飛翔編1話
何か、間違って消してしまってた……
ブータ帝国、この空前絶後の大帝国が成立したのは何年なのか、という問に対して歴史家達は2つの答えを用意する。
一つはブータ大帝により帝国設立の宣言がされた年をもって建国年とする答えである。エンヤ河の戦いから四半世紀経った25年後のケビア歴1149年の春、ブータ大帝は、帝都カエサリアにおいて万民を前にブータ帝国建国を宣言した。
この時の様子は大画家であるウメ・オ・ニギリの傑作『建国』に描かれている。ブータ・ドン美術館に展示されているこの有名な絵画には、元老院議事堂のテラスから臣民に建国を宣言する大帝と、それを喜びの顔とともに見上げる無数のオーク、人間、エルフ、ドワーフ、ハーピー達の姿が描かれている。ブータ大帝の横には第一皇妃であるハーブが並び、微笑んでいる。エルフ王国の王女であった彼女は、エルフがブータ大帝に降伏する際に服従の証として召し上げられた。当初オークを野蛮な種族と思い込んでいたハーブはブータ大帝を恐れていたが、大帝の叡智と万民への慈しみを知ってからはよく彼を支えたことで知られている。さらに、議事堂のテラスの下には帝国設立の功臣達が描かれている。公正なことで知られたシュー・クリーや、いかなる時も黒衣にその身をまとっていたというクローコ・ショウ、財政において類まれな才能を示したコイーン・チヨコ、人間でありながら武官の頂点に上り詰めた元ヤギ追いのゴードチズなどなど、いずれも成長の一途を辿る帝国に多大なる貢献をした人物たちばかりである。
この『帝国建国宣言』がなされた前年、『ブータ帝国』は東方諸国の最後の聖戦、第八次聖戦で勝利を収め、大陸内界における制海権を確固たるものにしていた。既に西方の遊牧民族を討伐して屈服させていた『帝国』にとって『ブータ帝国』の勢いはまさに飛ぶ鳥を落とすだろうと誰もが信じた時代であった。
『ブータ帝国』という名前の大帝国が成立したのは、正にこの時であった。
しかし、ブータ帝国という名前の帝国ができる以前から、ブータ大帝による勢力、『正統コーンビフ帝国特別近衛軍団』は実効的に正統コーンビフ帝国の全権を掌握していた。『帝国建国宣言』の11年前の1138年、帝国特別近衛軍団を不当に貶めようとする帝国の奸臣を排除するという名目でブータ大帝率いる軍勢は帝都コーンビーフルを攻め、これを陥落させた。
これ以降、正統コーンビフ帝国は終焉の時まで傀儡皇帝を頂点に統治されていくことになる。
そして、行政や軍事、経済といったあらゆる面において『ブータ帝国』と『帝国特別近衛軍団支配下の正統コーンビフ帝国』は連続しており、『帝国建国宣言』は単なる名目上の区切りにすぎないと多くの歴史家達は見なす。
つまり、正統コーンビフ帝国特別近衛軍団が正統コーンビフ帝国の実権を掌握したケビア歴1138年こそがブータ帝国が実質的に成立した年なのである。
正統コーンビフ帝国の全権を掌握したブータ大帝が新たな国家の建国宣言をするまでに11年もの年月を置いたのは、正統コーンビフ帝国を終わらせることが多くの敵を作る事に繋がると予測されたためであった。
人間種族にかわりオーク種族が頂点に立つ新国家は、周辺各国にとって歓迎すべきものではなかったのである。
この当時、正統コーンビフ帝国の周囲は人間種族による国家がほとんどであり、彼らは宗教的な理由から他の人種族に対する忌避感を持っていた。勿論、必要があれば人間種族と他の人種族は、取引を行ったり、同盟を結んだりしたが、だからと言って相手の存在を全面的に容認することはなかったのである。
今日でも一部のケビア教原理主義者達はこの思想を持っており、人間種族以外の他の人種族に人権は存在しないと主張する。
民種族学者のシコウ・フルイは、ケビア教原理主義のこの思想こそがロースビフ帝国崩壊以降の暗黒の中世をもたらした最大の原因であるとして強く批判している。ゲルマニ族の大移動によりロースビフ帝国は崩壊したことを鑑みれば、フルイのこの批判は少々大げさにすぎることは、ケビア教関係者だけではなく、歴史家達も認めるところである。しかし、ケビア教が国教としての地位を追われたブータ帝国がそれまでの国家群とは比べ物にもならないほど巨大で豊かになったという歴史的事実はフルイの考えにも一考の価値があることを示唆しているのではないだろうか。
いずれにせよ、聖戦に代表されるように、宗教的思考が政治に多大な影響力を持っていたこの時代、他の人種族を頂点とする国家を確立するためにはそれなりの準備が必要であった。だからこそ、ブータ大帝は実質的に正統コーンビフ帝国を滅ぼしたにも関わらず、ブータ帝国の名を宣言するまでに11年もの年月を置いたのである。
この間、ブータ帝国という若木は西方諸国を始めとする周辺国家からの外圧を跳ね返して発展を続け、揺るぎなき大樹へと成長したのである。
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ブータ帝国、オークという単一種族によって建国されたこの空前の帝国は、設立する以前から人間やエルフなどオーク以外の種族にも農業、工業、経済、そして行政面において活躍の場を与えたという点において、当時の各国の成り立ちとは大きく異なる。
これは、当時のオーク種族には行政や経済を行うことのできる人材供給が不可能であったからという、実務上の問題があった。
本質的に傭兵集団だったオーク勢力が急速に勢力を拡大するには各分野に通じている既存の存在を活用するほかなかったのである。
だが、大帝自身が自種族本位思想の持ち主であったならば、ブータ帝国は他種族に活躍の機会を与える国家とはならなかったに違いない。
実際、ブータ大帝以外のオーク種族の有力者は他種族に権力や地位を与えることに激しく反対していた。ブータ大帝と幼少の頃より親交があったということで知られているシーザ将軍もこの問題ではブータ大帝と激しく口論を交わしたという。
この背景にはオーク種族の戦士階級を尊び、それ以外を軽蔑する文化があった。ほとんどのオークにとって戦わない存在、この場合、農民や職人、商人、行政官などは侮蔑の対象であり、略奪の対象だった。
それに対して、ブータ大帝は彼らを重視し、尊重し、その権利を可能な限り保護しようと試みたのである。
その行動は、オーク以外の考え方を尊重し、他種族の価値を認めていたブータ大帝の多種族主義的思想の表れといえるだろう。大帝の有り様にオークを野蛮な種族と批判していた者たちも口を噤まざるを得なかった。
また、ブータ大帝は配下たちをその出自に関係なく信頼し、評価した。
これが如何に彼らを感動させたかを現代を生きる者たちが理解することは難しい。ただ、ブータ大帝がいなければ、不審者にしか見えないクローコ・ショウや、イクラ教徒であったコイーン・チヨコ、ヤギ追いのゴートチズなど帝国建国を支えた重鎮がその能力を認められる機会は与えられなかっただろう。
そして、ブータ大帝は彼らの能力に応じて十分な権限を与えた。
歴史家のダコン・フォン・レッグホワイトは大帝の最も優れた能力として人材発掘を挙げている。
『ブータ大帝に付き従った多くの能吏や武将は当時の諸国を見回しても格段に優れた者が多かった。そんな彼らが大帝に従ったのは、何よりも大帝が彼らにその能力を活かす機会を与え続けたからである。能力を活かす機会こそ彼らに不足していたものであり、彼らが渇望していたものであった。人種や出自、身分は当時彼らの領域を厳しく制限していた。そして、その制約を打ち払い彼らにそれを与えることができたのは、大帝の他にいなかったのである』
ブータ大帝はオーク達が勢力拡大を開始した当初から、その能力を十全に発揮した。
シュー・クリーやクローコ・ショウを始めとした早い時期に配下となった者たちを始めとしてほぼ全ての配下は大帝に心服し、その理想を実現するためにその力を尽くしたのである。
『歴史において最も重要な役割を担った人物を3名挙げるとすれば、私はアレッサンド大王、ジューシー・カイザー、そしてブータ大帝を選ぶ。彼らは皆強大な帝国の基礎を築いた。その点で、彼らは盛大に賞賛されてしかるべきであろう。だが、強国を築き上げた覇王は他にいないわけではない。例えばエルフ種族のチンゲン・サイはこれら3名の何れよりも広大な土地を支配する帝国を築き上げた。それでもなお私がこの3名を選ぶのは、彼らが世界の進むべき道を示した人物であるからだ。彼らは何れも先進的な多種族主義的な思想の持ち主であり、そしてなによりも世界の進むべき道筋を示したのである。彼らは、それぞれが一つの時代を築き上げた。――私は彼ら以上に世界を変えた人物を知らない』
レキシ・コウサは上記の様に述べている。
市民革命により誕生したばかりの民主主義国家で生まれ育ったレキシ・コウサは民主化や多種族主義を進歩的なものとして歓迎していた。これらが他の政治形態や思想と比べ優れていると安易に断定する事は、多極化する世界を生きている今日の我々には難しい。だが、ブータ大帝により単種族単位が殆どだった当時の世界が大きく変化したことは事実である。
その為、ブータ帝国の設立当初から、経済は人間種族が、工業はドワーフ種族が主要な立場を占めており、行政すらも人間種族やエルフ種族の総和は常にオーク種族よりも多数であった。
ブータ帝国はオーク種族による初めての統一された大国家であることは間違いないが、同時に世界初のあらゆる人種族によって成り立つ多人種族国家であった。
むしろ、ブータ帝国においてオーク種族は次第に権威を失っていった。中期以降のブータ帝国はオーク種族の国と言うよりは多種族国家が帝国の本質だったと言える。
そして、帝国末期においてオーク種族は政治的・経済的な力を失い、軍部のみに僅かな影響力を残すばかりであった。
しかし、仮にブータ大帝がこの事を知ったとしても、この現実を嘆き悲しんだだろうかというと、必ずしもそうとは思われない。
