黎明編2話
今日、ドンベリマウンテンは観光の名所として知られている。
山頂の標高は2530コメルであり、冬季には山の南東側はウィンタースポーツをしにきた者々で大いに賑わいサモーン共和国の懐を潤している。一年の半分以上の期間山頂には雪が積もり、山の美しい造形と合わさって多くの名画の題材となっている。また、ブータ大帝生誕の地として歴史愛好家も数多く訪れる。
しかし、ケビア歴12世紀当時はオークの住まう山であり、彼らは食料など生存に必要な物資を外部に略奪という形で求めたから、人間などは悪魔の山と言って怖れた。
赤い山とは当時のドンベリマウンテンの異名であるが、これは山に積もった雪が朝日に照らされて赤く色づくからである。
今日我々はこの美しい光景に目を奪われるが、当時の人間たちやエルフにはオークの脅威とそれによって流された血とをまざまざと思い出させたことだろう。
ドンベリマウンテンに住んでいたオークは元々平野部や森に暮らしていた。
しかし、オークの勢力圏とエルフや拡張を続けていた人間の勢力圏が重なった10世紀頃オークと人間及びエルフは激しく衝突するようになった。
やがて、人間とエルフは略奪しかしない隣人を排除するために手を結び、ケビア歴952年のビア平原の戦いでの勝利などによってついにオークをドンベリマウンテンに閉じ込めるに至ったのである。その後も散発的なオークの抵抗があったため正確な年代は分からないが遅くとも11世紀初めにはオークの勢力圏はドンベリマウンテンに制限されていたようである。
しかし、ドンベリマウンテンにオークを閉じ込めた後、人間とエルフの同盟関係は瞬く間に瓦解した。
森を自分たちの土地であると主張するエルフと、貪欲に森の資源を求める人間との利害がはっきりと衝突するようになったからである。
定期的にドンベリマウンテンから降りてきては略奪を繰り返すオークを討伐するために人間もエルフも幾度と討伐軍を派遣したが、オークの地の利及び集団の利を活かせない険しい地形に阻まれて全て失敗に終わっていたのである。
この失敗について後に歴史家のダコン・フォン・レッグホワイトは、エルフは自らの知略を過信し、人間は自らの兵数を過信し、過去のオークとの戦いの勝因に関して盲であった、と述べている。そのため、人間もエルフもオークをドンベリマウンテンに閉じ込めておきながら完全にオークの脅威を取り除くことは終に出来なかったのである。
この結果についてレッグホワイトは自著において以下のように述べている。
『ドンベリマウンテンにオークを追い詰めるまで人間とエルフは戦略、戦術共に極めて優れていた。人間とエルフは互いによく連携をとり、オークに対しては退路の存在を認識させることで相手を団結させることなく多勢をもってオークを各個撃破していった。
しかしながら、ドンベリマウンテンまでオークを追い詰めた後において、人間もエルフも彼らの勝因が自分たちのみにあると考えるようになった。
そして驕り高ぶった人間とエルフの両種族はドンベリマウンテンに追い詰められたオークに各個で挑み敗退したのである。このことは連敗に連敗を重ね精神的に追い詰められていたオークを奮い立たせ、結果としてオークの頻繁な略奪行為に帰結したのである』
激しくなるオークの横行を前に、ドンベリマウンテンに接する人間勢力とエルフとは対立をやめたが、双方に根強く残る相互不信のためにかつてのように共同で戦いに向かうことはなかった。
それでも、両者は交易関係を結び人間とエルフの両者に大きな利益をもたらしていたようである。
戦略・戦術的な失敗の他にオークの脅威を完全に排除できなかった理由はもう一つ挙げられる。
人間勢力の弱体化である。
これは東域諸国の聖戦に対抗するために、正統コーンビフ帝国は大きな労力を割かねばならず、サモーン公爵領においても大規模な徴兵が行われたからである。
サモーン公爵領はエルフとの交易により莫大な収入があったが、この徴兵と莫大な戦費の負担は大きかった。特に、騎士階級の人的資源の枯渇が激しく、公爵軍はオークの略奪に対抗する力を失っていくことになる。
そして、相対的に力を得たオークの勢力、ブータ大帝が新たな帝国を築くことになるのである。
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ケビア歴11世紀初めから12世紀中頃にかけて東域諸国と正統コーンビフ帝国はかつて無いほど激しくぶつかり合った。
この百年と少しの期間の間にケビア教正統派を掲げる正統コーンビフ帝国に対して、ケビア教神聖派の総本山であるムーン教国を宗主として第五次から第八次神聖軍が組織されて4回もの聖戦が実行された。
純粋な宗教的対立に端を発したと言われている第一次神聖軍と異なり、これらの聖戦は各国の利害によって起こった。
国内の統治問題の解決や帝国の継承権の主張、各国間における発言権の強化、宗教的権威の回復、交易路の確保などそれぞれの欲望を叶えようと各国は参戦した。
その結果、彼らは統率や戦略目的の統一が全く取れないままに各々突き進むことになった。
アプフェルの虐殺やオーランゲの略奪などの数々の悲劇が生まれたのはある意味必然とも言えるだろう。この時代、略奪行為が極めて少なかったブータ帝国のあり方こそが異端であったのである。
これらの聖戦は正統コーンビフ帝国に致命的な衰退と延命の両方をもたらした。東域諸国に対抗するために傭兵を揃えることが恒常化して軍事費は増大する一方であり、その費用は大幅な増税で賄わざるを得なかったのである。
これは、衰退しつつあった当時の正統コーンビフ帝国にとってこれは致命的であった。
農民は上がり続ける税の負担に耐えかねて、税のかからない諸侯の荘園へと流れ、農民の減少による税収の減少分を補填するために更に税が上がるという悪循環に陥っていたのである。
東域諸国に対抗するためには諸侯の協力が必要不可欠であったため、正統コーンビフ帝国は諸侯の要請に従って非課税の荘園を増やすことを容認するしかなかった。
諸侯の力は増大する一方であり、12世紀に入る頃には正統コーンビフ帝国の事実上の勢力圏は首都コーンビフとその周りの幾つかの村や町、そしてカリムだけであった。
当時の正統コーンビフ帝国がなんとか財政破綻せずにいられたのは東域諸国との交易港であるカリムを保有していたからであった。試算によれば滅亡2年前の正統コーンビフ帝国の歳入は八割以上がカリムからの税収であったという。
しなしながら、正統コーンビフ帝国の衰退に伴って勢力を増していた諸侯は表立っては帝国の権威を認め続けた。
突出して力を持つ諸侯がいなかったためにまとまって帝国に反旗を翻すことが出来なかったという理由もあるが、それ以上に東域諸国に対抗するためには正統コーンビフ帝国の旗印のもとに勢力を結集せざるをえなかったのである。
事実、帝国から独立を宣言したアプフェルは単独で東域諸国と相対することになり虐殺劇が起きている。皮肉なことに、正統コーンビフ帝国の存在を否定する名目の聖戦こそが帝国を生き長らえさせたのである。
対する、東域諸国も聖戦による影響を免れることはなかった。
権威の回復を目論んだムーン教国の意図とは裏腹に度重なる聖戦とその成果の過小さは教国の思惑とは逆の結果をもたらした。
11世紀頃までには聖戦の実権はムーン教国の手を離れて、正統コーンビフ帝国の所有する富と名声とを求めるライト王国やサンド王国の手に移り、教国は聖戦の呼び掛けを行うだけとなっていたのは情報に通じていた者たちにとっても常識であった。
