黎明編1話
ブータ大帝、空前の大帝国、ブータ帝国を一代で築き上げたこの覇王の名前はケビア歴12世紀の世界史を語る上で決して避けて通ることはできない。
かの大帝と彼の築きあげた帝国は帝国とは直接のつながりのないデルル以東の領域の諸国においても間接的でありながら大きな影響を与えている。
彼の台頭によって滅びることとなる正統コーンビフ帝国及びライト王国、サンド王国、ムーン教国といった当時を代表する大国群や、ブータ帝国の経済圏として取り込まれたヴィタミン、ミネラル、ウォータなどの諸都市、また、ブータ帝国によって砂漠の地から緑豊かな農作地として蘇ったサラダランドにいたっては、今日においても大帝の与えた影響が色濃く残っている。
歴史上において彼ほどに世界に影響を与え、世界を破壊し、創造し、そして一千年の後にさえもその影響力を残したという人物がこの世界に実在した事はまさに奇跡という他ない。
大歴史家であるムカシ・コウサは、歴史に仮という言葉は禁物であるがもしブータ大帝がこの世に生を受けていなければ今日の世界は全く違った様相を見せたであろう、と述べている。
ブータ大帝は歴史家のみならず政治家や軍事学者、経済人、哲学者、知能人学者、宗教家などあらゆる分野に従事する者共を惹きつけてやまない。
多くの政治家はデモクラシーの発展した今日においても大帝を賞賛してやまず、一方でデモクラシー原理主義者は大帝の功績こそがデモクラシーの発達を阻害の一因となったとして彼を批判する。
彼の戦略・戦術思考の卓越性を知らない軍事学者は存在しない。特に彼の戦略思想については今なお士官学校で研究題材として取り上げられている。
経済人は今日においても大帝による近代経済の導入と高い先見性から学べるものがあるという。
大帝の言動は古典哲学において一つの礎となった。
大帝の発言をまとめた書籍は今日でも発刊されている。知能人学者は殆どあらゆる分野において大帝がしめした能力の高さと、それらの能力の保有者が当時愚かな人種族とされていたオークであったことに言及して、大帝をして人種族間に存在している差別意識の強烈なアンチテーゼであると主張している。
ある意味において大帝が示したその偉大さこそが後の知能人の平等性を謳うカンテ・フルーツンの知能人権宣言に継っていると言える。
今日なお大帝を神として崇める者々も多い。
大帝は軍事、行政、統治、司法、外交、経済、運輸、農業、工業等々の多彩な分野において無数の功績を残した。
これらの業績や功績はそれぞれ非常に詳細な書物に不足しない。そのためこの著書においては各々の業績は他の書物に譲るとして、大帝の生涯及びライト王国が滅び、ブータ帝国の西域における完全な統一が成されるまでの歴史の大まかな流れを取り扱う。
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ブータ大帝が何処で何時誕生したのかは意外なことに今日でも明らかではない。ドンベリマウンテンに追いやられていたオークの部族で生を受けたとする説が有力であるが、一方で流浪の民であったとする説も根強い。
コーンビフ帝国の皇族の皇女がドンベリマウンテンの最も凶暴なオークに攫われて生した子がブータ大帝であるとする説は広く信じられているが、学術的に事実無根であることが示されている。
流浪のオークが傭兵としての比類なき活躍の褒章として貴族の娘をあてがわれ、その子供が大帝であるとする説も真実ではないであろう。
多くのエルフ達が信じているオークの長とエルフの王女との子であるという説も誤りであることがほぼ間違いない。
ドアーフや妖精族の高貴な血が流れているとする説も誤りであろう。
というのは、この当時ドンベリマウンテンのオークは人間やエルフに追いやられほとんどドンベリマウンテンに閉じ込められるに至っており、人間やエルフの王族を攫うことなど不可能であったし、人間と人以外の知能人種の拠点に至ってはオークの勢力圏の遙か外にあったのである。
また、流浪の民は当時迫害対象であり、オークに至っては殆どの場合刃を持って迎えられていたのである。であるから、強靭なオークの頭領が傭兵としての働きの報酬として加えて高貴な女性を得たとする説は、傭兵としてオークが雇われることはなかったであろうという点と、報酬として一族の者を差し出すはずがないという点で信頼に足らない。
加えて、貴人の婦女子が攫われるということが起きればそれは大事件であるはずだが、そのようなことが起きたという事を裏付ける資料は発見されたことがない。
幾つかの信頼に足る記録から、これらの俗説はブータ帝国の勢力圏が広がることにともなって囁かれるようになっており、統治の正当性を補強する目的でブータ帝国が広めたというのが実際のようである。
しかしながら、ブータ大帝が各知能人種の王侯貴族の血を継いでいるという説は大帝の功績を説明するものとして今日でも広く信じられている。
これについて、民主族学者のシコウ・フルイは大帝の偉業に自らの種族が関わっていたという説を信じたいというそれぞれの種族の願望が根底にあると述べている。
ブータ大帝の幼少期の様子を示す信頼できる記録はほとんど存在しない。
これはオークが記録の文化を持たなかった為であることに加えて、大帝自身が自身の過去について語ることがほとんどなかったからである。