むしろ、種族間の対立を越えた国家を目指していたブータ大帝は多種族が建設的に競い合う帝国の在り様を歓迎したかもしれないと考えるのは穿ち過ぎであろうか。
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話を第七次聖戦終結後に戻そう。
聖戦が終わり、聖戦軍が東方に引き上げていったこの時期、オーク達は名目上正統コーンビフ帝国の配下となり、帝国の旗の下で勢力を拡大していた。
帝国は第七次聖戦によって権威を喪失して以降、諸侯の反乱が相次いでいた。これを討伐するために帝国は表面上服従の姿勢を取っていたオークを頼らざるを得なかったのである。
聖戦において帝国及び戦いに参加した諸侯たちは大きく消耗していた。
帝国は聖戦によって財政上の大打撃を負っており、これを平定するための兵を派遣するだけの余裕がなかった。近衛軍団に支払う賃金さえも足りなかったため、帝国は近衛軍団の数をほぼ半数にまで減らさざるを得なかったほどである。財政が回復すれば再び雇用すると帝国は解雇された兵士たちを慰めたが、その財政回復が何時になるのかについて答えられるものはいなかった。この削減は数万の失業者を生み出すことになり、その結果帝都近辺の治安悪化にも繋がった。帝都周辺の治安維持で精一杯だったというのが当時の帝国の有様だった。
諸侯たちの多くは戦争で多くの領民を失ったことで領地運営に支障をきたしていた。
『我々は神の実心のままに試練に打ち勝ち異端の蛮人どもを打ち払った。だが、その代償に我が領内は夫を失った未亡人で溢れている。今年の麦の収穫は去年の半分程度しかない。不幸中の幸いというべきか、人の頭数も減っているのでこれで足りなくなるという事はないだろう』
聖戦に参加した諸侯の一人、キュー・リウオ伯は自らの日記に上記の様に記している。
また、前回の戦いで満足に褒賞が与えられなかったことで、諸侯の心は帝国を離れつつあり、強制的に派兵を求めればさらなる反乱を招きかねなかった。
そのため、正統コーンビフ帝国は褒賞として金銭を望まず、土地を望んだオーク達を頼らざるを得なかったのである。
オーク種族は人間種族やエルフ種族などと長年敵対関係にあり、ドンベリマウンテンに当時住んでいたのはこれらの敵から逃れるためであった。そのため、オーク達は可能であれば住み辛い山間部ではなく平野部に居住区を求めていたのである。
しかし、平野部に居を構えれば、当然ながら敵対している種族が大軍を持って攻撃を仕掛けてくる危険があった。
そこで、帝国の旗の下で領土を確立することによって、少なくとも人間種族からの攻撃を回避したいというのがオーク達の考えだった。少なくとも、正統コーンビフ帝国はオーク達がその様に望んでいると考えた。
そして、当時の帝国内には治安が極端に荒れ果てた土地がいくらでもあったし、反乱した諸侯の鎮圧後、その領土を維持する必要もあった。
また、人間種族など他の人種族との交易がほとんど存在しなかったオーク種族の社会には貨幣経済は浸透しておらず、この時期、彼らの金貨に対する欲求はほぼ皆無であったようである。
オーク達がエンヤ河の戦いの褒賞として与えられた金貨を帝都コーンビーフルで気前よく短期間で使い果たしたのは、彼らにとって金貨が利用できるのが帝都のみだったからであり、持ち帰ったところでただの重石にしかならなかったからである。
その結果、破綻寸前だった帝都の経済は、はからずも大量にばら撒かれた金貨によって息を吹き返した。
略奪行為を行ったオーク種族に対して帝都の臣民達は激しく怒ったが、皮肉にも、彼らの経済状況の回復に最も貢献したのはオーク種族だった事は疑いようもない。
もっとも、この回復は一時のものであり、治安の悪化による物流の途絶や元近衛軍団によるコーンビーフルの略奪等によって帝都の経済は壊滅的な打撃を受けることになるのだが。
とにかく、圧倒的強さと公正さでその名を馳せたオーク軍が正統コーンビフ帝国で誕生したのは聖戦終結から半年以上の時が経った初春であった。
その1月前、ピン・サモーン地方において帝国からの独立を、ヤムチャ・シヤガツ伯を盟主に据えた反乱軍が宣言していた。
この反乱軍に対し、正統コーンビフ帝国はオーク達に反乱討伐の勅令を与えたのである。この決定の裏には、勅令が下るように動いていたブータ大帝に対するチキーラ将軍の協力があった。
この頃、第七次聖戦において正統コーンビフ帝国が一度も勝利できなかった責任を負うことになり、チキーラ将軍の宮廷内における発言権は大幅に低下していた。その結果、トップを欠いたことで急速に力を失っていく武官に対して、文官は宮廷内の勢力を増大させる一方であった。
そして、当時の文官たちの主流派は帝国の歳出を抑えるために、近衛軍団の更なる縮小を求めていた。第七次聖戦によって帝国の財政は底をついており、行政官に払う賃金すらもなかったのである。軍縮による穴は諸侯たちで埋めれば良い、と文官は考えていた事が幾つかの記録から推察されている。
実際、聖戦に参加していなかった諸侯たちの中に、ビーフテキ・メディアム大公を始めとして莫大な財と兵力を兼ね備えた者達は数名ながら存在していた。彼らであれば帝都コーンビーフルの治安維持のために兵を拠出することも可能であったはずである。
文官達は、この案によって経費の削減と同時に、武官達の権力をより一層削るという事も狙っていたはずである。
当然ながら武官達は激しくこの案に反対した。
その最大の理由は、ビーフテキ・メディアムの様な人物が帝国の家臣としての地位に満足するわけがなく、皇帝に取って代わろうとするに違いないというものであった。
実際、皇帝の就任式の際に派閥の傘下と共に欠席するなど、メディアムの言動は権力へギラつかんばかりの欲望を十分に匂わせていた。彼に対する警戒が過ちでなかったことは、後の反乱が示している。
そのため、武官達は皇帝の地位を狙う不届き者がいる以上、近衛軍団のこれ以上の縮小は容認できないと武官達は主張したのである。
対する文官達は武官達が聖戦での連敗により財政が危機敵状況に追い詰められたと非難した。
文官達の代表的存在であった当時の正統コーンビフ帝国宰相カッツォ・タタキは、勝利できない軍団など存在しても無駄だとすら放言した。その際は、彼の言葉に怒りのあまり剣を抜き放とうとした武官と一緒即発の場面になったという。
議論が重ねられた末に、文官達の言い分が認められ、近衛軍団は大幅に縮小されることになった。
後の世の軍事専門家達はこの当時の正統コーンビフ帝国を安全保障状上愚かな選択だったと斬り捨てる。
もっとも、軍事専門家達の意見が正しかったとしても、文官達を一方的に批判することはできないだろう。当時の正統コーンビフ帝国には財政上、近衛軍団を維持することは不可能だったのであり、仮に維持しようと試みたところで、それによる財政破綻はむしろ帝国の寿命を縮めていたであろう。
『事実上、統一国家としての正統コーンビフ帝国はケビア歴1124年の第七次聖戦によって崩壊していた。それ以降、正統コーンビフ帝国は次の時代の覇者たるブータ帝国が台頭するまでの間、その存在を許されていただけであり、その内実は野心的な勢力が相争う内戦状態であった。かつて正統コーンビフ帝国と呼ばれ、大陸内海西方をまとめあげた大国はすでに存在せず、コーンビーフルとその周辺に対する支配すらも危うい勢力がその名を名乗っていたのである』
大歴史家のムカシ・コウサは当時の正統コーンビフ帝国について上記の様に述べている。
いずれにせよ、近衛軍団の縮小によって、このままでは宮廷内における権勢を維持できないことに武官達は危機感を抱いた。加えて、聖戦軍よりも身近な仮想敵である大諸侯のみが勢力を拡大していくことは容認できるものではなかった。そこで、武官達は自らに親しい諸侯達にも帝国の警護の一部を任せるように主張したのである。
これに文官達は決まりきったように反対したが、結局この意見が帝国の方針として採用された。この頃、武官達は実質的な決定権をほとんど握っていなかったはずで、この決定の裏には文官達の消極的な賛成があったと考えられる。実際、当時の記録から文官達自身もビーフテキ・メディアム大公を始めとした一部の大諸侯に権力が集中することは好ましくないと考えていた様子が読み取れる。
長年対立を重ねてきた武官達に全面的に賛同することはできないが、諸侯の力が増大することは帝国そのものの地位の低下に直結していることは誰の目にも明らかであったからである。
文官達自身は諸侯に相対する力を持たない以上、業腹であったとしても武官達に協力しなければならなかったのである。
ただし、当然ながら、大諸侯に対する対抗馬として、誰を擁立するかで、武官と文官は激しく意見を衝突させた。双方ともに自分たちに親しい者を大諸侯に対する帝国の守護者としようと試みたからである。
特に、文官たちが激しく反対したのは、オーク達に辺境の守護をやらせる、というチキーラ将軍の意見だった。この意見に対しては、同じ勢力の武官側からも反対の声が上がっていた。
この時代、多くの国々は単一の人種族で構成されることがほとんどであり、他の人種族に対する排斥は広く行われていた。特に、ケビア教はその教義の中に人間種族至上主義を掲げており、他の人種族とは諍いを起こすことが多かった。
例えば、最も優れた種族であると自らを自負しているエルフ種族とは険悪な関係であった。しかしながら、人間種族とエルフ種族は必要であれば争いをやめて手を結ぶことがなかったわけではない。オーク種族を平野から追いやるために、両種族は同盟を結んだことは有名な話である。
それに対して、人間種族はオーク種族とはほとんど手を結んだことはなかった。第七次聖時にサモーン公爵がオーク軍を傭兵として雇ったという話に代表されるように、両種族の間に取引が皆無だったわけではない。だが、人間種族にとってオークというものは無条件で敵であり、打ち倒すべき存在であると広く考えられていたのである。
