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ブータ帝国記  作者: なんやかんや
黎明編
4/9

黎明編4話上

忙しくて時間が取れないのでこんな形での投稿になってしまいました。

内容も地味で微妙かもしれません。2月は時間があるはずなのでもう少し頑張りたいです。

 エンヤ川の戦いの結果はすぐさま正統コーンビフ帝国と帝都を囲む聖戦軍に伝えられた。

 予想を覆す結果に、双方とも初めはこの知らせを信じなかったという。


 ルーイ9世がこの凶報を聞いたのはスモー・モスド大公がサモーン公爵軍を打ち破ったという情報を耳にしてから半刻も経っていなかった。

 聖戦軍に従軍していたとあるサンド王国の騎士の日記には、サンド王国側があげた大戦果に内心苦々しい思いをしていたルーイ9世は、エンヤ川の戦いが真実であると知ると大いに喜んだ、と記されている。

 これが事実かどうかはルーイ9世側の資料が残っていないため判別がつかない。だが、サンド王国側の兵士たちの多くはこの話を信じていたようである。また、ライト王国側でも、この話を信じた者がそれなりにいたようである。

 それほどに、ルーイ9世とモスド大公は常日頃から対立していたのだ。

 もっとも、ルーイ9世は純粋に大公の破滅を喜ぶわけにはいかなかった。

 大敗北はたちまち聖戦軍の兵たちの知るところとなった。士気低下は深刻であった。

 撤退するにしても、聖戦軍にはそれを見逃すとは思えない正統コーンビフ帝国側の追撃に対処する必要があった。ルーイ9世は彼には珍しくすぐさま帝国との講和を行うことを決意した。

 しかし、不幸なことに、ここに至ってもなお和平に対する聖戦軍と正統コーンビフ帝国の考えは異なっていたのである。この理由により、双方が望んだはずの和平はなかなか実現する様子を見せなかった。


 対する正統コーンビフ帝国は動きが鈍重であった。天から降ってきたような望外の勝利に喜んだのはいいものの、ルーイ9世との講和に応じるか否かで意見が割れたからである。

 正統コーンビフ帝国に戦争を継続する能力は無いのだから、有利な条件が勝ち取れるだろう今こそ講和に応じるべきだ、とある者は言った。一方では、これほど容易く聖戦軍を倒せるならば、追撃して打ち倒すべきだとする主張もなされた。


 講和を主張したのは主として文官であり、攻勢するべきだと息巻いたのはほとんどが武官であった。長年の文武官同士の対立も相まって、両主張は互いに譲らず真っ向からぶつかり合った。


 これに対して、コーンビフ12世は何の決定もしなかった。

 コーンビフ12世は決して愚かではなかった。彼は古典に親しみ、22歳にしてカリムの大学で学を修めている秀才であった。当時の大学卒業の平均年齢は30歳前後であったということはその優秀さを示している。

 また、ブータ大帝自身、コーンビフ12世について極めて理知的で優秀な人物であるという言葉を残している。


 しかし、物事を決断する時になると、彼は優柔不断という言葉そのものになった。

 彼の優秀さはどの選択肢にも欠点を見出してしまったからである。臣下の者がどれだけ事案を完璧に仕上げてきたとしても、皇帝は必ず問題点を見出し、それ故に決断を下せなかったのである。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 エンヤ川の戦いの後、オーク達はコーンビーフルに戻っていた。これは、聖戦軍に対して大勝利を収めたオーク軍団の存在が帝国側の士気向上に繋がると考えられたからである。

 実際、オーク軍団の勝利と、その彼らが帝都を守っているという事実は防衛側に安心感を与え、聖戦軍側に恐怖心をもたらした。


 ただ、帝都に戻ったオーク達は以前よりも遙かに野蛮に振舞った。

 オーク達は気ままに帝国臣民から物を奪い、女性を襲った。

 また、歯向かうものは全て血の池に落としたと言われている。ただ、この時、オーク達によって殺された帝国の憲兵や兵士はいなかったようである。というのは、10倍にもなる聖戦軍に大勝利を収めたオーク達が徒党を組み帝都を闊歩する時、それを押し留めるだけの意気込みを帝国の憲兵や兵士たちは持てなかったためである。

 もちろん、正義感にあふれ、公正なことで有名であった憲兵のキャベツィを始めとして、オークに対しても断固として刑罰を敢行した者も幾人かはいた。

 しかし、強盗まがいに物を奪われた、路上で襲われた、などの訴えを大多数の帝国の憲兵や兵士は無視した。そのため、帝国臣民の怒りはオーク達からの被害を訴える陳情を無視する憲兵や兵士たちの方に向かったようである。

 強盗から羊を守るために狼を羊小屋に入れた農夫の童話『コーンの狼』は、この当時のオークの蛮行と、それを止めようともしない憲兵の様相が起源となった。


 このことは帝国にとって頭の痛い問題となった。この戦いで初めての大勝利の熱狂が冷めた臣民の不満は再び高まっていたからである。そして、臣民の不満はオークよりもむしろ帝国へと向けられていたからである。

 しかし、聖戦軍との戦いがある限り、オーク達を帝都から遠ざけることはもはや帝国首脳部には考えられなかった。帝国は、難敵である聖戦軍と、扱いにくい味方のオークという二重の苦労を背負い込んだのである。

 このことは、帝国に悠長な和平交渉よりも、短期的な決戦を選択させる要因の一つであったと考えられている。


 しかし、ブータ大帝はこういった蛮行は行わなかった様である。この当時、大帝の行動を記した資料には、虚偽としか考えられないものも多い。そのためこの数日の間の大帝の行動は全てが明らかなわけではない。


 例えば、大帝が特殊な性癖を持っていた、と記した記録がある。

 だが、その様な事実を記した第一級資料は大帝がコーンビーフルに滞在した期間以外には存在しない。また、大帝の生涯における女性関係はオークとしては若干希薄ではあったが、ごくごく普通であった。

 その為、この記録は、大帝に悪意を持った人物によって書かれたか、もしくは何らかの誤解に基づいて記されたと考えられている。

 このことについて、歴史家のダコン・フォン・レッグホワイトは以下のように考察している。

『何時の時代も、庶民は為政者の醜聞を好むものである。こうした出まかせじみた逸話は彼らの好みにあったからこそ誇張されて広まり、今日まで語り継がれているのだろう』


 信頼に足る資料によればブータ大帝は帝都に戻った後、帝都をあちこち歩いて周ったようである。

 コーンビフ1世の時代、ある詩人はコーンビーフルを神の恩寵に満ちあふれた永遠の都と褒め称えた。ロースビフ帝国の全ての物資はコーンビーフルに集められ、帝国のいたる所へ運ばれていく。神を崇めるための聖堂教会が帝都のいたるところに建ち並び、賛美歌が絶える日はない。その様に詩人はコーンビーフルを褒め称えた。

 しかしながら、当時、500年以上前にコーンビフ1世によって建設された帝都コーンビーフルは凋落の只中にあった。全盛期には人口が200万をも超えたと言われるが、ブータ大帝が訪れた際は50万にも満たなかったのである。

 古の時代、栄華を極めたロースビフ帝国という名前は勢力圏の急速な縮小によってかつての首都ロースビーフルが失われると共に忘れ去られ、コーンビーフルに拠点を置く勢力が正統コーンビフ帝国と名乗るようになって久しかった。

 正統コーンビフ帝国の相対的な地位の低下によって、コーンビーフルの持つ政治的、経済的な重要性は失われていた。かつて、あらゆる物資が集まると言われた帝都を横切るようにして西方と東方の交易は行われていた。

 かつて、帝都内に競うように幾つも建てられた聖堂教会の内、半数以上は聖職者や保守人員の不足を理由に放棄されていた。放棄された大聖堂は老いて朽ちていく正統コーンビフ帝国の象徴そのものであったかもしれない。

 こういった光景は、その後の大帝に大きな影響を与えたと言われている。どんなに偉大なものであっても形あるものはすべからく滅ぶ、という晩年の大帝の言葉に表される思想には、彼が目の当たりにしたコーンビフ帝国の衰退と滅亡の記憶が多少の影響を与えている事間違い無いだろう。後に大帝が描いた一大帝国の国家構想はこの時の体験なしにはあり得なかったのではないか。


 また、ブータ大帝は帝国図書館の利用許可を得て古の書物を読みふけっていた、という話は幾つもの記録や資料に記されており、これは確かな事実であると考えられる。

 ただ、オークの文化には文字がなかったため、当時のブータ大帝は書物を満足に読むことが出来なかったはずである。おそらくは大帝の飽くなき知的好奇心はこの当時から既に備わっていたのであろう。

 彼はテリヤ司祭などの助力を得て、数日の内に十分なレベルの読書を習得したと言われている。

 この時、大帝はハニハニバルやアレッサンド大王などの過去の偉人の伝記にも触れた。大帝はどうやら読書をこれらの書物を通して覚えた様であり、彼の書いた文章の文体が当時としても古風なのはその為である。

 もっとも、この時期、大帝は文章を書くことが必要にならなかったため、彼が書き記した文章は存在しない様子である。大帝が書き記したとされる文書は幾つか発見されている。だが、内容が稚拙で大帝によるものとは思えないものばかりなのである。例えば、アレッサンドの覇道にはコックが料理をした事が多いに貢献した、と記された文書が見つかっているが、これは後の大帝の文書と同一人物に依るものとは考えにくい。

 そのため、大帝の類まれなる文才が世に知らしめられるのはこの8年後となるのである。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 コーンビーフルにおいてブータ大帝がオーク達の蛮行を止めなかったことに対して、一部の完全主義者達は批判を行っている。

 ブータ大帝が後に軍の徹底的な綱紀粛正を行った事や、国民を等しく保護し公平に振舞った事にも関わらず、この蛮行に対して無為に過ごした事を彼らは批判するのである。

 しかし、その当時、ブータ大帝はオーク達に命令が出来る立場にはなかったのである。それにも関わらず大帝に全ての責任を問うのはそれこそ公平さを欠いているだろう。

 仮に、という言葉は歴史には無意味であるが、ブータ大帝が大帝国を建国していなければ、この一人のオークに責任を求めるものはいなかったことだろう。ある意味、ブータ大帝にオーク達が犯した蛮行への罪があるとする意見には彼が大成功したことに対する妬みに依るものだと言えるのではないか。


 ブータ大帝はコーンビーフルで数々の本を読むことを好んだ。しかし、彼は帝都で平穏に過ごすことは出来なかった。大帝がエンヤ川で示した才能は、彼を迷走する正統コーンビフ帝国に大きく関わらせることになったのである。


 この時、ともかく帝国には決断を遅らせるだけの余裕がなかった。


 いたずらに時間を消費することの愚を覚えた正統コーンビフ帝国のタルタル・チキーラ将軍は皇帝を説得するために奇策を弄した。先の戦いで大勝利したオークを宮廷に招くという前代未聞の提案をしたのだ。

 チキーラ将軍はオーク軍の従軍司祭であったテリヤからオーク軍に優れた見識を持つ者がいるという話を聞いていたのである。

 文官どころか多くの武官もこれには反対した。

 野蛮な異種族を正統なる宮廷に招くという暴挙は、文武官が長年の対立を一時的に忘れるほどのものであった。


 しかし、皇帝はチキーラ将軍の意見に強い興味を示した。

 チキーラ将軍は皇帝が決断にあたって常に多くの意見を求めているのを見越していたのである。その後、王宮に異教の異種族を入れることに対する根強い反対があり、皇帝は王宮の外でオークと面談する運びになった。


 王宮と隣接していた庭園でコーンビフ12世とブータ、後の大帝は対面した。


『それまで、余はオークとは総じて野蛮な異種族だと思っていた。しかし、ブータと名乗るオークと対面してこの思い込みが誤りであったと思い知らされた。賢しい者もいるものだと気が付かされたのだ。しかしながら、今日の状況を見るにそれでもまだ余はオークを十分に評価しているとはいえなかったのであろう。今日のオークの隆盛を目の当たりにして、ようやく余はその事に気が付かされたのだ』

