第10話Answer
「え?」
「お父さん……」
男の人を指さしては雪は言う。
「お父さん?転勤で県外だって言ってなかった」
「今、少しの間帰って来てて」
「そうだったんだ……」
蚊帳の外な雪の父は私を見つめていた。
「あの、雪のお友達?」
「そう」
雪は小さく呟いた。
雪のお父さん。外見から四十代前後といったところか。優しそうな顔立ちとは裏腹に大きい身長。立っているだけなのに威圧感がある。よく見ると鼻筋から雪の面影を感じた。
「は、初めまして、葉月白です」
「初めまして、雪の父の喜多川悟です。お見舞いに来てくれたのかな?雪のこと心配してくれてありがとうね」
「いえいえそんな大したことは……できてないです」
下を向く。そんな私に雪が話しかけてきた。
「ね、大丈夫って言ったでしょ」
「そうだね」
「明後日くらいには、学校行くから。心配しなくて大丈夫だよ」
雪の笑顔がなぜか痛い。
「うん。じゃあまた学校でね」
逃げるように会話を締めた。雪のお父さんの脇の隙間を潜り抜け部屋から出る。
バタン。
扉の閉まる音と同時に引き止められる。
「葉月さんだったよね。ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
「はい……大丈夫です」
「そこに座っていいよ」
「あ、はい……」
椅子を引く音がリビングに響きわたる。向かい合う私たちの隙間に、見えない壁を感じた。
「雪の成績が下がってきてるのは、雪から聞いてる?」
「聞いて……ないです」
「そうか。もしかしてと思ったんだけど、ごめんね。話すときにさりげなく聞いてくれると助かる。じゃ、ありがとうね……」
「あの、げ、原因は……私だと思います」
「えっと、どう言うことかな?詳しく聞かせてもらってもいい」
一息、答えを渋る。
「……今、二人でバンドを組んでいるんです。私も少なからず成績に影響が出ているのでそのせいだと思います……」
「バンド……ね」
「……」
「えっとそれはいつから」
「知り合ったのは、今年の四月で、バンドを本格的に組んだのは六月です」
考え込んでいる。次の言葉が今の否定ではないことを祈った。
「一つだけ言いたいことがあるんだけどいい?」
唾を飲み込む。「はい、大丈夫です」
「その活動って今やる必要性ある?」
「えっと、それは……」
「やるなって言いたいわけじゃないいんだよ。雪には、自由に生きてほしいと思っているしね。でもこの時期はさ、二人にとって大事な時期だよね?」
「はい……」
「この貴重な一年を棒に振ってまでやる理由が、私には見えてこない」
「そ、はい」
『あります』と言いたかった。
見ないようにしていた問題は知らないうちに膨れ上がっていて、それに対処する方法は私にはない。気がつくだけでは、言葉にはならなかった。
「反論がないってことは、先を見据えてないってことでいいかな?」
「……」
「創作……個人的な意見で、申し訳ないけど、今やっている創作は逃げ……じゃないかな?何かをやらなければならない、でも何もやってない自分。程のいい逃げ場。受験という大きな壁にぶち当たるのを避けて、楽な壁に挑戦しているように見えるよ、私には」
否定も、肯定もできない。事実、逃げのような状態になっていることは否定できないし、感情としてはそんなつもりはない。
『違う』と言えればなんて楽なんだろうか。私は、何も言えない。
「ごめんね、お友達に言うことじゃなかったね。忘れて」
「すみません」
「葉月さんが謝ることはないよ」
「いえ」
「気をつけて帰ってね」
「はい、ありがとうございます」
さっき、部屋のドアのガラス越しに薄く人影が、見えたような気がしたが開いた時には誰もいなかった。色々なもの抱えながら歩く帰り道は、足に力が入らなかった。
次の日――
この日もまだ雪は学校に来ない。学校に張り出されるインターハイの結果がやけに眩しく見える。今年はバスケ部と吹奏楽が出場したみたいだ。輝く実績が今の私にとって痛い。
