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Crescente

師弟 ― 記憶の欠片 ―

作者: 高里奏

この小説は、長編を書く前のまとめ(予告?)的な意味合いで書いたものですので、消化不良になる可能性があります。

 他の「クレッシェンテ」のネタバレを含んでいる可能性があります。

 時の魔女は、アザレーアの外れに小さな家を構え、一人静かに暮らしていた。

 この地がアザレーアと呼ばれる由縁は時の魔女のこの小さな小屋があるからだと言われている。


 時の魔女はその日も、静かに庭の薬草の手入れなんかをしていた。

「カモミールが豊作ね」

 呑気に今日のお茶は何がいいかしらなどとハーブを見渡していると、藍色、いや、藍鼠色の髪の生意気そうな少年が、庭に紛れ込んでいた。

「鬼婆! お前に弟子入りしてやってもいいぞ!」




 これが魔女と後にスペード・J・Aと呼ばれる男の出逢いだった。




「あら、また来たの? 坊や」

「当然だ! お前が僕を弟子と認めるまでは諦めない!」

「お前? 年上は敬いなさい。女性に対して鬼婆などという言葉を使うことは許しません」

 先日、少年は魔女に酷く拷問にもにたお灸を据えられたにも関わらず、彼は懲りることは無かった。

 ただ、婆と呼ぶことだけは無くなったが。


「坊や、名前は?」

「……カトラス。カトラス・ロート」

「カトラス、そう。剣を意味する、勝負には向いていそうね」

 魔女は微かに微笑んで、二三度「カトラス」と繰り返した。

「私は蘭。人は時の魔女と呼ぶわ。私を呼ぶときは、蘭さん又は蘭様、もしくは師匠と呼びなさい」

 蘭は静かに言う。

「師匠、僕に魔術を教えて」

「教えて? 教えて下さいでしょう? カトラス、あなたはまず、言葉使いからお勉強し直しです。あなたのご両親は?」

「ロートに居る」

「ロートからわざわざ来たの? まぁいいわ。ご両親に手紙を書くわ。あなたがここで住み込みでお勉強するって」

「住み込み?」

「ええ、そうでもしないとあなたのそのお行儀の悪さは抜けないもの。テーブルに座らないの」

 蘭は引出を漁りながらカトラスを叱る。

「お前……後ろに目があるのか?」

「お前? 二人称はあなたを使いなさい」


 カトラスにとって、人生を大きく変える十年間の始まりだった。




「師匠、薪割りこれで良いですか?」

「んー、もう少し」

「はーい」

「のばさないの」

 初めのひと月は言葉使いと礼儀を叩き込まれた。

 その他は主に家事の手伝いで、魔術らしきものは何ひとつ教えられない。

 それどころか、魔女が魔術を使う姿さえ見ることが出来なかった。

「なぁ、いつになったら魔術教えてくれんの?」

「あなたのその言葉使いと行儀の悪さが直ったら、です。魔術はまず敬う心から始まるのです。たとえ形式だけでも言葉使いと礼儀はとても重要です」

 蘭はまるで母親のような口調で言う。

「またそれかよ」

「基本です。わかったら畑から野菜を採ってきて頂戴」

 蘭は釜戸に薪をくべながらカトラスに言う。

 彼は不服ながらも従うしか無かった。




 彼が初めて魔術らしいことを学んだのは蘭の家で暮らしはじめて三年目の春だった。

「見て、ここに足跡があるでしょう?」

「何の足跡です?」

「これはね、未来の足跡よ」

「未来?」

 カトラスははじめ冗談かと思った。なにしろ魔女はこういった冗談が好きなのだ。

「未来はどうやって捕まえられるかしら?」

「さぁ? そもそも捕まえられるんですか?」

 カトラスはいかにも適当にあしらうように訊ねた。

「さぁ? でも、見つけることは出来るわ」

 蘭はそう言ってなにやらレンズのようなものを覗き込む。

「あれが未来よ」

「あれって?」

「あら、ごめんなさい。これを」

 どうやら未来はレンズを通さなくては見えないものらしい。

「何もありませんが?」

「あら? 逃げられちゃったかしら」

「こんなことに何の意味が?」

「そうね、特に意味はないわ。魔術ってそういうものよ」

 蘭は笑う。

「馬鹿な」

「だって、魔術が無くても生活出来るじゃない」

「それは……」

「魔術ってそういうものなの」

 蘭は静かに笑った。


 

