悪役令嬢に一目惚れ
清らかさを感じる銀の髪。海の美しさを形にしたような青い瞳。桃色の可愛らしい唇。
イレーヌ・シュバリエを見た瞬間、僕は心を奪われた。
一目惚れってよく聞くけれど、実際はこんな感じなんだ。
心臓が激しく鼓動する。そんな状態でもどうにか頭は冷静だ。
「ギュスターブ殿下、どうかされましたか?」
目の前の少女、イレーヌが怪訝そうな顔をする。
「君に一目惚れした」
あ、やっべ、ちょっと気取りすぎたかも。でも、僕の立場ならギリギリ許される……はず。
「おお!」
「まぁ!」
同席しているイレーヌの両親であるシュバリエ夫妻が嬉しそうな声を上げる。
僕は白葉王国の王子、ギュスターブ・ブランだ。それがイレーヌに一目惚れしたと公言したのだ。
政略結婚の相手がこんなに素敵な女の子だったのはとても運がいい。
僕はイレーヌの前で片膝をつき、手を差し出す。
「どうか私と婚約していただけないでしょうか」
よし、完璧な王子スマイルを決めたぞ!
これでイレーヌは僕にゾッコン……
「大変光栄ですが、謹んで辞退させていただきます」
まるで崖から突き落とされたような気持ちになった。
なんで? どうして? ホワイ?
「理由を聞かせてもらえるかな?」
足に力が入らない。自分の体が他人の物になったようだ。
ふらついて醜態を晒さないよう、ゆっくりと立ち上がる。
イレーヌの目を見る。王族に対する敬意こそあれど、恋慕の情は一切なかった。
「殿下には運命の赤い糸で結ばれた相手がおります」
「それは君だよ」
「いいえ」
彼女は窓のそばに行き、外に視線を向ける。
「白葉王国の最北端にある銀白樺の里はご存知ですね」
「当然だ。あそこで手に入る材木は、魔法使いの杖を作るのに最高の素材だ。我が国の重要な輸出品の一つでもある」
「そこに住むケイト・ホワイトは聖女です」
「ええ!?」
聖女は白葉王国の歴史にしばしば登場する伝説的な力を持つ女性たちの総称だ。
聖女によって異なるが、非凡な能力を持ち、それを振るって王国の窮地を救ったり、あるいは飛躍的に発展させたりした。
なので聖女能力を発現させた者は、国が才能を伸ばすための教育を支援している。
「だが、聖女が現れたらブラン王家が察知しているはずだ。そんな話は聞いていない」
いくら僕が15歳の小僧とはいえ、そんな重要情報は必ず連絡される。
「それは致し方ないかと。彼女はまだ覚醒しておりません。しかしおよそ1年後には聖女の力を発揮するでしょう」
一体、どういうことだ? なぜイレーヌはそんなことを知っている。
「それも天のお告げか?」
僕が困惑している横でイレーヌの父が問う。
「シュバリエ卿、天のお告げとは?」
「娘は子どもが知っているとは思えないような知識を生まれつき持っていました。当家から出た画期的な技術や、社交界で流行した新文化の数々は全てイレーヌの発案なのです」
「それだけではありません」
とシュバリエ夫人が続く。
「この子は時々、未来を予知するのです」
「予知?」
「はい。最初の予言は、私が魔物に襲われて命を落とすというものでした。当時の私たちは愚かにも信じてあげられませんでした。その後、本当に魔物が現れたのです。イレーヌが戦ってくれなかったら、私は命を落としていたでしょう」
「それ以外にも、水害や魔物の群れの襲撃など、領地で良くないことが起きそうになるたびに、イレーヌはそれを未然に阻止してきました」
「殿下、今回も私は未来を見ました」
イレーヌが振り向き、私を見る。
「聖女と殿下が結ばれ、この国は繁栄します。その未来を消してしまうわけにはいきません。誠に申し訳ありませんが、どうかお引き取りください。お詫びとして、私が天のお告げから授かった知識を一つだけブラン王家に差し出します」
僕はシュバリエ夫妻を見る。政略的に見てもブラン家とシュバリエ家の婚約はかなりのメリットだ。ならイレーヌに考えを改めるよう言ってくれるはず。
「ううむ。国の未来がかかっているのであれば、しかたないか」
「残念ですが、諦めるしかありませんわ」
ウワーッ! 僕の初恋がもう失恋しかけている!?
「そうは言うが、弓の名手でも狙いを外す時があるように、予知も外れる時があるのではないか?」
と、とにかくイレーヌとの婚約を成立させないと!
「私はまだその予知に確信が持てない。ならば、ブラン家とシュバリエ家の繋がりを強くする、君との婚約を優先したい」
こんなことでイレーヌの心は手に入らないと分かってる。だがこの機会を逃せば、彼女は別の相手と婚約するだろう。
冗談じゃない! 僕が最初に好きになったんだ!
「分かりました。では婚約の契約書に、ギュスターブ様が望めばいつでも婚約解消できると書き加えてください。そうしていただければ、謹んでお受けいたします」
「分かった。それで話を進めよう」
よっしゃ! なんとか婚約にこぎつけたぞ!
こうなればもうこっちのものだ。必ずイレーヌの心を射止めてみせるぞ。
勝ったなワハハ!
●
1年前の僕へ。
何が「勝ったなワハハ」だよアホ。全然ダメじゃないか。
僕は最善を尽くした。物質転送の魔法道具で手紙を毎日送ったし、時間が許す限り会いに行った。
贈り物だって喜んでもらえるよう吟味した。
手紙にはちゃんと返事をしてくれるし、贈り物の返礼品も、僕のことをちゃんと考えてくれてると分かる物だった。
イレーヌは間違いなく僕を好意的に見てくれる。
でも彼女の宝石のような瞳の奥に、どこかためらいがあった。
今は愛してくれてるけど、いずれ聖女を愛するようになる。イレーヌがそう思っているのが伝わってくる。
「もうマジ無理。心が折れそう……」
王子は見栄を張るのも仕事だから、乳母であるクレアの前でしか僕は弱音を吐けない。
「聖女が現れてもなお、変わらぬ愛を貫けば、ギュスターブ様のお気持ちはきっとイレーヌ様に伝わります」
クレアが気持ちを落ち着かせる効能を持つハーブティーを淹れてくれた。
「聖女か……国が調査してケイトという子は実在すると分かったけど、聖女の証である〈聖痕〉はなかったんだよなー」
ケイトは聖女でないのか、あるいはまだ力に目覚めていないだけか。まだ分からないので、現状は様子見ということになっている。
「できれば、聖女なんか出てきてほしくないなぁ……」
「イレーヌ様の予知を恐れておられるのですか?」
「うん。すごく怖いね」
僕は素直に認める。
「僕の心が運命に書き換えられるのは嫌だ」
「運命に心を書き換えられる者は、運命を自覚していない者のみです。ですが、ギュスターブ様はイレーヌ様への愛を貫いて、運命に立ち向かっておられます」
クレアは言葉を続けた。
「運命は一つではございません。いくつもある中に、ギュスターブ様とイレーヌ様が結ばれる運命もございましょう。私はそれこそが、この世界が向かうべき道だと信じております」
「ありがとうクレア。心が持ち直してきたよ」
運命があるのなら、なおのことイレーヌへの愛を貫いて、抵抗してやるぞ!
