン・チヨコを努めて無視しながら自分はさり気なく行商人から距離を取りました。


 まあ、しょうがありません。

 まさか、コイーン・チヨコが何か怪しいことを企んでいるなどとは思いましませんでしたが、正統コーンビフ帝国に仕える立場の自分としては反帝国的な活動に参加している人物を擁護するわけには行きません。

 この調子では、ほぼ間違いなくコイーン・チヨコは何らかの陰謀に加担したということで話が付きそうですし。

 衛兵が警官と裁判官の双方を兼ねる以上、疑われても有罪にならない可能性は低そうですし、それに関わって自分まで面倒事に巻き込まれるのはゴメンです。

 岩石男に馬鹿にされたことは合理的な知識人として怒りを覚えずにはいられませんが、ここは我慢しておくべきでしょう。このまま行けば自分たちは無事に通行できそうな雰囲気ですし。


 「た、たす、助けてくれ」

 「ならばとっとと何を企んでいるのか話してもらおうか。商人なら帝都に入るためには交通税が必要なことくらい知っているはずだろう?」

 「……」


 引きつった声でどもりながら助けを求めるコイーン・チヨコに岩石男は冷たい声でせせら笑いました。

 彼の中では既にコイーン・チヨコは有罪と決めつけられているのでしょう。

 岩男が思い込みの強そうな性格をしているということは今までの彼の言動から容易に想像できます。

 コイーン・チヨコが本当に何らかの陰謀に関わっているかどうかは疑問ですが、こうなってしまってはどうしようもありません。

 自分は居所の悪さを感じながらもコイーン・チヨコの縋るような視線を無視し、その顔が敵意に染まったことで自らの失着を悟ることになりました。


 「この豚野郎はさっき帝国を糞だと侮辱していたぞ!」

 「ちょっ!?」

 「なにぃ……?」


 慌てて自分が言葉を紡ごうとする前にコイーン・チヨコが自分への糾弾を口にしました。

 それを言ったのはお前だろうが、とは思いますが、ここで水掛け論になった場合、オークであるというだけで自分の言葉が不利に扱われる可能性が高いです。

 案の定、岩石男は怒りの視線を自分へと向けています。

 今まで疑っていた相手の言葉をこんなに簡単に信じるのはどうなのかと思わずに要られません。

 ごつい男のアホの子ぶりとか誰得なのですが。

 少なくとも自分は嬉しくもなんともありません。

 ともかく、コイーン・チヨコとはこれ以上いがみ合うべきではありません。

 彼といった言わないの争いをしても不毛なだけです。


 「ふざけるな、帝国に対する侮辱の言葉を吐いたのは貴様ではないか!」

 「ち、違う! こいつらがっ!」

 「嘘をつくな! お前は慈悲で見逃されながら他者を貶めるのか!」


 自分がコイーン・チヨコを何とか説得して無難に事を収めようと行動をはじめる前に、空気の読めないヨグルドが爆発しました。

 コイーン・チヨコも今更言葉を翻せないと思っているのか、必死に反論しています。

 2人には顔つきが険しくなっていく岩石男の様子にすぐにでも気がついて欲しいのですが、両者ともに近視眼的な性格の持ち主であることが災いしたのか、不毛な言い争いが止む気配はまるでありません。


 「ちょっと2人共いい加減に」

 「うるさい! 帝国を侮辱したのはお前たちだ!」

 「このっ! まだ言うか、卑怯者が!」


 岩男が爆発する前に自分は2人を大人しくさせようと話しかけました。

 しかし、コイーン・チヨコは自分がヨグルドと同じ程度の考えしかできないとでも考えたのか、完全に自分のことを敵とみなした様子で必死に自分が帝国を侮辱したと言い張るばかりです。

 この計画性のない伊達男はこのままでは双方ともに不味いことになるということが分からないのでしょうか。

 ついでにヨグルドはヒートアップして我を失っており、まるで使い物になりません。

 正直どうしようもない状況です。

 自分は覚悟を決めるしかありませんでした。


 「黙らんか! 貴様ら!」


 案の定、放置されたことで岩石男は顔を赤らめて爆発しました。

 前の世界に存在していた爆弾は放置されたところで爆発しなかったというのに、こっちの爆発物は理不尽にも放置しただけで爆発するのです。

 そんな戯言を思い浮かべながら、自分は悟りきったような境地で岩男を眺めていました。

 コイーン・チヨコが怒れる衛兵を見て顔を青ざめています。ようやく、このいい加減な伊達男にも状況が飲み込めたのでしょう。

 対するヨグルドは息を荒げてはいますが、それほど深刻な表情は浮かべておらず、むしろ自分の勝利を信じているかの如き様子でした。

 この経験足らずの若造は怒りに顔を真赤にした衛兵を目の前にしても、自分の正義とその勝利を疑っていないのでしょう。

 自分は内心で呆れ果てました。

 この短気な衛兵が物事をまともに判断できるだけの知能があるか自体がかなり疑問ですし、そもそも彼に真実を確かめるつもりがあるかどうかがかなり怪しいところです。

 雨風に晒されるままぶら下げられた死体を見るに、この岩石男が激しい気性の持ち主である事は疑いようもありませんが、一方で知性あふれる公正な裁判官であるかどうかは極めて疑わしいと言わざるを得ません。


 「おい、こいつら3人ともふん縛っておけ! 後で俺が直々に取り調べてやる」

 「ちょっ!? ま、待ってくれ、こいつらが――」

 「こいつめ、まだ言うか――」


 案の定、岩男は面倒なものは全て黒と決めつけることにしたのか、自分たちとコイーン・チヨコの双方を捉えるように部下に命じました。

 コイーン・チヨコが必死に反論していますが、岩石男は最早話を聞こうともしていません。

 そして、事態を余計にややこしくした戦犯たるヨグルドは全く懲りていないのかコイーン・チヨコに噛み付き続けています。

 まだ言うかはお前だ、などと心の中でヨグルドに対して罵詈雑言を浴びせながら、自分は一歩前に出ました。

 衛兵たちの視線が自分に集中することに緊張を感じながらも、自分は懐から正統コーンビフ帝国の印が記された手紙を取り出しました。

 その印に気がついたのか、岩石男が手で部下たちを制しました。

 野蛮とすら言える衛兵たちを止める帝国の御印の効果に自分は感謝しました。帝都に来るまでの道すがらでは然程の効力もなかった帝国の印字ですが、流石にお膝元ともなれは粗野な人間たちをも止めるほどの威力を発揮するようです。

 自分は最初からこうすれば良かったと思いながら話し始めました。


 「俺たちは帝国の為にここに来た。この通り帝国からの命令書も所持している。こちらの男は先程会ったばかりの人間だ。話をしていて面白い奴だと思ったから一緒にここに来た。あなた方は彼が何かを企んでいると疑っている様だが、それは、ただの勘違いのように見える」

 「……ほう。なら、何故態々一緒にここに来た? 関係のない人間と一緒に俺達の前に来る馬鹿がいるとは信じられないんだがな」

 「……なるほど、そういうものなのか。俺たちオークは少しでも仲良くなれば、それなりに協力を惜しまないものでな。あなた方の常識とは少し異なる行動をとってしまった様だな。とは言え、俺たちオークと人間たちは最近になるまでほとんど交流がなかった。俺があなた方の行動に違和感を覚えることがあるように、あなた方も俺たちの行動に納得の行かないものを感じることもあるだろう」


 何かにつけて相手を馬鹿にする岩石男に内心で憤りを感じながらも、自分は表面上は平静を装い冷静に言葉を紡ぎました。

 それにしても、今話しながら気が付きましたが、オークと人間の文化の違いとは便利なものです。

 特に、人間たちはオークの文化――実際は強いものが偉いという非常に単純な原則の下に構築されたそれですが――を全くといっていいほど知らないはずなので、なにか不都合があれば、文化の差異による問題だと嘯くことができます。

 今後も使えそうなテクニックとして記憶しておくことにしましょう。

 だから、ヨグルドは意外そうな顔でこっちを見ないでもらいたいものです。

 最近頻繁に思うのですが、この世界の住人は空気を読むという能力が劣っている気がします。

 上司に気兼ねして職場に残るということを全くもってしないどころか、面前で自分の作業が遅いと貶してくるクローコ・ショウとかいうどこぞの黒ずくめは論外でどうしようもないとしても、才子と呼ばれているヨグルドとかどこぞのアンポンタンには場を穏便に収めようとしている自分の行動にもう少し気を払ってもらいたいのです。


