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ブータ帝国記  作者: なんやかんや
黎明編
7/9

黎明編5話下

 

「今回の戦い、どうなると思う」


 オオオサは小丘に向かって歩きながら尋ねてきました。

 思うままに言ってくれ、と付け足したインペリアに自分は自らの考えを述べます。


「帝国の圧勝だろう。数で勝るのは帝国だし、ここらは帝都から離れていくと標高が下がるという話をこの前本で読んだ。しかも逃げ去る途中の異端軍に対して追撃を加えている。数の利と地の利、時の利これだけ揃えば、指揮官が余程へぼじゃなければ勝利は揺るがないだろう……というか、何も考えずに攻撃開始の命令を下すだけでも勝利できるだろうし、負けることのほうが難しいんじゃないかな」

「ふむ、そうか……では、オレたちはこの戦いでどう動くべきだと思うか。どうすれば手柄を立てられる?」

「正直、何もすることがない、と思う。帝国のチキーラ将軍から勝手に動くなという命令が来ていたよな?」


 自分がチキーラ将軍の命令に言及するとインペリアは苦い顔をしました。勝手に戦うな、という命令はオークにとって甚だ不評でした。

 この前の戦いにおける勝利で、オーク達には結構な褒賞金が渡されましたが、それをもう一度と思うオークは多いのです。

 そのためには戦いでオーク達が大きな戦果を上げる必要があます。インペリアが制止しなければそれを制限する帝国の命令を携えて来た伝令に幾人かのオークは掴みかかっていたかもしれません。


「チキーラ将軍、というか帝国は自分たちの軍勢や昔から帝国に仕えてきた諸侯にも戦功を与えるためだと思う。つまり、この戦いで良い所なしだった連中にも手柄が必要なはずだ。だから、チキーラ将軍は俺たちが敵を倒しすぎて戦功を独り占めすることを恐れて、動くなという命令を出したんだ」

「ふん、気に入らんな。だが、そんな余裕ぶっていて連中は本当に勝てるのか。今まで散々負けてきた連中が敵を恐れずに戦えるものか」

「恐れるも何も、総攻撃をかければ異端軍は容易く瓦解するはずだ。唯一気になる所といえば、追撃を行うまでに時間をかけ過ぎていることだが、現在自分が持っている情報からは、この時間を使って効果的な反撃の準備を異端軍ができるとは思えないな。少なくとも、それは自分の考えの及ぶ範囲を超えている」


 インペリアに答えながら、自分の頭は言葉とは裏腹に帝国が敗北する可能性を探り始めていました。インペリアの言葉が気になったということもありますが、帝国が勝利すればオーク達に出番はなく、逆に敗北した場合に戦う必要が出てくる以上、可能性が極小とはいえ思案しておいて損はないと思ったからです。


 どうすれば、帝国は負け得るか、あるいは異端軍は勝利し得るか。


 最初に考えたのは異端軍が伏兵を潜ませ待ち伏せしているという可能性でした。

 伏兵によって敵の不意を付くことができれば、帝国軍に大きな動揺を与えることができます。これを異端軍の本体と上手く連動させれば帝国軍を打ち破ることは不可能ではないでしょうし、伏兵を切り捨てることを前提とすれば本体は追撃を受けることなく撤退することが可能かもしれません。

 この場合の問題は、どの程度の兵を伏兵とするかと言うことと、何処に兵を隠すかと言う事になります。

 当然ながら伏兵は帝国軍のある部分において脅威とならなければいけませんから、それなりの数が必要となります。少なくとも1,000以上、それなりの攻撃力を持たせるためにはその数倍の兵が必要になると考えられます。さらに、戦闘がどの様に推移しても対処できるためには騎馬隊を伏兵に含めるなどして機動力を持たせなければいけません。

 しかし、兵力を増やすと帝国に発見されやすくなってしまいます。発見されてしまえば、寡兵で持って大軍の相手をする羽目になり、兵力の分散という戦いの理における愚を犯すことになります。

 この辺りは幾つかの丘がありますが、遮蔽物となるようなものは少なく、大軍を隠しておくことが可能とは思えません。帝国側は行軍速度が早いとは言えませんが、その分斥候を多く放つことが可能でしょう。それでもなお、伏兵が見つからないということは、そもそもそんなものが存在していないと考えるのが妥当でしょう。伏兵を背後に置いて敗走を装い、勢いよく追撃する帝国に一斉攻撃を仕掛けるという選択肢なら可能かもしれませんが、その様な複雑な作戦は思わぬ外乱で簡単に失敗してしまいます。

 それに、これをすると囮となる兵が大きな損害を受けることになります。異端軍は同じ主張を唱えながら、実際は統一されていない烏合の衆であるという帝国側の鼓舞文句を鵜呑みすることは危険ですが、連合軍であるがゆえに一つの部隊が大きな損害を受ける作戦というのは選択しにくいのではないでしょうか。実際、部族単位の寄せ集めであるオーク軍は各部族に配慮した作戦でなければいけませんし、一つの部族に損害が集中するような作戦はご法度です。

 というわけで帝国軍にとって脅威となるような待ち伏せを異端軍が実行できるとは思えません。


 そこで、他に異端軍が勝利し得る可能性を考えます。

 最も有力と思われるのは、帝国軍と異端軍の戦闘能力に大きな差がある場合です。この場合多少の戦術的優位ならば兵の練度によって覆すことが可能でしょうし、戦略的に差があったとしても、帝国側が異端軍を仕留めるのは骨が折れるでしょう。

 確かにインペリアの言う通り、帝国側は自分たちを除き異端軍に一度も勝利しておらず、両軍の間には兵力の質的な差があると思われます。

 ですが、虚を突いたとはいえ異端軍に対して武装や集団行動に優れているとは言いがたい自分たちですら勝利を納めることは、異端軍の戦闘能力が決して突出しているわけではないことを示しています。

 多少の兵力差ならば異端軍は互角以上に戦ってみせることが可能かもしれませんが、これだけの兵力差を覆せるだけの力を持っているとは思えません。

 それが可能となるのは、この前の戦いのように相手のミスを利用して虚を突くといった奇策だけです。

 この前の戦いは相手が連戦で疲れていたことと、相手が完全な包囲網を敷こうとして陣を薄くするという異端軍側の失着がなければ、勝利することは不可能だったでしょう。例えば、あの時単純に異端軍が突撃を仕掛けてくれば、僅かなオーク達は逃亡できるかもしれませんが、大多数は討ち取られて骸を曝すことになったでしょう。

 しかし、今回帝国はただ総攻撃をしかけるだけで勝利を得ることが可能で、戦術的に他の選択肢が無いという状況です。欲を出して異端軍を包囲するといった作戦が実行できる情勢にはありません。

 今までの行動が遅かったという帝国側のマイナスを差し引いたとしても、帝国側の平凡な一手を打ち破って異端軍側が勝利するのは困難極まりないはずです。


 どの様に考えても異端軍が勝利することは難しいように思います。

 ここは逆に帝国側がとんでもない失着をする可能性を考えるべきかもしれません。

 しかし、ただ単に総攻撃の命令を下すだけで事足りる帝国側のミスというのはなかなか考え難いものです。

 勿論、この前の戦いのようにそうした事態も起こらないとは言い切れない以上、帝国が犯す可能性のある失着いついて考えておくことは無駄ではありません。……多分。

 例えば、考えるだけで馬鹿馬鹿しいことですが、帝国が総攻撃を行わないという場合も考えられます。つまり、異端軍を恐れるなどの理由から帝国が戦力を失うことをおそれて戦力を小出しにするといった可能性です。

 ただ、帝国がそんな事をするならなんで追撃することを選択したのか分からなくなってしまいます。間違いなく、諸侯の帝国に対する支持も下がるでしょう。そもそも、この前、皇帝と話した時の様子ではチキーラ将軍を始めとする武官が追撃することを主張している様子でしたし、彼らが戦場では決定権を握る以上、土壇場になって攻撃をやめるという可能性は排除して良いと思います。

 いくら考えても、帝国が敗北するということが不可能なように思えてしまいます。

 例えば、皇帝が突然死んだために退却せざるを得ないとか、総大将が急死したとかそうでもない限り帝国の勝利が揺らぐとは思えません。


 そんな事を考えている間に自分とインペリアは戦いの様子を一望できる程度の丘に辿り着きました。二階の建築物程度の高さしかありませんが、それでもなだらかな地形のこの辺りを見渡すには十分です。

 丘の上には既に人間たちの物見役が何人もいます。彼らの多くはどういうわけか焦ったような顔を浮かべている様子でした。

 新たな見物者の接近に気がついた彼らの幾人かは自分たちを見て顔を露骨に歪めます。インペリアと自分はそれを無視して丘の頂上を目指しました。自分たちを何も言わずに見守る彼らはおそらく帝国の諸侯が放った斥候でしょう。帝国軍は非常に大規模であり、戦いが始まったといってもすぐに全ての諸侯が動けるわけではありません。また、伝令に時間が掛かる帝国の事情を勘案すれば、独自の情報源を得たいと諸侯が考えることも十分に納得の行くものです。

 数で勝る帝国側の妥当な作戦としては、鶴翼の陣をとり最初に両翼で異端軍を包囲する形にした後に、中央の近衛軍団で敵を蹂躙するといったあたりでしょうか。あるいは帝国が戦功を最も多く得ようと考えたならば、中央の近衛軍団で敵中央を打ち破った後に逃げ惑う残りの異端軍に諸侯が襲いかかるというような戦術を選択するかもしれません。何れの作戦でも帝国側の勝利は揺るがず、ただ敵の損害に多少の違いがでるだけだとは思いますが。


 そんな事を考えながら、戦いの様子を見下ろした自分は唖然とすることになりました。

 帝国側のほとんどの軍は先程の突撃の声にもかかわらず動きを見せていません。一部、おそらく数千程度の兵士たちが単独で異端軍に突撃を行い戦っている様子が見て取れました。彼らの突撃により異端軍の陣形は大きく乱れているのか、敵味方入り乱れるようにして戦っています。