●
その翌日、いつものようにイレーヌに会いに行くと、シュバリエ家が何やら慌ただしかった。
「シュバリエ卿、何かあったのか?」
「ああ、ギュスターブ様! 実は娘がこんな書き置きを残して無断で外出したのです」
彼が差し出した紙切れには、イレーヌの優雅な文字で「ケイトに会いに行く」と書かれていた。
「貴族の娘が護衛もなしに一人で出歩くなんてあってはならないことです。私は今すぐ迎えに行きます」
「なら同行させてほしい。私もイレーヌが心配だ」
僕は護衛の騎士やシュバリエ卿と共に銀白樺の里へ向かう。
我が白葉王国の各地には50年前に当時の聖女が建築した転移施設がある。それのおかげで国内の移動なら、長くとも数時間程度で済むようになった。
現地に到着すると、イレーヌの目撃情報はすぐに手に入った。
里の人々は、イレーヌが常人離れした身体能力で、建物の屋根から屋根へと飛び渡って、里の外れへと向かったという。
イレーヌは母親を魔物から守ったと聞いているし、魔法的な体の強化ができるのだろう。
とにかく僕たちもケイトの家へと向かう。
そして目的地に近づいたその時、爆発音が聞こえた。
こんな人里で攻撃魔法を使った人がいる!?
「イレーヌ!」
僕は思わず駆け出す。
「ギュスターブ様! 危険です!」
音が聞こえてきた場所に辿り着くと、無惨に破壊された家屋があった。
壊れ方から察するに、中で爆発性のある魔法が使われたのだろう。
家屋……というよりもその残骸の中に、イレーヌがいた。
彼女の背後には腰が抜けて座り込んでいる少女と、気を失って倒れている男がいた。
おそらく少女はケイトで、倒れている男は彼女の父親だろう。
「くそ! 悪役令嬢の分際で主人公を庇うような真似をしやがって!」
男は盗賊の下っ端のような風貌だが、妙な凄みを感じる。
「私がいる限り、この子には指一本触れさせないわ」
「ほざけーっ!」
男が手にしている剣でイレーヌに襲いかかる。
「危ない!」
思わず僕は叫ぶ。
このままではイレーヌが殺されると思ったら、全身の血が凍りついた。
だが実際には僕が恐れたようなことは起きなかった。
イレーヌが手刀を繰り出す。その手は魔力の輝きが宿っていた。
彼女の光る手刀は剣を真っ二つに切断し、そのまま男も斬りつける。
「ぐわぁ!」
男の体から血が噴き出す。
「くそ、覚えてろよ!」
「逃がさない!」
逃げる敵をイレーヌは追撃しようとするが、男が何かを放り投げたと思うと、あたり一面の真っ白い煙が立ち込める。
「これで勝ったと思うなよ! 俺は必ず運命を破壊してやる!」
煙が晴れると男はいなかった。
「イレーヌ! 怪我はないか」
「ギュスターブ様、どうしてここに?」
「君が心配だからに決まってるだろう」
「それは……ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「一体何があったんだ?」
事情をイレーヌに聞く。
「あの男が聖女ケイトを殺そうとしたので、彼女を保護しました」
「なんという不届者だ」
僕は本気で腹が立った。聖女がそれだけ大切な存在か、世間知らずの小僧である僕ですら知っている。
「あ、あの……」
当のケイト本人は、突然のことで何がなんだか分からない様子だった。
聖女の警戒心を解くため、イレーヌは柔らかな笑みを浮かべる。
「大丈夫よケイト。悪い人は追い払ったから。あなたの父親も、私が魔法で治療したから安心して」
「あ、ありがとう」
同い年のケイトと比べて、イレーヌはすごく大人びて見える。子どもの体に大人の心が入っているようにすら感じた。
僕たちは気を失ったケイトの父親を病院に運び込む。
医者が改めて彼を診察したが、イレーヌが魔法で応急処置していたので命に別状はなかったらしい。
「一体、あの人は何だったの? うちはお金持ちでも何でもないのに」
「あいつは強盗なんかじゃないわ。聖女であるあなたの命を狙っているの」
「そんな! 私は聖女なんかじゃないわ!」
命を狙われたケイトには申し訳ないが、僕も彼女が聖女であってほしくない。
「いいえ。ちゃんと証拠があるわ。あなたの右手にね」
「もしかして、ちょっと前に出てきた、この変なあざが?」
見ればケイトの右手の甲には赤い円の紋様があった。
「それ、〈無地の聖痕〉じゃないか!?」
それは聖痕の中でも最も希少なものだった。
「〈無地の聖痕〉? それにあなたは?」
ケイトが僕について尋ねる。おっと、まだ自己紹介してなかったな。
「控えよ! このお方は白葉王国の王太子、ギュスターブ・ブラン殿下にあらせられる!」
護衛がケイトに向かって威圧的に僕のことを告げた。
「も、申し訳ありません」
あーあ、もう。完全に萎縮しちゃったじゃないか。
「か弱い乙女を怖がらせない方が良い」
やんわりと護衛を嗜める。
そりゃね、王族に威厳は大事だよ。でも僕は怪物みたいに怖がられるのは嫌だ。
「そんなに畏まらなくて良い。王太子といっても、世間知らずの小僧に過ぎないからね」
「あっ、はい」
僕が王子様スマイルを繰り出すと、ケイトの萎縮がちょっと和らいだ。
うんうん。練習したかいがあったな。
……本当はイレーヌを惚れさせるために練習したんだけどな!