幼少のブータ大帝の言動についての俗説は非常に幅広いものがあり、生まれたその瞬間空を彗星が流れた、生まれてすぐに立って歩き天を指さした、幼少の大帝の前に天使が祝福しに現れた、生まれた時から怪力無双であったなどといった伝説的逸話には事欠かない。
一方で幼少の大帝は体が弱かったという話もある。
信頼に足る文献としては、ドンベリマウンテンと接しているサモーン公爵家の記録がある。
それによると、この当時のサモーン公爵領には度々オークが侵攻してきており、これに対しての戦いは年間10回近くにも及んでいたとある。しかし、これらの戦いの記録において特定のオークについての言及は見られない。
いずれにせよ、大帝が初めて歴史上に名前を記すことになるケビア歴1129年のエンヤ川の戦い以前の彼の言動については信頼に足る記録がなく、膨大に存在する俗説から想像するしかない。
広く信じられている俗説によればブータ大帝は幼少の頃から高い知能と身体能力を示し、同じ年代のリーダーとなった。
幼少の大帝はこの頃から後に彼が統治にあたって示した敵に対する寛容さと味方に対する厳格さを示し、傷ついたり弱ったりした仲間をよく支え、他者に暴力を振るうものに対しては断固とした態度で望んだと言われている。
もっとも、歴史に残るブータ大帝の身体能力はオークとして特別優れていたわけではなく、この俗説の少なくとも半分は間違っていると考えられる。
この俗説はおそらくブータ大帝の若き日を共に歩んだシーザ将軍との混同によって生じたものであろう。
シーザ将軍はオークとして比類なき身体能力を持っていたと伝えられており、若き日の大帝の躍進に欠かすことのできない存在であった。
だが、大帝にとってシーザ将軍の存在は夢を分かち合える存在としてより身近で得難い半身であったと言われている。
ブータ大帝とシーザ将軍の死別の場面は大帝を扱った小説や劇、映画などにおいて大きな見せ場となっている。
エンヤ川の戦い以前のブータ大帝の実際はどうであったのであろうか。後の歴史に残る通り、ブータ大帝は身体能力の点で特段優れているとは言えない。オークの部族を率いるのは普通腕力に優れたものでありブータ大帝がその立場にあったとは考えにくい。
しかしながら、おそらくは後に示した極めて優れた発想力と思考力は所有していたはずである。
さらに、エンヤ川の戦いではブータ大帝の作戦によってオーク勢は動いたことから、その時までに大帝は大きな信頼を得るに至っていたのであろう。
これらから考えるに、ブータ大帝は部族のブレインとしてシーザ将軍と共に戦っていたのではないだろうか。
腕力とは異なり直接図ることのできない頭脳の優秀さを理解するには相応の理解力がいる。シーザ将軍はその突出した武力で歴史に名を残しているが、幾つかの記録から推察するにオークとしては優れた思考力を有していた様であり、ブータ大帝の非凡さを認識することができたのだろう。
そして、大帝のブレインとしての働きにより、彼の部族はエンヤ川の戦いにおいてオーク勢を率いる事になったと推測されるのである。
レーキシン著 ブータ帝国記より
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目が覚めたら豚になっていた
……チェンジで
おい、いきなり落ちたよ!
早くもこの物語は終了ですね。偉大なるヒューマンから豚になるとか絶望していいんじゃないかと思うんだが。
というか、なんで豚? というか、自分小さくない? 赤ん坊? いや赤ん坊じゃなくて赤ん豚か? とすると転生的な何かなんだろうか?
ちくしょう、畜生道に落ちるとかわけわからんわというか死んで畜生道に落ちることがわかっていたらもっとはっちゃけた生活送っていたわいやそういえば胡蝶の夢という可能性もいやきっとそうに違いないこれは夢これは夢これは夢……
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大変見苦しいところをお見せいたしました。
どうも初めての事態にいささか動揺してしまったようです。
はじめまして、豚です。名前はまだありません。
そもそも名前とかそんな概念があるのでしょうか? 残念ながら、胡蝶の夢的な何かではないようです。
いやまだとびっきりの悪夢という可能性を捨てたわけではありませんが。さすがに体感時間でこれだけ流れてそれはないとかそんなことは一切思っていません。
これはきっと悪夢に違いないのです。
それはともかく、豚になってからそれなりに時間が経ちました。
いや、豚になったと思い込んでからというべきでしょうか。
そもそも目が見えないし、なにかしゃべろうとするとブヒブヒという声しかでてこないので自分は豚なんじゃないかなあと思っていたわけです。
が、よくよく考えて見るに人間の赤ん坊に生まれ変わったけどたまたまそういう発音しかできていないとかそういう可能性もありますよね。
ようやく目が見えるようになったので、あたりを見回してみたいと思います。明かりは少ないです。洞窟的な何かの中なのでしょうか。
!
何かが動きました。懸命に体を動かしてそちらの方を見ます。
!
足が見えました。二本足ですよ二本足!
二足歩行をする動物、つまり人間に間違いありません。いささかお腹が膨れているようですね。メタボが心配されます。
そして、腰には布切れ一枚のみをつけているようです。未開の部族とかそういうのなのでしょうか?
皮膚は肌色、黄色人種系なんじゃないかなと思われます。まあ、実際には黄色というよりは薄いピンク系なのですがね。そうすると顔は東南アジア系でしょうか?