 そんなことを考えつつも、自分はなるべく何も企んでいないような無垢な顔つきをするよう努力しながら岩石男の方に顔を向けていました。

 オーク社会で生まれ育ってきた経験から言わせれば、この手のタイプが疑惑を覚えた場合、説得を試みてもほとんど意味はありません。

 整合性のとれた理論など端から理解する気がないのです。それだけの頭もない場合もあります。どこぞのアンポンタンは理解できるだろうにそうしようとしないのだと自分は思っていますが。

 面倒事は全部自分に任せようとでも考えているに決まっています。


 まあ、あれは戦闘において比類ない才能を持っていますし、適材適所と言えなくもないでしょう。

 ピン・サモーンで活発に活動していた野党討伐後も、隣接する他の勢力との小競り合いが発生していますし。

 どこぞの山に住んでいたオークたちが周辺からの略奪によって生計を立てていたように、ピン・サモーンでも北西にある大森林に住むエルフ種族や西部の山脈に住むトロール種族などからの定期的な略奪や攻撃を受けるのです。


 そんな事を考えながらも、何も考えていないような表情を作りながら岩石男を見つめていると、この粗野な蛮人は自分に向かって吐き捨てるように言いました。


 「随分と呑気なものだな、オークというのは。ふん、どうしようもないアホづらだ」

 「俺たちにしてみれば人間種族というものは随分とせかせかしているということになるがな……どちらにしても、同じく帝国に仕える者同士、いがみ合いを続けるのもバカバカしと思うが」

 「アホづらをアホづらと言って何が悪い。俺は事実を言っているだけだ。くそったれなオークでも帝国に仕えているならば、俺は馬鹿にしたりはしない」


 自分の反論を岩石男は冷笑して切り捨てました。

 この男の傲岸不遜な態度にはほとほと呆れます。最早、腹も立ちません。

 明らかに馬鹿にするような言葉を口にしつつ、馬鹿にしていないと言い放つとはどういう神経をしているのでしょうか。

 もしかして、この男にとってこの程度は愚弄する内に入らないとでも言うのでしょうか。

 だとすれば相当に汚い言葉の持ち主ということになります。

 オーク社会を見渡してもここまで口の悪い存在などいないでしょう。まあ、オーク社会では口よりも先に手が出ることが多いため、罵倒の必要性が薄いのですが。

 そういう理由で、意外なことにオーク社会は他者を侮辱する語彙が少ないです。

 オーク達を野蛮であると決めつける思考的弾力を持たない人間たちには思いもよらないことでしょうが、オーク達の言葉は装飾もありませんが結構綺麗なものなのです。


 「侮辱はしない……か。まあ、いいか。それよりも、俺達はここを通ってもいいのか?」

 「あ? 貴様は何を言っている? 誰一人として、例え領主の連中でも勝手にここを通ることは許しとらん! まあ、いい。とりあえず怪しい奴として尋問することは勘弁してやる。おい、まずは、こいつらの荷物検査をやれ!」


 岩石男が叫ぶとすぐに衛兵たちが自分たちの方へ近づいて来ました。

 しかし、本当にこの岩男は振れません。職務に忠実といえば聞こえはいいのでしょうが、融通が全くきかないというのも考えものではないのでしょうか。

 領主とか帝国運営に関わっている人間たちは顔パスで良いのではないかと思うのですが。


 「マントの下を見せろ」

 「……」


 ピン・サモーンを代行とはいえ統治している自分に対して木っ端役人にすぎない衛兵が礼儀の欠片もない言葉使いで話しかけてきました。まだ年若い青年とすら言える人間です。

 この世界の若者は年長者を敬うという発想がないのでしょうか。

 若干思うところがないでもありませんでしたが、自分は無言でマントを脱ぎました。

 大した物を持っているわけではありません。旅行及び帝都における工作活動のための資金が入った革袋、どこぞの神童様が買ってきたがらくたの短刀、持っていると何かと便利なナイフ、謎の薬草が入った小瓶、羊皮紙製のいい加減な地図、そして自作のコンパスのようなものだけです。

 ところが、この衛兵はたいそう気に入らなかったようで眼尻を釣り上げてナマクラの短刀を指さすと叫びました。


 「なんだこれは!」

 「ただのナマクラだ。たまたま手に入れてしまったから一応持っていただけだ」

 「帝都内へ許可されていない武器の持ち込みは法で禁じられている。それを帝都に持ち込むことは許可されていない。歯の生えそろったばかりの子供でも知っていることだ。それなのに、まさかお前は知らなかったとでも言うのか?」


 年若い衛兵は鬼の首でもとったように勝ち誇って短刀を指さしました。自分が帝国に対して何かを企んでいる証拠を掴んだと言わんばかりです。

 恐らくこの衛兵の中では、帝都へ武器の持ち込みが禁じられているということが、太陽が東から登ることと同じ程度に当たり前なのでしょう。

 残念ながら、人間社会に接して日の浅い自分は本当に武器の持ち込みが禁じられているとは知らなかったのですが。

 そんなこともつゆ知らず、この礼儀のなっていない若造は周囲に声を自分が武器を所有していたことを叫んでいます。

 衛兵たちの隊長と思しき岩石男が特別に思い込みが激しいのかと思っていましたが、どうやらこの衛兵も思い込みの激しさでは負けていないようです。

 まともに思考できない奴に公権力を持たせるなよと自分は心の中で毒づきながら、近づいてくる岩石男達に自分が何も企んでいないことをどう説得したものかと考えました。


 「なるほど、武器を持っていたのか。まさか、武器を持っていいのは特別に許可されたものに限定されていることを知らなかったのか」

 「……そのまさかだ。以前帝都に来たときは普通に武器を持ち込んだからそういうものだと思っていた」


 お前たちの常識なんて俺が知るわけ無いだろうが、と心のなかで叫びながら自分は淡々と答えました。


 「ほう。貴様随分と物を知らないようだな。この前は戦時ということで特別に許可されていたに過ぎない。まあいい。貴様が無知ゆえに誤って武器を持ち込もうとした、ということにしておいてやる。貴様ら蛮人は武器を持っていないと安心できないのだろうからな。だがな、帝都内へそれを持ち込むことは許さん。それと、無知な貴様はうっかり他にも持ち込んでいけないものを所持している可能性がある。おい、こいつらの荷物をもっとよく調べろ。この小瓶の中身はなんだ? まさか毒物でも入っているのだ。それと、この石ころはなんだ? 何故態々こんなものを持ち歩いている?」

 「小瓶の中身は薬草をすり潰したものが入っている。貰い物でどんな薬草を使ったのかは知らないが、ピン・サモーンではよく使われているものらしい。それとこっちの石は磁性を帯びていて――」

 「薬草? おい、薬草の持ち込みには関税がかかっていたはずだが」


 衛兵の言葉に自分は思わずヨグルドの方を向きました。

 なんだかんだと帝国の法に詳しいらしい、という理由で同行者にこの天才少年様を選んだのですが、物品の関税については一度も彼から聞いていませんでした。

 自分の視線に気が付かないのかヨグルドは岩石男の言葉に何ら反応を示すことなく憮然とした表情で立っていました。

 聞かれなかったからという理由で重要事項を伝え忘れるとは大した才子様です。

 衛兵の目の前で怒鳴り散らすわけにもいきませんので、自分はヨグルドを睨めつけるに留めました。


 「関税があるとはまさか思わなかった」

 「ほう、ではピン・サモーンでは関税がないというのか?」

 「もちろんあるが、ピン・サモーンでは手荷物からは徴税しない。俺はこの帝国がどのような制度になっているかをまだ殆ど知らないから、ピン・サモーンの制度から他を想像する他ない。どうやらこちらではそうではないのか」


 岩石男の言葉に対して自分は大げさな動作で首を振りながら言いました。

 そして、岩男が鼻の穴を膨らませて喋りだそうとする前に、自分は再び口を開きます。


 「ふう、思うのだが人間とは随分と面倒な生き方をするのだな。場所によって何から何まで変わるとはやりにくくて敵わない」

 「……ほう」


 自分の言葉に衛兵たちは表情を固くし、自分を睨みつけてきました。

 喋り終わってから思い返すと、やられっぱなしが癪に障ったという感情的理由で自分はこのような行動に出たわけであり、本来は面従腹背の姿勢を保つべき場面でした。

 これではまるでただの子供の挑発ではありませんか。

 とは言え、一度吐いた言葉は元に戻すことはできません。

 後悔するよりも、今は次の一手をどうするかを考えなければいけません。


 「ふん、面倒か。全くもってむりもない事だ。文化も何もない蛮人にとって悠久の歴史が築き上げたこの帝国の伝統というものの価値は理解できるわけがない。だが、永遠の都、この帝都に入ろうと思うのなら我々の面倒くさい決まり事に従ってもらおうか」


