第8話触れる離れる重ねる
「雪、新しい曲できたよ」
「え?」
「えっとタイトルが」
「ちょっと待って、歌えるようになったの?」
「あのライブやってから少し声が戻ったの、戻ったって言っても一人の時だけしか歌えないけど」
「え、あ、そうなんだ。目標に一歩近づいたね……」
「でタイトルが『ヘリオトロープ』」
「良い。聞かせてよ、曲」
「いいよ」
スマホを開き、再生ボタンを押す。
前回の曲が初めて見た光だとするならば、今回の曲は太陽のような曲だろう。日常にある光を抱きしめていたい、そんな曲。
「どう?」
「この曲、歌いたい。今すぐ」
ギターのハーモニクスが部屋中に広がる。フレーズは心踊るようで、一瞬の煌めきを模っている。今の気持ちがダイレクトに反映された、曲になってしまっていた。初めて合わせたと思えないほど息が合い、伴奏する手が止まらなかった。
練習が待ち遠しい、日々が続いたが、七月も後半。夏休みに入ってしまった。
部活動ではない私たちは、学校に入ることができず。練習をする場所を失い、一時休止が余儀なくされた。
ピロン。
部屋が明るくなる。
(練習どうしよっか。やれる場所探さないとだよね)
(雪の家ってだめ……だよね)
(そうだね、マンションで大きい音はまずいかも……やるなら思いっきりやりたいし)
(そうだよね)
(白の家は?)
(一軒家だから、大丈夫ではあるんだけど)
(嫌?)
(私の家でいいよ)
(本当にいいの?)
(隠すことでもないし)
(隠す?)
ガチャ。
「ごめん。ちょっと遅れた」
「いや、別に大丈夫だよ」
「えっと、あなたが雪ちゃん?白からよく話聞くわ。今日は、ゆっくりしていってね」
「すみません。お邪魔してます」
「いえいえ、ゆっくりして行ってね」
「ありがとうございます」
部屋のドアが閉まる。
「あの人が言ってた千春さん?思ったより若いんだね」
「二十九歳だしね」
「ほんとに若いんだ」
「……」
「練習……やろっか」
「そう……だね」
練習はいつも通り。今ある二曲の練習と三曲目の制作。
ゲホゲホ。
「そこちょっと高いかも」
「じゃあキー下げようか?」
「いや、それだと下が出なくなって」
「じゃあメロ変えるしかないか」
「ごめんね、手間だよね」
「そんなことないよ、雪に歌って欲しくて作ってるから」
「ごめ……、ありがとう」
「うん……」
俯く雪の背中をどこか寂しげだった。
「雪、次のライブどうする?」
「白、勉強あるでしょ。そっちに集中しないと」
「いや、今勉強は……」
「白は大学に行って、千春さんに心配かけないように、したいんじゃないの?」
「……」
「あ、ごめん。言い方が強かった……」
「いやそんなことは……」
「ちょっと頭冷やすから、今日は解散で」
「じゃあまた来週」
「うん。ごめん」
雪が、帰った後。
まだ残る雪の温もりが、空いた窓から入るぬるい風で冷まされていく。閑散とした街並みが目の奥に映り、擦れていく感情が街に溶けていった。
雪との練習は週に四回。一人の三日間は、家で天井を眺めるぐらいしかない。あの練習から、二日。
ザワついた心は、落ち着かないまま三日経とうとしていた。
「白、ごめん。麺つゆ切れちゃった。買って来てくれない?」
「明日じゃあダメなの」
「いや、もう茹で始めちゃったの」
「えー」
「よろしく」
「はい……」
時間は十八時台なのに、外は明るい。日が登っている時間は長いのに、憂鬱な時間は長く日に日に飲み込んでいく。
スーパー、麺つゆだけを買い外に出る。飲み物のように麺つゆを買う感覚は変な感じ。
店内の効き過ぎた冷房と外のうだるような暑さ。二つの季節が同時に来たようで、冷や汗が出る。
ふと、自動ドアに映る自分の顔を見ると情けない顔をしていた。
顔の横にはポスター「高校生バンドコンテスト」(日程 八月二十日)
「バンドコンテスト……」
「白、おかえり。麺つゆ、ありがとね。もうついじゃうから席座って待ってて」
「あ、うん」
出て来たご飯を黙々と食べる。私は、コンテストの件で頭がいっぱいだった。
「ご馳走」
「これだけでいいの?」
「うん。大丈夫」
部屋。天井見上げても消えない感情。私の指は、動き出した。暗い部屋の中スマホが私の顔を照らす。
検索 『高校生バンドコンテスト 埼玉』
応募期間 七月十日ー八月十日
開催日程 八月二十日……
「十日……オリジナル曲を披露できるものに限る……」
申し込む直前で手が止まる。
「雪に相談してからだよね、うん。何やってんだろ私」
思いが交差する中、私はそっと目を閉じた。
目覚めると朝になっていた。
ピロン。
(ごめん、白。今日、三者面談があるから練習行けなくなっちゃった。)
(そうなんだ、じゃあまた明日)