「それで、〈無地の聖痕〉についてだったね」
僕は話を再開する。
「その聖痕の能力は『成長』だ。それがあれば、常人の何百倍もの効率で成長できる」
「そういえば、最近は妙に物覚えが良くなったと感じます」
「〈無地の聖痕〉を得た君は、人がなれるものなら何でもなれる。最強の剣士にも、世界一の魔法使いにも、その両方にだって」
「なりたい自分になれる……」
ケイトは一瞬だけイレーヌに視線を向けた。
「王子様、私は恐ろしい人が現れた時に、迷わず立ち向かえる人になりたいです」
ケイトの瞳には、強い気持ちがこもっていた。
●
ケイトは王宮で生活しながら聖女としての教育を受けることになった。
聖女教育は【武道】、【魔法】、【学問】、【教養】の四つの分野に分けられ、本人の能力に合わせて、どこを重視するかを決める。
努力さえすれば何にでもなれるケイトの教育は【教養】の比率を少し高めにしつつ、基本的に満遍なく学ぶ方針になった。
「イレーヌ様と同じ技を教えてください!」
「分かったわ。自分の身を自分で守れるようになった方が良いものね」
命を助けられたからなのか、ケイトはイレーヌに懐いていた。
それともう一つ。
王子としてケイトと何度かお茶会をしなければならなかった。王子と聖女は結婚しなければならないと考える保守派が僕と彼女をくっつけようと動いたんだ。
「君は貴族たちに何か言われたかもしれないけど、僕の婚約者は常にイレーヌであると覚えていてほしい」
「私は一人前の聖女になったら、イレーヌ様に助けていただいた恩を返したいと思っています。お二人の仲を引き裂いて、イレーヌ様を不幸にするようなことは決してしないと誓います」
少なくとも僕はケイトの言葉に嘘の気配は感じなかった。
ケイトは僕のことを恩人の婚約者としか思っていないし、僕も真面目で将来有望な聖女としか彼女のことを感じなかった。
よっしゃ! 僕のピュアハートは運命なんかに書き換えられたりしないぞ!
「ケイトとの仲はどうですか? 最近は二人でよくお茶会をしているようですが」
ある日のこと、イレーヌが聞いてきた。
「ケイトと何度か”面談”はしたが、君への愛は変わらないままだよ」
「えっ……そんな……」
「私と聖女が結ばれるという君の予知は外れたのだと思う」
「だとしても、いずれ私は……」
イレーヌは悲しげに僕から目を逸らした。
その態度に、僕は違和感を覚えた。
「君は、私と聖女が結ばれる予知を見たというが、本当にそれだけなのだろうか?」
「そ、それは……」
愛する人の瞳は、葛藤に揺れていた。
「何かがイレーヌを苦しめている。君を愛する者として、私はそれを取り除いてやりたい。どうか打ち明けてくれないだろうか」
「それはできません。ですが、これだけは言えます。どうか私のことなど早く忘れてください。それがギュスターブ様にとっての幸せなのです」
どうしてそんなことを言うんだ。僕はイレーヌの真意が分からない。
でも僕に対する気遣いのようなものは伝わってくる。
イレーヌは、自分の存在が僕の幸せを損なうと思っている。
それは一体、何だ?
話を聞き出したい衝動を僕はこらえる。
無理に問いただしたら、イレーヌはますます心を閉ざしてしまうだろう。
僕がするべきなのは言葉でイレーヌを慰めることじゃない。
行動で示すことだ。
イレーヌがいたからこそ、僕は幸せになれたと証明すれば、彼女は僕の愛を素直に受け取ってくれるはずだ。
●
それから1ヶ月後くらいして、白葉王国で毎年開かれる武闘大会の時期がやってきた。
大会には、これまでの訓練の成果を確かめるためという目的でケイトが出場する。
大会にはイレーヌの姿もあった。
すでに彼女の実力は多くの人々に知れ渡っていて、大会を盛り上げるためにぜひとも出場してほしいと王宮から要請があったからだ。
実際、王子の”世界一可愛い”婚約者で聖女の師匠でもあるイレーヌの勇姿を見るために、例年よりも多くの人々が集まっていた。
もちろん僕もイレーヌの活躍を楽しみにしている一人で、彼女を一番近くで見られる場所に特等席を作ってもらった。
大会が始まると、イレーヌは国中から集まった達人たちを次々と撃破していった。
うーん、僕の婚約者は可愛いだけじゃなくてかっこいいなぁ!
特に動きやすくするために髪をポニーテールにしてるのがすごく良い!
……あれ? もしかして見物人の中からイレーヌを好きになっちゃうやつとか出てきちゃう?
ウワーッ! どうしよう!
僕は別の意味でハラハラドキドキしながら試合の行く末を見守った。
そして、イレーヌはついに決勝戦まで勝ち上がった。
最後の相手は、ケイトだった。〈無地の聖痕〉がもたらす超人的成長力は、わずかな期間で彼女をここまでの実力者に押し上げていた。
「本気でかかってきなさい、ケイト」
「分かりました。今の私の全てをぶつけさせていただきます」
二人の乙女が手刀を構える。試合なので流石に魔力の刃はまとっていなかった。
彼女たちは同時に動き、その直後にぴたりと止まる。
イレーヌの手刀はケイトの首筋に当てられていた。
一方、ケイトの手刀は振りかぶったままの状態で止まっていた。
素人から見てもイレーヌの攻撃の方が早かったのは明らかだった。
試合はあっけなく終わった。でも、達人同士の戦いは得てしてそういうものなのだろう。
「やっぱりイレーヌ様にはかないませんね」
「〈無地の聖痕〉を持つあなたなら、必ず私より強くなるわ」
「もし、そうなれたのなら、私はイレーヌ様をお守りしたいと思います」
ケイトの憧れと尊敬の眼差しを向けられたイレーヌは、一瞬だけ悲しそうな顔をした。
その時、空から恐ろしい鳴き声が聞こえてきた。
「ドラゴンだ!」
誰かが叫ぶ。
見れば、空から赤錆色の竜が向かってきている。
「ケイト! あなたはギュスターブ様を避難させなさい! 私はここであのドラゴンを倒すわ」
「君だけを戦わせたくない! 私も戦う!」
僕は王子として、剣の訓練を受けている。
今は丸腰だし、腕だって一流とは言えないけど、とりあえず武器さえ手に入れば戦える。
「そうです! 私も聖女としてイレーヌ様と一緒に戦います」
ケイトも僕と同じ気持ちだった。
だけどイレーヌは僕とケイトに厳しい言葉を返した。
「殿下は、この国で唯一人の王子なのですよ。あなたが命を落とした時、この国にどれだけの混乱が巻き起こるか、お考えください! ケイトも今のあなたでは足手まといです!」
「うう……」
死ぬわけには行かない。次の王である僕が死ぬと、激しい権力争いが起きて、大勢の人々が不幸になるかもしれない。
それに聖女であるケイトを死なせてもいけない。
「ギュスターブ様、イレーヌ様の言うとおりです。あなたと聖女を失うわけにはいきません」
僕の護衛がそう告げる。
ケイトを見る。彼女は悔しそうに唇を噛んでいた。
ドラゴンがもう目の前まで迫っている。
「分かった。どうか死なないでくれ、イレーヌ」
僕は護衛やケイトと一緒に試合場から逃げ出した。
ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう!
走りながら、僕は悔し涙を流す。
どうして僕は王子になんか生まれてしまったんだ!
王子でなければ、好きな女の子のために戦って死ねたのに!