『堕落教皇』と呼ばれた第16代教皇のサーフェス3世は第六次聖戦の実行が事実上決定したときに、聖戦が教国を滅ぼすと言ったという逸話が残っているのも当時の常識を反映したものであろう。
もっとも、この発言は当時勢力を増しつつあったケビア教清流派と対立していたムーン教国を根幹から揺るがしかねないものであり、現実感覚の豊富であったサーフェス3世が実際にこの発言を行ったということはないであろう。
ライト王国やサンド王国の国王や諸侯たちの幾人かは聖戦における華々しい活躍によって名声を高めたが、その何十倍もの者々が不名誉な戦果で影響力を失ったり、命を落としたり、あるいは本国での反乱によって全てを失っている。
そして、勝利した場合でも莫大な戦費の負担に耐えかねて没落していった家門は多い。
軍事の天才と呼ばれ、難攻不落と讃えられたヴェリーメロの攻略を成し遂げたグレイプ・ウォーロックでさえも没落を免れることはできなかった。
グレイプが聖戦のために西方に赴いている間に彼の親戚たちが彼の財産や領土を奪い、勝手に分配してしまったのである。
グレイプは彼らの不法を国王ルーイ8世に訴えたが奪われた財産、領土が返ってくることはなかった。聖戦の出費を賄うために国王はグレイプの親戚たちから借金をしていたからである。
国王はグレイプに対して、聖戦での働きは見事であったがこの度のことは聖戦とは関係がない、と言いグレイプを愕然とさせた。正にこの火事場泥棒的な行為はグレイプが聖戦のために遠征している期間に行われたのだから。
結局のところ、聖戦に参加して利益を得た者はほとんどいなかったし、名目上の目的が達成されることもなかったのである。
むしろ、聖戦へ参加しなかった者の方が利益を得る事のほうが多かった。
例えば、海洋都市国家ヴィタミン、ミネラルなどはこの時期の聖戦においては大陸内海を利用した兵士や物資の輸送を請け負うことで利益を得ていた。
また、聖戦により東域と西域との陸路が事実上使えなくなったことで、交易路の独占を成し遂げ莫大な利益を得ていた。
これに対してムーン教国やライト王国は怒りを隠さなかったが、『よく口の回る商人』である海洋都市国家の清濁併せ呑む洗練された外交により軍を向ける口実を与えられなかった。
また、大陸内海で制海権を握るこれらの都市国家が正統コーンビフ帝国側につけば攻める立場が逆転しかねないという危惧が東域諸国にはあったようである。
実際には当時の正統コーンビフ帝国にそのような力はなく、この認識はヴィタミンが自らの立場を守るために広めたというのが定説となっている。
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第七次聖戦の宣言は最初1124年の初月に第16代教皇ライヒ3世によってなされた。歴史家が彼に下す一般的な評価は、敬遠なケビア教信徒であったが現実感覚は乏しい人物だった、といったものである。
『堕落教皇』サーフェス3世によって国外に追放されていた彼は憎き政敵の死後、ムーン教国教皇に戻りライト王国の後援もあって教皇ライヒ3世として即位した。
己の正義に対する絶大な確信と敵に対する執念深い憎悪とによって教国から反対勢力を駆逐した彼は教国の威光を取り戻さんと高らかに聖戦を宣言した。
当時のライヒ3世の手記などから伺える彼の思惑は純粋で稚拙なものであった。
例えば彼が後援者であったライト王国のルーイ9世に宛てた手紙には、諸国のこれまでの信仰に対する態度を批判し、ムーン教国の前任者の堕落ぶりを嘆き、神に対する無私の奉仕のみが正義と信仰とを取り戻すと説き、聖戦へ参加するように要請している。
没落した貴族の家から教皇まで上り詰めたライヒ3世の手紙は彼の前任者の様な文学的な格調高さやユーモアは皆無であったが、一方でその直実な文面は彼の信仰と性格とを示している。
しかし、不幸なことに、手紙を送った側は信仰に対する疑いをまるで持たなかったが、受け取った側は必ずしもそうではなかった。
というより、ほとんどは失敗続きの聖戦を試みることなど望んでいなかったし、むしろ開拓が進み豊かになった東域で領土を拡張することを望んでいた。
教皇に聖戦への参加を要請された諸侯は決して参加するという言質を与えることなくのらりくらりと応対した。
半年が経ってなお諸侯が一向に集まらないことに業を煮やしたライヒ3世は怒り狂い、聖戦に参加しなければ破門してやると彼らを脅して回った。
教国を敵に回すことと、聖戦への参加を断ることとの利害を天秤にかけて諸侯が招集に応じたのは年が変わろうという時期だった。と言っても彼らが引き連れたのは招集の手勢のみであり、ライヒ3世が期待した遠征軍の即時編成は不可能だった。
ほとんど一年招集に応じず、ようやく応じたと思ったら到底軍を編成できない状況に教皇は顔を赤くして周囲に怒鳴り散らしたという。
もっとも、冬季には大陸内海の天候は不安定となり遠征軍の派遣は事実上不可能であった。
結局、聖都ムーニアで会議が開かれ諸侯が教皇に招集に応じなかったことを謝り、春先には兵を集めることを誓うまでライヒ3世の機嫌は直らなかった。
しかしながら、冬が終わり、春がきても一向に遠征軍は集まらなかった。
ここに及んでライヒ3世は激怒した。疫病の流行により残念ながら兵を出せるような状況ではないというルーイ9世の弁明書や諸侯が送ってきた様々な言い訳を前に彼は次のように言い放った。
「先の冬に聖戦への参加を誓っておきながら、この夏までに兵を送らないものは誰であろうと破門してやる!!」
さらにその宣言の一週間後、ライヒ3世は教皇領を私有化しているとして周辺の豪族たちに兵を仕向けた。教皇の電撃作戦によりほとんどの豪族たちは瞬く間に所領を追われたのである。
この事件が東域諸国に与えた心理的打撃は大きかった。諸国は実権を失っていたはずの教皇が強引な手法を取るとは思っていなかったのだ。このような暴挙に及ぶ教皇であれば本気で破門も躊躇わないだろうと彼らは想像した。
破門されるということはケビア教の守護者であるという統治の正当性を失うことであったのである。
破門された領主の領土内ではムーン教国の掲げるケビア教神聖派の教会は全て閉鎖される。そうなれば領土内の人心に動揺が広がることは避けられない。
また、破門されたという事自体、他国から侵略を受けるに足る口実となる。当時の東域諸国は覇権争いが活発であり、そのようなことになれば瞬く間に四方から攻め滅ぼされてしまうだろうと諸侯は想像した。
結果としてその夏諸侯は兵を送り、聖戦のための遠征軍が編成された。
ムーン教国の記録によれば兵数は20万、過去に例を見ない大兵力である。
また、各地から軍資金のための寄付金が送られてきた。兵と資金が集まりだすと自分も乗り遅れてはならないと諸侯が積極的に遠征軍を編成するようになったためである。
この聖戦はかつてない規模のものになるはずであった。
ライヒ3世は得意の絶頂にあった。彼は周囲に自分こそが分断したケビア教の統一を成し遂げた教皇として名を残すだろうと話していたという。
多くの諸侯も苦々しげにそれを認めていた。若く勇気と信仰にあふれた諸侯の子弟達は自分たちも聖戦に参加させてくれと我先に求めたという。彼らは自らの兵力の大なるに驕り、勝利を疑わなかったのだ。
過去の失敗の原因、本国との距離による兵站確保の困難に言及したものは僅かだった。