 永遠の都と誇らしげに言う岩石男の言葉に、自分は一瞬一瞬嘗ての世界の歴史を思い返しました。

 永遠の都、そう呼ばれる都市がその世界にもなかった訳ではありません。沈まぬという形容詞や無敵の名を冠した国や軍もありました。

 しかし、その何れもが歴史の流れの中で浮き、沈み、消えていったのです。

 この正統コーンビフ帝国が永遠であるという保証などどこにもなければ、この歴史ある都が廃墟にならないという法則も存在していません。

 ならば、この歴史ある偉大な都もいつの日かは滅びるのでしょう。


 そんな事を考えながら帝都を見ていると、岩男がこちらを睨みつけてきたので、自分は慌てて返答しました。

 またやってしまったと、自分の失敗に羞恥心が刺激されます。



 「ああ、構わない。帝都に入る以上、そちらの慣例や規則には出来る限り従うつもりだ」

 「……まあ、いいだろう。それで、そのーー」


 状況を弁えずに考えに没頭してしまう自分の癖は今後直していかねばなりません。

 この癖のために、本来この世界に生きる存在には絶対に及ぶことのないはずの知識を有している自分が、小賢しい連中から愚鈍であるかのように扱われるのです。

 自分の事を野蛮だと言う蛮人共に対して、鏡を見ろ、と言ってやりたいと感じたことは一度や二度ではありません。

 真の文明人にとって他者を馬鹿にすると言うことは本質的に恥ずべきことなのですから。


 ツヨイ――今はシーザですが――のせいでこの妙な癖がついてしまったのですが、この癖は現状自分の数少ない欠点となっています。

 あのアンポンタンは自分がわずかの時間でも黙りこむと、何時も勝手に自分が何か凄い事を考えているに違いないと期待するのです。

 そして、自分が長考の末に自分が地味な事ながら極々日常的な発言――例えば、これから鹿狩りに行こう――をするとさもがっかりした様子を見せるのです。

 普通に考えれば、次から次へと画期的なアイデアが生まれてくるなどありえません。

 嘗ての世界の発明家は発明は99%の努力と1%の閃きから生まれるといった意味の言葉を残していますが、画期的に見えるアイデアというものの背景には営々と積み上げられた論理が必ず存在しているのです。

 そして、それが画期的に見えるのは、その背景への注目が欠如しているがためです。

 とは言え、あのアンポンタンに自分の知的能力を疑われるということは非常に不愉快なものです。

 自分とツヨイ――今はシーザですがーーが友と呼び合っているのは、武勇と頭脳によってお互いに支えあっているからです。

 決して他の下衆なオークたちが勝手に想像し風潮している様に、自分が一方的にツヨイに取り入っている訳ではありません。

 だからこそ、自分は何時も必死に考えてツヨイがあっと驚くような事を言うようにしているのですが、他のオーク達や人間達と会話をする際もその癖が抜けず、ついつい考えこんでしまうのです。

 そして、せっかちに返答を求める彼らからは返答が遅れがちな自分の事を知恵遅れだとか全くもって事実無根の中傷をするのです。

 だから、普段は意識して、考えこまずに話すようにしているのですが、どうも自分は緊張に対してそれほど強くないのか、予想外の事態に陥るとついつい考えこみがちになってしまうのです。

 これは自分の弱点と呼べるべきものであり、早く克服するよう努力して行かなければなりません。


 「ーーでいいんだな」

 「あ、ああ……」

 「ほう」


 どこか勝ち誇ったような岩石男の口調に、自分は自らがとんでもない失敗をしたのではないかと思わずには要られませんでした。

 慌てて先ほど自分が何に同意したのか思い出そうと努力し、そして、自分がやらかしてしまったことを強烈に認識する羽目になりました。

 ――お前たちが禁じられているものをこの帝都に持ち込まないよう、最低限の荷物以外余計なものは全て置いていけ。

 先程まで自らの考えに没頭していた自分は、迂闊にもこの理不尽な言葉に同意をしてしまったのです。

 それにしても、考え事に没頭する癖を直さなければいけないと、考えに没頭して迂闊な事をしてしまうとはなんという失態でしょうか。

 あまりにも愚かに過ぎます。


 「ならば、その服以外のものは全て置いていってもらおうか」


 案の定、口元を嘲笑に歪ませた岩石男が、自分に向かってそんな事を言いました。

 衛兵と言うよりは追い剥ぎの発想です。

 この男たちには公僕という考え方事態が存在していないのでしょう。

 正統コーンビフ帝国の役人を見て常々思うのですが、連中は自分たちの給料の大元が民草の血税であるという事を十分に意識していません。

 まあ、人権とか国民主権とかより進んだ思想を持たない野蛮人の想像力欠如を非難することは無理があるかもしれませんが。


 「無茶苦茶だ。全部置いていけなんて。そんな事を栄えある帝国の兵士がするとは信じられないな」

 「無茶かどうかを決めるのはこの俺だ。貴様ではない。貴様ら野蛮なオークが勝手に帝国の名を騙るな! ……それよりも、貴様は先程の言葉を翻すというのか? 帝国に仕えると言っておきながら裏でコソコソと含むものがあるように」


 岩男の言葉に自分は一瞬ドキリとしました。

 帝国に対して自分達が独立しようと考えていることがバレたのかと思ったのです。

 しかし、自分は今のところ帝国に対してはかなり従順にしており、何かを企んでいるなどという証拠は存在しません。

 今のところは何も企んでいないのですから当然です。

 とすると、岩石男の言葉は彼の想像と思い込みによる根も葉もない戯言ということになるでしょう。

 とは言え、ここで強く否定せずに訳の分からない噂が広まるなどという事態だけは避けなければなりません。


 「言葉を翻すつもりはないし、偉大な帝国に対して俺が何か企んでいるかの様な言い様は屈辱だ! お前は俺たちオークを侮辱するのか!」


 屈辱とは何なのだろう、などと取り留めのない事を考えながら、自分は衛兵たちに対して大いに怒った様に振舞いました。

 帝国に対して新参者のオークが忠誠を誓っているという設定は我ながら無理があると思いますが、それによってオークたちが得ることのできる利益を考えれば是が非でも獲得しておきたいのです。

 そして、その設定に従えば、自分はここで大いに怒り狂わなければなりません。

 どんなうそ臭い設定も積み上げた過去があればそれっぽくなるのですから。


 「侮辱? 侮辱というのは対等な相手に対して行うものだ」

 「っ!? キサマァ!」

 「ふん。図星を指されて暴れだすとは、やはりオークというのは野蛮な連中だな」


 身も蓋もない岩石男の言葉に自分は怒りの叫びを上げました。

 今までの発言との整合性をとるためにここでは怒っておかなければなりません。

 ところが、岩男はその叫び声もあっさりと切り捨てると冷たい目で自分を見据えました。

 全くもって、差別主義者の官憲ほど厄介なものはありません。

 こちらの発言を片っ端から悪意を持って解釈するのですから

 野蛮なのはお前のほうだろうが、という言葉をぐっと飲み込みます。

 そんな事を言っても何の利益もありませんから。


 「野蛮とは心外だ! 帝国への忠誠心を愚弄された挙句、馬鹿にした相手に対して黙って従うのが貴様らのいう文化的な対応だとでも言うのか? なるほど、貴様らは戦いに勝てないわけだ。何をされても怒らない事が貴様らにとって正しいというのならば、帝国が先の戦いで一勝すらも勝ち取れなかったという理由がよく分かる」

 「き、貴様ッ!! その発言は俺達を馬鹿にしているのか!」

 「馬鹿にはしていないさ。侮辱は対等な相手に対して行うものなのだろう?」


 岩石男をおちょくるような言葉を口にして、自分は自らの失着を内心で歯噛みしました。

 ついつい、言われっぱなしが癪に障り岩男を馬鹿にするような言葉を言い放ってしまいました。

 重要な権力を握っている岩男に向かって言って良い言葉ではありません。

 顔を真赤にして憤怒の表情を浮かべているこの衛兵の顔を見れば、虎の尾を踏んだことは容易に理解できます。

 案の定、岩石男は腰に下げていた大振りの剣を抜き放ちました。

 外野達から悲鳴のような声が上がります。


 「そこまで言うのなら、俺に戦いというものを教授してもらおうか。貴様も武器を取れ」

 「……味方同士で戦うというのは何よりも愚かだと思うのだがな」

 「何をされても怒らない事が敗北につながると言ったのは貴様だろう。なに、あのくそったれな異端軍に一勝すら出来なかった俺達だ。大勝利を収めたお前たちなら大した相手じゃないだろう? さあ、さっさと武器を取れ! それとも俺ごときに武器はいらないとでも言うのか!?」


