第15話声と聲
私は目を覚ます。昨日の熱はまだ残っている。泣いたせいか、目が腫れて赤かった。
「千春さん、梶さんと暮らし始める時期は決まったの?」
椅子に座りながら話した。
「白の受験もあるだろうから、三月くらいにしようって」
「引っ越すの?」
「うん。そのつもり。いつまでも姉さんの家に住み着くのよくないかなって」
「そう……」
「嫌だった?」
「嫌じゃないけど、ちょっと寂しいなって」
「そうよね、あなたにとっての思い出の場所だものね」
「でも、大丈夫」
「うん」
「あの……さ、」
「何?」
「私と雪で文化祭のライブに出るんだけど……その、千春さんに、見に来て欲しい」
「うん。わかった」
「十月の四日だから……」
「うん。空けとくね」
玄関いつも通りの風景が広がる。
「今日はどこに行くの?」
「練習しに学校」
「そう。いってらっしゃい、白」
「いってきます」
外に出ると家の外観を改めて見る。
(この家ともお別れか……)
寂しさが心に影を落とすが、空の青さがかき消してしまった。
「雪、昨日はごめんね」
教室、並んだ椅子に座りながら話し出した。
「あれは私も悪いしお互い様と言うことにしとこ」
「うん。そうだね」
「文化祭の曲どうする?」
「新しい曲で行こうと思ってるよ」
「おー。何曲やるの?」
「二曲かなー」
「全部今から作るの?」
「一応、二つとも出来上がってはいるんだよ」
「え、聞かせてよ」
「曲はできてて聞かせることはできるんだけど……曲名がまだ決まってないんだよね」
「じゃあ、とりあえず聞いて二人で決めよ」
「あぁ、いいね。それ」
「じゃあスマホ出して」
私はギターを取り出す。
「あれスマホじゃないの?」
「今日はね生で歌おうと思って」
「え?」
困惑した雪を横目に私はギターを弾き始める。
白が歌い始めた。薄々、気がついていたと思う。白の声について、歌について。
多分、白は……
「どうだった?」
白の声が、ふあふあとしていた景色が鮮明になる。
「あ、うん。すごくよかったよ」
「雪、歌ってよ」
「あぁ、うん」
「気に入らなかった?」
「いや、そんなことないの。白はすごいよ……」
「あ、うん。ありがとう……」
歌った。でも、これは歌ったと言えるのだろうか。
今日の練習は、空気が薄かった。
「雪、おかえり」
お母さんが、夕ご飯の準備をしながら私に声をかけるが、私は何も返さなかった。
部屋は綺麗に整頓され空気も澄んでいる。誰かの存在は至るところに感じた。私は一呼吸し、さっきの新曲を歌ってみる。
ゲホゲホ。
「やっぱり、ここでない」
メロディラインはより複雑になっている。いつの間に白の背中は、遠くなっているのかもしれない。
「歌えるようにならないと……」
私はそう呟いた。
次の日――
「し”ろ、お”は”よ”う……」
喉は枯れ息が抜ける。昨日、歌えない箇所をずっと練習していたら、いつの間にかこんな声になっていた。
「どうしたのその声」
「ち”ょ”っと”昨”日”や”り”す”ぎ”た」
「喉は大事にしないと……本番近いんだから」
「”ご”め”ん」
「今日の練習はやめといた方がいいかもね」
「や”る”よ」
「ダメだよ。安静にしといて」
「で”も」
「ちゃんと治ったら再開しよ」
「ご”め”ん」――
焦りは、何も生まず。行動を起こせば悪化する。私は何もできなかった。
「お父さん十月四日に、あっち帰るみたいだけどお見送り行く?」
お母さんが私に質問してくる。
「そ”の日、文化”祭があ”るから、い”けな”い」
「そうなの?聞いてないんだけど。雪は何かやるの?」
「い”や、何もし”ないから、お見”送り行ってき”ていい”よ」
「そう……文化祭楽しいんで来なさいね」
「う”ん」
本番はすぐに来た。幸い声は治り、練習も一週間はできた。教室は最後の仕上げに入り慌ただしい。私も在庫の確認をしていた。そこに白が話しかけてくる。
「喉の調子どう?」
「うん、いい感じ」
私は、笑顔で親指を立てた。
「あれ、今日って人何時に入るだっけ」
白が時計を見ながら言う。
「え、覚えてないの?」
「あはは……」
「十時だよ」
「え、もうすぐじゃん。だから、慌ただしいんだ」
「そうだよ、だから白もこんなところで、くっちゃべってちゃいけないんだよ」
「はーい」
時間はすぐに過ぎ、一般の人たちがぞろぞろと入ってくる。
「間に合ったね」
「白は、そんなに手伝ってないでしょ」
「あーあー」