そして、その意見は路端の石ころのように捨て置かれた。誰もが警句よりもライヒ3世の言葉である高邁な信仰心があれば神はそれを助け給うといったような楽観的な発言を好んだのである。
しかしながら、遠征軍はすぐに出立することは出来なかった。遠征軍を西域に送る道がなかったからである。
陸路を使って正統コーンビフ帝国を攻めるには西域と東域とを隔てるケビーシ山脈を越える必要がある。山脈を越えて兵站を確保するための負担は困難よりも希望を好む聖戦軍といえども無視できないものだった。
とは言え、ケビーシ山脈を北へ迂回して進む道は、北方の寒さと迂回の為の長い道のりが山脈越えにも匹敵する険しさとなっていた。
さらに、北方の数多の小国と衝突しかねないという問題もあった。これらの国々は豊かとは言えず勝ったとしても得るものがあるとは考えられなかった。ライヒ3世をはじめとした聖戦軍の首脳陣はそれぞれの理由から早急な結果を求めていたためこの経路は採用されなかった。
大陸内海沿いに進む道は気候が温暖であり距離も短いが、通行可能な道幅が狭く、大軍の行軍には不向きであった。
さらにこの陸路を使う限り、正統コーンビフ帝国側のヴェルヒェにある難攻不落の要塞ポパイを陥落させねばならない。ヴェリーメロなど数々の強固な要塞を打ち破ってきた歴代の聖戦軍ですら終に打ち破ることができなかったという事実はライヒ3世であっても無視できるものではなかった。
当初、教皇はウェルチェを通る経路を考えたようだが彼の怒声を持っても諸侯を説得することはできなかったのである。また、教皇自身難攻不落のポパイを真正面から是が非でも攻めようとは思わなかったようである。
消去法的に聖戦軍の進軍経路は海上に求めざるを得なかった。
海路を使う場合、制海権と熟練の航海術を持つ海洋都市国家の協力は不可欠だった。
ライヒ3世はヴィタミン、ミネラル、ウォータの三都市に協力を求めた。
その結果、20万もの兵を西域に送ることは不可能であるということが分かった。三都市の全ての船を集めても一回に運べるのは10万が精々だった。
さらに、運送のために三都市がつけた価格は聖戦軍が用意した軍資金の大半に相当したのだ。
ライヒ3世は価格を下げろという交渉に頑として応じようとしない三都市に対して散々に怒り罵った。
「金の亡者共が!!」
三都市、とくにヴィタミンの金に汚いというイメージは今日でも残っているがこの印象を広めた一人はライヒ3世であった。
もっとも、三都市が提示した価格は利益が見込めるものではなく採算ぎりぎりであったということが後に研究で主張されている。
多くの兵を運送するには三都市の保有していた船のほとんどを充てる必要があり、その分交易ができなくなることを勘案すれば赤字であったとムカシ・コウサは述べている。
さらに言えば、三都市にとってあからさまに正統コーンビフ帝国に敵対行動を取ることは帝国内で認められていた彼らの交易権を失いかねないという重大な危険を孕んでいた。それでも三都市が有償とはいえライヒ3世の要望に応じたのは幾つかの要因が重なったからだった。
最大の要因は正統コーンビフ帝国との貿易による利益が大幅に減ったことにある。
当時、正統コーンビフ帝国との交易はヴィタミンがほぼ独占体制を築きつつあり、ミネラル、ウォータにとってみれば正統コーンビフ帝国との関係悪化によって受ける損害はそれほど大きくはなかった。ライバルに与える打撃と自らの損害を天秤にかけ二都市は聖戦に協力することにしたのである。
これに対してヴィタミンは苦渋の決断を迫られることになった。
聖戦への協力を拒否すれば東域諸国の中で孤立しかねない。ヴィタミンの莫大な財力は中継貿易によって築かれたものであり仮に東域諸国に経済封鎖をされればヴィタミンの財力基板を失ってしまう。
歴代の諸国はヴィタミンの大陸内海制海権を失うことを怖れたが、苛烈な性格のライヒ3世ならばそれを実行する可能性があるとヴィタミンは考えたのである。
また、正統コーンビフ帝国がヴィタミン商人に課す税金の際限のない値上げもヴィタミンにとって考慮する必要のある問題であった。
正統コーンビフ帝国は恒常的な赤字財政と税収の減少に四苦八苦しており、その補填のために貿易協定の更新ごとに、時には貿易協定を反故にして、交易税を上げ続けていたのである。
当時のヴィタミンの試算によれば、この増税が10年続けば交易コストは正統コーンビフ帝国の南方の小国家群との交易にかかるそれと同じ水準になるほどのものだった。
これらの小国家との交易は正統コーンビフ帝国での交易権を半ば失いつつあったミネラル、ウォータの商人たちが取り仕切っていた。
ヴィタミンはこれらの小国家群との交易が将来、正統コーンビフ帝国との交易を淘汰する可能性についても考えなければならなかった。そうなれば、最強の海洋都市国家であるヴィタミンは瞬く間にミネラル、ウォータの後ろを追う立場に立たされるだろう。
ヴィタミンは教皇の要請に対処するために極秘裏の十人委員会を立ち上げ3日間にわたって議論が行われた。
この時の議論は秘密文章の形で保存され、今日では当時の情勢を知るための重要な歴史資料となっている。
それによれば、ヴィタミンは正統コーンビフ帝国が今回の聖戦で滅亡するか致命的な打撃を受けるだろうと結論づけている。この根拠として報告書には3つの理由が挙げられている。
1,正統コーンビフ帝国の財政赤字は深刻であり、帝国は傭兵や武器、食料などに必要な費用を工面することすら難しい
2.正統コーンビフ帝国内の諸侯は前回の聖戦に勝利したにも関わらず帝国から褒章が得られておらず、逆に破産したものもいる。彼らの多くは今回の聖戦に参加しないだろう
3.ヴェルヒェの要塞ポパイは難攻不落であるが海路を使用すればその戦略的意味を無効化できる。また、後方を落とせば如何にポパイといえども戦意を保つことは難しい
これらの理由にはそれぞれ詳細な数字や情報が付随されており、当時のヴィタミンの高い情報収集力を見て取ることができる。
特に正統コーンビフ帝国の財政に関するデータは、汚職が蔓延していた帝国のそれよりも正確であると考えられている。
最終的にヴィタミンは教皇の協力要請に応じる事を決定した。有力な海洋都市国家の中で唯一聖戦に参加しないとなれば将来にわたって不利益を被りかねないというのがその理由であった。
もっとも、『金に汚い』ヴィタミンはただ妥協したわけではなかった。聖戦軍の輸送のためにミネラル、ウォータがほとんどの船を使わざるを得なかった時期を狙い、ヴィタミンは自由に動かせる船を全て投入して正統コーンビフ帝国の南部にある小国家群との交易路開拓に務めたのである。
ライバルの交易路を潰したと糠喜びをしていたミネラル、ウォータの商人たちはこのことを知ると怒り狂い叫んだという。
「ヴィタミン商人のキツネ野郎が!!」
何しろミネラル、ウォータがこれまで新規開拓してきた交易路に火事場泥棒の様に参入してきたヴィタミンは幾つかの小国家と独占交易権を獲得するまでに至っていたのだ。そして憤慨した所ですでに彼らにはどうしようもなかった。
マリンフルツから聖戦軍10万が船で出立したのは夏至を過ぎた第7の月の10日のことである。
大型船はヴィタミンが400隻、ミネラル、ウォータがそれぞれ300隻、ムーン教国とライト王国がそれぞれ100隻であり、合計で1200隻にも及んだ。
これほどの数の大型船を早期に動かすことができた理由は、第六次聖戦のために数多く造られた大型船が諸侯の対立から結局戦場に出ることなく残っていたからである。
