第3話golden hour
すぐにスマホを確認するが、メッセージは来ていない。『今日やるの?』なんて送れない私は、誰もいない教室に足を踏み入れた。
静寂が雨音を引き立たせる。
暗転の教室に、黒い絵の具をを落としたような、私の影が広がっている。
今この時だけは、電気がついて欲しいとスイッチに手を伸ばした。
その瞬間。
「わ!」
掃除用具入れから 勢いよく喜多川さんが飛び出してきた。
驚きと安堵。なんとも言えない感情が私の中をかけめぐる。
「あれ?」
彼女はキョトンとしている。
驚きのあまり無反応な私を見ては、彼女はもう一度小さく「わぁ」と手を広げた。足の力が抜け、その場に崩れ落ちる。
「だ、大丈夫?」
「よかった……」
彼女の言葉とは関係なく言葉を溢す。
「え、あ。え?」
彼女は、私の周りで手をばたつかせながら、目を泳がしていた。
「えっと、そのごめんね。そんなに驚かせるつもりじゃなかったんだけど……」
「ううん、大丈夫。嬉しかったありがとう」
「ありがとう??」
私は、立ち上がりながら質問する。
「ねぇ喜多川さん。今日はいつまでやる?」
「え、急……」
「私はね……この雨が止むまでやりたい」
私の答えを聞いた彼女は、戸惑っていた顔を満面の笑顔に変え「うん、私も」と答えた。
この日の雨は、すぐに止んでしまった。交わした音は帰り道もずっと耳に残っている。続いてく景色は、今の延長線上でしかないがそれでもいいと私は思えた。
月日は流れ五月――
私たちがこうやって集まるようになって、二週間が経とうとしていた。
「ねぇ、葉月さん」
「ん?」
構えていたギターを膝の上に寝かせた。
「ゴールデンウィーク何か予定あるの?」
「んー、中間考査も近いしとりあえず勉強かな……」
「まぁ、そうなるよねー」
声のトーンは下がり、椅子に項垂れた。
「ねぇ、一日だけ、遊びに行かない?」
彼女は、私に顔を近づけ言った。
「私でいいの?」
「何それ?葉月さんがいいんでしょ」
「ほら、仲良い友達いっぱいいるし、貴重な一日を私に使っていいのかなって……」
「私がいいって言ってんだからいいの。どこか行きたいところある?葉月さんが行きたいところに行ってみたい」
「そんな私……外出しないから行きたいところとか特には……」
ギターの弦に触れ軽く弾く。
バン
「!」
ギターの弦が激しく音を立て切れた。
「わーびっくりしたー。ギターの弦ってそんな簡単に切れちゃうんだね」
「ちょっと錆びてきてたからかな」
自分に問いかけるように返しながら、ギター全体を見る。傷も目立っていてネックも反っている。そろそろちょっといいギターに変えてもいいかもな……
「ねぇ、ねぇ、葉月さん。ここぱやぱやで可愛いよ」
切れた弦を指差し彼女は笑っていた。
「ギター……見に行きたい」
「ギター?」
彼女は首を傾げる。
「あ、ごめん興味ないよね……」
「ううん、そんなことないよ。ギター見に行こうよ」
「いいの?」
「どこがいいかな?やっぱ東京?県内でもいいところあるかな?」
私のことなど気にせず、勝手に話が進んでいった。
「え、本当に御茶ノ水まで行くの?」
「そんな、心配するほど遠くないって。電車で一時間くらいだよ、すぐ着く、すぐ着く」
「でも、わざわざ御茶ノ水まで行かなくても……」
「なんか、漫画でよく見るじゃん」
「そんな気もするけど……」
「ねぇ、行こうよ楽器の街」
「そこまで楽器、楽器してないと思うよ」
「そうなの?行ったことないからわかんない」
「私もない……」
結局、御茶ノ水まで足を運ぶことになった。私たちは所詮ミーハーであった。
行く日は、ゴールデンウィーク最終日。期待を胸に家へ帰った。
部屋につきギターを立てかける。ベッドに上半身を委ね、切れた弦を眺める。買ったのはいつ頃だっただろうか。私の脳内に記憶が溢れた。