 岩男は物凄くヒートアップしています。

 今更、さっきの言葉は冗談だ、などと言える雰囲気ではありません。

 まあ、過ぎたことを悔やんでも仕方ありません。

 それに、オーク種族が敬意を払うべき相手であると言う事は自分が帝国に向かって主張しなければいけないことです。

 そもそも、自分が態々帝都まで来たのは、その事を帝国首脳部に伝えるためのなのです。


 オーク種族が獲得したものを一方的に搾取することは認められない、この事を断固として主張しながら尚、穏便に話し合いを終始させ得るオークは自分しかいません。

  例えば、ツヨイ、もといシーザが無茶苦茶な主張をする相手にその拳を持って報いずに済ませることなど想像出来ません。

 そして、自分たち以外の他の部族に交渉を任せるなど論外もいい所です。

 今のところ、シーザに大人しく忠誠を誓い従っている他の部族の前に、帝国との交渉権という現状では権力と言う名の果実と直結しているそれを差し出す選択肢はあり得ません。自分は忠誠心というものが紙切れほどの価値もないかを態々世間に示すために生贄に甘んじるつもりは更々無いのです。

 

 ともかく、目的を考えれば、自分の行動は最善ではないにせよ、決して悪いものではないはずです。

 愚弄された状態を放置すれば、相手に侮られ、搾取されるままになります。

 自分たちはそのような状況に甘んじるつもりはありません。

 いつの日か、ツヨイ――シーザ――を王としたオーク達の王国を築きあげるのです。

 そうである以上、譲れない一線を毅然とした態度で守る事も自分にとって大切な役割であることは間違いありません。

 ――などと、自分の失敗を正当化する理由を頭のなかで並べ、自分は冷静を保とうと努めました。

 どう考えても、一介の木っ端役人風情に喧嘩を売るのは間違っています。

 毅然とした態度をとるべき相手はあくまで帝国の首脳部に席を持つ人間であって、こんな何の決定権も持たないゴロツキに喧嘩を売るのは愚かとしか言い様がないのです。

 とは言え、今更後には引けません。

 ならば、自らの失敗を悔いるよりも、無理矢理にでも悪くない選択だったと思わなければやっていられません。


 「……武器を取れか……それはどういうことだ? 俺達オークは味方に武器を向けることはない。そして、帝国に忠誠を誓っている俺達オークとお前たちは味方ということになるのではないか?」

 「武器を取れと言っている! それとも、いざ戦うとなったら怖気づいたのか?」

 「怖気づくか……確かにそうかもな。俺達オークは仲間を大切にするのでな。味方というのであれば武器を向けることなどあり得ないのだ」


 自分がそう言うと隣でヨグルドが小さく、「え?」、と疑問の声を上げました。

 全くもって空気の読めない才子様です。

 折角、自分が人間達がオーク種族の文化についてよく知らないということを利用して、自分が適当な事を言って岩石男たち相手の話し合いを穏便に終わらせようとしているのです。そこで、自分の側の人間がそんな反応を見せれば、彼らに余計な口実を与えてしまいかねないということが分からないのでしょうか。

 悪い予想というのは現実となるものなのか、岩男はヨグルドの失態に気が付いた様でした。


 「ほう、この前お前たちオークが来たときは貴様ら豚同士で血生臭い騒ぎを随分と引き起こしていた様だが、俺の勘違いだったか?」

 「……一部にはそういう恥知らずな連中がいることも確かだ。だが、――」

 「御託はいいからとっとと武器を取れ! それとも、怖気づいたのか!?」


 剣の柄を軋むほど握りしめた岩石男が怒りの叫び声を上げました。

 背後に控える衛兵たちも、武器を取れとか、臆病者などと叫びだしています。

 ただ、ここで彼らの言うとおりに武器を取るわけにはいきません。

 剣を抜き放ち、この岩男を切り倒せば気が晴れる事は間違いありませんが、現状でオークが置かれた立場を考えると、帝都において木っ端役人とはいえ帝国の人間を害するのは自滅行為としか言い様がありません。

 間違いなく、帝国首脳部のオーク達に対する印象は最悪のものになるでしょう。

 そうなれば、帝国に従うという大義名分を失ったオーク達に対して数的に圧倒的な優勢を誇る諸侯の軍勢が襲い掛かってくるでしょう。

 そういう状況になっても、ツヨイ――シーザなら何とかしてしまうそうな気がして怖いのですが、ブレインを担当する自分がそのような状況に陥ることを容認することはできません。自分は常に最善の結果を得るように努力しなければいけませんし、最悪の状況を確実に避けなければいけないのです。


 それに、見た感じからして脳筋の原始人の如き岩男を相手にするのは、文明人たる自分には困難であることが予測されます。

 これは、仕方のない事でしょう。

 往々にして万物には向き不向きがあるものです。全てにおいて万能であるという存在は存在し得ないのです。


 そして、困難であることが分かり、リターンが存在しない以上、自分としてはこの申し出を受けるわけにはいきません。

 とは言え、ヒートアップするばかりの衛兵たちがこのまま引き下がるとは思えません。


 ――どうするべきか。ツヨイの、シーザの夢を叶えるためには何をするのが最善なのか。


 自分は数瞬の間思考を重ね、答えを出しました。

 懐から小振りの剣を抜き放ちます。


 どこぞのアホが騙されて購入した派手に輝く短刀とは異なり、戦闘に特化したその刃は鈍く輝きを放っています。

 小振りであるために他の剣と比較してリーチが短いという欠点がありますが、一方では比較的軽量であり、取り回しが容易で自分は愛用しています。本格的な戦闘となれば槍を使いますが、普段は携帯性に優れたこの剣を自分は持ち歩いています。

 こんなものでも、他部族のオーク達の突発的な行動に対する牽制や、小数の野党に対しての脅しとしてそれなりに機能します。

 しかし、実際の命の取り合いではいまいち信用が置けないのですが、そもそも、自分の戦闘能力事態が高くないため武器に拘ってもしょうがないのです。


 これが、ツヨイ――シーザほどの圧倒的な身体能力を持った存在になると話は変わります。

 あのアンポンタンはそこらの武器を手にすると瞬く間に破壊してしまうのです。

 超絶的な筋力が可能にする一振りは鉄の鎧さえ真っ二つにさせるほどの常軌を逸した威力を持ちますが、生半可な武器ではその威力に耐えることが出来ないのです。

 そのため、最近のシーザは、鉄の塊とでも言うべき棍棒を武器として使っています。

 あの脳筋はまともな剣を使いたいと嘆いていましたが。

 どうも、あのアンポンタンは決して安価ではないまともな剣を次から次へとオシャカにしていた事に気がついていないようです。

 一応、正統コーンビフ帝国の下に就いたオークは、現状それなりの品質の武器や防具を人間たちから手に入れられるようになっています。

 略奪に頼っていた以前は、なかなか武器の品質が安定せず、戦利品をめぐる部族間のやり取りがあったのですが、品質が安定した今となっては、それも過去の話となっています。

 そんな、状況で手に入れた剣の内に含まれる不良品が偶然にも十本近くツヨイの手に収まるということは考えにくい話です。

 つまり、現状では人間たちが手にする通常の剣――と言っても、ツヨイが使用するのは相当大ぶりのものなのですが――において、ツヨイの筋力に耐えられるものは存在しないのです。

 と言うか、鋼鉄でできた剣で鋼鉄でできた鎧を破壊すれば、剣の方にも相応のダメージが残ることくらい容易に理解できる話だと思うのですが。

 肉厚の太い鋼鉄の棍棒なら鋼鉄を叩き曲げようが、壊れませんが。


 「ふん、随分と短い剣だな。まあいい、始めようか」


 岩石男は自分が剣を手に握ったことを確認すると、すぐさま自分も剣を抜き放ちました。自分のそれと比べて、かなり大振りの剣です。自分のそれとの質量差を考えれば、まともに打ち合うことも出来ないでしょう。

 そして、見せつけるように片手で剣を振るってみせました。

 その大きさから推測される質量を考慮すれば、この岩男の筋力はかなりのものであるはずです。

 もちろん、ツヨイに敵うことはないでしょうが、これだけの剣をこの男の戦闘能力は残念ながら自分を凌いでいることは間違いないでしょう。

 まあ、だからといってそんなに悔しくはありません。未開の地に暮らす蛮族どもが身体能力で知性豊かな文明人を凌いでいるとしても、それは恥じるべきことではないからです。

 それにしても、この男の行動は、野蛮人というものは血の気が多く気が早いものだ、という自分の偏見を尽く肯定しています。

 だから、自分は心の中で数十回ほど、この蛮人がと吐き捨てると、自分は冷静に剣を逆手に持ちました。


 「どういうつもりだ?」

 「どういうつもりだ、か。逆に問おう! 我々、オークは先の異端軍との戦いで帝国に対して多大な貢献をし、ピン・サモーンの反乱の鎮圧やその後の治安回復など、今現在、帝国に対して大きな貢献をしているはずだ! 今回、そのオークの代表として帝都を来訪したこのブータに対して、嘲笑と愚弄の言葉を浴びせかけ、それに対してこのブータがオークの名誉を守るために反論した所、武器を取ってその口を塞ごうとする貴様らの行いは帝国の意志であるのかと!」