(ほんと、ごめん。前々から言っておけばよかった)
(大丈夫だよ)
(ごめんね)
三者面談。この時期になるといつもある恒例行事。一日潰れるほど、大変なものでもないが時期も時期だ、積もる話もあるのだろう。
そういえば、今年はまだ行ってない……
「白」
部屋のドアが開けられる。
「何ゴロゴロしてるの、今日あなた三者面談でしょ」
「え?」
「え、じゃないよ。昨日言ったじゃない。」
「いや、言ってないよ」
「もー何でもいいから、早く準備して。あと一時間しかないよ」
「あ、うん。わかった」
慌てて準備を始めた。少し寝癖もついていたかもしれない。気にする間も無く家を出た。
千春さんの車は、小さめの軽自動車で四人乗り。消臭のため取り付けた芳香剤が鼻に残る。車で学校に向かうのは新鮮で、いつも通っている街の景色が違うもののように感じる。綺麗なはずの並木道が一瞬で残像に変わる。
「ついたよ、白」
後部座席に座る私を鏡で見る。
「うん」
先生との面談は、あまり面白いものではなかった。当たり障りのないことを言い、それを聞いた先生が安心したようにこちらを見る。何の波紋もない、会話は何も産まない……
「ありがとうございました」
教室のドアを閉め帰ろうとすると、中庭に見覚えのある人影が目に映る。
「このあとどうする?ご飯でも食べにいく?」
「あ、ごめん。歩いて帰るから先帰ってて」
千春さんの困惑した顔を横目に私は走り出した。何か言っていたような気がするが今はどうでもいい。
「雪?」
「白、なんでここにいるの?」
「私も面談の日、今日だったの」
「あー、じゃあお互い様だったのね」
「そのことはとりあえずいいんだけど、なんで……一人でいるの?さっきちらっと見えた書類、雪のだったよ……」
「……」
久しぶりのこの気まずい空間。今私は、触れては行けないものに触れてしまったのかもしれない。
――「喜多川雪さん 至急職員室まで来てください」
放送が学校中になり響く。
「……行かなきゃ」
雪が、立ち上がり私に背を向ける。
「またね」
小さく呟く彼女を引き止める方法はない。
私が取れる一番賢い方法は心の中で『今日は何も見てない』と小さく呟くことだった。
ピンポーン。
家の中に響くインターホンは宅急便だった。今日は、十二時に私の家で練習のはずだが時計は十三時を回っていた。流れる時間が、思考を暗くさせるが私はただ待った。
二回目のインターホン。
「雪……」
「ごめん、遅れて」
「大丈夫だよ上がって」
いつもとそんなに変わらないやり取りだが、一つ一つが重たい。
「昨日のことなんだけどさ」
震える声で喋り出す雪。
「言わなくていい、言わなくて、いい……」
「え……」
「私も家のこと黙ってたし、雪が言いたくなるまで……私待つよ」
「ありがとう、でも大丈夫……今私一人で暮らしてるの。七月の初めにお母さんが体調崩して入院しちゃって、お父さんも今転勤で県外。おばあちゃんが来てくれるはずだったんだけど……おばあちゃんもあんまり元気なくて。大丈夫って言っちゃった。そんな感じでゴタゴタして、言える余裕なかったごめんね」
言葉をかけても泡のよう消えるような気がして、体は自然と雪を包んでいた。
「どうしたの!?」
「ごめん、ありがとう」
「そんな……気にしなく大丈夫だよ」
こんな近くにいるの遠く感じるのはなぜだろう。体の温もりが消えないように私は強く抱きしめた。
そんな私の肩をポンポンと叩き話し始める。
「湿っぽいのはなしにしよ、ほら練習するんでしょ」
優しく語りかける彼女の声が耳に残る。
「うん……」
今日の練習は、いつも通りすぎていった。
「じゃあまた明日ね」
ここで帰してしまって良いのだろうか。雪の背中は、遠くに行ってしまいそうに見えた。
「雪……」
「何?」
「うち……泊まっていかない?ほら、一人なら親御さんも心配しないだろうし、その……」
「いいの?泊まっちゃって。洋服とかないけど」
「私のあるし大丈夫だよ……」
「いやでも白の家に悪いし……」
「それは、大丈夫だと思うから」
「いやでも」
「私がまだ……一緒にいたいの」
なんてことを言ってるんだ。彼氏を引き止める彼女みたいなことを言ってしまった。
「じゃあお言葉に甘えて」
頭を掻きながら彼女は言った。
玄関先、家の外に出かけていた体を家に戻す。
「人の家にお泊まりなんて、何年ぶりだろう。中学ぶりかな。なんかワクワクしちゃうね」
「そうだね」
勢いで言った手前、何の許可も取っていない。高鳴る心臓は、何によって引き起こされているのか今はわからない。
「とりあえず、私の部屋に戻ってて」
「うん」
恐る恐る千春さんに電話をかけると呆気なく了承された。
「千春さん、大丈夫だって」
「ほんと、よかった」