十一年前……
この時の私の名前は板垣白だった。
ショッピングセンター。
通り過ぎる店の中、小さい私の目にとびきり光るものが視界に入った。
「白、何見てるんだい?」
立ち止まり、遠くを見つめる私にお父さんが話しかけた。
「あれ」
私は指を差した。
「あーギターね」
「ギター?」
「うん。あれはアコースティックギターだね」
「ギターがどうしたの?」
少し先にいるお母さんが私たちに声をかける。
「白がギター欲しいって」
「白が?まだ早いでしょ」
「そうかな」
「白は、なんでギターが欲しいの?」
お母さんが私の前に屈み聞く。
「あれ、テレビで見た。あれと一緒にお歌、歌ってた。お母さんと一緒」
母は、大学の時に声楽を学んでおり、たまに家で小さなピアノと一緒に歌を歌ってくれていた。この時は、何も分からなかったけれど母の歌が好きだったことは確かだ。
「でも、まだ大きくて弾くのは難しいんじゃない」
「大丈夫」
「ほら、うちにピアノあるでしょ、そっちで我慢しなさい」
優しく諭すが、私は聞く耳を持たなかった。
「嫌、白はこっちがいい」
「うーん、困ったわね」
「だってあの人お母さんが歌ってた曲歌ってたもん」
「ピアノでも弾けるのよ」
「嫌、本物がいい」
「どうしても欲しいの?」
お父さんが二人の会話に割り込む。
「うん」
「もう、お父さん甘やかしたらだめよ」
お母さんが釘を刺す。
「でも、珍しいだろ白が何か欲しいって言うの」
「そうだけど……」
「きっと白のためになるよ」
「はぁ、もう好きにして」
お母さんは、半分呆れたようにギターを買うことを承諾した。
多分この時が一番幸せだった。
記憶の深層に潜ろうとしたとき、私の景色は弦の切れたギターのある部屋に戻った。
背筋に流れる冷たい汗が苦い味を際立たせ、何もかも捨て去るように、体が揺れる咳をした。
時は思ったより早く過ぎ、いつの間にか約束の日になった。待ち合わせは最寄りの駅。約束の時間より二十分も早くきてしまった。
「これ、早くき過ぎたなぁ」
時計を見ながら呟くと後ろから「葉月さん?」と声が聞こえた。
「あれ、喜多川さん」
喜多川さんは、白のワンピース姿で涼しげだった。
「まだ二十分前だよ」
「いや喜多川さんだって」
「ていうか、なんで葉月さん制服なの?」
「あ、これは、着る物がなくて」
「じゃあ。今日、見に行かないとね。ほら早く行こ行こ」
「え、あ、うん」
手を掴まれ駅へ引き込まれた。
御茶ノ水――
「おーこれが噂の楽器の街、聖地巡礼してるみたいでなんかテンション上がるね」
喜多川さんは目を輝かせながら、街を見ていた。
「ある程度お店目星つけてるからそこ行こ」
「あ、うん」
私たちは、駅から一歩踏み出した。
「ねぇねぇ、見て見て、二股に分かれたギターあるよ。Vみたいな」
私に向かってピースを見せてくる。
「あ。あっちには、真っピンクのギター。あっ、こっちにはハートのステッカー」
「そ、そーだねー」
「何その反応」
「いや、別に……」
「まぁ、いいや。お目当てのものはどこにあるの?」
「えっと、あっち」
彼女が目を輝かせて見ていた逆の方に指を差した。
「ああ、そっち」
少し肩を下げながらアコースティックギターコーナーに向かった。
「あんま見た目変わんないね……」
「まぁ、エレキギターに比べたらね」
「ほら、あれとあれとかほぼ一緒じゃない?」
「音の鳴り方が違うんだよ」
「へー。てかこれ五十万円!?どこにそんな値段が……」
「木材が高いのとブランド代?」
「えー、誰が買うんだろ……」
「私たちが見るのはもっとこっちだよ」
「うん」
used、初心者エリアに来た。
「初心者って書いてあるよ、葉月さん初心者じゃなくない?」
「値段的にこれしか買えないの」
「ああ、そう言うこと」
ギターを端から眺めていく。