 「貴様、言わせておけば好き勝手なことを!」


 立場に物を言わせてさんざん好き勝手なことを言っていたのはどっちだと心の中で毒づきながらも、自分は岩男が予想通りに動いていることにホッとしていました。

 流石に衛兵というだけあって、このくらいで感情を爆発させて切りかかってくる程短慮ではないようです。

 どこぞのアンポンタンにもこのくらいの煽り耐性を期待したいのですが。

 もっとも、煽り耐性の欠如によってあの脳筋はオオオサになったようなものですから、自分としても強く言えない面があるのです。


 ツヨイの――自分にとってやはりアイツは今でもツヨイなのです――英断、と言うか機転という名の暴発によって自分の計画よりもずっと早く彼はオークのトップに立ちました。

 成長を続けるツヨイの身体能力が自分の計画をすべて吹き飛ばすほどの快挙へと結びついたのです。

 もしかしたら、彼は下手に計画を立てるよりも思うままに動いたほうが遥かに大きな成果を挙げることが出来るのかもしれません。

 きっと、そうなのでしょう。

 ツヨイは自分がいなくとも上手くやれます。

 そして、どちらに転ぼうとツヨイの夢を叶える事につながるのならば、自分はリスクを負う事を忌避するつもりはありません。


 「立場に物を言わせて好き勝手な事を言い、我々オークを不当に貶めたのは貴様らではないか! 我々の帝国に対する忠誠心を理由や証拠も無く一方的に否定し、俺が事実を言えば一方的に切って捨てようとする。これが理不尽ではなく何なのだ!」

 「一方的に切って捨てようとしているわけではない! 早く武器を構えろ! いいだろう、貴様に決闘を申し込む! 俺が負けるようなことがあれば先ほどの言葉は撤回しよう……おい! カンデイ! 貴様が立会人となれ!」

 「はっ!」


 野蛮人の言葉に彼の後ろで自分を睨みつけていた衛兵たちの一人が前に進み出てきました。

 彼らにとって戦うことはすでに確定事項とでも言わんばかりの態度です。

 これは血を見ずには終わらないでしょう。


 「我々は帝国にとって新参者であることは確かだ。その功績に対して帝国の報いるところが少ないことは甘受しよう! 嘗て帝国に尽くしてきた無数の忠臣達に我々は敬意を払っているからだ! だが、我々の忠誠を欺瞞だと言うのなら、我々オークは断固として抗議する! そのために俺は命を捨てる覚悟がある!」

 「御託はいい。さっさとかかって来い!」

 「断る!!」


 岩石男の言葉に自分は有らん限り声を張り上げて叫びました。

 岩男の頬が痙攣しました。

 目つきや顔色を見るに怒りのためでしょう。


 「何? 貴様、あれほどの大言を吐いておきながら今更怖気づいたのか!?」


 案の定、怒り狂っているらしき様子の岩石男は怒りの叫びを発しました。

 顔から飛び出しそうなほどに突き出された目がぎょろぎょろと動いています。正直、その様子は不気味であり、自分は軽い恐怖を覚えました。

 とは言え、黙っているわけにはいきません。

 いつ激発して襲い掛かってくるか分からない岩男に対して早期に言うべきことを言っておかねばならないのです。


 「怖気づいた訳ではない。帝国の臣下として同じ臣下と争うわけにはいかないからだ」

 「ふん、口だけならどうとでも言える! 結局のところ、この期に及んで貴様は俺に斬り殺されることを恐れているのだろう!」

 「……恐れているわけがない」


 思いの外、岩石男は自分の求めていた言葉を口にしました。

 まだ、議論が不十分かもしれない、という思いが一瞬頭を掠めますが、僅かな逡巡の後、自分は否定の言葉とともに岩男に向かって歩き出しました。

 突き出された剣に向かって。手に持った剣を地面に突き刺し捨ておいて。


 自分の歩みによって相対的に距離を縮めた切っ先が浅く自分の喉の皮膚を貫きます。

 恐らく、岩石男がほんの少しでも切っ先を突き出せば、自分は絶命するでしょう。

 皮膚に触れた剣先の冷たさと傷口から感じる苦痛に反射的に動きそうになる体を自らの意思によって押さえつけます。

 いつ死んでもおかしくない状況です。

 しかしながら、未だ暴発していない野蛮人の意外な忍耐強さに自分の命は保たれていました。


 「我々オークは! 勇猛果敢にして忠実なる! 正統コーンビフ帝国の臣下だ! 我々は自らの死を恐れはしない! 新参者として、最大の献身の対価として喜びとともに末席に座ろう! 与えられた剣を帝国の為のみに振るおう! 我々が戦うのは帝国の敵だけだ! 如何なる立場も甘受しよう! 偉大なる帝国に忠誠を捧げる事こそ我々の喜びだ! だが! だからこそ、我々はその忠誠心を否定する言葉には断固として反論する! そのためならば、命を捨てることも厭うつもりはない! さあ、俺を殺してみろ! だが、覚えておけ! 貴様が俺を殺すことが出来るのは、貴様の実力故などではない! 正統コーンビフ帝国に対して我々オークが無二の心を持って従っていることを俺が示したが故だ!」


 自分は周囲に向かってよく聞こえるように声を張り上げました。

 幸いにして現状では観客に事欠きません。

 彼ら全員に聞こえるように話せば、ピン・サモーンにもここで何があったかが正しく伝わるでしょう。


 「気でも違ったか!」


 岩石男が焦ったような表情で叫び声を上げました。

 どうやら、予想外の出来事にかなり驚いている様子で、自分の半ば破綻した論理に反駁することすらできていません。まあ、この野蛮人が冷静だったとして自分に反論できるかというと疑問を覚えずに入られませんが。


 残念ながら、岩石男のあの言葉が予定よりも早かったため、自分の議論の進め方はかなり破綻しています。

 ただ、今は一片の隙もない理論を突き詰めるよりも、勢いのままに言葉を並べるほうが重要です。なんとなく自分の伝えたい事が分かれば、後は伝言ゲームを繰り返す内にそれなりにまとまった論理として自分の言葉は広がっていくと期待出来ます。

 とは言え、岩男が直ぐに自分を殺さないどころか、躊躇した様子を見せている以上、自分の発言の内容を分かりやすく周囲に伝えておいたほうが良いでしょう。


 「気が違ってなどいない。俺が武器を持たずにここに立っているのは、我々オークが帝国に対して決して剣を向けないと言う事を示すためだ! そして、我々オークが勇敢であり、無二の忠誠を帝国に対して捧げていることを貴様は貴様の剣が証明するだろう! さあ、その剣を突いてみせろ! 貴様の剣が我々オークの偽りなき忠誠心の真実たるを天地万物に示すのだ!」

 「ぐっ」


 自分の言葉に岩男は従いませんでした。

 命が保たれたことに自分は思わずほっとし、すぐにそれを戒めました。

 生命を捨てる覚悟をしていたはずなのに、助かった途端安堵する様ではいけません。

 まだ、事態は収束していないのです。


 「どうした! さあ、その剣を突いてみろ! 我々オークの忠誠心は貴様の剣によって証明されるのだから!」

 「貴様ァ! 武器を取れ!」


 岩石男は自分の言葉には決して従わず、自分も蛮人の戯言には耳を傾けませんでした。

 武器を取るわけには行かないのです。

 武器を取り、仮にこの蛮人に敗れるような結末になったとして、それは単なる決闘、私闘として片付けられてしまう可能性があります。

 最悪なのが、血気盛んで手の付けようがないオークが暴れだしたため、仕方なくこれを切り捨てたと帝国に言い張られることです。

 そうなれば、オークが野蛮であり話に値しない存在であるという風潮が帝国内で強まりかねません。数的に小数勢力であり、現在微妙な立ち位置に立っている自分達オーク種族は決して周囲全体を敵に回してはいけないのです。


