試練の獣
夜が明けきらぬ灰色の空の下、
石造りの演習場に、少女の足音だけが響いた。
周囲を囲むのは武装した兵士たち、そして神殿の魔導官。
全員が、ある種の“結論”を期待していた。
──召喚は失敗だった。
それを証明し、始末するための茶番。それが今日の“試験”だった。
「準備は整いました」
魔導官が短く報告し、術式を展開する。
その陣の中心、地面がぐらりと揺れ、地を割って現れたのは──
「……下級魔物、ハウルグリズか」
一人の騎士が呟く。
体高2メートルを超える、牙を持った獣型の魔物。
突進力と噛みつきによる殺傷が脅威であり、
通常は二~三人の熟練兵での連携討伐が基本。
だが、ここにいるのはただ一人。
「これが……“試し”?」
エリカの声は、静かだった。
誰も返事をしない。だが、目線がすべてを物語っている。
──やらせる気だ。殺される前提で。
なら、やることは一つ。
「……いいわ。見せてあげる」
少女は、ゆっくりと剣を構える。
ロングソードを肩に預けるように掲げ、左脚を一歩引いた。
足の指が大地をとらえ、呼吸が一段沈む。
魔力も、加護もない。だがその構えは──美しかった。
「出ろ」
指示と同時に魔物が解き放たれる。
咆哮が場を揺らし、巨体が疾走する。
重い、速い、獰猛。
“初見殺し”の代表格。殺傷任務に使われる凶獣。
だがエリカは、目を逸らさなかった。
(肩が開いてる。前足、あれじゃ止まれない)
魔物が突進した、その瞬間。
――音が消えた。
次に見えたときには、魔物の喉元に剣が刺さっていた。
跳ね上がった血が空中に弧を描き、
振り返る少女の頬には一筋もかかっていなかった。
「……終了」
誰もが言葉を失った。
神官たちは顔を青くし、騎士たちは目を見開き、
唯一、老人だけが──震える指で、彼女を指した。
「……これは、“無刃流”の……」
名もなき少女は、ただ剣を納めた。
その名が知られるより前に。
人々は、無銘の剣姫の姿を心に刻み始めていた。
その場にいた誰もが、一瞬、目を疑った。
血飛沫の中、ただ一人、汚れひとつないまま立つ少女。
淡く揺れる金のボブカットは、朝露を浴びた麦のように静かにきらめき、
透き通るような青の瞳は、魔物の死さえも一瞥で流していた。
まるで“戦場に迷い込んだ幻想”。
凛としたその立ち姿は、剣を振るったはずなのに、どこか儚くて美しかった。
その瞬間、誰かが思った──
「あれは……人ではない。異なる理の存在だ」と。