第14話余熱
「うん。ありがとう」
「それより、曲の練習しないとね」
「そうだね」
雨音響く廊下の床、少し湿っていた。
家に帰ると精神的な疲れが体にでる。私の体は、ベッドに吸い込まれる。斜陽が部屋に差し込み、茜色に染まる。見つめる先には、ギターがあった。立てかけてある、ギターに指先で触れる。弦が少し錆びてきている。変えないと。
抱えた時、音が見つからない。なぜだろうか。罪悪感?焦燥感?それとも、これも逃げ。最後にしたくない?内包する葛藤はどれか一つではなく混ざり合って溶けている。コップの底が見えるには時間が入りそうだ。
冷たい午後は、思考が下へ回転していく。奇しくも正転。逆転していた私の思考は今、昔に戻った。今日は早く寝よう心の中でそう思った。
朝起きると声は輪郭を取り戻しつつあった。理由はわからない。心は振り子のように揺れ動き、昨日の夜の暗い思考は一夜にして逆転する。振り幅の大きさで私が置いていかれそうだった。
「白、話があるのだけど。良い?」
朝食中、千春さんが真剣に私に聞く。
「えっと……何?」
「今、会社の同僚の人お付き合いをしててね」
「あの前きてた男の人?」
「そう……で私も、梶さんも年齢的に結婚を前提にお付き合いしてて」
「うん」
「その……結婚しようかってことになったの」
「うん……」
「白も一緒に、暮らすことになると思うから。その……」
「おめでとう。千春さん」
千春さんの強張った表情は少し緩んだ。
「私は、大丈夫だよ。その邪魔はしないから」
「そういうことじゃないのよ、白」
「あ、ごめん。学校行かなくちゃいけないから。ご馳走様」
「あ、まだ……」
千春さんが何かを言う前に私は外に出てしまった。
ピロン。
多分千春さんからの連絡だろう。私は無視して足を進めた。
「ねぇ白、白、聴いてる」
雪の声私を呼び覚ます。
「どうしちゃったの、今日ずっと心ここにあらずな感じだけど」
「あぁ、ごめん考えごとしてた」
「大丈夫?今日はやめとく?練習」
「帰り、たくない……」
自然出た言葉に私も驚いた。校舎、生ぬるい風が通り抜ける。
「帰りたくない?」
「うん……帰りたくない……」
「それはー、仕方ないね、じゃあ帰らないでいよっか」
「え?」
「白、帰りたくないんじゃないの?」
「理由……聞かないんだ」
「そんな、必要なものでもないし」
「必要じゃないか、そっか……」
私の心は僅かに跳ね、喜びを表現していた。
「雪、でも家の人心配するんじゃないの?」
「まぁ、上手くやるよ」
徐にスマホを取り出して、何か打ち始める。
「見て」
スマホ画面には(今日は友達の家に泊まってきます。なので夕食は入りません。)
「嘘つき」
笑いなが言うと、彼女も微笑んだ。
「なんかきたよ」
(誰の家に泊まるの?)
雪の母は心配していそうだった。雪は淡々と嘘をつく。
(前話した、白の家)
(着替えは?)
(借りる)
(学校はどうするの?)
(明日祝日だから大丈夫だよ)
(迷惑にならない?)