そのため、帝国首脳部内には当初から人間以外の種族、ましてオーク種族に力を持たせることに対する強い忌避感があった。
そして、平時であれば間違いなくチキーラ将軍の意見は却下されたことだろう。
しかし、報酬として金銭を求めず、大した土地を要求しない戦力というのは、半ば財政破綻し、傭兵に支払う賃金に事欠いていた当時の正統コーンビフ帝国にとって容易に切り捨てられるものではなかった。
もし、人間種族の傭兵などがこの様な申し出をしたとしたら、それがケビア教を信仰していない勢力だとしても、帝国は喜んでこれを認めただろう。
加えてオーク種族の脅威にさらされ続けてきたサモーン公爵領は聖戦によって大きな人的打撃を受けていた。この状況で以前のようにオークの略奪が行われれば領地の運営が立ち行かなくなると公爵は帝国に訴えていたのである。
これが現実になれば、帝国は自らに親しい有力な諸侯を失うことになってしまっただろう。そうなれば帝国は肥大化する大諸侯に対抗する札を一枚失うことになるのである。さらに帝国の忠臣をも見捨てたという話が広まれば、もはや帝国のために戦う諸侯はいなくなった事だろう。
そのため、オークの略奪に対抗するためにはサモーン公爵領に派兵する必要があったが、帝国の財政はそれを可能とするだけの余力が残されていなかった。
しかし、オーク達の提案を採用し、彼らに土地を与えて辺境の防衛を任せれば、少なくとも当面サモーン公爵領に派兵する必要はなくなる。
将来にわたってオーク種族が帝国に忠誠を尽くすとは当時の帝国首脳部のほとんどは考えていなかったが、当座の窮状を乗り切るためには魅力的であり、切り捨てることができなかったのである。
結局、帝国は渋々ながらチキーラ将軍の案を飲んだ。ピン・サモーン地方の反乱というその時点での脅威を前に、彼らは他の選択肢を持ち得なかったためである。
そして、それはブータ大帝が世界に覇を唱える礎となったのである。
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第七次聖戦において異端軍に唯一勝利したオーク軍が進軍してくることを知り、反乱軍の兵士たちは士気を大きく低下させていた。
ドンベリマウンテンの近辺で暮らしてきた反乱軍の兵士たちはオーク達の凶暴さを熟知していたのである。
また、その力は先の戦いで存分に証明されていた。
圧倒的な脅威を前に反乱軍は脱走が相次ぎ、オーク達により構成された討伐軍が到着した頃には数を四分の一程度まで減らしていた。そして、両軍の始めのぶつかり合いで反乱軍は潰走を始めた。
結局反乱は僅か3週間で鎮圧されたのである。実際にオーク達が討伐軍を任されてから僅か5日後の事であった。反乱軍の盟主であるシヤガツ伯は敗走する途中で、部下の裏切りに遭った。
そして、生きたまま捕らえられた彼は帝都コーンビーフルに送られた。
結局、反乱を起こしてから僅か1月も経たない内にシヤガツ伯はその生命を失うことになったのである。
個別の事案として見るとこの反乱は極々短期の内に潰えた小規模のものであり、特段注目すべき点はない。
しかし、皇族の血を引き、帝国への忠義に篤い人柄で名を知れていたサモーン公爵の収める公爵領と隣接した地域であるにもかかわらず、この様な反乱が起きたという事は、正統コーンビフ帝国内の諸侯たちに大きな衝撃を与えた。
その結果、ヤムチャ・シヤガツ伯の反乱を鎮圧し、一息つけるだろうと考えていた正統コーンビフ帝国首脳部の考えをあざ笑うかのように、この反乱以降、諸侯たちは次から次へと帝国へ反旗を翻すようになる。
トロフィーナの反乱や、当時の皇帝コーンビーフル12世の従兄弟、ビーフテキ・メディアムによるシジーシの大乱などがこの時代の反乱軍として有名であるが、ピン・サモーンの反乱はこれらの先駆けとなったのである。
また、この反乱はオーク軍がその勢力を広げ始めた最初の一歩となった。戦いに勝利し、ピン・サモーンの一部地域を領地として、残りの地域を暫定的代官として支配下に置いたオーク軍は、これ以降急速に勢力を拡大していくのである。
正統コーンビフ帝国はオーク達によって反乱が鎮圧された土地を領土に組み込みたいと欲したが、帝国と交渉を担当していたブータ大帝は、ピン・サモーンは反乱直後であり、野盗が多数出現するなど問題が積載しており、緊急措置としてオーク達による治安維持が必要であると主張した。そして、周辺治安の回復後にピン・サモーンは返還するという約束の下、帝国から渋々ながら代理統治者としての地位を得ることになった。
そして、これらの地域を占領し統治を開始したオーク軍を正統コーンビフ帝国は追認せざるを得なかった。
治安回復のための野盗討伐などを考えると帝国にはこれら地域を統治するだけの余力がなく、反乱を討伐した勢力に一時的にピン・サモーンを統治させるということは、それがオーク種族でさえなければ十分理にかなっていたからである。
そして、オーク軍の勢力下に入ったピン・サモーンは事実上若きブータ大帝により統治されていくことになる。
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武勇に関して言えばシーザ将軍を始めとした一級の戦士には及ばなかったブータ大帝が、何故領地の取りまとめを全面的に行なうことになったのか、という疑問に対する答えは今日でも定まっていない。
歴史は力を貴んでいたはずのオーク達が、不思議な事に領土の統治をブータ大帝に任せ、結果として彼に巨大な権力を与えることになった事実のみを伝えている。
ブータ大帝はシーザ将軍との親密な関係があったことは確かだが、他のオーク達は彼の権力を抑えようともしなかった。
権力の極端な集中を避けるために、大帝以外の数名のオークに統治を行う役割を担わせるという動きすら記録されていないのである。
そのため、ブータ大帝率いるオーク軍は強固な一枚岩として纏まっており、それが巨大な帝国を築き上げた一つの理由である、という主張は幅広く信じられてきた。結束というもの重要性を示す格好の事例として。
だが、実際はオーク種族内部には部族単位での激しい権力争いがあったのである。
また、ブータ大帝の勢力とオークの戦士階級の有力者の間には早いうちから対立があった事も確認されている。
それにも関わらず、ブータ大帝の力の源となっていた統治権限の集中を阻害しようという動きが殆ど無かったのである。
人種族研究者の中にはオーク種族の想像力の欠如と非政治性がこの様な権力の過剰集中を可能にしたと考えるものがいる。
しかし、オーク種族は人間種族などと比べ思考能力で特段劣っているという事実は統計的にも確認されていない以上、これは理由として適当とは思われない。それに、オーク種族の中では戦士階級のトップに関して部族単位で激しい勢力争いがあったことを鑑みると、彼らが非政治的であったという仮定にも疑問符がつく。
結局のところ、何故他のオーク達がブータ大帝の権力集中を見逃したのかは今日でも謎のままである。
ただ言えることは、ブータ大帝が全権を握ったからこそオーク軍は覇権国家へと成長を遂げることができたということである。
ブータ大帝は厳しい軍規を策定すると、非戦闘職に対するオーク達の乱暴狼藉を厳しく戒めた。
例えば、配下にある領民から物品を奪った場合、その物品の価値の倍額を支払うか、持ち合わせがなければ処刑するといった次第である。当然ながら領民を殺してしまった場合は死刑となる。
また、軍規を厳格に運用するためにブータ大帝は司法の権限の一部を早い時期から人間種族など現地住民に与えた。
例えば、現地住民が被害を訴える先はオークではなく人間種族などから選出された調査官となっていた。被害届を受け取った調査官は事実の裏付けを取り、確かであると判断すれば、加害者を相手取り裁判を開くことができた。基本的に裁判ではオーク種族2名の他に必ず人間種族などが3名選出され、彼らの多数決によって有罪無罪を決定した。
そのため、軍規は現代人から見ても厳正に運用されたのである。
近年の戦争においてすら捕虜虐待や一般市民への暴行といった行為が隠蔽される事が少なくなかったという事実を省みると、当時のオーク軍の公正さと統率力は賞賛されてしかるべきであろう。
まして、この時代、敗者からの略奪は悪とは見なされていなかったのである。
また、ブータ大帝は野盗の討伐などを積極的に行うことで治安の回復に努め、可能な限り支出を切り詰めて税の取り立てを減らすなどして、荒れ果てていた領土の復興を推進した。そのため、当初のオーク軍は勝者とは思えないほど貧しかった様である。
シーザ将軍を始めとしたオーク種族の有力者達は度々、ブータ大帝に対してオーク達の行動を制限しないよう求めた。だが、ブータ大帝は決してオーク達に対する厳しい軍規を改めようとはしなかった。
また、一部のオークは治安維持関係者などに対して闇討ちを仕掛けた。その為、ブータ大帝の目が届かない所では当初、関係者への直接的な暴力により司法が萎縮し、オーク軍団の軍規が適用されていなかった領地も存在していた。
しかし、ブータ大帝により登用されたシュー・クリーなどの精力的な活躍により、こうした状態は改善されていくことになる。
その結果、ブータ大帝率いるオーク種族達は支配下に置いた地域で急速に支持を拡大していった。オーク種族による統治は当初の予想と異なりそれまでのものと比べ遥かに優れていたためである。
当然ながらこれらの制度はオーク種族からの評判は最悪であり、彼らは日増しに不満を募らせるようになった。特にオーク種族の有力者達は激しくブータ大帝に反発した。彼らは自らよりも強い相手に暴力によって行動を制限されることは仕方ないと思っていたが、より弱い相手に従うということは受け入れがたいと思っていたのである。
それにもかかわらず、ブータ大帝とオーク種族の有力者達の対立が長期間武力を伴う決定的なそれにまで発展しなかったのは、大帝がオーク軍団の兵站や外交交渉、領地運営等といった代えの効かない無数の役割を一手に担っていたからである。