 コーンビフ12世は、後に帝都をオークの軍団に包囲された時、このように述べている。


 しかし、この日のコーンビフ12世の日記には、この日、弱った聖戦軍を追撃することを決定した、とだけしか書かれていない。

 コーンビフ12世と対談したブータ大帝は、聖戦軍に対する追撃を主張した。この発言の裏にはおそらく、チキーラ将軍の意図があった事はほぼ間違いない。

 記録によれば大帝の述べた洗練された論調と理論とは多くの聴衆を感動させた。大帝の持つ言論の才能は当時から開花していた事を示す格好の例であろう。


 このことについて、この無策な追撃を進言したブータ大帝を批判する者もいる。彼らは、この追撃とその大失敗こそが正統コーンビフ帝国の凋落の決定打になった、と主張している。また、ブータ大帝は、相対的に自らの力を増すために正統コーンビフ帝国を失敗へと誘導したのではないかと疑う者もいる。実際に、この追撃戦の結果として最も力をつけたのはオークだったのである。


 しかし、仮にこれが真実であったとしても、この失敗の責任はブータ大帝にはないであろう。

 そもそもブータ大帝やオークは正統コーンビフ帝国に臣従してはおらず、サモーン公爵に雇われていた立場であったのだ。ブータ大帝の立場からすれば、自らの所属している部族や種族に利益を誘導するということは倫理的に間違いがあるわけではない。

 そして、何よりもブータ大帝は自らの所見を述べただけだったのだ。最終的な決定権は完全に正統コーンビフ帝国が握っていた以上、選択の結果には正統コーンビフ帝国こそが全ての責を負うべきである。

 また、追撃が無謀であったと断ずるのは、あくまでも後世からの視点であり、当時の者々が持っていた情報からそれを知ることは極めて困難であっただろう。


 また、レキシ・コウサは、仮にこの大敗がなかったとしても、正統コーンビフ帝国の滅亡は避けられなかっただろう、と述べている。

 この戦いの大敗北は正統コーンビフ帝国滅亡の一因であったことは確かである。だが、それ以外の積み重なった衰退の要素こそが重要である、というのが多くの歴史家の共有する考えである。


 レーキシン著 『ブータ帝国記』より


 □■□■□■□■□■□



 イヤッホウ!!

 皆様こんにちは。

 人豚改めオークのブータと申します。いやあ、やはり本、というものは素晴らしいですね。正統コーンビフ帝国様々です。なんたって本が借り放題ですからね!!

 タルタル・チキーラと言う人ですが、彼はとても素晴らしい。まさに正義そのものと言っても過言ではないでしょう。将軍というだけあって、その度量は木っ端役人とは月とスッポンです。彼のお陰で、図書館から自由に本が借りられるようになったのです。

 未だに図書館の役人は嫌そうな顔をしていますがね。しかし、そのような差別的蔑視も今の自分なら、余裕を持って流せます。ふふふ、そんなに嫌なら、面と向かって言ってしまっても構わないのですよ。本は貸し出せないと。ただし、明日の職は保証しませんけれど。

 ははは、愉快、痛快。頑張って戦ったかいがあったというものです。


 いや、そこのあなたも聞いてくださいよ。ほら、幸せはみんなで共有するとより大きくなるって言うじゃないですか。他人の不幸は蜜の味とも言いますけど。


 先の戦いの後、自分たちオークは帝都に戻りました。

 戦いが終わって興奮が覚めた後、自分たちオークは一体これからどうしようということになっていました。そうしたところ、異端軍の捕虜になっていたテリヤやサモーン公爵が戦いの後救出されており、彼らが上手く取りなしてくれたのです。その結果、自分たちオークは帝都に戻り防衛にあたることになりました。

 サモーン公爵の方々が壊滅してしまった以上、兵糧の調達という任務は果たせません。まさかオークだけにそんなことをさせるのは、強盗に金庫を管理させるようなものです。

 味方だと思ってオークに対して無防備な村町とかどう考えても略奪されるフラグしかありません。もしかしたら、大丈夫なのかもしれませんが、まさか試したいとは誰も思わないでしょう。

 まあ、本当に兵糧の調達が必要だったのかということは疑問が残りますが。ですが、帝国から何もしてこない以上、黙っているのが大人の対応でしょう。薮蛇は嫌ですからね。

 ともかく、サモーン公爵が僅かに生き残った兵を帝都に送ったりした結果、自分たちは今、帝都に居ます。

 帝都に戻った後の自分たちの待遇はなんというか、劇的ビフォーアフターという感じです。

 まあ、異端軍に大勝利したのは自分たちオークだけだからか、なかなかのビップ待遇です。

 サモーン公爵と帝国からは褒賞金が支払われました。今まで目にしたこともなかった金貨や銀貨を手にしたオーク達はとても喜んでいました。自分自身金貨や銀貨を手に取ったことはなかったので、とても興味深かったですね。

 でも、よくよく考えると、オーク達の社会には通貨というものがありません。そうすると、ただ重いだけの役に立たない荷物でしかないのです。そうである以上、この帝都に留まっている間に使ってしまわなければなりません。

 現金を渡されたと思ったら、制限付きのポイントカードだったという例えが適切でしょうか。とにかく、この事実に気がついた自分が感じた落胆は、初めは無邪気に喜んでいただけに、言葉では言い表せないものでした。

 こんな物を渡されるくらいだったら、書籍物が欲しかった、と自分は思いましたし、それを周囲に言いました。

 すると、お前は何を言っているのだ、というような目で見られました。ツヨイに至っては、女が欲しい、とのたまう始末です。そして、自分以外のオーク達はそれに同調していました。

 そんな有様だから、野蛮だと言われるのです。世界には命がけで貴重な書物を守ったという素晴らしい逸話もあると言いますのに。他者と比べることは愚かだといいますが、こんな低俗なことばかりに熱心になるオーク達にはほとほとうんざりさせられます。


 まあ、それはともかく、さっさと金を書物に替えようと帝都をあちこち歩きまわったのですが、自分の探し方が悪かったのか、一店も書物を商う商店を見つけることは出来ませんでした。

 オークはそもそもこのような知性的な物事には興味を持たず、彼らにそれらしい店を見かけなかったかと聞いてもまともな答えが帰ってきたことはありませんでした。

 人間たちはそもそも、自分たちオークを怖がり、出来る限り近づこうとしないので、これについて尋ねることも儘なりませんでした。

 ようやく、見つけた本は万屋の様な店舗においてあった、ケビア教の聖典だけでした。としあえず、自分はそれを購入すると、図書館に向かうことにしました。あそこなら、本があること間違い無いですからね。

 あれだけ大きい図書館ならば、歴史とか文化とかについての書物もあるに違いありません。情報は多いにこしたことはありませんからね。


 ところがです!

 あの図書館の木っ端役人共は尚も自分を阻んだのです。


「汚らわしいオークが神聖な書物に触れることは許可しない」


 守衛の人間にそう言われたときに感じた屈辱は、それは、それは、大きいものでした。思わず、腰に帯びた剣に手が伸びましたね。守衛の持っている槍を見て自重しましたけれど。


 なお、決して怯えたりしたわけではありません。

 自分は既に恐怖という感情を克服したのです。

 この前のエンヤ川の川岸の戦いでも自分は極めて勇敢に戦いましたしね。ツヨイとかインペリアとかに戦いでの活躍ぶりは劣りますが、それでも勇猛果敢に敵に挑んでいったことは皆様もご存知の通りです。

 え? 単なるやぶれかぶれでしたって? そんなことはありません。それは間違いです。自分が保証します。それに、自分は皆様に嘘を言うような事はありませんしね。


 さてさて、図書館に入れなかった自分はたいそう落ち込んでいました。

 十数年にわたって、活字という文明人の必需品に触れていないのです。これは由々しき事態でしょう。空気がいないと生物が生きられないように、活字がないと文明人は生きて行けないのです。

 もっとも、嫌気呼吸を行う原始的な生物が空気を必要としないように、野蛮人には活字は必要ないのでしょうが。


 そうしたところ、オーク達の軍団に従軍司祭として付き従っていたテリヤが自分に会いに来ました。

 突然、現れたテリヤの姿に自分は少し驚きました。いえ、恐怖は感じていませんよ。本当ですよ。ただ、自分よりも大きい体格の持ち主が突然目の前に現れたことに驚いただけです。


 テリヤを始めてみた時、自分は彼が司祭階級の人間ということが信じられませんでした。最初に歴戦の戦士とか、未開の民族の勇者、などと説明されたらすんなり納得できたでしょう。

 ツヨイ並の筋骨隆々の逞しい体を持ち、オークの行軍にも汗水一つ垂らさずに付いてきていました。大きな作りの眼や鼻、口を持ち厳ついというか濃い顔の持ち主です。オークとの力比べでもかなりいい勝負をしていたようで、人間でありながらオーク達からの人気は高かったようです。

 人間から略奪行為を繰り返しているオークと、出会った日から仲良く出来る彼の精神構造はどうなっているのだろう、と自分は疑問を感じたものです。が、よくよく考えてみると、テリヤのような人物でなければ、オーク軍に従軍しようとは思わなかったでしょう。司祭階級というのは領主にもそれなりに物申せるらしいですからね。

 というか、うっかり女々しい司祭なんかが来た日には、その司祭の性別がどうであれ、その日の内に貞操を奪われてしまうこと間違いないでしょうしね。オークの略奪によって山の洞窟まで連れ帰られるのは女性のみですが、略奪の現場では男であろうともそういう事の対象になっていますし。


 とにかく、テリヤはオーク達とそれなりに打ち解けていましたが、彼が神や正義についての話を聞こうとするオークは自分くらいでした。

 難しい話はオークの間では好まれないのです。自分自身、身を持って体験したからよくわかります。熱心に神への帰依を説くテリヤの姿に昔の自分を重ねて、自分はそれなりに彼の話を聞くことにしていました。

 その結果、どうやら、彼は自分のことを信仰に熱心なオークだと勘違いしてしまったようです。若干悪いことをしてしまったかもしれません。自分はそもそも無神論的な思想の持ち主ですからね。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「おう、久しぶりだなぁ、ブータ!」

「お久しぶりです、と言いたいところですが、2日前にもお会いしていますよ。こんにちは、司祭様」

「相変わらず、堅苦しいやつだなあ。オークとは思えんぞ! もっと堂々としたらどうだ!」


 テリヤ司祭は従軍司祭だった時と変わらずの調子でした。いい加減とも捉えることができる大らかさは健在のようです。

 司祭よりも口調が丁寧な野蛮種族ってどうなんでしょう。司祭に問題があるとすべきか、オークが洗練されていると言うべきなのでしょうか。ふむ、後者ですね。自明の理です。

 因みに、久しぶりだとテリヤ司祭言いましたが、サモーン公爵軍の生残りと、オーク達が帝都であるコーンビーフルに帰還してまだ2日しか経っていません。そして、2日前まではテリヤ司祭は従軍司祭として自分たちと共に行動していました。正直、久しぶりとかそう言った感覚はまったくありません。


「2日もオークの軍団から離れていたのだ。周囲に力比べのできる奴がいなくて退屈で仕方なかったぞ。おお、そういえば、ツヨイの奴は何処にいる。あいつには腕相撲のリベンジマッチを挑まにゃならん。おお、そうだ、ブータ! お主とも一回腕相撲で白黒をつけてみたい。 どうだ、今から?」

「……腕相撲のお誘いはお断りします。ツヨイ達は娼館にでも繰り出していると思いますが」

「何じゃ、つまらん奴だなあ。それで、ツヨイの奴は女遊びか。いい気なもんだなあ。羨ましいものだ」


 なんで、こいつはオークとして生まれなかったのだろう、と真剣に思ってしまいました。なんというか、テリヤ司祭は自分以上にオーク社会に馴染んでいるような気がしてなりません。十年以上オークをやっていますが、一ヶ月もオーク社会と触れ合っていないビギナーに馴染み具合で抜かれるとは思ってもみませんでした。才能というのは恐ろしいものです。羨ましくはありませんが。

 因みに、普通に前のエンヤ川での戦いにも司祭は参加しています。なんでこの人は兵士にならなかったんだろう、という疑問を覚えざるを得ない性格、体力の持ち主です。遠目に見て、自分よりも活躍していたように思います。

 聖典によればケビア教は厳格な宗教なようです。こんな人物が司祭で本当に良いのでしょうか。


「神の教えによれば、姦淫は罪だそうですけど、ツヨイの娼館通いは問題ないのですか?」

「なんじゃ、なんじゃ。ブータは退屈なやつだなあ。ちいとばかりなら神様だって目をつぶってくれるに決まっとるわい。それに、オークの奴らはまだ洗礼を受けてないからな。洗礼を受ける時にそれまでの罪は洗い流される。そんなら、今の内に生を謳歌しといたほうが得だろう?」

「……本当にあなたは司祭なのですか?」


 失敗しました。思わず本音がこぼれてしまいました。

 しかし、ケビア教が禁じた行為を述べた十戒というものを自分に説明したのは、目の前のちゃらんぽらん司祭ですし、その十戒の中には姦淫が含まれていたように記憶しています。なんか、目の前のテリヤ司祭を見ていると自信なくなってきますが。

 自分の言葉はけっこう失礼な物言いになってしまいましたが、自分の物言いにテリヤ司祭は怒るどころか、むしろ笑いました。


「はっはははははは!」

「笑い事ですか!?」

「なに、笑うということは幸福の秘訣だ。そして、幸福は神が与えた賜物、神の羊たる我々は精一杯楽しまねばなるまい。つまり、多いに笑うことは神の教えに従うことなのだ」


 ……本当なのでしょうか?