(家の人もぜひって)
(夜騒がないようにしなさいね)
(ありがとう、お母さん)
「第一任務完了」
雪は私に向かってグッドポーズをした。
「でも帰らないって言っても、どこでやり過ごそうか……私、思いつかないよ」
「ここ」
雪は地面を指差す。
「え、ここ?」
「うん」
「それはまずいでしょ」
「大丈夫だって」
「どこが?」
「点検しにくるおじさんさ、最近腰やっちゃったみたいで、夜忘れ物取りに来てもバレないってクラスで噂になってたから、大丈夫だよ」
「この学校のセキュリティはどうなってるの、屋上といい、見回りといい。杜撰すぎない」
「そんな、新しい学校でもないしね」
「大変だねここの学校」
「生徒としてはこっちの方が面白いけどね」
「まぁ、確かにね」
私たちは十八時を回っても、くだらない話を延々と続けた。こんなことしていても、現実はこちらをずっと見ている。いつか向き合わなければならない、たとえ一人になったとしても。だけ今は今だけは誰かを感じていたい。
中庭で話す声も、校庭から聞こえる走る音も、強く響く吹奏楽部の音も全部なくなってしまった。今聞こえるの私たちの呼吸と声だけ。
「なんか……静かだね」
私の声が教室に響く。
「なんか、声大きく聞こえる。 あーあー。ほら」
「確かに」
「点検は十九時くらいだったと思うからその時は」
グー。雪は頬を赤め、呟く。
「お腹……すいたね」
「あ、うん。そうだね」
語尾に笑いが出てしまった。
「もーう、笑わないでよ」
「いやちょっと、思い出しちゃって」
「そんな面白い話思い出したの?」
「初めて会って、ちょっとした頃、私も同じことしたよね」
「うぅ?あー」
雪はパンと手を叩く。
「確か、白が逃げたやつね」
「そう、そう」
「あの時なんだこいつって思ったもん」
「私だって思ったことあるよ雪に対してなんだこいつって」
「え?いつ」
「あの時だよ――」
私たちは、思い出を語り合い、教室の空に記憶を映していた。外もう薄暗い。灯のない教室を照らすの月明かりだけだった。終わらない話は、夜が明けるまで続くと思っていた矢先、廊下の方から足音が近づいてくる。
「警備の人かな?」
小声私は話す。
「多分そうじゃないかな」
「隠れないとまずいんじゃ」
「あ、そこ。二人ぐらいなら隠れられそうだよ」
教卓を指さしていた。
私たちは音を立てないようそこに隠れた。
「狭い」
雪は愚痴る。
「仕方ないでしょ」
「それはそうなんだけど……」
私は雪の鼻を見ていた。十センチメートル先にはもう顔がある。
「私の顔まじまじ見てどうしたの?変?私の顔」
「いやいや。変なんかじゃないよ」
慌てて視線を逸らす。
「じゃあ何で見てたの?」
「それは……」
言いかけたその時、携帯の着信音が鳴り響く。すぐに切ったが手遅れだった。遠ざかっていた足音が近づいてくる。
「まずいよ、これ」
「どうしよう。雪」
「おい。誰か、いるのか」
声が近くなっていく。
ガラガラ。ドアが開く――
「誰か、いるのかー」
同じ言葉を繰り返し。教室を隅々まで光で照らす。教卓の前まで来て中を照らす。
「あれ?気のせいか?」
警備員が顔上げた先で、風で靡くカーテンがあった。
「雪……はやい」
「速く走らないとバレちゃうよ」
「もう大丈夫でしょ、学校から出て来られたんだから」
教室のドアが開く少し前、私たちは隠れることを諦めドアから飛び出た。教室が一階で助かった。
「ほら何モタモタしてるの走るよ」
「えー」
私たちはまた走り出した。街灯が暗闇を照らし、それが私たちの道標だった。当てもなく走った。いつも歩く道なのに全てが新しい景色。世界の色が一色に染まる夜、私の体はよりちっぽけに感じた。
「はぁはぁ」――
息があがる。私たちが着いたのは、公園だった。適当に走ったはずなのに、気がつくといつも通っている場所に着いてしまう。
「雪、飛ばし過ぎだよ」
「流石にやりすぎたね」
雪は公園のベンチに腰を下ろし、背もたれに身を委ねていた。私もその隣に座った。
「今心臓がバクバクしてる」
雪は、息を上げながら話す。
「自業自得だよ」
「聞いてみてよ」
「はぁ?」
「今すっごいんだって」
「しょうがないなー」
右耳に雪の鼓動を感じる。雪の言う通り、鼓動はすごく早かった。雪はほんのり温かい。あと、息が近い。
「えっと、いつまでやってるの?」