お、顔が見えました! これは、なんというのでしょうか、正しく、豚! 疑いようもありません! おっと、めんどうくさそうな顔をしながらこちらに近づいてきますよ。
乳房が膨らんでいる様子が見えます。豚なのに2つしかないみたいですね。
体はヒューマン、顔は豚! とかそういうのでしょうか。
体が持ちあげられました。やはりこの体、小さいようですね。うまく動かせませんし。
ということは、これは授乳なのでは!?
か、感動を覚えずにはいられません。生命の神秘というやつでしょうか。
例え、人間ではなくても、母親と子、そこには確かに愛情が存在しているのです!
どうして、感動を覚えずにいられるでしょうか!
これぞ愛情!
種族が代わってもここに確かにそれは在るのです!
ならば、誰しもが感動を覚えること間違いありません!
当事者でさえなければな!!! ……これは夢これは夢これは夢……
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次の日も、季節が代わっても、年を越しても、数年が過ぎても自分は豚だった。
いや、あまり正確ではない。豚のような二足歩行をする生物というところだろうか。
どうやらここは自分の知っている世界とは全く別の世界らしい。
少なくともかつての世界には豚の顔をした二足歩行の生物は、想像上はともかく現実には存在しなかったはずである。
一応かなりの知能を持っている生物のようで、道具の使用や火の利用、更には言語体系も在る。これらの点を見れば極めて人間に近い生物であるのではないだろうか。
自分がなんと呼ばれる生物であるかはまだわからない。
周囲に聞いたところでオレタチはオレタチだとしか返事がなく、重ねて質問をしたところ殴られた。暴力しか能のない奴らだ、と思ったが全力で謝っておいた。
これぞ面従腹背の境地である。とりあえず簡便のために自分たちの種族を人豚と呼ぶことにしよう。というか、最近は質問するたびに殴られているような気がする。
知的好奇心の欠片もない連中め、と思うがやはり全力で沈黙を保つことにする。
そういえば、名前ができた。ヨワイという。名前と言ってもニックネームのようなものなのだが。名前の由来は、自分が同年代と比べて小柄で身体能力で劣っていることに起因する。
子供の個性とかそう言った考えにここの連中は皆目興味がないらしい。
力だけでしか物事を測れないのである。全くこれだから……
「おい、なにやってんだ?」
ブツクサと文句を言っていると横から声をかけられた。声をかけてきたのはこのコミュニティーの中においては最も付き合いが深い相手である。
というか、コミュニティーの中で積極的に自分に関わってくるのは同年代のこいつだけだ。
自分と同年代でありながら随分と大柄な人豚である。名前をツヨイという。名前の通り腕っ節は同年代、いや、すでに大人も含めた人豚の中でも上位に位置するだろう存在である。
「世界の普遍的真理が存在するかについての考察をしていたんだ」
「ふーん」
「まあ、思考実験だけでは答えなんて出るわけない以上、時間つぶしといった面もあるんだけど」
適当なことを言ってごまかすとそいつは興味を失ったかのように相槌を打った。
エリート人豚というだけあって哲学的考察には興味がないようである。
まあ、しかしながらこんな奴でも自分の親友である。
友好関係にあるのはこいつくらいな気もするが気のせいである。
人豚の社会において力がないとはそれだけで馬鹿にされる要因となることは認めざるをえないことであるが、決して自分の友人がこの脳筋だけであることなどないし、たった一人の友人だからといってこちらが甘い対応を取ると思ったら大間違いである。
あと決してパシリなんかじゃない。普通だったら、ツヨイと自分の関係は番長と使いっ走りといった関係になるのだが、こいつと自分とは対等である。嘘ではない。
「あたりまえだろ、オレタチはトモダチじゃないか」
「っ!? 何いきなり変なコト言ってんだ!」
偶に論理的つながりのない唐突もないことを言う困ったやつである。
人がびっくりしてしまうではないか!
この唐突さはツヨイの数多い欠点の一つである。まあ、物事は視点によって真逆にもなりうるから場合によっては、こういう点も美徳になるのかもしれないが。
いや、場合によってはではない。万が一にもだ!