 そう疑ってしまうほど、胡散臭いところのある司祭です。偏見かもしれませんが司祭には物凄くいい加減なことを言いそうな印象があるだけに、どうも今一信用しきれません。


「何、司祭ですかというその問がおかしくてな。その言葉、人間の間ではよく言われるが、まさかオークにまで言われる日が来るとは。いや、愉快、愉快」

「やっぱり、あなたは普通の司祭とはかけ離れているのですね」

「まあ、ブータ、お主の想像するような司祭とは違うかもしれぬが、これでもわしはしっかりと神学校を卒業しておる。わしは孤児院の出身でな。自慢できるような家柄はないが、勉学に励み、神学校で学を修めたことが自慢なのだ」

「はあ」


 思わず間抜けな相槌を打ってしまいました。

 神学校はとうとう眼の前の破戒僧を矯正することが出来なかったのでしょう。残念でなりません。でも、神学校で矯正された結果、テリヤ司祭が糞真面目な顔で説法をしてきたら、それはそれで違和感に満ちているでしょう。

 やはり、目の前の人物が聖職者になったのは、何かの間違いに違いないと思う今日この頃です。軍人になっているのが本人の為にもなったような気がするのですが。


「そんなことを話しに来たのではなかった。ブータ、ちょっと面倒だが、皇帝陛下と会ってやってくれぬか」

「はあ……はい!?」


 唐突にテリヤ司祭はとんでもない話を切り出しました。今までがただの雑談だったせいで、自分は完全に不意を突かれた格好です。

 思わず、テリヤ司祭の顔を凝視すると、とても真面目な、いや、なんというか、独特な顔で自分を見ていました。

 精一杯真面目そうな顔をしようとしている意志は確かに伝わってくるのです。が、普段から笑いの絶えない司祭が大柄な頭部の造形と濃い顔つきでそれをすると、なんというか、腹の底から笑いがこみ上げてきてしまいます。例えるなら、某派出所の某警察官がスーツを着て糞真面目な顔をしている、と言えばその面白さが伝わるでしょうか。

 いえ、いけません。文明人の鏡たる自分が人の顔を見て笑うという人非人の所業を行うわけにはいけません。でも、そういえば、自分は人ではありませんね。オークですね。いやいや、体はオークでも心は人間でいたいもので――


「ブフゥ、ブクク、ブヒャヒャ」

「何を笑っておるんだ! 人が真面目な話をしているんだぞ」

「イタッ!」


 宇宙の法則に従って笑わざるを得なかった自分を、テリヤ司祭は躊躇なく殴りつけました。ひどいです。親父にもぶたれたことないのに。いや、親父が誰だか分からないというだけの話なのですけどね。オーク達の間ではちょくちょく殴られていましたが。


「まったく、人が真面目な話をしているというのに笑うとは何事か。まったく、お主は面白みはないが真面目なオークだと思っていたんだがな」

「いやいや、自分ほどユーモアにあふれるオークはいませんよ。なんといってもユーモアにあふれるオーク、ブータなのですから」

「……そうか、お主は鏡を見たことがないのか。お主は一度自分を振り返っておくと良いぞ。何なら、わしが話を聞こう。なに、仕事柄懺悔を聞くことには慣れておる」

「……」

「何だ、怒ったのか。お主の怒りのツボはよく分からないな。しかし、お主の冗談は笑えた試しがないぞ」


 ものすごく失礼な事を言われました。確かに、イメチェンをして、ジョークを言っても周囲を笑わせた事はなかったように思います。しかし、人には言って良いことと悪いことがあるのです。

 いや、もちろん自分はユーモアに満ち満ちたオークであることは確定的に明らかなのですがね。自分の冗談がウケなかったのは、ウィットに富み洗練されたそれを十分に理解できる人物が周囲にいなかったからに違いありません。

 まあ、自分も司祭の顔を笑ってしまいましたし、手打ちとしましょう。大人の対応は優秀な文明人の必須項目です。


「まあ、いいです。それよりも、皇帝に会えとか言う戯言が聞こえたのですが、気のせいですよね」

「皇帝陛下だ。それと別に気のせいなんかじゃないぞい。まあ、皇帝陛下と会う前に、チキーラ将軍と会ってもらうがな」

「すいません。分かりやすく説明していただけませんか?」


 テリヤ司祭が何を言っているのかさっぱりです。知らない内に物事が動いていたらしい、という事なら分かりますが。状況にただ流されるだけというのは面白くありませんし、何が起きているかくらいは知っておきたいものです。


「おう、そうだったな。しかし、察しが悪いな、ブータ」

「いきなり言われても、あなたと違って自分には帝国の情報が何一つ入ってこないのです。しょうがないでしょう」


 本当に何も情報が入って来ません。勇者のように人々から情報を集めようと思っても、モンスターである自分では、まともに会話することも出来ません。当然、帝国から情報が定期的にまわってくるということもありません。その点では、テリヤ司祭からもたらされる情報はとても貴重で価値のあるものです。


「うーむ、そうなのか。いや、でもお主なら色々と調べはしていんだろう?」

「自分が話を聞いてもらえる人間はテリヤ司祭くらいなものですよ」

「そうか、大変だなあ。まあ、良い。今、帝都では先ほどの戦いで大打撃を受けた異端軍と講和するべきか、打ち倒すべきかが審議されておる」

「あ、それは知っています」


 その話なら人間たちが噂として話しているのを横耳に聞いている。


「……何だか、腹が立つなあ」

「いや、流石にそれは帝都中で噂になってますし、流石にオークでも知らない奴はいないと思いますよ」

「まあいいわい。それで、チキーラ将軍は断固として敵を追撃するべきだと主張しておるわけだ。じゃが、皇帝陛下はなかなかご決断を下さない。そこで、将軍は先の戦いでの作戦を立案して大勝利に貢献したオーク、つまりお主にも皇帝陛下に対して追撃を勧めて欲しいと考えておるわけだな。そういう訳なのだが、分かったかの?」


 何だか知らない内に厄介ごとに巻き込まれていたようです。迷惑ってレベルではありません。というか、聞き捨てならない言葉があったような気がします。


「なんで作戦を立案したのが自分になっているのですか?」


 そもそも、立案した作戦などありませんし。口からでまかせを言ったら結果として上手くいったというだけなのですが。


「なんじゃ、インペリアはそう言っておったが。それにわしも、お主がここを攻撃しろと叫びながら走っていくのを見たぞ」


 いや、それは本当に偶々上手くいっただけです。あと、敵に向かって走っていったのは自分の恥ずかしい黒歴史なので、早急に記憶から排除して欲しいです。


「どうやらお主を見誤っていたらしい。まさか、ハニハニバルの再来と言わんばかりの大戦果をあげるとはな。人は見かけによらないもんだ」

「……ハニハニバル? なんというか背水の陣で大勝利しそうな名前ですね」


 ハンニバルを彷彿とさせるような単語が司祭の口から飛び出しました。カルタゴのハンニバルは確か背水の陣で十倍以上の兵力を打ち破ったはずです。それと似たような名前で、大活躍した将軍がこの世界には存在したのでしょうか。前の世界とこの世界は微妙に似ているのかもしれません。

 しかし、ハニハニバル、どうもパチもの臭い名前です。断っておきますが、自分には名前で差別するような卑劣な行為をするつもりはありません。しかし、一般的な感想としてですが、前の世界の知識を持っている自分としてはパチものという印象を持ってしまうのです。もっとも、この世界の者者がハンニバルという名前を聞いたら、そちらのほうが偽物風だと感じるでしょうが。


「何じゃ、知っておるのか。なるほどだから、あれだけの作戦が立てられたのか」

「いえ、名前くらいしか知りません」

「む、そうなのか。いや、それでも背水の陣という言葉は知っていたのだな」

「まあ、確かに知ってはいましたが」


 背水の陣という戦法はこの世界で得た知識ではありません、と言う訳にもいかず、口を濁す次第です。

 しかし、この世界にも背水の陣を実践した人物がいたのですね。世界が変わっても知性の想像力は同じような成果をあげるということなのでしょう。


「いや、何れにしても大したもんだ。わしも大いに感心したわい。信仰に対する興味は人一倍持っておる関心なオークだとは思っておったが、他にこんな取り柄を持っておるとはな」

「……その言い方だと、自分には信仰心以外の取り柄はないと思っていたように聞こえるのですが」

「おう、正直そう思っておったわい。プライドばかりが高くて妙に捻くれたオークだと思っていたからの。すまんかった」


 何やらかなり失礼なことを言われました。と言うか思いっきり悪口です。昔のことだから水に流せというのでしょうか。まあ、心の中に関しては自分もあまり人のことは言えないかもしれませんので、流しておきましょう。

 しかし、目の前のオークの如き人間はどうやら理知的で文化的であるという自分の美点を理解できなかったようです。嘆かわしい事この上ありません。その目は節穴であること疑いなしです。


「言いたいことも色々ありますが、まあいいです。それで、皇帝に会うというのはチキーラ将軍の立場にたって異端軍への追撃を進言しろということでよろしいのでしょうか」

「皇帝陛下、だ。お主は敬語を使う珍しいオークじゃがところどころ言葉遣いの荒が目に付くな」

「……」


 確かに、自分の敬語は付け焼刃で、正式なものではない事は確かですが、テリヤ司祭にだけは言われたくない、と思った自分は間違っているでしょうか。人を見かけで差別することは唾棄すべき行為です。ですが、脳筋という言葉がこれほど似合う司祭に言葉遣いを訂正される事には、なんというか悔しさを感じてしまいます。


「まあ、大体そう言う理解で間違い無いだろ。それで、皇帝陛下への失礼がないように、事前に一度チキーラ将軍と会って、簡単な礼儀作法の練習を行うというわけだ」

「因みに、拒否権はありませんか?」

「何じゃ、皇帝陛下に御目通り叶う名誉がいらないと申すのか?」

「面倒事には巻き込まれたくないのです」


 情勢もよく分からない中で、他人の意見を述べるなどということは正直やりたくありません。

 どうも、何か問題があったときに責任を取らされそうな匂いがプンプンしますし。どうもスケープゴートにされそうな気がしてなりません。


「何じゃ、何じゃ。そんな消極的でどうする、ブータ。仮にもハニハニバルの伝説のように異端軍を打ち破った策を考案したお主ではないか。もっと堂々とせい!」

「いや、だから、それは偶然の産物です。偶々上手くいっただけであって、それを評価されても嬉しくもなんともないです」

「何を言っておる。お主はどの様に布陣して何処を攻撃すればよいかを戦いの中で示したではないか。たとえ、勝利がまぐれであったとしても、それは確かにお主の功績だ。お主はもっと自分の勝利を誇ったらどうなのだ。それが偶然に手助けされたからといって、お主の成功にいささかも傷を与えるものではない」


