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第18話yesterday once more


 朝。

 手をグーパー、グーパーと動かす。

 なぜ、雪がやめたのか真意をずっと考えていた。でも答えはでない、分からない。分からない方が、いい気がしていた。

 私はいつも通り準備をする。それしかない。朝の静けさが私の感情を揺さぶるが歩く、ただ歩く。


 先生は当たり前かのように、雪の欠席を伝える。

「ふぅ」

 一度息を吐く。明日もある、私はそう思った。

 だが、この一週間、雪が登校することはなかった……


 夜、絶望と共に目を閉じるが、朝は残酷にやってくる。ドアノブに手をかけたその時、体の真ん中にピンとはっていた糸が切れた。

「白?」

 千春さんは私の背中に声をかけるが、私はなんと返していいか分からない。

「どうした?」

 はぁはぁ。 

 鼓動が激しくなっていく。息を吐いても酸素は私を包んでくれない。

「大丈夫なの?」

 千春さんは、裸足で玄関まで降りてきては私の肩を支える。


 目を瞑る私の視界には、あの日がループする。どこで間違えた?振り返る記憶は全て眩しくて目にしみる。

「熱い……」

 私の意識はそこで飛んだ。


 私は夢を見た。


 母と交わした最後の言葉……

 なんだったかな……祖母の家に一瞬だけ帰ってきたあの時、母はなんと言っていただろうか。なんと言いたかったんだろうか。あぁ、そうだ、私は母の開く口を見て、家を飛び出したんだった。夏、いや冬だったかな。風が私を撫でては、頬に流れる雫も一緒に持っていったような気がする。外はもう大人の世界で暗闇が私の影を飲み込んでいる。自由とは逃避行なのかもしれない。中学生である私は子供ながらにそう思った。母は、何を思っていたのだろう。

 私は、何も変わっていない。


 ガチャ――

 扉が開く。 

「白、お粥持ってきたよ」

 重たい瞼の先には、湯気を立てた食器を持った千春さんがいた。

「食べられる?」

 小さく頷く。

「熱いから、気をつけて食べなさいね」

「うん……」

「じゃあ、私は仕事行ってくるね。体調悪くなったら、連絡して」

 立ち去る千春さんの背中に手を伸ばす。空を切る私の腕はどこにも届かない。

(行かないで……)なんて言えるはずもない。

 ゆっくりと進んでいく足を止めることはできなかった。

 静かな部屋に、冷たいドアの閉まる音が響いた。

 枯れたと思っていた涙は、意外なタイミングで流れ出す。

「何も、何も、変わってない……」

 両手は、涙の受け皿にはなってくれない。布団に一つまた一つとシミができていく。

 部屋の端に佇む二本のギターは。こちら向いているが音を奏でてはくれない。

 私の音はここで止まった。


 一定の間隔で空気を揺らす、秒針。それだけが唯一私を生きていると、実感させてくれた。湯気を立てていたお粥は、水を吸い込み冷たくなっている。天井を見上げては、皺を数える。

「一」

 声を出したその時。

 ゲホゲホゲホ。

 全身に悪寒が走る。あの時と同じだ。何もかもが重なっていく。あぁ、同じ、同じ。私の歌はまた何かを打ち砕いてしまった。気づいていた。ずっと、ずっと。考えないようにしていた。ずっと。私はまた、やってしまった。

 カーテンの隙間から入る光が薄くなっていく。

 ザー。

(雨……)

 

「はぁ、はぁ」

(息が、息が)

 吸っても、吸っても、私に取り込まれない。だんだんと意識が遠のいていくのが分かった。

 バタン。

 何かが落ちる音で目が覚める。通りすぎた雨と共に外は光に包まれ、部屋に薄い光が差している。時計は十七時を回っていた。そして視線は下に向かう。落ちていたのは歌詞ノート。表紙には、いたがき 白 小学三年生と書いてある。こんなもの、どうすれば、どうすればいい……私は頭を布団に埋め、体を丸め込み、頭を掻きむしった。丸まった情けない体からは音が出ない。

 私は心の中で謝り続けた。

(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい)

「ごめん、なさい……」

 小さく言葉が溢れる。私の耳には、また秒針の音だけが鳴り響き続ける。


 崩れ落ちるようにベッドから降りる。這いつくばった私は、芋虫とそう大差はない。抱き抱えたノートは、冷たい。不思議と涙は出ない。光を集めるはずの目玉には、光が灯っていないのが、見なくてもわかる。

 ノートを横にして端を両手で持つ。今出せる全力の力で引き裂いた、引き裂こうとした。でもできなかった。垂れる両手と共にノートも床に落ちる。何かが挟まっていたノートは、落ちた衝撃で開かれる。挟まっていたのは、おにぎりのような形をした白色のピック。開かれたページには、幼き私の歌詞だった。私の中の母を模るような純粋な歌詞。大切なものを傷つけた最悪な歌詞。

「あぁ、あぁ」

 私はどうしたらいい。何もできない私は、ボサボサの頭で外へ駆け出した。何もない、何もできない。何も、分からない。分かりたくない。服は、朝着ていた制服のままだった。ローファーの踵は踏んだせいでぐしゃぐしゃになっている。