もっとも、その多くは商船用としてほとんどの武装が解体されており、急造で大砲などを据え付けたため戦闘にはあまり向いていなかった。そのため、兵を輸送する際に海戦を挑まれれば大敗する危険も否定できなかった。
このような状況でにもかかわらず船団を動かしたのはライヒ3世の熱烈な意向に加えて、正統コーンビフ帝国には対抗して海戦を挑むだけの力がないというヴィタミンの推測があったからである。
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東域諸国に対して正統コーンビフ帝国の動きは鈍重であった。帝国で東域諸国侵攻について議論が始まったのは1125の第6の月の中旬以降であり、この時期に及んで議論が行われたのは東域諸国が実際に攻めてくるか否かであった。
東域諸国の侵攻が始まったのはその一月もしないうちであり、この時、帝国では東域諸国の侵攻は無いだろうと結論づけていた。
彼らがその結論の拠り所としたのは交易港カリムにあったヴィタミン外交官の非公式な発言であり、実際の東域情勢に裏付けられてではなかった。
ヴィタミンは帝国の同盟国などではなかったが、ヴィタミンは帝国との交易で利益を得ておりそれを捨てるような真似はしないだろうと帝国の首脳陣は考えた。
また、当時帝国は諸侯の命令無視などの消極的な反抗によって相当立場を弱めていた。前回の聖戦で褒章を与えることができなかった帝国は統治者としての信用を失っており、東域諸国が攻めてくればそれに乗じて諸侯の独立を招きかねないという状況であった。
そのため、意志薄弱で知られた正統コーンビフ帝国皇帝コーンビフ12世や硬直した宮廷官僚たちにとって聖戦軍への対策を考えるよりも敵の襲来はないと思い込むことのほうが好ましかったのである。
結果として、正統コーンビフ帝国は第8の月の11日に大陸内海に接するトロフィーナにおいて東域諸国の奇襲を受けることになった。
奇襲を受けた側の帝国軍の多くは給金や物資の慢性的な不足によってもともと乏しかった戦意を喪失し瞬く間に蹴散らされていった。初戦での勝利の知らせがムーン教国に届けられるとライヒ3世は狂喜し、勝利を祝った。
一方、正統コーンビフ帝国の帝都コーンビーフルではこの凶報に対して深刻な、しかし意味のない議論が重ねられた。
帝国直属の軍のみでの勝利が見込めない以上諸侯を招集しなければならないが、それをすれば帝国は諸侯に褒章を与えなければならない。
しかし、帝国に財源的な余裕はなく聖戦軍に勝利した所で得られるものは身代金が精々であり土地を求める諸侯を納得させることはできない。
そうである以上、帝国は諸侯に対し自治権など幾つかの権利について大きく譲歩をしなければならなくなる。その先に待っているのは諸侯の独立と帝国の滅亡である。
延々と続いた議論の末、正統コーンビフ帝国は聖戦軍に対して和平交渉を行うことと、帝国に対して比較的忠実と思われる諸侯のみに出兵を要請することを決定した。どちらも悪手と言わざるを得ない選択であった。
聖戦軍に対して和平を求めに行った使者はルーイ9世に面会した。
使者はケビア教発祥の地であるコーンビーフルを戦火に曝すことの罪を説き正統なるケビア教の擁護者である正統コーンビフ帝国を攻めることは許されぬ行為だと主張した。
その後に、聖戦軍がこれ以上の戦火を撒き散らすことなく退却するならば帝国には褒賞金を支払う用意があると言った。
驚くべきことにこの稚拙な説得は正統コーンビフ帝国の宮廷において極めて真面目に作成され推敲されたものであった。
この申し出に聖戦軍の総司令官であったルーイ9世は思わず失笑したという。
彼はユーモアのセンスに優れているとは言えなかったが、帝国の行った提案はそれが真面目になされたものであっただけに余計滑稽さを感じたのだろう。
ルーイ9世の笑いに顔を青ざめさせた使者は失意の内にコーンビーフルに戻ることになった。ルーイ9世の返答は提案の完全な拒否と異端の不当な教えを指示している正統コーンビフ帝国が神聖派の威光の下にひれ伏せるまで聖戦軍は戦いを止めないというものだった。
それでも、帝国の使者は極めて重要な成果を勝ち取っていた。一週間の後に再び交渉をするというルーイ9世の約束を取り付けたことである。
ルーイ9世が正統コーンビフ帝国の申し出を冷笑した時、トロフィーナからコーンビーフルまでには帝国の兵は配備されていないも同然であり、ルーイ9世が果断に侵攻を行えば秋までにコーンビーフルを陥落させることも可能であったと後世では言われている。
しかし、ルーイ9世はその絶好の機会を活かすことなく一週間を過ごした。ライト王国と共に聖戦軍の主力を担うサンド王国側は即座に進撃を行うよう要請したが、総大将であるルーイ9世は自らの決定に固執して頑として首を立てに振らなかった。
ライト王国とサンド王国の本土における対立がその原因であるとされている。
そして、その間に正統コーンビフ帝国はかろうじて軍をまとめ上げることができたのである。
しかし、正統コーンビフ帝国が自らに忠実と思われる諸侯にのみ兵の派遣を要請したため各々に対して十分な軍を組織するために課された負担は極めて大きかった。
結果、親帝国派の諸侯は相対的に力を失い、帝国を無視する諸侯の台頭が起こったのである。
帝国と血縁関係にあるサモーン公爵家にも派兵の要請がなされた。その人数は非常に多くサモーン公爵は派兵後の公爵領内の治安をどう確保するかに頭を悩ませねばならなかった。
善良であった公爵にとって派兵後に領内をオーク達によって荒らされることは避けなければいけない出来事だった。さんざん、頭を悩ませた末、公爵はオークたちを傭兵として雇うことを決意した。
この決定は当時のオークと人間の間には交渉が存在したという事を示唆している。
サモーン公爵領においてオークは公式には撲滅対象でありオークにとって人間は強奪対象であった。そのため、公爵領やオークに伝わる話では2種族間の話し合いを記録したものはほとんどないのであるが、これ以前にも幾つかの出来事が両者の間に何らかのコミュニケーションが存在を示していると歴史家たちは考えている。
例えば、この前年公爵領の貴人の息子がオークに攫われるという大事件が起きたが、記録によればその息子は一週間後に傷一つなく救出されたとある。
しかし、オークに攫われた人間が一週間も何の危害も加えられないというのは奇妙なことであり、この裏では何らかの形で身代金が支払われたのではないかと見る歴史家は多いのである。
いずれにせよ、サモーン公爵はオークを傭兵として雇うことで領内の略奪を無くそうと考えた。そのために公爵は自らの蓄財を投じて、粘り強い交渉の末に彼らを自軍に組み入れることに成功した。
もっとも、この成功は結果として公爵よりもオークに利益をもたらすことになるのである。
公爵領民はオークに対して敵意を持つ者が多く公爵はこの方針によって大いに批判されることになるのに対して、オーク達は公爵から得た金品で武器を揃え戦力の増強を行ったのである。また、実際の戦闘でオーク達と公爵軍では連携が取れるわけがなく、戦力増強にも成り得なかった。
運用上の観点から公爵軍とオークの寄せ集めは完全に2つに分けられた。
そして、このオーク達の中に若き日のブータ大帝とシーザ将軍がいたのである。
レーキシン著 ブータ帝国記より
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「元気だせよ、ヨワイ」