 気持ち悪いくらいにテリヤ司祭は自分をべた褒めしてきた。一体、何を考えているのだろうか。

 司祭のような人間に急に褒められると勘ぐってしまう。まさか、人の黒歴史の傷口に塩を塗りこむ気なのだろう。そうだとしたら、恐ろしい事この上ない。


「なんか、急に褒められると違和感が強いですね」

「あいも変わらずひねくれているな。素直に喜べばいいというのに」

「……」


 新手のジョークか何かでしょうか。自分の何処がひねくれているというのでしょう。しかし、ジョークとしては笑えませんし、そうでないとしたら失礼な偏見だと思います。


「まあ、ええわい。という訳だ、チキーラ将軍と会ってくれるな」

「お断りします」


 唐突にインチキ司祭は話題を変えて将軍と自分との面談を決めようとしてきました。

 そう来るとは思わなかった自分は不意を突かれた格好ですが、ここは断固として断らなければいけません。一度、司祭の要望を受け入れてしまえば、ピラニアのようにしつこい司祭のことです、次からは断れなくなること間違いありません。

 そして、この不良司祭は厄介ごとばかり持ち込んでくるでしょう。ツヨイだけでも大変なのに、その労苦が倍になったら体が持ちません。


「そんな事を言うでない、ブータ。こんな機会他にあるものじゃないぞ」

「随分としつこいですね」

「まあ、断れない類の要望だ。ならば、せめて自発的にやってもらったほうがブータ、お主も満足できるだろう?」

「え?」


 何それこわい。断れないとは一体どういうことでしょうか。

 何を言っているのかさっぱりです。さっぱり分かりません。

 知性を持つものは自分自身で自らの進退を決めることができるはずです。決して、傭兵という立場上雇い主の命令に逆らう訳にはいかないだろうなあ、などといったことは考えていません。

 オーク達が異端軍に大勝利したことで、帝国におけるオーク軍の時価は急上昇したはずです。オーク軍の株式があれば連日ストップ高になったことでしょう。ですから多少の無理もきくはずです。そうに違いありません。


「お主、傭兵の立場で将軍の命令を断れるわけがないだろうが」


 ところが、テリヤ司祭は、呆れた顔で現実を突きつけてきました。


「い、いやだ! どう考えても厄介ごとにしかならないじゃないですか。そんなことはやりたくありません。自分には自由があるはずだ」

「何をいっとるんだ、お主は。自由市民ではありえないオークのお主に帝国が自由を与えるわけがないだろう」


 ぐぬう。人権の一つである選択の自由を主張したがそんなものはないと言われました。いや、自分は人ではないですが。

 しかし、基本的人権とか平等という概念は帝国には存在しないようです。なんという野蛮な国家でしょう!!

 何たる理不尽。なんという不公正。誰か、革命を起こさないのでしょうか。不肖ブータは自由を求める気高き行為を応援するものであります。応援だけならいくらでもします。

 ……いや、流石に無理を言っていることは分かっていますよ。


「なに、そう心配するな。皇帝陛下にお目道理叶うことにお主が引け目を感じていることは理解できる。お主は言葉遣いに汚い所があるし、宮廷作法など知っていようわけがないからな。しかし、安心しろ。皇帝陛下は公正なお方だ。お主の言葉や動作が洗練されていなかったとしても責められることはあるまいて」

「い、いや」


 絶望的に違います、テリヤ司祭。そんなことは欠片も心配してなどいません。ただ、厄介ごとに巻き込まれたくないだけです。


「それに、ブータ、いつまでも自分の殻に閉じこもっていてはどうにもならんぞ。お主は妙に恥ずかしがりな所があるから、皇帝陛下の御前で恥をかくことを恐れているのだろうが、どんと胸をはって行け。なにしろ、今やお主は10倍にもなる異端軍を打ち破った大作戦家だ。それに比べれば宮廷に居並ぶ武官共など有象無象に過ぎぬわ。そう思っていけばどうとでもなるものだ」

「いや、ですから、そういうことではなくて、ですね」

「神は己が信徒に救済と同時に義務も与えたのだ。神の試練というにはいささか容易すぎるが、逃げるばかりではいかん。それは自由市民であったとしてもそうなのだ。さあ、いくぞ。そんなに格好にこだわるなら、今からお主の服装を見繕いに行こうではないか!」


 いくら言っても聞こうとしません。この強引な感じは、オークそのものじゃないですか。この破天荒な司祭には、人間になれなかった自分に謝れ、と言いたいです。

 そんなことを思っていると、テリヤ司祭に腕をきつく掴まれました。振りほどこうとしても、自分の力では司祭の握力に逆らうことはできません。オークどころか人間であっても腕力に訴え出るとは嘆かわしい限りです。


「ちょっ、いやっ、放してくださ――」

「行くぞ!! はっはっははは!!」


 強引なテリヤ司祭に自分は仕方なく付いて行きました。というより、引きずられていきました。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 テリヤ司祭は帝都の大通りをずんずんと歩き進んでいきます。

 戦争中だとはいえ、コーンビーフルは比較的平和と言えるでしょう。街並みはよく整備されていますし、大通りの左右には大きな建築物から比較的小さな露天が並んでいました。

 しかし、大通りというには意外と活気が少ないように思います。

 これなら、ゴチャゴチャとしているとはいえ裏通りの方が、まだ人口密度が多かったように思います。

 昔は店を構えていたと思われる無人の建築物も幾つかありました。人の通りも思ったより少ないです。

 普段オークが大通りを歩くと憲兵に睨まれる、という種族差別的な待遇を受けるので、自分はなるべく裏道を通るようにしていました。

 キャベツィとかいう人間に散々脅されましたしね。ツヨイがいなければ、あの人間どもは暴力に訴えてきたかもしれません。

 なので、表通りの様子をじっくり見るのはこれが初めてです。

 しかし、一体これはどうしたことなのでしょう。


「テリヤ司祭」

「ん、なんだ?」

「ずいぶんと人が少ないように見えますが」


 とりあえず、帝都の様子に少しでも詳しそうな隣の人物に理由を尋ねることにしましょう。テリヤ司祭は少し考える素振りを見せました。物凄く似合っていません、と自分は思いましたが、もちろん黙っています。


「確かに、わしが昔コーンビーフルにいた時よりも店や人の数が減っとるのう」

「何が理由なのですか?」

「そうだなあ。はっきりとした理由を知っているわけではないが、やはり、大通りに店を構えると税金が高いからであろう。昔も高いと言われておったが、最近の反乱や災害、さらには異端軍との戦いでまた上がったからなあ。店を構えるのも大変なんだろう」


 つまり、税が高すぎて市場が萎縮してしまったということなのでしょう。

 帝国のだらしなさが伺えます。税の引き上げ一つをめぐっても長い議論を経てなお成果があげられない民主主義国家ではないのです。せっかく専制なのですから、問題に対して抜本的な解決くらいしてみたらどうでしょうか。


「税を上げた結果がこの有様、という訳ですか」

「まあ、そう言うな。部外者がそれを非難するのは容易いが、それを行う者は大変なのだ。ただでさえ、やたらめったら攻めてくる異端軍に備えなければいかんのに、天災や反乱が重なったのだ」


 自分の声に含まれた非難めいた感情を感じたのでしょう、テリヤ司祭はたしなめるようにそう言いました。


 確かに大変なのかもしれません。ですが、間違いや問題は誰かが非難し、明らかにしなければいけないはずです。

 そして、内部の者が大変だ、難しいと言うばかりで、何時までたっても改善できそうにないのであれば、外部の者がそれを行うのは必然です。

 そうでなければ、王様はいつまでも自分が裸だと気がつけないままとなってしまうでしょう。

 ですが、王様は裸だと言った子供が終にはいたように、物事はいずれ問題を解決する方向に動くことになるでしょう。それは自然な流れだと思います。

 そして、それを行うのが帝国である必然性はないのです。


 自分はそう考えながら、立ち止まって街並みを眺めていました。道行く人間たちの顔には一様にある種の諦観と労苦とが浮かんでいるように見えました。

 テリヤ司祭も、自分の隣で昔と比べて活気が減ったという帝都を眺めていました。

 司祭は一体、どういう目を通してこの寂れていく都を眺めているのでしょうか。ふと、興味を覚えました。ですが、結局自分は何も尋ねることなく、司祭も何も言わずに、自分たちはまた歩き出しました。


 その服屋は大通りを少し外れた裏道との境にありました。


「たのもう」


 テリヤ司祭は店のドアを勢い良く開けると、相変わらずの大きな声でそう言いました。

 店内には布や洋服がところ狭しと並んでいました。カウンターや椅子にはホコリが積もっています。


「聞こえているよ。誰なのか、こんな大きい声をだして……おや、テリヤ坊や!」


 店の奥から一人の老婆が出てきました。髪は白髪で真っ白で、皮膚のシワはかなりの年齢を感じさせましたが、姿勢はまっすぐで、老体ながらも活力に満ちていました。あと、比較的小柄でした。

 いや、しかし、そんなことよりも何か今、彼女がとんでもない事を言ったような気がします。

 坊や。

 このテリヤ司祭を坊やと呼ぶなんて! この体格だけは良い破戒僧を坊やと呼ぶなんて!

 明らかに笑うべきところですが、自分の想像力を遙かに越えた展開に自分は唖然としているだけでした。不覚としか言いようがありません。このような有様では、自分は知性の瞬発力を鍛え直す必要があるでしょう。


「ソーさん、その坊やというのはいい加減止めてもらえませんか」

「何を言ってるんだい。坊やは何時までたってもテリヤ坊やだよ。それで、何時コーンビーフルに来たんだい?」

「お願いですから、坊やというのは止めて下さい。……それで、ですね……コーンビーフルにはサモーン公爵軍とオーク軍団の従軍司祭として付き従って来ました」


 テリヤ司祭は往生際悪く坊やと呼ぶのをやめてくれと繰り返した後、言いたくなさそうな様子で、何時帝都に来たのかを告げました。


「なんだい、それならだいぶ前にこっちに来ていたってことじゃないか。まったく、こっちに来ているなら挨拶くらいしに来ないかね。散々世話してやったのに、こんな恩知らずな真似をするなんて、坊やはそれでも神に仕える司祭か!」

「いや、ですから、坊やというのは止めていただきたいのですが」


 テリヤ司祭は横目で自分を見ながら言いました。そこには困惑の表情が浮かんでいます。そんな司祭の顔は初めて見ました。

 ……なるほど、テリヤ司祭、安心して下さい。司祭が服屋で坊や呼ばわりされていたことはこのブータしっかりと覚えておきましょう。しかし、この世界では動画撮影ができないのが悔やまれますね。

 この様子を見ればツヨイや他のオークも爆笑するに違いありません。ほら、司祭も言っていましたよね。笑うことは神の教えに従うことだと。


「話をそらさない! 坊や、まず始めに言うことがあるだろう?」

「あ、いや…………挨拶が遅くなって申し訳ありませんでした」

「よろしい。それで、坊や、今日は何をしにきたんだい? まさか、挨拶するためだけに来るなんて殊勝な真似、坊やには出来っこないんだから」


 そもそもテリヤ司祭が殊勝に挨拶できないと思っているなら叱る必要もなかったのでは、などと自分が思っていると、テリヤ司祭が自分のことを指さしました。


「彼のために礼服を用立てて欲しいのですが」

「なんだい、この化物は!」


 老婆は自分を見て吐き捨てるようにそう言いました。顔にはありありと嫌悪の感情が浮かんでいます。オークは決して人間と友好的ではありませんから、無理も無いことでしょう。


「ソーさん、彼は――」

「言わせてもらうけどね、あんたのところの連中がチェリさんとこの娘さんを襲ったんだからね。嫁入り前だっていうのに、かわいそうに、あの娘は自殺まで考えたんだよ! それに、スチーさんのとこは強盗まがいに商品を持ってかれたって嘆いてたよ。異端軍を倒したのかなんなのか知らないけど、私に言わせりゃ、あんた達はみんなろくでなしだよ!」

「ソーさん、彼はそんなことはしていません」


 なんか知りませんが、ソーさん、という名前らしい老婆から、自分のことをテリヤ司祭が庇ってくれました。

 しない、というか、できないというのが正しいのでしょうけれど、黙っていましょう。自分だけだと、人間の兵士に普通に返り討ちにされそうな気がします。

 いや、だからといって決して、問題はありませんよ。

 自分はブレイン担当ですから。理知的で革新的な灰色の我が脳細胞こそが自分の最大の財産なのです。だから、自分が人間の兵士よりも弱かろうが問題はありません。決して強がりではありません。本当ですよ。もう少し体が強ければなどと思ったことはありません。本当なのです!