パタパタとする足には何が込められているのだろうか。
「夕食は、ハンバーグだって」
「やったー。最近、コンビニ飯ばっかりだったから嬉しい」
「体に……良くないよ」
「わかってるんだけどね」
俯く彼女の表情は見えなかった。リビングに降りると千春さんは帰って来た。
「あ、雪ちゃん。ご飯すぐにできるから座って待ってて」
「ありがとうございます」
「白は、お箸もっていって」
「うん……」
お箸を並べていく。三膳のお箸を並べるのは何年ぶりだろう。
「ありがとう白」
日常の一コマの中に雪がおさまっている。不思議な感覚。
「いただきます」
雪は勢いよく口にハンバーグを詰める。
「美味しい」
嬉しそうに言った。
ご飯を食べ終わった私たちは、部屋へと戻ってきていた。
「いやー美味しかった」
「それはよかった」
「布団とかってあるの?」
「千春さんが持ってきてくるって、さっき言ってた」
「そう」
トントン。
ガチャ。
「布団持ってきたよ」
「あ、ありがとうございます」
「お風呂入れたから、順番に入っちゃって。着替えは白のやつ借りてね」
「はい」
「じゃあ、おやすみ」
「はい。おやすみなさい」
ガチャ。
「お風呂、雪が先に入っちゃって」
「えー、わるいよ」
「いや、私後でいいから」
「いや、白が先で」
「いやいや、気にしなくていいから」
「わるいって」
「後でいいって」
続く押し問答は終わりが見えない。私たちのたどり着いた結論は……
一緒に入るだった。
「なんでこんなことになってるんだろうね」
「雪が頑固なせいだよ」
「私のせい?白も相当だったよ」
「あれは雪だったね」
「そうかなー」
そう言いながら雪は服を脱ぐ。服のない彼女の体は思った以上に華奢で、触ったら折れてしまいそうだった。
「ねぇそんなジロジロ見ないでくれる」
身をよじらせ、体を隠す。
「あ、ごめん」
私は咄嗟に視線を逸らした。
「白は何で服着たままなの。腹括って裸になれよ」
「いや、恥ずかしい」
「恥ずかしいだぁ?人の体は見ておいて、自分は脱ぎませんって不公平でしょ。ほら早く、早く」
「おりゃー」
急かされる勢いで同じフォルムになった。
チャポン。
向き合う形で湯船に浸かり、雪の声が反響する。
「人とお風呂入るのなんて、お母さん以来だよ」
「私は、銭湯かな」
「銭湯かー。私いった事ないなー。どんな人がいるんだろう」
「おばちゃんしかいないよ」
「そうなんだ。夢ないね」
「夢って、高校生男子みたい」
「私は心に高校生男子を飼っているのだよ。今だっていつ白に触ってやろうか、考えていたところだよ」
わしゃわしゃと変な手つきでこちらを見ている。
「隙あり」
私の体に雪の手が飛びつく。
「ちょ、雪どこ触ってんの」
腹をコショコショと触ってくる。
「いやー、いい肉付きですな」
「もう、私上がる」
勢いよくその場から立ち上がる。
「あれ顔赤いよ」
ニヤニヤと雪はこちらを見ている。
「のぼせただけ」
顔を背け風呂から上がった。
火照った体は外気によって冷まされたが、顔の赤みは消えなかった。
「ねぇ白、似合ってる?」
「似合ってる?って……それうちの体操服じゃん」
「こういうの一回やってみたかったんだー。彼シャツ的なやつ」
「雪には色気がないよ」
「色気がないってどう言うこと。魅力がないってことー?」
「それはいいとして、もう寝る?いい時間だけど」
「もう、流しちゃってさ。白、眠いの?」
「そうでもないけど」
「じゃあまだ起きてる」
横に座る彼女の顔は、メイクをしていないせいかいつもより優しげでか弱かった。少し湿った髪にワントーン落ちた肌の色、どれも新鮮で嬉しい。
他愛のない話の中で、いつコンテストの話をだすか考えていた。
「そんに春が……」
「雪」
「ん?」
「昨日の事とか、今日のことがあった手前言い渋ってたんだけど」
「どうしたのそんな真剣に」
私はスマホの画面を見せた。
「高校生のバンドコンテストってのが八月の二十日にあるんだけど一緒に出ない?」
雪は迷っていた。家庭のことなのか、受験なのか、私にはわからない。出した答えは、yes。
複雑な気持ちだがここは、喜んでおこう。
「応募期間はいつまでなの」
「十日」
「ギリギリだね」
「まぁ、まだ間に合うから大丈夫……」
「曲、何にする?」
「『ヘリオトロープ』か、作り途中の『二畳半』」
「うーん……白、的にはどっちが良いの?」
「感触は『二畳半』かな」
「それならそっちの方がいいか」
「明日に曲完成させたいね」
「ほぼ出来上がってるし大丈夫だよ」
「うん」
「じゃあ二十日まで練習だね」
次の日――
十二時に針が回ろうとしていたとき、曲が完成した。
『二畳半』意味は近いのに遠い。