 当てもなく走った。気持ちが、体に追いつけないように……

「あ、」

 道端に転がる、小さな石ころにつまずく。

「……いた」

 泥だらけの手と水たまりに反射する惨めな顔。私はどこへ向かっているのだろうか。立ち上がりまた走り出す。自然と向かった足は、学校だった。前もこんなことをした気がする。無鉄砲に走り出しては、いつも雪の思い出の場所にたどり着く。

 

 吸い込まれるように進む足に逆らってみたけど、体は勝手に動いていく。部活動の掛け声が校内を満たしている。耳に入る音、全てが今の私にとって雑音でしかない。


 旧校舎――

 裸足で埃っぽい廊下を歩いてみるが、聞こえるのは自分の足音だけ。

 いつもの教室。

 ――「あ、白」振り向く雪の姿が残像のように見える。それはすぐに消え、風で浮き上がる埃だけ鮮明に見える。机と椅子が残り香のように残っている。不安定な足取りで、私は教室に入る。

 

 なぜ、私は今。掃除用具箱を開けているのだろう。なぜ私は今、手で椅子に触れ温度を確認しているのだろう。いるはずがないのに……黒板に小さく書かれた文字。確か、同じクラスの人の名前と名前の相合傘を見つけて、ふざけて書いたんだっけ。雨宿りと書かれた傘の下には私と雪の名前があった。私は指で自分の名前を消す。指についた、チョークを握り締め私は言葉をこぼす。

「私さえいなければ……」

 私は教室を後にした。


 揺れる足元。霞む視界。靴を片方ずつ手で持ち、外を裸足で歩く。泥が靴下を茶色く染めて、冷たい感触が足の裏にジワジワと広がる。私はどこへ向かっているのだろうか……

 校舎を一周した。

 体育館に校庭、中庭。人々は私に見向きもせず目の前のものをまっすぐとみている。光が目に入り、口が開く。

「まぶし……」

 下を向いて歩くのも悪くはない。次はどこへ行こうか。ずっと遠くへ行きたい。遠い彼方へ。


「白さん」

 横には、奏多くんがいた。彼には、私がどう映っているだろうか。ぐしゃぐしゃな髪に赤くなった瞼そして裸足の足。

「ねぇ、奏多くん。私はどう見えてる?」

 私の意思とは関係なく言葉が出る。

「どう見えてるって、んー、裸足の白さん?」

 私の想像していた答えとは少し違った。

 視線は足元に戻る。

「何してるの?今日学校休んでたよね」

 何も答えない。

「サボりか?今来ても遅いぞ。授業はもうとっくに終わっちまったよ」

「うん……帰らないとね」

 足元を見ながら私はボソッと言葉を吐いた。

 私はまた揺れる足取りで彼に背を向けて歩き出す。

「あぁ、もう……」

 彼はそう言うと私の手を掴んだ。

「おい、話聞かせろよ。約束なんだろ、それとも針千本飲むのか?」

「ずるいよ……」

 視界が滲みそうになる。

「はぁ?ずるい?どこが。約束つったのはお前だろ」

「それがずるいって……話」

「はぁ……めんどくさ。ちょっとこっち来いよ」

「あ。」

 引っ張られ靴を手から落とす。そんなことも気にせず彼は私をベンチに座らせた。

「あれ、もう一つの靴は?」

「さっき……おとした」

 頭を掻き彼はまたため息を吐き。靴を拾いに行った。


「はい」

 靴を手渡す。

「あ、うん」

「おい、おい。うんはないだろ……」

「あぁ。ありがとう……」

「はい、どういたしましてー。スー。で、なんかあった?、二人」

「そんなこと聞いてどうしたいの?」

「別にどうもしないけど」

「は?」

 隣に座りながら彼は話す。

「約束だって言ってんだろ。恥ずかしい話聞かせろよ、俺のやつ聞いてんだから」

 彼は雪のような優しい笑顔をする。

「約束……」

「はい、何?」

「雪が学校に来なくなったの私のせいだ。私が歌ったから……」

「白さんが歌うと呪いでもかかんの?聞いた人が死ぬとか」

「そうかもね……」

「バカだよね、お前ら」

「え、何?」

「いや、バカだろ。こんな時期にバンドやって、熱くなって。めちゃくちゃバカだろ」

「そんなの分かってるよ……」

「いや、分かってない。この前逃げだとかなんとか言ってたけど、こんなに熱くなって擦れ合って、ぶつかり合うのが、好き以外に何があんだって話。それが分かってないお前たちはバカだよ」