ブータ大帝に不満を覚えたとしても、その権限を制限するようなことをすれば、たちまち戦場で補給を得られず飢えることになる、と有力者達は一度大帝の排斥を試みた際に思い知っていたのである。
しかし、ブータ大帝に属する勢力とオーク種族の有力者達の間の対立が消滅することはなかった。
それでも、領土の拡張により共通の敵がいた時には共闘関係を維持することができたが、勢力拡大が落ち着くと、彼らは互いに激しい憤りを覚えることになる。
ブータ大帝の勢力は、何時までも統治機構に馴染もうとしないオーク達に対して。――山賊などのならず者の討伐が一通り終わった後、オーク達の勢力圏で治安上の問題を引き起こすのはほとんどがオーク種族であったのだ。
また、オーク種族の有力者達は、自分たちの行動を不当に制限するブータ大帝に対して。――傲慢故に滅びていった数多の勝者と同じく、彼らは敗者に遠慮する事の必要性を感じることがなかったのである。
それでも、決定的な対立へと事態が発展しなかったのは、ブータ大帝と有力者達のトップであったシーザ将軍との間に硬い結びつきがあったからであると言われている。統治の方針で対立はしていたが、幼少の頃、親しく付き合っていたというブータ大帝とシーザ将軍は互いに取り返しの付かない事態にならないよう努めていたのである。
結局、この対立は、シーザ将軍の死後、ブータ大帝側の急襲により当時のオーク種族の有力者達を一網打尽に抑えることによって消滅したのである。
勝利したのはブータ大帝であり、その後にブータ帝国は空前絶後の大帝国へと発展した。
もし、この時ブータ大帝倒れていれば、オーク勢力は弱小種族の一つとしてのみ歴史に記憶されることになっただろう。
レーキシン著 『ブータ帝国記』より
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お久しぶりです。
皆様、お元気でしょうか。わたくしことブータはただ今、ドキ☆書類処理耐久レース36時間目に突入中でございます。
自分の部下である人間たちは目の下にそれはもう凄い隈を作りながら書類と格闘したり、足早に物品の確認に向かったり、と大忙しです。
おっと。何か柔らかい物を踏んでしまいました。下に目をやると、どうやら、1時間ほど前にリタイアした部下の一人を間違って踏んでしまったようです。
因みに自分が未だに頑張っているにもかかわらず、一人ダウンして惰眠を貪る部下に苛ついたわけではありません。
……決して。
まあ、誰にでも失敗はあるものなのです。偶々、ついうっかり、地面に寝転がっている人間を踏んでしまうということは十分にあり得ることでしょう。
全く仕方ない事なのです。
「――なにをなさっているのですか?」
「っ!!? ……なんだ、ショウか……びっくりした」
突然聞こえてきた悪鬼のようなガラガラの掠れ声に全身を逆立たせ、慌てて隣を見ると黒いものが立っていました。
よく見ると人の形を取っています。……よく見なくても人の形ですが。
黒一色に統一された服、マント、顔の覆い、手袋。
必要不可欠なもの以外の露出を極限まで抑えるとこうなる、ということがはっきり分かる服装です。その目すらも薄いヴェールにより覆われて、はっきりと見ることができません。
外見的にはできるだけ関わり合いになりたくない相手です。
「無駄な事をして余計な仕事を増やさないでください。ただでさえ忙しいのですから。それと、フライサモーンから兵糧が届きました。内容が揃っているかは現在確認していますが、アブラとその取り巻きに妨害を受けているようです。速やかに大広場に向かってください」
「……疲れているんだけ、どっ!? 分かった、分かった、すぐ行くから!」
「それと、帝国宰相タタキよりピン・サモーンを明け渡すようにと催促状が届いています。現状、我々にも余裕はありませんから、午後までに適当にごまかすための返答を考えておいてください」
……正直、性格的にも関わり合いになりたくありません。
しかし、本人の申告によればクローコ・ショウというらしいこの人物は、何の因果か自分の部下として働いているのです。
仕事真面目と言えば聞こえはいいかもしれませんが、こっちが疲れていようがデスレース2日目に突入していようが容赦なく仕事を持ってくるというのは勘弁して欲しいものです。
そして、今日も今日とて難題ばかりを持ち込んできます。面倒事は勝手に処理しておいてくれるというのがデキる部下の条件だと思うのですが。
そして、問題の原因は、相変わらずどこかのバカ共と、無茶振りばかりしてくる帝国の連中です。
この2つさえなければ、自分は毎日十分な睡眠時間が取れるでしょうし、読書をする時間もできるはずなのですが。
特に、前者は明らかに自分の味方、同僚であるはずなのに、何の仕事もせず、問題ばかり持ってくるというのはどういう事なのでしょうか。
一応、連中は自分と同じ立場、オーク種族が新たに治めることになったこの領地の運営を行う役割を担っているのです。しかし、実際には問題を起こしてばかりで、何か有用な働きをしたことが一度たりともありません。
連中をひき肉にしてしまっても構わないのではないか、という悪魔の囁きについつい頷いてしまいそうになります。
遠征用の兵糧がいつの間にか減っていたので原因を調べたら、そもそも最初から十分集まっていなかったにも関わらずどこかのバカ共は何の報告もしなかった、僅かばかりの酒代のために着服した、ハイエナのような商人たちに買収された、などといったことは嫌というほど体験しました。
結局、酒と女を与えて彼らには何もやらせないのが一番だ、というのが多くの面倒事を奔走して解決した結果自分が学んだ事です。
それでも、時たま酔った連中が問題事を引き起こすわけですが。
自分が実行していた幾つかの謀略と、インペリアが戦闘で大きな負傷を負った格好の機会を最大限活かしたツヨイの機転により、現在のオオオサはツヨイ、いや、シーザとなっています。
現在、自分たちの短期的な目的はオオオサの権限をシーザの下で拡大していくことです。オーク種族で絶対的な権限を握らない限り、種族全体をまとめて国家を創るなどという大事業が実現するわけがありませんから。
そんな、自分たちの野望を理解した事はないでしょうが、他の部族は自分たちの権限拡大をしようと画策しています。――まあ、権限拡大を求められなかた方が、裏で何を企んでいるのか分からずに不安になるので、それは構わないのですが。
特にインペリアの部族は自分たちに対して相当に怒り狂っているのか、事あるごとに反対してきます。
迂闊に彼らを刺激すると暴発しかねず、現状ではその被害が許容できそうにないので、彼らの言い分もある程度は認めなければなりません。
当然、ピン・サモーンの反乱を討伐して帝国の名の下に得た領地運営の責任者を決めるときに、自分たちの部族から責任者を出すようにと主張しました。
その動き自体は予想していたので、複数の部族から責任者を出すという形で議論を持って行き、そこで自分も領地運営に口を出せるようにしたのです。
インペリアなどはツヨイ、もといシーザよりもむしろ自分の事を警戒している様子で、自分に権限を与えないようにと動いていましたが、複数の部族で共同統治をするという建前上、彼らも特定の人物を排除することはできなかったわけです。
この様な成り行きで、幾つかの有力部族を中心とした新領土の共同統治が開始されました。名目は共同統治といってもそれぞれの勢力がそれぞれの担当箇所の統治を行うというのが実際でしたが。
ただ、幾つかの部族勢力が行う統治はそう時間をかけずに行き詰まると考えられたので、その後に彼らの権限を奪う形でシーザの勢力圏を拡大していく、というのがこの時の自分の計画でした。
ですが、この計画は酷い誤算によって見直しを余儀なくされることになったのです。
何があったかというと、インペリアの部族を除く全ての勢力が僅か2月で統治を破綻させたのです。
反乱鎮圧から僅か2月で再び暴動が起こるとは自分自身思いもしませんでした。
この事態を放っておくと、ピン・サモーンの治安回復という名目でこの土地を治めている、と正統コーンビフ帝国には認識されているだろうオーク統治の正当性――治安回復が可能であるという事――が揺らぎかねないので早急に手を打つ必要がありました。
オーク達の間ではこの新領土は自分たちの力で得たものだと認識しているものが多く、自分たちがどれだけ危うい立場にいるのか理解しているように見受けられないのです。それが完全に間違っている訳ではないのですが、帝国による正当性を失えば、周囲一体を全て敵に回すというどうしようもない事態に陥りかねなかったのです。
そこで、自分は大規模な暴動が発生したことを理由に領地運営を一元化しました。
そして、有力部族の中の特に酒癖の悪い怠け者であるアブラを責任者のトップに据えて、インペリアの部族の出身者は名誉だけの閑職にするように工作して、自分が実権を握れるようにと謀りました。
一元化にはもの凄い反発がありましたが、幾つかの部族に利権をチラつかせて誘導することで辛うじて実現できました。
役職決めについてはワザと複雑な組織にしたせいか、ほとんどのオークは何がどうなっているのか禄に理解できていないようで、あっさりと決まりました。
全く、連中ときたら利害をまるで計算出来ないのか、協力すべきところで協力せず、重要な決定においては大して反対しないのです。
呆れたものです。前者は忌々しいことこの上ありませんが、後者は好都合なのが救いですが。
この様な経緯で自分がピン・サモーンの行政における実権を握ることになったのですが、すぐさま問題が発生しました。
まともに組織運営ができるオークが自分の他にいなかったのです。
もし、ツヨイ、……ではなくシーザに組織運営ができれば、彼と二人で役割を分担する事もできたでしょう。が、面倒な事を嫌い、飽きっぽいあのアンポンにそんな事ができるとは期待しようもありません。