 

 それから一年間は主に魔法陣の書き取りと薬草の名を覚えることに費やされた。

「最近の若い子って物覚えがいいのね」

「何を婆くさいことを」

「婆? トラディショナルレディとお呼び」

「それで次は何を?」

「簡単な術から実践か、薬の作り方か……どっちがいい?」

 魔女が彼に意見を求めたのははじめてだった。

「実践を」

「わかったわ。と、その前にあなたの服を買わなきゃ。随分大きくなったわね。出逢った時はわたしの胸より下くらいだったのにいつの間にか目線が一緒だなんて」

 そのうち抜かされそうねと蘭は笑う。

「それこそ魔術でなんとかならないのですか?」

「あら、私がお祝いに買ってあげるって言ってるんだから素直に受け取りなさい」

「お祝い?」

「ええ、魔術師の成人は14歳なのよ? まぁあなたは始めるのが遅かったから新米以下の出来だけど、大丈夫。すぐ追い越せるようになるわ。それこそ歴史に名を残すくらい」

 だって私の弟子だもの、と蘭は誇らしげに笑った。






 スペードは森羅の服を身に纏い、物を浮かせたり、位置を入れ替えたりする術を覚えていった。

「三月でここまで……よく頑張ったわ」

 お祝いね、と蘭は嬉しそうに笑う。この魔女は祝い事が好きなのだ。

「これで初等魔術は終わりよ」

「では、明日からはもっと上を?」

「そうね……私の仕事を手伝いながら。もう今までみたいに一からは教えないわ。見て覚えなさい。魔術は元来奪うものよ」

 いつもよりも厳しく蘭は言う。

「本格的な実践よ」

「実践?」

「ええ。あ、そう。魔術師だもの、名前を考えなくちゃ。本当は成人の時に名前め作るんだけど、うっかりしてたわ」

 魔術師は本名を隠す。

 ごく稀に本名を使う者も居るが、それは撹乱のためだ。

「そうねぇ……カトラスだからスペードでどう?」

「構いませんよ。それこそ賭事に向きそうだ」

 スペード、と呟いて彼は微かに笑った。

「じゃあ、スペード・アンジェリス。今日からそれがあなたの名前。本名は記憶の底に隠しておきなさい。さぁお夕飯は何がいいかしら。スペードのお祝いよ!」

 蘭は嬉しそうに言う。

「師匠」

「なぁに?」

「師匠の蘭と言う名は偽名ですか?」

「さぁ? 迷い込んだ時に運命の少女に貰った名前だもの。本名なんて忘れたわ。いい? 名前は呼ばれなくなると忘れてしまうの。だから、こっそり自分で名前を呼んで確認なさい。忘れてしまえば奪われても気付けなくなる」

