ルート案内を開始します
『ルート案内を開始します。目的地までおよそ35キロ、到着時間は午後11時30分です』
エンジンをかけて、梶山と名乗った男は笑い声を立てた。
「いやあ、便利便利。これで、岸さんの家まで行けるんですね。ドキドキしますよ」
後部座席に、手足を縛られて乗せられた岸は、体を激しくよじった。口はタオルを嚙まされているので、わめくこともできない。
「いい車ですね。加速がスムーズだ」
梶山が運転する車は、昼間よりもめっきりと交通量が減った片側二車線の道路へと進んでいった。
「夜のドライブ、俺は好きなんですよ。ねえ、ロマンティックじゃないですか。ちょっと蒸し暑い夜でもね」
岸は眉間に思いきりしわを寄せて、後ろ手に縛られた腕から結束バンドを外そうともがいていた。たとえ、手がちぎれようともバンドを外さねばならない。
「無理しないでくださいね、どのみちバンドは外れませんよ。手も足も、ね」
梶山は安全運転で、道を進む。
『次の信号を左折してください、その後すぐに右折です』
「おお、分かりやすい。最近の軽自動車って、快適ですね。あ、音楽かけますか。ラジオの方がいいですか。俺、ラジオ好きなんですよ。特に、夜に聞くラジオいいですよ。じゃ、ラジオつけます」
そういうと、梶山はコントロールパネルをタッチしてラジオをつけた。FMのクリアな音が後部座席まで聞こえた。ゆったりとした洋楽がかかっている。
「気分がいいですね、岸さん。岸さんも、気分がよかったんでしょう。大きな商談が纏まって、ノンアルだけれど、ビールを飲んで」
そうだ、何か月も交渉を続けてようやく決まった大口の仕事に、つい浮かれてしまった。だから、ダイニングバーで相席になった梶山に、無防備に話をしてしまったのだ。梶山は岸よりも小柄で、人好きのする笑顔で岸から話をなんなく聞き出した。
「奥さん、六か月ですよね。それから、三歳の女の子……。楽しみだなあ。俺、妊婦は初めてだから、すごい楽しみ」
その言葉に、岸の全身がぎゅっと固くなり、冷たい汗が噴き出す。
「幼児も好きですよ、なんていうか、お人形みたいじゃないですか。抱えやすいのがいいですね、それが魅力ですよ」
岸が痛みを無視し、力づくで動くので腕に結束バンドが手首をこすっていく。手首は血でぬるついてきた。
『この先、道なりです』
「国道っていっても、もうあまり車が走っていませんね。郊外って、ほんと郊外ですね」
ナビが最初に言ったよりも、これでは早くついてしまう。もう半分くらいの道を進んでしまった。
岸はもがいた。このままでは――。
連続一家殺人事件に、「岸」の名前が連なってしまう。
「妊婦の腹を裂いたら、赤ん坊は生きているものなんでしょうかね。それから、女の子。ああ、どこからナイフを刺そうかな」
そう言うと梶山は、まるで愉快だとでもいうように笑った。
『次の信号を斜め右へ』
家に到着するまで、もう時間がない。しかし、腕も足も結束バンドは外れそうにない。
「あと少しですか。隣近所まで遠いんだ。田舎はいいですね」
明かりはどんどん少なくなる。国道沿いの店はほとんどが営業時間を終え閉店している。街灯がまばらになり、最後のコンビニの明かりが岸の目をよぎった。街灯が切れた。
「桜ですか。春はさぞかし、きれいでしょうね。今年は見ましたか。見納めでしたね」
道の両側に桜の並木が続く。梅雨前の生い茂った葉が、まるでトンネルのようだ。
『つぎの角を曲がります。まもなく到着です』
「やったー。お楽しみ時間だ」
岸は狭いシートに体を起こすと、運転席と助手席の隙間に縛られた体ごと、突っ込んだ。
「なっ」
梶山が小さく声をあげた。岸は梶山の腕に乗り上げた。芋虫のような体のまま、梶山に頭突きを食らわせ、暴れまわった。
「やめろ、ハンドルがっ」
梶山はパニックに陥ったようで、アクセルを強く踏んだ。エンジンが一瞬うなりを上げたかと思うと、スピードを上げたまま、桜の木に激突した。
激しい音とともに、ボンネットはつぶれた。岸はフロントガラスに後頭部をめり込ませ、血に染まる視界に梶山の顔に上を向いて割れたハンドルが刺さっているのを認めた。
うめき声は、岸のものか梶山のものか。
『……か、る……、つ……』
カーナビから音がした。
『ルート案内を開始します』
もうドライバーはいない。
岸の意識は薄くなり、じき消えた。
カーナビは便利。
『自宅』を登録しておくと、他人の家でも簡単に行けちゃうよ。