それに、細々とした処理、例えば領民からの不満や要望を聞いて回ることで統治状況を明らかにしたり、個別の税の取り立ての確認をしたり、公共設備の建設・保守・点検をしたり、といった事を行う人材も確保しなければなりませんでした。
残念ながらというべきか、予想通りというべきか、オーク種族にはこういった事が可能な人材がいないのです。
そもそも今まで略奪で完結してきたオーク種族がいきなり領土の統治などできるわけがありません。統治するという概念すら存在しなかったのですから。
そのため、ピン・サモーンの有力貴族で反乱とは距離をおいた者達に統治の委託をしたり、チキーラ将軍に内政のできそうな人物を紹介してもらったり、といった事をしなければなりませんでした。特に後者は今後の計画の妨げとなりかねませんので、できる限りしたくなかったのですが、背に腹は変えられません。
しかし、当然問題を放置するわけにもいきません。それに今後のことを考えれば人材の層を厚くしておくことは必須です。
そこで、在野の優秀な人材の発掘や、オーク種族の内有望そうな者への教育を試みました。
残念ながら後者の方はあまり成果を上げていませんが、前者の方はそれなりの有効成果を上げました。
現在、十名程度の人材が自分の下に集まっています。試験と面接を行い、前科及び種族は問わない、という方法で人材を募集したところ、随分な色物が多く集まったのが誤算でしたが。
特にクローコ・ショウが最たるキワモノです。面接の時も全身を汚れた布で隙間なく覆っていました。
あまりにアレな格好にこっそりと調べたところ数年前にピン・サモーンの最大の城下町、ベニ・ジャケに現れた浮浪者のようで、できることなら不採用にしたかったです。しかしながら、まさかこの怪しさしかない人物が試験において主席となるという謎の事態が発生したので、仕方なく採用しました。
オークと領民の間には強烈な不信感があり、これを改善する必要がある以上、公募した際の条件を自分から破るという前例を作るわけにはいかなかったのです。いや、別にこれは特例としもいいのではないかとも思わなかった訳ではないのですが。
いやいや採用した後、この不審者にもう少しマシな格好をしてくるようにと支度金を渡したところ、現在の真黒になってやって来ました。
自分としては一般人にもう少し近い格好をしてくるように要望したつもりだったのですが。残念ながら、直接言っても全く言うことを聞かないので最近では半ば諦めかけています。
完全に潰れて掠れた声や時折皮膚の痛みを抑えるような彼の行動から鑑みるに、あまり見たくないものが黒布の下あるかもしれませんし。
また、仕事をやらせると他の連中を抜いて優秀ですから、彼の色物ぶりにも目をつむっているのです。個人的に、彼のような格好を認めるわけではありませんが。
自分の心象がどうであれ、深刻な人材不足により猫の手も借りたい程の激務ばかりな今、彼を切り捨てることなどできないのです。
ともかく、今はアブラの所に急がなければなりません。支配者側であるオークを止められるのは、この地では同じオークしかいないのですから。
という事は、オーク達が問題を起こすたびに自分がいちいち現場に駆けつけなければいけないのです。
「あれ……?」
それって不味くないですか?
今は、周辺の治安回復という目的でタタカウモノ達は野盗や蛮族の討伐に向かっていますが、彼らが帰ってきたら、オークによる問題発生数は間違いなく現状から大きく増大することでしょう。
その場合、自分がいちいち問題発生現場に向かっていたら身体がいくつあっても足りません。
そうなれば、現在のオークによる統治体制はたちまち崩壊するでしょう。
ただでさえ、住民の不満は凄いことになっていますし、彼らが一斉蜂起すれば絶対数で劣っているオーク達は厄介なことになるでしょう。
そして、一斉蜂起が起これば、自分たちが勝利したとしてもこの地からは何の収穫も得られなくなります。
収穫が得られなければ、当然外から奪うしかないわけですが、それをすると正統コーンビフ帝国の全ての有力者をまとめて敵に回してしまいます。
もしかしたら、帝国はこれ以上の権威失墜を恐れて、過去に自分たちが登用したオークをすぐさま排除しようとはしない、という希望的観測もできます。
しかし、その場合でも間違いなく諸侯は敵としてしまいます。
諸侯たちにしてみれば、野蛮なオークに守るべき民を売り払った帝国に物申すという大義名分ができるのです。仮に帝国が自分たちを擁護しようとしたとしたら、諸侯たちは帝国ごと自分たちオーク種族を葬るでしょう。
また、そもそも帝国の反チキーラ将軍勢力が勢いづけば、それだけでオーク種族の今の立場は簡単に崩壊するでしょう。
そして、帝国に加えて周囲の諸侯全てと全面対決とか訳のわからない状況になれば、自分たちは滅びるしかないわけで……
「やばい……なんにも分かってないアホが多すぎる」
「ああっ!?」
アブラに近づきながら無意識の内に呟いていた言葉が耳に入ったのか、自分に向けて彼はドスの利いた声を投げかけてきました。
普段だったら、おそらく、自分は思わず反応したでしょう。アブラの目的は正にそこにあるのですから。
――いえ、これは決して自分が臆病とかそういう訳ではないのです。生命として危機に際して敏感な反応見せるということは極めて正しい、当たり前の行動です。しかし、危機に際して反応を見せない鈍感さこそが勇敢の証とでも勘違いが横行しているオーク社会は、真っ当な反応を示す自分の様な存在に対して嘲笑を浴びせかけるのです。ですが、実際のところはあまりにも明らかですが、自分が臆病だという連中の評価は事実無根のデタラメなのです――
ただし、デスマーチ36時間突入中の自分の頭脳は、反応が鈍感になっているのか、アブラの威圧に何ら反応を示しませんでした。
自分の様子に、脅しが何の効果も上げていないと思ったのか、アブラは苛立った表情をみせました。
その表情があまりにも滑稽で自分は軽く口元を歪めました。
幸いにもアブラはそれに気が付かなかったようです。もし、彼が自分に笑われたことに気がついたら、面倒事がもう幾つか増えることになったのは確実でしょうから。
「ああ!? テメエ、なにアホみたいにつったってんだ?」
「……」
「テメエのシケた顔、見てるとハラがたってしかたねえんだ。何も言いたいことがないなら、とっとと失せやがれ!」
……アブラに向けて、というかオーク種族に向けて言いたいことは山のようにあるのですが、それをやっていると時間がいくらあっても足りません。それに、連中が自分の話を大人しく聞くとも思えません。
とりあえずは現状をアブラの口からも確認しておくべきでしょう。……その手に持っている酒瓶と塩漬け肉は一体何なのかを。
「今ここでは、あちこちから届いた食料の確認をしていると聞いているんだが……その手に持っているのはなんだ?」
「ああ!? テメエ、このオレに文句をつけるのかよ!!?」
痛いところを突かれて逆切れとは、分かりやすい反応どうもありがとう、とでも言えばいいのでしょうか。
面白くもなんともないので、辞めて欲しいのですが。ついでに生命活動も止めてくれると完璧です。
「俺は一応兵糧、タタカウモノが戦いに向かうときに必要な食料や武器を揃える事を担当しているのだがな」
「だからどうしたってんだよ!?」
「……勝手に兵糧を持ち逃げする連中を排除して、きっちりと必要な物を戦場まで届けるのが俺たちの、統治担当の仕事だ。勝手に持っていかれていたら、今戦っているタタカウモノ達に食料が届けられない。食い物がなければろくに戦えない……それは、貴方でも分かるだろう?」
自分の言葉にアブラは言葉に詰まったような様子をみせました。視線を左右にやりますが、取り巻き連中は何も言えずに黙っています。
しばらくして、沈黙に耐えられなくなったのか、行くぞ、と周囲に声をかけると何も言わずに踵を返しました。
「頭がイイふりをしやがって。いちいちこんなところまでそのシケたツラをだしやがる! 行くぞ、オメエら! こんな口だけヤロウが近くにいちゃ、酒がマズくてしょうがねえ」
「……いちいち俺に会うのが嫌なら、会わないで済むようにしても良いけど」
わざわざ顔を出さなければいけない自分のほうが面倒だと思いながら呟いた言葉に、アブラは振り返りました。
「わざわざ来なくて済むならとっととそうしろよ!」
「……貴方がそう言うのなら」
「フンッ!」
自分の言葉に荒く鼻息を鳴らすと、肩を怒らせて、アブラは去って行きました。
会わなくて済ませる、というのはつまり、自分ではなく自分の部下が連中の横領や暴行に対応するということです。オーク種族の連中は大半が率先して不正に関わる側なので、こうした事の対応には使えません。
そして、その対応は征服者の立場にあるオーク種族を被征服者側の人間種族が、罰則を与え、場合によっては処刑する権限を持たせるというものです。少なくとも、オーク達はその様に受け止め、強烈に反対するでしょう。
そして、その反発の矛先は罰則を行使する人間に向くと予想されます。
何時の時代も、規則を守らせる側の存在というのは恨まれがちですが、それが、本来自分に搾取される側の存在であるとオーク達が認識している相手であれば、敵意が実力行使と結びつかないとはとても考えられません。
そうすれば、ただでさえ少ない自分の部下を減らすことになりかねません。今でさえ、ギリギリで回っているというのに、これ以上人が減れば、統治は破綻してしまいかねません。人材枯渇を理由として。
一応、自分であれば、ツヨイ、今はシーザの後ろ盾があるために、彼らもなかなか一線を越えようとはしません。
しかし、人間が相手であれば、彼らはそもそも躊躇する理由を感じることすらないでしょう。何しろ、弱い相手、特に人間から略奪することはオーク社会において正義なのですから。
……これは正直ダメかも知れません。