 だから、自分が殺されるにしても、帝国側が不当にオーク種族の代表を殺したという形にしなければなりません。

 無抵抗、武器を持っていない自分を帝国の衛兵が殺せば、それは帝国側の過失ということになります。

 もちろん、帝国はそれをもみ消そうとするかも知れませんが、多くの行商人達がこの光景を見ている以上、それは不可能なはずです。

 そうなれば、ピン・サモーンを事実上統治下においているオーク達の行動を帝国は追認せざるをえないでしょう。

 更に、信用がいまいちなオーク達に対する帝国の態度も改まることが期待出来ます。

 内心はどうであれ、合理的に考えるのならば、求心力の低下に苦しんでいる帝国は名目上は配下とは言え、諸勢力に対してそうそう無茶な行動を取ることはできません。

 そうすれば、諸勢力に帝国に対して反旗を翻す決断を促すことになりかねませんし、彼らにその口実を与えることにもなります。

 もちろん、すべての国家が合理的かつ理性的に動いてきた訳ではない以上、帝国が自殺行為に近い行動を断行する可能性もなきにしも非ずですが。

 ただ、そうなってオーク勢力が帝国に対して戦いを挑まなければならなくなったとしても、大義名分の有無は大きいのです。

 正直な所、現状の帝国だけが相手ならそう恐れる必要はありません。以前の異端軍との戦いにおいて自分たちのみが勝利したというのは自分たちの士気を得げ、逆に帝国軍の戦意を削ぐでしょうし、何より、自分たちのトップは常勝のツヨイなのですから。

 しかしながら、帝国に追従して動きかねない諸勢力には注意が必要です。

 諸勢力が一斉に動けば圧倒的な数の前にオーク勢力は朝露と消えるでしょう。

 例え、ツヨイが百勝不敗だとしても、他のオークは不死身ではありませんし、あの脳筋ですら一人で万軍を相手取るのは無理があります。

 だからこそ、最悪帝国と戦うことになるとしても横暴な帝国に先に剣を突きつけられたためにオークたちは仕方なく立ち上がったという形にしておかなければならないのです。


 「貴様……」

 「……」


 自分は剣を突きつけられ、岩石男は剣を付き出した状態で固まっていました。

 あそこまで言い放った以上、自分から引くことはできません。

 そして、言わなければいけないことはもう言い終わりましたし、岩男が剣を引くにしろ突くにしろ、後は彼の行動次第です。

 周囲の衛兵達は蛮人の様子を伺っています。彼らもまた動く様子を見せていません。

 背後にいるはずの商人たちやヨグルド、コイーン・チヨコもまた動かずに固唾を呑んで自分たちの様子を見ているのか、随分と静かです。


 「……引け」

 「……」

 「引かんか……オークの……いや、貴様のその忠誠心は認めてやる。先程の言葉は撤回しよう。だから、引け」


 岩石男の言葉は野蛮人とは思えない理性的なものでした。


 「え?」


 あれほどまでに偉ぶっていた人間がまさかこうも言葉を翻すとは思っていなかった自分は思わず驚きの言葉を漏らしてしいました。

 そんな様子に岩男は苛立った様でいてどこか愉快そうな顔をしました。


 「そんなに刺殺されたいのか」

 「……」


 自分は岩石男の言葉に暫しの間、動かずに沈黙しました。

 すぐに引いては先程の自分の言葉の重みがなくなってしまいまう事を恐れたからです。

 引いたことで、結局オークは恐怖に負けて逃げ出したとでも言われては、命をチップに賭けに出た自分が支払ったリスクに対してリターンがなくなってしまいます。

 もちろん、自分としては無駄死は望む所ではありません。

 更に、命が助かりそうだと感じた瞬間から思い出したように喉元の傷が熱く痛みを放っており、可能であればすぐにでも止血をして安静にしていたいところです。

 とりあえず、自分は発言がなるべく軽くならないように心の中で10までを数えました。


 「……いいだろう。お前がオークへの侮辱を取りやめるというのなら、俺としても無駄に命を落とす趣味はない」


 そう言うと、自分はゆっくりと引き下がりました。

 岩男は引けと言いましたが、未だこの蛮人の気まぐれ一つで命を失うという危うい状態に変わりはありません。

 注意を払うことを惜しむ理由がありません。


 「……ふん、貴様の事は認めてやろう。あくまで、貴様はだがな」

 「オークのことを認たのではないのか?」

 「あくまで貴様だけだ。他の連中が貴様と同じなのかどうかは分からないからな」


 岩石男の言葉に自分は引くのを早まったと歯噛みしました。

 ここはこの岩男がオークの忠誠心を認めるという言質を取るまで粘るべきだったのです。


 とは言え、よくよく考えると木っ端役人なんぞからそんな言葉を得た所で何の意味もありません。

 自分が殺されるのならば、その死を最大限に利用しようとして、自分は先程の忠誠心とか謎の概念について演説をしたのです。

 ですが、自分が無事に帝都に入れるというのならば、認めた認めないだの何の益もない水掛け論層で時間を浪費する必要は微塵もありません。


 「まあ、いいさ。忠誠心とは行動で示すものだ。ここで言い争ったとしても何の意味もない……ああ、先程あんた達に言ったことは謝るよ。この前の戦いの時はなんだかんだで諸侯が足を引っ張り合っていた。その点自由に動けた俺達はたまたま活躍の場があったが、あんた達にはそもそもその機会がなかった。機会がないなら功績を挙げられないこともしょうがないさ」

 「取ってつけたような慰めの言葉はいらん。戦士はその価値を戦いで示すのだ」

 「そうか、ならば先程の言葉の謝罪はあんた達が大きな功績を上げた後にしよう」


 自分がそう言うと岩石男は微かに口元を歪め、笑みを浮かべました。

 自分も苦笑していました。

 終わってから振り返ると、随分とくだらない議論を交わしていたものです。


 自分は一息つくと、マントのなるべく清潔そうな部分を破り取り、首に押し当てました。更に長めに切り取ったマントの切れ端を首に巻き止血をします。

 まともな消毒すら出来ておらず緊急的なものですが、無いよりはましでしょう。

 幸いにして自分の踏み込みが小さかったためか傷は浅いですし。


 「さてと、俺達、つまり俺とそこのヨグルドは帝国の首脳部とピン・サモーンの今後について意見を交わして、今後について決めるために帝都まで来た。問題が無いようならば門を通してほしい。それと、こっちの行商人はここへ来る途中で知り合って一緒に来た。もし良ければ、こいつの交通税は俺が負担しようと思っているんだがどうだろう?」

 「……まあいいだろう。おい、そこの商人の荷物を検めろ」

 「はっ!」


 岩男の言葉に衛兵達は素早く動き出しました。

 彼らはコイーン・チヨコに近寄ると、彼が引き連れて来た駄馬の荷物を手に取り調べ始めました。


 「これは何だ!?」

 「へえ、ただの葦です。これを帝都に卸すと安物の敷物となるんですよ。まったく、これが全部捌けたとしても小金貨1枚になるかならないかで、儲からないものなのですが、付き合いのある雑貨屋に頼まれてまあ仕方なく運んできたという訳でございます」

 「……ほう。帝都へ入るための交通税とそれに帝都での宿泊費を考えるとそれでは赤字ではないか。そうすると、貴様は金儲けを考える商人でありながら、こうして儲からない物を運んでいると言うのか」

 「……」


 何やら、コイーン・チヨコと衛兵の会話から新たな厄介事の予感がしました。

 面倒事はもうかんべんしてもらいたいのですが、コイーン・チヨコも何であんなに突っ込みどころ満載な話をするのでしょうか。

 まだ、他に商品を持ち歩いていて、それを見せれば先ほどの話も信憑性があったでしょう。

 あくまで、儲けの出ない葦はついでであるということであれば、義理で運んできたという言い訳にも納得出来ます。

 しかし、行商人である彼が運んでいるのが葦だけで、しかもそれが儲けの出ない商品だ、等と言われて素直に納得するのは余程の善人か、頭の足りていない人物くらいでしょう。

 大方、あの葦とやらは加工すれば高価な商品になるものなのでしょう。見た目から想像するにサトウキビ的な何かなのかもしれません。砂糖はこの世界では高価なものらしいですし。

 若しくは何らかの香の材料か、はたまた麻薬的な何かという可能性もあります。

 何れにしても、出会った時に見せたコイーン・チヨコの自信からすると高級商品の原材料であると考えるのが自然です。


 恐らく、高級商品にはかなりの関税が課せられるのでしょう。

 そして、今までのコイーン・チヨコの単純さっぷりから考えると、大方の所、関税を減らして大儲け、とでも思っているのでしょう。

 ただ、同様の事を考える人間は他に幾らでもいるでしょう。

 異端軍との戦争後、財政危機に苦しんでいる帝国は各種税率を上げたと聞きますから、商品によっては密輸が横行しやすくなったはずです。

 当然衛兵たちもそれを知っているからこそ、コイーン・チヨコを追求しているのでしょう。


 「本当のことを言ってみろ! このような太い葦など見たことがないわ」

 「い、いや、これは本当に葦なんですってば。西方の遠くではこうした葦が生えているわけでして、これを使えばちょっと新しい感じの敷物になるんじゃないかなあと……」


 相変わらず、コイーン・チヨコは苦しい言い訳をしています。遠方から態々儲からない商品を運ぶというのは商人として、というか人間として狂っているとしか思えません。

 リスクとリターンがまるで吊り合っていないのです。

 ただ、意外なことに衛兵も追求しかねている様子を示しました。

 コイーン・チヨコの持ち運んでいる葦とやらは、意外なことに、日々帝都に持ち込まれる大量の商品を目にしているはずの彼らにとっても初めて目にするものだということになります。