「お黙り! 坊やもこんな連中といつまでも付き合っているんじゃないよ。大体、坊やは昔からいかがわしい連中とばっかり付き合っていて! 神様の教えを伝える司教になったっていうのに、そんな有様でどうしようっていうんだい。もう少し、品行方正に生きろと昔から何度も言っているじゃないか!」

「いや……あの……申し訳ありません」

「声が小さい! 大きい体をして何でそんなに小さな声で喋ってるんだい。それに、体をそんなに丸めて! もっとしゃきっとしないかい!! 大体、あんたは昔から――」


 凄いです。自分は奇跡を見ているのでしょうか。

 あの暴虐無人のテリヤ司祭が体を縮こませています。ソーさんパネェ。そして、話の内容が微妙に繰り返している気がします。これが無限ループだとでも言うのでしょうか。説教はいずれ終わるものだと何時から錯覚していた、というやつなのでしょうか。

 しかし、ループはともかく、言っていることはまともですね。テリヤ司祭もこれを機会に日頃の行いを改めてくれると良いのですが。

 何はともあれ、老婆の矛先が自分からテリヤ司祭に向かってくれたことは喜ばしい限りです。傍から見ていても、もの凄い勢いを感じますからね。

 司祭が濁流に飲まれて溺れかかったチワワのような目をしてちょくちょく自分を見つめてきますが、無視しておきます。このエネルギッシュな老婆の口撃目標になることは御免被りますからね。

 いえ、決して自己保身というわけではありませんよ。テリヤ司祭が品行方正に生まれ変わるように、と自分は身を切るような思いで見守っているのです。


「それで、坊やは私にこのゴロツキのために礼服を仕立てろっていうのかい? ええ!? どうなんだい!?」

「は、はいい! その通りです」

「なんだってこんなろくでなしのひとでなしのために服が必要だっていうんだい。こんな連中は服なんか必要ないだろうに」


 現実は非情なものです。老婆は自分にも口撃を仕掛けてきました。テリヤ司祭の顔はさんざん叱られてしょぼくれていましたが、ソーさんが目を放した一瞬こちらを見てニヤリと笑いかけてきました。

『幸福は分け合うもの、不幸は共に背負うものなのだ』

 従軍中のテリヤ司祭の言葉が思い出されます。断りたいです。幸福は独占するもので、不幸は押し付けるものなのです。不幸になるのはテリヤ司祭だけにしておいて欲しいのです。


「なに、木偶の坊みたいに突っ立ってるんだい。あんたらみたいな薄汚いろくでなしがいると商売の邪魔だよ。とっとと出ていきな」

「……」


 ここまではっきり言われた以上、店を出ることにしましょう。それが、お互いの幸福にも繋がりそうですし。

 最後に、挨拶くらいはしておきましょう。野蛮なだけのオークと思われたままだというのは癪ですので。


「おじゃましました」

「どこから出ようとしてんだい! 店の表からそのろくでなしの顔を外に出すんじゃないよ」

「……」


 かっこ良く店を去ろうとしたら失敗しました。いえ、決して悔しくはありません。自分はユーモアあふれるオークというキャラで売っていますので。


「それと、その汚らしい様子で、町を出歩くんじゃないよ。ちったあ、汚れを落としてから出ていきな」

「は?」

「風呂だよ、風呂。あんたは知らないのか? テリヤの坊や、坊やがこの木偶の坊を連れてきたんだ。このろくでなしに風呂を教えてやりな」

「よし、ブータ、いくぞ」

「え?」


 え?


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 あ、ありのままに起こったことを話します。店を追い出されたと思ったら風呂に入れられていました。何を言っているのか分からないと思いますが、自分もさっぱり分かりません。


「ブータは風呂に入るのは初めてか? どうだ、気持ち良いだろう」

「……まあ、風呂は生まれて初めてですね。なんというか、もう少し広ければよかったのですが」

「まあ、そう言うな。自分の家にこれだけの風呂を持っている家はコーンビーフルにもそうないのだぞ」


 目の前にはやたらと筋肉ばかりが発達したテリヤ司祭の逞しい肉体があります。見ていて楽しいものでもありませんが。むしろ、むさ苦しいです。

 そのテリヤ司祭と触れ合うような形で自分は石造りの風呂に入っていました。好きで触れ合っているわけではありません。単純に、風呂釜が狭いのです。


「ソーさん、でしたっけ、あのお婆さんに出て行け、と言われたような気がするのですが」

「ああ、気にするな。あの人は初対面の相手にはいつもあんな感じだ」


 それって、商売人としてどうなんだろう、と思いました。

 自分がオークだったからあの扱いだったわけではなく、一見さんにはみんなあんな応対をしているというのでしょうか。さすがにそれをやっていると、店がすぐに潰れてしまうと思います。

 まあ、常連を大切にする店、ということなのでしょう。多分。


「でも、テリヤ司祭は随分絞られていましたね」

「……いや、まあ気にするな」

「まあ、別にいいですけどね。それよりも、服装はどうしましょう。諦めますか」


 はっきりと断られた以上、服装を得るには他に店にあたるしかないでしょう。

 しかし、オークだけでまともに買い物ができるとは思えません。高い税金に苦しんでいるコーンビーフルの方々なら、金を払えば喜んで商品を売ってくれるはずです。しかし、根本的にこちらに金を払うつもりがあるということを伝える事自体が難しそうなのです。正直なところ、自分はテリヤ司祭の伝がなければ売買どころか会話もままならないのです。

 ますます、報奨として与えられた金貨の価値が分からなくなります。使い道が一体どこにあるのでしょうか。

 別に礼服がなくても自分は一向にかまわないので今回について言えば問題はないのですが。


「何を言っとるんだ。今頃、ソーさんはお前のための礼服を仕立てているはずだ」

「そっちこそ何を言っているんですか。さっき、あれほどはっきりと断られたじゃないですか」

「だから言ったろう? あの人は初対面の相手にはいつもあんな感じだと」


 え、それじゃあ、あの老婆は相手がオークじゃなくてもあんな応対をするというのですか。いや、流石にこれは冗談ですね。あんな接客をしていたら、常連客などできるわけがないでしょう。

 あれは、また利用したくなるとか、常連客ができるとかいったものじゃありません。塩を撒きたくなるような応対です。

 そんな思いが顔に出ていたのでしょう、テリヤ司祭は小さく笑いながら言いました。


「あの人は、腕は確かなのだ。数刻の内に礼服を仕立て上げられるような裁縫屋は帝都に他にはいないのだ。それに、あの人のつくる服はどれも綺麗で、しっかりとしている。帝国の高邁な貴族の服も仕立てたことがあるのだぞ」

「意外ですね」

「まあ、風呂を出る頃には仮縫いが終わっているんじゃないかな」


 え? 最初、テリヤ司祭が何を言っているのかさっぱり分かりませんでした。自分たちが風呂に入ってまだ半刻も経っていないと思います。というか、ソーさんは寸法取りなど一切していないはずです。

 普通、衣服を手作業で作る手順は


 1.寸法取り

 2.型紙作り

 3.布の裁断

 4.仮縫い

 5.仕上げ


 とか、そんな感じだったと思います。うろ覚えで色々間違っているかもしれませんが、寸法取りは確かに手順として存在していたはずです。

 ……この世界ってミシンが既に存在しているのでしょうか。生まれてこの方機械らしいものなど見たこともなかったので、油断していました。

 リアルジョバンニが存在していたとはびっくりです。この世界は何時から漫画になったのでしょう。


「寸法取りはしていないですよね?」

「うーむ、時々思うのだが、ブータは妙な知識を持っとるな。昔、わしは衣服づくりに寸法が必要だなどと思ったこともなかったというのに……ああ、確かにそうだ。寸法は取っていない。ソーさんは寸法をとらないでも衣服を作れるからな」

「え? 見た目で寸法がわかるとか、そういうのなのですか」

「うむ、そうらしいのだ」


 すげえ、と一瞬思いましたが、よくよく考えれば確かに見た目で大体の大きさは分かります。サイズに合わせて予めフォーマットを準備しておけば、素早く服を作ることも可能かもしれません。


「さて、そろそろ出るとするか」


 そう言って、テリヤ司祭は立ち上がりました。間近で見ると、司祭の大きさがよく分かります。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「ふん。ちったあましになったようだね。さっさと、こっちへ来な。なにボケッと薄鈍みたいに立ってんだ。」


 風呂上りの自分に向けてソーさんが言った第一声がそれでした。


「ええっと、何をするのですか」

「ものを覚えることもできないのかい? このドアホが。あんたの礼服の仮縫いが終わったから着合わせするんだよ」

「……」


 どう考えてもこのお婆さんは、自分のために服を仕立ててやる、とは言っていない気がします。というか、おもいっきり断られたと思うのです。

 テリヤ司祭が自分に、ソーさんは自分の服を作っている、と話していたため、事前に心構えはできていたことは確かですが。

 しかし、彼女と自分とでは実は違う言葉を喋っているのではないか、と思えてなりません。翻訳してくれる司祭は必須ですね。


 そんなことを考えながら、ソーさんに渡された服に袖を通しました。


「……ぴったりですね」


 ジャストフィットというやつです。きついところはどこもないですが、だぶついているところもありません。

 動きやすいし、物凄く良い感じです。


「アホウ! 仮縫いの段階で動きまわるんがないよ」

「痛っ!」


 感動して、腕を回したり、跳んだりしていたら、ソーさんに思いっきり叩かれました。

 テリヤ司祭がニヤニヤ笑っています。毒草を食べてしまった時のような苦味と苦しさを感じました。


「どうだ、ぴったり合うだろう。はしゃぐほどだろう」

「あんたが自慢すんじゃないよ!」

「イタッ、ちょ、止めて下さい、ソーさん」


 一瞬、司祭に殺意が芽生えたような気がしましたが、そんなことはありませんでした。

 自分はニヤニヤ笑っていました。幸せを感じました。例えるなら、蜜入りパイを食べたような幸福感です。


「あんたは変な顔で笑っているんじゃないよ。ただでさえ、見たくもない顔なのに、気持ち悪いったらありゃしない。ほら、着合わせがおったんだから、とっとと脱ぎな」


 ソーさんは自分から仮縫いしたての服を引っ剥がしました。微妙に寒いです。


「で?」

「はい?」

「なに間抜けな返事をしてんだい。何時までに服が必要だっていうんだって聞いてるんだよ」


 そんなことを言われても、と思います。

 自分とソーさんでは間違いなく話している言語が異なるのでしょう。話の文脈から読み取れる限度を越えています。

 出来れば日本語で喋って欲しいと思います。文脈の流れに重きを置く日本語ならソーさんとも会話ができるに違いないと思うのです。いえ、嘘です。どう考えても無理です。本当にありがとうございました。