現在、正統コーンビフ帝国を敵に回せば、自動的に人間種族である諸侯たち全てが敵となる事が容易に想像できます。
そうである以上、オーク種族は帝国を可能な限り刺激しないように行動して力を蓄えるべきなのですが、オーク種族にとって一般的な力の蓄え方は、他者からの根こそぎ搾取というどうしようもないものなのです。
そして、これを知れば、正統コーンビフ帝国はオーク種族を人間種族の敵とみなすでしょう。
問題を解決できそうな方法、人間を使ってオーク達の横行を処罰するという案は、実現が無理そうです。
ですが、今までのようにいちいち自分が応対していても、何れ行き詰ることは目に見えて明らかです。
自分が応対を諦めて問題を放置すれば、帝国を敵に回すことになり、自分たちは滅亡することになるでしょう。
……放置しておけば、滅亡が確実なら、無駄な足掻きと思われることでもやっておいた方がマシかも知れません。
いや、人間たちに司法の一部を任せたとして、オーク達に命を奪われる心配をしながら、厳格に運用できるかも分かりませんが。
少なくとも、自分が人間なら警官としてまともに仕事をしようとは思わないでしょう。放っておけば、オーク達は自滅するわけですし。
そんな事をぼんやりとした頭で考えながら、自分はとぼとぼとタスクの山が待つ統治本部に向かって歩いて行きました。
諦めきれずに画期的な解決方法はないものかと考えながら歩いていると、自分の姿を認めたのか、自分に向かって駆け寄ってくる人影がありました。
疲れているし眠いしで、視界はグラグラ揺れており、正直限界です。まぶたが自分の意志を無視して何回も閉じます。まぶたを押し上げるだけでも努力がいるというのが恒常的というのは一体どうなのでしょうか。
人影の正体が自分の配下の人間だったらアブラの邪魔で中断していた兵糧確認の再開指揮と帝国への返書下書きを押し付けよう。
そんな事を考えながら、自分は気合を入れて閉じかけていた瞳を開きました。
「問題は解決したのですか? それと、帝国の使者への返答案は決まりましたか?」
「……何か、こう、もう少し労ってくれる部下がいてもいいと思うんだ」
人影の正体はクローコ・ショウでした。
しかも、自分の仕事は当然済ませたのだろうな、と言わんばかりの態度です。どう考えても、時間的に返答案の方を作成することは不可能だと思うのですが、この部下のような何かはまるで遠慮するところを知りません。
彼はそろそろ一日の長さが決まっていること、時間あたりの問題処理量には限界があることを理解するべきだと思うのですが。
それと、彼の声は心臓に悪いというかなんというか、悪霊か何かのようで、聞いていて不安になります。
次々と脳裏に浮かんでくる取り留めのない考えを間違っても口にしないように注意しながら自分はクローコ・ショウへの弁明を考えました。
普段から一切表情を見せない声で淡々と話すこの幽霊のような黒一色が怒りを示した事はありませんが、決して敵に回したいという相手ではありません。自分はそう思っています。
一応、自分が雇用主ではあるのですが、明らかにクローコ・ショウは立場故に遠慮するタイプではありません。怒らせたとしても、致命的な問題に発展することはないと思いますが、わざわざ地雷を踏むのはどこかのアホくらいでしょう。
例えば、落とし穴が敷き詰められているかもしれない平原を馬に乗っていたとしても進みたくないという感情と似ているのではないかと思います。直接自分が被害を受ける可能性が少ないとは解っていても、進んで危険を犯したいとは思わないのです。
まあ、どこかのアホは踏み抜いた地雷の爆風を利用して、無数のステップを一挙に飛び越えるという奇跡的快挙を成し遂げましたが。ですが、そんな事ができるのはアンポンくらいのものです。
というか、様々な要因がたまたま味方しなければあのアンポンでもあんなことは不可能だったでしょう。
偶然上手くいったという側面が強いにもかかわらず、それを自慢気に語るというのはどうなのでしょうか。次に同じようなことをして上手くいくという保証が無い以上、あんな状況になることを避けるべきなのです。
歴史的な偉人、例えばかつての世界の織田信長が偉大であるのは桶狭間の勝利故ではなく、その勝利に驕ることなくそれ以降は堅実な手を打ち続けたことにあるのです。
偶然により勝利を得るものは、結局偶然により敗北するのです。勿論、常に堅実な手を打ち続けるという事は無数に変化する現実を前に不可能ですが、堅実な手を重視する姿勢は自分たちの夢を現実にするために不可欠ではないでしょうか。
まあ、確かに、あの時は、ツヨイの、ではなくシーザの突発的状況における行動が最善の結果を生んだのは事実ですが。自分もシーザの行動が結果的に凄まじい結果に結びついたということを否定するつもりはありません。
しかし、――
「……聞いているのですか?」
「っ!? は、はい! 聞いています」
クローコ・ショウの問に、思わず背筋を正して答えました。
彼の掠れた幽霊の様な声は何度聞いても慣れるものではありません。
自分はなんで部下にこんな対応をしているのか、我ながら分からなくなりますが。
「それで、その様子だと、帝国への返答案はできていない様子ですね。清書まで考えるとあまり時間がありませんし、概要だけでもいいので早急に決めてください。副司令官殿の処理速度はただでさえ遅いのですから、今からやったところで間に合うわけがないでしょう」
「ちょっ? いやいや、そこまで仕事の速度は遅くないと思うけど」
「そう思っているのは副司令官殿だけです。現実として貴方の書類処理の速度は私と比べて半分程度です」
いつも通りの歯に衣着せぬ物言いです。
クローコ・ショウはもう少し相手の気持を慮るべきではないでしょうか。それとも言葉を持って心を抉る事が趣味だとでもいうのでしょうか。
「というか、いくらなんでも半分はないだろう。同じような単純作業でそこまで速度差があるわけないからな」
「そうですね。流石に四半分ではありませんが、半分の速度は言いすぎですね。副司令官殿にそこまでの処理速度はありません。通常そこまで処理速度に差がつくはずはありませんが、副司令官殿はそもそも筆記速度が極端に遅いですから」
「……」
そこは、もう少し話し相手を配慮しろよとか、こちとら文字を覚えて数ヶ月で速記術とか知らねえよとか、色々思うところはあります。
ただ、これ以上なにか言ってもより鋭い刃が返ってくる気がしてなりません。
決して、クローコ・ショウが怖いとかそう言う訳ではないのですが、勝率が低い局面で戦うことは愚策としか言えませんから。
「それで、返答の概要をどの様にするか決まりましたか?」
「……いやいや」
今まで話していて、この黒いのは何時返答の内容について考える時間があったと思ったのでしょうか。
散々ナイフのように鋭い言葉を投げかけておきながら、当然返答案が決まっただろうという態度の部下が何を考えているのか分かりません。
無茶振りにも程があります。
というか、連日徹夜で脳みその回転速度が落ちている現状で、返答案を考えるだけでも凄いと思うのですが。
しかし、ここでそれを言うと、更に鋭い言葉でズタボロにされてしまう気がしてなりません。
決して、黒いのが怖いわけではありません。
しかし、無駄にカミソリのような鋭さを伴う口撃に晒される事は愚かな選択だと言わざるを得ないのです。だから、怖いわけではないのです。
「……えーっと、とりあえず、現状ではまだ、ピン・サモーンの無辜の民草は反乱の戦火による傷から回復しておらず、無法者達が大手を振るっている以上、俺たちオークがこの地の平定を行う必要があるとか、そんな感じでまとめてくれ」
「何の面白みもない、凡庸な、とても使えそうにない返答案ですね」
「……なあ、俺のことが嫌いなのか」
半ば諦めて、自分はクローコ・ショウに問を発しました。
ここまでボロクソに言われると最早ぐうの音も出ません。悔しいという気持ちすら湧いてこないのですから不思議なものです。
「帝国に対してもう既に何度も主張してきた内容と副司令官殿の案はほとんど違いがありません。帝国はそんな事は知った上で、こちらに来ているのです。その言い訳がまともに通じるとは思えません。それに、これだけの時間をかけながら最初と同じ主張によってピン・サモーンの統治を正当化することは、こちらの実行力、ピン・サモーンの治安回復に対する能力を疑われてしまうでしょう」
「……じゃあ、どうするんだよ?」
「はあ……」
返答案をボロクソに言われてついつい尋ね返した自分に対して、クローコ・ショウは呆れたと言わんばかりの様子でこれ見よがしにため息をつきました。
「本当にこれしか考えていなかったのですか?」
「……ああ、そうだ。俺にはこれくらいしか思いつかない」
「分かりました……先ほど行った通り、今までと変わらない内容の返答では帝国を納得させることはできないでしょう。もちろん、副司令官殿のコネ、チキーラ将軍でしたか、の協力があればそれでも何とか現状維持は可能かもしれませんが、噂に拠れば今のところ将軍自身立場がかなり危ういそうです。故に、できる限り将軍の力には頼らないで済むほうが望ましいでしょう」
完全に白旗を上げた自分に対して、ようやく矛を収めたのか、クローコ・ショウは訥々と語り始めました。
全く自慢気な様子が見られない自然体に、むしろ自分のなけなしのプライドは傷つきましたが。
「帝国からこの地に来ている者たちを通して帝国はここの現状について把握しているはずです。そうでなくとも、野盗討伐が進み、交易路などの安全性が回復すれば、それは間違いなく帝国の知るところとなるでしょう。ですから、この地を統治し続けたいと思うのならば、近いうちに福司令官殿の今までの主張では通じなくなります」
「う、うぅ。確かに、その通りだな、何時までも言い続けられる訳ないよな」