「あ、ごめん」
慌てて離れた。
「いやー。変に緊張しちゃったよもう」
「ご、ごめん」
「まぁ、別にいいんだけど……」
気まずい沈黙が流れる。街灯は不安定でチカチカと揺らいでいる。沈黙を破ったのは雪だった。
「飲み物飲みたくない?」
「あー、確かに喉乾いたかも」
「じゃあ私、買ってくるよ、白は何がいい?」
「いや、いいよ。自分で買うから」
ポケットを弄ってみたが財布がない。
「財布落とした?」
「いや、多分学校の机の中だと思う」
「何がいい?」
もう一度聞かれる。
「オ、オレンジジュース」
「オッケー」
自動販売機の方へ走って行く。私は、この無計画な行動の収束地点を考えていた。帰る?連絡?今更遅いか……
「ひゃ」
ほっぺに冷たいものが当たる。
「ひゃって、反応が乙女だねー」
「雪ー。ベタなことしないでよ」
「こう言うのは、しといた方がいいかなと」
「しなくいいです」
「さいですか」
「あ、飲み物、ありがとう」
「どういたしまして」
雪は私と同じオレンジジュースを口に運びながら話す。
「朝まで何しよっか」
「んー。どうしようかな」
そう呟いた時、「白」と呼ぶ声が聞こえた。横にいる雪は、目を丸くしているしてジュースを飲んでいる。周りを見渡すと人影があった。その人影は徐々に近寄ってくる。街灯に照らされ顔が見える。
「千春さん」
私はその場から立ち上がった。千春さんの目には大粒の涙が浮かんでいる。
「あ、あの、ご、ごめんなさい。ごめんなさい」
千春さん私の前まで来て手を広げた。咄嗟に下を向く。
「え……」
温かい。千春さんが私を包み、離さない。力が強い。
「ほんとばか、あんた何してんのよ。どれだけ、どれだけ心配したか。わかってるの?」
声は弱々しく、消えてしまいそうだった。
「ごめんなさい……私、わたし、邪魔になるんじゃないかって、私のせいで結婚出来てないじゃないかって」
私の視界も次第にぼやけていく。口に入った涙はしょっぱい。
「良いの、良いのよ、家に居て」
「で、でも、わた、し娘じゃないし」
「もうあなた私の娘よ。姉さんの葬式の帰りに言ったでしょ」
「なんて?」
「あなたの居場所は私が作るって」
「そんなわたし、わがまますぎるよ。だれかの人生をうばってってまで生き……」
声は弱い、泣いていてはっきり発音できていないと思う。私の言葉に被さるように千春さんが呟く。
「あなたが生きててよかった」
「あぁ」
言葉にならない。私は千春さんの肩に顔を押し付け涙が止まるのを待った。
「雪ちゃんも巻き込んでごめんなさい」
私を腕で包んだまま雪に話しかける。
「これは私がやったと言っても過言ではないです。本当に申し訳ございませんでした」
雪は深く頭を下げた。
「頭を上げて雪ちゃん。多分あなたは白を思ってやってくれたんでしょ、ありがとうね、白の友達でいてくれて」
「いえ、そんな」
雪は下を向く。そんな雪も千春さんは包みこむ。
「本当に二人とも無事でよかった。家に帰りましょ」
コクリと頷いた。
千春さんの車に乗り込む。
「雪ちゃんの家はどっち」
「あ、すみません。ありがとうございます」
「良いのよ、気にしなくて」
「すみません、えっと、この道をまっすぐ行ってもらって――」
雪の家に着いた。千春さんは深々と雪のお母さんに謝罪をする。雪のお母さんは何がなんだかわからない様子でずっと「頭を上げてください」と言っていた。ことの経緯を話した上で千春さんはもう一度謝罪をする、私も一緒に頭を下げた。雪のお母さんは優しい笑顔で「うちの娘がご迷惑をおかけしました」と言っていた。その場両者の謝罪で収まった。
私はもう一度千春さんの車に乗り込んだ。助手席に座り、静かな街を窓越しに見ながら帰る。信号は赤。車が止まる。
「ねぇ白、養子縁組制度を使って本当の娘にならない?」
温かい何かが心の中を満たされてく。
「ありがとう。嬉しいでも大丈夫」
大丈夫……
「梶さんも了承してるから遠慮なんてしなくて良いのよ。」
「ううん。違う」
「違う?」
「今日知ったから」
「……」
「一人じゃないって」
「そう……わかった」
「あとそれに梶さんの養子になっちゃったら、私のフルネームが『家事しろ』になっちゃうから。変だよ、ひひ」
「あははは、それは変かもね」
「でしょ」
信号は青に変わる。
車の中は温かい。