 帝国側の兵士たちは必死に戦っている様子ですが、数において上回る異端軍によって包囲されつつあります。このままでは異端軍の包囲が完成して彼らが全滅するのは時間の問題でしょう。しかし、帝国側の本体は一向に動く様子を見せていないのです。


「どういう事だ……?」


 思わず口からそんな言葉が漏れました。このままでは異端軍に包囲された部隊を見殺しにすることになります。仮に帝国首脳部にそのつもりがなかったとしても、諸侯達はそのように考えるでしょう。

 それによる士気の低下は到底看過できる範囲に収まるとは思えません。ただでさえ、帝国側は今まで敗北を続けてきたのです。有利な状況とはいえ初戦で出鼻をくじかれれば兵士たちは尻込みするでしょう。

 士気低下というのは全くもってバカにならないものです。明らかに優勢なはずの状況を整えたとしても、一度兵士たちが怖気づけば、もやは彼らはその能力を数分の一しか発揮できません。かつて、自分は士気というものの価値を低く見積もっていましたが、実際にはこれの有無が勝敗を左右することが驚くほど多いのです。

 だからこそ、ツヨイやインペリアの様な存在しているだけで味方に勝利を確信させる存在は戦場で大きな力を発揮するのです。彼らの驚異的な戦闘能力はそれだけでも十分な働きをしますが、決して万の敵を打ち破れるものではありません。しかし、戦場における英雄の存在はどれだけ味方を勇気づけるか、それは言葉では言い尽くせないものです。相手を難なく葬るその姿に凡百の兵は自分たちの勝利を信じるのです。

 逆に、戦う前に無残に殺される味方の様子を見せられては、兵士たちはいくら有利と分かっていても敗北を想像せずにはいられないものなのです。こうなってしまってはいくら言葉を尽くしたところで士気を回復させることは難しいでしょう。如何に言葉を飾り立てたところで現実の光景を変えられるわけはありませんから。

 しかも、すぐにでも全軍で攻撃を開始すれば瞬く間に勝敗が決着するのです。異端軍は今、高々数千の部隊の突撃で陣形を崩される程に兵士たちが動揺しているのです。全軍を持って攻めればたちどころにこれを打ち破ることが可能でしょう。それが帝国の首脳部には分からないのでしょうか。一体彼らが何をしようとしているのか、全く分からなくなってしまいました。

 ですが、帝国側の総司令官であるチキーラ将軍にそんな簡単なことが分からないとは信じられません。

 先日自分は彼と話す機会がありましたが、彼の話し方や言い回しには彼の古今東西の戦いに対する並々ならぬ知識を感じさせました。文献調査に必要な労力が決して小さなものではないこの時代によくここまで研究していると感銘を受けたものです。可能であるならばチキーラ将軍に過去の戦いについて講義を受けたいと自分は思っています。こんな話、ツヨイあたりが聞いたらまた無駄に騒ぎ立てられるかもしれませんが。

 ともかく、帝国側の大多数が動かないという現状はチキーラ将軍の意志によるものとは思えません。

 しかし、そうであるのならば一体何が起きたというのでしょうか。

 まさか、先ほど考えて可能性が低すぎると切り捨てた重要人物の危篤が現実のものとなったという事なのでしょうか。

 少なくとも、チキーラ将軍が味方部隊を目の前で見殺しにするという愚策を選択したという仮説よりは遙かに可能性が高いように思います。


「この状況、どう思う、ヨワイ?」

「……このままだと帝国は不味いな」


 インペリアの質問に自分はこのままでは帝国が敗北しかねないことを仄めかしました。周囲の目がある以上、あまりはっきりと言うべきではありません。


「もしかしたら、帝国の首脳部か誰かに急病患者が出たのかもしれない」

「どういう事だ?」


 自分でも気が付かない内に、現状帝国首脳部が動かない原因について自分が頭に浮かんだ考えを声にして呟いていました。それだけ、自分にとって眼下の光景は異常な出来事なのです。


「チキーラ将軍、現在帝国首脳部を率いている人物だが、この状況は彼が何らかの理由で軍を動かすことを禁じているからこそ起こっている。戦いの前に勝手な行動を慎むようにと再三連絡が来たのはインペリアも記憶しているだろう。問題は、何故彼が攻撃を禁じているのか、少なくとも突撃を許可していないのかという事だ。今敗北しつつある連中と一緒に一斉攻撃をしかければ異端軍には簡単に勝利できたはずなのにも関わらず、未だに帝国本体が動かないというのは何らかの理由があるはずだ。自分には彼がこの状況が続けば帝国軍は戦意を喪失して敗北する可能性があるということに思い至らないとは考えられない。そうである以上、チキーラ将軍は攻撃をしたくても到底できない状況、例えば急病、だと考えるのが妥当だと思う。」


 自分自身の考えをまとめる意味もあって、自分はインペリアにこの状況に関する自分の考えを述べました。

 話を終えて周囲を見回すと、インペリアだけではなく人間達も自分を注視しています。彼らの表情は最初に自分たちに向けられていたそれとはだいぶ違うものでした。

 何人かが慌てて馬に乗ると駆けて行きます。

 もしかしたら、今の話の真偽を確かめに行ったのかもしれません。


「なるほど……あのチキーラとか言うヤツが戦いの成果をひとりじめしようとしているという可能性はないのか」

「皆無とは言わないまでも、彼だってこの状況を放置すれば勝利することが叶わなくなることくらい想像できるだろう。未だに帝国が動かない理由としては考えにくいものがある」

「そうか? あの小うるさいヤツは戦いのたの字も分かっていないようにだったがな」


 自分の発言にインペリアは尚も疑問を投げかけてきました。人間たちの内、少なからぬ者たちがインペリアに同調するように頷いたり賛同の言葉を呟いたりしています。

 インペリアは余程チキーラ将軍のオーク達に対する態度が気に入らなかったのか、その言葉にはどことなく小馬鹿にしたような感情が含まれているようにも思えました。確かに、チキーラ将軍のオークたちに対する態度は、少なくとも自分たちにとってみれば決して公正とはいえないものでした。

 また、人間たちの間でチキーラ将軍が戦いに疎いと批判されていることを至る所で耳にする機会がありました。曰く、兵を率いた経験がない、戦いの経験がない、素振りもろくにできない、そもそも武器を握ったことすらない、などといった話は酒場などで談笑している人間たちの会話を聞いていれば幾らでも聞こえてくる話です。

 しかし、だからと言って、それらが必ずその人物の能力を示していると想定してしまうことは大きな判断ミスに繋がりかねません。

 直接話してみればチキーラ将軍が古今東西の戦史に関する知識に満ちあふれた人物であることは疑いようもなく、その知性もってすれば人間たちが指摘している戦いの経験が少ないという点も問題にはならないでしょう。

 チキーラ将軍は戦いの経験が少ないということは事実らしいですが、経験不足故に敗北したといった事例は存在しないのですから。そもそも、ハニハニバルやアレッサンドロ大王といったこの世界の戦史上の偉人も当然ながら最初は戦いの経験が皆無だったわけであり、経験が少ないという批判はそれ自体があまり意味を成していないように思います。

 それに、人間たちのチキーラ将軍に対する批判は多分に政治的背景が含まれていると自分は感じています。おそらくは、彼の政敵などが彼に対する攻撃としてこの様な批判を最初に広めたのでしょう。

 そして、権力者に対する批判というのは何時の時代の人々にも好まれるものですから、それを聞いた不特定多数の人間たちがこの話を広げ拡張してきたというのが実際のところではないかと自分は睨んでいます。

 他者の欠点を指摘するという行為は指摘する側に精神的な優越感を錯覚させます。権力者に対する批判をすれば自分がその人物以上であるかのように感じられるでしょう。しかし、同時に相手の正しい姿を評価できなくなるという問題があります。古来より敵が強靭であったこと以上に敵を侮ったがために敗北した例は無数にあります。

 そうである以上、安易に他者を軽んじるべきではありません。無論、相手を過大評価することは避けるべきですが、それ以上に過小評価することは危険なのです。

 ですが、ここは敢えて強くは反論しないほうがいいかもしれません。オーク達に戦うことを強く禁じたチキーラ将軍に対するインペリアの心象は最悪です。この様な実りが多いはずの戦闘にオーク達が参加しないという事態は彼に対する支持を揺るがすことにすら繋がりかねません。

 まあ、チキーラ将軍が頻繁に送ってきた伝令によってほとんどのオーク達は戦闘に参加しない理由が人間の側にあることを理解しているでしょうから、オオオサの解任というインペリアにとって最悪の事態まで状況が悪化することはないでしょう。しかし、インペリアにとって戦いに参加しないという決定がオーク社会においてマイナスであることは間違いないでしょう。

 おそらく、その心象がためにインペリアはチキーラ将軍が無能であると『信じたい』のでしょう。彼にとってマイナスとしかならないような事態を強要してきた相手にこそ全面的に落度があると思いたい心理はよく理解できるものです。

 もちろん、チキーラ将軍の立場に立てば正式な配下でもないオーク達がこれ以上の戦功を上げるのは好ましからざる事態でしょうし、ましてや、古くからの忠臣に戦功を与えるための機会を台無しにするわけにはいかない、と考えたとしても無理はありません。

 とは言え、それをインペリアに説明しても何ら得るところはありませんし、それどころかむしろ彼の自分に対する心象を悪化させることに繋がりかねません。相手の間違いを面と向かって指摘することは、それが正しかったとしてもなおさら相手の感情を悪化させることの方が多いのですから。

 インペリアの様な偏見を持つ事の無いように自分自身を戒める事は良いことです。が、オオオサであるインペリアとは今後も長い付き合いになる可能性が高い以上、わざわざ自分の主張を重ねて立場を悪くすることは控えるべきです。

 むしろ、ここは適当にインペリアの意見に同意しておいたほうが良いかもしれません。

 結果として自分が正しくインペリアだけが間違っていたという事態になるよりは双方とも間違ったという方が彼の自尊心を傷つけずに済むでしょう。


「……なるほど、その可能性もあるかもしれない。むしろ、順当に考えれば急病と言うよりもそちらの方が可能性は高い。ただ、どの道情報が足りなさすぎる以上憶測以上の事は自分からは言えない」