「……ですので、統治を続けたいと副司令官殿が考えている以上、それなりの理由が必要になります。……例えば、仮の話ですが、ピン・サモーン周辺の貴族が帝国に反旗を翻す様子を見せれば、現状まともな戦力を維持できない帝国は、こちらに統治権を残して自分の勢力下に置き、貴族たちへの圧力としようと考えるでしょう」
淡々とクローコ・ショウは説明を終えましたが、その内容は過激とも言えるものでした。
他の貴族を帝国に疑わせることで、自らの地位を保つ。
上手く行けば、当然大きなリターンが得られますが、逆に、企みが明らかになれば周囲の全てを敵に回しかねない内容です。
少なくとも屋外で話すようなものではありませんし、まかり間違っても自分がそれを容認することなど不可能です。
「それは……クローコ・ショウ、昔はどうであれ、現在俺たちオークは帝国に従っている。帝国に仇する行為を俺たちができるわけ無いだろう」
「……そう思うのならば、今まで通りの先延ばしを続ければ良いでしょう。このままでは近いうちに帝国とまともに戦うことになることは避けられないでしょうが」
「……」
クローコ・ショウがどこまで考えているのかは分かりませんが、その内容は自分自身妥当だと思います。このままでは、必然的に帝国と衝突するということは。
帝国はピン・サモーンを明け渡すように求めています。
おそらく、収入が足りない帝国は、この地を新たな税収源として期待しているのでしょう。帝国はこの前の異端軍との戦いで、大陸内海の交易が途絶えがちになり、帝国の税収は大きく落ち込んだという話をよく耳にします。彼らはその損失分を他から得るために必死な様子なのです。
そして、この地はエルフの王国と緩衝地帯を挟んで隣接しており、彼ら独自の商品、薬や『奴隷』など、高価な商品の交易が以前あったという話です。現在は残念ながらというべきか、順当な結果というべきか、エルフとの関係悪化によりそうした高収益の交易はありません。その為、自分たちオークが統治することが出来ているのですが。
ですが、もし、この交易網を牛耳ることが出来れば大きな収益を生むと想定される以上、治安が回復したら自らの統治下に置きたいとでも帝国は考えているのでしょう。
これに対するオーク種族は、このピン・サモーンを自分たちが血を流して実力で得た土地だと考えています。これはオーク達の立場に立てば極めて自明な事実です。
それ故に、うるさいことばかり言ってくる帝国がこの地を渡せといっても決して納得するわけがありません。
確かに、帝国の協力なしにこの状態を作ることが可能だったかというと、確かにそれは無理でしょう。帝国の権威があったからこそ、オーク種族はサモーン領を抵抗なしに通過してピン・サモーンに向かうことができたのです。また、周囲の諸侯達が自分たちに直接攻撃を仕掛けてこないのも帝国がオーク種族を認めているからです。
しかし、オーク達にしてみれば、何もしていない帝国が突然彼らのものを奪おうとしている、と考えるのです。
これを妥当と思うかは立場によるでしょうが、戦いに身をおく者としてオーク達が金や段取りを立てることよりも実際に血を流すことを重視する事は、特段不思議ではないでしょう。
そして、全てのオーク達がその様に考えている以上、オオオサの立場にあるシーザでも帝国にこの地を譲り渡すことはできません。
そんな事をすれば、全てのオーク達を敵に回すことになるからです。インペリアが彼を支持する勢力の減少に伴い急速に求心力を失ったように、最強の戦士であるシーザですら支持者がいなければ立ち行かないのです。
だからこそ、帝国が無理にでもこの地を手に入れようとするのならば、オーク達は帝国と戦わなければなりません。
これに対して帝国は、反乱が鎮圧されて領主が消滅した以上ピン・サモーンは帝国の所有物であると主張しています。
一応その主張の根拠はあるらしく、どうやら、帝国の法律でその様に規定されているらしいのです。
彼らにしてみれば、傭兵として雇ったオーク達が勝手にピン・サモーンを支配し始めたというところなのでしょう。
それ故に、領地を正当統治者のもとに返還するように帝国は強く求めているわけです。
実際は、収入不足を補うためという後ろめたい本音に対して、制度上正当な理由があることが彼らの強硬な姿勢を後押ししているのでしょう。
でずが、帝国に対する反乱がオーク達によって早期に鎮圧されたことで、表立って反旗を翻そうという動きがなくなったのです。
そのために、現状は諸侯たちも帝国の権威を表向き認めているのです。
それを鑑みれば、帝国はもう少しオーク達を厚遇するべきです。
支払い能力がない以上、金が期待できないことは分かっています。
ですが、応対が明らかにオーク達を軽視したものだったり、こちらの足元を見据えた行動ばかりしたりというのは、現在貴重な味方を敵に回すことになりかねない愚行としか言えないと思います。
帝国の存続を第一に考えるのなら、少しでも味方を増やして、敵を減らす事が重要なこの状況で、新参者でも味方でればそれなりの待遇を与えなければいけないはずなのです。
加えて、他の傭兵たちと比べ圧倒的に少ない賃金でオーク達は戦いました。何故、この条件をオーク種族達が受け入れたのかを帝国自身感づいていないわけがありません。
そこには暗黙の了解があったはずです。
名目上はどうであれ、実質的にはオーク達にこの地を託すという。
ですから、帝国のピン・サモーン領の返還を求める動きはただのポーズで、何かしら理由をつけて自分たちの統治状態を追認するという形に落ち着くのではないか、と自分は考えていたのです。
しかし、帝国は現状を黙認するどころか、領地の返還要求を強めるばかりです。
ピン・サモーンはようやく治安が回復しつつあり、これまで投じた労力分をようやく回収できる目処が立ち始めた状況なのです。
その埋め合わせもなしに、領地を返還せよというのはあまりにも傲慢です。
そんな事を考え、帝国に対する憤懣を高まらせている自分に対して、クローコ・ショウが再び話し始めました。
「おそらく帝国は反帝国の動きをしている勢力を互いに戦わせて潰し合う、という事を狙っているのでしょう」
「何をいっているんだ。俺たちは帝国の味方をしているじゃないか」
「……帝国はそんな風に思ってはいないでしょう。客観的に見て、あなた方オーク達が、帝国が統治権を持つ事になったこの地を了解もなしに占拠しているという言葉を否定することは難しいはずです。少なくとも、帝国が今もっとも自分たちに楯突いていると認識している勢力があなた方であることはまず間違いないでしょう。彼らにとってあなた方は敵でしかないのです。あとひと押しがあれば、確実に彼らは多少の不利益に目をつぶってでもあなた方を潰しにくるでしょう」
黒ずくめの言葉は自分にとって予想外のものでした。
明らかに、現在最も帝国の立場を強めているのは自分たちオーク軍であるはずです。規模から言って帝国全土に睨みを効かせる事はできません。が、反乱を早期に鎮圧してみせたことで、北東一体の諸侯たちに対しては強力な抑止力となっているのです。
それを帝国は敵と見なしているというのはどういう事なのでしょうか。
好意的でない、ということなら理解できます。人間種族の自分たち以外の人種族に対する偏見は帝都やこの地で嫌というほど体験しました。
幸いにというべきか、どちらでも自分は力のある立場に居たために、物理的な攻撃にさらされることはなかったのですが、それでも、自らに向けられる視線や、ささやき声のほとんどは自分たちに対する恐怖と嫌悪の感情で彩られていました。
それでも、彼らは損得勘定を基に動いていました。金を払えば、相手の腹の中がどうであれ、それなりの待遇を受けることができましたし、報復する力を持っていたオーク達に石を投げる者はいませんでした。
だから、帝国も理性的に動くと考える事にそれほど飛躍はないはずです。
理性的に考えれば、オーク種族を今滅ぼすということは帝国の寿命を縮める事にしかつながりません。
帝国が存続するためには、この前の戦いで失った力の回復と同時に、諸侯を消耗させる事が必要です。
相対的に諸侯の力が強くなったために、彼らの野心を止めることができないというのが問題なのですから。
ただし、特定勢力とのみ優遇すれば、それ以外の勢力全てを敵に回すことになりますし、ある勢力を敵とすれば、それ以外の諸侯の勢力拡大を許すことになります。
だからこそ、帝国は特定の勢力のみを味方としたり、敵としたりすることなく、バランスを取る方向で動くだろう、というのが自分の予測でした。
もちろん、明確に帝国を敵とするような行動をとって一線を越えなければ、ですが。
そして、自分はオーク達が帝国を完全に敵に回さないように動いてきたつもりです。
帝国に明確に反旗を翻した勢力に攻撃を仕掛ける際も、帝国から了承を得た後にしましたし、反乱が終わったばかりでピン・サモーンの少なくない収入を遣り繰りして帝国に税を納めましたし、帝国から送られてきたお目付け役に対しては、自分よりも上のそれなりの待遇をしました。
正直なところ、現在帝国に対して身を削るほどの献身をしている勢力の一つは間違いなく自分たちのはずです。
その裏には打算があると帝国が看過していたとしても、帝国の弱体化に露骨に野心を示す諸侯たちと比べれば遥かにマシでしょう。
そんな、相対的に忠義にあふれる自分たちを帝国は追いやろうとしているのでしょうか。
「……帝国はおそらく、あなた方がどれだけ貢献しているかを理解していない可能性があります」
自分の疑問と憤りが顔に出ていたのか、クローコ・ショウが帝国の現状に関する予測を述べました。
「……それは、俺の説明が足りないということか?」
説明不足でオーク達の行動を誤解されたとでも言うことならば、早急に改善しなければなりません。そして、今後は情報が確実に相手に伝わるようにする必要もあります。
しかし、冷徹な黒ずくめは自分の言葉に首を横に振りました。
「いえ、副司令官殿の言葉に不足があったとしても、書簡の方はこちらで清書しています。そうである以上、こちらの言い分が正確に伝わっていないとうことはないでしょう」
