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盗賊と正義

そこは、地図にも名前が載っていない村だった。


 枯れた木々。崩れかけた石垣。

 畑は荒れ、牛も羊も一頭も見当たらない。


 かつて、「アイゼル村」と呼ばれていた場所。

 だが今や、その名すら忘れ去られかけていた。


 エリカが村を訪れたのは、たまたま立ち寄った宿場町でのことだった。

 ギルドに登録された依頼ではなく、ひっそりと酒場の片隅で交わされた一言がきっかけだった。


 「……嬢ちゃん。もし剣を振るうことに誇りを持ってるなら、あんたの目で見てきてくれ」


 酔ったように見えた初老の男は、そう言って村の名を口にした。

 彼の瞳は澄んでいた。酔ってなどいなかった。


 到着して間もなく、エリカは村の様子から事の深刻さを悟った。


 住人たちは疲れ果てた表情で、エリカの姿を遠巻きに見ていた。

 何人かは幼子の手を引きながら、顔を伏せた。

 老人が口を開いた。


 「……盗賊の連中がまた来る。明日の夜だ。今度こそ、村を焼き払うと……」


 村には金も兵もない。

 頼れるのは、たったひとりで現れた少女――エリカだけだった。


 ギルドの規則では、登録外の依頼を受けることは禁止されている。

 違反すれば罰則、最悪は除名。


 それでも――


 「見捨てろとは、誰も言ってない」

 エリカは、夜空を仰ぎながら静かに呟いた。


 目を閉じ、気力を体内に巡らせる。

 冷たい風の中で、彼女の身体が静かに整っていく。


 (殺さず、守る。それが、今の私にできる選択)


 鞘に収まったままのロングソードを、腰にしっかりと差し直す。

 その下で揺れる鉄製のドッグタグには、「エリカ・ウォルター D級」と刻まれている。


 ――そして、夜が来た。


 風が止み、村の灯りがすべて消える。

 静寂の中に、わずかに近づく足音。


 盗賊たちが、現れた。


 五人。

 獣じみた目で、村を見下ろすように進み出る。


 「おい、誰か出て来いよ。今回は、火つけてやってもいいんだぜ?」


 その瞬間、雨の中に踏み出したのは、たったひとりの少女だった。


 「――この村には、これ以上触れさせない」


 灯りのない闇の中で、光よりも鋭い意思があった。


 「チッ、なんだテメェ……嬢ちゃん一人かよ?」

 斧を担いだ大男が、湿った地面を踏み鳴らして前に出る。


 その後ろからも、手斧・短剣・棍棒・弓。計五人。

 どの顔にも、殺意はなかった。

 “ただ奪うだけ”という、鈍く濁った空気がある。


 エリカは構えた。

 右足を半歩引き、肩の力を抜く。腰に添えた鞘つきの剣がわずかに揺れた。


 「嬢ちゃん、遊びじゃねぇんだ。命が惜しかったら――」


 言葉よりも先に、斧が空を割った。


 大振り。遅い。――見切れる。


 エリカは滑るように左へステップ。

 重心を落とし、斧男の膝に足を巻きつけるように払う。


 「崩し払い」――


 足元をすくわれた大男の巨体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。

 泥が飛び散り、他の盗賊たちが驚愕に目を見張る。


 「このっ、小娘が……!」


 次に飛び込んできたのは短剣の男。素早い、刺突狙い。

 だがその右腕を振り抜く直前、エリカの体がわずかに沈み込む。


 腰を回し、肘をたたきつける――裏拳うらけん


 肘打ちが男の顎に直撃。

 脳震盪を起こした男は、息も絶え絶えに崩れ落ちる。


 三人目。棍棒の男は、怒声を上げて突っ込んできた。

 エリカは正面から受ける。


 直前、剣の鞘を逆手に握り、棒の軌道をはじくように受け流す。

 同時に、片膝を低く落とし――


 喉元へ手刀。


 相手が硬直した瞬間、もう一撃――鞘で足を払う。

 男はよろめき、無様に倒れ込む。


 残るは、弓使いと傭兵の二人。


 弓を引いた男が、矢をつがえる。


 「止まれ! 撃つぞ……!」


 震える声。

 エリカは迷いなく駆ける。


 疾風のような踏み込み――

 そして、右足を大きく跳ね上げる。


 「上段蹴り」――鋭い蹴りが弓使いの弦ごと顎を打ち上げた。

 矢は空に飛び、男は後方に崩れ落ちる。


 最後に残ったのは、背の高い傭兵。

 剣は腰にあり、抜いていない。だが目は獣のように鋭い。


 「……なぜ剣を抜かない。殺す気がないなら、下がれ」


 「私は“人”を殺す剣士じゃない。――でも、守る者にはなれる」


 エリカの言葉に、男は一瞬ひるむ。


 だが次の瞬間には、腰から細剣を抜いて突きかかってくる。


 鋭い突き。実戦経験のある動き。


 エリカは寸前で体をねじり、軸足を確認する。

 そこに前蹴りを叩き込む――崩れたところに、鞘で背中を打ちつける。


 呼吸を奪われた傭兵が、呻きと共に倒れ込んだ。


 五人、全員戦闘不能。


 エリカの剣は、最後まで鞘から抜かれることはなかった。


 そして、彼女の周囲に広がるのは――

 沈黙と、安堵と、雨の音だけだった。


 「……殺さないで、済んだ」


 エリカは泥にまみれたまま、胸の奥で小さく呟いた。


 強さとは、誰かを斬ることではない。

 守り抜いた今、初めてその言葉が自分の中に形を成した。



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