いずれにせよ、腕っ節の強さで物事を決める人豚の中においてエリート階級的な何かに属しているこいつと落ちこぼれってレベルじゃない自分との間に成立している対等な友好関係は平たく言えば異常である。
オブラートに包んだ表現をすれば不相応の不釣合な関係といったところか。
もちろん、この関係が成立したのにはそれなりの理由があるのだが……
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その出来事について語る前に、少し自分の周囲、人豚について語ろうと思う。
人豚にはオスメスがある。一般的にオスメスで体格にそれほどの差はない。力で言えば平均的にオスのほうが優れているようである。
身長は他種族と比べた場合多少なりとも低めであり、小柄と言える。もちろん、非常に大きい個体もいる。
ここの近辺において人豚はほとんどが山間部というか、厳しい環境下で暮らしており、平野部などにはいないらしい。これは他種族によって人豚が追いやられたためであるそうだ。
この洞窟、というか横穴には自分たちの種族、人豚が50体ほど暮らしている。
この洞窟は山間部に位置しており、周辺には同様の横穴が多く在るらしい。
散々に殴られながらも何とか聞き出した話によればこの山間部には10から100の横穴があるらしい。
……頑張って聴きだした情報がこれである。まあ、幾つなのかは判らないがとにかく、我々の住む山間部にはやはり50体程度でまとまった人豚の部族のようなものが散らばっているのである。
人豚の部族間は緩やかな結びつきで結ばれているようであり、普段はそれほど交流がない。
とはいえ敵対して戦うことは稀であるようで、むしろ各部族のタタカウモノと呼ばれている人豚の戦士階級がまとまって他種族などへの略奪行為を行ったりしている。
コミュニティーのリーダーは必ずタタカウモノであり、特別にオサと呼ばれる。
こうしたことから分かるように人豚は部族単位といった感じでまとまって暮らしており大規模な社会機構はそれほど発展していないようである。
未開の戦闘的な部族というのが最もしっくり来る表現だろうか。
タタカウモノが略奪のために外に出ている時、洞窟を纏めるのがワカオサである。
怪我などで略奪に出られないタタカウモノか歳若いもので最も人望と腕力を兼ね備えたものがこれになる。
木の実や果実の採取や狩りを取り仕切り、食料分配などのコミュニティーの管理を執り行うのが役目である。
通常、オサになるものは若年のうちにワカオサを経験している。この点でワカオサは一種のオサ見習いといえるかもしれない。部族をまとめ上げるリーダーとしての素質が試される機会なのだ。そして、今のワカオサは将来を有望視されたツヨイである。
山間部ということもあるのか農業や酪農は行われていない。
山間部に糧となる動物は少ないが猟が行われることもある。人豚は狩猟民族に属しているようである。
豚なのに。
ただし、狩猟だけでは不足があるため、食料や衣服の調達は自給が半分強で残りは他種族からの略奪でまかなっている。
まあ、これも狩りに相当するかもしれないが。
因みに、すでに言及しているが、実はこの世界には人豚以外にも二足歩行をして道具を使い言語体系を持つ種族が幾つか在るのである。
自分自身タタカウモノが戦果という名目で攫ってきた他種族を何度か見ている。
攫われてくるのは多くが人間のような皮膚を持ち、人間のような髪を持ち人間のような顔をした人間のような連中、つまるところ人間である。……チクショウ……オレも人間に生まれたかったぜ……
あと、基本的に攫われてくるのは女性である。他には偶にだが極稀に顔立ちが整っていて耳がやたらと長い種族も連れられてくる。
最初は人間だと思っていたが、周囲が大騒ぎしていた。実際のところ全く違う獲物らしい。とりあえず周りの呼称に習って耳長と呼ぶことにする。当の本人は自分のことを選ばれし民だとか言っていたような気がする。
とにかく重要な点はこの耳長というのはとても珍しい獲物で、生まれてから十年近くなるが捉えられたのを見たのは二人しかいない。
ところでなぜ他種族を攫ってくるかという理由は2つあって、一つは奴隷、つまり労働力としてであり、もう一つが性欲処理と繁殖である。
驚くべきことに人豚と人間や耳長は子を生すことができるのである。
しかも、生まれてくる子は人豚としての特徴しか見られず、母親である人間や耳長の持つ特徴は全くと言っていいほど見られない。
人間と生殖ができるということは生殖機構が極めて似通っているはずであり、そうである以上その子供は父と母双方の特徴を受け継ぐはずである。優性遺伝といったことも考えられるが、人豚と他種族の交配は昔から行われていたようで(つまり、昔から人豚は他種族を攫っていた)、遺伝的性質が劣性であったとしても確率的には他種族の身体的特徴を持つ子供が生まれてもおかしくないはずである。
まあ、人豚しか生まれてこない以上、何らかの仕組みがあるのだろう。
そもそも、自分の知っている人間とこの世界の人間が同じであるという保証もないのであるし、実は生殖メカニズムが大きく違うということもあり得るだろう。
もしくは、他種族の性質が強く出ている場合死産になるとかいうこともあるかもしれない。
いずれにせよ、子供が自分の種族の特徴しか持たない場合、人豚の他種族を用いた生殖というのは、競合している他種族の生殖機会を減らす事と同時に自分の種族を増やす事の2つのメリットを持つ一石二鳥の手段である。種の保存拡大戦略を考えた際には極めて有用な方策であると言えるかもしれない。
