魔法が通じぬ者
エリカは、目の前で展開された光の“術式”を見つめていた。
空中に浮かぶ不規則な紋様、淡い発光、触れていないのに肌に感じる熱。
そして──頭の奥に響いた、誰かの声。
言葉ではない何か。感情に近い命令のような“干渉”だった。
(……なにこれ。催眠術? 電磁波? 脳波干渉?)
直感で、それが自分に向けられた命令だと理解できた。
けれど、それが効いた実感は一切なかった。
(というか……こういうの、“魔法”ってやつ?)
そう考えた瞬間、自分で苦笑する。
(いや、ちょっと待て。私、今の流れ、受け入れすぎじゃない?)
異世界? 魔法? 召喚?
“ふーん、そうなんだ”で済むはずがない。
けれど──
(でも、目の前で物理法則を超えた現象が起きてるのは確かで。
で、それが私に効かなかった……となると)
彼女は一つ、深く息を吐いた。
(認めるしかないか。ここはもう、“現実じゃない現実”だ)
受け入れたのではない。
受け入れざるを得ないほど、理屈が破綻していた。
「……で、これは一体どういうつもり?」
光が消え、空気が鎮まった空間で、エリカが静かに口を開いた。
言葉に感情はほとんど乗っていない。けれど、問いかけには確かな“圧”があった。
「精神操作の初級術式です。ただ、少々あなたが混乱しておられるようなので……」
神官の一人が言い訳を口にする。
その言葉に、エリカは目を細めた。
「……つまり、“混乱しているように見えたから、勝手に頭をいじろうとした”ってこと?」
「そ、それは……」
「人の脳に手を突っ込むのは、“善意”の顔した暴力よ。そういうの、私──嫌いなの」
その瞬間、神官たちは本能的に感じた。
この娘は、怒っている。
「それに、“効かなかった”って顔してるけど……。どうして?」
エリカは立ち上がり、神官の一人にゆっくりと近づいた。
まるで実験中の対象を見る科学者のような視線で。
「それって……私に“効くはず”だったんでしょ? 今までの人間には」
「……っ」
問いかけは冷静だった。だが、神官の背筋には冷たい汗が伝う。
精神干渉魔法はこの国の基礎魔導体系の一つ。
帝国では兵士や市民の制御、果ては尋問や交渉にも使われる“常識”の技術だ。
それが、一切通じない。
「“魔法が効かない”人間など、存在するはずが……」
誰かのつぶやきが洩れる。
エリカはそれを聞き逃さなかった。
「ふうん。それが“常識”なんだ?」
そして、皮肉な笑みを浮かべる。
「悪いけど、私はね――常識をぶち壊す側の人間なの」
その言葉に、誰もが口を閉ざした。
少女は魔力を持たない。
だが、そのまなざしは剣より鋭く、魔法より鋭利だった。
静寂が落ちる。
やがて、エリカはため息をついた。
「……確認はまだ? 私が“使えるかどうか”、早く試したほうがいいんじゃない?」
神官たちは互いに目を見交わし、決断した。
この少女が本物か否か、それを“戦場”で確かめるほかない。
こうして、帝国支配下にある辺境の地で。
無銘の剣姫が最初の剣を振るう日が近づいていた。