第17話孤城
学校に行くふりをして、喫茶店に行った。そこで、白と私の雨宿りは終わった。私が終わらせた。
カーテンを閉め切った部屋には、一筋の光も無い。滞留する気持ちは、行き場を無くしていた。
「さようなら……」
布団に包まりながら溢れた言葉は、誰に向けたものなのか私には分からない。
夜、明日どうするか考えてみたけれど、答えは見つからない。私に明日はないのかもしれない……まとまらない考えを、頭の中に浮遊させていたら、外から微かな光が溢れてくる。私の明日は今日の延長になってしまった。
「雪、雪」
お母さんは、私の肩を揺する。
「はやく起きなさい」
「……」
「ねぇ、起きてる?」
「学校、行けない……」
絞り出した声。
「体調悪いの?熱は」
「お腹痛い……」
当たり障りのない理由。お母さんは、何も追求してこなかった。
部屋に一人、自戒の迷路に迷い込んだ私は、どこに向かえばいいのだろうか。壁の傷を見て、それはいつ付けたものなのか考えて気を紛らわせた。
スマホには、大量の通知が溜まっている。部屋にある一つの光は、私を照らしてくれるものではない。投げ捨てたスマホは、壁に当たり部屋中に鈍い音が響く。音に気が付いたお母さんは、部屋まで駆けつける。
「さっきの音、何?」
「……なんでもないよ」
廊下から入る眩しい光に、背を向けるように体を返した。お母さんは、険しい表情をしながら私に近寄ってくる。部屋に入った瞬間、声をあげる。
「スマホ、投げたの?」
落ちたスマホの画面は割れていた。
「落ちた……だけだよ」
「落ちただけじゃ、あんな音しないでしょ」
「落ちただけだよ」
「ねぇ、雪」
私の肩に触れようとする、その瞬間。
「落ちただけだって」
思った以上に大きな声が出た。呆然と立ち尽くす母親の顔は、あまり良いものではなかった。あぁ。また、秒針の音が耳の奥を刺す。お母さんは、無言でその場去って行った。
頭を掻き、布団を強く握りしめる。急速に温まった体は、ため息と共に冷える。全てを包み込むように私は、布団を被った。私の視界は、また白くなる。なぜだろうか。
ドンドン――
「雪ー雪ー」
ドアを叩く音とお母さんの声。
「うるさ……」
「ちょっと、鍵開けて雪」
「……」
「黙ってないで、開けなさい」
私は、布団を被る。耳を塞ぎ、世界から、音が消える。微かに聞こえた、大きなため息。私も小さくため息を吐いた。
ドンドン――
昨日よりも強くドアが叩かれた。
「雪」
大きな声が壁を隔てていても私の耳を劈く。
私は、また布団を被る、今回は入念に……
「本当いい加減にしなさい」
「うるさい……」耳を塞ぎながら、小さく呟いた。
嵐は過ぎ去ったが、動悸はまだ残っていた。
バンバン――
「本当に鍵だけ開けて、雪……」
お母さんは、必死だった。当たり前だ。私は、二日間何も食べていないのだから。水は飲んでいる、でも食事は喉を通らなかった。
私は考えた。考えた。考えた。二日間しっかり考えた。
私は、ドアノブに手をかける。
ガチャ――
「雪?」
ボサボサの髪と目の下のくま、私の顔はさぞ惨めだっただろう。
「おはよう……」
私の発した言葉はとても普通だった。
「お、おはよう……」
お母さんも困惑していた。
「学校行くよ……」
「あ、うん……」
学校の三限が始まった頃、私は見送られながら家を出た。進む足はあの時と同じリズムを刻めばいいだけ。いい……だけ。
学校が少しずつ形を成していく、あと少し、あと少し。
「帰ろう……」
私は、そう呟いた。
なぜ、家から出たのか、今となっては分からない。その場しのぎでしかなかったのかもしれない。歩くスピードは、帰り道の方が速かったかもしれない。家の扉の前に立つと冷静になる。ここで家に入れば、また同じ日々が始まる。暗い部屋に大きな音。私は今どうすればいいのだろうか。開きかかったドアを閉め、私は歩いてきた道を走って戻った。
やらなければならないこと、向き合わなければならないこと。わかっています。わかっています。じゃあ、どうして……私はまた扉の前に立っているんでしょうか……
どちらか選ばなければならないのなら、どちらも選ばないそんな人生でした。ごめんなさい。
お母さんは最近仕事を始めた。昼から午後までの短いパート。病み上がりの体には、キツイとお父さんは止めたが、お母さんはやると聞かなかった。今の私には好都合だ。母親のいないうちに、そっと家に入った。
「あれ、帰ってきてたの?早いわね」
家に入った時間十五時、お母さんと顔を合わせたのは十六時半だった。学校の帰りにしては少し早い。
「あ、うん。早めに学校が終わって……」
水道水をコップに注ぎ、一気に体に流し込む。
「あーそうだったんだ、じゃあ三限目から行ったらすぐだったんじゃない?」
「うん、そうだね……」
こんな生活を続けた。でもそんな長くは続かなかった。
あの人さえ来なければ……もう少し、笑えていたかな……
逃亡生活は、表の私は少しずつ笑顔を取り戻し、お母さんとの関係も良好になっていたと思う。
朝、眠い目を擦りながら学校に向かうふりをして、公園で時間を潰す。時間を潰すと言ってもすることもないので、ベンチで寝転がるくらいのことしかできないがそれでいい。母がいなくなったことを確認して、家に入る。これが私の生活。
一週間、一週間、続いた。
後ろを振り返れば何もない。立ち止まる私を人々は追い越して、遅れは私の首を絞める。刻々と流れる時間を眺めては何をしているのだろう冷静になる。一本、一本ある感情の糸は絡み合っていく。複雑に思えた感情は一つの束となっている。気づいていながら断ち切ることも、解くこともなかった。
「ねぇお母さん、今日のご飯何?」
「んーと、カレーにしようかなと思ってる」
「そうなんだ……」
ピンポーン。――
リビングにインターホンが鳴り響く。
「はーい」
お母さんが返事をする。
「あれなんか、同級生いるけどお友達じゃない?」
「え……あ」
私の心臓の音は、周りに聞こえるんじゃないかと思うほどに大きくなる。
「出ないの?」
「……」
「黙っちゃって……」
お母さんは玄関の方へ足を進める。「あ……」手を前に伸ばすが遠くへ行ってしまう。
「ちょっと、どういうこと」
予想通り、血相を変えリビングに戻ってくる。
あなたさえ来なければ、もう少し笑顔でいられたのに。
ねぇ、白。なんで来たの……