「つまり、分からないと言う事か」

「予測はできるがそれを確かめるすべはない。ならば、予測できる範囲内で最善の行動をするしかないだろう。帝国側が不利となれば、チキーラ将軍も前言を翻して、俺たちも戦わせる可能性はあるだろうから」


 自分の言葉にインペリアは頷くような様子を見せると、丘の下から登ってくる配下のオークを手招きします。インペリアが呼んでいることに気がついたオークは歩みを早めて自分たちの方にやって来ました。


「ハヤイ、オレたちも戦うことになるかもしれない。うちの連中に準備をさせておけ」

「分かった。他のヤツラにも伝えておくか?」

「ふむ、どうするべきだと思う、ブータ?」


 ハヤイという名前らしいオークにインペリアは自身の部族に戦いの準備をしておくように命じました。それに対してハヤイは他の部族にも戦闘準備の命令をするべきか尋ねてきます。

 インペリアは思案する様子を見せると自分にも質問を投げかけてきました。


「まだ、いらないと思う。チキーラ将軍が動けと命じるまでは。あの連中みたいに少数で大勢の相手をするハメになることは勘弁して欲しいからな」


 自分は眼下の戦いの様子を見据えながら答えます。眼下では少数で戦いを挑んだ帝国側の貴族たちの兵が全滅しようとしていました。ここから見える限りでは騎兵は皆馬を失い、数の暴力を前に一方的に嬲られています。

 帝国首脳部が彼らを見捨てた理由はどうであれ、この様な光景を眼前に見せつけられては、帝国側の兵士たちの士気は統率が困難なレベルまで低下するでしょう。この様な状況で単独で敵に勝負を挑んでも、今まさに死に絶えていった連中と同じ結末になる可能性が高いのです。

 その様に兵士たちは考えるでしょう。

 だからこそ、帝国は多少の犠牲を払ってでも彼らを援護すべく攻撃を開始するべきでした。

 そして、チキーラ将軍はそれが分からない人物ではないはずです。そうである以上、何か重大な出来事があったという風に結論付けるのは妥当な判断のはずです。


 そんな事を考えながら、戦い、あるいは一方的な殺戮を眺めていると遂に帝国側が動き始めました。あまりにも遅い反応です。また、その動きは統一されておらず、数の優位をまるで活かせていません。

 責任者に何か重大な事態が生じたと考えられるにせよ、ここまで動きが遅くなったのは大きなマイナスでしょう。目の前の光景を見ていると、不測の事態が生じた場合でもすぐに組織として対応できるようなリスクマネジメントの価値がよく分かります。言うは易し行うは難しなのですが。

 帝国側の両翼は統一性にかけるとはいえ、攻撃を始めています。帝国側の中央、チキーラ将軍率いる近衛軍団はまだ攻撃を仕掛けてはいませんが急に動きが慌ただしくなっています。

 両翼で敵を包み込むように包囲した後に中央軍で敵を殲滅するという鶴翼の陣で勝負を挑む気なのでしょう。最も両翼は相手を十分包囲するだけ開いておらず、相手の士気が初戦で上がったであろう事を勘案すると厳しい戦いになるかもしれません。

 しかし、いくら大軍であるとはいえ、至るところに連携の不備が見受けられます。諸侯軍は帝国中央から半ば独立しているために指揮系統の統一が難しいのでしょうが、これは帝国軍の弱点として覚えておいたほうがいいかもしれません。


「オレたちも行くか」

「俺はまだ動かないほうが良いと思う」

「そうか? どうしてだ?」


 様子見を続けるべきだという自分の考えに、インペリアは問を発しました。人の目もあるので、自分は極力小さな声で答えます。


「今、俺たちが動いても人間たちは大して評価しないはずだ。人間たちと同じように行動すれば当然奴らは自分たちの方をより評価するだろう。そもそも、俺たちに散々戦わないように言ってきたのは自分たちで戦功を独り占めしたいと思っていたからだ。だけど、人間たちが苦戦しているときに俺たちが戦いに参加して相手を打ち倒せれば、彼らも俺達の事を認めざるをえなくなるだろうからだ……それに、苦戦の色が濃くなった戦いに最初から突っ込むことはないだろう」

「こっちが負けるかもしれないと? つい先までは間違いなく勝てると言っていたじゃないか」

「……間違いなく勝てるといったのは早計だった。自分のミスだ。まさか、帝国側がここまで動きが遅いとは想像もしなかった」


 インペリアの問に自分は渋々誤りを認めます。なんで帝国の動きがこんなに遅いのか理解に苦しむのですが、現実がその様になっている以上、何も言うことができません。

 かなり悔しさを感じます。

 また、この失態はブレインとしての価値があるからこそインペリアは自分を優遇しているわけであり、この様な失態を曝しては彼の中の自分の価値を低下させてしまったことでしょう。

 何とか機会を見つけてインペリアの中で低下したであろう自分への評価を回復させなければなりません。オオオサのインペリアから信頼を勝ち取っているか否かは自分のオーク社会内部における権力の有無を決定します。そして、権力があればその範囲内で自由に立ちまわることができるのです。

 ツヨイが政略や調略といった方向に向いていない以上、代わりに自分がそれを為さなければいけません。自由に動き回れるということの利点はそう簡単に捨ててよいものではありません。


「まあ、オレもこんなことになるとは思わなかったしな……それで、本当に今すぐに戦わなくていいんだな」


 インペリアが再度自分に尋ねてきました。彼が自分に向ける視線は先ほどまでと比べると好意的ではありませんでした。

 自分をブレインとしての価値が低いと判断すれば、わざわざ優遇する理由もなくなる以上、インペリアの態度はその裏の心情も含めて予測可能なものです。

 おそらくは、これが汚名返上の最初で最後の機会となるでしょう。これをしくじればインペリアはもう自分を信用しようとはしなくなるでしょうから。

 この場合、戦うことを進言したほうがインペリアを満足させるでしょう。


 すぐに戦いに参加するという選択をしなければオーク達のインペリアに対する評価は下がる公算が高いです。

 早期に戦いに参加することで他の勢力、つまり帝国の諸侯が多くの褒賞を得たということになれば、みすみすその機会を逃したオオオサに対する不満が高まるでしょうから。

 当然ながら、新参者のオーク達が諸侯たちと同様に活躍したからといって帝国がそれを同等に扱うことはあり得ないのではないかと自分は思うのですが、だからと言って他のオーク達もそう考えて納得するかというと、そうはならないでしょう。それはインペリアの権力基盤を揺るがすことにも繋がりかねず、仮にその様な結果になった場合、彼は自分の事を二度と信用しないでしょう。


 しかしながら、ここで攻撃を仕掛ければ、先ほどまでの中途半端な攻撃で迎撃の態勢を整えた異端軍と正面から相対することになり、それによって被る損害もかなりのものになると見込まれます。この前のように戦わなければ壊滅してしまうという緊急の事態でもなければ、苦戦が予想される戦いに好き好んで参加しリスクを背負うことは極力避けるべきではありません。

 そして、戦って勝利に貢献したとしても、帝国はオーク達を諸侯たちよりも高く評価することはしないでしょう。……出来ないと言うべきかもしれませんが。


 これは帝都にいた時にずっと感じていたことですが、帝国の財政は危機的状況にあるはずです。

 年々上がり続けている税に帝都の臣民は怨嗟の声を上げていました。

 大通りには店じまいした空き家が並んでおり、裏路地に入ると物乞いや飢えた子供、そして餓死した死体が転がっていたのです。

 この前娼館に行った時に自分の相手をした少女――ミントという名前だそうです――が口数少なく話した所によると、昔より食べ物の量が減った事や客の払いが全体的に少なくなっている、と他の娼婦が話していたそうです。そんな中、彼女は何故か客を取っていなかったそうですが、これは彼女の種族がもたらす希少価値と何か関係があるのかもしれません。

 また、帝国が今まで免税されていた聖職者に課税を試みたとテリヤ司祭がこの前話してくれました。結局これは失敗に終わったようで、金ばかり貯めて今の聖職者はけしからん、と自分の立場にもかかわらず何故かテリヤ司祭が帝国の肩を持っているのが印象的でした。

 テリヤ司祭の話を聞く限りではこの出来事の後、教会側は帝国首脳部に不信感を持つようになったようです。帝国をないがしろにして他の諸侯と接近し始める動きもある、とテリヤ司祭は吐き捨てるように言っていました。

 聖職者が業突張りだというテリヤ司祭の意見はさておき、国教を掌握している教会に課税を試みるということは、彼らを反帝国に走らせる結果になりかねないというのは帝国自身承知していたはずです。それにもかかわらずそれを行おうとしたということは既にそうする以外選択肢が存在しないところまで帝国が追い詰められていることを示している、と考えてもそれほど思考に飛躍はないでしょう。


 この前のエンヤ河の戦いのように数の少ないオークだけが圧倒的な勝利を収めた場合は帝国もさすがに褒賞を与えることができました。

 しかし、今回の様に大群同士がぶつかり合い、戦い勝利した場合、財政的な余裕がないはずの帝国に、戦いに参加した諸侯や傭兵たち全てに十分な褒賞を与えられるとは思えません。

 その場合、帝国は諸侯を優先せざるを得ないでしょう。領地を持ち自前で兵を用意することが可能な諸侯と、基本的に戦いの時のみに集まってくる傭兵や、この前の戦いで勝利したにせよ実際の所は弱小種族でしかないオークを比べれば前者を優遇せざるを得ないでしょう。


 その結果、戦ったとしてもオーク達の中では不満が生まれる可能性が高いのです。

 特に先の戦いで思わぬ大金を得たオークたちは前回よりも大きな損害を被りながら得たものが少ないとなれば、憤りや激しい不満を口にすると予想できます。

 この場合、インペリアは正統コーンビフ帝国が自分たちを不当に扱ったと主張することが可能です。彼が自らの権力を守ろうとすれば、必然的にオーク達の不満を逸らすために帝国を批判することになるのです。