 とりあえず、ソーさんの質問への返答は隣の司祭に丸投げしましょう。


「今日の晩に彼、ブータはチキーラ将軍と面会するのでそれまでにお願いできますか」


 ええ? 話を伝えた当日に責任者と面談ですか。

 テリヤ司祭の話を聞いて最初、そう思いました。ですが、よくよく考えてみれば、事態は急を要するはずです。急な話になるのも仕方ないのかもしれません。


「へぇ、由緒ある正統コーンビフ帝国の将軍と、どこぞの馬の骨ともしれないゴロツキが席を共にするのかい。歳は取るもんじゃないね」

「ソーさん、そんなことを言わないでください。ソーさんがいなくなったら、わしは満足に服も揃えられなくなってしまいます。それに、ずっと敵対してきたオークと人間が神の名のもとに共に歩める様になるかもしれないんですよ」


 唐突にテリヤ司祭はそんなことを言いました。まさか、司祭はオーク達がケビア教に帰依すると思っているのでしょうか。


 だとすれば、司祭の目はとんだ節穴だと言わざるを得ません。

 そして、仮にオーク達がケビア教を信望したところで、自給自足が満足にできないオーク達は他者から奪い続けない限り、生きていけないのです。

 もちろん、オーク達は人間と同じように農耕を行うことは可能でしょう。しかし、オークの文化にはそうした行いを下に見る傾向があります。そして、オーク社会で幅をきかせるのは、ツヨイやインペリアの様な勇猛な戦士なのです。

 奪わねば生きていけないから、戦士が幅をきかせるようになったのか、戦士の地位が高かったから、奪うことによって糧を得るようになったのか、何故オークが今のようになったのかは自分には分かりません。

 ですが、宗教が人間とオークの対立を止めることは不可能だということは、自分は確信しています。

 ソーさんもまた同じ心境だったのでしょうか。しばらくの間をおいて静かに話し出しました。


「テリヤの坊や、あんたの言うことはあたしにゃいつも夢物語にしか聞こえないね。この帝都で、こいつらオーク共が何をしているか知らないわけじゃあるまい。あたしに言わせりゃ、こんな連中はとっとと皆殺しにするべきなんだ。わざわざこんなならず者のためにあたしが服を仕立ててやるのは、坊やが頼んだからだ。そうでもなかったら、死んでもあたしゃこいつの服なんか作らないね」

「ソーさん、ブータは決してそんなやつではないです。こいつはひねくれているけど、根はいいやつだし、頭もいいんです。こいつと話しているとそれが分かるんです。こいつほど頭の良い奴は神学校にだっていませんでしたよ」


 テリヤ司祭は随分と人を見る目があるかもしれませんね。確かに、自分は、この世界よりも遙かに洗練された文化的な社会で高等教育を受けた記憶を持つ知的エリートです。こんなならず者司祭でも卒業できるような神学校の連中に自分が負けるわけがないのです。

 これは当たり前のことです。だから、自分はこんな当然の事を言われても嬉しいなどとは感じませんが。

 自分がそんな事を考えている間、ソーさんはまっすぐとテリヤ司祭を見据えていました。


「確かにこいつがどんなやつかはあたしは知らないよ。けどね、坊やは、こいつの仲間に犯され、奪われ、殺された帝都の人間たちもこいつらと仲良くしろと、全てを水に流せと言えるのかね」

「――!」


 テリヤ司祭がどれだけの情熱を持っていたとしても、反論のしようのない響きがソーさんの最後の言葉にはありました。

 その言葉にはきっと、コーンビーフルに住む人々の感情そのものだったからです。


 自分もまた、オーク達がしてきたことを改めて意識されられていました。

 我ながら今まで自分が無感動に淡々とオークの行いを受け止めていたことに愕然としました。

 街中で上がった悲鳴を、奪われた者の嘆きを、怨嗟の声を自分はこの帝都で何回も耳にしていたのです。それにも関わらず、自分はコーンビーフルが平和だと考えてすらいました。

 確かに、この帝都で自分たちオークが危害を加えられることはまずありません。しかし、人間たちはオークからの危害に怯え、怒り、憎んでいるはずなのです。その人間たちに向かってどの口が平和な街並みだと言えるというのでしょう。

 オークとして過ごす内に自分はいつの間にかここまで人の生死や不幸、理不尽に無感動になっていたのでしょう。

 人間としては恥ずべきことですし、忌むべきことです。しかし、オークの立場に立った今、自分は無感動であるべきです。

 戦いの際に動揺して怯んだりしていては死ぬしかないのですから。


「……すまないね。つまんないことを言ったね。確かに、坊やの言う通り同じ神様を信じているなら仲良くしなきゃいけないのかもしれないね」

「それは……」


 長い沈黙を挟んでソーさんが呟きを漏らしました。

 仲良くしなけりゃいけない、その言葉を口にするまでにソーさんの心のなかではどれほどの葛藤が生じたのでしょうか。

 テリヤ司祭はソーさんの呟きになんと答えるつもりだったのでしょうか。

 そして、自分は何を言うことができたのでしょうか。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「すまなかったな、ブータ」


 ソーさんの店を出てしばらく歩いた後、テリヤ司祭は不意にそう言いました。


「ブータ、お前は何もしていないのに、責められて気分を悪くしたかもしれん。ソーさんの代わりにわしから謝ろう。ただ、ソーさんは良い人なんだ。だから、悪く思わないで欲しい」

「悪くなど思っていません。ただ、ただ、色々と考えさせられました」

「そうか……だが、わしはお前が気にする必要はないと思う。お前は何もしていないのだから」


 確かにテリヤ司祭の言う通り、自分は何もしていません。しかし、――


「何もしていないということは罪がないことなのでしょうか」

「……ブータ、お前はオークとして、いや、人間と比べてもすごく賢いだろう。神学校に一時期いた頭のいい司教も、お前と同じようなことを言っていた。わしには、難しすぎて司教が何を言っているのかよく分からなかったが、お前は、きっと習うこともなくそれを考えつくに至ったのだろう。しかし、だ。しかし、――」


「……」


 言葉を探すようにテリヤ司祭は空を見上げました。やがて、言葉を見つけたのか、テリヤ司祭は自分を見据えました。

 その瞳にはあるいはツヨイと同じような鮮烈な意志が輝いているようにも見えました。


「わしは、思うのだ。あの司教にしたってそうやって考えるばかりで、なんにもできとりゃせんのだ。相変わらず、同じ神を信仰しているはずの者たちが争い、神の恩寵を知らぬままの者たちに世界は満ちている。それじゃあ、いかんのだ。神のもとに全ての民は1つになるべきなのだ。……考えるばかりじゃいかんのだ。それでは何も変わらなかったのだから。だから、わしは行動していかねばならぬ。どんなに想像力を働かせた所で、神の思し召しを完全に理解することはできないのだ。やってみて、初めて見えてくる事の方が多いのだ。」

「そう、ですね」

「先日の戦いの時だって、最初はみんな負けると思っていたじゃないか。それなのに、神はブータ、お前というオークをお造りになり、帝国に勝利をもたらした! 神は門をたたく者にその扉を開きたもう。何事もやってみなければ始まらないのだ! わっはっはっはははは!」


 テリヤ司祭は何がおかしいのか笑い出しました。まったく、いい加減な司祭もいたものです。

 でも、やってみなければ何も始まりません。それは確かでしょう。少し、自分の気が軽くなったことについては司祭に感謝しなければならないでしょう。


 そういえば、昔、似たようなことをツヨイに言われたような気がします。

 他者を惹きつける強靭な意志や行動力という点でテリヤ司祭はきっとツヨイと似ているのでしょう。そう自分は思いました。

 ただ、ツヨイとテリヤ司祭とでは立ち位置が全く違います。そして、自分もまたテリヤ司祭とは立っている場所が違うのです。

 テリヤ司祭の夢はオークとしての立場からは受け入れがたいことです。


 司祭が思い描く未来とはケビア教の守護者である正統コーンビフ帝国の元に全ての民族、種族が服従する世界なのでしょう。当然ながらオークはそれを望みません。

 そして、何よりもツヨイの絵描く未来はオークの国家を建国することであり、これは司祭のそれとは相容れないものです。

 仮に自分が人間として生まれていたら、自分はテリヤ司祭に共感したのでしょうか。そして、テリヤ司祭に助力しようとしたのでしょうか。そんな疑問が頭に浮かびました。

 もしかしたら、そうなっていたのかもしれません。テリヤ司祭と友人になり、司祭の夢に付き合っていたのかもしれません。ツヨイの夢が非現実的だと理性で判断しながらも、自分が今その一助になろうとしているように。

 しかし、何の因果か自分はオークとして生まれ、ツヨイを友とし生きてきました。そして、これからもそのように生きていくのです。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「ほら、服を着たらとっとと出ていきな」


 相変わらずの冷たい声で、ソーさんは言いました。


「どうもお世話になりました」


 自分はそう言って頭を下げると店を出ました。

 既に日は落ちかかって、辺りは薄暗くなっています。新しい服を着ているにもかかわらず、多少の寒さを感じながら自分は歩き出しました。


「馬車をとってある。そっちの表通りから乗り込むぞ、ブータ」

「分かりました」


 隣で待っていたテリヤ司祭に従って、生まれて初めて自分は馬車に乗りました。

 将軍を訪ねるのに徒歩では無礼に値する、ということで、自分たちは馬車に乗っています。馬車を引く馬や業者は老いぼれた様子でした。戦争のために、若者や健康な馬はかり出されたということなのでしょうか。


「ツヨイの奴が思ったよりも反対してたな」

「そうですね」


 テリヤ司祭が馬車の中で提供した話題に、自分はその時の情景を思い出して小さく笑いました。やけくそじみた笑いです。

 今日、これから一緒に娼館まで行かないか、とツヨイが誘ってきたのはソーさんの店で服の注文を済ませて、一旦借宿に戻った時でした。

 元々、娼館にさほど行きたいとは思っていなかった自分ですが、ソーさんの話を聞いてまったく気分ではありませんでした。という訳で、自分は行かないと断ったのですが、ツヨイは持ち前の強引さで一緒に行かないかと自分を引っ張り続けました。

 見かねたテリヤ司祭は、今日は自分達にははずせない用事があると言うと、ツヨイは自分も連れて行けと言ってききませんでした。帝国の将軍相手に予定外のオークを引き合わせる訳にはいかない、と説得しても、ツヨイはなかなか聞き分けようとしませんでした。

 ブータが行くなら俺も行く、と子供のように駄々をこね続けたのです。こんなツヨイは初めて見ました。

 しかし、よくよく考えると、人豚の社会でツヨイは思うままに振舞ってきました。自分が何か作業中であっても、ツヨイは勝手に自分を引きずり、引き連れ回していたのです。ですから、ツヨイにとって思い通りにならない状況というのはこれが初めての体験だったのかもしれません。

 だとすると、教育というものの大切さが分かりますね。無理なことは無理、駄目なものは駄目と叱りつける存在は人格の発育において極めて重要なことであるに違いありません。

 ほら、自分は幼い頃から殴られまくっていたお陰で、常識的かつ理知的なオークへと成長しましたからね。だから、好き勝手に振る舞えるツヨイを羨ましいと思ったりしたこともないのです。

 長い説得を続けた結果、小一時間かけてようやくツヨイは諦めたのか、仕方ないから明日にしよう、と言いました。

 ところが、テリヤ司祭が、明日はさらに重要な用事がある、と言ったため事態は収拾が付かなくなってしまいました。

 どういうことだ、と怒り叫ぶツヨイに、テリヤ司祭は、明日、ブータは皇帝に会うことになっている、と答えたのです。

 その後は、本当に大変でした。


「司祭が最後に余計なことを言わなければ、あの場は丸く収まっていたでしょうに」

「わしは神に使えるものとして嘘はつけんからなあ。まあ、良いではないか。無事解決したのだから」

「あの後、すぐに帰った司祭にだけは言われたくないですね」


 皇帝との面会の話をした後、テリヤ司祭は用事があるといって早々に退散したのです。おかげで、ツヨイの説得は自分一人ですることになったのです。夕方になってテリヤ司祭が迎えに来るまで延々とツヨイの駄々に付き合わされた自分の苦労はこの司祭には理解出来ないでしょう。