いつもと変わらぬ様子で自分の隣にツヨイは座っている。いつもと変わらない声でツヨイは自分を慰めた。だけれど、その時はその事が余計に辛かった。
「……うん」
「初めはみんなあんなもんだってオサも言っていただろ?」
「そうだね……」
昨日まで自分とツヨイは初めてタタカウモノとして山を降りて人間の村々に略奪に行ってきたのである。この遠征においては本来ツヨイだけがタタカウモノになるはずであったが、ツヨイの強い推薦によって自分もタタカウモノとなったのである。
タタカウモノというのは人豚社会においてのエリートである。人豚の男性のみがこれに任じられるのであるが、カタアシのように戦えなくなった者や身体能力で劣っている者は決してタタカウモノにはなれないのである。
略奪行為には当然ながら抵抗があり、これと戦う際に足手まといの存在はむしろ戦力を下げかねないというのが理由であるそうだ。
地理的な条件から略奪は遠征なので誰かが途中怪我や病気などで移動ができなくなるとその部族は敵地で立ち往生するはめになるのだ。
実際にこのように理由付けて説明されたことはないが、大人の人豚が足手まといはいらないと言っていたから概ね合っているだろう。
そして、人豚の口から直接聞いたことはないが、タタカウモノが外に出ている際に本拠地を守る人員が必要というのも理由である気がする。タタカウモノが外に出ている際に他の人豚の部族に本拠地である洞窟を奪われたという話も無いわけではないのだし、野獣などの脅威は常に存在しているのだ。
だいぶ、話がそれたが、今回、ツヨイと自分は生まれて初めて山を降り、平地にある人間の村の略奪行為に参加したのだ。
いや、語弊がある。ツヨイは参加したが、自分は何もできずに震えていただけだったのだ。武装した人間たちが向けてくる明確な殺意の感情は自分のかつて人間だった記憶と合わさり、自分の戦意を根こそぎ奪った。
初めての戦いの時、自分は戦い死んでいく人間とそれを自分たち人豚が行っているという現実を前に自分は嘔吐をして泣き叫んでいたのだった。この出来事は、自分が兵士として致命的な欠陥を有していることを否応でも自覚させた。
対するツヨイの活躍は目覚ましかった。
十代半ばでありながらほとんどの人豚を凌ぐ体格と筋力をもって、人間を守ろうと戦う兵士に正面から戦いを挑みこれを粉砕したのである。
歴戦のタタカウモノを見てもこれほどの活躍をした人豚は他にいなかった。圧倒的な突撃力によって人間のリーダーと思われる兵士に近接してその首を落とすと、戦意を失った周囲の敵を瞬く間に蹴散らしたのだ。
正に天才、戦術レベルに関する限りツヨイはそう呼ばれる存在なのではないか、と思わせるほどの突出した活躍だった。そして、その事に自分は喜びよりも焦燥や嫉妬を感じていた。
ツヨイと友人になってから、自分の待遇は相当に改善した。
食事や物を奪われることはなくなったし周りから暴行を受けることもなくなった。
ツヨイに自由に物申せるお気に入りの機嫌を損ねまいと自分に対して卑屈にへりくだる個体もいた。無論、彼らが自分を優遇する理由は何もなく、後ろにいるツヨイのみを見ているだけであった。
力が大いに幅をきかせる人豚の社会では当然とも言える状況だが自分はそれが不満だった。友達というのは一方的な依存関係を意味しない、と自分は考えているからである。
ツヨイと友達になった以上、自分がツヨイを頼るだけでなくその逆も無ければならないのではと思うのだ。
ツヨイも自分と同じに弱ければこんな気持にはならなかったのではないか、そう考えて、それが正しいことのように思ってしまう自分が何よりも嫌だった。
「オレにできることならなんでも言ってくれよ」
「……ごめん、今は少しだけ一人にしてくれないかな、ツヨイ」
「……分かった。でも明日は一緒に訓練をするぞ。いいな?」
「うん……ありがとう、ツヨイ」
「気にするなよ。友達だろ、俺たちは」
ツヨイはそう言うと静かに立ち去った。それを見送りながら、自分は今回の戦いを振り返っていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
今回の戦いはかなりの距離を行く、と『遠征軍』のリーダーは言った。ここのところ略奪に対する人間の抵抗はそれほど大きくないらしく、むしろ略奪を避けるように山の近くの村や町は放棄されているとのことで、十分な成果を得るためには山から遠く離れた村や町を襲う必要があるのだそうだ。
今回の人豚の『遠征軍』は自分たちの部族の他に、30余りの部族で構成されている。自分たちの部族から30、他の部族からも同じくらいで総数は1000ほどである。42名のタタカウモノを派出した最大部族――オオアナのヤツラと呼ばれている――のオサがリーダーを務めている。
「連中はすぐに逃げだすが、罠を仕掛けることには頭が冴える。単独での深追いはするな」
出発にあたって自分たちのオサはそう言った。
人豚は多産であるが慢性的な略奪行為に伴う戦死の数は馬鹿にならない。無駄に死んでいかれては部族が成り立たなくなることもあり、実際に大量の戦死者を出して滅んだ部族も存在しているのだ。
さらに人豚の『遠征軍』においては普通、派出したタタカウモノの数が軍の方針を決める為の発言権に繋がっており、この点からもタタカウモノの数を確保することの意味は大きい。
発言権が強ければ自分たちの部族が危険な場所に配属されないようにしたり、分前を多く得たりといったこともできるのだから。
絶対ではないが頭数の多さは部族の繁栄につながり、部族の繁栄とは頭数の多さであるというのが人豚社会の認識である。
山を降りて進んでいくと植生がだんだんと替わっていくのが見て取れた。
生まれた時から活動範囲がほとんど山だけだった自分にとって外の世界は新鮮だった。
自分の趣味ともなっている薬草や植物に関する研究のようなものにも役立つのではと思い、自分は少しずつそこら辺の植物の葉を集めながら進んだ。しばらくすると、同じ部族のタタカウモノが余計な行動をするなと自分を殴りつけてきたので止めたが。
後ろではツヨイが笑っていた。しかしながら、自分はツヨイが笑おうがこのやろう、などと品のないことは考えなかったのである。
日が暮れるということで荒廃した村の廃墟で寝泊まりをした。
家屋の柱は半ば腐り始めているようで触るとパラパラと破片がとれた。
人が住まなくなってから数年は経過している様子だった。周囲に人間は住んでいないようであり放棄された土地なのだろう。
不便な山の洞窟ではなく、ここに住むことはできないのかと部族のオサに尋ねると、馬に乗った人間が襲撃してくるから無理だと言われた。
よく分からなかったので何度か殴られながらも尋ねた結果をまとめると、このあたりの人間の兵士は馬に乗って戦うそうでその機動力を活かせる平野で本格的に人間が軍団を組織した場合人豚には勝ち目がないということらしい。
こう言うと弱い立場の人豚が何故略奪を行えるかという疑問が出るかもしれないが、人豚が襲うのは非武装の人間であるからだ。
身体能力では人間より人豚のほうが優れていると聞かされて育ったが(実際どうなのかはこれから明らかになるかもしれない)、武器や馬の機動力など武装で劣る人豚が一対一で人間に勝つことは難しいらしい。
人間は人豚を恐れて土地を捨て、人豚は人間が来るというのでそこに住むことはできないというのが現状なのだ。