試合場の外には、馬車を止めてある。僕たちはそれに乗って逃げるつもりだった。
「そんな、馬が!」
馬車の馬は惨たらしく殺されていた。
「ケヒャヒャヒャ! 残念だったなぁ!」
下品な笑い声を上げながら、馬の死骸の上に座っている男がいた。
「お前はケイトを襲った男! 確か、イレーヌがフェイトブレーカーと言っていたな」
「そうとも! 主人公が死ねば、運命は再起不能だ!」
男は剣を抜く。
「ごろつきごときが、わけの分からぬことを!」
僕の護衛がフェイトブレーカーに斬りかかる。
「遅え!」
信じられないことに、護衛はたった一撃でやられてしかった。
王子の護衛を任されるほどの腕を持つ者を、フェイトブレーカーはあっさり倒してしまったのだ。
「さぁて、次はテメェだ。ケヒャヒャ!」
「あなたなんかに殺されたりしないわ」
ケイトは魔力を宿した手刀を構える。
「抜かせ! 半人前のうちにぶっ殺してやる!」
輝く手刀と剣が火花を散らすほど激しくぶつかり合う。
素人判断だけど、二人は互角のように見えた。
〈無地の聖痕〉を持つ聖女は常人を遥かに超える成長速度を持つ。それはつまり戦う間にも強くなるということ。
ならば、いずれはケイトが強くなって勝つはずだ。
「ケヒャヒャヤ!」
だがフェイトブレーカーは余裕の表情を見せていた。
聖女を殺すのが目的なら、ケイトの能力を知っているはずだ。
「気をつけろ! そいつは何かを企んでる!」
だが僕の警告は一瞬遅かった。
フェイトブレーカーが、鶏の卵のようなものをケイトに投げつけた。
ケイトはそれを叩き落とそうとしたが、それがかえって良くなかった。
それはパリンと割れると赤紫色の粉末が広がり、ケイトはそれを顔面から浴びてしまった。
「ううっ!?」
粉を吸い込んだケイトは呼吸困難に陥り、その場で膝をつくほど激しく咳き込んだ。
まずい、毒の粉末だ!
「かかったな、マヌケ!」
ケイトはすでに達人級の実力を持つが、実戦経験が浅いせいで敵の搦め手に引っかかってしまった。
「ヒャッハー! 死ねぇ!」
「やめろー!」
僕は倒れた護衛の剣を拾って、フェイトブレーカーを攻撃しようとしたが、あっさり避けられた。しかも足払いを喰らって派手に転んでしまう。
「邪魔すんじゃねえよ、クソガキ」
「ガハッ!」
僕はフェイトブレーカーに蹴り飛ばされる。
耐え難い痛みが僕を苛む。もしかしたら骨が折れているのかもしれない。
「お前も主人公もろともぶっ殺してやるぜ」
フェイトブレーカーの手に火球が出現する。炎の魔法・火球の型だ。
「死ねえ!」
目の前に迫る死の恐怖で僕は思わず目をつぶった。
爆発音は響き渡る。
だが熱も痛みも感じなかった。
恐る恐る目を開けると、僕とケイトを守りように立つイレーヌの姿があった。
僕たちはイレーヌが使った防御の魔法で守られている。
「イレーヌ!」
「イ、イレーヌ様……」
だが彼女はあちこち怪我をして、全身が血だらけだった。ドラゴンとの戦いの凄まじさを物語っている。
「ドラゴンをもう倒しやがったか!」
「ケイトもギュスターブ様も私が守るわ」
ボロボロの姿からは想像もできない気迫がイレーヌにあった。
「クソ。覚えていろよ!」
フェイトブレーカーが逃げようとした時、彼の目の前に土の壁が出現して行く手を阻む。
「逃さないわ」
僕の乳母がそこにいた。土の壁は彼女が魔法でも使ったのだろうか?
「そうか、分かったぞ。テメェがフェイトキーパーだな、クソババア!」
「はじめまして、フェイトブレーカー。でもこれで終わりよ」
フェイトキーパーとは一体何だ? やつは何を言っている。
「ここで決着をつける」
イレーヌが光る手刀を構える。
「ちくしょう、ちくしょう! なんで上手くいかないんだよぉ!!」
フェイトブレーカーはイレーヌの手刀に斬り捨てられ、そのまま倒れた。
「浅はかな考えで変えられるほど、運命は脆い存在じゃないからよ」
イレーヌはその亡骸に向かって冷たく言った。
その直後、彼女の体がぐらりと揺れる。
「イレーヌ!」
僕は素早く駆け寄り、倒れそうになる彼女を抱きとめた。
気を失ったイレーヌの呼吸は浅く、顔は土気色で、今にも死にそうだった。
「イレーヌ! 君は回復の魔法が使えたはずだろう。早く自分に使うんだ」
「もう魔力を使い果たしてしまいました。それに使えたとしても打ち消されるでしょう。運命が……私の死を望んでいますから」
「そんな、まさか!? 君が見た本当の予知って……」
僕はようやく、イレーヌが僕の愛を避けている理由を理解した。
彼女は自分の死を予知していた! 僕が愛していると知ってるからこそ、自分の死で僕を悲しませないよう、聖女と結ばれることを望んでいたんだ。
「ギュスターブ様、今まであなたの愛を避けていてごめんなさい。でも、私もあなたを愛していました」
イレーヌが意識を失う。
「そんな! ダメだダメだダメだ! 死なないでくれ!」
「ご安心ください、殿下。私が彼女を治します」
クレアがイレーヌに手をかざす。すると回復の魔法の光が彼女の体を包みこんだ。
傷はみるみるうちにふさがり、痕すら残らなかった。服が血で汚れていなければ、ついさっきまで大怪我していたと分からないだろう。
「クレア、君は一体何者なんだ?」
「私はギュスターブ様の乳母です。私が人ならざるものであっても、あなた様の幸せのために働いております」
僕はそれ以上、クレアの正体について問い詰めようとは思わなかった。彼女が僕のために働いてくれる。それだけが分かっていれば良い。
僕は腕の中で眠るイレーヌの顔を見る。
今はただ、愛する人が失われなかった幸運に感謝しよう。
●
私は自分の名前に違和感を覚えていた。
イレーヌ・シュバリエ。まるで、他人の名前を呼ばれているかのような、居心地の悪さがあった。
私には生まれつき子どもらしい心というものがなかった。物心がついた時には、すでに大人と同じような考え方や感じ方をしていた。
その理由を知ったのは10歳の頃だった。
ある日の朝、目覚めた私は思い出したのだ。
前世の記憶を。