 つまりは、衛兵たちが警戒している他の密輸業者はコイーン・チヨコの葦とやらを商品として扱ったことがないということなのでしょう。

 多少加工されているならともかく、そのまま根元付近を刈り取って乾燥させただけと言わんばかりのコイーン・チヨコの商品がよくある密輸品だとすれば、衛兵たちがすぐに気が付かない訳がないのですし。

 子供のような顔をした衛兵は眼尻を釣り上げてコイーン・チヨコを睨みつけていますが、彼は未だに行動に出ていないことからも、この推測が正しいことが予測されます。


 これは、ひょっとするかもしれない、と自分は思いました。

 決定的な証拠を持たない衛兵たちに怪しさ満載のコイーン・チヨコに対する追求を止められるかもしれません。

 自分は態々面倒事に関わる気はありません。

 そもそも、コイーン・チヨコを態々擁護する理由など欠片もないのです。

 しかし、放っておいた結果、先程のようにいきなり火の粉が飛んでくる危険を鑑みれば、状況のコントロールが今のうちに干渉しておくべきでしょう。


 「済まないが、俺はなるべく早く帝都に入らなければならない。彼の帝都入りを許可するにしろ、しないにしろ、どうするかを早く決めてくれないか」

 「……貴様はこいつらの仲間ではないのか? こいつが何を企んでいるのか知っているのか?」

 「何も知らないさ。先程も言ったが、彼と俺は出会ったばかりだ。そして、こいつが帝都でどんな商売をするかといった話は何も聞いていないな」


 衛兵の胡散臭げな言葉に自分は平然と答えました。

 岩石男と比べると圧倒的に迫力が足りていません。

 顔を洗って出直して来いとまでは言いませんが、やはり見た目というものは大事なのだと思いました。

 童顔をした衛兵では凄んでみせた所で、子供が精一杯威嚇しているように見えてしまうのです。


 「……なるほど、ならばこの男がどうなっても貴様は構わないというのだな?」

 「なるべくなら遠慮したい所だ。俺はこのコイーン・チヨコに帝都へと入る為に多少の手助けをすると約束した。人間達がどうなのかは知らないが、我々オークは約束したことは必ず守る。もちろん、この男が帝国に害をなそうと試みているというのならば話は別だが、特にこの男がなにか企んでいるという明確な証拠がないのならばここは俺の顔を立てて貰いたい」

 「随分と勝手なことを言うじゃないか、豚野郎。いいか、ロック隊長に認められたからって調子に乗ってるんじゃねえぞ。何なら今すぐ縛り上げて磔にしてやってもいいんだぞ」


 岩石男の名前はロックというのか、と思いながら自分は童顔の衛兵の言葉を聞いていました。

 しかし、少し意見をしただけで磔とは、正統コーンビフ帝国には疑わしきは罰せずという司法の原則が全くもって存在していないという事なのでしょう。


 「それは勘弁願いたいな。一応、俺は帝国の将軍や他の重鎮たちと重要な話をするためにここにやって来た。変な所で足止めを食らっては彼らを待たせることになってしまう」

 「好き勝手に何を言っているか! 将軍が態々貴様らのような蛮人に会うというのか! その減らず口を閉じて愚弄をやめないと後悔することになるぞ」

 「……」


 突然喚き出した衛兵に対して自分はとっさに何も言えず黙りこんでしまいました。

 衛兵の目は、彼が自分に憎悪を抱いていることを明白に伝えてきます。

 自分はこの衛兵とは初対面のはずですし、特段恨まれる理由もないと思うのですが。


 「貴様ら豚どもが前にここに来た時、帝都に住まう者達に対してどの様に振舞ったか、貴様らが忘れたとしても俺達は忘れねえ」

 「なるほど……それは、残念だっーー」

 「残念だった!? 貴様が今更それを言うのか! どれだけの事をしでかしたか理解してもいない貴様らがか!?」


 童顔の衛兵は大声で叫ぶと顔を歪め泣きそうな顔を作りながら自分のことを睨めつけました。

 衛兵の言葉に彼の怒りの理由を悟り、自分は彼を宥めようとしたのですが、不発弾のように唐突にこの人間は爆発したのです。

 恐らく、彼の家族だか恋人だかが、以前の戦いの際にオーク達の犠牲となったのでしょう。

 まあ、自分たちにとっては幸いな事に、帝都内においてオーク達による死者はほとんど出ていなかったはずなので、暴行を受けたとか、強姦されたとかそのくらいの被害しか出ていないはずなのですが。

 正直な所、ピン・サモーンなどは大暴れしていた野盗によって村が丸ごと焼かれたり、街の城壁が破壊されたりといった出来事が頻発していたことを思えば、帝都の被害など大したことがないと思っていました。


 ただ、野盗などにより長い間治安を脅かされてきた帝国辺境に対して、首都であるコーンビーフルはこうした被害を殆ど受けずにいたはずです。

 帝都の臣民達はまさか自分たちがこうした被害にあうとは思ってもいなかったのかもしれません。

 だからこそ、突然降って湧いた悲劇の原因に対して怒り、憎悪を募らせている可能性は十分にあります。

 そのくらい大したことないだろうとか、他の諸侯たちの兵士たちもオーク達と同じように振舞っているのがいただろうとか、帝都に兵士を入れた時点で、そうなることくらい覚悟しておけよとか、自分としては色々と言いたいことがありますが、まさかそれをそのまま口にするわけにもいきません。

 むしろ、自分は帝都に蔓延している反オーク的な風潮を可能な限り和らげなければいけないのです。

 ただの民草が自分たちオークのことをどれだけ憎悪しようが知ったことではありませんが、それが世論として帝都において力を振るうことは避けなければなりません。

 帝都は帝国の方策を決定する権力者が暮らしておりますが、下手に彼らが世論に動かされてオークの権益を剥奪するとでもいうことになれば、自分たちは帝国に反旗を翻さざるを得ないのですから。


 ツヨイーーシーザはオーク種族の取りまとめですが、オーク達に不利益となるような決定をすれば、いくつかの部族達が彼を引きずり下ろすために格好の口実を与えることになります。

 しかし、戦うにしても、現状ではまだ勝算が乏しいのです。いえ、皆無というのが正しいでしょう。

 帝国と相対するということになれば、ピン・サモーンを始めとしてオーク達の占領下にある人間達が連動して自分たちの敵となりそうですし。

 仮に勝利したとしたとしてもすぐに諸侯が軍を寄こすでしょう。

 帝国が敗北した相手に勝利したとなれば、帝国に対して大きな力を振るえるようになるからです。以前から自らの力を強大化しようと画策している大諸侯達は目の前にぶら下げられた人参に我をとばかり群がることは火を見るより明らかです。

 当然彼らは功績を独り占めあるいは一部のみで独占しようと試みるでしょうから、上手く分断すればある程度は戦えるでしょう。

 しかし、勝った所で、また他の諸侯が派兵してくることは容易に想像出来ます。彼らはこの前の異端軍との戦いで大いに消耗した帝国と異なりかなりの余力を持っているのです。

 逆に、大諸侯達の力が帝国を脅かしているからこそ、自分達オーク種族は躍進の機会を得たのですが。


 ともかく、今は泣き顔を浮かべた衛兵の相手をしなければなりません。

 こういう被害者側というものは下手に話しかけても無視しても怒り出すことが多く、出来れば相手をしたくないのですがそうも言っていられません。

 謝り続ければ、だいたいこういう相手は大人しくなるのですが、オーク種族に非があるという言質を取られるわけにもいきませんし、面倒なことこの上ありません。


 「兵士というものは戦いの前後で気が荒くなるものだ。あの時我々は城壁の警備などには割り振られず、帝都内ですることもなく時を過ごしていた。そのため、気が荒れていた我々の一部が問題を起こしたのだろう」

