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この雨が止まるまで(結)

 


 「私は歌えないから」

 そう言った後、困惑した彼女を横目に曲を弾き始めた。

 弾くのは、思い出を振り返るような暖かくて綺麗なメロディのソロギター。

 一音目。指に微かな振動が、伝わってくる。弾いていなかった期間が、長かったのにも関わらず、体はこの高鳴りを覚えている。

 雨音にもかき消されないほどの大きくて温かい音が静かな教室に広がり、木の箱から反響する音は、鼓膜だけでなく身体の奥まで震わせた。ループするメロディがどこか心地よくて、終わってしまうのが悲しい。柔らかい音は二人の耳を包んでいた。

「やっぱり、綺麗だね……」

 言葉に詰まりながら話す彼女。

 やっぱり言うべきではなかった。

 沈黙に途切れはなく、ただ刻々と時間が過ぎていく。耐えられなくなった私は、また取り繕う。

「そのごめんね、歌えないなんて。嘘だよ嘘ほら今こうやって。あーあー」

 ゲホゲホゲホ。

「え、大丈夫?」

 私の肩をそっと彼女が触れた。

「だめ、みたい」

「どうして……」

 そう言いかけた口を彼女は閉じた。

「どうしてそうなったのってことでしょ。いつからだろうね忘れちゃった」

「ごめん」

 彼女は触れていた手をそっと離す。

「別に謝らなくてもいいよ」

「いや、弾いてなんて、簡単に言うべきじゃなかったなって」

「私は嬉しかったよ。ギター久々に触れて、ちょっと思い出せた気がする」

「思い出した?」

「うん。なんかこう……色々」

「色々……」

 暗くなる表情。

(かける言葉間違ったかな……)

 心の中で少し落ち込んだ。その中で一つ浮かぶ言葉。

「喜多川さん」

「はい?」

「セッションしてみない?」

「セッション?急に何で」

「いや……何となく」

「私はいいけど……いいの?」

「うん」

 彼女は『何で?』という表情を続けていた。

「何がいい?」

「あ、うーん。『オース』の『陽光』がいいな」

 少し前にブレイクした、バンドのバラード曲。旬ではない曲だが私も好きだった。

「うん。その曲ならいけると思うよ」

「あ、おっけ。これってどうやって始めるの?」

「カウントするんじゃない?」

「あー。じゃあ行くよ」

「うん」

「ワン ツー、 ワンツースリーフォー」

 

 広がる音が、二色の粒となって重なり合う。境目が消え、一つになっては、また離れていく。雨音がビートを刻み、音が溢れ出す。眩しいほどに輝く光景が、電気がついていない教室に灯りがついたのかと、錯覚するほどだった。 口角は自然と上がっていた。

 

「楽しい」

 彼女はそう呟いた。

「楽しい?」

 私は聞き返した。

「楽しくなかった?」

「いや分かんない」

「でも、葉月さん笑ってるよ」

 窓に映る私の顔は初めて見るほどに笑顔だった。

「ほんとだ」

 事実を受け入れた瞬間、私はまた普通の表情に戻った。


「まだ、雨降ってるね」

 彼女は、外を見ては呟く。

 私も外を見た。

「そうだね」

「もう少し……やっていかない?」

「うん……」


 私は、気づいていた。目覚めていた現実が再び目を閉じたことを――


 外は徐々に雲が割れ始める。気づかないうちにくれる景色は、もう茜色に染まっていた。

 

「あれ、もう雨止んでる」

 立ち上がっていた彼女は、また椅子の座る。

「ほんとだ……」

 交わす会話事実を言い合うだけ。


「ねぇ、またこうやって雨の日集まらない?」

 私の顔は窓に反射しないが、どんな顔をしているかは何となくわかった。

「嫌?」

 私の顔を見る。

「良い」

 自然に笑顔になる。

「何その返しかたw」

 彼女はクスッと笑った。

 

「よいっしょっと、そろそろ帰ろ。家どっち方面?」

 彼女は椅子を立ち上がるながら来てくる。

「駅の方」

「あ、一緒だ」

 光が当たっている顔は眩しくて見えない。


 ギターをケースに戻す作業は少し寂しかった。


 

「葉月さん連絡先教えてよ」

 橋上の景色と彼女の姿が重なる。

「連絡先」

「はいこれ私の」

 バーコードを私に見せている。

「これどうすればいいの?」

「あれ?知らない?」

「存在は知ってるけど、二回ぐらいしか使ったことない」

「へー初めて見た」

 私はアプリを開いては、三通の通知と動くことのないアイコンがこちらを見ている。

「えっと、そこのボタン押して」

「あ、うん……」

「そうそう。それそれ」

 ポチ。

「これでよしっと、ねぇ写真撮ろ写真」

「写真?何で?」

「何でって意味なんてないよ」

「そんなもんなの?」

「そんなもん、んじゃ行くよ」

「わっ」

 肩を引き寄せられる。

「はい さん にー いち」

 パシャ


「うん。いい写真」

「そう?私の顔変じゃない?」

 私の作り笑いは変に見えた。

「これはこれで良いんだよ」

「そうなんだ」

 彼女の歩くスピードは少し速くなり、重なっていた影は二つに分かれる。

 弾む彼女の足元と背中がよく見える。

 私は徐にスマホのカメラを向けた。

 パシャ

「え、何?写真撮った?」

「あ、ごめん」

「えー、見せてよ」

「あー、うん」

「何これ、ブレブレじゃん」

「確かに」

「ほら、もう一回」

 彼女の笑顔は手慣れている。腰の近くで小さくピースをするがそこには恥じらいが見えた。

「良いよ」

 パシャ

 シャッター音は街の中に消えていく。

 思い出の形どり方はそれぞれだが、今感じた思いを未来に持っていけるのはこれだけだろう。


「じゃあ、私はこっちだから。またね葉月さん」

「あ、うん。またね喜多川さん」


 走っていく彼女の背中は、どんどんと遠くなる。立ち止まり見つめる空っぽだったカメラロールの中には、二枚の写真が残っている。

 ピロン。

 送られてきた、肩を寄せ合う私たちの写真。

 足元の水たまりに映る私の顔は写真とは違った。


「……明日も、雨降るかな」

 私そう……呟いた。

 


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