すこしばかりえぐい話になったがもう少しこの話を続けよう。
攫われてくる他種族であるが基本的に長生きすることはない。奴隷の場合、極めて劣悪な環境によって瞬く間に弱っていくし、女性の場合、出産を終えると大半が衰弱死する。
未だに他種族と会話したことがないのではっきりとは分からないが、どうも他種族と比べて人豚の受精から出産までの期間はかなり短い様に思う。自分の知っている人間の場合、出産まではおよそ10ヶ月、300日かかるが、人豚は100日ほどである。
もちろん、この世界においては一日の長さが異なるということや、人間の出産までの期間が短いということも考えられるので実際のところは分からない。
いずれにしても、この期間が他種族にとって短いならば、母体にとっては過酷な負担となるのではないかと思う。
通常の出産でも各種の栄養が不足しがちなのであるから。その上、彼女たちに与えられる食料は決して十分なものではないのである。
生まれてくる子供であるがこれも大半が幼少のうちに死ぬ。
これの理由の大半は飢餓による。前に人豚のコミュニティーが略奪の上に成り立っているといったが、略奪は失敗する場合もあり、それ故に食料の供給等は非常に不安定である。
一方で人豚は無計画に増えるのである。
避妊とかそういう概念ないし。そのためか、発育の悪い個体に与えられる食事は減らされることが多く、これが更に発育を阻害するという悪循環が生じやすいのである。
まあ、仮に十分な食事を与えられたとしてもより強い奴に奪われるだけだし。
また、幼少の人豚は洞窟の中から出られないためか、その有り余った力をコミュニティー内の弱者に向ける事が多いのである。もちろん自分は攻撃される側だった。
その頃からツヨイは同年代のトップだった。さすがに大人には敵わなかったが、その一歩手前の半人前の人豚をも倒してしまうほどである。
大柄な体格、並々ならぬ筋力、反射神経、思い切りの良い心構え、これらすべてがツヨイには備わっていたのである。
当然の帰結として、ツヨイは成人していない人豚のボスになった。
さすがに若すぎるということでワカオサではなかったが、ツヨイに役目を交代するのも時間の問題だと思われていた。
あの頃ツヨイの周りには十名くらいの取り巻きがいて、自分や他の弱者に威張り散らしていた。
ツヨイは気の赴くままに取り巻きに命令し、取り巻きは更にその下の弱者に当たり散らした。この関係が成り立っていたのはツヨイが周囲の中で頭ひとつ抜けて最強だったからである。
ツヨイは自分自身で自分や他の弱者に手を下すことはなかったが、これは単純にツヨイの周りに彼の言うことを聞く使いっ走りに不足しなかったというだけである。
そして、その使いっ走りに自分達は散々に叩かれ奪われていたのだ。
ツヨイはそれを止めようとしなかった。だから、当時の自分はツヨイに対して好感情を抱くということはなかったし、ツヨイにしてみてもそこらにいる弱い奴らという程度の認識しかなかったと思う。
だから、この人豚のコミュニティーにおいて自分とツヨイとの間にはなんの関係もなかったと言って良い。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
そんな状況に転機が訪れたのはある冬の季節だった。
その当時、タタカウモノは外に出払っており、女子供をワカオサのカタアシが率いていた。
カタアシはタタカウモノであったが、戦いの際に片足を失い、ワカオサとして洞窟に残ることになったのである。しかしながら、カタアシは狩りなどで人豚を率いることが出来なかったから事実上のワカオサはツヨイであった。
きっかけは些細な事だった。
ツヨイが崖から転落したのである。
結果として、ツヨイは全身にひどいダメージを受け、しかもその後感染症と思われる高熱を出したのである。
歩くこともままならなくなったツヨイに対して狡猾に動きまわったのがフトイであった。
その事故の直後は何者かがこれを手引きしたと言われていたがその噂もすぐに立ち消えた。
自分やツヨイよりも歳上であり、ツヨイが台頭するまではワカオサ、そしてオサを有望視されていた。
しかし、フトイはツヨイに敗れてから忠実で便利なパシリとしてツヨイに仕えてきていた。それが、ツヨイが大怪我を追った直後から活発に動いて瞬く間に新たなリーダーとして洞窟をまとめたのである。
それまでツヨイに媚を売って仕えてきた取り巻きはフトイに従うようになった。強者としてツヨイはその日から虐げられる側に回ることになった。
特に、それまでツヨイと親しかったものほどに攻撃的だった。ツヨイに鞭打つことがフトイに対する好意を示すことであり、これを怠ればフトイに目を付けられ不利益を被るからだった。
この踏み絵を通してフトイは自らの地盤を固めていったのである。
この事件に対して最初自分は何も感じていなかったように思う。
たまたま災難で落ちぶれた奴がいたという程度のもので、所詮他人事だった。
それに、それ以上に残酷なことも理不尽なこともこの世界では事欠かない。もちろん、かつて自分が暮らしていた世界もそう変わらなかったのかも知れない。
しかしながら、かつての世界ではそれらは情報媒介を通してしか知ることのない他所の出来事だった。
一方、この世界で自分は身内の略奪の結果としてすべてを奪われ死んでいく他種族を見続けてきた。
家族や恋人の名前や信仰対象の名前を口にして助けを求め、叫び、飢えて、絶望して死んでいった人間などを見る機会はいくらでもあったのだ。