前世の私は功刀ヒカリ。並行世界調査機関という組織に属していた。
私は並行世界調査員として、様々な世界を旅し、そこで得られた知識や技術を故郷へと持ち帰った。
調査先の並行世界は安全とは限らないので、この仕事は危険を伴う。
ファンタジー世界の魔物や、SF世界の殺人ロボットと戦うなんてことは日常茶飯事。
だから、ある日突然に命を落とす覚悟はしていた。
でも、夫に保険金目当てで殺されるとは思いもよらなかった。
そして、今は”あの”イレーヌ・シュバリエとして生きている。
まさか学生時代に好きだった乙女ゲーム〈セイントガールGU〉の悪役令嬢に転生してしまうなんて。
とにかく、私はイレーヌとして生きていかないといけない。
並行世界調査機関では、創作物が現実化した並行世界を創作1種型と分類している。
こういう世界は元となった創作物のシナリオが、運命として強力に作用する。
でも私は原作ゲームのプレイヤーだから、ある意味で未来を知っている。
私は自らの良心に従い、原作ゲームで起きる悲劇を回避すると決めた。
最初の悲劇は、イレーヌが12歳の夏に起きる。
シュバリエ家は夏になると避暑地で過ごすのが慣例となっているが、その年はちょっとした予定のズレから、母親とイレーヌだけが先に向かうことになる。
そして、避暑地へ向かう途中で魔物に襲われる。
母親は自ら囮になってイレーヌを逃がし、そこで命を落とす。
それを知ったシュバリエ卿の悲しみはとても深かった。
最悪なことに、彼はイレーヌのせいで自分の妻が死んだ思いこんでしまう。
母を失い、父に辛く当たられてしまったイレーヌの心は荒みきってしまう。
私は前世の知識を使い、自分を鍛えることにした。今世の母を殺す魔物を倒すために。
とはいえ、魔物の襲撃そのものを回避した方が良いわ。
悲劇が起きる日、私は両親に警告することにした。
「お父様、お母様、今年は避暑地へ行くのはおやめになった方が良いと思います。馬車が魔物に襲われる夢を見ました。きっと良くないことが起きる予兆です」
「大丈夫だ、イレーヌ。しょせん夢だ」
「そうですよ。今年も楽しく過ごしましょう」
分かっていたが、やはり信じてはもらえなかった。
そして私と母は原作通り、父より先に避暑地へ向かうことになり、その途中で魔物の襲撃を受けた。
相手は角を生やした熊のような魔物だった。
私は手刀に殺傷力を付与した魔力をコーティングする。
これはとある並行世界で編み出された武術で、ルミエール手剣道という。
並行世界調査期間は、様々な並行世界から知識や技術を収集している。この技もそのうちの一つ。
私は子どもの小さな身体を逆に活かし、熊魔物の脚を斬ってバランスを崩した後、首をはねてとどめを刺した。
「お母様、もう大丈夫です」
「ああ、イレーヌ! 我が子が戦っているのに、何もしなかった私を許して」
母に抱きしめられ、私はこの人を守れて良かったと思った。
この一件で、私が未来を予知しても信用してもらえるようになった。
悲劇は、何もこれだけではないのだ。
原作では、魔物の襲撃や天災など、領地で何か良くないことが起きるたびに、愛する妻を失って正常は判断ができなくなった父は、イレーヌが不幸を呼び寄せているのだと責め立てる。
私は原作ゲームの知識を使って、それらの事件を全て未然に防いだ。
それ以外にも、前世で並行世界調査員として得た知識を使って、シュバリエ領を原作よりも発展させるよう動いた。
それはギュスターブとの婚約を回避するためだ。
貴族や王族の婚姻というのは、絶妙なパワーバランスの上で成り立っている。わずかでも状況が変われば、婚約自体が成立しなくなる。
私がそうする理由は、ギュスターブが原作に登場する攻略対象の一人だからだ。
彼はイレーヌの婚約者であるが、悪役令嬢である彼女の悪事に利用されたところを、主人公である聖女ケイトに助けられ、やがて相思相愛になる。
それが原作ゲームにおけるギュスターブルートのシナリオだ。
私は別にギュスターブを利用するつもりなんてないけれど、彼と婚約するのは避けたかった。
婚約したところで、運命の強制力でギュスターブはケイトを愛するでしょうね。前世で夫に裏切られた私にとって、それはあまり好ましくない。
……だったのだけれど。
「ギュスターブ殿下、どうかされましたか?」
「君に一目惚れした」
一体どういうこと?
ギュスターブが悪役令嬢に一目惚れするなんて場面は原作ゲームに存在しないわ。
イレーヌとギュスターブの婚約を成立させるために、運命が軌道修正をしたと解釈できるけれど、どうも違和感を覚える。
結局、私と彼との婚約は成立してしまった。
それからというもの、彼はいつも私に愛を注いできた。
『いつもイレーヌを想っている』
『夜空に輝く美しい星のような君へ』
『私の永遠の恋人』
手紙だけでなく、彼は時間が許す限り私に会いにきてくれる。
婚約してから一年が経っても、ギュスターブの想いは決して消えなかった。次第に私も彼のことが好きになってきてしまった。
ギュスターブの笑みを見るたびに、私は自分が悪役令嬢であることを忘れてしまいそうになる。
お願い、ギュスターブ、もうやめて。これ以上はあなたを本気で愛してしまう。
そんな悩みを抱えていたある日、“やつ”が現れた。
「お前、転生者だろ」
盗賊の下っ端のような風体の男が、窓に腰掛けていた。
「そういうあなたは、”変える”方? それとも”守る”方?」
「俺はフェイトブレーカー。運命を変える方さ」
フェイトブレーカーは創作1種型並行世界で生まれる、超自然の存在だ。
その目的は、運命を変えること。
「あなたはどういう方法で、運命を変えるつもり?」
「主人公をぶっ殺す。お前も手を貸せ」
最悪。
この時点で、この男は私にとっての敵となった。
私は即座にルミエール手剣道でフェイトブレーカーに斬りかかった。
「うおっと!」
フェイトブレーカーは背中から倒れるように私の攻撃を避け、そのまま窓の外へ落ちていく。
私の部屋は屋敷の三階にあるが、フェイトブレーカーはそんな高さをものともせずに、着地した。