開墾するために費やされたエネルギーは無駄になり、土地はあるだけで有効活用されていないのだ。全くもって馬鹿馬鹿しい限りである、と思う。
人豚がその土地に住み、自給自足を行うようになれば人間を襲う必要もなくなるはずなのだ。人豚に農業を営む文化はないのではあるが、別に出来ないわけではないだろうと考えてしまう。
だが、これは人豚としての自分の異端さを示しているのだろう。
とつとつと考え事をしている姿が目に止まったのかツヨイが話しかけてきた。彼は珍しく奇抜な自分の発想を聞いてくれる人豚である。生意気にも暇だから話を聞いてやるとツヨイが言うので、今しがた考えたことを例え話や幾つかの例証を交えながらなるべく分かりやすく話してやった。
「うーん、オレは戦いのほうがすきだけどな」
自分の懇切丁寧な説明をこれっぽっちも理解していない様子のツヨイに対して、知的な自分は、この脳筋が、などとは決して思わなかったのである。
「でも、食料が十分にあったらみんなたくさん食べられるだろ? そうしたら今よりも部族の数も増やせるだろう? 今は、タタカウモノが人間たちから食料を奪って暮らしているけどタタカウモノ全員が帰って来られるわけじゃないんだ……」
全員が帰って来られるわけじゃない、自分の口から出たその言葉は今まで考えていなかった現実を自分に意識させた。
頭にふと浮かんだ発想――人豚が生き長らえるためには略奪が必要で、そのためには人豚が死ななければならない――に一種の虚無感、厭世感を覚えたのだ。
「急にだまってどうしたんだ? ……なんだ、こわいのか?」
自分の様子に勝手に合点してそう言いやがったツヨイを半ば睨みつけるように見ると、自分は言った。
「恐怖を知らない、というのは聞こえがいいけれど実際はただの蛮勇だ。恐怖を知っているからこそ無謀な戦いを回避しようとできるからな」
「そうは言っても最初から逃げごしじゃあしょうがないと思うんだけどなあ。ヨワイってにげ出すのが早すぎると思うんだけど」
「う、五月蠅いわ!!」
そんな感じでツヨイの相手をしてやりながら自分はその夜を過ごした。勝手なやつだが、ツヨイと一緒にいると退屈だけはしないのである。
次の日は日の出と共に出立した。
兵団のリーダーであるオオアナのオサやその周りが持つ鉄器が朝日を受けて鈍く光っていた。よくメンテナンスが行われていることが推察された。
昨日泊まった廃墟にわずかに残されていた農具は全て木製であり、鉄器は持ち去られているようだった。
この世界の鉄器はそれなりに高価なのだということが推察される。
タタカウモノの武器は人間たちからの強奪品であり錆や刃こぼれしているものが多い。人豚社会では物品はより強力な者に優先して与えられる。
ツヨイは錆がついているとは言え歯厚の太い剣を与えられ、自分の持つ剣は半ばから折れたものだったというのはこうした人豚社会の有り様を反映している。
しかし、錆び付きや傷の見られない新品同様の武器は絶対数の不足からか自分の部族のオサさえも持っていない。
オオアナのヤツラという部族では何人かがそれを持っているということは彼らの力を示しているのだ。
防具については各部族のオサとその周りは人間から奪った鎧を改造して着用している。それ以外は人間の鎧の一部のみを流用したり動物の皮などで作られた防護服に身を包んだりしている。
しかしながら、こちらはオサや有力と思われる人豚でも人間の鎧を着用していない者が多かった。人間から奪った鎧の多くはいわゆる重装歩兵向けとも言うべき物で、分厚い鉄を使っており重量は相当である。
事実、人間の鎧を着ている年配の人豚は息を荒げながら進軍していた。
弱い相手からの略奪を目的とする以上、機動力を削ぐ人間の鎧はむしろ邪魔である場合のほうが多いと思う。オサや有力な人豚の一部が人間の鎧を着用しているのは自らの権勢を示すためであるようにも見えた。
また、一部の人間の鎧――確認したわけではないがそうだと思われる――は比較的軽いようでオオアナのオサなどはこれを装備していた。
次の日は平野から森の中に入り進軍を続けた。日が最も高くなった頃人豚の軍勢は行進を止めて一旦停止した。人間の勢力圏が近いとのことらしい。
遠目に軽装の身軽そうな何人かの人豚が素早くあたりに散らばっていく様子が見えた。おそらく、斥候なのだろう。
彼らが帰ってくるまでは休憩だということで、自分は腰を下ろした。これほど長い距離を歩いたのは初めての経験であり自分は心身ともに疲労を感じていた。
「つかれたのか?」
「お前は疲れないのかよ」
「まあ、少しつかれたかな。でももうすぐ戦いが始まるぞ」
「斥候が帰ってくるまで休憩する時間はあるさ」
「せっこう……? ああ、さっき人間の村を探しに行ったヤツラか。でも、アイツらはすぐに帰ってくるぜ」
「おいおい、近くに人間の村があったらこれだけの人豚の集団が見つかっていないわけがないだろう。こっちは特に隠れようとはしていないんだから……」
話しかけたツヨイの相手をしていると斥候が帰ってくるのが見えた。どうせ野生の勘で当てたのだろう。昔からツヨイは戦いに関しては超能力めいた直感を働かせることが多々あったのだ。ツヨイがドヤ顔で、ほら見ろ、などと言ってくる。
悔しかったわけではないが、決してそんなことは無いわけだが、偶にはこういうこともあるだろう、と言っておいた。ぐぬぬ……
村へと接近してくる人豚たちに対して人間たちは慌てて防衛の構えをとった。村を囲むように柵が立てられておりそれを守っているのだ。
人間たちの持つ武器は剣もあったが、多くは農具であり、彼らが戦闘に対して十分な備えがないことが見て取れた。
遠目に見ても村を守ろうと外枠を守っている人間たちの表情には同一の感情が見て取れた。恐怖である。
対する人豚は獲物を前に舌なめずりをして、これから起こるだろう殺戮劇に早くも酔いしれ血をたぎらせていた。両者ともに物音ひとつ立てず、辺りは静寂に包まれていた。
そんな中、自分は雰囲気に飲まれることなくただ一人冷然と事態を眺めていたように思う。
それは自分に鋼の精神が備わっていたからではなく、人豚たちが熱気に包まれる中、ただ一人画面越しに悲劇を見ているような錯覚を感じていたからである。
これから起こるだろう戦いも、それによって流れる血も自分にとって現実であるようには思われなかった。
「すすめぇ!!」
人豚の軍勢のリーダーが叫ぶと人豚たちの雄叫びが上がった。
我先にと突進していく人豚に人間たちは怯えながらも毅然と柵を守り続けていた。
自分たちの部族ではオサとツヨイが突出していた。何を考える暇もなく自分は彼らに遅れないように走った。
先頭を走る人豚たちが人間たちの守る柵に迫った瞬間、悲鳴と血の匂いが空間を満たしたような気がした。次々と死んでいく仲間たちに人間たちは集団としての戦意を失っていった。
「さ、さがれぇ!!」
叫び声が上がると人間たちは必死に逃走し始めた。戦意を失って逃亡する獲物に人豚たちは喜び勇んで襲いかかった。最初に出遅れた自分も必死に人間を追いかけた。
「まて!」
怒号が飛び交う中、誰かがそう叫ぶのが聞こえた。
その直後、突然人間が反転し一斉に襲いかかってきた。
さらにそれだけではなく、横方向から一斉に矢が飛んできた。弧を描いて飛んでくる矢はなぜだかゆっくりとして見えた。
罠、オサが言っていた言葉が頭に浮かんだ。人間の退却は偽りだったのだ。
しかし、自分はなんという醜態を晒したのだ。人豚の中で知性派を気取りながら罠の可能性に気が付きもしないとは!!