「まあ、そう言うな。……お! どうやら、着いたようだぞ」


 御者は腰を曲げながらゆっくりと地面に降りると、馬車のドアを開けました。寒々しい夜の風が馬車の内部に入ってきます。


「チキーラ将軍邸宅でございます」

「うむ。チップを渡しておく。帰りも頼むぞ」


 馬車に乗っていた時間は短いものでした。これならば歩くことも可能ですし、そのほうが遙かに経済的です。しかし、礼儀として自分たちは馬車を使いました。この無駄をテリヤ司祭はどの様に思っているのでしょうか。疑問が生じましたが、自分は結局何も問いかけずに、司祭の横を歩いて行きました。


「こちらでございます。只今、主人をお呼びしてまいります」


 清潔な服に身を包んだ召使が自分たちを応接間に連れて行きました。応接間はおそらくは上等な木材で作られた家具が配置され、壁には甲冑や騎士の絵画が掛かっています。何十本と配置されたろうそくの明かりに食器棚に配置された食器の数々が金銀の光を放っていました。


「ほう、こりゃ見事なもんだ」


 テリヤ司祭は無邪気に感嘆の声を上げていました。司祭は大股に低めの棚に近づくと、その上においてあった金色に輝く酒瓶の蓋を掴み中身を覗き込みました。

 果たして、この司祭の行動は人間社会の礼儀に適っているものなのだろうか、と自分が疑問に思っていた所で、奥のドアが開き、先ほどの召使と一人の別の男が入って来ました。

 その男の第一印象は、洗練された知識人といったところでした。一つのシワもない服の下に隠れた体の線は細い様子で、学者タイプの人間の様に見えました。その重々しい佇まいは神に使える敬遠な信徒を連想させます。正直、テリヤ司祭よりも遙かに聖職者らしい人物です。

 自分がオークとして生を受けてから今まであった人間の中では、服装も佇まいも最もきっちりとした人物であるように感じましたが、一方で、どこか神経質な印象も受けました。

 この人物は固まっているテリヤ司祭をじろりと睨めつけると、冷徹な瞳で自分を見据えました。気に入らない、という感情が顔ににじみ出ています。

 テリヤ司祭の上役なのでしょうか、と思っていると召使が、チキーラ将軍だと紹介しました。

 軍人に見えるテリヤ司祭が聖職者で、聖職者のようにしか見えないチキーラ将軍が軍人であるという事実は、人を見かけで決めてはいけないという真実を如実に語っていると思いました。


「タルタル・チキーラだ。お前の話はテリヤ司祭から聞いている。ブータというそうだな」

「はい」


 チキーラ将軍の言いように自分は意外だなと、思う反面、なるほど、とも感じていました。見た目通りの喋り方であり、この場で紹介されなければ、自分はこの人物が聖職者が何かだと勘違いしたことでしょう。

 それほどまでにタルタル・チキーラは軍人階級という印象を感じさせない人物でした。

 もっとも、自分の知る軍人はツヨイなどのオーク達と、僅かな接点しかなかったサモーン公爵軍の兵士たち位なものであり、自分の軍人に対するイメージが偏ったものであるということも十分にあり得ます。


「なるほど、最低限の礼儀くらいは知っているようだな」

「……ありがとうございます」

「ところどころ目に付くが、まあ良い。皇帝陛下も私も、オークにそこまでを要求することはない」


 随分と鼻につく言い方をする人物だ、と自分はチキーラ将軍を勝手に評価しました。最初に感じた神経質、潔癖症というイメージはどうやら合っていたようです。


「それで、テリヤ司祭から話は聞いているのか?」

「明日、皇帝陛下と会うという話ですよね」

「拝謁する、だ! 皇帝陛下のご尊顔を拝する以上、その程度の最低限の礼儀は弁えてもらわねば困る。その顔はなんだ! 貴様はこの上ない栄誉の機会を与えられたのだ! ならば、愚鈍だとしても、最大限礼儀を守り、貴様らオークの品位を落とさぬよう務めるのが筋ではないか!」


 いちいち細かいところまでしつこい上に意味のないことに時間をかける男です。そもそも自分はその皇帝とやらに会うことになんの栄誉も感じていません。むしろ迷惑だとしか思っていないというのに、勝手にこんな話をされるのは不愉快です。

 こんなのが将軍でいいのでしょうか。自分だったら言葉遣い一つでここまでねちねちとしつこい人物に従って戦いたいとは思いません。

 やはり、なんだかんだ言っても、将軍たるものはツヨイのように大雑把で、前向きな性格が適していると自分は思うのです。戦略や戦術など足りない部分は他が補えばいいわけですから、将軍たる人物に第一に求められるのは他者を惹きつけるカリスマ性であること疑いないでしょう。

 このような人物が将軍をしているということが今日まで帝国が連敗を重ね続けた原因たること間違いないでしょう。

 そんな風に、自分が心のなかでチキーラ将軍への罵倒を続けていると、ようやくチキーラ将軍の小言が終わりました。長かったです。


「……反省の色が見られないようだが、まあ良い。貴様は明日、皇帝陛下に拝する名誉を授かるわけだが、陛下は貴様に異端軍に対して追撃を加えるか和議を結ぶかどちらが良いかを問われるだろう。そこで、貴様には異端軍の断固とした追撃を主張してもらう」

「それは命令でしょうか」

「なに? 当たり前であろう。貴様のような野蛮な者が陛下に拝謁する栄誉を授かるというのだ。当然、果たすべき義務が貴様にはある」


 チキーラ将軍は随分と怒りやすい性格だなと、自分は思いました。

 自分は名誉などこれっぽっちも感じていませんし、その価値観を押し付けられても困るのです。誰もが自分と同じように世界を見ていると決め付けるのは傲慢でしかないのでしょう。チキーラ将軍を見ながら、自分は強く実感しました。


「チキーラ将軍、残念ながら、私には貴方の命令に従う理由がありません。私たちオークを傭兵として雇ったのはサモーン公爵です。雇われた以上サモーン公爵の命令には従いますが、貴方の命令に従う義務はありません」

「私に、帝国の将軍たる私に逆らうというのか」

「私たちオークはサモーン公爵に雇われたのであって、帝国に雇われたわけではありません。そこをご理解いただきたいのですが」


 自分がそう答えると、チキーラ将軍の額が痙攣しました。口元は微妙に歪み、手先が震えている様子が見えます。激怒させてしまったのでしょうか。カルシウムが不足しているのではないかと、警告したほうが良いかもしれません。

 隣では、テリヤ司祭が引きつった顔で汗を垂らしていました。もしかして、相当まずい状況なのでしょうか。


「……テリヤ司祭、私は礼儀正しいオークがいるという話を聞いていたのだが」

「っ!」

「その礼儀正しいオークがよもや私に向かってここまで無礼な口を聞くとは、この連中はどこまで野蛮なのだ」

「将軍閣下、聞いてください!」

「もう良い。どの道、このオークが陛下に拝顔することは既に決まってしまっている」


 そう言って、手を振るって、チキーラ将軍は顔を背けました。そのまま将軍は机の前まで歩いて行って、机の上においてあった酒瓶と小さな杯を取り、酒を杯に注いで、一息に飲み干しました。


「貴様は何が望みだ?」

「え?」

「私にわざわざ口答えまでしたのだ。そうまでして何を望んでいると聞いている。酒か? 女か?」


 チキーラ将軍から予想外の問いかけが向けられました。自分はただこの人間が気に入らなかったからゴネただけでした。他には、面倒事に巻き込まれたくないという判断からそう言ったのです。

 将軍の言い様だと、自分が皇帝と会うことは既に確定事項のようです。ならば、ゴネておいて正解でしたね、ゴネ得というやつです。


「……そうですね。帝都にある図書館で本を自由に読み借りできるようにしていただきたいです」

「なに? そんな事を望むのか? まあ良い。その程度のことだったらいくらでも許可してやる。ただし、皇帝陛下に拝謁し、異端軍追撃を進言したならば、だ」

「分かりました!」


 今までの苦労が嘘のように、図書館の利用が認められました。いや、まだ認められていないのですが。望外の喜びです。

 という訳で、元気よく、チキーラ将軍に返答すると、彼は何かを言いたそうな微妙な顔で自分を見ました。


「……まあ、いい。ここに陛下の質問に対してどう答えるのか、その文章を用意しておいた。貴様はここに書いてある通りに陛下に答えるのだ。ところで、貴様は文字が読めるのか?」

「いいえ、完全ではありません」

「ならば、そこのテリヤ司祭に分からないところは聞くように。話は以上だ。明日の夕までにこの文面を暗記しておくように。……ガーリック! 客人がお帰りだ。案内して差し上げろ」

「かしこまりました」


 チキーラ将軍は横に立つ召使に言いつけると、話は済んだとばかりに颯爽と去って行きました。

 図書館の利用を認めてくれるとは良い人です。いえ、素晴らしい人物であること間違いないでしょう。このような偉大な人物がいる限り、帝国は盤石そのものであるのでしょうね。

 ……決して自分が物で釣られた訳ではないと言っておきましょう。これは正統な取引なのです。何もやましい所はありません。


「お前はずいぶん単純な奴だなあ」


 テリヤ司祭がなにか言っていますが無視しました。これこそが謂れ無き誹謗に対処するための賢明な手段ですからね。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「ヨワイ! そのエライ奴に会うっていうのは何時までなんだ?」

「いや、だから、ブータと呼べよ。それで、皇帝との対談が何時終わるかを聞きたいのか? 残念だけど、自分は何も知らないし、なんとも言えんぞ」

「分からないのか? まあ、なら、終わったら、すぐここ、じゃなくて、裏の店に来いよ! 入口の辺りで待っているからな!」


 次の日の朝、チキーラ将軍のカンペを半ば徹夜で暗記していた自分に、娼館帰りのツヨイが唐突にそんな事を言って来ました。相変わらず、どうしてそんな事を考えるに至ったのかさっぱりです。

 正直、気分的に娼館は遠慮したいです。昨晩のソーさんの言葉が我ながら強烈な印象となって自分の心に残っているのです。

 と言うか、娼館での残り香が鼻にきついので今のツヨイには近づかないでもらいたいです。帝都で生まれ変わって初めて風呂に入り、清潔なオークとなった今の自分にはオークと人間の不毛な体臭のコラボレーションは勘弁願いたいというのが正直なところですからね。


「今日いっぱいは無理だと思う。だから、ツヨイは気にせず楽しんでこいよ」

「無理だなんて、そんな事はないだろう? まさか真夜中までずっと居なけりゃいけないなんてことがあるわけないだろうし」

「……まあ、そうかも知れないけど、今日は遠慮するよ。気分じゃないしね」


 自分がそう言うと、ツヨイの顔には失望の色が浮かびました。

 ツヨイは自分の方を強靭な力で握り締めると自分の顔をまっすぐに見据えました。


「ヨワイ! いや、ブータ! オレは! …… オレは……」

「? ちょ、痛いから、肩が痛いから力を抜いてくれよ。痛っ! 痛いってば!」


 最初は勢いが良かったツヨイですが、何か言いにくいことでもあるのか声は尻すぼみに小さくなって行きました。

 肩を握り締める力は弱まるどころか、むしろ強くなっていたので自分は必死に叫びましたが、ツヨイは聞いた様子もありません。あまりの力に自分は身を捩ってツヨイの手を逃れようとしましたが、鋼鉄のような手にまるで歯が立ちませんでした。

 そんな自分の様子などお構いなしに、ツヨイは自分を覗き込むように見ると、決心したように言いました。


「ブータ、お前はすげえと思う。この前の戦いはお前のお陰で勝ったようなもんだ」

「いや、自分は何もしてないし。どちらかと言うと、ツヨイとかインペリアの成果だろ」

「無理にオレを持ち上げないでくれ、ブータ!」


 いや、持ち上げているんじゃなくて、ただの事実だ、という返答はツヨイの勢いに飲まれる形で、自分の口から出ることはありませんでした。


「お前は戦いに勝つ方法を考えたり、もっと難しいことを考えたりできる……オレはせいぜい戦うことしかできねえ。考えることは苦手だし、こうやって話そうとするとどうしても上手く言えない。……オレはお前のことをうらやましいと思ったりしたこともある。けど、それでも、お前とは友達でいたいんだ、ブータ」