 帝国がオーク達に不当な扱いをしているせいで十分な戦功を得られなかった、と主張するというわけです。

 これは必然的にオークと正統コーンビフ帝国との関係を悪化させることに帰結するでしょう。そして、その結果オークと帝国と敵対する事になるかもしれません。


 このことは、今後帝国の権威を利用して勢力を拡大するという自分の計画を不可能にしてしまいます。

 今現在、帝国が傾いていることはよく知っているつもりです。現在帝国が自分たちオークと敵対したとしても直接討伐軍を送ることなど不可能でしょう。

 それでも、その権威は今だに無視できるものではありません。

 帝国が実権を完全に失い、帝国内の諸侯がそれぞれ独立して相互に争う戦国状態になったとしても、権威の重みが軽くなると断定することはできません。

 むしろ、次に台頭する勢力にとって、気の遠くなるような長い時間繁栄を続けてきたロースビフ帝国の後継を自他共に認める正統コーンビフ帝国をどの様に扱うかは、熟慮する必要のある問題なのです。

 少なくとも、帝国内の諸侯は他の勢力を圧倒できる力を持つまで実際はどうであれ名目上は帝国に服従を続けるでしょう。露骨に帝国に敵対する姿勢を示せば他の諸侯に攻撃の口実を与えることになるのです。

 だからこそ、多くは帝国による正当性を得ようとそれなりの努力をするはずです。そして、それをしなければ、周囲に攻め滅ぼされるだけの口実を与えてしまいます。口実を与えるということはつまり殆どの場合、実際に侵略され攻め滅ぼされるということです。


 そんな中、その帝国と弱小勢力であるオークが敵対すれば勢力拡大はほぼ不可能でしょう。

 勿論、他の諸侯がお互いに激しく争い、自分たちに構っていられないような状態が生じれば、その隙にオークは勢力を広げることも不可能ではないかもしれませんが、その可能性はとても低いのです。

 そもそも人間たちにとって自分たちオークは共通の敵という認識があります。

 そして、オークが人間の敵であるということになれば、帝国領土の大半を現在占めている勢力全てを敵に回すことになってしまいます。絶対数で人間たちに劣る以上、それだけは絶対に避けねばなりません。

 だから、オークたちはむしろ帝国に寄り添い、帝国の権威と正当性の下で勢力の拡充を図るしかない、と自分は考えているのです。

 そのためには、オーク社会の世論を反帝国に傾けてしまうような自体は避けなければいけませんし、同時に帝国側がオークたちにある程度好意的、少なくとも敵意を向けていない状況を作らなければいけません。

 何が最善なのか。それほど考える時間もありません。自分は目を閉じると、息を吸って吐き、そして目を開けてインペリアに向かって答えました。


「勝手に戦うべきではない。俺はそう信じる」

「……」


 自分の言葉にインペリアは決していい顔をしませんでした。

 彼自身はこのまま戦いに参加することを望んでいるのでしょう。

 しかし、それでも、彼は部下を呼びつけると、合図をするまで戦わないように厳命しました。

 伝令のために足早に去っていくインペリアの部下を視界の隅に入れながら、自分はインペリアを見据えました。

 褐色の皮膚を持つ巨体のオークは冷然と自分を見ていました。


「……もし、俺の判断が間違っていたら、その時は俺の責任だ」

「ふん、舐めるなよ、小僧。キサマの意見は聞いたがこの決定はオレがしたものだ」


 インペリアはそう言うと視線を両軍が激しく激突している戦場へ目を移しました。


 戦いは急速に激しさを増していました。

 帝国側の右翼及び左翼の軍団が異端軍と衝突し、激しい戦いを繰り広げています。また、帝国の中央軍、正統コーンビフ帝国直属の近衛軍団も突撃を開始しています。

 これに対して異端軍側は若干後退を行いながらも全体が広がるように布陣して突撃してくる帝国側の兵士たちに矢を放っています。

 遠目で見る限りですが、異端軍の矢は恐ろしい射程距離を持っている様子です。

 彼らが放つ矢の飛距離は、自分たちが相手にしていたサモーン公爵軍のそれの倍はあるでしょうか。その威力も相当なものであるようで、甲冑に完全に身を包んだ騎士が弓に射られたのか次々に倒れていきます。

 遠目なのではっきりとは分からないのですが、そもそも弓の構造自体が帝国のものとは違う様子です。サモーン公爵軍を始め帝国で使用されている弓矢は肩幅程度の長さの弦を持ち、バネを止める機構が装置自体に付いており、片手でも矢を放つことが可能です。

 これは極めて扱いやすく、携帯性にも優れているためオークたちも戦利品として狩りや戦いに愛用しています。

 これに対して、どうやら異端軍が使用しているそれは身長にも匹敵しかねない長さの弦を持つようで、構造はより単純ですが、正確に射るために必要な訓練の量は帝国のそれを上回るのではないかと思われます。また、携帯性も劣っているでしょう。

 しかし、その分その威力と飛距離には格段の差がある様子です。

 木製の盾程度で容易に防ぐことができる帝国の弓矢と異なり、鉄の鎧ですらも貫くとは尋常ではありません。

 また、弓だけではなく矢にも違いがあると思われます。異端軍側の矢は鎧を貫いている以上、おそらく完全な鉄製でしょう。これに対して、帝国で用いられる矢は先端の鏃にのみ鉄を使いますが、胴体部分は木材を使用します。これは矢のコストを下げる点と、軽量であるために携帯性が向上する点においてメリットがありますが、異端軍の矢と比べるとその破壊力は遥かに劣ってしまいます。

 しかし、武器にこれだけ差があると、もはやまともな戦いは成立しないのではないかと思ってしまいます。

 実際に異端軍側が異常な勢いで連勝を重ねたというのも無理はありません。それどころか極々普通の帰結ですらあるでしょう。


 仮にですが、先のエンヤ河の戦いでもしこの弓矢を一方的に射掛けられていたら自分たちオークに勝機はなかったでしょう。アウトレンジから防ぐことの出来ない攻撃が行えるのですから。

 ですが、あの戦いでは異端軍は弓矢を使用して来ませんでした。

 これは想像ですが、異端軍側は急襲を行うために、携帯性に劣るこの弓矢を運用することが出来なかったのでしょう。その点で、自分たちオークは幸運でした。

 今更ながらに、先の戦いの勝利が如何に薄氷の上に成立していたかを思い知らされます。

 異端軍側には急襲を仕掛けずとも帝都の城壁からのこのこ這い出てきた部隊に兵を差し向けて、真正面から打ち破るという選択肢もあったのですから。


 そして、兵器の威力に目を囚われがちですが、何よりも恐ろしいのは戦線を維持できなくなっての退却中にもかかわらずこの圧倒的な兵器を運用することが可能な異端軍側の兵站でしょう。

 異端軍側が使用している矢が帝国で作られているとは考えられない以上、彼らは大量の鉄の矢を海運により輸送しているということになります。

 戦いの後に、多少の矢は再利用しているのかもしれませんが、それでも多くは東方の本国から運んでいるとしか考えられないでのす。

 テリヤ司祭の話によると、この時期、異端軍の本国である東方諸国から帝国への航海に掛かる時間は帆船だと平均的に5日ほど、逆に帝国から東方に向かう場合は潮流の関係で(とテリヤ司祭は言っていました。帆船の話なので恐らく風向きの影響のほうが大きいはずなのですが)、倍程度の時間がかかるそうです。

 軍艦ならばこれに漕ぎ手によって風向きの影響なく進むことも可能でしょうが、それでも往復にかかる時間はかなりのものになるはずです。

 加えて、内陸に進軍を続けていた異端軍に補給をするためには港から陸路を利用して食料、水、矢などの消耗品を主とした物資を運ばなければいけません。この過程で、当然ながら敵や賊に物資を奪われたり、兵站を担当する人間が物資を着服したり、などといった様々な問題も生じるでしょう。

 さらに、この兵站を成立させるために必要な資金と労力は途方も無いものになるはずであり、異端軍はそれを可能にするだけの財政的、人的な余裕を持っていると言う事になるのです。


 この様な事を考えると、異端軍と正統コーンビフ帝国の力の差は明らかに前者が優っています。

 しかし、それでもなお、異端軍が撤退に追い込まれたという事実は、拠点からの距離がもたらす様々な困難が如何に大きいかを物語っている、と言えるでしょう。

 先ほどの戦いにおけるオーク達の勝利は一つ大きいものでありました。あの勝利が異端軍に撤退を決断させた直接の要因であることは我々オークの功績として誇っても良いかもしれません。

 しかしながら、その戦い以前から異端軍は撤退を考えていたようなのです。

 これははっきりと聞いたわけではありません。

 ですが、チキーラ将軍の発言や手紙などには水面下で異端軍と帝国が交渉を重ねていたということが仄めかされていました。

 結局のところ、異端軍は軍事力や輸送能力、戦術において帝国を圧倒しておきながら、兵站の維持と言う問題に足を屈せざるを得なかったという事なのでしょう。そして、拠点防衛にあたる側の正統コーンビフ帝国側が如何に有利であるかということを示しているのです。

 だからこそ、オークが自分たちの国を創るためには自給自足が不可能な山間部ではなく平野部に自分たちの拠点を持たなければいけないのです。拠点を持たなければ軍事力を維持する所か、戦いを続けることも不可能となってしまうのです。


「これは大丈夫なのか」

「え?」


 自分が考え事に没頭していると、インペリアが不意に声を発しました。慌てて戦場を見ると、明らかに帝国が異端軍に押されている様子が見て取れました。

 よくよく見ると、帝国側の両翼を担っていた諸侯たちの軍団が異端軍の左右の軍団に押される形で帝国中央の進路を塞いでいました。そのため、折角の精鋭軍団である中央軍の近衛軍団が全く戦闘に参加できていません。むしろ、陣形が崩れている両翼の諸侯軍に押される形で後退を余儀なくされていました。