「何が気に食わないんだ」
「私の良心に反するからよ」
「けッ! いい子ちゃん振りやがって。あばよ!」
フェイトブレーカーが逃げ出す。
「待ちなさい!」
私は追いかけたけれど、見失ってしまった。
もはや一刻の猶予もない。
フェイトブレーカーは運命に最大の打撃を与えるために、主人公であるケイトを殺すつもりだ。
私は屋敷を飛び出す。
ケイトが住む銀白樺の里は白葉王国の最北端にあるけれど、転移装置があればすぐに辿り着ける。
私は走りながら、体内の魔力を心臓と肺に伝導させる。
血流を通じて魔力が私の肉体を強化する、活性心肺法と呼ばれるこの身体強化は、ルミエール手剣道と同じく、前世で身につけていた技術だ。
私は建物の屋根から屋根へ飛び渡って、最短距離でまずはケイトの家へ向かう。
ケイトの家は玄関扉が破壊されていた。
私は迷わず家の中に飛び込む。
中では血を流して倒れている男がいた。ケイトの父親だ。
ケイトは恐怖で腰が抜けてしまったのか、その場に座り込んでいた。
「やめなさい!」
私は素早く攻撃するが、フェイトブレーカーはそれを避ける。
「くそ、もう追いつきやがったか!」
フェイトブレーカーを睨みつつ、私はケイトの父親に回復の魔法をかける。
「邪魔するんなら、テメーごとぶっ殺してやる!」
フェイトブレーカーが炎の魔法・火球の型を投げつけてきた。
「くっ!」
私は防御の魔法・結界の型を使う。ドーム型の防御力場が私たちを覆う。
爆発性のある魔法が室内で炸裂し、ケイトの家を半分以上もふっとばした。でも魔法による防御のおかげで、私たちは無事だ。
「くそ! 悪役令嬢の分際で主人公に味方しやがって!」
「私がいる限り、この子には指一本触れさせないわ」
「ほざけーっ!」
フェイトブレーカーが剣で私に襲いかかる。
「危ない!」
その時、ギュスターブの声が聞こえた。
視界の端で、彼やその護衛、それにこの世界における私の父の姿があった。
私が姿を消したのを知って追いかけてきたのだろう。
でも今は、戦いに集中しないと。
私は魔力を宿した手刀で剣ごとフェイトブレーカーを斬る。
「ぐわぁ!」
攻撃は当てたけれど、浅い。致命傷にはならなかった。
「くそ、覚えてろよ!」
「逃がさない!」
だけどフェイトブレーカーが投げてきた煙幕弾のせいで、私はやつの姿を見失ってしまう。
「これで勝ったと思うなよ! 俺は必ず主人公を殺して運命を破壊してやる!」
私はフェイトブレーカー撃退に成功はしたけれど、結局はまた逃してしまった。
●
それから、やはりケイトに超人的な成長速度を得る〈無地の聖痕〉が現れていた。
それは〈セイントガールGU〉のストーリーが始まったのを意味する。
ケイトは王宮で聖女としての教育を受けることになる。
「イレーヌ様と同じ技を教えてください!」
「分かったわ。自分の身を自分で守れるようになった方が良いものね」
憧れの眼差しと共にお願いされた私は、ケイトにルミエール手剣道と活性心肺法を教えることにした。
「ケイトはどんな聖女を目指しているの?」
その時の私は、ちょっと軽い雑談のつもりだった。
「イレーヌ様みたな人です!」
「えっ?」
予想外の答えが返ってきたわね。
「一人前の聖女になったら、助けて頂いた恩返しにイレーヌ様にお仕えしたいと思います」
「そ、そう? 期待しているわ」
「はい、頑張ります!」
ケイトの憧れでキラキラした目で私をいつも見る。
一方で、不可解なこともあった。
ケイトの聖女教育が始まったというのに、恋愛イベントが発生しなかった。
〈セイントガールGU〉では主人公の【武道】、【魔法】、【学問】、【教養】のステータスがルート分岐に影響する。
ケイトの聖女教育は【教養】を高めに、他の分野を満遍なく育てるという方針だけれど、これはギュスターブルートの分岐するための条件となっている。
でもギュスターブ関係のイベントはまったく発生していなかった。せいぜい、二人で何度かお茶会をした程度。
もちろん、他の攻略対象のイベントも起きなかった。
状況を確かめるため、私はギュスターブにケイトとの仲を訪ねてみた。
「ケイトと何度か”面談”はしたが、君への愛は変わらないままだよ」
「えっ……そんな……」
「私と聖女が結ばれるという君の予知は外れたのだと思う」
じっとこちらを見つめる彼の目に、嘘は感じられなかった。
私はもう分かっていた。この人の愛は変わっていないと。
「だとしても、いずれ私は……」
でも、だからこそ私は心が痛む。
〈セイントガールGU〉ではどのルートでも、悪役令嬢であるイレーヌは非業の死を遂げている。
言い換えれば、この乙女ゲームは悪役令嬢が死ななければ完結できない。
だから、悪役令嬢の死は最も強力な運命として作用している。
それを退けられるかどうか、私には自信がない。だから、私の死がギュスターブの心を傷つけることに良心が痛む。
「何かがイレーヌを苦しめている。君を愛する者として、私はそれを取り除いてやりたい。どうか打ち明けてくれないだろうか」
ギュスターブが私の葛藤を察する。ちゃんと見てくれているとって嬉しくなる一方、しまったと思った。
「申し訳ありません、ギュスターブ様。それはできません。ですが、これだけは言えます。どうか私のことなど早く忘れてください。それがあなた様にとっての幸せなのです」
全てを打ち明けてしまいたい衝動を必死にこらえながら、私はどうにかその言葉を絞り出す。
彼は私を気遣ってくれて、それ以上は問い詰めなかった。
私がイレーヌでなければ、彼の愛を素直に受け取れるのに……
●
悪役令嬢の死の運命以外にも懸念事項がある。
それはフェイトキーパーの存在だ。
フェイトキーパーはフェイトブレーカーと同じく、創作1種型並行世界に生まれる超自然の存在よ。
その目的は運命を守ること。
本来ならば、運命が変わらないようにするのが使命のはず。
なのにお母様を助けようとした時からずっと、妨害するどころか姿すら見せていない。
一体、何を考えているの?