「え? 友達とか当たり前だろ」


 ツヨイの予想外の言葉に不意を突かれた自分はごくごく普通の返答しかできませんでした。

 戦うことしかできない、とツヨイは言いましたが、他者を圧倒する戦果を上げ続けているその能力は自分には備わっておらず、そして、自分が憧れ、羨み、嫉妬してきたものです。本来、自分はツヨイの後押しがなければ、タタカウモノとして戦士階級になることすら不可能だったでしょう。ツヨイの半分でもいいから自分にもっと力があれば自分はツヨイと共に戦えるのに、と思ったことは一度や二度ではないのです。

 オークの社会で必要とされる能力に一切恵まれなかった自分にとって考えるという事は唯一残されたものでした。自分にはそれしかできない、というのが本当のところなのです。ですが、いくら素晴らしい着想を得たからといって、それを実現出来るだけの力がなければ何の意味もありません。そして、いくら考えたところで現実は予想の範疇を遙かに超えて変化していきます。

 先の戦いでも自分の推測はほとんど的を外れていました。インペリアに意趣返しをしてやろうと適当な事を言ったら偶々正解した、というのが自分にとっての先の戦いでした。そして、それは全くもって褒められたことではないのです。

 結局、荒唐無稽な自分の考えを馬鹿みたいに信じて命のチップを投げつけたブータやインペリアの決断こそが先の戦いの勝利の本質であった、と自分は思うのです。もちろん、運の要素は強いでしょう。異端軍が連戦で疲労していたというのもあるでしょう。しかし、あの不利な状況でなお踏みとどまって戦うという決断がなければあの勝利はあり得なかったのです。その迷いなき決断力と実行力とは自分にはないものです。

 それでも、隣の芝生は青い、とは誰であろうと感じるのでしょうか。ツヨイは自分の事を羨ましいと感じていると言いました。自分はその何倍もツヨイのことを羨んでいるというのに、です。

 きっと、ツヨイは、どれだけ自分がツヨイに劣等感を感じていたかなどまるで認識してもいないのでしょう。自分が、どれだけツヨイを羨望し、妬み、憎しみに近い感情すら抱いていたということなど全く予想しないのでしょう。自分が、ツヨイが自分の事を羨んでいると思いもしなかったように。まったく、自分もツヨイも馬鹿としか言いようがありません。だけれど、だからこそ、きっと自分たちは友達でいられるのです。


「……ありがとう、ブータ」


 自分の耳元で囁くようにツヨイが言いました。


「……こちらこそ、ありがとう、ツヨイ。俺の友だちでいてくれて」

「まあ、なんだ……」


 ツヨイに面と向かって自分の心の中を打ち明けるのはどこか恥ずかしく、自分はそう呟いてごまかしました。ツヨイも同様の小恥ずかしさ感じたのか何も言わずに顔を逸らしました。


「あ……」

「どうしたんだ?」


 そこで、自分は重要なことに気が付きました。ツヨイと触れ合う距離にいたため、自分にも強烈な匂いが移っています。カンペを覚えるために徹夜で自分に付き合ってくれたテリヤ司祭の、陛下に会う前には清潔にしておけよ、という言葉が思い出されます。

 部屋の奥から足音が近づいてきます。仮眠を取っていたテリヤ司祭が起きたのでしょう。ゆっくりとドアを開け、眠そうにあくびをしながら司祭が部屋に入って来ました。


「いや、匂いが」

「? 特に変な匂いはしないぞ?」

「おう、おはようだ、ブータ。ツヨイもいるのか。って、おい!」


 こちらの様子を見て、テリヤ司祭が大きく声をあげました。


「清潔にしておけって言っておいただろう、ブータ。とんでもない臭がするぞ。まさか、女遊びに言って来たわけじゃないよな? 羨ましいことこの上ないぞ!」

「失礼な! 自分は一度も娼館には行ったことがありませんよ。この匂いはツヨイのものです」

「一度も娼館に行ったことがない? 冗談も休み休み言え、ブータ。女遊びをしなかったらわざわざ帝都まで来る意味が無いではないか」

「……」


 この不良司祭が今、何かとんでもない事を言ったような気がします。どうも、この破戒僧は女遊びをするためにこの帝都までやってきたのだとか。この世界で聖職者が女遊びをすることは認められているのか自分ははっきりと知っているわけではありません。ですが、姦淫を罪と見なす教えは司祭の口からはっきりと聞いています。限りなくブラックに近いブラックと言ったところでしょうか。


「いや、わしが女遊びをしたのは神学校を卒業する前だ。つまり、聖職者になる前であるからして、神様も目をつぶってくださるだろう」

「そうですね。神に仕えようと勉学を励んでいるはずの時間に十戒の一つを破っていたことなど些細な事でしょうね」

「い、いや、そうではなくてでな、そんな事は今はどうでもいいのだ」


 白目で見られていることに気がついたのか、司祭は慌てて取り繕うように言いました。が、自分が少し突っ込むだけで司祭は途端に焦った様子を見せました。昨日、ソーさんの店でも同じ事を思いましたが、テリヤ司祭が慌てる様は見ていて面白いものです。隣でニヤニヤと笑っているツヨイも同感なのでしょう。


「女遊び一つにも不自由だなんて神様を信じることは嫌なことばかりじゃないのか?」

「その様なことはない! 信仰に生きるということは神の愛に生きるということだ。そこには喜びがあり、そこには安息があり、そこには幸福があるのだ」

「ふーん」


 相変わらずというべきか、熱心に信仰の道を説くテリヤ司祭に対して、ツヨイは冷淡な反応を示しました。基本的にオークは哲学をするよりも、今日を楽しく生きることを優先するのです。しかし、司祭はめげるどころか、逆に困難を克服するという事に激しい闘志を燃やし始めた様子です。司祭はマゾヒストなのでしょうか。


「と、そんなことを言っている場合ではない。ブータ、お主は急いで体を清めておかねばならぬな」

「そうですね。どうでもいいことに時間を取られましたね。ソーさんの所は大丈夫でしょうか」

「いや、この時間に押しかけて、風呂をたいてもらうのはさすがにな。大衆浴場があるからそこへ行くことにしようか」


 ようやくテリヤ司祭と建設的な話し合いが始まりました。


「どうでもよくないぞ、ブータ。お前はここに滞在している間、一度も女を抱いていないだろう!」

「別に、そんな事どうでも良いだろう」

「なに!? ブータそれは本当か?」


 と思ったら、一瞬で終わりました。まったくどうでも良い話題に話が移ってしまいました。ところが、ツヨイとテリヤ司祭は思いのほか深刻な顔をしています。


「別に、それが本当だったとしても、何の問題もないだろう、ツヨイ、それにテリヤ司祭も」

「いや、お主、大丈夫か?」

「いや、なんでそこまで深刻に捉えるのですか!? 気分が乗らなければそういうこともあるでしょう」


 オークに生まれ変わった自分ですが、正直な所、他のオークと異なり女性を抱くことはあまり好みではありません。

 確かに気持ちいいことは気持いいのですが、精神的な疲労感が大きすぎるのです。タタカウモノの特権として、略奪してきた人間の女性たちと致したこともありますが、死んだような目をしている相手につきあい続けるというのは一種の苦行なのではないかとすら思うのです。

 これならまだ、オークが相手の方が気楽です。


 少し生々しい話ですが、一夫一妻が主な人間社会と異なり、乱交系です。この点において、オークの社会は人間のそれと大きく異なります。

 もっとも、生物学的には人間も昔は乱交型だったと考えられているそうですし、オークと人間との間に子を生すこともできるので、この2種族は外見から想像されるよりは近い間柄のはずです。

 まあ、生物学的な性や社会的な性の分類とそれぞれのメリット・デメリットについては他により詳細な説明があるでしょうから、そちらに解説を譲るとしましょう。

 ともかく、オークの社会はその様になっていますが、当然ながら性行動においてもそれなりの仕来りが存在します。例えば、拉致してきた人間の女性などと致せるのは基本的にタタカウモノのみです。

 タタカウモノが外に出ており、なおかつ捕虜が生き残っている場合は、残ったオークたちの中で力関係が上位に位置する者が致すこともあります。

 また、人間など捕虜が相手の場合、致す順番も強い者順と決まっています。

 つまり、オーク社会において人間と致せるというのは一種のステータスなわけです。

 そして、何故か女性のオークは人気が今一つです。普通、生物というものは一般的に同種の異性をもっとも好むものだと思うのですが、人間の女性と、オークの女性がいた場合、男性のオークは身勝手なことに異種族の人間を選びます。

 オークの女性というのは普通、他種族の女性がいない場合か、捕虜と致せないような立場のオークの相手になるのです。

 しかし、オーク社会において女性の立場が奴隷のように低いかというと必ずしもそうではありません。捕虜の女性は基本的に出産の前後で生き絶えるため、生まれてくるオークの幼児に乳を与え育てるのは女性のオークなのです。また、タタカウモノが出払った後の洞窟では女性のオーク達が食料の分配などにおいて強力な決定権を握っています。


 ……話が逸れましたね。


 ともかく、確かに大多数のオークの男性は異種族の女性を非常に好みます。

 しかし、これは多数がそうであるというだけで、種の多様性という言葉があるように、人間にあまり興味を持たないオークもいます。これを異常だという者もいますが、生物学的に同一種族に性的興奮を覚えるのは正常なはずです。オーク社会においては生物学的に異常なこの性向が市民権を獲得していますが、そのこと事態、オーク社会が多様性を持ち発展してきたということの証左なのです。

 ですので、自分が娼館に通いたがらないといって、取りたたて騒ぐ程でもないのです。


 そうしたことを自分はツヨイとテリヤ司祭に懇切丁寧に説明しました。自分が一通り説明を終えると、二人は口を揃えて言いました。


「「いや、明らかにおかしいだろう」」

「いやいや、そんな事はないと言っているでしょうが」


 マイノリティーとは何時の世も肩身が狭い思いをする運命なのでしょうか。


「だいたい、ムラムラとはしてこないのか」


 テリヤ司祭がそう言いました。


「別にそれは一人で処理できるでしょう」


 自分がそう答えると二人は不思議そうな顔をしました。


「どういう意味だ」

「つまりだな、――」


 ツヨイの問に自分はマスタベーションに関する説明を行いました。自分が説明を終えると二人の顔には深刻な表情が浮かびました。


「……ブータ、オレはお前がそんなでも友達だ。だから、一緒に女あそびに行こう。大丈夫だ、きっと治るからな」

「俺は病気か!? 俺は至って正常だぞ!」


 ツヨイが物凄く失礼なことを言いました。先ほどまで懇切丁寧に説明していたことを些かも理解していないようです。


「……ブータ、お主が自分が異常だと認めたくない気持ちもわかる。だが、若い内の方が治りも早い。悪いことは言わん。ツヨイと共に女遊びに行くのだ」

「あんたはあんたで何を言っているんだ!?」


 テリヤ司祭は迷える子羊を導くような清々しい顔で、自分の信じているはずの教義に真っ向から逆らうようなことを言いました。この不良脳筋が聖職者となることを認めたアホの顔が見てみたいです。


「だいぶ時間が経ってしまったな。とりあえず、陛下に拝謁するための準備をしなければな。この話の続きは拝謁が終わった後にしよう。終わり次第、とりあえずここに帰ってくる。ツヨイ、それで構わないな?」

「ああ、大丈夫だ。ブータ、オレが必ずお前を治してやるからな」

「ちょっ、勝手に決めるな! 俺の話を聞けってば、っぶふう」


 人の話を全く聞こうとせず、人を病気扱いする二人に自分は自らの尊厳をかけて抗議しましたが、テリヤ司祭に強引に掴まれる形で、外に連れ出されて行きました。


「……畜生が」


 外は雨が降っていました。雲ひとつない青空でしたが自分の頬は雨で濡れていたのです。


 こんな、グダグダな状態で皇帝に会って大丈夫なのでしょうか、そう思いながら自分はテリヤ司祭に引きずられていったのです。


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