 素人目にも非常に拙い陣形です。本来持っていたはずの数の優位がまるで生かされていません。

 しかし、一方で異端軍も両翼が突出するのみで、中央の部隊が動いていません。結果として帝国側の両翼は何とか異端軍の逆襲に耐えているという状態です。


「大丈夫、というのは帝国が負けないかということか?」

「そうだ」

「それなら、帝国が負けることは無いだろう。異端軍は元々撤退するつもりだったようだから、結局この戦いはどれだけ、帝国が連中を倒せるかというだけのものだった。まあ、帝国の失敗でそういう状況ではなくなったけど、だからと言って、異端軍がここで勝利したとしても帝都まで再び攻め込めるだけの余裕はないだろう」


 本国からの距離を考えれば今の状況から帝国の敗北、というか異端軍の勝利はもはやあり得ないのです。仮にこの戦いで帝国側が敗退して勢いづいた異端軍が再び帝国を倒そうとしたとしても、兵站を保てないが故に敗北するしかないでしょう。これだけ大規模な軍を維持するために必要な食料が現地調達できない以上、遠征を続ければ彼らは飢えるしかないのです。

 異端軍にごくごく普通の先見の目がある人物がいれば間違い無く撤退を選択するはずです。


「……ずいぶんと自信満々だな。本当に大丈夫なのか?」

「仮にここで帝国が負けたとしても最終的に異端軍は撤退せざるを得ないさ。むしろ、ここで帝国側が敗退すれば、帝国にとって奴らに唯一勝利した俺達オークの価値が上がる。それはむしろ望むところだ。まあ、そう上手くは行かないだろうけど……恐らくここで勝とうが負けようが異端軍は撤退するだろう。まあ、どの道、チキーラ将軍が何かを言ってくるまでは動かないほうが得策だ」

「ふん。まあ、オマエがそう言うならいいだろう」


 インペリアはそう言うと戦場に目を向けたまま黙りこみました。帝国側の中央軍が新たな動きを見せています。どうやら一部の部隊に戦場を迂回させて、異端軍を左側面から突こうとしている様子です。

 そうすると、右後方の自分たちオークにも出番が来たかもしれません。反対側からも攻撃をするというのなら戦闘を始めてしまっていて自由に動けない諸侯たちよりも自分たちオークのほうが適任なのですから。


 案の定、伝令の早馬が自分たちの方に坂を駆け登って来ました。自分達の前で馬を止めるとこちらを見下ろしながら高圧的な態度で命令を伝えてきました。


「チキーラ将軍のご命令だ! 直ちに貴様らは迂回して異端どもを右側から突き崩すのだ」

「さっきまでさんざん戦うなといっておきながら、随分と意見を変えたんだな」

「き、貴様!! 文句を言ってないでとっとと動かんか!」


 インペリアが伝令に挑戦的な態度を取りました。伝令は怒りの表情をあらわにしています。慌てて、自分は両者の間に入りました。

 インペリアは怒りの目を自分にも向けてきますが、ここで引き下がるわけには行きません。

 オークは帝国首脳部と友好な関係を築くべきである以上、ここは従順な振りをしておくべきなのですから。

 こちらを馬鹿にしたような視線を向けるチキーラ将軍の伝令に、そんな顔をする余裕があるのかと問いかけてみたいという誘惑をこらえると、自分は手短に早急に命令に従うと答えました。

 自分の返事を聞くと、伝令は最後まで自分たちを見下した態度で馬を返して去って行きました。


「っう!?」

「なんのまねだ、テメエ。勝手に話を決めるんじゃねえ」


 伝令が去っていったその直後、インペリアに振り向いた自分の胸ぐらを彼は掴み上げると、低い声で尋ねてきました。

 目には怒りに満ち溢れています。


「っ、さっきの場で断っても俺達の立場が不味くなるだけだ。さっさと答えておいた方がいい、ぐっ!?」

「それがどうした! アイツら人間どもになめたまねをされて笑っていろとでも言うのか!!?」

「連中は俺たちが先の戦いで大勝利したにもかかわらず、相変わらず俺たちをまともに認めようとしない。だからこそ、連中にそのまま勘違いをさせておいた方がずっと得だ……っつ」


 インペリアは自分を投げ飛ばすと、続きを述べるように促しました。


「人間と戦うことはいつでもできる。だから、戦うまでは大した連中じゃないと思わせて油断させておいたほうが良い。それに、どの道俺達も戦うことになったはずだ。ならば、わざわざ今は味方の連中と仲違いする必要もないだろう」

「……ふん! 分かった、いいだろう……オマエの行動は認めてやる。だが、勘違いするなよ。オレはアイツらをゆるしたわけじゃないからな」

「……そうだな、連中とはいずれは戦うことになるだろう。だが、まだそれは先の話だ」


 オークが自分たちの国を創るためには、帝国の領土を奪うしか方法がありません。だから、いつの日か自分たちが勢力を拡大し帝国が無視できなくなった時には帝国と争う事になるでしょう。

 ですが、オークがまだ弱小である以上、帝国に反感を抱く諸侯が増えている現状ではむしろ帝国に服従の姿勢を見せて、帝国の大義名分のもとで勢力を広げるべきだと思うのです。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 インペリアとともに坂を駆け下りた自分の前には既にオーク達が武器を持ち、食料などの物資をまとめて戦いの準備を終えていました。


「あの帝国のグズヤロウがとうとうオレたちに戦えと言ってきた。準備はいいか、テメエラ!!!」

「「「うおおおおぉぉぉ!!!」」」


 インペリアの威勢のよい叫びにオーク達は一丸となって雄叫びを上げました。その中で一際大きい叫び声を出したのがツヨイでした。

 オオオサであるインペリアと二人きりで話すということで予想以上に疲れたのか、離れていた時間は決して長くないにもかかわらず、自分はどこかほっとしていました。

 相変わらず単純なところがある自分にほとほと嫌気が差しますが、それを好ましいと感じている自分もどこかにいます。

 何となく小恥ずかしさを感じた自分は、吶喊の声が収まるのを待って、軽く手を振ってツヨイに合図しました。

 ところが、ツヨイは自分の合図に気が付かなかったのか、何の反応も示さずにインペリアの方を見ています。


「これから、オレたちは大きく右回りに進んで、敵のどてっぱらをぶちのめす!!! 一番駆けをしたヤツには『タタカウモノの名誉』をやろう!!! テメエラもこの前のこのブータのようにタタカウモノの名誉を勝ち取ってみせろ!!!」

「「「うおおおおおおおおおおお!!!!」」」


 インペリアの演説に一際大きい歓声が上がりました。

『タタカウモノの名誉』がこの戦いで先陣を切ったものに与えられるというインペリアの言葉に、全てのオーク達が沸き立っています。

 この『タタカウモノの名誉』はオーク社会において最高の称号とされています。

 その価値はオーク社会に属していない者には理解のしがたいものかもしれません。

 この称号は戦場の最も危険な場所で最も勇敢に戦った者に与えられるものであり、その理由故に生きていながらこれを持っているものは極めて稀です。

 さらに、この称号による直接的、政治的な特典などは一切ありません。

 しかし、それが故にオーク社会では最も尊いものとされています。

 その為に、オオオサに選出の際にはこの称号の有無は一考されるほどであり、オーク社会で頂点を目指す者にとって無視できない褒賞なのです。

 戦いがこの称号を与えるに相応しいかはオオオサが決定しますが、この称号を与える際には今回のように事前に全員に何をすれば称号が与えられるかをはっきりと宣言しておくことがほとんどです。

 これは、この称号は公平かつ公正に与えられるものでなければいけないという考えがオーク社会にはあるが故です。そのため、この称号を与える条件は、誰でも得られるチャンスがあるように設定されなければいけません。

 オオオサの立場に立てば自分の部族のものにこの称号を独占させたいと考えるのが自然ですが、実際にこの称号を褒賞として示す際には、むしろ自分たちの部族にハンデを負わせるといった配慮が求められるのです。

 それでも、当然というべきかオオオサの部族の一員がこの称号を得ることは多いのですが、これがあまりに露骨で限度を越えるとインペリアの前任者のように他の部族のオサ達によって排除されてしまうのです。


「すすめぇ!!!」

「「「うおおおおおおおおおおお!!!!」」」


 インペリアの叫びとともにオーク達は我先にと駆け出しました。先頭を走ることが『タタカウモノの名誉』を得るために必要なのですから当然です。目の前に人参をぶら下げられた馬のように全員が必死に走っていきます。

 自分も集団に遅れないように走りました。先頭には遠くからでもツヨイの姿が見えます。


 左手前方では、今なお激しい戦闘が続いている様子が見えました。

 オーク達はその周囲を走っています。自分たちに気がついたのか異端軍は迎撃のための部隊を繰り出そうとしている様子です。

 その中には先ほど遠目に見た恐るべき弓を持った弓兵部隊がいました。

 数は百程度で、通常ならばこの規模の弓兵は数と勢いで押し切ることができます。しかし、この弓兵部隊はサモーン公爵領などで相手にしてきたそれと比べ、遥かに長い射程を持ちその威力も比べ物にはなりません。


 不味い!!