「奏多くんに何がわかるの?私は現に逃げてる、何もかもから」

「じゃあ、好きはどこにあるの?」

「……」

「じゃあ、嫌い?今やってること」

「嫌いじゃない……」

「じゃ何がしたいの?」

「私はいなくなり……」

 私の言葉を彼が遮る。

「お前、好きからも逃げるのか?それこそ本当の逃げなんじゃないの?」

「ちが」

 また言葉を遮る。

「何が違うんだよ。今、両腕が吹き飛んだのか?喉が取れたか?四肢が爆散したか?違うだろ……やめないでくれよ、まだ全部あるんだから」

 私は深く鼻から息を吸った。

「で、どうするんだ?」

 彼が聞いてくる。

「私はどうしたら良いんだろう……」

 彼はため息を吐いた。

 静寂の中大きな着信音が鳴り響いた。

 私のポケットからだった。


「もしもし……」

「今どこにいるの?」

 千春さんの心配した声が右耳を劈く。

「が、学校」

「学校?体調悪いのに何してんの?」

「忘れ物思い出して……」

「はぁ、ちょっと待ってて今から行くから」

「いや自分で帰れるよ」

「だめ、すぐに行くから待ってなさい」

「あっ」

 ブチ。

 

「あ、」

「良いお母さんじゃん」

 彼は言う。

「お母さんじゃないよ、叔母さん、お母さんの妹……」

「じゃあ、良い叔母さんだ」

「何も聞かないんだね……」

「そんな、人の家庭事情ずけずけと聞くバカがどこにいんだよ」

「それもそうか……」

「聞いて欲しかったの?」

「いや、別に……」

「じゃあ一つだけ質問していい?」

「え、なんで」

「一つだけ、一つだけ」

「まぁ、良いけど」

「叔母さんのこと好き?」

「うん、好きだよ」

「そっか……」


「白」

「千春さん」

「あ、初めまして久遠奏多です」

「あ、えっと、白の彼氏さん?」

「あはは、違いますよただの友達です。な白、あ」

「うん、そうだね。友達」

「あら、そう」

「じゃあ、僕部活に戻るんで、気をつけ帰ってください。じゃあまた」

「うん。ありがとうね奏多くん」

 千春さんは奏多くんを見送った。


「白、足どうしたの?怪我してるけど」

「あぁ、これ?転んだけ」

「じゃあ、家帰ったら消毒しないとね」

「うん……」


 私は家に帰ってきた。

「本当に心配したのよ、早めに帰ってきたのに、部屋開けたら誰もいないんだから。ビックリよほんと」

「ごめんなさい」

「最近言ったでしょ、ちゃんと連絡しなさいって」

「うん」

「返事だけじゃない、本当ダメだぞ」

 千春さんは初めて、私の頭に軽くチョップした。

「あ、」

 私は、叩かれた頭に触れる。

「ごめん、痛かった?」

「いや、違う。嬉し、かった……」

「え?どう言うこと?」

 千春さんは困惑しながらも、顔は笑っていた。

「あ、消毒、消毒。あれどこにあったっけ?白わかる?」

「んーわかんない」

「どこだったっけ……」

「その前に着替えてもいい?」

「うん、いいよ。まぁ大丈夫か、さっき洗ったし」

「うん」

 二階へと上がる。光景は家を出た時と同じ。ぐしゃぐしゃな布団に、放り投げられたノート。扉の前で竦む足を前に踏み出し着替えを探す。

「えっと、パジャマが……」

 ドタドタと二階に上がってくる音が聞こえる。

「白、あったよ消毒」

「あ、そうなんだ。そんな頑張って見つけなくてもよかったのに……」

「大事よ消毒は」

「そうだね……」

「あ、これもしかして歌詞ノート。あーこれ昔の……」

 千春さんは落ちている歌詞ノートを拾い上げては、感慨に耽る。

「あ、それは……」

「姉さんがよく言ってたわ。作ってくれた歌すごくよかったって。うちの子は天才だって」

「え、え?え、どういうこと?お母さんがこの曲を、いやそんなわけないだってあの時……」

「聞いてなかった?私はてっきり最後に話したんだと思ってた。最後、容体が悪くなる直前、母さんの家に帰ったとき話すんだって言ってたような……」

「え?」

 頭の中で積み上がっていた何かが壊れる音がした。

「聞いたから、ギターをずっとやってたんじゃないの?」

「違う、そうじゃない。そんなことは聞いてない。ギターをやってた理由はただ忘れたくなかったからで……」

 混乱した頭は考えたこともなかったようなことを言ってしまった。でも妙に納得した。

「じゃあ、あんた何も聞いてないの?」

「うん……」

「姉さんが言ってたのよ。具合が悪くてあの時は酷いことを言ってしまった。本当にごめんなさいって」

 千春さんの姿一瞬お母さんに見えた。

「お母さん……」

 私は口を両手で覆う。

「知らなかったのね……」

 

 私の頭の中はなぜで埋め尽くされた。なぜ今。なぜあの時逃げてしまったんだ。なぜ最後会いに行かなかった。なぜ向き合わなかった。なぜ、なぜ、なぜ……

「あ、ちょ白どこに行くの」

 私の体また動き出した。明確な意思を持って。

「もうこれ以上逃げたくないから」

「え?逃げたくない?」

 千春さんの困惑を振り切り走り出す。

 

 泥だらけの靴の踵を踏み外へ飛び出す。


「もう一度」

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