茫然自失としている暇はなかった。右肩に突き刺さった矢の痛みに強制的に意識が現実に戻る。
自分のお粗末さに呆れ返っている時間もなく、自分は片手で剣を持ち上げた。走り寄ってきた人間が剣を振りかぶっている。右肩の激痛を無視して、自分は剣を構えようとした。
次の瞬間、剣を振りかぶった人間と目が合った。明確な憎悪と殺意がその瞳から見て取れた。右手から力が抜けて、剣が地に落ちた。スローモーションのようにゆっくりと人間の振るう剣が近づいてくる。
その時の自分にはこれが走馬灯なのか、と考える余裕すらあった。
不思議とその時自分には死ぬことへの恐怖はなかった様に思う。
後から考察するに、無意識の内だが、自分は何処かで死を望んでいるのではないか思う。
人間として比較的豊かで平和な人生を過ごした記憶を保っている自分にとって、他者の血と怨嗟を糧に人豚として生き続けることは苦痛を感じさせるものだった。だからこそ、人間に自らとその仲間を脅かす敵として明らかな殺意を向けられた時、無意識的に自分は死を受け入れたのではないか。
しかし、人間の剣は自分に届くことはなかった。
その前に人間が死んだからである。ツヨイの剣の一振りは易々と人間の持つ剣を弾き飛ばし、その勢いのまま人間を袈裟懸けに引き裂いた。鮮血が飛び散り、自分の顔にかかった。あちこちから悲鳴が聞こえた。
「だいじょうぶか!?」
「あ、ああ、っ痛!」
ツヨイの問いかけにぎこちなく答えた所で、自分は右肩が灼熱したような感覚に苦悶の声をもらした。
周囲を見ると人間と人豚とは激しくぶつかり合い、あちこちで悲鳴と雄叫びが上がっている。罠にかけてもなお衰えない人豚の激しい戦意に対して人間たちは次第に押されつつあるようだった。
ところところで人間が退却を始めているようである。
肩に刺さった矢に手をかけると、再び焼きごてをあてられたような激痛が全身を走った。
「ぐ、ぐぅ!」
「ヨワイ!!」
「さっさと行っていろ、ツヨイ!!」
声をかけてくるツヨイに自分はそう叫んだ。
ツヨイは一瞬逡巡した様子を見せたがすぐに顔を引き締めると剣を握り締め駆けて行った。
「くそったれが!!」
自分を励ますように叫ぶと、自分は一気に肩から矢を引きぬいた。
激痛で視界が一瞬真っ白に染まった。思わず地面に蹲る。
視界が回復すると足元に自分の剣が落ちているのが見えた。血に濡れた手で先が折れた剣を掴むと自分はがむしゃらに走りだした。
ところが、自分が剣を握り直した時、戦いはすでに収束に向かっていた。
人間たちは総崩れ状態で、人豚たちは逃げ惑う獲物に易々と刃を突き立てていた。無謀にも一人で挑もうとした人間には人豚たちが寄って集ってたちまちの内に血祭りにあげられた。
「オレのエモノだ!!」
むしろ、人豚の血は人間の手よりも人豚自身の手で流れているように見えた。
所々で人間奪った武具などの戦利品を巡っての争いが起きていたのである。興奮した人豚たちは仲間であるはずにも関わらず刃を向け合った。
しかし、それも長続きすることなく、戦う意志のある人間が全て殺されると戦いは終わった。
軍団のリーダーから指示が飛び、人豚たちは無力化した村から略奪を始めた。
なけなしの兵を打ち破られた村人たちは抵抗する力を持たなかった。あちらこちらで悲鳴が聞こえる。人豚たちはめぼしい物を奪い、女性を連れ去り、抵抗する者もしない者も次々と殺していった。自分は右肩を抑えながらそれを見ていた。見ているだけだった。
「ヨワイ! だいじょうぶが!」
「……あ、ああ、ツヨイか……」
声をかけられたことに気がついてそちらを見やるとツヨイが立っていた。
手に幾つかの小瓶を持っている。自分のすぐそばまで駆け寄ってくるとツヨイは小瓶を差し出した。
「これ、多分くすりだ。これで手当をしろよ」
「あ、ああ」
我ながら芸のない受け答えだ、などと思いながら自分はツヨイの差し出した小瓶を見やった。
瓶の周りには乾き切らない血がついている。略奪によって得られたものだ。
一瞬受け取るのを躊躇した。その事に対して自分自身に腹を立てると自分は瓶を受け取った。
躊躇したのはその瓶が略奪と殺戮の成果であることを生々しく伝えてきたからであり、自分はそれに与したくないという感情が働いたからである。
だが、今更潔癖を気取ってなんだというのか。今までも自分は人間からの略奪によって生きてきたのだ。直接その残酷さを目にしたからといって、それが嫌だと言うのはあまりにも身勝手なことだ。
少なくとも人豚はそれがなければ生きて行けないのだから。
「……確かに、薬草みたいだな」
片手で若干てこずりながらも瓶のコルク栓を抜くと、中には粉状の物が入っていた。
中身を少量口に含むと化膿を和らげる効果の草の味を感じた。それ以外にも殺菌作用のある草など幾つかの薬草が混ざっているようだった。
人豚がこれらの薬草を使用するときは、擦り込んだものを患部に塗布する。このような瓶に入れてあると言うことは、人間の場合、飲み込んで使用するのだろうか。よく分からなかったが、とりあえず中身を手に取り肩の傷口に揉み込んだ。
「っつ……」
ついでに、手に残った粉を舐めとっておいた。まあ、体に入れても害はないだろう。多分。
「これで、しばっておくぞ」
ツヨイはそう言うと白い布で自分の右肩をきつく縛った。
とりあえず止血もしたし、薬草の成分で化膿や炎症も抑えられるだろう、と一息ついていると大事なことに気がついた。
人豚の略奪による成果は基本的に早い者勝ちだ。それぞれの部族は少しでも多くの成果を得られるように全員が必死に略奪をしている。自分たちの部族も当然それに参加しているはずであり、ツヨイがこっちに来る余裕は無いはずだと思ったのだ。
「ツヨイはこっちにいていいのか?」
「ん? ああ、一応オサにはいいって言われてる」
「本当に大丈夫なのか? 他の部族は全員頑張っているみたいだけど。まあ、今から行っても遅すぎるか」
すでに目ぼしい物を奪いつくしたのか村からは火の手が上がっていた。得るのもがなかった人豚あたりが腹いせに火を放ったのだろう。財も、命も、村の痕跡も、何一つ残さず、というほどの凄まじさだった。
「これが、タタカウモノか……」
「ん?」
「……ああ、いや、何でもない」
自分は考えていることを無意識の内に呟いてしまっていた。
ツヨイに対してなんでもないと言って頭を振るった。やらなければいけないことがあるのに考えに耽ることはよろしくない。先ほどの戦闘のように致命的な隙を作るようなことは有ってはならないのだ。
そのたびに自分を友達といってくれるツヨイに負担を掛けてはいけないのだから。
しかし、人豚である自分はこう在らねばならないのか、という疑問はどれだけ無視しようとしても頭の中から消えなかったのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その後も、人豚の軍団は幾つかの村を襲い、これを略奪した。