 珍しくも真剣な蘭にスペードは戸惑った。

「なぜそんなことを?」

「そうね、私は……もう、誰も名を呼ばない。誰もが私を時の魔女と呼ぶ。だから名前を忘れてしまったの」

 魔女になったときに別の名前があったはずだけど、なんと呼ばれていたかわからないのと彼女は言う。

「師匠はその名を思い出したいのですか?」

「もう、思い出しても仕方の無いこと。私は長生きし過ぎたの」

 蘭は少し疲れたように笑った。


 三日も経たないうちに、ムゲットに引っ越した。

「師匠、いつの間にこんな店を?」

「必要になれば手に入るものよ? こういうものは」

「案外いい加減ですね」

「そうかしら?」

「計画性が無いと言われませんか?」

「私にそんなことを言う生意気な坊やはスペードが二人目ね」

「え?」

 スペードは驚いて蘭を見た。

「そうそう、これからその生意気な坊や一号に会いに行くの。もちろん仕事で。で、この仕事は貴方に任せようと思うんだけど、やってくれる?」

「僕に……仕事……はいっ! 是非!」

 僅かに頬を染め、嬉しそうにそう返事するスペードの表情はどこか子供のようだった。

「お願いするわ。仕事内容はそう難しくないわ。少し売れ出してきた暗殺者の少年と一緒に標的を探すの。だけど、探す途中にその少年の姿を隠してあげるのが貴方の仕事よ」

「姿を隠す?」

「どうも一筋縄ではいかない相手らしくてね、多少報酬が減っても任務を成功させることを選んだみたいよ。あの坊やは」

 蘭は楽しそうに笑う。

「ああ、来たわ。いらっしゃい」

「お久しぶりです。時の魔女」

「坊や、紹介するわ。私の自慢の弟子、スペード・アンジェリスよ」

「はじめまして」

 スペードは少しばかり驚いたが、あわてて笑顔を作って挨拶をした。

「はじめまして。僕はセシリオ・アゲロと申します」

「セシリオ・アゲロ……噂を聞いたことがあります。若いのに筋がいいと」

「おや、そんなに噂になっていましたか? でも、僕も貴方の噂は聞いたことがありますよ。尤も、魔術ではなく、賭け事の方ですが」

 取ってつけたような笑みを浮かべて言う。

「それで、僕の依頼を受けるのは彼ですか?」

「ええ、そうよ。大丈夫。私がしっかり教えているから腕は確かよ」

「そうですか? まぁ、失敗すれば殺すだけです。構いませんよ」

 セシリオはカウンターに金貨を積む。

「半金は後払いでしたね」

「ええ」

「では、行きますよ、スペード」

「はい」

「がんばって頂戴」

 蘭は微笑んでスペードを見送った。




 スペードの噂はすぐにムゲットに広まった。

「うーん、やっぱり私の弟子なだけあるわね。誇らしいわ」

 蘭は新聞を広げながら言う。

「師匠」

「なぁに?」

「僕はそろそろ独立しようと思っています」

「え?」

 突然の言葉に蘭は驚いた。

「自分の力を試したいと思っています」

「まぁ……ええ、わかってるわ。いつかはそうなるって。ええ、知っていたの」

 蘭は少しばかり混乱した様子を見せながらそう言う。

「そうね……いつまでも子供じゃないのよね」

 そういう彼女の視線は、スペードを見ていない。

「ごめんなさいね。少し驚いたの。でも、貴方なら大丈夫よ。私の自慢の弟子だもの」

「ありがとうございます」

 微笑んだものの蘭の表情は僅かに暗い。

「いつでも会いに来て頂戴。待ってるわ。いいえ、それより、更に上を目指しなさい。私を超えるくらい」

「そんな、師匠を超えるなんて」

「あら、子はいつか親を超えるもの。弟子は師を超えるものよ?」

 蘭は笑う。

「師匠……」

「それに、私は貴方を息子のように思っているわ」

「ありがとうございます」

 蘭は視線をそらした。

「今日はお祝いしなくちゃ」

「え?」

「スペードが一人前になったお祝い」

「師匠……いいですよ。そんな……」

「お祝いさせて頂戴。私の始めての弟子なんですもの」

 セシリオも呼びましょうと彼女は言う。

「セシリオを?」

「あの子も新しく組織を立ち上げるみたいなの。もう一人、同じ時期に同じ事をしようとしている子もいるけど……残念だけどあの子は長持ちしないわね」

「え?」

「いえ、さぁ、お祝いの準備をしなくちゃ」

 

 これが蘭が最後にスペードを祝った日だった。





 時の魔女はムゲットの中心部にある、目立たないその店で、今日も戻らぬ弟子を見守っている。

 数百年前に三五六年前の夏に衝突したきり、すっかり寄り付かなくなった、彼女の最初で最後の弟子は、この犯罪者の集う国で唯一とも言える指名手配犯。彼女の予言通り、歴史に名を刻む魔術師となった。


 スペード・ジョアンアンジェリス、本名をカトラス・ジョアン・ロートという。


 彼はクレッシェンテ三大恐怖に次ぐ実力者として、今日もクレッシェンテのどこかを騒がせている。


 魔女はただ、日々、新聞と噂話でのみ、弟子の様子を知るのだった。




スペードの通り名の「カトラスA」は実は本名の一部を使っているということで。

彼は通り名をいくつも持つことによって巧妙に本名を隠しています。

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