それに比べたらツヨイの不幸など物の数ではないと自分は思っていたはずだ。
だから、あの時何故自分からこの件に関わろうとしたのかは今日でもはっきりとは分からない。
けれど、結果として自分は弱ったツヨイの看護をした。
当初、ツヨイは自分を拒んだ。
おそらく、生涯初めての挫折と仲間の裏切りが彼に他者に対する不信感と絶望感とを植え付けていたのだろう。
山間部で採れた薬草などを手に近づくと、ツヨイは憤怒の叫び声を上げながら片腕をなんとか動かして殴りかかってきたのである。弱っていたツヨイと虚弱な体の持ち主であった自分とでは依然として大きな力の差があり、自分は吹き飛ばされ地面に体を打ち据えた。
「オレをころしにきたのか!!」
尚もいきり立って自分を睨めつけてくるツヨイはそう叫んだ。そして、全身に走る激痛に屈したのか荒い息を吐きながら体を横たえた。
「おまえはオレをうらんでいるんだろう」
生きも絶え絶えにという感じでツヨイは言葉を続けた。
その目は血走り、大粒の汗が全身から滲み、全身に残る傷跡と合わさって壮絶な様相を呈していた。
「ツヨイを助けに来た」
短くそう言うとツヨイは初め唖然して、しばし後に怒りに顔を歪めた。
「うそだ! オマエはうそをついている!」
絶望と憤怒と激痛に喚き、叫ぶツヨイを前にして、その時の自分は自分自身意外なほど冷静さを保っていたように思う。
「俺を受け入れないのなら、ツヨイ、お前はそう遠くないうちに死ぬ。だから、俺が嘘をついているとしても結果は同じだ。俺が嘘をついていない場合、お前は生きるチャンスを逃すことになる。どうせ俺の他にはお前を助けようなんて言う奴はいないだろう?」
「うそ! やっぱりうそなんだな!!」
嘘という言葉に過剰反応を示しツヨイは暴れまわった。言い回しに失敗したなと思いながら自分はツヨイの説得を続けた。
「本当だ。俺はお前を助けに来たんだ」
まっすぐとツヨイの目を見てそう言うと、彼は叫ぶことをやめて明らかにひるんだ様子を見せた。長い沈黙を挟んだ後にツヨイは問を発した。
「どうして」
その質問に対して未だに自分ははっきりとした解を持ってはいない。ただその時、自分はツヨイに何かを答えなくてはいけなかったから、しばらく思案した後に次のように述べた。
「昔、俺はお前に助けられたことがある。覚えていないかもしれないが俺が食事を奪われそうになったときにお前がそれを止めてくれた。だから、今度は俺がお前を助ける」
「……」
その理由にツヨイは納得したような表情を見せず黙りこんでしまった。しばらく間をおいた後、自分はツヨイに傷口に薬草を塗ると言ってツヨイの横に座った。ツヨイは暴れなかった。
傷口を洗い、消毒し、薬草を塗りこみ、食事を与えて数日が過ぎて、ツヨイは回復の兆候を見せ始めた。
起き上がり体を動かせるまでになったのである。このままいけばあと一週間ほどでツヨイの怪我は治るだろうとその時は思っていた。
この時、自分には油断があったのだろう。
自分がツヨイを看病するということ、そしてそれによってツヨイが復調するということがどういうことか少し考えれば分かったはずである。あるいは、あえて分かろうとしなかったのかもしれない。その時自分は、看病の合間にツヨイと交わす会話を楽しんでいた。
人豚として生まれ変わり何年もの時を経ても未だに彼らの考えに理解出来ない点を感じていた自分である。
そして、おそらく周りにとっても自分は異質であったが、人豚は対話によって相手を理解するよりも腕力にものを言わせて解決することで満足してしまう。
だから、自分は人豚とゆっくりと話をする機会をずっと欲していたのだ。
ツヨイという典型的な人豚の存在はその欲求を正に満たしてくれる相手だった。
ツヨイとの会話の一例は以下の通りである。
「ツヨイはタタカウモノについてどう思う?」
「? どういうことだ」
「ツヨイはタタカウモノになるつもりなんだろう? その事について疑問とか考えたことはないのか」
「ギモン? なにかわからないことでもあるのか? タタカウモノになるだけだろう」
「人間は戦わずに作物や家畜を育ててそれを糧に暮らしている。対して俺たちは、それらを奪うことで糧を得ている。でも、人間は奪われまいと戦うし、それによってタタカウモノは傷ついたり死んだりしている。なら、そんなリスク、危険を犯さなくても俺たちも作物を育てたり家畜を飼ったりしてもいいんじゃないのか?」
それは、自分が長いこと抱いていた疑問であった。人豚は放牧民族というか蛮族的な暮らし方をしている。つまりは、自ら糧を育てるよりも、他者から奪うことを当然としているのだ。
しかし、現状では強奪はその過程で失う以上の利益を得ることが困難になっている。
タタカウモノの戦死や負傷は結構な数になっているのだ。
特に最近この洞窟における人豚人口の増加割合と戦死者数がほとんど同じ水準に達しようとしている。これの帰結は自分たちの部族の全滅であろう。
他人事のように自分はそう思っていたのだ。
「……なんでオレタチがニンゲンみたいなことをしなけりゃいけないんだ?」
「昔、俺たちのご先祖様はこんな山中の洞窟じゃなくて下の平野や森に住んでいたって言う話は長老様から聞いたことがあるだろう?」
「それがどうしたんだ? むかしのはなしだろう」
「どうして、俺たちが平野からこんな不便な山間部に住むことになったのか考えたことはあるか? 人間たちに戦いで破れてこの山間部に逃げ込んだのさ」
「そんなのうそだ! タタカウモノたちはいつもニンゲンたちをけちらしているっていってるだろ!」