(あ、これネットで見たやつだ。試奏しようかな……でもなぁ……)
「試奏されますか?」
店員さんが声をかけてくる。
「あ、あ、いやぁ」
「はい、お願いします」
「ちょ喜多川さん」
「あれ弾いてみたかったんじゃないの?」
「まぁそうだけど……」
「はい、準備できましたよ」
「はい!!」
急に声をかけられて返事が大きくなる。
「あ、はいどうぞ」
店員さんも少し苦笑いだった。
「あ、ありがとうございます」
大きさは私が前もっていたものと同じくらい。
ジャーン。
広がる音は、一回聞けばわかるほど違いがあった。手を見ると目で見てわかるほど震えていた。
(あ……Cが押さえられない)
「え、っと、これにします」
「え、いいの?一回弾いただけだよ」
「あ、うん」
私の唇は、震えていた。
「ありがとうございましたー」
店員さんの声が私達の背中を押す。
「本当に良かったのそれで?」
「うん、良かったよ」
「ならいいけど……」
彼女は納得言ってなさそうだったが、私は説明することを諦めた。
「これから、どうする?何か食べる?」
「確かにお腹空いたかも」
「じゃここ行こ、ここ」
スマホを指差し私に言う。
「うん。いいよ」
私はよく見ず承諾した。
「うわ……」
私の目の前にはおしゃれな店があった。
「葉月さん入らないの?」
怯えた子犬のような私は、お店の扉の前で立ち止まっていた。
「ここに、入るの?」
「うん……嫌、だった?」
暗くなった表情に、嫌なんて言えるはずはない。
「嫌じゃないよ全然……」
「そう、なら行こう」
「うん……」
中に入っても私はつま先だけを見ていた。
「あの葉月さん、これは何?」
私はずっと彼女の背中の服を摘んでいた。
「あ、ごめん」
手を離す。
「どうしたの?」
「あはは、別になんでもないよ」
「?」
首を傾げるが私は話を逸らす。
「ほらあそこ空いてるよ席……」
「あ、うん」
向かい合うように私たちは座った。
「あ、これも美味しそう。あ、これも。んーどれにしようかな」
指を差し、彼女はまた目を輝かせる。今日見た中で、一番テンションが上がっているように思えた。
「私は喜多川さんのおすすめでいいよ」
「え、ほんとに?じゃあこれとこれ」
彼女は悩んでいた二つを頼む。
――「お待たせいたしました」
店員さんが2種類のケーキとコーヒーをもってきた。
「今日つまんなくなかった?」
「あ、ギター見るのがってこと?」
「うん」
「面白かったよ、新しい世界みたいな感じでさ」
「なら良かった……」
彼女は口にケーキを放り込む。
「うーん、美味しい」
ケーキを食べる姿を見ていると、ずっと抱えていた疑問がこぼしてしまう。
「喜多川さんは、なんで歌ってるの?」
ケーキを口に運ぶ手が止まる。
フォークをお皿の上に置いた。
「どうしたの急に」
「いや、不思議で……」
「不思議?」
「喜多川さんには、私にないものをたくさんもってるから」
「私には何もないよ……」
甘い食べ物を食べた後、唇から出た言葉は、とても冷たい。隙間を埋めるように、彼女はまたケーキを口に放り込む。店の中の喧騒が耳を撫でた。
「なんで、歌ってるの……ね、」
彼女は私の言ったことを小さく復唱する。
「そうだな、強いて言うなら、忘れられるからかな……」
「忘れられる?」
「そう、何もないってことを忘れられる」
噛み締めるように答えた。私もケーキにフォークを刺す。
「私は忘れられない」
私は小さくこぼす。
「何を?」
彼女は聞く。
「過去を」
そう言った私はケーキを口に入れた。
そこからの記憶は曖昧。夕日でできた影は重なって、二つあるはずなのに一つに見えた。
旧校舎、外は雨。
私は扉を開ける。
広がる景色はいつもと同じ。
振り返る彼女は私に言った。
「ねぇ、葉月さん。今日はいつまでやる?」