それから白葉王国で毎年開催される武闘大会の時期がやってきた。
原作ゲームでは攻略対象の一人とケイトが決勝戦でぶつかり合い、それを通じて絆を深める場面がある。
でもここでも原作との乖離が起きた。
大会を盛り上げるために、どうしても私に出場してほしいと強い要請があり、私は出ざるえなかった
もちろん、悪役令嬢が大会に出場するという描写はない。
大会の内容も原作とは違った。
本来なら決勝戦に行われるはずだったケイトと攻略対象の試合は、第1回戦で行われた。
ケイトは攻略対象に圧勝したばかりか、乙女ゲームらしいロマンスの気配すらなかった。
そして、大会の決勝戦は私とケイトが対決することになった。
もはや別物となった大会の内容に困惑してしまう。
でも今は、そんな雑念を忘れる。
「本気でかかってきなさい、ケイト」
「分かりました。私の今出せる全てをぶつけさせていただきます」
技を教えた者として、私はケイトの努力に向き合う義務がある。
試合の結果は、はたから見ると私の圧勝に映ったでしょうね。
でも、実際は違う。本当に紙一重の差だった。
「やっぱりイレーヌ様にはかないませんね」
「〈無地の聖痕〉を持つあなたなら、きっと私以上にルミエール手剣道を使いこなすはずよ」
「もし、そうなれたのなら、私はイレーヌ様をお守りしたいと思います」
いずれ死ぬかもしれない私に、屈託のない笑顔で言うケイトに私はどう答えて良いのか分からなかった。
その直後、赤錆色の鱗を持ったドラゴンが現れた。
間違いなく、フェイトブレーカーがけしかけてきたのね。
私はケイトとギュスターブを逃がした。二人は一緒に戦おうとしたけれど、私は認めなかった。
ギュスターブはもちろんのこと、ケイトもまだドラゴンと戦うには未熟だった。
二人がギュスターブの護衛と共に去った直後、背後からずしんとした振動が伝わってくる。
私は振り向くと、ドラゴンの巨体が目の前にあった。
「化け物め! お前の好きにはさせないぞ」
「ドラゴンを倒すのはこの俺だ!」
大会に出場していた達人たちが、ドラゴンを取り囲む。
その時、私はドラゴンは彼らを見下すような顔をしているように見えた。
直後、ドラゴンが咆哮する。
すると達人たちが次々と気絶して倒れていった。
「ふん。まさかこんな小娘が俺と戦うに値する実力者だとはな」
「言葉を話せる知能を持っている……あなたは千歳以上のドラゴンなのね」
「いかにも。俺は人間が使う武術というのに興味があってな、自分なりに武術を編み出してみたから、腕試しをしたいんだ。とはいえ、相手が弱すぎては意味がない」
ドラゴンは周囲の達人たちを見渡す。
「俺が使った念動の魔法・威圧の型は、俺が戦うまでもない相手を無力化する。こいつらは雑魚だったというわけだ」
そしてドラゴンは私に熱のこもった眼差しを向ける。
「フェイトブレーカーとかいう人間は、ここに来れば腕試しができると言っていた。半信半疑だったが、話に乗って良かった」
私は手刀を構え、それに魔力を宿す
「いいわ、あなたの腕試しに付き合ってあげる」
周囲から人々の悲鳴が聞こえてくる。まだ避難は終わっていない。
幸いにもこのドラゴンは、今のところ私に興味を持っている。
「さて、さっそく技を披露させてもらうぞ」
ドラゴンが翼を大きく広げて、ふわりと浮き上がる。
直後、稲妻のような速度で落下し、私に飛び蹴りを叩きつけてきた。
体を苛む激痛を無視しながら、私は敵の攻撃を避ける。
衝撃で地面が揺れ、蜘蛛の巣のような亀裂が走る。
ドラゴンは踏み込みが深すぎて、攻撃の直後に一瞬だが動きを止める。
その一瞬を狙って、私はドラゴンの後ろ足を手刀で斬った。
「ぐぅ! やるな!」
傷口から血が噴き出し、ドラゴンは膝をつく。
私は喉笛を狙って手刀を繰り出そうとする。
「この!」
ドラゴンが私に向かって炎の魔法・火球の型を使った。
それは威力よりも速射性を重視した一撃で、魔法の発動開始から発射までが恐ろしく速かった。
火球はなんとか避けられたけれど、攻撃は中断せざる得なかった。
ドラゴンは前足の爪で攻撃してくる。
威力の代わりに速さを優先した打撃だ。
防御の魔法は使えない。相手の攻撃の速さに間に合わないし、間に合わせようとしたら防御力が足りない。
避けるか、魔力を宿した手刀で受け流すように弾くしかない。
「小さくて素早い相手には、こう戦うのが正解か。やはり実戦は良い。学びがある」
このドラゴンは謙虚だ。だからこそ恐ろしい。
敵の打撃がどんどん鋭くなっていく。
「どうした小娘! もっと必死に戦え!」
私は攻撃を凌ぎきれなくなってきた。次第に、致命傷ではないが、決して軽くはない傷をいくつか受けてしまう。
「お前を倒した後、俺はこの国を滅ぼしてやるぞ。そうすればお前より強いやつが俺を倒しにやってくるからな!」
それを聞いた以上、私はドラゴンをここで倒さなければならない。
覚悟を、決める。
ドラゴンが爪を振り下ろす。
私は活性心肺法をレベル3に引き上げた。
爪が当たる直前、私は素早く移動してドラゴンの背後に回る。
「何!? 後ろか!」
後ろを振り向きながら、ドラゴンは尻尾で打撃を繰り出す。
狙い通り。ドラゴンなら、背後の敵を攻撃するのに尻尾を使うと思っていた。
私は尻尾の打撃を、裏拳で弾き返す。
尻尾の骨を砕く感触が伝わってきた。
「ぐあぁ!?」
予想外の痛みと衝撃に、ドラゴンの体がバランスを崩しながら回転しする。
ドラゴンと目があった。人外の表情は読み取りにくいけれど、おそらく信じられないという顔をしているようね。
私は手刀にありったけの魔力を込める。
ルミエール手剣道の奥義、光刃大切断。
私の手刀から伸びた数メートルにも及ぶ光の刃が、ドラゴンの胸を切り裂いた。
「み、見事だ」
ドラゴンの巨体がずしんと倒れる。
勝利に酔うまもなく、激痛が私を襲った。
「うう……ゲホッゲホッ!」
激しき咳き込むと血を吐いてしまった。
活性心肺法のレベルを引き上げた代償だ。
この技は肉体への負担が大きい。レベルを上げれば上げるほど、それは飛躍的に大きくなる。
「娘よ……名は何というか? 俺を討ち倒した、偉大な英雄の名前を教えてくれ」
「イレーヌ。私はイレーヌ・シュバリエ」
「イレーヌ……イレーヌか」
ドラゴンは私の名前を自分の魂に刻むかのように繰り返し。
「イレーヌ・シュバリエのゆく道に栄光あれ」
それが彼の最後の言葉だった。
知性あるドラゴンの価値観は独特だ。
自分たちを世界で最も優れた種だという誇りを持ち、時には他種族を見下す一方、自分を倒した者に限っては惜しみない敬意を払う。
悪いけれど、私に栄光なんてないわ。
だって私はこの世界の悪役令嬢だから。
体のあちこちから血が流れている。
回復の魔法を使おうかと思ったけれど、やめた。
もしかしたら今日が”その日”かもしれない。運命が悪役令嬢の死を実現させるために、魔法を打ち消すかもしれない。
それならケイトをフェイトブレーカーから守るために、魔力は温存させた方が良いわね。
自分の体から命がこぼれ落ちていくのを感じながら、私はケイトとギュスターブを追う。
二人を見つけた時、ギュスターブの護衛はすでに倒されていた。
フェイトブレーカーは二人に向かって炎の魔法・火球の型を投げつけようとしている。
私は素早く間に割って入って、防御の魔法で二人を守る。
自分の作戦が失敗に終わったフェイトブレーカーは逃げようとしたけれど、やつは突然現れた土の魔法で出現した壁に逃げ道をふさがた。
魔法を使ったのはギュスターブの乳母、クレアだった。
「そうか、分かったぞ。テメェがフェイトキーパーだな、クソババア!」
クレアがフェイトキーパー?