 来るべき脅威に思わず自分の足は竦みました。あの矢の飛距離なら、こちらが十分に接近する前から必殺の矢を雨あられと降らせることが可能なはずです。

 先ほどの戦いで唯一異端軍に土をつけた自分たちオークを彼らは恐れるかもと期待していたのですが、目論見が外れました。

 防ぐ手段はありません。

 引くか進むか。

 判断に迷い一瞬足を止めた自分を押しのけるようにして、無数のオーク達が自分を抜いて異端軍に突撃を仕掛けて行きました。


「っ! くそったれ!!」


 考えるまでもなく、ここまで来たら引き返す選択肢はあり得ません。

 多少の犠牲が出たとしても、勢い良くぶつかれば異端軍を動揺させることもできるのでしょう。

 そう信じこむように自分を励ますと、再び自分は駆け出しました。

 前方の視界を埋め尽くして走り続けているオーク達のすきまから、辛うじて見えた異端軍は既に矢を構えていました。


 その時、後ろから強い衝撃を受けて自分は左方向に倒れこみました。

 恐らくは、粗暴なオークが自分を押しのけて前に出ようとしたのでしょう。

 しかし、そのオークは自分を抜き去ることはありませんでした。異端軍が放った矢の一本が目の前に居たオークの頭部を吹き飛ばし、自分を突き飛ばしたと思われるオークの腹を容易く貫いていました。


 起き上がって周囲を見ると多くのオーク達が足を止めて棒のように立っていました。異端軍の放った矢の数は決して多くはありませんでした。死者も大した数ではありません。それでも、命中すれば体ごと吹き飛ばすような矢の威力は褒賞に目が眩んでいたオーク達に恐怖を覚えさせるには十分な効果を持っていました。


「おびえるな!!! すすめえぇ!!!」


 インペリアが声を張り上げていますが、オーク達の動きは緩慢でした。異端軍の弓兵達が次の矢を弓につがえようとしています。

 次に弓が放たれればオーク達は総崩れする可能性があります。不味い、と思いますが既に自分にできることはありません。


 その時、一人のオークが異端軍の弓兵部隊に躍りかかりました。

 ツヨイです。

 ツヨイはたった一人でありながら、あれほどの威力を持った弓矢で武装した百を相手に怯む様子も見せていません。


「ツヨイ!!!」


 叫ぶと同時に思わず自分は走り出していました。

 自分がいたところで何かができるわけではありません。それでも、自分の足は止まりませんでした。

 ツヨイがたった一人で危機にあるならば、せめて自分も。後から思うと、その時自分はそう考えていたのかもしれません。


「ウルアアアァァ!!!」


 ツヨイの振るう剣が陣を構える弓兵の一角をなぎ倒します。

 その凄まじいまでの粉砕力に敵は明らかに動揺を見せました。

 その隙を逃すことなく、ツヨイは司令官と思わしき人間に向かって障害となる敵兵をなぎ倒しながら一直線に進んで行きました。

 敵兵が慌てて彼らの言葉で何か叫び声を上げていました。ちくしょう、とでも言う意味合いではないかと思います。

 味方殺しを恐れた敵兵は弓を捨てて、抜刀してツヨイに挑みかかりました。

 ツヨイが両手で剣を握り、挑みかかってくる敵に対してその並々ならぬ膂力で剣を水平に振りぬきます。尋常ならざる力で振りぬかれた剣は敵兵一人では止まらず、まとめて敵兵三人の体を鎧ごと文字通り真っ二つにしました。

 あまりの出来事に敵兵が唖然としている僅かな間に、ツヨイは司令官に詰め寄ると袈裟懸けに切り倒しました。

 敵弓兵は明らかにパニック状態に陥っていました。

 その様子に勢いを取り戻したオーク達が一斉に攻撃を仕掛けます。

 ようやくパニックから復活して、接近戦のために慌てて弓を投げ捨てて剣を抜こうとしている人間たちに自分たちは十分な余裕を持って攻撃を仕掛けました。

 それほど時間をかけることなく敵弓兵部隊を壊滅させたオーク達に休む時間も与えずに槍を構えた異端軍の歩兵が突撃を仕掛けてきました。

 その後ろには膨大な数の敵がほとんど無傷で存在しています。

 初戦の勝利で血に酔ったオーク達は本能のままにこれの迎撃を試みます。

 口々に己を鼓舞する叫び声を上げると剣や槍を構えて敵に突撃していきました。

 異端軍も必死にこれを受け止め、跳ね返そうとしてきます。


 戦いは混戦の様相を示し始めました。敵味方が入り乱れ、視界の至る所で武器と武器とを激しくぶつけ合っています。

 誰もが目の前の敵を倒すことに必死で、全体が今どうなっているかなど碌に考える余裕はありません。


「アアアァァァ!!!」

「っ!?」


 頭を掠めた疑問によって生じた自分の硬直を吶喊の声を上げる敵兵の剣の軌跡を何とか防ぎます。

 焦燥感が身を焦がしていました。

 全体としては異端軍の方が数で劣るのですが、この局所戦ではオーク達に対して異端軍が数で圧倒的に優っています。

 現状で、オーク達が何とか互角に戦えているのは、帝国が全体攻勢を仕掛けているがために異端軍に兵を集中するだけの余裕が無いからだと考えられます。それ故に、帝国側の他の軍団が撤退するようなことになれば、異端軍は全力を上げて自分たちを叩き潰すでしょう。

 だからこそ、適切な次の行動を決めるためにも、この戦いが現在どうなっているのかは常に把握しておかねばなりません。

 しかし、現状は目の前以外の何処で戦いが起きているのかですら分からないのです。

 それはつまり、異端軍側が何らかの理由で、オーク軍に兵力を集中すれば、自分たちは壊滅するしかないという事になります。


「うあああ!!!」


 頭に浮かんだ全滅の文字を打ち消すように自分は声を上げると剣を振りかぶりました。

 まずは、敵味方が入り乱れて引っ切り無しに戦っているこの戦場を生き延びねばなりません。

 その後の状況がどうなろうとも、今の自分の立ち位置では選択する余地などないのですから。


 余計なことは一切考えず、ただ剣を振るいました。

 自分の振るった剣は相手の突き出した槍を地面に叩きつけます。

 槍を落とした敵が剣を抜こうとしますが、抜き終わる前に自分の振り下ろした剣が敵を地に叩き伏せました。再び既に刃が潰れているのか、剣が相手の体に当たってもろくに切れませんが手に骨を砕く感触が残っています。

 その直後、休む間もなく、切りかかってくる敵の攻撃を剣で受け止めました。半身を引いて、相手の剣を流して剣を横に振りかぶり、剣を大きく上に振りかぶった敵の脇、鎧のすきまを狙って振りきりました。

 剣の重量と勢いにより敵の鎧は確かにひしゃげました。が、相手の人間は尚も戦意を失わずに剣を振り下ろそうとしています。

 剣を捨てて、必死に躱そうと試みます。

 無理な動作と足元の凹凸でバランスを崩した自分はその場で転んでしまいました。

 動きが取れなくなった自分に対して、敵は剣を引き、その切っ先を真っ直ぐに自分に向けました。

 自分は咄嗟に地面に転がっていた棒状のものを掴んで構えました。

 敵の突きは、自分の構えた棒に当たりわずかに軌跡を変えると自分の首筋のすぐ横を通過します。

 危機一髪の回避に安堵する間もなく、敵は突きを放った勢いのまま、自分にのしかかってきました。


「カハッ!!!」


 腹部に叩きつけられるような衝撃が加わりました。

 敵が自分の首を片手で押さえつけます。

 必死に手を振り払おうとしたその時、視界に短剣を抜きはって逆手に構える敵の姿が映りました。

 短剣を自分に突き立てようとする敵の動作は何故か酷く緩慢なものでした。


 ――ここまでか


 避けられない死を予感したその時、自分の脳裏にはこれまでの記憶が一瞬、鮮明に蘇っていました。


 ――チキーラ将軍から話を聞いている。……そなたはこの戦いについて知見を持っていると。率直に答えてもらいたい。この戦い、どうするべきかを


 ――はっ、私が愚考致しますに、帝国は即刻異端軍共に攻撃を加え、これを撃滅するべきかと


 ――何を言ってやがる。他の人間の軍が何処にいるってんだ?


 ――サモーン公爵軍が戦っている相手がいるだろう?


 ――俺だけじゃだめだ。俺は目の前の敵を倒せるけど、遠くを見れない。お前は遠くを見れるけど、目の前の敵は倒せない。だから、二人じゃないとだめなんだ。ヨワイ、俺たちは人間には勝てないって言ったよな。だけど、――


 ――俺たち二人なら勝てるはずだ、できるはずだ。人間たちに負けない王国をつくることが!!


 ツヨイ……


 すまない……俺は、ここまでの様だ……


 自分が死を覚悟した瞬間、敵兵の体が横にぶれました。オークが放った槍が敵兵の首筋を貫いていました。


「ッ!!」


 自分が助かったと言う事に思い至った瞬間、自分は慌てて立ち上がりました。

 戦いはまだ続いています。

 油断していると折角拾った命を簡単に落としてしまうでしょう。

 自分の命を間一髪で救ったオークに一言でも礼を言おうと、姿を探しましたがその姿はすぐに他のオークや人間の兵士たちによって見えなくなりました。


「オオオオォォォ!!!」


 吶喊の声とともに武器を振りかぶる人間から慌てて距離を取ると、自分は地面に転がっている槍を掴みとりました。先ほど地に叩きつけられた折に、使い慣れたナマクラ剣は何処かに行ってしまいました。

 失くして惜しがるような物ではありませんが、新しく手に収まった槍の感覚には確かに多少の違和感がありました。


 惜しがるほどの物ではありません。

 むしろ、刃がほぼ潰れていたあの剣を欲しがる者はオークにすら、いないのではないでしょうか。

 しかし、自分はあの剣を使い続けていました。

 そもそも、剣などというものは一回切ると切れ味が低下するものです。

 刃の鋭い剣はかなり貴重ですが、研磨により鋭さを回復する技術がオークたちにない以上、切れ味があろうがなかろうが一回の戦いを終えただけでどんな剣でも同じようにナマクラになるのです。

 それでも、自分はどこか喪失感を覚えていました。

 ろくに敵も切れないただの鉄の棒ともいうべき剣でしたが、それでもここ数年間、常に自分と共にあったのです。


「ジャアア!!!」


 横薙ぎに振られた剣を自分は槍の柄で受け止めました。

 戦い、生き残っていくためには失ったものを省みる暇などありません。

 感傷になど浸っていては、たちまちの内に死んでしまうでしょう。

 ただ前に、進み続けなければその存在を保つこともできずに潰えてしまうでしょう。

 だから、何を失おうとも、自分は前に進まなければいけません。


 ――ツヨイと約束した夢を現実のものとするために。


「ハアア!!!」


 剣を再び振りかぶった敵に自分は槍を投げつけると地面に突き刺さっていた剣を抜き、鎧の隙間である首を狙って体重を乗せて突きました。

 随分と切れ味の良い剣だったのか、剣は相手の首を容易く貫きました。

 鮮血が飛び散り顔にかかります。

 それを無視して、自分は素早く剣を引き抜くと近くにいた人間に向かって行きました。


「アアアアアァァァ!!!」


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ひたすらに咽返るような血の匂いの中で剣を振るっていると、ようやく、異端軍は引き始めました。