「そうならば、戦死者が出ることは可笑しいだろう。人間たちはタタカウモノたちが言うよりもずっと強いはずだ。何しろ、彼らは負ければ全て失いかねないんだからな」
「……」
「今まで持っていたものを失うということに対する恐怖感はツヨイ、お前にも理解できるだろう? 人間たちにとって俺たちは存在しているだけで害悪となる。何しろ、俺たちは人間から奪うことで生きているんだから。俺たちの数が増えればそれは厄災が増えることと同義だ。だから、人間はそれこそ死に物狂いで俺たちを殺しに来る。その結果、俺たちは平野や森から追われたし、このままそれを続ければ、この世界から追われることになるだろう、と思う」
自分の言葉にツヨイは驚くほど素直に反応した。
「……おれたちはニンゲンにかてないっていうのかよ」
「勝てない、からこその現状だ。それを誤魔化してはいけないと思う。勝てると言ったところで現状が変わることはないし、むしろ、俺たちの完全な敗北が早まるだけだ」
「なんでかてないんだ。おれたちのほうがニンゲンよりもつよいんだろう?」
「理由はいくつか考えられるけど、ひとつには俺たちの纏まりのなさがあると思う。タタカウモノは他所の洞窟と一緒に戦いに行っている。だけれど、俺たちには俺たちの利益を求めているし、他所の連中にも彼らの利益を求めている。そして、それは同一ではない。タタカウモノといっても自分たちの部族の戦死者や負傷者は極力減らしたいと考えている。一方で、戦利品は可能な限り多く得たいと望んでいる。だから、他所と集まったところで十分に統制が取れないし、その結果各個撃破されることになる。いくら俺たちが強いと言っても数倍の人数を相手に勝つことは不可能だ」
「……ニンゲンはおくびょうなんだろう? なら――」
「臆病だからこそ、必死に考えて準備をして俺たちを倒そうとする。人間が臆病ということは彼らが弱いということと同じではない。この2つは全く別のものだ」
「……」
会話に疲れたのか、思うところがあったのかツヨイは黙りこんでしまった。
仕方なく自分はツヨイの傷口に薬草を磨り潰したものを塗りこみ洗った布で傷口を縛るとまた来ると言ってツヨイのもとを去った。
こんな様子で自分はツヨイの看護を続けていた。
事が起きたのはもうすぐツヨイの怪我も完治するだろうと思われたある日のことである。
突然、屈強な年上の人豚たちに自分は囲まれた。
硬直して動けなかった自分の前に現れたのはフトイだった。
鼻を鳴らして自分を睨めつけながらフトイは自分の肩を強く押した。尻から倒れこむ自分を見下ろしながらフトイは口を開いた。
「いつまであいつをみているつもりだ」
そのときのフトイは態度は尊大でありながらその声は何処か焦りがあったように思う。
「もう、数日中には完治すると思う」
そう答えると、フトイは目に見えてひるんだ様子を見せた。
「ばかなことをいうな!!」
唐突にフトイは大声で叫んだ。
体はわずかに震え、目は焦点を結ばずに泳いでいた。おそらくだが、ツヨイに代わって戦うものの出払った洞窟をまとめあげていたフトイはかつてのボスの存在など眼中になかったのだろう。
周囲にかしずかれ、思うままに命令を下すことに夢中になっていたのだ。
そして、ツヨイがほとんど回復するに至ってようやく現状に気づき、こうして自分を脅しに来たのだろう。
そんな風に考えているとフトイが叫び声をあげた。
「あいつのケガはなおるようなものじゃなかった! オマエ、まほうでもつかったっていうのか!!」
「魔法なんて言うものは存在しない。適切な治療と十分な栄養があれば治る程度の怪我だった」
フトイの絶叫に対してそう言うとフトイはこちらを憎々しげに見つめてからゆっくりと口を開いた。
「つぎのあいつのかんびょうのときにこれをのませておけ」
そう言ってフトイは特徴的な形状をした数枚の葉を差し出した。それは微量の毒を含んでおり、食飲すると体を麻痺させるため、シビレグサと呼ばれている。麻痺はそれほど長続きしないため、致命的なものではない。だが、山間部にそれなりに生息しており食べてはいけないと教えられる植物である。
「ことわったらどうなるかわかているんだろうな」
自分が黙っているとフトイは低い声でそう脅しつけて葉を押し付けると去っていった。
「……やれやれ」
シビレグサを手に持ち立ち上がると自分はため息をついた。
考えが足りなかったと言わざるを得ない。人豚の中では落ちこぼれの自分がこんなような厄介ごとに巻き込まれるとは思ってもいなかったのだ。
ツヨイに関わるべきではなかったか、一瞬そう思ったが首を振って否定した。
うかつにもこんな状況は想定していなかったにせよ、関わると決めたのは自分自身だった。
考えが足りなかたことは反省すべきだが、後悔してはいけない。
それに、ツヨイとの会話は自分にとってとても楽しい時間であったことは確かなのだから。
人豚として生を受けてからの今まで、理不尽と絶望の内に死んでいった人々を誰も助けた事のない自分である。
せめて最期くらいは――
その日、ツヨイの様子がいつもと若干異なっていた。
いつものように打ち解けた感じではなく、ツヨイの看護を始めた当初の様にどこか緊張した様子なのである。
フトイとの出来事を知ったのだろう。
瞬時に自分はそう確信した。フトイとの会話が聞かれたのかと思ったがさすがにツヨイに盗み聞きをさせるほどフトイが間抜けであるとは思えない。
ともすれば、復調が見込まれるツヨイに恩を売っておこうと考えた人豚がいるということだろう。とは言え、自分を拒絶するでもないので何も言わずにいつものように横たわっていた。