 「っ! あれは仕方のない出来事だったとでも言うのか!」

 「仕方ない、とは言わない。帝国が我々オークに然るべき役割……城壁の警護などを与えていれば、あのような事態は殆ど起きなかっただろうしな」


 本当、あの時の帝国のやり方は良くないものでした。

 辺境の気が荒い兵士たちを帝都内で自由にさせたらどうなるかくらい簡単に想像できるはずです。

 この子供っぽい顔つきをした衛兵の非難は帝国に向けるべきではないのでしょうか。

 獲物を狼の前に置いて、狼がそれに齧り付いたことを詰るのはフェアではありません。

 そもそも、この前の戦いの時、帝都で乱暴狼藉を働いたのはオーク達だけではないのです。極々普通の人間の兵士たちでさえ、機会が与えられた時同じ人間から物を奪ったりすることに躊躇を覚えている様子はありませんでした。

 それは、人権を擁護する文明人としては避難してしかるべき事態です。

 しかし、そうしたことを事前に配慮して、帝都に住む臣民達に被害が及ばないよう予防するべきは帝国であるはずです。

 帝都内に大量の兵士たちを引き入れた時点で治安の悪化は容易に想像できたはずなのですから。


 「貴様……! 貴様は貴様らがしでかしたことに対して何も思わないのか!?」

 「残念な出来事だったと思う。帝都に滞在した諸侯の兵士達やオーク達によって帝都の人々が脅かされたことは。もし、帝国が然るべき対処を講じていればーー」

 「減らず口をっ!!」


 童顔の衛兵は叫び声を上げると剣を抜き放ちました。

 そのまま、躊躇すること無く、剣を振り上げると自分に向かって駆け寄って来ました。


 「なっ!?」


 予想外の事態に自分は動くこともできずに驚きの声を上げるばかりでした。

 先程のロックとか言う衛兵の隊長を相手にしていた際は、命が失われることを想定しながら行動していたのですが、この下っ端衛兵を相手にするにあたっては全くそのようなことを想定していなかったのです。

 想定外の突発的な事態に弱いということは自分自身自覚していましたが、生死の境界にあってその硬直は致命的でした。

 問答無用で振り下ろされた剣先に自分は動くこともできず、唐突に童顔の衛兵が横に突き飛ばされたことでその切っ先は自分の肩のすぐ側を通り過ぎて行きました。


 「何をやっている、ココナツ? 俺の許可無く抜刀して」

 「お、俺はこいつをっ! 離せっ!」


 ココナツを突き飛ばしたであろうロックがドスの利いた声で尋ねます。

 すぐさま駆け寄ってきた衛兵達が子供のような顔つきの衛兵、ココナツを押さえつけました。

 ココナツは自分を睨みつけながら拘束を振りほどこうと暴れています。


 「ふん、そいつを縛り上げておけ。勝手に武器を手にとった罰として、後で鞭打ち10回の刑を執行してやる」

 「っ! 隊長、貴方はそいつの肩を持つというのか! そいつは、そいつらがこの前、ここで何をしたかーーぶっ!」

 「黙らせておけ」


 周囲の拘束が一瞬弱まったのか、顔を上げココナツは立ち上がろうという姿勢すら見せました。

 その無防備なココナツの頭に蹴りを放ち、ロックはそう言います。

 容赦の無い対応です。

 とは言え、命令を無視して動く兵士ほど厄介なものはありませんから、上に立つものとしては極々普通の対応なのでしょう。

 端から血を流し、猿ぐつわで口を塞がれてもなお、ココナツは諦める様子を見せずに必死に暴れています。

 衛兵の一人が大人しくしろという怒鳴りとともに童顔の顔を強かに殴りつけました。


 自分がそんな様子を見ていると、巌の様な顔つきのロックが自分の方に顔を向けて来ました。


 「ふん、これではまともに審査をすることもできないな……まあ、いいだろう、交通税は一人あたり小銀貨2枚だ。貴様はあの腐れ豚であるにも関わらず大した度胸を見せた。だから、貴様だけは特別に普通の帝国人として扱ってやる。だが、帝都の中で貴様らに恨みを持つ連中がゴロゴロいるということは覚えておくんだな」

 「……よく覚えておこう。忠告してくれたことに感謝する」


 収集がつかなくなることを嫌ったのかロックは随分あっさりと自分達の帝都入りを認めました。

 これ以上自分をここに留めると、オークへの恨みからココナツの他にも暴走する衛兵が出かねないと感じたからでしょう。

 自分が予想していた以上にオーク種族はこの帝都で恨まれている様です。

 それこそ、軍規の厳しそうな部隊の衛兵が憎しみの余り暴走するほどに。

 オーク達がこの地を去って1年以上たった今、ピン・サモーンでの活躍も相まって多少はオーク達に対する帝国の印象が良くなっていたために、帝都でも歓迎はされないまでも、それなりに認められると思っていたのですが、見当違いもいいところでした。

 帝都に住む人々の自分たちに対する憎しみは微塵も弱まっていないと考えるべきでしょう。この様子では石を投げられる程度ならまだ良い方だと考えて置かなければなりません。

 自分は前途の多難さを強く噛み締めました。

 そして、ロックが述べた意外な助言に謝辞を述べながら、自分は大門を通して見える帝都の町並みに視線を移しました。


 帝都ーーコーンビフ大帝により建設された古の都ーーには以前と変わらず、威風堂々とした建築物が並んでいました。

 しかし、以前兵士たちが屯していた大通りや広場には人影は見当たらりません。

 そのため、人知の限りを尽くして築き上げられたであろうこの都は、全体的に人気が少なく閑散とした様子です。

 永遠の都、そう称されるこの都ですが、長い歴史を持ちこれからも残っていくであろう無数の建築物たちと異なり、そこに住む人々は決して永遠ではないのだと自分は強く感じました。


 ふと、寂しさと微かな恐怖を覚えました。

 如何に偉大な国を創り、千年以上残り続ける都を築いたとしても、国は何時の日か必ず滅び、都も悠久の時の中で朽ち果てていくのです。

 自分達が努力して国を築き上げたとしても、それは変わらないでしょう。

 自分の目の前にあるのは、ツヨイと自分の成功の果てにあるものなのです。


 何を考えているのだと、自分は自らを戒めました。

 自分たちはまだ始まってもいなのです。

 何時の日か終わってしまう等と感傷に浸ることの出来る立場ではありません。

 自分はツヨイを王にするため、我武者羅に突き進むしかありません。

 そう思いながら、自分は帝都へ向かって一歩進みだしました。


 「おい、交通税は払っていけ!」

 「あっ!?」

 「何をやっているんですか」


 知らないうちに緊張していた自分は、今さっき言われた税の支払いを失念してしまっていたのです。

 どうしようもない失態です。

 これではまるでボケ老人のようではありませんか。

 呆れたようなヨグルドの声が自分の後ろから聞こえて来ました。

 不良品を高値で掴まされたヨグルドにこのような態度をとられる事には腹が立ちますが、この場ではまともに反論することもできません。


 「ちょ、ちょっとうっかりしただけだ。問題ない。ちゃんと交通税は支払おう……かなり割高だとは思うが。普通は小銀貨一枚ではないのか」

 「それは商人以外の人間が相手の場合だ。これでも安くしてやったというのに随分な口の利き様だな。そこのアホづらを晒した商人も含めて貴様らは大した金を持っていないようだからな。まあ、能なしとはいえ一部の商人だけを優遇することはできんし、帝都内で問題を引き起こす可能性の高い貴様への交通税が他の人間と同じになる訳がないだろう」


 とりあえず、誤魔化すかのようにロックに交通税が高いと文句を言うと、彼の返事を聞き流しながら、自分は胸元にしまいこんだ革袋から中銀貨1枚と小銀貨1枚を取り出して、ロックに渡しました。


 「せいぜい、中でも揉め事を起こさないように大人しくしているんだな」

 「まあ、善処しよう。さて、ヨグルド、とっとと行くぞ」


 自分はヨグルドに声をかけると、マントに取り助けられたフードを再び被り頭部を隠しながら、今度こそ帝都の中へと歩き出しました。

 帝都に来た目的を果たすために。

 これから自分はタルタル・チキーラ将軍や、可能であればその他の帝国の重鎮と話をして、オーク達のピン・サモーン実効支配を追認させなければなりません。

 しかし、自分の予想以上の窮状を呈している帝国はそう簡単に要求を飲まないでしょう。

 ですが、諦めるわけにはいきません。オーク達も、自分達もまた、引き下がるわけにはいかないのです。

 このまま終わってしまいたくなければ、ツヨイと自分は勝ち続けなければいけないのです。

 自分は次なる戦い――戦場ではなく政治の場で行われるそれ――を予感しながら、拳を握り締めると歩き出しました。

分割しないでも投稿できてしまった……

まあ、問題ないというですね。

たかだか字数制限の倍ちょっとしかないですし。

本当はいろいろ削らなければいけないんですがめんどうくさくてやってませんごめんなさい

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