 敵が逃げ始めた。

 それを認識した途端、自分の身体は意志に反して地に倒れこみました。


「あ、れ?」


 立ち上がろうとしても、身体がガクつくばかりです。

 体の節々がじわりと痛みました。出血しているのか頭頂から血が流れてきました。

 致命傷を負った記憶はないのですが、どうやら積もったダメージは予想以上に大きかったようです。

 体を引きずるようにして上半身を上げて前を見ると、撤退を始めた異端軍を追うオーク達の姿が見えました。


「く、……そ」


 起き上がって、彼らを追いかけようとしました。ですが、体は起き上がることなく、自分は意識を失いました。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 目が覚めた時、真っ先に目に入ってきたのは焚き火の明かりに照らされたツヨイの姿でした。

 鼻を盛大に鳴らして、いびきをかいています。

 呑気にも座ったまま居眠りをしている様は、先ほどの戦いで三面六臂の大活躍を見せた人物と同一とは思えないほどです。

 思わず、小さく笑ってしまいました。


「んあ……ブータ、目が覚めたか」

「さっきな。戦いはどうなったんだ? 俺は途中で意識を失っていたと思うけど」

「ああ、なんだか分からない内に終わったな。結局敵には逃げられたし……人間の連中には追いかけていったヤツラもいたけど、失敗したみたいだ」


 ツヨイの説明に自分はそうか、とだけ答えると、これからについて思いを馳せました。

 ツヨイの言によれば、正統コーンビフ帝国はとうとう異端軍から勝利を得ることなく取り逃がしたということです。

 帝国はとうとう異端軍に一矢も報いることができなかったのです。

 この失敗に因る権威失墜を免れることはないでしょう。

 そして、その時こそがオークを帝国に高値で売り込むチャンスでもあります。

 諸侯は帝国に反感を抱くようになっているようですし、帝国単独で問題に対処することが不可能である以上、オークが協力するといえば、その勢力の拡大を否定することは困難なはずです。


 それと同時に、オーク社会内でツヨイが権力を確保する必要もあるでしょう。人間と深い協力関係を築きながら勢力を拡大していくためには、自分たちが強力な決定権を握ることが必須となりますから。

 以前からそれとなく他の部族に接近していましたが、ツヨイをオオオサにするための計略をいよいよ本格化させるべきでしょう。


「ブータ……」

「ん、どうしたんだ、ツヨイ」


 色々なことを考えて黙り込んでいると、ツヨイが話しかけてきました。


「この戦いでオレがタタカウモノの栄誉を得た」

「そうか、おめでとう」


 ツヨイの言葉に自分は心から賛辞しました。ツヨイが『タタカウモノの栄誉』を得たことは喜ばしいことです。

 近日の内に部族のオサはツヨイになる予定です。

 今回、タタカウモノとして最高の称号を得たことで、ツヨイはオサとして最年少でありながら、部族会議で強力な発言権を得ることができるはずです。

 これを利用して、インペリアに冷遇されている部族に手を差し伸べることで、ツヨイはオーク社会内で大きな支持――インペリアに対抗できるほどの――を受けることができるでしょう。

 もちろん、このような種類の支持基盤は短期的に失われてしまうものですから、これを利用するのならば短期的に決着を着ける必要があります。比較的まともにオオオサとしてオーク全体を取りまとめているインペリア相手に不満を覚えている派閥から安定した支持を得るなど不可能ですから。

 ですので、インペリアに挑戦するタイミングは慎重に確実に勝てる瞬間でなければならないでしょう。仮に事を実行して失敗すれば、もはやインペリアは自分たちを生かしては置かないでしょうから。


「ブータっ! オレは……」

「ん……?」


 ツヨイはどこか思いつめた様子です。

 一体どうしたのか、自分はそう尋ねようとしましたが、その直前にツヨイが自分に向かって話しだしました。


「オレはオオオサになってやる。だから、インペリアなんかと仲良くしなくてもいいじゃないか」

「え……?」

「オレのほうがずっと長い間オマエと一緒にいたんだ。なんだって今更あんなヤツに。オレのほうがアイツより強いんだぞ」


 ツヨイの思わぬ言葉に自分は間抜けな言葉を返しました。

 そもそも、インペリアと仲良くした記憶はありません。

 まあ、よくよく過去を振り返ってみると傍から見ればそういう解釈が可能な面があったかもしれませが、まさか、ツヨイにそう思われていたとは心外の極みです。


「俺はそもそもインペリアと仲良くしたつもりはないぞ」

「……おい、ヨワイ。今更嘘ついてんじゃねえよ」


 自分の言葉にツヨイは不機嫌な様子を見せました。その目には怒りすら浮かんでいました。

 どうも、自分の言葉をまるで信じていない様子です。


「……そもそも、俺がインペリアに取り入っているなんてどうしてそんな事を思ったんだ?」

「今までの行動を見ていればそんな事ははっきりしているだろ。アカイの連中もだからあんなにお前に怒っていたんだ」

「……」


 ツヨイの言葉に自分は唖然としました。ツヨイに信じられていないのはかなりショックです。

 ただ、ツヨイにインペリアとの関係を疑われていたという話ならばまだ納得できます。ツヨイをオオオサにするための謀略や今後の人間とオークの関係を築き上げるために今はインペリアと接近しておいたほうが得策である、という理由があったにせよ、傍から見れば、権力者に接近する小賢しい腰巾着と見なされても無理なからぬ話です。というか、そう周囲に認識させること事態が今回必要でした。

 しかし、まさかツヨイがアカイなんかの言葉を理由に上げてくるとは思いもしませんでした。部族内で、というより他の誰よりもツヨイの信頼を得ているという自負が自分にはありました。

 だから、他の有象無象の連中の話を信じて自分を糾弾してきたということを理解したとき、自分が感じた喪失感や失望感は並々ならぬものでした。


「ツヨイは俺よりもアカイの言葉を信じるのかよ」

「そんな事は言っていないだろう。ただ、連中はオマエがオレたちを裏切ってインペリアにベッタリだと思ってるんだ」

「俺が聞きたいのはそんな事じゃない。お前が、ツヨイが、そんな話を信じているのか、いないかだ!」


 自分の剣幕に若干ツヨイは狼狽えた様子を見せましたが、すぐに胸を反らせると答えてきました。


「なら、オマエのやっていることは何なんだ。オレにはオマエよりもアカイたちの方が正しいように思えるぞ!」

「っっ!!!」


 ツヨイの糾弾に、自分の自制心は吹き飛びました。怒りあまりに一瞬、言葉も出てきません。


 気が付くと自分はツヨイに地面にうつ伏せで押さえつけられていました。動こうとしても両腕をツヨイの強靭な手で押さえつけられてはどうしようもありません。何とか振り返ると顔に引っかき傷を負ったツヨイが怒りの目で自分を睨みつけていました。


「ヨワイ、テメエ……」

「巫山戯んな!! 俺はお前の夢を叶えるためにずっと頑張ってきたんだ!! インペリアと仲良くしていたのはお前をオオオサにするためにアイツを上手いことしないといけないからだ!! お前がオオオサになるなんてのは、お前の夢を叶えるための最初の一歩でしかないんだ!! タタカウモノの栄誉なんてそんなものはくだらないガラクタじゃないか!! 俺たちは人間たちに俺たちを認めさせなきゃなんないんだ!! 人間たちと俺たちがとりあえずどういう風に付き合っていくのかだって考えなきゃいけない。俺たちがどういう風にやっていくのかも考えなきゃいけない。ただオオオサになるなんて単純なことしか考えていないようじゃダメなんだ!!! だから、俺はお前の夢を叶えるためにどうしたらいいかをずっと考えてきて、そのために必要だと思うことをやってきた……なのにいまさら、いまさら、お前は俺を信じないっていうのかよ……」

「ヨ、ヨワイ……」


 視界が涙で滲みます。

 声がかれるまで叫び続けた自分は、拘束を弱めたツヨイの手を振りきって、逃げるように走り出しました。

 悲しくなどありません。

 ツヨイと、いやオーク達と自分とではまるで物事の見方や考え方が異なっていることは解っていました。いまさら、その事実を改めて突きつけられたところで動揺などするはずがありません。

 それは、極々当たり前のことです。


 オーク達が数人ずつ集まって、焚き火をしているその隣を自分はひたすらに走ります。今回の戦いではオーク達の被害もそれなりにあったのか、地に伏せてうめき声を上げている者もちらほら見かけました。

 それでも、戦いが終わってオーク達は陽気に歌って踊っています。


 ただ、自分が悔しいと感じているとすれば、それは、ツヨイがどんな時でも自分のことを信じていてくれるという思い込みが裏切られたからでしょう。

 随分と身勝手な思い込みです。

 どんな事をされてもなど無制限に他人を信じるなど、聖人君子でもできるわけがありません。

 ツヨイは自分の親友ですが、同時に模範的な普通のオークです。少なくとも思想や着想、思考能力においては他のオークたちと同等です。

 それに対して、自分は彼らとは全く違う記憶を持ち、全く異なる思想に基いて行動しているのです。

 それにもかかわらず、ツヨイが自分の考えを全て理解してくれるなどという考えが正しいのならば、異文化間で対立が生じることなどなくなるでしょう。

 そもそも、同じ文化で暮らしたどんなに親しい人間同士でさえ本当の意味で理解し合えることなどあり得ないというのに、自分は身勝手にもツヨイにそれを求めていたのです。

 ツヨイのため、などと嘯いていましたが、理解しようのない行動でも無条件に信じることを求めるというのはただの身勝手でしかありません。

 そして、仮に、自分の身勝手を満足する相手がいたとすると、そんなものは親友とは呼べません。自分の行動に追従するだけの対象は奴隷や人形であって、断じて友と呼べる存在ではないのです。