「白さん元気ないね」
奏多くんは、額と机が引っ付いて離れない私を見て言う。私はチラリと顔を見て、元の位置に戻る。
「何?雪がこないから、不貞腐れてんの」
「違……う」
「じゃあ何?」
「何で奏多くんに言わないといけないの」
「んな、カリカリすんなって」
「……」
「次、移動教室だぞ。ほら起きろよ」
「うん……」
キンコン カンコン キンコン カンコン
―― 「飯飯ー」 「やべー腹へった」
クラスが一気に騒がしくなる。
購買の商品は、いつも通り品薄で、仕方なくバナナメロンパンを手に取った。木陰のベンチに腰を下ろし、袋を開ける。まずは一口。やっぱりこの味は苦手だ。甘い匂いによってくるハエも鬱陶しい。涼しい風が背中を通り抜ける、これは好き?いやこれは心地よいか……嫌いはすぐにわかるのに、好きが言語化できない。私の中にある感情は雪のお父さんが言ったものなのか、どうかすらわからない。混色の感情は濁るばかり。
「おい」
男。それもさっき聞いた声の男。
「んな、顔で飯食うなよ」
おにぎりを食べながらこちらまで歩いてくる男の正体は奏多だった。
「なんで来たの?」
「なんか暑くね、よくこんなところで飯食えるな」
「いや、質問に答えてよ」
頭を掻きながら横に座る。
「ずっとそんな顔でいられると居心地が悪い」
「奏多くんも優しいところあるんだね」
「はぁ?俺は優しさの塊だろ」
不貞腐れながら言う彼の顔は赤かった。
「なんかあったんだろ、雪と」
「奏多くんは好きってなんだと思う?」
「急になんだよ」
「ねぇ何だと思う」
顔を近づけるように、身を彼の方に寄せて聞いた。
「近い、近い」
「あ、ごめん……」
膝に手を戻す。
「好き?知らないよそんなの」
「でも雪が好きなんでしょ」
「ぶっ。そんな真剣に言うなよ恥ずいだろ」
「好きって何?」
「『好き』かー。理由をわざわざつけなくていいんじゃない……てかなんでこんな話になったの、雪と喧嘩したんじゃなかったの?」
「いや別に喧嘩はしてない」
「は?じゃあ何でそんな感じなの?」
「……」
「黙っててもわかんないよ……」
「このことは、誰にも言わないでね」
「うん。で何」
「私たち、バンド組んでるんだ」
「え、バンド?いつから組んでんの」
「六月くらい」
「なんでこんな時期に?意味わかんないじゃん」
「そうなんだけど、そうなんだけどね。だからとう言うか、このまま続けて良いのかなって」
「だから好きだの何だのって言ってたのね、まぁ今の間だけ辞めれば良いじゃない?普通に。僕には、そこまで固執する理由がわからないから。こんな事しか言えないけど」
「まぁ、そうだよね」
「なんで、煮え切らない返事?」
「いや、やっぱその結論に辿り着くんだなって」
「まぁそうだろうね。ま、でも二人がいいなら、良いんじゃない」
「……」
「なんの解決にもなんなかった?」
「いや、そんなことはなかったよ。ありがとう」
「そ。じゃあ、暑いから教室戻るわ。白さんも教室戻った方がいいよ」
「あ、うん」
今日で私の歩は、進んだのだろうか。前にあるはずの答えを後ろ向きながら手探りで探しているような、感覚だけが残っていた。
次の日――
見慣れた横顔は席に座っていた。
声をかけようにも何の答えも出ていない私の口から言葉が出るのだろうか。ホームルームが終わる頃。空が曇り始める。ポツポツ降り出したのは、雨だった。その雨は一日中止むことがなく、景色は変わり映えしない。今日初めての言葉は何がいいだろう。雪と話す機会がなかった私そればかり考えていた。やめるにしろ、やめないにしろ今まで積み上げてきたものを壊したくない。葛藤は胸の奥で止まり、蓋を開けるのを待っている。そんな私の目の前に、雪がたった。
「……」
見上げる私に向かって彼女は言った。
「今日さ、雨宿りしない?」