色々と疑問はあるけれど、でも今はフェイトブレーカーを倒すことに集中しないと。
「ここで決着をつける」
「ちくしょう、ちくしょう! なんで上手くいかないんだよぉ!!」
私は光る手刀で、やつを斬り捨てた。
「浅はかな考えで変えられるほど、運命は脆い存在じゃないからよ」
これでもう安心。ケイトを脅かす脅威はいなくなった。
安堵して緊張が解けたせいで、体から力が抜けて倒れそうになる。
それをギュスターブが抱きとめてくれた。
「イレーヌ! 君は回復の魔法が使えたはずだろう。早く自分に使うんだ」
「もう魔力を使い果たしてしまいました。それに使えたとしても打ち消されるでしょう。運命が……私の死を望んでいますから」
「そんな、まさか!? 君が見た本当の予知って……」
「ギュスターブ様、今まであなたの愛を避けていてごめんなさい。でも、私もあなたを愛していました」
最後に私は、ギュスターブに本心を伝えて意識を失った。
ああ、これで私は死ぬ。でも良心に殉じたことに後悔はないわ。
●
気がつくと私は王宮のベッドの上にいた。
手にぬくもりを感じる。誰かが、私の手を握っていた。
「ギュスターブ様……」
私は手を握っている人の名を呼ぶ。
「イレーヌ! ああ、良かった! 目が覚めたか!」
「まだ生きている」
「クレアが回復の魔法で治してくれたんだ」
ドラゴンとの戦いで受けた傷は痕もなく消えていた。腕が良くなければ、こうはきれいに治らない。
「ずっと君のそばにいたいが、先のドラゴン襲撃のこと後処理がある。でも、仕事を終えたらすぐに戻るよ」
ギュスターブは名残惜しそうに去っていった。
それから少しして、誰かが扉をノックする。
「どうぞ」
入室を許すと、現れたのはギュスターブの乳母クレアだった。
「ギュスターブ様から、イレーヌ様のお世話を命じられました。何なりとお申し付けください」
今、この場にいるのは彼女と私だけだ。なら、尋ねるべきことがある。
「あなたはフェイトキーパーなの?」
「はい、イレーヌ様」
彼女は素直に認めた。
「この世界は〈セイントガールGU〉とかけ離れているわ。あなたがフェイトキーパーなら、どうして何もしなかったの? それどころか原作ゲームでは死ぬ運命にあった悪役令嬢すら助けた」
「この世界にはイレーヌ様が知らない運命が存在します。私が守っていたのはそれでございます」
「どういうこと?」
私はフェイトキーパーの意図が分からなかった。
「イレーヌ様は〈セイントガールGU〉にリメイク版があるのをご存知ですか?」
「ええ、まあ。でもリメイク版が出た当時は、仕事が忙しくてプレイする暇はなかったわ」
並行世界調査員はいつも並行世界を飛び回るので、休日を自宅でのんびりと過ごすのは稀だ。だから、大好きだったゲームのリメイク版でも、時間がかかる乙女ゲームをプレイする余裕はなかった。
「でしたら、リメイク版の追加シナリオをご存じないのも無理はありません」
「あなたが守っているのはその追加シナリオなの?」
「はい」
「その追加シナリオの内容は?」
「追加シナリオは少々特殊でして、ケイトとは別の人物が主人公になっております」
「ずいぶん大胆な内容ね。その主人公は誰なの?」
「あなた様です」
「え?」
ちょっと間の抜けた声を出してしまう。
「追加シナリオの主人公はイレーヌ様です。本編で非業の死を遂げたイレーヌ様の魂は過去へと巻き戻ります。そしてご自身の周囲で起きる悲劇を回避するというのが、追加シナリオの内容でございます」
「……」
私は言葉を失った。運命の強制力が不自然に弱いと思っていたけれど、まさかそんな事情があったなんて……
「とはいえ、この追加シナリオの運命は原作の他のルートと比べて、その強制力は極めて弱いものでした」
私は前世の並行世界調査員としての知識を思い出す。
並行世界は人の想像力が現実化することで生まれる。
だから乙女ゲームのような複数のシナリオがある作品に場合、プレイヤーから最も人気のある、つまり最も認められたルートの運命が強くなる。
「少なくとも、ある時点で最も強力な運命はギュスターブ様のルートでした。しかしギュスターブ様がイレーヌ様とご婚約された日から、ほとんどの運命が消滅し、追加シナリオの運命のみが残りました」
「一体なぜ?」
運命を変える使命を持ったフェイトブレーカーは主人公の抹殺に固執していたし、私だって追加シナリオの存在は今まで知らなかった。
追加シナリオの運命に干渉する者はいないはずよ。
「それは、ギュスターブ様の一目惚れが本物だったからです」
フェイトキーパーは言葉を続ける。
「本来ならば聖女を愛する運命にあったギュスターブ様が、自らのご意志でイレーヌ様に恋したために、この世界は追加シナリオへ向かわざるえなくなったのです」
「あなたのその口ぶりだと、まるで追加シナリオは悪役令嬢とギュスターブの恋愛が描かれるように聞こえるのだけれど……」
私がそう言うと、フェイトキーパーは微笑んだ。
「追加シナリオはまさにイレーヌ様とギュスターブ様の恋物語です。もちろん、結末はハッピーエンドでございます」
「なら私は……」
「悪役令嬢の死の運命はもうありません。ギュスターブ様の本心からの愛が運命を変え、イレーヌ様をお守りしたのです」
思わず涙がポロポロと流れてくる。
「良かった……本当に良かった……」
フェイトキーパーがそっとハンカチを差し出してくれた。私はそれを受け取って、涙を拭う。
「私はフェイトキーパーですが、同時にギュスターブ様の乳母でもあります。私が守るべき運命とはギュスターブ様の幸せです。それにはイレーヌ様が必要不可欠でございます」
運命の守り手は私をじっと見つめる。
「どうかお願いいたします。ギュスターブ様の愛に応えていただけないでしょうか」
「ええ、もちろんよ。だって私は、彼を愛しているわ」
私は心から素直な気持ちで、それを口にできた。
●
あのドラゴン襲撃の一件からイレーヌは変わった。
理由は分からない。でも、何かしらの心境の変化がったのは間違いない。
「ギュスターブ様のご厚意をないがしろにしていた無礼を、深くお詫びいたします」
「謝る必要はない。君の予知は、いくつか的中していたのだ。不安に思うのも無理はない」
冷静な王子様スマイルを浮かべつつ、僕の心は嬉しさでいっぱいだった。その場で踊りたくなる衝動を必死に抑える。
「なら、あの日のことをもう一度やろうか」
イレーヌとはじめて出会って、そして一目惚れしたあの日と同じように、僕は彼女の前で膝をつき、手を差し出す。
「どうか私と婚約してくれないだろうか」
「はい、喜んで」
イレーヌは僕が差し出した手を取ってくれた。
僕は静かに立ち上がり、イレーヌ目のを見つめる。
恐る恐るイレーヌを抱きしめようとする。彼女はそれを拒絶せず、僕の腕を素直に受け入れてくれた。
彼女の素直な愛が確かに伝わってくるのを感じる。
よっしゃー!!! フゥー!
ギュスターブ大団円! 希望の明日へ、レッツゴー!