「くそっ……馬鹿か、俺は」


 オーク達の集まりを抜けたのか気が付くと周囲には誰もいませんでした。

 焚き火の明かりもなく、視界の先には月明かりに照らされた戦場が広がっていました。

 地面に突き刺さった無数の矢や剣、槍、そして地に横たわる無数の死体が戦場で如何に激しい戦いが行われたのかを物語っています。

 それでも、戦いが終わった今、戦場は驚くほど静かに月明かりに照らされていました。


「俺は……」


 ――自分は一体何者なのか


 その疑問は、この世界に生まれてから常に自分の中にありました。

 オーク達と自分とではあまりにも思想や考え方が異なっています。

 ツヨイのようなオークであればそもそも自分が何者であるかなどそんな事を考えることなどないでしょう。その点で、自分は他のオークたちとは違うのです。

 どちらかと言えば自分の考え方は人間に近いでしょう。と言うよりも、自分は自分自身が以前人間だったという他人が聞いたら狂人の戯言としか思わないであろう考えを信じているのです。そもそも、自分の信じているこの考えが正しいことを証明する手段がない以上、狂人の妄想と自分の信じている考えが異なるということを証明することは不可能なのです。

 一方で、自分の肉体は確かにオークのものなのです。この世界で自分はオークとして生まれ、オークの間で育ち、オーク達と言葉を話して、オーク達の社会の枠組みの中で生きています。

 ならば、一体自分は何者だというのでしょうか。ただの妄想を真実と信じ込んでいる気の狂った一人のオークなのでしょうか。それとも、かつて人間だったオークなのでしょうか。

 ……それとも、この世界は朝になれば消えてしまう一時の儚い夢でしかないのでしょうか……

 どれが正しかったとしても、あるいはこれらの他に真実があるとしても、それを確かめる手段は今のところ見当たりません。

 だから、どれだけ思索を重ねても自分が何者であるかという問にはっきりとした答えを得ることはできないのかもしれません。


 しかし、どれだけ求めたところで答えなど得られるわけがないと理解していてもなお、自分という存在は自分自身のアイデンティティを追求せざるを得ないのです。

 だからこそ、自分はこの世界に生まれ落ちてから、ずっと自分自身が何者であるかを問い続けてきました。

 自分がツヨイの夢を叶えようとしていたという事は、自分がどちらかと言えばオークに近い立ち位置にいる事を示していますが、逆説的に、ツヨイの夢を叶えようとする事で、自らの立ち位置を明確にしようと自分はうっすらと頭の何処かで考えていたのかもしれません。


「いや、違うな……」


 自分に言い聞かせるように小さくつぶやきました。

 自分がそうしたいと思ったからこそツヨイの夢を叶えようと努力しているのです。

 そして、ツヨイの力になりたいと思ったオークこそが自分という存在なのでしょう。

 詭弁に近い理論ですが、それでも、これはある側面における真実です。


 物静かな戦場を眺めていると次第に気持ちが落ち着いて来ました。

 思い返すと、我ながら一時の激情にかられて馬鹿なことをしたものです。

 ツヨイに向かって叫んだ言葉の中には、他に話して聴かせるべきではない内容も含まれていました。この話がインペリアなどに伝われば不味いことになるでしょう。戦いが終わり陽気に騒いでいたオーク達が自分の言葉をちゃんと聴きとって覚えているかどうかは明らかではありませんが、インペリアに話が伝わるわけがないと決め付けることは危険に過ぎます。

 インペリアは自分の発言を知ることになると考えておいたほうが良いでしょう。

 であるならば、当然ながら対策を考えなければいけません。

 面倒かつ困難な問題ですが自業自得である以上、誰を恨みようもありません。


「……ブータ」

「ツヨイ……」


 一人思索にふけっていると、背後からツヨイが声をかけてきました。

 涙が既に乾いていることを確認してから、自分は振り返りました。

 ツヨイは叱られた子供のような表情で自分を見ていました。

 体格の大きいツヨイがどこか小さく見えます。それが滑稽に思えて自分は小さく吹き出しました。


「な、なんだよ……」

「あ、いや、なんでもない……」

「……」


 自分の様子がどこか癪に障ったのかムスッとした顔で問を投げかけてくるツヨイに、自分はなんでもないとごまかしました。

 お互いにそれ以上言葉が続かず、暫くの間、二人揃って黙り込んでいました。


「あー、さっきはすまない。ついかっとなって、ツヨイに随分無茶苦茶なことを言っちゃったな」

「っ! ヨワイっ、じゃなかった、ブータ! 謝るのはオレの方だ!! オマエががんばっていることを知らずにヒドイことをいった……オマエはオレの親友なのにっ……! たのむ! オレのことを思いっきりなぐってくれ!! そうでもしないとオレの気がおさまらないんだ!!」

「ツヨイ……分かった」


 自分は手を精一杯握りしめて拳を作ると、思いきり振りかぶり、ツヨイの頬めがけて放ちました。


「……こんなんじゃなくて、もっと思いっきりだ」

「……思いっきり殴ったよ」

「……」


 自分とツヨイのどうしようもない体格差にツヨイは黙りこみました。


「ツヨイ、俺のことも殴ってくれ」

「!? 正気か!?」

「ああ……俺はお前に無茶苦茶なことを求めていた。俺がどんな事をしても何も言わずに俺の言う通りに動くに決まってるなんて、勝手なことを考えていたんだ」


 自分はツヨイの顔を見てそう言いました。


「それは、それは、オレとオマエは親友じゃないか! 勝手なことじゃなくて、当たり前の事だろ」

「いや、違う。何も言わずに言う通りに動くとしたらそんなものは親友なんかじゃない。それはただの人形かなにかだ。俺はお前が俺の人形であるかのように思ってしまっていた。だから、一発、俺のことを殴ってくれ」

「……分かった」


 そう言うとツヨイは拳を固め、次の瞬間、自分は仰向けに地面に転がっていました。


「だ、だいじょうぶか、ブータ……」

「ああ……大丈夫だ」


 慌てたような声とともにツヨイは自分に向かって手を差し出しています。

 その手を掴むと自分は起き上がりました。

 殴られた時に頭が揺れたのか、平衡感覚が若干おかしくなっていました。

 ツヨイとしてはかなり手加減したのでしょうが、それでも、自分はこのザマです。


「ふ、ふふ……あはははは」

「ど、どうしたんだ、ブータ!?」


 それがあまりに可笑しくて、ついつい自分は笑い声を上げました。

 思わず笑いが溢れた自分にツヨイが焦ったように尋ねてきました。

 大丈夫、問題ない、と答えると自分は笑い続けました。


「な、なんだよ、わ、わはは、わらい続けてさ、はははは」


 つられたのかツヨイも笑い始めました。


 自分と、ツヨイ。

 どうして親友になったのか理解に苦しむほど似通っていない、むしろ正反対の二人です。

 それでも、確かに自分たちは今この瞬間親友で、きっとこれからもそうなのでしょう。

 お互い、違いすぎるがゆえに意見を違えてぶつかり合う事はなくならないでしょう。

 自分が何者であるかを、自分はまた思い悩む日が来るかもしれません。ツヨイが自分のことを信じきれなくなることもあるでしょう。

 それでも、結局はこうして笑いあえるに決まっています。

 だって、自分とツヨイは親友なのですから。


 この時の自分は、そう信じて疑わなかったのです。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「ここも後3日か」


 異端軍を追撃した戦いから4日後、自分は帝都コーンビーフルでそう呟きました。戦いの後、自分たちは随分と長い間帝都に留まっていました。

 結局、帝国側は最後まで異端軍に有効なダメージを与えることができなかったようで、異端軍にまんまと港を持つ都市に逃げ込まれたそうです。城壁に囲まれた都市を攻撃することで想定される被害は流石に許容範囲を越えているのか、帝国軍は攻撃を断念しました。

 帝国と異端軍の間には停戦合意が結ばれ、帝国はこれ以上異端軍に攻撃をしかけず、異端軍はこのまま撤退する、というところで話が決着したと聞いています。

 異端軍の脅威が消滅したことで、これに対抗するために集まった軍隊も解散し始めています。

 帝国の諸侯たちは早々と順次、自分たちの領地に帰って行っています。

 軍を維持するだけでも莫大な資金が必要になる上に、褒賞も当てに出来ない以上、とっとと帰りたいというのが、どうも彼らの本音のようです。


 ですが、自分たちオークを傭兵として雇っていたサモーン公爵はまだ帝都に留まっています。

 サモーン公爵領ではオークという異端軍をも倒しかねない存在があるために、それに対抗する軍事力を維持しなければならない、とサモーン公爵は考えているのでしょう。

 現在、オーク達はサモーン公爵と共に帝都にいます。オーク達の現在の立場は相変わらず雇われ傭兵というものです。そのため、サモーン公爵から相変わらず雇い金が支払われています。

 サモーン公爵としては公爵軍が形だけでも回復するまで公爵領にオーク達を帰したくない所でしょう。今回、オーク達は公爵の下で戦いましたが、常日頃は、略奪を盛んに行うオークとサモーン公爵軍とは激しく戦いの火花を散らしています。

 公爵軍が弱体化したことを知っているオーク達がサモーン公爵領に帰還すれば、喜び勇んで略奪を繰り返すことでしょう。

 それを恐れて公爵は未だに少なくない雇い金を支払い続けているはずです。

 そして、その間に公爵軍を数だけでも整えようと奔走しているのです。どうやら、この戦いが終わって生まれた傭兵などの余剰兵力を公爵軍に組み込むことを試みている様子です。


 自分としてもできるだけ長く、帝都に滞在していたいため、不満はないのですが。

 この貴重な時間を使って、帝国の首脳部に自分たちオークが軍事面において有能な味方となり得ることを大いに売り込んでおかねばなりません。

 それと同時に、インペリアのやり方に不満を持つオーク達をまとめておく準備もしておかねばなりません。


 これから、忙しくなりそうです。

 それでもきっとやり甲斐に満ちていると、自分は確信していました。


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