自分も素知らぬ顔で体を拭いてやり、患部を縛っていた布を取り替え、肉や野菜が盛られた皿を渡すと、ツヨイはしばらく皿を眺めていたがやがて食べ始めた。
「……なにもいわないんだな」
食事を終えて自分に皿を渡しながらツヨイはそう言った。
「そっちが何も言わないからね。まあ、信じてくれたようで何より」
そう言って荷物をまとめながら移動しようとしていると後ろからツヨイが声をかけていきた。
「オマエは……どうして」
「……さあね」
その問にしばし思案したが、ツヨイの問事態が不透明であったし、わざわざ答える気にならなかったので適当に誤魔化して自分はツヨイのもとを離れた。
その晩眠ろうとしていると、数人の人豚に囲まれた。そのことは予想はできたことなので自分はそれほど慌てることはなかったと思う。
「オマエ、よくも!!」
怒りと恐怖の入り混じったような罵声と共に拳や蹴りが飛んできた。自分は反撃も防御もろくに出来ずに打ちのめされ、意識を失った。
再び目がさめることはないと覚悟していたから、洞窟で意識を戻した時、自分は多少驚いた。
自分が意識を取り戻したことを察したのだろう、周りで何かが動く気配がした。ぼんやりとしていると、かすかに足音が聞こえた。
意識を向けると足音はだんだんと大きくなっていった。
「めがさめたか!」
どこか、嬉しそうな声が聞こえた。
「ツヨイ?」
「そうだ」
尋ねるとすぐに返事が返ってきた。すぐに返答が返ってくるいつもと同じツヨイとの会話であった。
「俺はどれくらい寝てた?」
「まるいちにちだ。しんぱいしたけどそのようすじゃだいじょうぶみたいだな」
「っつ……あちこち痛いけどな」
「オレにくらべればたいしたことないだろ。ケガがなおったばっかりなのにカタアシからワカオサのやくめをはたせっていわれたんだから」
それを聞いて少し驚いた。ツヨイの言っているということが正しいなら、カタアシはツヨイが十分にワカオサの任を果たせると認めたことになるからだ。
十代前半、人間と比べ成熟の早い人豚でもまだ子供とみなされる年齢である。だから、ワカオサは身体が不自由であるが経験の豊かなカタアシが務めていたのである。
カタアシがツヨイを認めたというのは、今回の怪我からツヨイは何かを学んだとみなされたのだろうか。
このままいけば将来ツヨイはオサとなり、周辺の部族をまとめ上げて人間などの多種族と戦うことになるだろう。
人豚としては落ちこぼれの自分とは異なり、ツヨイは仲間を率いて遥か遠くまで進んでいくに違いない、とその時自分は思ったのだ。
そして、体が弱くろくに戦えない自分ではそれに従うことはできないだろうと。
人豚としての成功に意味はあるのかと意地悪く考えながらも、そのときの自分にはどこかツヨイに対して憧憬と嫉妬の念があった。
自分との触れ合いがおそらくツヨイを成長させたということに満足を覚えつつも、この先の事を考えるときどこか胸に痛みを感じずにはいられなかった。
「それはおめでとう……俺なんかのところにずっといていいのか?ワカオサの仕事があるんだろう?」
「なにいってるんだ、トモダチといっしょにいちゃいけないっていうのかよ」
「……友達?」
「オレとオマエはトモダチだ。だから、どっちかがこまったらたすける。そうだろう?」
論法としては滅茶苦茶だったがツヨイの言葉には温かみがこもっていた。
そして、それは自分にとってとても嬉しいことだったが、素直に喜ぶのは躊躇われた。人豚と自分を別のものとして捉えている自分がどこか邪魔をしていたのである。
「勝手に決めつけて。俺もお前も友達になったと言ったことはないぞ」
「でも、トモダチだろう?」
「……まあ、ツヨイがそこまで言うなら友達になってやるよ」
「なってやるって、まえからトモダチじゃあなかったのか?」
「う、うるさい! こっちはまだからだのあちこちが痛いんだ! 一人にしてくれ!!」
「そうか、からだをだいじにしろよ」
病み上がりであることを感じさせずに颯爽と歩いて行くツヨイを見送りながら自分はやがて寝入った。
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以上がツヨイと自分が友達になるまでの経緯である。
友達になってからもツヨイは持ち前の強引さを発揮して自分をあちこちに振り回した。
それは、大変な日々であったけれども、楽しかったことは確かである。これは絶対にツヨイには言わないが。
また、ツヨイとの友好関係は自分の心境に大きな変化をもたらした。
最大のものは自分は人豚を仲間として見ることができるようになったことだろう。
まあ、少なくともツヨイが困難を乗り越えられる程度には手助けをしてやろうと思うようになったのだから。
「よし、かりにいくぞ! きのうしかけたわなのようすをみにいくぞ!」
「ちょっと、いきなり引っ張るな。俺は今、薬草の研究をしているんだ。新しい知識の探求に忙しいんだからお前らだけで行けよ!」
「どうせあたらしいことはわからないんだろ? そんなことよりもかりにいこうぜ!」
「ほかにもっと適任者がいるだろうが! なんで俺なんだ!?」
「だってともだちだろ?」
「いやいや、なんでそこでそんな不思議そうな顔をしてんだよ。って、ちょっと待てまだ話は終わってないのに引っ張るな、おい、ツヨイ笑ってんじゃねよ!!」
何はともあれ、当時のツヨイとの触れ合いは自分にとってただ純粋な喜びと楽しみに満ちていた。そこには打算や謀略などの一切が存在していなかった。そして、この時期がきっと人豚としての自分の生涯の中で最も幸福な時間だったのである。