しかし、自分は何も成果をあげることができなかった。
そして、その原因は自分の身体能力の有無よりも心構えにあることは明白だった。必死に逃げ惑う人間を前にすると動作が止まってしまうのだ。
心構えという点において自分はタタカウモノという生き方に向いていないのだろう。
……そして、自分の欠点は状況によってはツヨイや他のタタカウモノにとって致命的な事態をもたらすかもしれない。
もともと、身体的に優れているとは言えない自分がタタカウモノになったのは新世代で他者を圧倒しているツヨイの強力な後押しがあったからである。だから、自分の失敗はツヨイへの批判へとつながりかねないのだ。だから、自分はこれ以上タタカウモノで在り続けるべきではない、そう思った。
しかしながら、自分は、これが自分自身にとって都合の良い考えであると認識していた。
自分が人間を襲うこと、奪い去ることに一片の疑問をも覚えないでいられる日が来るとは思えなかった。あるいは思いたくなかった。けれど、時間が経てば、タタカウモノとして略奪を続ければいずれ慣れるかもしれない。
少なくとも、他の人豚と同じように行動できるようにはなるだろう。だから、タタカウモノで在りたくないとうのは自分がこれ以上この手を汚したくない、これ以上この手で奪いたくないというただの我侭なのである。
「畜生が」
何故、自分はこうも弱いのか。
ヨワイというあだ名が自分を正確に表した言葉であるかのように感じられた。中途半端な知識しか持たず、中途半端な心構えしか持てない自分。
結局のところ何一つとして自分には強みが無いのだ。
ツヨイならば、こんな事で悩んだりもしないだろう。ただ前のみを見据えて進んでいくだけだ。それは、思索という則面では劣るかもしれないが、現実を強引に変えていく強さである。
対して自分は、そう言った強さは持たず、思考では正しいと思いながら感情のために何もできないでいるのだ
ツヨイとは離れよう、そう思った。自分はツヨイの足をひっぱることしかできないのだから……
翌日、決心を伝えようとツヨイのところまで歩いていった。自分の足取りは普段よりも遙かにゆっくりだった。
どの様に話を切り出すか、どのように説得するか、そして、これが正しい決断なのか、昨日決心したはずなのに、自分は未だに迷っていた。それこそが、自分の弱さであるというのに。
「おう、もうだいじょうぶか?」
ツヨイが向こうからやってきて言った。早い内に言わなければ、と自分は思いしゃべりだそうとした。
「あのさ、――」
「ちょっといいか?」
ツヨイはそう言って自分の言葉を遮った。外に行こう、そう言うとツヨイは返事も待たずに勝手に歩いていった。
「ちょっと――」
呼びかけても返事もしないツヨイに軽い憤りを覚えながら仕方なしに自分はついていった。外に出ると晴れ渡った青空が見えた。
変わりやすい山の天気ではあるが、この様子なら一日中晴れているかもしれない。
「ヨワイ、話があるんだ」
自分が話を切り出すのに先んじてツヨイはそう言った。真剣な表情でまっすぐとこちらを見つめてくる。その気迫に気圧されて視線を逸らしそうになったが、既のところで自分は思いとどまった。
まだ、ツヨイとは対等であるべきだ。
「昔、俺たちが人間には勝てないって言ったよな」
「あ、ああ、確かにそう言った。どうやら、そうでもないみたいだけど」
今回の戦いで人豚が人間相手に大した被害もなく圧倒した事をツヨイは言及するつもりなのだろうか。
戦闘直後は自分自身が動揺していて状況を分析するどころではなかったが、最終的な人豚の軍団の損害は軽微であり、対する戦果は大であった。
これを見れば、確かに人豚が人間より弱いとは思えない。
人豚は少数の山賊のようなものだと自分は思っていたが、認識を改める必要があるかも知れない。すなわち、周辺に住む人間の手には負えないレベルの山賊だと。
「今でも、そう思うのか?」
「正直、分からない。ただ、今人豚が有利だとは感じた。けど、これは自分たちが強いと言うより人間たちが弱いからだと思う……あー、つまり……」
厳しい顔でツヨイがそう尋ねてきた時、自分は正直に答えることにした。これが、ツヨイの友として交わす最後の会話になるかも知れないのだから。
しかし、話の途中で何を言うべきかがまとまらなくなってしまった。とんだ醜態である。
「つまり、時間が経てば人間たちの中からそれなりに優秀な指導者が出てくるだろう、ということで、そうなれば今回みたいに人豚が勝つことはできない、と思う。何故なら、人豚はまとまりが欠けているから。人豚を人間と比べた時、個として圧倒的な戦闘力や特技を持っているわけではない。そうである以上、集団としての結束力が最後には重要になると思う」
自分で言いながら、説得力に欠けるもの言いだと思った。自分の目の前に立っているツヨイは一般的な人間と比べて圧倒的な戦闘能力を持っていることは疑いようがないのだから。
「そっか、お前がそう言うんならそうなんだろうな」
だが、ツヨイは反発することなくあっさりと言った。
「……え?」
「ヨワイ」
自分をまっすぐに見つめてツヨイは言ったのだ。
「ヨワイ、俺はお前が羨ましい。お前はずっと遠くのことを知ることができる。だから、俺はお前を信じる。だから、――」
自分がツヨイの目に宿った強烈な意志を認識したのはその時だった。
ブラウンの瞳の奥で恒星のように光り輝いているそれは、目が口以上にものを言う事がある、ということを自分に現実として実感させた。
「俺だけじゃだめだ。俺は目の前の敵を倒せるけど、遠くを見れない。お前は遠くを見れるけど、目の前の敵は倒せない。だから、二人じゃないとだめなんだ。ヨワイ、俺たちは人間には勝てないって言ったよな。だけど、――」
ツヨイのその気迫、覇気とも言うべきそれに自分は圧倒されていた。
周囲を惹きつけてやまないカリスマ性、虚言であっても周囲に信じさせるほどのそれ、これではまるで――
「俺たち二人なら勝てるはずだ、できるはずだ。人間たちに負けない王国をつくることが!!」
英雄ではないか。
自分は当代の英雄と向き合っている、自分は強く思った。
悔しいと思った。
ふざけるなと思った。
ツヨイは自分には無い才覚に恵まれている。他者の意見を取り入れるという点においても他の人豚とは月とスッポンだ。そのツヨイが自分に協力を求めている? しかも、その目的が人豚の王国の建設? あまりにも、馬鹿馬鹿しいと思いながら、しかし自分は何処かで、ツヨイに協力できることに喜びを感じているのだから!!
畜生めが! ツヨイのアホめが無茶苦茶を言いやがって! 自分もそんなことに喜んでいるんじゃない! いいだろう、ツヨイのアホの頭に重い金の輪っかをのっけてやる! 頭が重いとか言ってももう知らんからな!!
あと、自分の話は有耶無耶の内に立ち消えた。