「……すごい自信だな」
「ですから、帝国が現状を正しく理解していないとすれば、それは彼らにそれだけの状況把握能力が備わっていない、というだけのことでしょう」
自分のツッコミをスルーして話し続けるクローコ・ショウの言葉を、そうとも言い切れないのではないか、と思いながら自分は聞いていました。
自分が帝国に対して持っているコネクションはテリヤ司祭とチキーラ将軍のみです。
そして、事実上、帝国の首脳部まで話を通せるのはチキーラ将軍しかいないのですが、噂を聞く限り、彼の権力は現在大きく低下しているそうなのです。
この前の戦いでは帝国は散々でしたから、誰かに責任を負わせなければならないという事情があると考えれば納得のいく話です。
この噂が正しかった場合、チキーラ将軍の意見が軽視されているということが考えられます。
もしそうであるのなら、状況改善にはチキーラ将軍の他にもコネを作らなければいけません。
帝国に成り代わろうとしている他の勢力は、現時点では表面上帝国とよろしくやっていきたいと思っているでしょうから、自分たちと同様に帝国に貢献する姿勢を示しているでしょう。
その際、それを誰が帝国首脳部にその話を持っていくかによって、受け止められ方が全く異なるはずです。
できる限り発言に重みのある人物を味方に付けたいものです。
その場合、理想は度々書簡を送ってくる宰相タタキとなりますが、現実的に行政のトップがわざわざ自分と面談する為に時間を割くかは微妙なところです。
今更ながら、皇帝と面談するという絶好の機会にできる限りコネの構築に動かなかったことが悔やまれます。
宮廷作法という無駄の極みを覚える気にもならなかったので、地が出て余計な恥をかかない内に退散したのですが、あそこは少しでも多くの顔見知りを作っておくべきでした。
後悔したところで現状が変わるわけではないのですが。
とにかく今は、現状を改善する方向で動く必要があるでしょう。
「……分かった。ならば俺がコーンビーフルに赴いて、直接事情を説明するべきだろう」
「正気ですか? オークどもが暴れだした際に止められるのはあなただけのなですよ」
「だとしても、帝国には説明をしなければなるまい。……治安の問題については腹案がある」
自分の言葉にクローコ・ショウは小さくため息を付きました。
「副司令官殿がいなくても治安維持が出来れば苦労はないでしょう。あなた方オークは人間と同じように敗者の言葉を聞く文化など持っていないのでしょう? それとも、副司令官殿の様な奇特なオークが他にいるのですか?」
「……とりあえずは、シュー・クリーに治安維持を任せようと思う。問題を起こしたオーク連中を罰する権限を与えれば何とかなるだろう」
「オーク達がシュー・クリーの言葉に諾々と従うとは思えませんが」
自分がシュー・クリーを信じていると言わんばかりの様子を示していることに、クローコ・ショウは疑問を呈しました。
内心ではクローコ・ショウの言葉に同意せざるを得ませんが、それを表立って示すわけにはいかない自分は表情を変えないように注意しながら口の達者な部下を見返しました。
現状ではオーク達の誰かが敵意を一心に集めてでも治安維持を行う他に手段がないのですが、自分以外のオーク達はそもそも治安維持の必要性を感じていないという致命的な問題があります。
治安悪化によって、食料調達がままならなくなったり、反乱が頻発したり、帝国が完全に敵に回ったりすれば、彼らも治安回復が如何に重要か認めるのでしょうが、そうなってからでは遅すぎます。
だからこそ、自分が泥をかぶってでも必死に治安維持を行なってきたのです。
ただし、自分は帝都コーンビーフルに現状の説明と、コネクション構築のために向かわなければなりません。
帝国の為という大義名分を失えば、自分たちは消えざるを得ないのですから、これは絶対に行わなければならないことです。
これは、まさか問題の重要さをまるでわかっていない他のオーク達に任せるわけにも行きません。
そして、ピン・サモーンで自分の部下となった連中も帝都で何を言うか分かったものではありません。オーク達が睨みを効かせているこの地では自分たちに従っているといっても、その実忠誠心など期待しようもないのです。
そうなると、気が重いですが、消去的に自分が行くしかありません。
自分がこの地を留守にしている間、この地をまともに治めることができそうなオークがいない以上、何らかの対策は必須です。
コーンビーフルに滞在している間に、ピン・サモーンで反乱でもを起こされたらどうしようもありません。
人間たちに一定の権限を持たせて治安維持を行うこと。それが簡単にできれば苦労はありません。
一応、統治の総責任者であるアブラからは、人間による治安維持をさせることの言質はとってあります。
ですが、実際にそれを行えば、オーク達から敵意を買うことは疑う余地もありません。
人間種族が治安維持の担当者となれば、恐らく遠くない内に命を落とすでしょう。
しかし、現状では他に手がないのです。
そうである以上、たとえ死ぬ確率が高くとも人間たちを利用して治安維持を行わなければなりません。
そして、担当者死亡の責任を統治責任者であるアブラに押し付けて排除し、統治体制の一本化を目指すのです。権限が自分に集中すれば人間を利用した治安維持機構の設立することも可能となるでしょう。
これを実現させることが出来れば、余計な手間がなくなり、他の行政もまともに動くようになるでしょう。
オーク達からの、反発は必至ですが、それを織り込んだ上でもやらなければいけません。
現状ですら自分一人では破綻しかかっているのに、これ以上支配領域が拡大すればどうにもならないのですから。
そして、犠牲になる確率の高い最初の担当者を誰にするのが最も得か、という観点から人選を選ぶと、シュー・クリーが最有力候補となります。
彼はどうも真面目なケビア教信者なようで、糞真面目なのはいいのですが、協調性を考慮しないところがあるというか、いわゆる空気を読まないところがあります。
常日頃から乱暴狼藉を働くオーク達に感情あらわに反発したり、安息日に教会に行かなかった同僚をなじり続けたり、ケビア教信徒ではない自分やクローコ・ショウに向かって神の教えに帰依するようにとうんざりする程話を続けたり、といった具合です。
正直なところ、この様な迷惑な人物を部下としたくはありませんでしたが、猫の手も借りたいほどの忙しさの中、ただでさえ少ない読み書きができる人材を手放すことはできません。この様な辺境では修道院の関係者くらいしか読み書きができないのですが、彼らの殆どは自分達オークに協力しようとはしませんから。
それでも、彼の真面目さにこいつは首にしたほうがいいのではないか、と度々思ってしまいます。
なんというか真面目な無能者ほど厄介な者はない、という言葉を彼ほど知らしめてくれる人物には他にあったことがありません。
明らかに善意に依って動いているのですが、その結果、面倒事ばかり引き起こすのです。
徹夜2日目にようやく書類整理や兵糧搬送の手配を整えて、ようやく寝られる、と思った直後に、今にも暴動を起こしそうなケビア教信徒を引き連れてきた時は、流石に殺意が湧きましたが。
オーク達の行為に不満を募らせた人間たちの集団がシュー・クリーを頼って自分に嘆願に来たのです。
彼は、窮状を訴える領民たちの事を考えて一所懸命に行動したのでしょう。ですが、彼が領民たち相手に勝手に口約束をしたせいで、そのあと処理にもう一日徹夜するはめになった自分のことももう少し考えて欲しいのです。
まあ、今回の目論見が理想的な形で上手くいけば、余裕もできるでしょうから、彼の犠牲も十分価値あるものとなるでしょう。そこまで上手くいかなかったとしても、オーク達から多少の譲歩を引き出すことくらいは期待できるはずです。
いやあ、犠牲が出るのは本当にしかたのないことですね。出来れば避けたいのですが、自分の力不足が恨めしい限りです。本当に。
心のなかで真摯に黙祷を捧げていたところ、クローコ・ショウも同じ結論に達したのか納得した様子で頷きました。
「なるほど、シューの事は理解しました。しかし、あなたが帝国を説得できるのですか」
「……他に帝国に顔が利く奴がいないだろう」
「……なるほど、それは確かにそうですね。不安ですが仕方ありません」
何というか、本当に言葉を着飾るという事を知らない部下です。
シュー・クリー共々、もう少しまともな人材が確保できるようになったら、即刻クビを切りたい部下の一人であることに間違いありません。
因みに今いる自分の部下のほとんどが何かしらアクの強い人物ばかりです。
正直なところ、こんなのばかりである事には嘆きを覚えざるを得ません。
自分としては、まじめに仕事をして、上司を敬うといった極々普通の事ができれば文句はないのですが。
「シュー・クリーにはお前から伝えておいてくれ。俺は明後日には帝都に向かうから明日、時間を見つけて、どんな権限をシュー・クリーに持たせるか決めることにしよう」
「……分かりました」
面と向かってシュー・クリーに治安維持組織を任せるなどと言ったら、彼の性格からして、間違いなく面倒な事になるでしょう。やれ、神の教えに帰依するべきだ、ケビア教を信じるべきだ、天国に行きたいなら正しい教えが必要だ、興奮した彼は誰が相手だとしても黙るということを知りません。
それでも話の内容が面白ければまだ許せるのですが、彼の場合、言葉は違っても内容は毎回同じなところがいただけません。
そもそも、こういう面倒事を押し付けるために部下がいるのですし、ここは黒いのに任せることにします。
そして、彼ら、というよりシュー・クリーがクローコ・ショウに向かって延々と無駄な説得を続ける間に、自分は久方ぶりの睡眠を貪ることにしましょう。
そんな事を考えながら、自分は微かに肩を震わせるクローコ・ショウを置き去りにして、臨時行政所となった屋敷の一部屋、仮眠室へと向かって歩き出しました。