耳を塞ぎながら声を出す。
「耳を塞いでもダメだよ。現実を受けとめなさい」
「まぁでも間に合ったし、いっか」
「おい」
昼まで仕事も、出番もない私たちは学校を散策することになった。
「今年は、女装メイド喫茶、三クラス出してるらしいよ」
「多くない?」
白は驚いた様子。
「なんか毎年おふざけで、どの学年も一クラスはやるんだよね」
「へー知らなかった」
「え?今年で、あなた三年生ですよね」
「まぁ、真面目に参加してなかったからね。一年生も、二年生も」
「今年は楽しまないとね」
「そうだね」
白はニコリと笑った。
「このホットドック美味しいよ、雪」
「え、ほんと?一口ちょうだいよ」
「いいよ、はい」
持っていたホットドックにそのままかぶりつく。
「そうやって食べるんだ……」
「え、何か間違ってた」
「いや、なんでもない。味はどうだった?」
「うまい」
私は美味しいさから、口角を上げながら言った。
「私たちのクラスも見に行く?」
白に聞く。
「でも時間厳しくない」
「あー確かに、てかもう十二時か。早いね」
「じゃあ、練習しに行こ」
「うん」
旧校舎――
二曲通した後。音の余韻が響く。
「二曲目、自信なさそうだったけど。どうしたの?」
「そう?難しいからかな……」
煮え切らない返事しか返せなかった。
本番前、ステージ裏――
聞こえてくる音はお芝居の声。
「緊張するね」
「私、手震えてる」
白は手を見せてくる。
「ほんとだ」
指先の残像が見えるほど、白の指は震えていた。
「そろそろだよ」
「うん」
――「続いて、個人で参加の校内バンド『雨宿り』さんのパフォーマンスです」
(誰だろ?)(知らない) (雪がやってるんじゃなかったっけ)(そうなの?)(他のメンバー誰なんだろ)(わかんない)
観客は百人程度。体育館は暗く私たちだけ照らされている。マイクは私と白に一つずつ、それとギターにつながるアンプ。私は立ち、白は用意された椅子に座った。ステージは二人で立つには広すぎる、横並びになっている私たち、ステージ側から見て右が私で左が白。
「こんにちは雨宿りです」
客席がザワザワとしている。期待なのか、それともどうでもいいのか、どちらにせよ、視線に潰されそうだ。私はもう一度、口を開く。
「今日はオリジナル曲を二曲披露します……早速ですが聞いてください。『雨宿り』で『聲』」
白のギターが会場に静かに響く。温かくも鋭いギターは、ここにいる全員の耳に残ってしまっただろう。体育館は、音を反響させ波のように帰ってくる。イントロが終わる、心臓の音がうるさい、手が震える。重ねた私の声も震えていた。
あれ?……
声は出ているはずなのに、体の中で反響しない。慌てて片耳を塞ぐ。あまり変わらなかった。
喉の形を頼りに音を出す。みんなが私を見ている。暗い、広い、怖い。かろうじて一曲目は終えられた。
(次の曲、紹介しないと……)
「、」
声が出ない。白がマイクに入らないくらいの小さな声で私に「だいじょうぶ?」と声をかけるが、この時の私には聞こえなかった。視界が白い、見えたのは私の上履きくらいだった。一曲目から不自然な間できてしまった。
白は、私の異変に気付いたのか、慌てて曲を紹介する。
「えー、続いて次の曲は『雨宿り』で『孤独の影絵』」
またギターが始まる。
(歌わなきゃ……歌わなきゃ)
声は空気を揺らさない。マイクスタンドにつくマイクを両手で握り締めているけれど、音は出ない。イントロは、ループする。白はこっちをチラリと見た。私は、どんな顔しているのだろう。その時になんと思ったのだろう。わかるわけない……もう一度Aメロに入るタイミングがきた。人差し指はまだ震えている。喉に重い唾が絡まるような、感覚だけがある。そして私の左の鼓膜が揺れる。顔を上げる。それは勘違いではなかった。勘違いであって欲しかった。白の歌声は体育館中に広がった。
演奏中に絶対あるはずの、小さな話し声も今は一つも聞こえない。さっきまであった、小さな光も今はもうない……
彼女の横顔はすごく楽しそう。私だけではなく会場の全員が、彼女を見ている。彼女は、お構いなしに私の曲の参加を目配せで促す。入れたのは、2番から。ハモる彼女の声は、私よりも美しい。演奏が終わる。拍手は、私たちが裏に下がっても続いていた。でもその拍手が誰に向けられているものなのか私はわかっている。そう、わかっている。わかっている……
私は雨宿りに必要ない。




